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一考 | 小咄

 塵芥賞の受賞者と金光さん、玲はるなさんが平井功の詩集を拵えているらしい。先日、せっかくの集まりだったのだが、厨房が忙しくて私ははなしもできなかった。その折り、フライパンを振り回しながら、価値判断を構造主義的に歪曲した小咄を考えていた。

 料理人の腕は包丁で決まる、要するに包丁を研ぐ伎倆がそっくりそのまま調法に反映されるのである。料理に対する知識は調理の現場ではなんの役にも立たない。なぜかと言うに、知識は一貫性や確証性を基礎にするが、料理に用いる材料は変化相が決まっているわけではない。例えば、羅臼の鮭とウトロの鮭、日高の鮭では食感から味わいまでがまったく違う。また、ときしらずのように同じ鮭でも季節によっておもむきを異とする。要するに、じかに材料にあたって味をききわける以外、手立てがないのである。食材の硬さによって、用いる包丁の刃の角度が違ってくる。大工道具ほどではないにせよ、さまざまに研ぎすまされた包丁がどうしても必要になるのである。
 同様に、文筆家の腕は鉛筆で決まるのではないだろうか。足穂が景品の鉛筆を禿びるまで使っていたのはよく知られたはなしである。原稿用紙も名古屋の「作家」へ応募してきた反故の裏面を使っていたと聞く。景品の鉛筆なら納得がいくが、足穂が三菱鉛筆(かつての真崎鉛筆)のユニを愛用していたでははなしがおさまらない。三菱財閥や逓信省御用達といった官製の影がちらちら付きまとう鉛筆でお伽話風のしゃれた幻想譚や「彌勒」のようなアナーキーな私小説など書けようはずがない。
 三菱にとどまらず、トンボであれコーリンであれ、ブランド品でプロレタリア文学は書けないだろうと思うのだが、どなたかゴシップ通の方に、大杉栄や小林多喜二がどこの鉛筆を使っていたのかを調べていただけないだろうか。
 もしも、文筆家の腕が鉛筆で決まるとするならば、パソコンについても同じことが言えないだろうか。マイノリティの文学を語るに際し、ウインドウズで打ち込みましたでは、面を張るか向こう臑を蹴飛ばしたくなる。ウインドウズで文学を語るとなれば、渡辺淳一や村上春樹のようなベストセラー作家に劃られる。これからの時代はさような細かい気配りが必要とされるのである。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月08日 21:03 | 固定ページリンク





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