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一考 | 「稚児殺し」倉田啓明譎作集

 泥棒作家として識られるのはジャン・ジュネだが、わが邦にもひとり、文体とイデーを盗ませて右に出るものがいないと称される泥棒作家倉田啓明がいる。「ヤオヨロズの貧乏神でにぎわい」をみせる亀鳴屋の勝井隆則さんから久しぶりに小荷物到来。中味は倉田啓明譎作集、題して「稚児殺し」。勝井さんの弁によれば「貧困小説家の次は奈落の作者、縁起でもない不吉な作家」シリーズの第二弾とか。
 言うまでもなく、出版人とはこころざし、すなわち夢にかたちを与えるのを生業とする。そのためには出版人、編輯者、書き手(物故作家の場合は書誌学者)の三位一体が必須である。もちろん、生業とする以上は購入者がおおきなウェートを占めるはずなのだが、こちら(読者)はコーベブックス、南柯書局、雪華社、研文社と渡り歩いたわたしの経験から申して実にか細く、頼りがいがない。出版とは金銭との格闘だったと嘯きたくもなるのである。

 山田一夫、鈴木泉三郎、鈴木善太郎、富ノ澤麟太郎、大泉黒石、正岡容、十一谷義三郎、郡虎彦、池谷信三郎、稲垣足穂、城昌幸、西条八十、牧野信一、岩田準一、坂ノ上言夫、酒井潔、野溝七生子、平井功等々、どうやらわたしが書き散らかしてきた対象はその大半がモダニズムないしはモダニズムに深くかかわる作家たちである。それがわたしの嗜好であり、偏愛なのだからどうにもならない。ただ、新興芸術派や新感覚派と称されるひとびとの書冊を読んでいて、同時代の虚無思想家やアナーキストたちと同質のものを強く感じさせられるのである。後者には古谷栄一、野村隈畔、松永延造、大泉黒石、武林夢想庵、辻潤、大杉栄、与謝野晶子、竹久夢二、といった面々がいる。もちろん、幸徳秋水や堺利彦なども加えなければならないが。
 同質と述べたのは他でもない。時代に強姦され蹂躙された個の呻吟といえばお分かりいただけようか。欧州にあっては19世紀への反旗としてスタートしたものが、わが邦にあっては1868年からつづく富国強兵もしくは殖産興業政策が帝国主義へと変質してゆくその歴史的思考の呪縛への反逆であったような気がしてならない。日本のモダニストたちの闘いの相手とは国家であり、国体であると同時に、日露戦争での勝利に酔いしれ、償金を求めて日比谷焼打事件を起こした一般大衆ででもあったろう。民意とは怖ろしいもので、歴史的思考の呪縛の構造からは容易に逃れ得ない。日比谷事件から戦後の力道山に至るまで、ひとが憂さを晴らすときには必ずといっていいほど、ある種の「歴史哲学」が全面に躍り出てくるのである。どうやら勝井隆則さんにとっての出版とは、新たな文学観の構築によって思想と歴史の交錯点に光をあて、前述の呪縛の構造から脱却しようとの、すこぶる大胆な試みではなかろうか。

 さて、「稚児殺し」である。巻末に添えられた西村賢太さんの解説「異端者の悲み」が絶品。「異端者にも、世にもてはやされる者とそうではない者の二種類があるなら、啓明は無論後者に属しよう。獄中記を書いても無反省と評され、本人なりの人生を歩んでいても性格破産の烙印を押される。そんな先に述べたような、全くの肯定での讃辞も逆説の用をなさず、言葉通りの響きのみが残る。同様に柵山人や坂本紅蓮洞、藤澤清造、兵本善矩、或いは泉斜汀や荒川義英なども、啓明の落ちた穴とは異なるが、いずれも大なり小なり、文字通りな異端の者ゆえの蹉跌に埋もれていった作家たちである。啓明には、本書が出た。これら決して虚栄に祭り上げられることはない、悲しき・怪しの人・の文学が、今後どのように再評価されるか。その展開に期待したい。」と西村さんは文章を締めくくる。おそらく「期待」は読者へのお世辞であろうが、平気でお世辞を述べる西村さんの軽みと狷介なまでの嗜好との狭間には大いに興味をそそられる。なぜなら、西村さんの挙げる作家たちへたどりつくためにいかほどの読書とそれに伴う屈折が必要であったか、その膨大な書冊、すなわち「個の呻吟」の一端が文章の端々に垣間見られるからである。稟質とは宣うものでなく、滲み出るものなのである。勝井さんの弁によれば、西村さんのプロフィールは「何年も前から神田の朝日書林より、『藤澤清造全集』全五巻、別巻二巻を、全く独力で編集して出そうとしている恐れ入った御仁・・・何せ清造のお墓の台座に、先年自分のお墓を並べて建てちまった人で、今住んでいるところも、清造が野垂れ死にした時に住んでいた借家があった、まさにその所番地に建っているマンション。魂をそっくり清造に売っちまった西村さんは、年は三十チョイ、百キロ近くの巨躯、性は狷介、生き方無頼」とか、お会いする機会には恵まれないが、おそらく、勝井さんにとって最良の戦友であろうと推察する。
 いずれにせよ、エンターテインメント一色のご時世にあって、勝井隆則さんや西村賢太さん、ひいては亀鳴屋の佇まいが出版とはなにか、編輯とはなにか、書誌学とはなにかについて明瞭なひとつのかたちを与えつづけているのは大切なことである。現在わたしがもっとも尊敬する編輯者は勝井隆則さんを除いて他にはない。
 谷崎潤一郎の名で「誘惑女神」という約20枚の偽作を拵えて稿料を詐取。さらに芥川龍之介名の「魔神結縄」を出版社へ売りつけたり、北原白秋や山崎俊夫をかたり、坪内逍遙の紹介状を偽造していたという稀代の詐欺師にして泥棒作家、自らの性器の尖端に刺青を彫り込んだ倒錯者にして同性愛者。本書を繙かずして圏外文学を語る資格はない。地方の方は下記住所へご注文を、東京在の方はですぺらへご注文を頂ければ幸甚です。

  「稚児殺し」倉田啓明譎作集 亀鳴屋本第三冊目 限定499部 頒価4200円
   亀鳴屋 石川県金沢市大和町3丁目39番地 Tel.076-263-5848



投稿者: 一考    日時: 2003年08月20日 19:43 | 固定ページリンク





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