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知床に限らないが、船から与えるエビセンをねらってカモメやウミネコがあとを追う。カモメは鈍くさいので、海に取りこぼしたエビセンを拾って食べている。一方、ウミネコは指先のエビセンを見事な所作で啄ばんでいく。船客は嬌声をあげて喜び、それを見通して船着き場ではエビセンが大量に売られている。いつに変わらぬ見慣れた風景なのだが問題がある。カモメは雑食性だが、ウミネコは海面の魚等を主食にしているので「炭水化物」を消化できない。捕食しても吐き出すしかなく、食べ過ぎたウミネコは死ぬ。親からもらったヒナは吐き出せないので、大半が死んでしまう。
繰り返すが、強風のなか、高くつきだされた指の先から餌をかすめとる至上の芸のあとに死が待っている。言い換えれば、得意の絶頂と死が手に手を取ってやってくるのである。他方、ウミネコが死ぬのを承知で餌を与えているとしたら、ひととは見上げた悪意の持ち主である。当然だが、ひとつの国の、ひとつの地域の生態系が狂おうが、種が滅びようが私の知ったことではない。それでなくとも、生あるものはすべて亡びるべしと思っている。
今日、はやがけにY・Nさんがいらしたと薫子さんから聞く。深沢さんが亡くなられてから、お会いしたいと思っていたのに残念である。掲示板をお読みなので、書いておきたいのだが、久しぶりにゆっくり酒を酌み交わしたいと願っている。紋別、知床、根室、釧路、函館と、たとえどのようなお店であっても、あなたと一緒ならお店中がきらきら輝くのである。エビセンを飽食したウミネコが死ぬのであれば、ひとが悪意を捕食しすぎるとどうなるのか。ひょっとして、輝きのあとに死が約束されているとしたら、そんな恐怖の予感がにんまりと漂うようなY・Nさんではなかったか。このところ世の中への呪詛を肴に酒を飲む機会がめっきり減っってしまった。されば死ぬ前に一度だけ、ホテル地の果てへイバラ蟹の内子の生を食しに行こうと思っている。
M子ちゃんが遊びに来てくれる。でも、今日はW杯予選対北朝鮮戦。ですぺらにとってはマイナス要因。閑古鳥襲来の予感。心優しき紳士のご来店をお待ちします。
三年ほど前に積丹半島出岬町、島武意の海の色の青さについて当掲示板で書いた。その宝石のような色について深く書かなかったのにはわけがあった。じつはすぐ横の美国港からビヤノ岬を周遊するグラスボートが出てい、私はそれに乗船したのである。
底の岩が真っ白に続き、海藻は何も無い、点在する黒い点はすべてキタムラサキウニ。石の表面が白くなっているのは無節サンゴモに被われているからであって、要は一面の磯焼け。目の当たりにした積丹の海は死の海だったのである。
「磯焼け」とは通常は海藻類が生えている岩礁地帯からコンブなど有用海藻はもちろん、ほとんどの海藻類が無くなり、岩礁表面が石灰藻に覆われた状態をいう。当然、コンブを主食とするキタムラサキウニに身は入らず、アワビなどの生産も著しく減少する。北海道では日本海南西部沿岸の後志南部や檜山沿岸に多くみられたが、最近は道北でも見られるようになった。別の折に下北半島の仏ヶ浦の惨状を書きましたが、どうやら磯焼けは確実に北上しているようである。
「あの時に見た海の色の青さとひそやかな野辺の送り」と著せば恰好はよいのですが、その実体は海の荒廃にあるのです。積丹の海の青さと石垣島の海の青さはよく似ています。珊瑚の白と磯焼けの白とが海を同じようなコバルトブルーに変化させるのです。同じ群青とはいえ、石垣島のそれには興味がなく、私が積丹に惹かれる最大の理由はその海が漂わせる死の匂いにあるのです。
中標津町の開陽台の売りは「地球がまるいことが実感できる」、標茶町の多和平の売りは「今にも落ちてきそうなほどの星が、満天に広がる」。共にライダーなら必ず訪れるところだが、牧場はゴルフ場同様、保水能力はまったくない。ちょっとした雨でいたるところが川となり、地面をえぐって滝となる。台風が上陸すれば、河川の氾濫、土砂崩れが方々で起こり、道路は流され、水田や畑は泥に埋り、流木が家屋をなぎ倒していく。満天の星空にはなんの罪もないが、牧場はひどく環境を破壊している。反論を喰らうのを承知で言いたいのだが、それら根釧台地から積丹の海に至るまで、自然はひとの悪意を飽食してきたのだと思う。いまにそこら中が悪意だらけになって、死の匂いが充満し、日本全土が崩壊する日がくるのを一日千秋の思いで待っている。
紋別へはじめて行った日に泊まったのはたしかセントラルホテルだったと思う。宿に設えられた和風レストランでなく、町へ出て飲もうと友に誘われて幸町へ出掛けた。友がどうあっても、紹介したいひとがいる、あなたならきっと気に入ると、たっての願いであった。ちいさな居酒屋だったが、包丁をさばく女将のただならぬ気配に気後れしたのを覚えている。
シマエビやサンマ、好物のゴマツブの刺し身を食したのだが、そんなことよりも、その女将が私に与えた妙な印象がこころに深く残った。それが気掛かりで、十年後に紋別を再訪した。
「お久しぶりね」「ご無沙汰」「どう、お元気」と挨拶が続き、懐かしさでおつむが弛緩した私は自らの近況をとくとくと語った。十分もしないうちに、女将が一言「黙って聞いてればなによ、誰があんたのことを訊いているのよ、あなたの連れのことを訊きたいのよ」
そうか、これだったのか。ちょいとシャイな身のこなし、現場できたえて叩きあげたカンの良さ、客を自分の眼と手を通じてのみ選別するなににも頼らない芯の強さ。十年前に、得体のしれない妙な印象、割り切れないままに、どこかしら気掛かりだった女将の情念のようなものがやっと私にも垣間見えたのである。いまの私であれば「スピノザ的な嘲笑、サディスティックな悪意」とでも表現したであろうが、当時の私はその種の悪意に羨望を抱きこそすれ、自分のものにするだけの度量はまだなかった。
これほど強靭な悪意を身体に刻み込むのに、どのような経験を積めば、どのような体験を重ねればよいのか、女将の弟子になろうと決めるのに、さして時間は掛からなかった。それからの一箇月、私は四六時中女将と起居を共にした。共に寝、共に起き、仕入れに行き、仕込みを済ませ、二人で暖簾を出し、暖簾を仕舞い、後かたづけをし、残り物で酒を呷り、飲みつぶれてはふたりで抱き合って眠りこけた。
ひとを理解するに、ひとを愛するに、他に方法があるのなら教えていただきたい。観念的な操作でことにあたっていてはなにを理解したことにも、なにを諒解したことにもならない。自らの面皮の裏を返して生きるようなひとと付き合うには、自身もまた面皮の裏を返さねばならない。しかるべき研究機関の講座には「人生」との課目はない。推論的理性の対局に徘徊があり、徘徊の奥座敷に鎮座するものこそが弁証法的想像力ではないだろうか。
件の女将はいまも紋別で小料理屋を営んでいる。彼女との出逢いがなければ、私が飲み屋を営むことなどなかった。
恐怖の会永久幹事のフクさんが久しぶりに上京されます。幹事でありながら前回puhipuhiさん出版記念オフでぎりぎり参加できなかったフクさんをねぎらう意味もこめて、フクさんの会オフを下記の日程で行いたいと思います。
日時:6月24日(金) 19:00頃から~夜中
会場:ですぺら
会費:5000円程度を予定(人数にもよりますが、普通に飲み食いにするかも)
最近はフクさんとも、なかなかゆっくりと顔を会わせる機会も少ないかと思いますので、よろしくご参加の程お願いいたします。
予約人数がありますので参加できる方の表明をお待ちしております。参加したいという方は、こちらへのコメントか、メールで私比呂までご連絡ください。
一応、メールの方はですぺらへの連絡の関係がありますので21日火曜日に締切とさせて頂きます。
ちょっとバタバタで申し訳ありませんがご都合のつく方、宜しくお願い致します。
須永朝彦さんがカルチャーセンターの聴講生の方々と懇親会を催されます。
どなたさまでもお気軽にご参加下さい。
日時 7月9日(土) 午後6時~10時半
会費 3500円
須永朝彦さんの次回のカルチャーセンター講座のテーマは「義経伝説」。
以下、ちらしより抜粋です。
「義経伝説」 貴種流離譚から存命伝説へ
源義経のTVドラマが人気を博しているようですが、信頼の置ける一級史料に載る彼の
記事は驚くほど僅少であり、よく知られた逸話の多くは史料的裏付けの無きものの如く
であります。古来、この国には非命非業に終わった者を悼み畏れる優しき習俗があり、
御霊(ごりょう)信仰などにその一端が看て取れます。殊に若者の場合には悲劇の伝説化
が顕著であり、「判官贔屓」(ほうがんびいき)の語源と成った義経は代表的存在と申せ
ましょう。一部のファンの間では「蝦夷や大陸に渡って生き延びた」と信じられるに至り、
果ては「ジンギスカンとなった」という説まで唱えられております。『義経記』(ぎけいき)に始まり、能・幸若舞・浄瑠璃・歌舞伎などの芸能、また近世の小説・随筆に描かれた
義経像について些かを申し上げたいと存じます。(講師・記)
7月21日 同時代の証言--「玉葉」「吾妻鏡」「平家物語」など
8月18日 さかのぼる伝説化--牛若・遮那王・東下り
9月1日 芸能の義経像--能・幸若舞・浄瑠璃・歌舞伎
9月15日 渡海伝説--蝦夷・清朝の祖・ジンギスカン同一説
日時 木曜日 19:00~20:30
受講料(税込み) 会員 10920円 一般 13020円(入会金不要)
場所 新宿住友ビル 48階 朝日カルチャーセンター
郵便番号163-0204 新宿住友ビル内 私書箱22号
東京都新宿区西新宿2-6-1 電話 03-3344-1945
URL: http://www.acc-web.co.jp
検索でみつけました。
書誌とかかなりしっかりしてます。
http://747seconds.nobody.jp/index.html
これで作家の大体の全貌がつかめると思います。
点心風フード、加えてみました。
箱入りおこわ(海鮮)500円、スープ餃子(海老)500円。
またキッシュ作りました。500円。お試しあれ。
四谷シモンが参加した『人びとと人形展 Guys n dolls』(イギリス、ブライ
トン・ミュージアム・アンド・ギャラリー)が先日終了しましたが、イギリス
では、『タイムズ』『ガーディアン』などの代表的新聞もこの展覧会を取り上
げ、大好評だったようです。同展覧会の紹介ページを新設いたしましたので↓、
みなさん、ぜひのぞいてみてください♪
http://www.simon-yotsuya.net/exposition/brighton.htm
(この展覧会の名前、もっといい訳ないでしょうかね?アイデアありましたら、
ご提案ください。)
K・Iさんへ
こちらでご返事させていただきます。
72年の人魚館でのタロット展では辛島宜夫さんは占いのデモンストレーションをしていません。ただし、池袋パルコの方は私は知りません。彼は最初は絵描きさんで、その後占い師になり作曲家にもなりました。当時はみなさん喰うためになんでもしていました。
ところで、辛島さんが1974年9月に「・・・三年前、わたくしがタロット・カードの実占をする機会を得たのは、池袋パルコと荻窪の人魚館画廊で併催された、日本で最初のタロット展の催事中のささやかなデモンストレーションでありました。この企画は、種村季弘氏の監修によって覆刻された薔薇十字のタロット・カード二十二枚(スタジオTUM作製)の発売を記念するためになされた催しでありましたが・・・」と著していらっしゃるのですから、それはそれでよろしいではありませんか。文章通りだとタロット展は71年ということになりそうですが、真実というようなものはどこにもないのです。わずか三年でひとの記憶は狂っていきます。記憶は改竄され、歴史は都合よくもしくは都合悪しく歪められていきます。いわんや、辛島さんは数年前に自死なさいました。辛島さんの仰言るとおりで、岡田さんにも私にもなんの不都合もございません。 過日、掲示板で触れた荻窪の飲み屋の屋号がカタカナの「ジュニア」であり、店主であると同時に深夜叢書社の大家でもあった方の名が林田さんだったと思い出しましたが、そのようなこともどうでもよいのです。ただ当時、瀧口さん、窪田さん、中井さん、種村さん、三枝さんたちと荻窪で飲み歩いた一刻一刻がかけがえのないものであり、きらきら輝く黄金の日々であったという、そのことだけが記憶の片隅に刻まれているのです。
他にご指摘の項目も同様、眼に見える世界を踏破して眼に見えない世界の住人になってしまったひとびとにとって時系列はどうでもよろしいのであって、貴方がなにをどう書かれたところで眉をひそめるような小心者は私のまわりにはひとりもいないと断言しておきます。
りきさんへ
冨ノ澤ファンサイトをご教示いただきありがとうございます。高遠弘美さんのブロブのように一服の清涼剤になるようなサイトは少ないものなのですね。
このところ、めちゃ多忙でどうにもなりません。「〈死者〉の告発」については時間をください。七月の半ばになれば大丈夫だと思います。
北端あおいさんへ
メールはどうせ読まないでしょうから、こちらで書きます。
「お気に入り」は「システムフォルダ」のなかの「初期設定」のなかの「Explorer」のなかの「Favorites.html」を新しいシステムの同じ箇所に移せば終了。
アドレスと過去のメールは 「Mac OS 9.1」のなかの「書類」のなかの「Microsoft ユーザー データ」のなかの「ユーザー」とのフォルダを新しいシステムの同じ箇所に移せば終了です。念の為に書き添えますが「ユーザー」フォルダのなかには「ニュースグループ キャッシュ」というファイルと「メイン ユーザー」というフォルダが入っていて、「メイン ユーザー」のなかには8個のファイルが入っています。それらすべてをフォルダごと差し替えるのです。
OSには貴女の名前以外は入力していません。 「Mac OS 9.1」のなかの「Applications (Mac OS 9)」のなかの「ユーティリティ」のなかの「アシスタント」のなかに「Mac OS 設定アシスタント」というファイルが入っています。それを起動させてOSとインターネット接続の設定をしてください。
新しいシステムは無事に起動したとひろさんから聞きましたが、上述した過去のメールの移動が済まない内は使えません。そうでないとメールが両方のシステムに分散され、まとめるのに難儀します。外付けのハードディスク20GBに収めたアプリケーションも使えません。なぜなら、古いシステムには機能拡張が入っていないからです。無理に立ち上げればクラッシュします。と言っても分からないでしょうから、とにかく新しいシステムはまだ使ってはいけないと、これだけ覚えておいてください。過去のメールの移動と設定には時間がかかりませんので、櫻井さんに頼んでみてください。
小論『金葉集成立史小考ーー輔仁親王鎮魂の視角から』を掲載した再興中世前期
勉強会会報『段かづら』第5号が発行されました。
小論が依拠する位相につきましては下記のページに掲載しておりますが、この機
会に小論をお読みいただき、またご批判を頂戴できれば幸いです。
http://www.furugosho.com/information/kinyoshu.htm
なお、メール等でご連絡いただければ『段かづら』をお送りできますが、私の手
元にもまだ小部数しかないため、ご興味のある方、お手数ですが、↑ページから直接事務局にお問い合わせいただければ幸甚です。
亀鳴屋さんから新刊告知がでています。
伊藤人誉さんによる犀星についてのエッセイのようです。
詳しい内容は以下のリンクを参照してください。
http://www.spacelan.ne.jp/~kamenaku/shinkan/shinkan04.htm
北端あおいさんへ
返事はこちらで。
DTP用とお聞きしましたので、そのようにセッティングしました。
そちらから送られてきたハードディスクにインストールされていたPhotoshopとIllustratorはバージョンアップの上プラグインその他を、Officeはテンプレートを若干補強しました。PageMakerとQuarkXPressは共に飾り罫を2000項目ほど追加しておきました。
フォントはスーツケース、ポストスクリプト、オープンフォントが使用可能です。
和文用の124書体をフォントフォルダに収録、そのなかにはヒラギノやイワタも入っています。他に横文字用スーツケースフォントを273書体、ポストスクリプトは433書体添付しました。文字鏡、GT書体2000、広辞苑外字なども別項目で収録していますが、そちらは慣れてからにしてください。
内田百けんの「けん」等々、第六水準まで完全に出ますが、こちらも慣れてからにしてください。取り敢えず、「Kandata」とT-Time所収の「index.ttz」の使い方を覚えてください、それだけでも第四水準まで出ます。ATOKとEGBRIDGEの辞書は最低限必要な188364項目と現行の辞書では削除されてしまった450項目の熟語も追加登録しました。なお、入力システムの文字制限は解除しています。
語学辞書、国語辞書、百科辞典の類いはマック版で入手可能なものは全部追加しておきました。
DTP基礎講座として定評あるものを数種類1.3GBほど入れています、下記のURL共々ご参考に。
http://www.miraisha.co.jp/mirai/text/pasokongihou.html
おまけとして、地名・人名辞書とProAtlasやMapFanをはじめ32種類の地図ソフト、先行きを考えてDVD、CDR-RW、iTunesなどのソフトも入れておきました。ところで、ATOK用に限らず、地名辞典や花辞書の類はファイルメーカーで一覧表にしておく方が役に立ちます。例えば、知床の東端に相泊(アイドマリ)という地名があるのですが、泊で検索をかければ、泊の付く全国の地名が出てきます。これが結構、役に立つのです。私は4000種類のモルト・ウィスキーの詳細をファイルメーカーで利用しています。
Illustratorで装丁ができるようになるのに、半年ほど掛かると思います、頑張ってください。
一考様。先日はお目にかかれて嬉しく存じました。拙ないわたくしのブログについて、思ひがけず、ありがたいお言葉を賜り、恐縮してをります。そもそもわたくしがブログなるものを始めましたのも、この掲示板で、書き込みをする愉しさを教へて頂いたからでした。いかなることにも先達のあらまほしきことかなと痛感してをります。これからもよろしくお願ひ申し上げます。
ですぺらの入っているビルの一階の屋号がまた、変わりました。
「かっぽうぎ」という居酒屋さんでしたが、7月11日より「東京やきとり食堂」という
名になるそうです。ううう・・・。また名刺訂正せねば。
表の店構えはほとんど変更なく、コンセプトが変わるらしいです。
コンセプトってなんやねん。ブツブツ。
一階の店を目印においで下さっている皆様、どうぞお気をつけくださいまし。
ですぺらはまだあります。
下方に書き込みました拙論『金葉集成立史小考ーー輔仁親王鎮魂の視角から』
に、三重大学人文学部・山田雄司さんから非常に丁寧なRESをいただきました↓。
http://www1.ezbbs.net/27/yonnoji/
こうしてRESをつけていただけると、やはり非常にうれしいです♪
(手元の『段かづら』、先日某放送局の人に渡して全部なくなってしまいまし
た。一考さんになかなかおわたしできなくて、ごめんなさい。)
mixiでも提案させていただいておりますが、こちらでも。
7月22日は薫子さんのお誕生日です。薫子さんとお親しい皆様、
当日『ですぺら』に来店し、薫子さんにお祝いの言葉をお伝えに
なりませんか。
特にパーティー形式はとらず、三々五々集まって、散り散りに
帰っていくゆるい集まりにしたいと存じます。
ぜひご参加くださるよう、お呼びかけ申し上げます。
今年の山本健吉文学賞受賞者五名のうち、三名がですぺらのお客さんである。
詩部門 季村敏夫 『木端微塵』(書肆山田)
評論部門 加藤郁乎 『市井風流―俳林随筆』(岩波書店)
宗田安正 『昭和の名句集を読む』(本阿弥書店)
贈呈式は7月22日、神田駿河台の山の上ホテルにて招待客のみ120名で催される。二次会は9時から朝まで当店にて。当日は薫子さんの誕生日でもあり、かなり混乱が予想される。右往左往大歓迎、詩歌句について語りあかしましょう。
櫻井さんへ
先日はありがとうございました。ファームウェアの書き換えやインストールの時にパッチを当てたりファイルに小細工を施し、入る筈のないソフトをインストールするのには馴れてきたのですが、Terminal.appを弄くるのは私にはまったく無理ですね。teTexのソースファイルの展開で触ろうかと思ったのですが、UnixやLinuxの構造が頭に入っていないのですからどうしようもありません。
お申し越しの件ですが、原盤に含まれているPDFファイルに問題があるらしく、3枚焼きましたが検証が効かず、すべてお釈迦。ハードディスクに移して問題のファイルを修整したところ、焼けるようになりました、インストールも可能です。今日、店へ持っていきますので、ご都合のよい折にどうぞ。
北端さんのシステム構築で一週間かけて辞書を、さらに一週間かけて不具合なフォントの整理をしたのですが、それが今回役にたちそうです。CD2枚になりますが、Adobeご推薦のフォントならびに関連ソフトを揃えておきました。
マックの雑誌に添付されたCD「まーぱろむ」の2003年4月から12月までが欲しいのです。お持ちの方、ご連絡いただければ幸いです。所収の「Onlineware Express」を求めているので、コピーでもなんでも結構です。
私が求めるシェアウェアが何月号に掲載されているかが分からないので4月から12月までと記しました。当然、バラでも結構です。急ぎませんので、どうかよろしくお願い致します。
「2003年4月から12月」と書きましたが、2002年の間違いです。2002年4月から12月までのMac PowerやMac Peopleなどに添付されていた付録のCDです。どうかよろしくお願い致します。
自然が沢山あります ルーマニアへ遊びに来ませんか 物価が安くてのんびりと海外で生活
龜鳴屋から新刊が上梓された、伊藤人誉さんの「馬込の家(室生犀星断章)」である。このところ多忙で紹介が遅れた、勝井隆則さんにお詫び申し上げる。
「小景異情」に著された猫が首をくくる話や玄関を閉め切って物置きがわりに使うはなしは私にも経験があって、興味深く読ませていただいた。つづく第五章は短いが、犀星の小説の特異性である「執拗な粘り」がうまく活写されている。この「執拗な粘り」にみられる犀星の屈折した女性観にはかねてから興味を抱いている。荷風にとって女性は性的玩具の対象でしかなく、鏡花にとっては信仰の対象でしかなかった。「でしかない」と言わざるを得ないところにひっかかりを覚えるのであって、排泄であろうが信仰であろうが、そこにそれほどの差違があるわけではない。一方、徳田秋声や徳田秋江のような情念や怨恨とのいたずらなクリンチにも疲れを覚える。その点、室生犀星や谷崎潤一郎の屈折といおうか、気質に私はこころ惹かれるのである。
「馬込の家」の最終章のタイトルに用いられている「女ひと」は犀星の作品のなかでも傑出した一本だが、正・続の「随筆 女ひと」のあとを追って「随筆 硝子の女」が上梓されている。巻末の「消える硝子」の書き出しを紹介したい。
ガラスの女といふのは、たださう言つただけで硝子のやうな女がゐるとも、ゐないとも言ふ譯ではない、ことばが透明で美しいからさう附けたのである。けれども私はひそかに硝子を透かして見た世界とか、女とかいふ意味も考へてゐたのである。も一つは何時も硝子の壜の中に、ずつと何十年か前の記憶がアルコール漬になつてゐて、見ようとすれば何時でも、そこに記憶の山河があり女の人も見られるふうに考へてゐた。むかしの人はアルコールの中で、まだ生きてゐるとも言はれるのである。このアルコール漬がなかつたら私は小説なぞ書けないのだ、普通の化学実験室なぞとちがひ、私のアルコールの壜も時々新鮮な液体に取りかへられ、漬けたものが変色異常を呈することはなかつた。或日の私はガラスを透かして見た顔に二重の美しさを見附け、ガラスの中に誰かが泳いでゐる閃きを感じたものである。
この二年後に川端康成の「眠れる美女」が上梓されている。一連の犀星の作品が川端に影響を与えたなどと思いをめぐらしてみるのも愉しいではないか。
戦時下の馬込の家を舞台にした第八章と第九章は圧巻。「談柄の妙はさすが伊藤さん。資料的な意味もさりながら、読物としてダントツに面白く思った」とは社主勝井さんの弁だが、たっぷりと元手を掛けた資料収集と適度に抑制を効かせた文章との絡みが巧く、犀星に託つけての伊藤さんのイデエの発露の方法論に感心させられた。表現者とは妙なもので、対象がなんであれ、要は対象に託つけて自らのことを著すのである。手に負えない対象を相手にすれば、書き手の寸法が測られてしまう。コンプレックスの不在に立ち会えば、書き手の人目を憚る劣等感や負い目が剥きだしにされてしまう。その辺りにエッセイの妙味がそして怖さがある。
「俺たちには、これが自分のだという姿なんぞありはしない。お前さんのお好み次第で、お前さんが俺たちにお望みのどんな姿にでもなるのさ」とはハイネのある舞踊劇台本の前書きに登場する悪魔の言い種だが、伊藤人誉さんの書きものにはどうやらそう言った価値観の自在な顛倒がそこらじゅうに仕掛けられているように思う。前述の悪魔を前にして莫迦と思えば自分が莫迦なのであり、思慮深いと思えば取りも直さずそれは自らの思慮深さの証明なのである。すぐれた表現者はそうした魔性を内に秘めている。
「馬込の家」第十章からの引用、
私は犀星がじっとものを見ているとき、次第にその中に移入してしまうのではないかと思っている。見られているものが感じているように思われる感じを、自分でも感じているのではなかろうかという気がする。たとえば縁側の日なたにいる猫を観察しているとき、自分を見返している猫の気持ちを感じているのではあるまいか。川でうなぎを捕っている川魚師のことを書いているとき、膝まで水につかったその男の気持ちばかりでなく、石垣の穴にひそんで人間のすることをじっとうかがっているうなぎの気持ちも感じているのではあるまいか。あるいは樹の上でこごえているなめくじの気持ち、ぎんいろの蛇のような女の指の気持ち、張り詰めている氷の気持ちさえ感じているのではあるまいか。
ここには犀星との対置はなく対峙もない、あるのは共棲であり同化であって、見るものと見られるものと言った二元論がきれいさっぱり欠如しているのである。深沢七郎や島尾敏雄や井伏鱒二のそれと同じくトートロジックな重語法によって、文学の原器的形態が述べられている。さるにても、伊藤人誉とは恐るべき作家である。
「馬込の家」の「あとがき」には「室生朝子の結婚の裏話や、犀星の父親についての私の疑いや、晩年の犀星をめぐる女たちの話を書き加えた」と著されている。「女ひと」の章が「晩年の犀星をめぐる女たちの話」にあたる。この一章を以てしても、過去余人によって著された犀星論が書き直しを余儀なくされるのは必定である。犀星のファンのひとりとしてまた伊藤人誉さんのファンのひとりとして、本書を産み落された勝井隆則さんに満腔の謝意を表したく思う。
「馬込の家」は部数を五百五十部に劃っての印行である。頒価は三千二百円。ですぺらに在庫有り、乞うご購読。
昨日、ですぺらで徳田秋江との記述は間違いなのではないかと訊ねられたものですから、一言触れておきます。
近松秋江(1876―1944) 小説家、評論家。明治9年5月4日、岡山県和気郡藤野村(現在の和気町)の生まれ。本名徳田浩司。初め徳田秋江と号したが、のちに敬慕する近松門左衛門にちなんで改めた。
通常の文学事典には上記のように記載されているはずです。シルレルの翻訳なども徳田秋江の名で公刊されています。いまでは秋江の名前は知っていても、作品を読まれる方は少ないと思います。それ故、昨日のような誤解が生じるのでしょう。
秋江といえば「黒髪」と相場が決まっているようですが、より高く評価していただきたいのが評論です。「秋江随筆」「文壇三十年」などがありますが、印象批評を創案した最初のエッセイ集が「文壇無駄話」(明治43年3月)で、明治文学研究の基本図書の一とされています。元版を買わずとも昭和三十年に河出文庫から増補版が上梓されています。元版も追刷りされていますが、文庫版も同年中に五刷まで行き、途中から武者小路実篤の装幀になるカバーが付けられ、本文紙も上質紙に変わりました。
西園寺公望が催した雨声会や漱石の印税の裏話もさることながら、徳田秋声の作品の称揚にじつに多くの紙数を割いています。秋声の崇拝者であった秋江なればこそ、徳田秋声と書けば徳田秋江と続けるのが当然の成り行きだと思います。
今は全集が出ていますが、私が二十歳の頃はなにもなく、膨大な量の雑誌を集めました。秋江を読むために雑誌を求めて古書店をかけずり回った日々を思いおこします。なかでも、秋江掲載の雑誌や鏡花作品の初出誌を数百冊、入るたびに神戸へ転送してくださった高橋書店の親父には頭が下がります。その尽力あって、近松秋江や泉鏡花や永井荷風の著作目録や著書目録を何度か拵えました。
幻想文学35号の巻頭に載せた鏡花著書目録抄が私の書誌的仕事の最後ですが、あの拙稿がいまごろ役立っているようです。もっか鏡花本に挿し絵を施した絵師、刷り師、彫り師たちとその時代を紹介する番組が某テレビ局で作られています。マルセル・デュシャンのときと同じ担当ディレクターが拙宅へなんども来られていますが、鏡花著書目録抄には助けられていると、こちらは機会を下さった東雅夫さんに感謝せねばなりません。
8月のですぺらの営業は、お盆休み無し、通常通りです。
休みなんて無い、お盆の間は空いている東京にいるという方、
お待ちしております。
8月13日(土)に鍋パーティを予定。暑い時には鍋に限る!?
詳細は追ってお知らせいたします。
一考さん、こんにちは。 一昨日、小論『金葉集成立史小考』および『マブリ初期政治思想におけるノミナ リスムとレアリスムの相剋』送らせていただきましたので、まもなくお手元に届 くかと思います。いずれも拙い論考ではありますが、お読みいただければ幸いです。 また、『金葉集成立史小考』を掲載した『段かづら』方は、複数部数同封させて いただきましたので、お店に置いて、興味ある方におわたしいただけければあり がといと思っております。 お手数をおかけしますが、どうぞよろしくお願い致します。
銀座のスパンアートギャラリーからのお知らせです。
開廊10周年記念として、<種村季弘 断面からの世界>展を開催。
2005年8月22日(月)~9月3日(土)
(11:00~19:00 最終日17:00 日曜休廊)
オープニングパーティー:初日17:00~19:00
<国内出品作家> 赤瀬川原平 秋山祐徳太子 池田瀧雄 井上洋介 上原木呂
加福多恵 川原田徹 鬼海弘雄 桑原弘明 佐伯俊男 瀧口修造 土井典
中根明貴子 中村宏 美濃瓢吾 真島直子 丸尾末広 山本美智代 渡辺兼人
<国外出品作家> エルンスト・フックス カール・コーラップ ハンス・ベルメール
フリードリッヒ・シュレーダー=ゾンネンシュターン フリードリヒ・メクセパー
ホルスト・ヤンセン
スパンアートギャラリー 東京都中央区銀座2-2-18 西欧ビル1F
電話03-5524-3060 http//www20.big.or.jp/~sag
この展覧会にあわせて、平凡社より種村季弘著「断面からの世界--美術稿集成」が刊行されます。(定価:本体3800円+税)
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