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Y・Nさんがミニヨンの現ママとともに来店。荻窪界隈の飲み屋のはなしで盛りあがり、夜明けまで酒を酌みかわした。想い起こすに、西明石以来の徹宵痛飲でなかったか。Y・Nとの置酒閑語を私はこよなく愛している。酒の肴としての晤語ではなく、逆に酒が一語一語のつまみになる。酒と喋りとの主客顛倒はたがいに気が置けない仲に限られる。厚情や好意のあるところには遠慮がつきものである。こころから打ち解けあうには悪意や嘲笑のような薬味が必要になる。この場合の悪意は惑いであって、嘲笑は呻吟でもあろうか。踏み惑い、思ひ漂ふ風情のなかでしか気心は通じないものである。
駄洒落の達人であるY・Nの行くところには笑いが絶えない。言い換えれば、人生の真面目を洒落のめして生きている。荻窪駅の西側の南口に神谷バーがある。萩原朔太郎が「一人にて酒をのみ居れる憐れなる となりの男になにを思ふらん」と詠んだバーである。行きゆけの「吟雪」は微睡みのなかだが、こちらは午前中からの営業であって、徹夜明けにしばしばおもむいた。ある日、Y・Nと出掛けたのだが、暖簾をくぐるなり「掃きだめに鶴ね」とひとこと。鶴はみづからの言葉に拘泥わらない。数分後には鮪のスジトロをほおばりながら冷や酒を聞こし召している。そういったY・Nの反応を見るのが楽しくて、ライオン丸こと私はアナザー軒を繰り返す。
頭の回転のにぶいひとに駄洒落はとばせない。洒落は俳諧でいう滑稽である。一語が音通などによって二義もしくは多義をあらわす懸詞や地口とおなじ性質のものであって、詭弁、曲解、皮肉などを内包する。洒落が洒落であるためには、知性や思考回路の洗練さが要求されるとともに、そのよき理解者たる相方を必要とする。金魚同様に、ひとの手を離れては存在がかなわない、著しく人工的なものなのである。
種村さんから言われ続けた「馬鹿」、横須賀さんから言われつづけた「分かっちゃないね」と同様に、普段私が口にする文言の多くはY・Nから得たものである。「ソノヒグラシはカネカネと鳴く」「売るのは媚、買うのは顰蹙」等々である。なにを隠そう、実は私はのっけからY・Nを師とさだめているのである。ああ言えばこういう、こう言えばああいう、そうした屁理屈こそが目線の移動であり、価値観の顛倒の原資ともなる。駄洒落が自らのガードの硬さや気取りを取り払うように、屁理屈はアプローチの多様さをもたらす。ひとが刺戟を受け、触発をうけるのはそのような言葉のゲームからであって、劇場でもなければ、美術館でも博物館でもない。
当時、茫然と行き迷っていた処をY・Nは掬いあげてくださった。その掬いあげた小さなスペースをY・Nは金魚鉢と名付けた。飼い主たるY・Nの存在は私にとって「渡し場にしゃがむ女」のそれであり、取り留めのない語らいは吹き迷う野風となった。Y・Nに促されて私はものごとを少しは複雑に考えられるようになった。ここでいう複雑とは不規則な変動であり、「風の息」と解釈していただきたい。人生は茶子味梅のようなものであって、唐土の妻は生み落された不幸である。曾根崎心中にいう「死なず甲斐な目に逢うて」以上でなければ以下でもない。だからこそ、生み落ちてしまった淋しさとの逢瀬が、自分自身の呼吸を取り戻す数寡ない背景となり、羊膜液となる。なにをどう述べてみたところで、ものを著すとはメトニミックすなわち換喩であり、重語法そのものである。実体や本質を否定し、言葉の意味内容の表層を滑空する術を私は金魚鉢で学んだ。荻窪の一隅にしつらえられた金魚鉢で、私は「著す」との夢裡を生活したのである。
慨然として大に感寤すると申せばお分かりいただけようか。Y・Nは筆舌に尽しがたい存在となった。さればこそ、ウミネコから恋する悪意に至るまで、当掲示板への書き込みにはY・Nさんがいたるところに立ち顕われる。蔓草のように縺れあって解けない仲であってほしいと願う。最後に「生きていてよかったね」と言い合えるような、そんな徹宵痛飲の機を鶴首している。
周さんへ
いつか忘れましたが、当掲示板で東西の酒の文化の違いについて書きました。西洋の酒は料理に合わせてあとから造られたもの、わが国のそれはまず御神酒(おみき)ありきで、決して食に従するものではない。言い換えれば、西洋の酒は存在する前に本質、すなわち概念設計がなされてい、一方、日本酒は実存が本質に先立つと、そのようなことを書きました。実存が本質に先立てばこそ、下手な用途に縛られることもなく、月見で一杯、花見で一杯といった情趣が可能になります。そして、そのような風習は西洋には見受けられないと聞いています。
一昨日のトラブルは酒を飲んでいる最中に飯を食することがいいのか悪いのかという点に起因します。外国であれば、食事をしながら酒を飲むのに、なんの問題も生じません、食と酒は主従関係にあるのですから。しかし、わが国では酒の肴は塩、せいぜいがお新香まで、との御神酒に対する信仰のようなものがいまなお大手を振ってまかり通っているのです。
先日ご登場いただいたY・Nさんと知り合うまで、私は米粒を残したことがなかったのです。体調がすぐれず、盛られたご飯を前に苦痛すら覚えていたときに、Y・Nさんから「残せば」との一言。これは私にとって食べ物にかんして受けてきた教育や道徳の否定を意味します。家が花柳界だったものですから、料理屋では酒は飲まない、居酒屋では日本酒と香のもの、洋酒バーではハイボールのみ、料理人や板前やバーテンの腕を試すような品を注文してはいけない。また出されたものは残さない、残すことは美味い不味いの意思表示になり、そのような非礼は花柳界にあってはならない等々、同業者への気配りの数々を身体に叩き込まれて育ったのです。それら禁止事項がY・Nさんの一言で崩れ去りました。最初は途方に暮れていたのですが、Y・Nさんに倣い、徐々に食べる自由と残す自由、飲む自由と飲まない自由などを身につけていったのです。
さらに一話。I・Kさんの初期句集「微句抄」の原稿を頂戴に上がったとき、新宿で丸二日の酒盛りになりました。やれいたざけや鬼ごのみを浴びるほど飲んだのですが、なにも食べていないので、胃液すら出てきません。捻じれる腹を両の手で押さえつけながらの空もどし、そんなときにベーコンとポテトの炒め物が目の前に登場したのです。「一考、おまえなにも喰っていなかったな」ところが、思わず差し出した箸は無惨にもI・Kさんの手によって払い落とされたのです。「男は酒を飲むときにこんなものを喰っちゃいかん、匂いだけでいいんだよ」
さて、酒を飲んでいる最中に飯を食することがいいのか悪いのか私には分かりません。分からないというよりは、そんなことはどうでもよいのです。ただ、S・Mさんを見ていると、東アジアの「かび酒文化圏」と欧州の「麦芽酒文化圏」の差違についてエッセイを書きたくなるではありませんか。また、個々のひとたちの酒への接し方を知るに、そのひとの文化的先天性がうかがい知られて面白いのです。懐石や寿司に作法がないように、酒に飲み方なんぞあっては堪りません。それ故、酒はこう飲まねばならないと言うのは一種の権威づけなのです。そこには形振り、美学、こだわり、ダンディズムと言った根拠のない、不明瞭ないかがわしさが漂っています。かかるいかがわしさに寄る辺を求めるしかないひとは賛けを求めているのですから、黙ってお付き合いしてあげればよいではありませんか。
あなたのように「奢ってもらっていないのだから言われる筋合いにない、私の勝手でしょ」と言うのは相手に喧嘩を売ることにしかなりません。この「おまえから言われる筋合いにない」との文言はしばしば聞かされる常套句なのですが、これほど浅薄かつ品のない言葉はないと私は思っています。また、無人島ならいざ知らず、都会に住んでいて「私の勝手」など、在立しようがないではありませんか。それよりも、相手の文言の理不尽を突き、言い負かすための算段をふだんから考えておくべきだと思います。況や、酒席で飯を喰うとのスキを与えてしまったところで、あなたは負けていました。酒席では水を飲むことすら憚られます。花柳界の人間は厠で隠れて水を飲むのです。どうあっても、食べなければならない生理状態にあれば、二十四時間営業の丼屋がすぐ根際にあったではないですか。
遊びの本意は抗いではなく、知らぬ間に自分の領域に相手を引きずり込むことにあるのです。そのためには元手をかけなければならないのです。相手から指摘される前にその上前ををはねるようなダンディ振りを発揮すればよいのです。そのような役者魂の権化、ぬえのような存在が金子國義さんではなかったのでしょうか。
掲示板で書くのははじめてなのですが、「ユリイカ」の別冊で稲垣足穂特集をまとめることになり、その手伝いをしています。
三鷹にはN・OさんやN・Tさんと言った、古書界でもちいとは知られたひとたちが住んでいます。N・Oさんは今までなにかを訊いて応えがなかったためしがない、という碩学の士で、大阪のK・Hさんや石神井のS・Kさんと共に古い付きあいです。この度、その方々のご協力によって、足穂の全集未収録もしくはヴァリアントが四十点ほど入手できました。とりわけ、N・Tさんがお集めくださった関西学院の定期刊行物に掲げられた稿には愕いています。青土社の郡さんには申し訳ないのですが、今回、未収録作品が最低三十点集まらなければ、この企画はお断りしようと思っていたのです。
足穂が著した可能性のある雑誌を八百冊ほど博捜、拾い出した作品は約七十点、その内収録済みを除去して残ったのが三十五点、加えるにキネマの会での収集作を加えて四十点になりました。これでなんとか、「ユリイカ」で別冊を拵えるための基礎資料が揃ったと安堵しているのです。本来なら十数年かかる作業を数箇月で済まさねばならなかったのです。ご協力くださったみなさまの詳細を著すのは現時点では憚られますが、深く深く感謝致しております。
整理にもう少し時間が掛かりますが、それが済めば、急いで加藤郁乎さん、松山俊太郎さんとの鼎談の校正、そして著書目録と年譜が待っています。
そこでキネマの会のみなさんに下記稿を調べていただきたいのです。これはN・Tさんからのご指摘になるものです。どうあっても調べていただきたく思います。どうかよろしく。
「八月の朝のちょっとした話」創作時代 昭和八年八月
「触背美学」詩と詩人 昭和二十六年一月
「西岩倉金蔵寺」美しい日本 昭和四十八年四月
以下は電話を通しての口述筆記
「どれも小粒」(作家賞選評)作家 昭和四十六年三月
「才能不足」(作家賞選評)作家 昭和四十七年三月
「鳥のメルヘンを」(作家賞選評)作家 昭和四十八年三月
「女の根性」(作家賞選評)作家 昭和四十九年三月
「これが流行か」(作家賞選評)作家 昭和五十年三月
一考 個人社の新刊 2006年03月12日(日)00時09分41秒
前項のS・Kこと小出昌洋さんから個人社叢書の新刊が送られてきた。「新編 夢の舞台誌」深澤節子著と「森銑三西鶴論集1」の二冊である。
深澤節子さんは江口隆哉・宮操子舞踊研究所の門下である。大野一雄さんは戦前からの江口・宮門下なので、いわば兄弟弟子にあたる。巻頭に配された表題作には江口隆哉・宮操子から伏屋順仁、池田瑞臣、大野一雄、土方巽等の名前が並んでいる。深澤さんご自身も敗戦から1960年頃にかけての創作舞踏界では識られたひとで、伏屋の振付、演出で上演された「発火」は、大野一雄や土方巽にも大きな影響を与えている。文中でも、ガニ股、猫背、猪首、縮んだ手足など、東北地方の土俗的情念の肉体化に挑んだ土方巽の舞踏を激賞、それぞれの時代に「荒ぶる情念をたぎらせた」舞踏家を熱っぽく語っている。わが国の舞踏の歴史を知るに好著といえる。
「夢の舞台誌」は1998年に私家版で上梓されているが、今回は内容を刷新しての個人社叢書となった。
「森銑三西鶴論集1」は「西鶴随筆」と「新西鶴随筆」に分冊されてい、とりあえず「西鶴随筆」が上梓された。三十一篇が収録されているが、「一代男の跋文」では三田村鳶魚を中心とする西鶴輪講について触れている。鈴木南陵や林若樹の発言を引用しながら、「一代男」の跋文の難解さにチャレンジし、私見としながらも、森銑三ならではの解釈を著している。曰く、跋文の撰者は西吟とされているが、それは間違いであって、西鶴そのひとに違いない。文章はつづく、
「『一代男』という作品には、特別の資料というべきものもないものだから、この跋文を通して何者かを獲ようと、何人も志すのであるが、いかにも要領を得難い。それでその中に『転合書』の一語のあるのを取上げて、『一代男』は転合書だ、いたづら書だ、なぐり書だといい立てて、ただそれだけで茶を濁している。そしてそれ以上には出ないというのが現状である」
引用に他意はない、このところ上梓される西鶴論を読むに現状はなにひとつ変わっていない。かつて当掲示板でも書いたことだが、森銑三の西鶴論を暴論と片付ける前に、小気味いい断定形の語り口に耳を傾けてほしい。西鶴随筆と題されてはいるが、本書は「一代男」へのオマージュ集であり、西鶴と森銑三との葛藤の場でもある。西鶴の創意、軒昂たる意気を窺うには「一代男」しかないのである。
「新編 夢の舞台誌」深澤節子著 定価1260円
「森銑三西鶴論集1」小出昌洋編 本体定価2000円
個人社 郵便番号177-0044
練馬区上石神井2-12-5-406
一考さん
早速、ネットですが検索しました。
「八月の朝のちょっとした話」創作時代 昭和八年八月
「触背美学」詩と詩人 昭和二十六年一月
「西岩倉金蔵寺」美しい日本 昭和四十八年四月
以下は電話を通しての口述筆記
「どれも小粒」(作家賞選評)作家 昭和四十六年三月
「才能不足」(作家賞選評)作家 昭和四十七年三月
「鳥のメルヘンを」(作家賞選評)作家 昭和四十八年三月
「女の根性」(作家賞選評)作家 昭和四十九年三月
「これが流行か」(作家賞選評)作家 昭和五十年三月
上記のうち、「作家」「美しい日本」は国会で閲覧可能。
「詩と詩人」も神奈川近代文学館に該当号は所蔵されています。
ただし、「創作時代」は雑誌が「新創作時代」に改称されて、パンナム書房というところから発行されたものではないでしょうか?
ただし、新創作時代は所蔵が駒場の近代文学館に一冊しか所蔵がなく、しかも該当号ではありません。
ネットでの検索はここまでが限界かもしれません。
郡さんへ
三月十日 『稲垣足穂詩集』現代詩文庫1037 思潮社
シヤボン玉物語(馬をひろつた話、どうしてその煙草を吸ふか?、ピエロー登場、カイロから帰つて来た人の話、Aの気転、追つかけられた話、無用意な誘拐、朱唇の力、レモン水の秘密、客と主人、停【ま】(トルツメ)らない理由、本が怒つた話、ジエケ【キ】ル博士とハイド氏)、香炉の煙(1笑、2夕焼とバクダートの酋長、3李白と七星、4東玻【坡】と春、5黄帝と珠、6ビバヤシヤと芥子粒、7盗跖と月、8王と宝石商人、9老子と花辯【瓣】、10荘子が壷【壺】を見失つた話、11アリババと甕、12墨子と木の鳶、13アリストフアネスと帆、14ふる里)、瓦斯燈物語、忘れられた手帳から、バンダライの酒場、星が二千【銭】銅貨になつた話、タルホと虚空、坂でひろつたもの、芭蕉の葉、秋五話(詩を作る李白、僧と木の実、葉山と月、杜甫が夜中に忍び足をきいた話、竹林)、散歩を【トルツメ】しながら、僕はこんなことが好き、戦争エピソード、滑走機、僕の五分間劇場、宇宙に就て、生命に就て、物質に就いて、人間に就て、薔薇(ダンセイニ【ニイ】)、詩人対地球(ダンセニ―)、へんてこな三つの晩(パツパツと消えてしまつた話、すぢを引いて走つた話、アセチリンがうまく点も【トルツメ】らなかつた話、もうひとつ)、ハイエナ追撃、カ-ルと白い電燈、空中世界、月に就て、晩二つ、戦争、質屋のショ【ヨ】ーウィ【イ】ンド―、タダ、一筆啓上、物質の将来、羽【根】なしの歌へる、青い壷【壺】、東洋更紗(1私と木の竜、2老子と藁の犬、3黄帝と谷、4ロバチエウスキイの箱)、犬の館(1犬の館 、2月夜の不思議)、空の寺院、仙境、ピエトフ、青い独楽、時計奇談、兎の巣、円錐帽氏と空壜君の鎖【銷】夏法、善海、星は北にたんだく夜の記、タルホ拾遺、白いニグロからの手紙、ある旧友からの音信、私のLSD、キャプテン・カボ【ポ】ロを送る。【トルツメ】――丸山薫追悼
さきほどベースになる原稿をお送りしたものの、上記の短い文章のなかに15箇所の誤植があります。ことごとくがこの調子です。全体で500箇所ほど訂正しましたが、まだ1000箇所以上の誤字・脱字があります。ただ、この調子だと私の仕事はなにも進まないのです。総点検をいちからやり直さなければならないのです、ご協力を願います。
「創作時代」は結構知られた雑誌で、過去、明治古典会や七夕市の目録でも見ていますし、かつて高橋書店がよく扱っていました。新感覚派の論客として鳴らした片岡鉄平がよく書いていたように記憶します。従って、紅野敏郎さんの「文芸誌譚」なら載っているのではないかと思います。紅野さんからコピーを頂戴できないのでしょうか。「新創作時代」にかんして私はなにも知りません。いずれにせよ、手分けしてコピーを集めてくださいませんか。
余談ですが、阪急岡本時代の片岡鉄平と生島遼一さんは親しく、片岡鉄平が亡くなって全集を拵えるとき、未完の小説が多かったので生島さんが補筆したと、これは本人から何度か聴かされました。でも、詳細は掲示板では書けません。
郡さんへ
あなたのお友達のZ・Kさんのご協力にて、足穂の全集未収録作品がさらに四点ほど増えそうです。ヴァリアントを加えれば、ゆうに単行本一冊分になろうかと、楽しくなって参りました。
それにしても、多くの方からメールを頂戴しました。ありがたく思います。他にも足穂の全集未収録作品と思われる作品をお持ちの方がいらっしゃれば、ご一報ください。
稲垣足穂の既存の著書目録には刊行年月日の誤植がある、というところから今回新たに起こそうということになったのですが、その新稿にも刊行年月日の誤植が見つかりました。現物主義とは申せ、打ち込むときにミスがあれば同じことです。すべてにわたって修正もしくは入力し直すことにしました。110枚ですから10日ほどで仕上げたいと思っています。
年譜は201枚、文中の引用文は拙宅に筑摩版全集がないため校正できません。そちらでの校正をお願いします。郁乎さんとの鼎談は今週中に終わります。
先日、金光さんにもちょいとキツいことを言いましたが、それはみなさんの若さへのジェラシーです。一刻も早く、私を踏み倒して前へ進んでいただきたいと願っています。郡さんもそれを望んでいらっしゃるのです。
ユリイカの別冊稲垣足穂に収録するために集まった全集未収録作品の一覧です。当掲示板で収集の旨を記したところ、多くの方からメールを頂戴し、以下のような作品が集まりました。みなさんのさらなるご協力を得たいので、敢えて公表します。下記の稿も本文は入手できたのですが、巻数や号数が不明のもの、発行月日が分からないものなどが御座います。ご協力たまわらんことを重ねてお願い致します。
1.「椿実の快速調」 肉筆原稿 昭和二十年代初期
2.「学生論を読みて」 「学友会誌」第二号 大正六年十二月 私立関西学院中学部学友会
3.「誇大妄想十一編」 「学友会誌」第二号 大正六年十二月 私立関西学院中学部学友会
4.「オルベア広場の月(淡い夢心地を好む人たちのための小品)」 「三越」第十五巻八号 大正十四年八月一日発行 三越呉服店
5.「姉さんと私」 「婦人グラフ」第三巻第七号 大正十五年三月 国際情報社
6.「桑畑のなかの村」 「開化草子」第四号 大正十五年五月 開化書舗
7.「雲を消す話」 「アサヒグラフ」第九巻第十五号 昭和二年二月
8.「はじめに」 (ヂョヴアンニ・ヴェルガ作 千葉武男、井村成郎共訳『山雀の一生』のはしがき) 昭和二年八月 新潮社
9.「竹林談」 「黄表紙」第二巻第三号 昭和三年四月十五日
10.「無題」(渡辺修三作『エスタの町』の感想) 「詩之家」 昭和三年七月 詩之家編集部
11.「アートスミスの記憶」 「黄表紙」第二巻第五号 昭和三年十月一日
12.「鳩座から来た人」 「黄表紙」十二月号 昭和三年十二月一日 黄表紙社
13.「タルホ一家言」 「新文学準備倶楽部」第一巻第二号 昭和四年七月一日(一月の証言あり)
14.「クリスマスプレゼントに何を選んだか」(アンケート) 「婦人サロン」第一巻第四号昭和4年十二月一日
15.「青谷のおち葉」 「中学時報」 昭和四年十二月十五日 関西学院
16.「前菜」 「漫談」 昭和五年三月 漫談社
17.「星と蝙蝠」 「牧歌調」 昭和五年四月 牧歌調詩社
18.「女を語る」 「食道楽」 昭和五年四月 食道楽社
19.「私の『おのろけ』」 「食道楽」 昭和五年五月 食道楽社
20.「酒をかたる」 「食道楽」第四巻第六号 昭和五年六月一日 食道楽社
21.「ちひさい牛」 「LE銀座」第一1巻第一号 昭和5年十二月一日
22.「無題」(一周年記念に際して寄せられたる諸家の感想(その一)) 「文芸汎論」 昭和七年九月 文芸汎論社
23.「ロング君よショート氏の話」 「週刊朝日」第二十二巻第二十八号 昭和七年十二月十八日 朝日新聞社
24.「“海・船・旅”座談会」 「海」第四十三号 昭和十年四月 大阪商船株式会社
25.「懐中時計」 「日本歌人」第二巻第一号 昭和十年一月十日 日本歌人発行所
26.「無題」(「気に入った自著・愛蔵本・出したい本・etc.」と題するアンケート) 「書窓」 昭和十年五月 アオイ書房
27.「無題」(「装幀についての諸家意向」と題するアンケート) 「書窓」 昭和十年十月 アオイ書房
28.「俗人論」 「帝国美術」 昭和十二年二月 帝国美術社
29.「コメット・コント ライオンと僕」 「スタイル」第二巻第十号 昭和十二年十月一日 スタイル社
30.「お手軽阿片スタンド」 「スタイル」第二巻第十一号 昭和十二年十一月一日 スタイル社
31.「阿片学校読本巻の一」 「スタイル」第二巻第十二号 昭和十二年十二月一日 スタイル社
32.「Y談見本帳」 「スタイル」第三巻第二号 昭和十三年二月一日 スタイル社
33.「明石」 「スタイル」第三巻第三号 昭和十三年三月一日 スタイル社
34.「愛蘭土製襟飾ピン六種(ダンセニイから)」 「スタイル」第三巻第三号 昭和十三年三月一日 スタイル社
35.「荒談」 「スタイル」第三巻第四号 昭和十三年四月一日 スタイル社
36.「当世洒落読本」 「スタイル」第三巻第五号 昭和十三年五月一日 スタイル社
37.「茶話集」 「スタイル」第五巻第一号 昭和十五年一月一日 スタイル社
38.「飛行機の黄昏」 「科学知識」 昭和十六年六月 科学知識普及会
39.「真理」 「科学知識」 昭和十六年十一月 科学知識普及会
40.「読後寸感」(上田光雄作「アインシュタインの脳髄」の感想) 「宇宙と哲学」 昭和二十二年三月 日本科学哲学協会
41.「一千一秒物語」 「くいーん」 昭和二十二年十月 くいーん社
42.「無題」(「私のベストテン」と題するアンケート) 「文芸往来」 昭和二十四年四月 鎌倉文庫
43.「夜長抄」 「日本歌人」 昭和二十九年十一月 日本歌人社
44.「文芸時代の頃──十一谷義三郎のことも合せて──」 「現代日本文学全集 月報52」 昭和三十一年七月 筑摩書房
45.「ボクの剪定法」 「PHP」 昭和三十四年十二月 PHP研究所
46.「我れ幻の魚を見たり」 「作家」 昭和四十五年三月 作家社
47.「E氏との一夕」 「りびどう」 昭和四十五年十月 外苑書房
48.「西岩倉金蔵寺」 「美しい日本」創刊号 昭和四十八年四月一日 美しい装い社
49.「スタンプ由来」 『芳彩玉辞集』 昭和五十年六月九日 亀山巌を楽しむ会
以下は調査中
「子供五題」 「漫談」第一巻第二号 昭和五年四月一日 漫談社
「八月の朝のちょっとした話」創作時代 昭和八年八月
「触背美学」詩と詩人 昭和二十六年一月
「どれも小粒」(作家賞選評)作家 昭和四十六年三月
「才能不足」(作家賞選評)作家 昭和四十七年三月
「鳥のメルヘンを」(作家賞選評)作家 昭和四十八年三月
「女の根性」(作家賞選評)作家 昭和四十九年三月
「これが流行か」(作家賞選評)作家 昭和五十年三月
寺山修司の「詩的自叙伝」が詩の森文庫の一冊として思潮社から近く上梓される。巻末に高取英氏の「寺山修司は走った」との跋文が掲げられている。
「扇動でない詩など存在するものだろうか」
「詩人はなぜ肉声で語らないのだろうか」
等々、寺山修司の著作からの引用の妙味に感心させられた。
「彼(寺山)は、グーテンベルグが印刷機械を発明したことを、『詩人に猿ぐつわをはめる』ためのものと考える。なぜなら、『印刷活字の発明以来、詩人たちはことばでなくて、文字で詩を書くようになっていた』からである」
これなどは昨今詩を著すひとたちに立ち返っていただきたい原点である。文章の上手い下手など、文学となんのかかわりもない。寺山のいう「詩の存在が本質に先行してい」ることこそが問われ続けなければならない。さすがに寺山の仕事のアンカーをつとめたひとだけに、高取英氏は寺山修司の文学を理解し、十全に咀嚼している。結句にいま少しの鋭さが求められるが、発想の非凡さには脱帽である。
高取英氏には他に寺山修司論がある。同書の発売は四月一日、定価は九百八十円。
室蘭より連絡があり、調査中のうち、
「八月の朝のちょっとした話」創作時代 昭和八年八月
は昭和三年八月の誤りです。ものは近代文学館にあります。金光さんにお願いできるかしら。
このところ、仕事の量が増え続けています。手助けしてくださる方はいないかしら。
同じく訂正です。
「触背美学──京都だより──」 「詩と詩人」昭和二十六年一月号 通巻九八号 昭和二十五年十二月 詩と詩人社
上記は金光さんのご協力によって入手、感謝致しております。
なお、ご協力いただいているN・Tは高橋信行さん、Z・Kは加藤仁さんです。かかる丹念かつ周到な読書子を持つ足穂は幸せものですね。
第四土曜日は「ですぺらモルト会」の日ですが、今月は都合によりお休みとさせていただきます。ご了承の程、よろしくお願いいたします。次回はカリラ12種の予定です。
「終わりなんざあ、どこにもない」と思っている。敢えて申せば、死ぬ時がなにかの終わりなのであろう。この場合の「なにか」は「かくしあらばなにか植ゑけむ山吹の止む時もなく恋ふらく思へば」の「なにか」であって、疑問を表したつもりである。ひとに限らず、存在は押し並べて新陳代謝である、物質交代と言ってもよい。従って、死をも含めてひとは暫定的なものだと思っている。暫定的だからと言って、死後の生活や霊魂、もしくはサンサーラを肯うわけではない。
「人間は死後もなんらかの形で存続するという普遍的信念」など私にとってはどうでもよいし、人間の本質が実体的な霊魂だとも思っていない。普遍性にせよ信念にせよ、それらはひとを惑わすものであって、訝しく思うだけである。また、「人間の本質」を考究しようにも、概念それ自体が未だに諒解できないでいる。「実体的な霊魂」など、私にとっては雲をつかむようなはなしであって、胡散くささ以外のなにものでもない。そもそも、肉体と精神を分離しようとの試みそれ自体が不可能事で、包括的に考えなければ身体論など成り立ちようがないではないかと思われてくる。
澁澤さんの作品には氏の趣味や嗜好が色濃く表出されている。そして、趣味や嗜好は自己の信仰告白であって、他のなにものでもない。自分を信じなければ趣味や嗜好の持ちようがないからである。しかしながら一方で、氏は自らのオブジェ化への志向を執拗に書き表す。自らのオブジェ化とは取りも直さず自分自身の否定である。氏の作品を評するにタピストリーとの文言がよく用いられる、それは氏の否定と肯定との弁証をつづれ織りに擬えたものかと思っていたが、どうやらそうではないことに最近気付かされた。氏の作品にあって、色とりどりの糸で織り出されるものは粧いであり、仮面のようなものなのだが、どうやら大方が示唆しようとしているのはそちらのようである。音が同一なので、その粧いを虚いと言い換えてもよい。虚いは表層ではなく、澁澤が織り出すに用いる糸そのものではなかったか。否、澁澤にあっては表層も内面も、暗喩も換喩もことごとくが入れ子構造になっている。
例えば、足穂の「少年愛の美学」は少年愛や男色とはおよそ縁のない書物であって、あれは刹那の哲学的宣言書だったと私は解釈している。作家は自らの趣味性を恣行し、それを原資に飛翔し、そして墜落する。澁澤さんから勝手に学んだいましめは、「人生は朽ち縄に取りつくようなもの」である。澁澤の虚いについてふたたび書いてみようかと思っている。
北端あおいさんへ
お申し越しの原稿を五回に分割して送ったのですが、すべて「送信先のサーバーメールボックスが一杯でお届けできませんでした」とのコメント付きで返送されてきました。
かつてゴミ箱が一杯でハードディスクがパンクし、システムがクラッシュしていたようですが、パソコンに対する基礎的な取扱い方に問題がありそうですね。
ですぺらは業務上のメールも出していますので、Returned mailやNon Deliveryの類いはなかを確認せずに、無差別に捨てています。従って、あなた宛の数十通のメールはなにひとつ届いていなかったのだと思われます。今回は添付ファイルが重たかったので気づいたのです。ちなみに店のお客さんに訊ねたたところ、あなた宛のメールは常に返送されてくるそうです。サーバーのメールボックスを空にしてください。
あなたの住居は遠く、また拙宅と方向が逆ですからセッティングの手伝いはできません。処理は以下のごとし、
Outlook Expressを立ち上げ、ツールのプルダウンメニューからアカウントを選択、そのなかの(POP)をダブルクリックするとアカウントの編集の窓が開きます。二頁目のオプションを開けて「メッセージのコピーをサーバーに保存する」をチェックし、サーバー上のメッセージをリセットしてください。以上を済ませたあと、「メッセージのコピーをサーバーに保存する」のチェックを外してください。それでお仕舞いです。
「これが私ですよ」と言って、ひとさまに差し出せるようなものは何もない。もっとも、引き出しがないわけではないので、なんでもよいと言われれば、適当に見繕う。酒の肴を見繕うようなもので、ちゃらんぽらんである。山海の珍味から竹輪の穴にチーズをねじ込んだだけの簡便なものに至るまで、引き出しに収められたネタはさまざまである。相手の変化相を観察し、それにふさわしいと思われる尻尾を配り歩く、といっても差し支えない。従って、その尻尾が好みでないと言われたところで、それは相手様の責任であって、私の責任ではない。差し出せと言われたから差し出したまでのはなしであって、個々の尻尾に悪意とか戦略といった大仰なものはなにひとつ含まれていない。
「私には包みかくさなければならない本心や才能の持ち合わせは最初からなにもない」と書けばそれは嘘になるが、それに近くありたいと願っている。だとすれば、ひとさまの評価が私の総体になる。その消息を逆に述べれば、ひとさまがそうだと言えばそうなのだし、そうでないと言われればそうではないのである。この場合、当方にしかるべき刷り込みがないので、それらの評価は取りも直さず、評価者自体の本心を指すケースが多い。
かつて福原では狂犬と呼ばれた、神戸のムーンさんからはセンチメンタリストと呼ばれ、某詩人からは複雑骨折、某歌人からは品がないと言われている、つい先頃は女友達から「世界を常に陵辱し、それが生きることなのだと」思っていると評された。世界を視姦し陵辱するほどの能動性が私にあるかないかで思い悩むより、評した女性が視姦や陵辱を望んでいると解釈したほうがはなしは分かりやすい。もっとも、彼女にそう思わせる尻尾を届けたのは私である。「にんまりとほくそ笑む尻尾配達人」との言葉はこのような状況で用いなければならない。
徒し事はさておき、環境や相手によって、「私は何々である」との主辞と賓辞の関係はさまざまに変化する。その変化相に応じて、予期しなかった新しい環境や相手が現れてくる。その度々に引き出しのネタが増えてゆく、要するに尻尾が増えてゆくのである。やがて引き出しは満杯になって混乱し、ますます自分が遠のいてゆく。
まあ、自分のことなどどうでもよろしい。遠のいたら遠のいたで、遠ざけておけばよいのである。自分自身への好奇心や執着はなにも生まないが、ひとさまに対して抱く好奇心は精神の若さをもたらす。個々に異なる生活環境に即応してひとはとりどり、また言語や気候に応じて人情世態も多様である。それを刮げおとしていくのではなく、永久磁石のように取り込めばどうなるのか。足穂ではないが、青菫派が流行れば青菫派、未来派が流行れば未来派、キリスト教が流行ればキリスト教、実存主義が流行れば実存主義、宇宙論が流行れば宇宙論、仏教が流行れば仏教と、彼ほど流行りものに対して操を奉げた作家は珍しい。そのちゃらんぽらんさに私は魅入られたとでも言っておこうか。
またまた脱線気味だが、これはひとつの読書論でもある。自分自身が胎動をはじめるまで、他者すなわち書物のなかで解体を繰り返していればよいのである。そして胎動がはじまらなければはじまらないで結構なことである。そんなときは夢野久作でも読むにしくはない。蠧魚生活がながくつづけば、「これが私ですよ」と言って、ひとさまに差し出せるようなものは薄らいでゆく。その代わり、ひとさまのお好み次第で、望むがまま、どのような姿にでもなられるようになる。
金光寛峯さんと加藤仁さんのご協力にて、その後入手がかなった稿。
調査中だった下記五点は入手。
「子供五題」 「漫談」第一巻第二号 昭和五年四月一日 漫談社
「八月の朝のちょっとした話」 「創作時代」 昭和三年八月
「どれも小粒」(作家賞選評) 「作家」 昭和四十六年三月 作家社
「才能不足」(作家賞選評)「作家」 昭和四十七年三月 作家社
「鳥のメルヘンを」(作家賞選評)「作家」 昭和四十八年三月 作家社
「女の根性」(作家賞選評)「作家」 昭和四十九年三月 作家社
「これが流行か」(作家賞選評)「作家」 昭和五十年三月 作家社
さらに下記二点も入手
「無題」(「辻馬車」同人への書簡)「辻馬車」十二号 大正十五年二月一日 波屋書房
「月に寄せて」 「婦人画報」四五二号 昭和十六年十月一日 婦人画報社
さらに、プランゲ文庫の検索から、下記の稿が上がっています。なお、プランゲ文庫には他にもアンケート回答、月評、対談などがいくつかあるようです。
「きらきら日誌:傷つけるおもて」 『文潮』 1948.10.1 吉田隼之助
「ヴイラージユダエロ」 『魔法』1948.3.1 原地社
「当世犬つれづれ」 『浪漫小説』1949.9.1 浪漫社
「先覚」 『アメリカ』 1947.12 新英社
「読後寸感」 『宇宙と哲学』 1947.3.28 日本科学哲学
上記の五点は国会図書館で閲覧可能です。動ける人はいらっしゃいませんか。
それと読売新聞のアンケート二篇が私の手元にないのですが、郡さんの手元でしょうか。
稲垣足穂著書目録と原本との突き合わせが終了しました。
四月五日十九時に全集未収録作品の突き合わせをします。郡さん、よろしくお願いします。
店の家庭用サイズのオーブンレンジが故障しました。どなたか古いものをお持ちでしたらご一報下さい。
書いてみるものである。高遠さんと曽利さんから電子レンジありとの連絡を頂戴した、忝なく思う。取敢えず、曽利さん宅の電子レンジを頂戴することになった。明日の夕方にお伺いしますので、どうかよろしくお願い致します。
私の一族は新しもの好きで、テレビ、電気冷蔵庫、電子計算機、電気式自動ドア、ボウリング、温水プール等々、なんでもかんでも神戸で一番最初を自慢にしていた。小学生の頃にはキャデラックやハーレー・ダヴィッドソンに乗せてもらったし、本体の上に螺旋状の放熱板がついた電気冷蔵庫は町内のひとが列をなして見学に来た。電子計算機は六十センチ角の巨大なものだが、割り算は不可能、値は当時の新車一台分に相当した。自動ドアは入店するお客が優先されるので当然内側へ開く、勘定を済ませた客がドアに激突するのを笑って見ていた記憶がある。一レーンのボーリング設備だったが、西日本では最初のボーリング場で、アメリカから取り寄せたのである。父の長兄は新潟の高田で百貨店を営んでいたが、屋上には日本初のコイン式双眼鏡が設置され、わざわざ新潟まで蒸気機関車に乗ってそれを覗きに行った。高田の家では従兄たちが金属パイプを切断して大砲やピストルを造っていた。もっとも、当時の私は小さいが真物のピストルを所持していた。そのピストル用として少量の火薬を分けていただけたのはうれしかった。とにもかくにも、妙な叔父や叔母に囲まれて育ったようである。
さて、電子レンジである。私が中学校を卒業して料理人になった昭和三十七年の年末に第一号の電子レンジが発売された。しかし、今様の「使い物」になる電子レンジの誕生はそれから二十年の年月を経てからである。その間にもさまざまな電子レンジを使い潰してきた。メーカーごと、機種ごとに勝手が違う。毎日二十回ぐらい使い続けても慣れるのに二、三箇月は掛かる。鮪のような刺身の解凍がうまくできるようになれば、卒業である。飯を炊くと一食分づつラップでくるんで冷凍庫、肉の薄切りも一枚づつラップで折り畳んで冷凍庫、好物の麺類に用いる薄揚げや葱も刻んで冷凍庫、お好み焼きに用いる筋と菎蒻の煮付けも冷凍庫、拙宅では電子レンジがないと生活が成り立たないのである。敢えて食生活と書かずに生活と書く。読書やもの思いに耽るのが生活とは承知しない、おさんどんこそが生活であり、自らが耽るところの「もの思い」を支える下僕が私自身なのだと心得ている。
N・Tさんへ
いつも貴重なご意見をうかがい、感謝致しております。みなさんに伝わらないので、こちらで書かせていただきます。
前記の
「月に寄せて」は筑摩版全集第八巻に収録済み
「読後寸感」 『宇宙と哲学』 は既に入手済み
『文潮』編集人の名は吉田準之助の間違い
「ヴイラージユダエロ」 『魔法』は最終稿であるらしい大全版「飛行機の墓地」が全集所収
とのご指摘を受けました。近頃、私の頭のなかも混乱致しております。
いずれにせよ、「きらきら日誌:傷つけるおもて」と「ヴイラージユダエロ」の二点のコピーをお持ちいただければ助かります。これらヴァリアントを含む未収録作品に関しては異なる企画がございます。お会いする折りに詳しくお話しようと思っていますので、どうかよろしく。
従って、当方で探さなければならないのは下記の二点になりましょうか。そしてそれらは国会図書館では閲覧不可能なのでしょうね。
「当世犬つれづれ」 『浪漫小説』1949.9.1 浪漫社
「先覚」 『アメリカ』 1947.12 新英社
スコッチ・ブレンデッド、バーボン、アイリッシュ、カナディアン、ブランデー、グラッパ、マール、ジン、ラム等をバックバーから追放しております。店の商品構成をますます特化しようと思っているのです。
バックバーから落ちたボトルはすべて一杯三百円、管理人の櫻井さんと沖山さんが、もっか高級バーボンとライ・ウィスキーを抱え込んで格闘中です。
モルト会のために、好きでもない蒸留所のウィスキーを揃えていましたが、そちらも漸次処分していきます。早晩、焼酎や日本酒やカクテル類も追放、管理可能な本数でのモルト・ウィスキー専門店への蝉脱です。どうかよろしくお願い致します。
去年の四月十七日、三日月の外山時男さんが急逝されました。三日月の今後を案じておりましたところ、上野直子さんからお手紙を頂戴しました。ここに転載させていただきます。
ご無沙汰いたしております。ずいぶん春めいてまいりました。
「三日月」閉店のお知らせをお届けいたします。来たる四月二十三日(日)をもちまして、六年間お世話になりましたお店を閉めさせていただくことにいたしました。早いものでもうすぐ一年です。やっと一年です。これまで続けてこられたのも、みなさまのおかげと感謝いたしております。
以前よりビルの立替が予定されておりましたが、いよいよ本決まりとなりましたので、これを節目に幕引きとしようと思います。「三日月」は外山の眼で成立しておりました。眼差しが店に残っているうちに、おしまいにするのがよかろうと判断いたしました。
あと一ヶ月あまり、従業員一同、気持ちを引き締めてまいります。お時間がありましたら、春のお散歩がてら、お出かけください。
末筆になりましたが、どうぞご自愛くださり、穏やかな季節をお迎えください。
最後の週は土・日も営業させていただきます。
二十二日(土)、二十三日(日)ともに、十二時から七時までの営業です。
なお、二十二日、二十三日は、通常メニューに少しばかりの変更がある場合もございます。
なにとぞ、ご了承ください。
詳細につきましては 03-3516-6801(店舗)までお問い合わせください。
はじめまして。初めて書き込みさせて頂きます。
変な質問で申し訳ないのですが、お店にはいわゆるノンアルコールの
飲み物も置いていますのでしょうか(注文可能でしょうか)?
当方飲めないのですが、お店は一度覗いてみたいなあと思っているのですが。
NGでもお返事頂けると幸いです。よろしくお願い致します。
ノンアルコールの飲み物もございます。
ティーソーダ、オレンジジュース、グレープフルーツジュース、烏龍茶などです。
お気軽にお越しください。
昨夜八時過ぎ、谷沢永一さんがですぺらへ来られた。十三年ぶりの邂逅である。最後に酒を酌み交わしたのは一九九三年十二月の末、梅田での浪速書林の忘年会の席だった。中井英夫の葬儀のすぐあとだったので、よく覚えている。席上、谷沢さんの弟子筋と鴎外、漱石のことで議論になり、詰問調になったところで谷沢さんから窘められた。ひとを咎めたり、きびしく問いつめるのは私の好むところではない。ただ、学者になる気など端からなく、教師であるために為方なく学者をやっているような大学人を許せないのである。
文芸時評ないしは文芸評論では川端康成、小林秀雄、谷沢永一にとどめをさすと私は思っている。深夜を回って一時頃から話はいよいよ佳境に入り、開高健、向井敏、山野博史、冨山房百科文庫の完本茶話を編んだ浦西和彦等々について、夜明けまで談論風発して時の過ぎるのを忘れた。明治大正文学のはなしなど、店ではしたくともできない。欲求不満をはらすに絶好の機会だったと申せば、谷沢さんから叱られるであろうか。
いままで私が会ったひとのなかで、読書家といえるのは五名しかいない。そのうちのお一人であり、過去二度ほど、仕事をご一緒させていただいた。谷澤さんと私の文脈は異なるものの、本好きの一点では共に人後に落ちない。なによりも、これが文学だなどという固着した観念を持たない。エッセイを著すにみづからの好悪をまず却ける。三段論法の名手であり、そのキャパシティの広さと柔軟さ、すなわち精神の若さには脱帽するしかない。文学史の書き換えに結びつかないエッセイなど書きたくもない、が谷澤さんの口癖である。ですぺらには若者が多いものの、年齢が若いだけでその実体は益体もない爺婆が大半である。爪の垢でも煎じて飲めと言いたくなる。
フランスで学生のデモがCPEを撤回させたが、わが国では義務教育の教員までもが非常勤となり、ファーストフードや一部のビジネスホテルではアルバイトが店長を務めている。店長がつとまるひとをアルバイトで雇うのが搾取でなければなんなのか。企業も組織もこぞってリストラ狂想曲にうなされている。フランスにはアルバイトという雇用形態はない、終身雇用が当たり前である。そのフランスのようなシステム下で生じる二割の未就業もしくは失業者の比率を日本に当てはめると三割を軽く超える。自由を制限され、格差社会の下流でうごめきながら、怒りを抱かず、髪の毛を逆立てもしない。異質なものを排除する社会に反抗しないような脆弱なひとたちを若者というのであれば、そのような若者などくたばってしまえと思う。ポリティカルなものが即文学とはいえない、しかし、文学とは常にポリティカルな問題を内包している。自意識、他者、マイノリティとマジョリティ等々、いずれもがすぐれてポリティカルな事柄である。そんなはなしを谷澤さんと朝まで繰り返したのである。
某りきさんをはじめとして、よく顔を見せる人の中にも下戸の人が何人もいますので、そんなに気にすることはないと思います。(一方グデグデになって人のコートを着て帰ったり奥さんに迎えにきてもらう人もいるようですが~~誰とは言いませんが~~)
ノンアルコールだけでは売り上げに貢献できず申し訳ない!、と思うならフード関係を頼むのも手です。お好み焼きとかカツサンドとかがおいしいです。
神戸は湊川の生まれである。福原、平野、菊水、夢野から東川崎、築地、和田岬、御崎に至るまで兵庫区で知らない路地はない。兵庫区に限らない、旧神戸市内の道という道はことごとく自転車で走っている。駄菓子屋からお好み焼き屋、居酒屋から女郎屋、喫茶店から外人バー、パン屋からミンチカツ屋、散髪屋から古本屋、仕立て屋から家具店、三井桟橋からメリケン波止場までである。最初は玉子屋にはじまり、郵便局、運送屋等の配送アルバイトを長くつづけたので、否応なしに覚えてしまった。しかし、未曾有の大地震によって神戸の町は崩壊した。従って、私の知る神戸はかつての神戸の残り香でしかない。
その記憶を洗いざらい絞り出しに来たひとがいる。切り絵をよくする成田一徹さんである。彼とは夢野台高校の同窓生である。もっとも、彼は卒業しているが、私は卒業していない。私は高校を三度転校し、そしてその都度追放された。理由は書かないが、当時の私の仇名は「狂犬」、それだけでお分かりいただけるかと思う。十代の頃は荒れていた、ひとも社会も許すことができず、手当たり次第に叩き壊すといった反抗的な生活だった。煉瓦や鉄パイプは言うにおよばず、刃傷に及んだことも一度や二度ではない。触れれば傷つき、火傷するような熱い日々を送っていたのである。それを彼は知っている、知ったうえでの取材であった。
子供のころ、築地の中央市場や兵庫港、もしくは和田岬へ行くには新川や兵庫運河の渡し舟に乗らなければならなかった。ゴム長を履き親父に連れられて店の仕入れに、または三菱造船で修理される艦船を見によく行ったものである。その新川に大輪田橋が架かっていた。成田さんは綴る。
これほど凄みのある生き証人も少ないだろう。
一九四五年三月十七日の神戸大空襲のときは五百人の命とともに自らも炎に包まれた。生へのかけ橋となるはずが地獄になった。そして一九九五年一月十七日午前五時四十六分、三本の飾り柱が落ち、欄干の一部が壊れた。が、それでも崩れ落ちずに踏ん張って生きていた。
新川運河に架かる石造りのアーチ橋、大輪田橋である。
飾り柱の一本はモニュメントとして復元され、二つに割れたもう一本は傍らに置かれた。欄干の黒い焼け跡が消えることはない。
晴れた日には欄干に深い影ができる。
齢八十一歳の沈黙の語り部。こいつにはかなわない。
神戸という街に住んでいたひとたちにはいささかの未練も執着も持たない。ただ、記憶のなかを当てどなく彷徨う神戸の街そのものには怨みもつらみもない。いっそ、記憶という名のかすかな匂いを好ましく思っていると書いておこうか。
「神戸の残り香」成田一徹 切り絵・文
神戸新聞総合出版センター 定価1800円+税
先日の電子レンジのお話どうなりましたか。
新しいのをお買いになりましたでしょうか?
実はうち3つありまして、
特に1つはこの間まで
半年だけ町屋で暮らしていたときに
買って少しだけ使ったもので、
1人モン用の温めのみのものなのですが、
よろしかったら使いませんか?
電子レンジは譲っていただくことができました。
快調に稼働中です。
お気遣いありがとうございます。
エコール・ド・シモンの石橋まり子さんが津原泰水さんのために道産のボタン海老とイクラをお持ち下さった。相伴にあずかったのは言うまでもない、石橋さんに感謝である。次の日、イクラを白出汁にて五、六回洗い、薄味に改良させていただいた。イクラは北から南まで、醤油と味醂の同割に漬け込むか、もしくは塩漬けで頂戴する。それはそれで冷凍も可能なので、日持ちもするし重宝する。しかし、食するときにはいささか手を加えるべきではないだろうか。白出汁で繰り返し洗うと一粒一粒が離れて、さらさらの食感になる。ただし、一両日しかもたないので、要注意である。
この調法はイクラに限らない。ホタルイカも目玉を除去したあと、白出汁に漬け込むと滅法おいしくなる。その場合は白出汁にごく少量の薄口醤油と味醂を加える。早いはなしが吸い物に漬けると思っていただければよい。薄口醤油と味醂の量を加減すれば、ナマコ、甘エビ、カニなども美味しく頂ける。今は甘草からわさび菜に至るまで、あしらいには不自由しない。いつもとは異なる食べ方と組み合わせを愉しみたい。
ボタン海老は身を刺身に、頭は串刺しにして塩焼きで頂戴した。普通は吸い物やスープに使うのだが、ボタン海老の頭は車海老のそれよりも甲殻が薄いので焼けば香ばしさが増す。津原さんはたいそう喜んでいらした。北海道のキャンプ場ではボタン海老やサロマ湖産北海シマ海老をまるごと塩焼きにしてよく酒を飲んだ。そういえば、駿河湾産の桜えびや富山県新湊の焼きしろえびも美味い。たしか、しろえび漁の解禁は四月一日ではなかったか。焼きしろえびを杯に一匹入れ、熱燗を注ぐと日本酒がまろやかになる。富山や石川は山廃が多いので、この飲み方はすこぶる有効である。富山のキャンプ場で、地元のひとから教わった。
津原さんと海老づくしの徹宵痛飲などさぞや楽しかろうと思う。海老で鯛を釣るというが、鳴門では釣り人はミミイカ、漁師はイカナゴを餌に用いる。なにで人生を釣り上げ、なにを持って人生をオシャカにしたか、津原さんのニヒリズムの基点みたいなものを肴に酒を飲みたいと思う。彼は戦後の焼け跡みたいなひとで、背景がなくてがらんとしている。並列的思索の達人というか、存在それ自体にパンフォーカスなところが強く滲み出ている。それと比して彼の作品には継起的な時間の空間でビクンビクンと跳ねている海老のような趣がある。そしてその交点がまたブツブツに切れている。「一粒一粒が離れて、さらさらの食感」というのが、津原さんの小説を読んだ私の感想であり、ひととなりを知るにおよんで、さらにその感を強くした。手前から奥までピントが合っている、またはピントが合っているように見える、詐欺的ともいえるパンフォーカスな言葉の問題提起をこんなに心躍る思索に展開した人は珍しい。おそらく、そこまで見届けた上での石橋さんの差し入れだったのだと私は信じている。
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