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一考 | 軍産複合体

 アメリカはかつては民主主義の国であった。交戦権が議会に属し、文民統制が効いていた時代があったのである。ところが交戦権を大統領ひとりに委ね、議会としての役目を自ら抛り投げたとき、アメリカは絶対資本主義の国となった。議員の過半数が軍産複合体と関わりを持ち、そこから得られる寄付金がしがらみとなって利権を生み、交戦権を手放すに至ったのである。ブッシュにせよ、ラムズフェルドにせよ、ライスにせよ、みなさん軍産複合体の代理人である。
 支持するひとがいなければ、政治家になれないが、支持者が組織であれば、国政に専心することはかなわない。その典型を私はアメリカの議会に見る。ロビイストが跋扈する、あのような国にだけはなってほしくないと願うのである。

 9.11が他国を侵略する免罪符として用いられている。だったら、8.4(トンキン湾事件)や1.1(イラク空爆)はどうなるのか。アメリカは理由をでっちあげ、他国の民間人を理由なく殺戮しても謝罪ひとつしない。開戦の3月19日未明、B-1B爆撃機によって50発の精密誘導兵器が投下され、軍事目標に命中したのはわずかに8発、他の42発は見事に民家へ着弾、狙い通り多くの民間人が殺された。
 しかし、そのようなことをいくら述べても虚しい。素手に石を持って、ミサイルや戦闘機や戦車と闘ってきたパレスチナの例もある。宗教の教えに叛いてまで、爆弾を身体に巻き付けて突撃する個人をテロリスト呼ばわりする理論的根拠がどこかにあるとでも言うのであろうか。彼らは軍産複合体が仕掛けた戦争に否応なしに従わされているのであって、闘わなければならない相手は軍産複合体とかかわりを持つ世界中の企業ならびにそれら企業で働く労働者なのである。殺戮に用いられる最新兵器は軍産複合体の産物であり、世界中の企業が深くかかわっている。当然、わが国の企業も50余社が部品の製作にかかずらっている。私がいいたいのはわれわれも殺戮の当事者だということである。意識するとしないとに関らず、生きるという行為それ自体が、「現実の世界の動きに巻き込まれて存在する」ことなのである。

 さて、市会議員や県会議員が出世して国会議員になるのであれば本末顛倒である。地域には地域の、国には国の行政があり、個々の政治家の視点も哲学も異なる。自らの立ち位置は自らの理念と信念の背丈に合わせて決められなければならない。地域固有の政策立案はそれら地域に詳しい議員に委ね、地元出身者や特定の団体の利益を代弁するようなひとは国政に参加させるべきでない。今回、地縁も血縁も持たない公募された候補者が多く立候補したが、数年前には考えられなかったことである、かかる構造が機能するさまを民主主義という。余談ながら、軍産複合体の成立を許さなかったのがわが国の憲法の存在である、大いに自慢すべきことと心得ている。
 グローバル化によって単一の国家の利益を追求することは不適切になりつつある。それを強引に押し進めればアメリカや北朝鮮の二の舞になってしまう。相互依存の深化は国際関係を緊密にさせる反面、均衡した依存の内容をもたないので、しばしば利害の対立を誘発する。国益という概念そのものを梳る時代がやってきたのである。旧態の利権の論理は世界のいずれにあっても通用しない。さればこそ、地域の利権を掌中にしたいひとは地域に、組織の利権を掌中にしたいひとは組織にお帰りいただく、今回の衆院選挙の最大の眼目はそこにある。



投稿者: 一考    日時: 2005年09月06日 20:55 | 固定ページリンク





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