ですぺら
ですぺら掲示板1.0
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一考 | 端折り

 おきさんが「世界離散、ですぺら」で「なお『ですぺらのホープ』書き込みは内容・文体ともに明らかに店主と特定しうるもの。その謂われは、ご本人とご関係者以外は知る由もなく、ぜひ店にてご本人よりお確かめ下さい」と書き込みなさったが、掲示板の書き込みと活字とでは微妙に違えている部分がある。掲示板では、当事者以外には分からないように間合いを外す、もしくは内容を一部端折っている。この手法は絢子さんから学んだもので、真意を知られたくないので意図してひとを煙に巻くのである。
 例えば、先にグザヴィエル・ゴーチエの「シュルレアリスムと性」で、「平凡社ライブラリー版には旧版の『訳者後記』も収められている。六十年代の思想的激動の一端が垣間見られる傑出したエッセイである。また『訳者後記』に出てくる『君』は若くして縊死した大槻鉄男さんのことである。セリーヌやブルトンやシュペルヴィエルの名訳を遺したフランス文学者にして詩人。七十年代、私の京都時代は彼と共にあった」と書いた。下って「離散について」で「七九年一月十四日の友の死」と書いたのは大槻鉄男のことである。七年前に明石から埼玉へ引っ越した時、杉本秀太郎さんからミカン箱一杯の原稿や書簡が送られてきた。なかはすべて大槻の資料であり、私が持っていても仕方がないので杉本さんへお送りした大槻の遺稿も含まれていた。実は大槻のシュペルヴィエル訳を上梓しようとして、杉本さんと渡辺淳一さんに大槻の思い出を書いていただこうと思ったのが、その遣り取りの発端であった。しかし、送られてきた他人の書簡を読んでその気はなくなった。ずいぶんと私が悪者になっている。悪者になるのは一向に構わないのだが、そのまま出版すれば大槻さんのせっかくの推敲が誤解されかねない状況であると判断したからである(この部分も、この後のはじめも説明を端折る)。
 ひとが死ねば私こそが友人であったと、各人各様に信じ、思いこむのである。だからこそ、「いかように託けようとも、人に存在理由はありません。ならば、友も同様にして、『私は友であった』と著した瞬間に、友は指の間から砂粒のように零れ落ちて行きます。『友であった』かどうか、逝った他者の真意を推し量るなど、欺瞞以外のなにものでもなく、もし仮に友たりえたとしても、相方の死と共にすべてのかかわりは消滅します。さればこそ、友の存在を退けるのが本音なら、友の死を悲しむのは建前ということになりましょうか。自らに対する偽善を厭うなら、暫時友は切り捨てて行くのが自らへの、ひいてはその友への唯一のはなむけであり餞別になりましょう」と書いた。
 ひとりが長く書き込みを続けていると、多くの書き込みが互いにリンクしあうことになる。さればこその端折りである。また、友の死で傷つき悲しんでいる虚無主義者は絵にならない。そのような側面は活字ならともかく、掲示板には似合わない、と勝手に思い込んでいるのである。

 「再度山公園の修法ヶ原池、もしくは網走湖の呼人浦あたりが似合いの場かと心得ます」と書いた。網走湖の呼人浦には小さなキャンプ場があって、私のお気に入りである。そして国道を挟んで向かいの丘の上には網走の監獄と北方民族博物館がある。建て替えられた旧監獄であって博物館になってい、網走刑務所ではない。そして修法ヶ原池の北西には再度山学院がある。通称再度少年院と呼ばれていた施設である。廃校ではなく、「昭和四十二年に廃止された」と書いたので分かるひとには分かる筈である。昭和九年に竹馬学園再度山林間学校として完工、戦時中は抑留敵国人収容所となっていたが、昭和二十二年に建物は法務省少年院に寄付された。次いで、昭和三十七年に神戸学園に譲渡されて竹馬学園は解散、現在ではくすのき会ひふみ園となっている。足穂の小説に出てくる諏訪山の金星台はこの再度山への登山道の入り口にあたる。堀も塀も格子もないすこぶる特異な少年院で、いわば脱走が勝手なわけだが、同じような施設がかつて静岡にもあった。神戸、静岡共に、学院長(このような名称は使わない)は同一人であり、そのご子息がですぺらのお客さんである。ただし、この少年院への出入りは修法ヶ原池からではない。平野から上る428号線、通称有馬街道からである。その理由は平野の下祇園町と荒田町三丁目に少年鑑別所と家庭裁判所が道を挟んであるからである。鑑別所は通称「ごろいけ」といい、青い丸屋根の壮麗な建物だった。
 上記書き込みのすこし前、「南柯書局設立の理由はこれまで誰にも語らずにきたのだが、金曜日には喋らせていただこうかと思っている」と書いた。私は問われれば、どのようなことでも受け答えする。しかし、訊かれもしないのであれば、言いたくないことも多少はある。書きづらいことを暈かして書くのは当然である。季節遅れのボジョレー・ヌーボーを書いたのも同様で、店にはバーテンやソムリエが多くやってくる。まったく頓珍漢なご意見ばかりで普段は黙って拝聴している。だが、デュブッフは中味を偽ったことが発覚してもっか係争中だし、ワイナリーやネゴシアンが異なれば香味が違うのは当たり前。ブルゴーニュであればこそ、白のヌーボーならまだしも、ボジョレー地区の赤についての一般論など聞きたくもない。その困惑を書くのに、十箇月ほど日をずらしたまでのはなしである。

 また、詰らぬことを書いてしまったようである。飲み屋の掲示板でありながら、酒について書けば、かならず人生航路(後年は人生幸朗・生恵幸子コンビ)になる。そこで、おきさんの「白龍」についても身勝手な一言。先日、「黒龍」の大吟醸をかさねさんへお持ちした。ポピュラーな点では双方似合いである。酵母が同じでそれがまず気に入らない。九号酵母を楽しむなら香露か通潤を飲めばよいのであって、どうして福井の酒でなければならないのか。そもそも「黒龍」が私は嫌いである。吟醸酒はしっかり造っているが、あの蔵元の二級酒は飲まれたものでない。「シチリアのキャンティーネ・セッテソリと最高級のフォンテーヌ・ガニャールのモンラッシェ'89に感心なさっていた。そこが彼らしいところであり」と横須賀さんについて書いたが、その「彼らしいところ」が肝要だと思っている。同じ福井の「梵」は吟醸や古酒は当然、もっとも安価な「精選」が滅法旨い。山形の「樽平」や岐阜の「三千盛」と共に熱燗にして飲まれる数少ない酒のひとつである。名のポピュラーではなく、味わいのポピュラーを意識して広島の「金泉・万葉」を紹介した。例えポピュラーな酒であっても、人口に膾炙しないものがいいに決まっている。「黒龍」や焼酎の「百年の孤独」のような中味が伴わない酒が跋扈すればこそ、日本酒や焼酎は店に置くのをやめようと思っている。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月24日 23:13 | 固定ページリンク





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