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一考 | 純粋造本について

 石川さんへ
 種村さんの特集号も大詰めを迎えましたが、眞にご苦労様です。出鼻を挫かれたのが遠因で、私の動きが鈍いというよりは何も致して居りません。原稿依頼は確かに私の名でなされましたが、私ごときの名が通じる相手ではなく、貴方の個別打破と梅子さんの補助によってのみ、可能だったと痛み居る次第です。
 さて今般、装幀の件で三度貴方にご迷惑をお掛け致しました。深くお詫び致します。
 その理由は、絵描きさんの意見と私のそれとの間に余りにも大きな乖離があったことです。もともと、私は純粋造本を志としてきました。でも、純粋造本に於ける装幀の98パーセントは本文紙の選択と用いる活字、そして本文のレイアウトにあります。表紙や函、カバーのレイアウトなどは私に言わせれば、装幀のおまけみたいなもので、言ってしまえばどうでもいいことなのです。選ばれた和紙は1000年を軽く超える耐久力を持ちますが、皮革でそれに拮抗するものはパーチメントしか存在しないのです。従って、寿命の尽きた表紙は折々の所有者によって再度装幀されます。欧州におけるルリュールはそういう時に活用される技術なのです。
 装幀され直す書物は当然、糸縢りで巻き見返しでなければなりません。でも、それを現在の営利目的の出版社に求めるのは無駄であり、徒労です。私は常に趣味人でありたいと願っているので、かかる場で鬩ぎ合いとか歩み寄りとか妥協とかに応じる気は毛頭御座いません。また、装幀を方便に、生活の糧にしようなどという浅ましい考えを私は持ち合わせていません。
 自らの意志を通そうと思えば、自ら起業するしか方法はありません。だからこそ、当時の湯川さんや私は負け戦を覚悟で立ち上がりました。当時は元活と日活と岩田の活字しかなかったのです。平井功がかつて游牧記で用いた上海の宋朝体の活字に倣い、まず活字と母型を作るところから作業は始められました。数百、数千の母型を新たに作りました。湯水の如く貴重な資金が消えていきました。しかし、美しい書物をしつらえるために、ことほど左様に活版印刷にこだわったのです。
 このような話をいくら申し述べても詮無いことです。私が申し上げたいのは、活字で刷られていない本文の表紙に活字に似た文字、即ち似非活字を用いようという下司な装幀感覚が許せないという一点なのです。商業出版の装幀と純粋造本のそれとを同一視する、もしくは混同するような輩をどうして許せるのですか。
 芸術家としての自負や矜持を商業出版の世界に持ち込むなど以ての外。もしどうあっても、それを持ち込みたいのであれば、勝井さんのように身銭を切って出版をはじめるしか手立てはなく、それも、活字印刷と糸縢りは必須の条件となります。
 今回の装幀にしましても、裁ち落としぎりぎりの位置にある表罫がうまく収まるとは到底私には思われません。商業出版では容易に推察できる危険は事前に回避しなければなりません。況や、完成された書物一冊づつへの箔押しならいざ知らず、表紙に表罫を用いるような愚挙に対して、私には何等の意見の持ち合わせも御座いません。
 純粋造本の出版に携わり、道半ばにして病死した者、縊死した者、破産し餓死のやむなきに至った者、妻子に見捨てられ狂死した者等々、累々たる屍が目前に横たわっています。純粋造本に相応しい装いがあれば、商業出版には商業出版に相応しい装いがあります。そこには確たる一線を引くべきなのです。それこそが無惨な死を遂げた先達への唯一の供養ではありますまいか。



投稿者: 一考    日時: 2002年02月13日 23:51 | 固定ページリンク





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