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一考 | 志乃田について

 おきさんへ
 「ぱちる」ではないのですが、「しのだ」もそこいらの権威ある辞書には記載がなく、悔しい思いをさせられています。
 神戸ではきつねうどんを「しのだ」と言います。語源は大阪泉北の信太の森ですから、閉じれば「信太」もしくは「信田」か「篠田」なのでしょうが、通常は「志乃田」と著します。地名を料理名に取り込むときは昔から洒落て違う漢字を宛てます。信太の森は浄瑠璃や歌舞伎で有名ですから、そちらについては触れません。プライベートなことに終始したいと思います。
 神戸の湊川市場の北端に旧丸新市場(東山商店街)があり、その市場に隣接して満州からの引き揚げ者が雑多な商店を営んでいました。果物屋、電気屋、服屋、寿司屋、饂飩屋、串カツ屋、お好み焼き屋、おもちゃ屋等々ですが、服屋とは申せ、先日来触れている腹巻き、ステテコ、アッパッパ、加えるに作業着と麦わら帽子のようなものしか置いていません。商品を需要のあるものに限定すれば、そのような結果になるわけです。
 父と同じ部隊にいたひとが数人含まれていて、饂飩屋と串カツ屋にはよく行きました。串カツ屋については当掲示板で書いた記憶があるので、饂飩屋について書きます。
 その店に限らず、福原の饂飩屋さんもそうだったのですが、あの頃はどこともがご飯を置いていました。かやく飯、おいなりさん、穴子の箱寿司、玉子巻き、太巻き、簡略な握り鮨の類いです。
 かやく飯は炊き込みご飯のことですが、他にかやく丼やかやくうどんがあって、漢字には「加薬」を当てました。この「かやく」に関しても辞書の語釈はほとんどが間違えています。「かやく」は「あしらい」とは違うので、必ずしも料理の副材料ではないし、植物性の食品にも限定されません。「すきやきの牛肉に配するネギ、こんにゃく、豆腐など、ちりでは魚に配するハクサイや豆腐などをさす」とよく書かれていますが、料理人のあいだではより広義に解釈されています。
 そのかやく、すなわち具材は店によって異なります。また炊き込むときの出汁の取り方も異なります。老舗の寿司屋では昆布と鰹で出汁を取りますが、饂飩屋は熬り子(いりこ)と雑節で出汁を取ります。煮干を「熬り子」と言うのも関西特有です。雑節は水からでないとだし汁が濁るので、熬り子の方もワタをきれいに除去します。そうしないと苦みが勝ってしまいます。掃除した熬り子を用いれば甘味が加わるので、仕上げの味醂の量を減らすことが可能になります。
 「おいなりさん」は稲荷寿司もしくは信田寿司のことですが、酢飯に限らず、かやく飯を詰める方が多いようです。ただし、その場合はかやく飯に少量の酢を振りかけます。
 江戸での握り鮨の誕生は文政年間ですから、九州や瀬戸内と比してかなり遅かったと思われます(この発言は料理人や漁師からの伝聞で、確認はしていません)。それまでは江戸では「笹巻き鮓」が一般的でした。将軍にも献上されたという「松が鮨」の秘伝は「玉子巻き」です。でんぶやかんぴょうなどの具材をご飯で巻き、それをさらに薄焼き玉子で巻いたものです。しかし、私が言う「玉子巻き」は「松が鮨」の「玉子巻き」の簡略版で、中村真一郎さんのいう「アプレゲール・クレアトリス」の産物かと思います。白味魚などを練り込んだ厚焼き玉子で巻いた寿司で、一種の飾り寿司と言えます。
 最後に穴子の箱寿司です。明石には大善、下村、林喜商店等々、焼き穴子の専門店があります。下村は神戸の三ノ宮で穴子料理の専門店を営んでいますし、明石にも山城があって、穴子の棒寿司や押し寿司で識られる菊水鮓もあります。ただ、東京の著名な泥鰌屋が中国産の泥鰌を使っているように、明石の穴子屋も中国産活け締めの穴子を使っています。鰻同様、板前がその場でさばいて調理した前物の味は滅多なことで味わえなくなってしまいました。
 関西にも蒸し穴子や白焼きの穴子があるのですが、大半は蒸さずに焼く焼き穴子です。焼き穴子とコップ酒を両手に持って、明石の街を散策するのが種村季弘さんの得意とするところでした。関東の蒸し穴子にはない香ばしさが身上で、ものが固いだけに歩きながら食することができました。
 さて、その固い穴子の箱寿司です。棒寿司には蒸し穴子を使いますが、箱寿司もしくは押し寿司には焼き穴子を使います。そちらで有名なのは神戸元町の青辰です。薫子さんは青辰の穴子寿司がことのほかお気に入りです。その青辰の穴子を極度に薄くしたのが引き揚げ者風穴子の箱寿司でした。世の中に旨いものはいくらでもあります、しかし、私はあの薄さに執心しているのです。日本が独立し、朝鮮戦争が終わったあとも、路地裏にはそこかしこに戦後の残照が息づいていました。なにかしら捨て鉢な、そして妙な活気に晒されながら、あの日あの時、しのだと三切れの穴子の箱寿司を前に、私は至福を味わったのです。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月15日 03:36 | 固定ページリンク





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