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一考 | 死に票

 選挙は民主党の惨敗に終わりました。公明党が11議席を取るなら自民党は32議席以下でなければ政権政党の過半数は崩れない。ところが自民党は49議席を確保、共産党の議席が民主党へ移行しただけのはなしである。
 いくつかの選択肢のなかから最良のものを選ぶのが選択なら、そのような選択を可能たらしめるための前提そのものを選ぶのも選択である。その選択の違いを大澤真幸氏は英語の二種類の助動詞「ought」「must」でもって説明する。
 氏は「われわれは何も選んでいない(朝日新聞7月12日夕刊)」のなかで、「mustに関る新たな選択をなすということは、あるものを選択の余地のないものに見せていた『生存』の枠組みそのものを変えるということである。だが、年金法に『否』を突きつけているだけのとき、われわれは、単に、この生存、この現在の生活に固執しているだけなのだ。確かに、このままでは破綻しそうだということを理解しており、この生存から脱出したいとも考えてはいるが、だからといって『別の生存』のあり方についてのイメージはまったくない」と既存政党の政策の無為を非難する。
 「通常の選択(oughtの水準)の前提をなす本質的な選択(mustの水準)へと人を誘うのは、難しい。事実、社民党や共産党はこれに完全に失敗した、単に護憲や自衛隊の海外派兵を批判しているだけではだめである。まったく、異なった枠組みのもとでも、共同体の秩序が存続しているということ、構造のトータルな崩壊はありえないということ、こうしたことを保障してやらなくてはならないのだ。そのために必要なのは、決定的な構想力(想像力)と結果責任への覚悟である」と論じ、今回の選挙結果のあいまいさをあぶり出す。
 つづく結句は以下のごとし「だが、それらを担う者はどこにもいなかった。今回の選挙が選んだこと、それは、選択ということの拒否そのものである」

 選択を色分けし、「枠組み」を変える担い手の不在を指摘するのは結構だが、書かれた内容は「どの党(政治家)も期待ができない」との多数の有権者の考えを一歩も出るものではない。「すでにグローバルな(軍事)行動に参加しているのだが、まずはローカルにものを考えた」と有権者の立場を総括し、「有権者は、単に、不安だったのである。自分たちの将来の生存に関して、つまり自分たちが何十年か後に安全に幸福に暮らしているかどうかということに関して」との指摘が有権者の投票行動を規定した生活保守への非難として著されるならともかく、政治家の無為無策にのみ転嫁されることに、私は危惧を覚える。
 私などはもっと単純に、政治の悪しき部分は政官・官官・官民の癒着におおかたの根があると思っている。大澤氏が述べるように「構造のトータルな崩壊はありえない」のである。だからこそ、必要なのは政権交代なのであって、交代が頻繁になされることによって、癒着の構図は構図としての用をなさなくなる。過去一度チャンスはあった、細川内閣のときである。あのまま、政権に携った経験のない政党がさまざまな組み合わせによる内閣の成立に参加していれば、間違いなく日本は変わっていた。ところが当時の社会党の造反によって自民党は息を吹き返し、その状況は政権政党の補完にいそしむ現在の公明党にまで続いている。
 当時、政権交代にもっとも近い政党が共産党であれば、私は共産党に協力するとまで公言して憚らなかったのは小沢一郎である。一部の有権者は「あのひとでなくちゃあ」と考える。この「あのひとでなくちゃあ」と政治家本人の「わたしでなくちゃあ」にはoughtに基づく同種のコンポジションがある。他方、mustに関る選択を示唆した唯一の政治家が小沢一郎でなかったか。自民党を離党してから現在に到るまで小沢氏の立場は一貫している。投票日の夜、古館伊知郎と田原総一郎が小沢一郎に対してなぜ民主党の委員長にならないのか、といった生臭い質問を繰り返していた。一介のジャーナリスト風情に小沢氏の理念など理解の外らしく、氏は「政権交代がなされるのであれば誰でもよい」「だれでもよいのですよ」との文言を残してスタジオから立ち去った。
 政党不信と同時に、個人の積極的意見表明をあまり評価しない日本の政治風土は明治から今に続いている。平準化志向の強い知的風土が関連していると思われる。広島の愚同様に、静岡にあっても、飛行場の建設を否定した海野徹氏が落選し、藤本祐司氏が当選した。総論賛成、各論反対、地元への利益誘導にしか興味を持たない連合の浅ましい謀略であった。
 私は日本の政党にも政治家にもなんら興味を抱くことができない。oughtに関する選択に終始し、その実績を誇るがごとき、公明党などが日本的政党の典型であろう。彼らは自らの近視眼的言動ないしは条件闘争が民衆の夢や理念を蝕み、政治不信を増長させていることに気付かない。
 とまれ、「ought」であろうが、「must」であろうが、そんなことはどうでもよいのである。問題なのは風通しであり、政権交代である。だれが総理大臣になってもよいのである。そのような瑣末なことを気に病んでいては何もはじまらない。いつか成就されるであろう政権交代の日まで、私の「死に票」は繰り返される。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月13日 22:42 | 固定ページリンク




ユリーカ | シンクロにして~っ!

死に票=今日のそれいちばん大切なこと!
けだし、あなたと宇宙の結果=幸運という力=君が知っているもんばかりのはずだが。(~繰り返し何度でも~)

「シンクロニシティ」の翻訳語を相変わらず「共時性」などと言ってる輩は、時間意識、空間、物質概念が虚弱だし、私に言わせれば愚鈍だ。
私ならさしずめ、もっとこう、本当の意味で楽しくも怖ろしいワンダーで不可知な音感を込めて「暗合」と叫きたい。

世界じゅうに思わぬカタチでバラバラに投げ出され、残酷なまでに展開している或る種の俗的なるものに対して、じつは各々誰しもが独自に切実な興味をもって敏感に反応を示すのであり、彼の見えざる触角(アンテナ)=カニ星人は、磁力に振れながら知らず知らずのうちにそれに接近し、そこに特別なナニカを看取ってしまわずにはいられない。そして、その時こそ、中空存在としての自分の姿に気付かされる筈だ。或る種の居心地良さのようなものと共に・・・

晩年のニーチェが、あの寒い朝、辛そうに荷車を引く疲れ切った痩せ馬を見た途端に号泣し、オンマさ~ん!オンマさ~んっ!と言ってなりふり構わず抱き付き発狂したのも、そこに打ち捨てられた見ず知らずの本当の自分の姿を見つけてしまったからに他なるまい。
それは、意志を断滅する限りに於いて世界との調和を手に入れたということだ。

要はこういうことだ。人は自分の思うようなものになっっていく、ということ。
振り出しに戻ればいつもそうだった。=望まれた未来。(~繰り返し何度でも~)

斯様に見渡せば世界は、暗合=暗号= QUE に満ち溢れて、すべからく人心をそそのかし続けている。
だから私は、さがすけれども選べません。
選択、決定が出来ると云うことは、或る種の自由を意味するが、それはナニモノカへの裁きでもあることをココロしていなければならない。けだし限定とは、それ以外への排除であり、即ち精神的不自由の謂いだからな。

補遺
キチガイ機関車野郎=ろくちゃん=どですかでんっ!どですかでんっ!どですかでんっ!・・・・「こらっ、うるさいっ!」・・・のように自らを或る運動状態として世界を道連れにすると云う高等戦術もある。



投稿者: ユリーカ    日時: 2004年07月15日 01:02 | 固定ページリンク




薫子 | ご返事

 ユリーカさんへ
 何度も書き込みありがとうございます。でも、わたくし、アホなもので、お書きになっている内容が全くわかりません。どうぞアホにもわかる日本語にてお書きください。



投稿者: 薫子    日時: 2004年07月15日 21:15 | 固定ページリンク




一考 | ですぺらあれこれ

 外山時男さんがですぺらへいらっしゃいました、お連れさん共々娯しい語らいに終始。外山さんは想像したとおりのけったいな方でした。結滞ではなく、関西方言の卦体でございます。東京風に申せば稀代、あやかし、きてれつ、へんてこりんの意が含まれます。澁澤龍彦さんほどではないにせよ、やはり風采は小振り、しかるに発言は大胆、思惟するところは磊落にして雄渾。無頓着が割烹着をまとってふんぞりかえるの図を思い起こしてください。間違いなく、私のもっとも好きなタイプの御仁だったのです。
 外山さんがいらした日、遅れて福島泰樹さん、佐々木幹郎さん、間村峻一さんたちがいらっしゃいました。虚説閑話、辞柄、珍談が夜を徹してつづき、あちらこちらで微睡むひとあり。嫌がる佐々木さんを口説き落とし、結論はあさぼらけの新宿行となりました。どうやら、間村さんと私はともにアナザー軒の癖があるらしく、赤坂で酔いつぶれたことはなさそうです。
 以前、掲示板で紹介させていただいた「オポッサムと豆」所収の佐々木幹郎さんの新しい詩集「悲歌が生まれるまで」が月末に思潮社から上梓されます。ですぺらでの出版記念会は8月7日(土曜日)、詳細は追って掲げますのでよろしく。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月15日 22:47 | 固定ページリンク




ユリーカ | ダウジング翻訳


私達は
外部の繋がりだけじゃ 
決して満足出来ない存在だ
憎悪と友愛のなかでさえ…
音楽と陶酔のなかに     
おまえを抱きしめたいのか
殺してしまいたいのか
判断出来ないイキモノだ…

Charles Baudelaire 『遺稿集』より 



投稿者: ユリーカ    日時: 2004年07月16日 20:09 | 固定ページリンク




余暇浜ショップ | 余暇浜ショップ

ウェブコンビ二の余暇浜ショップです。 コンビ二のようにお使いください。全国どこへでも一律290円です。代引き手数料もコミコミです。



投稿者: 余暇浜ショップ    日時: 2004年07月17日 02:43 | 固定ページリンク




御邪魔ビンラディン伊藤 | ボオドレエル遺稿集とは、はて面妖な?

ユリーカさんの「ダウジング翻訳」によると、Charles Baudelaire 『遺稿集』
なる本に、かれ(またはかの女)が書き込んだところの「詩」のごときものが
あるというのだが、翻訳を通じて30年以上、曲がりなりにもフランス語を読める
ようになってから四半世紀以上は原文、翻訳、研究の三者を通してこのフランスの
詩人に親しんでいるものの、幸か不幸か、わたしは、いままでこのような表現に出
会ったことはない。 
どこぞに同姓同名の詩人が存在しているのか、あるいは、「火箭、赤裸の心」の
堀口大学訳同様、自分の気質に合わない原文を「超訳」されたものなのか、ぜひ
とも原文併記のうえ、御教示いただけると幸甚と存じます。



投稿者: 御邪魔ビンラディン伊藤    日時: 2004年07月17日 06:40 | 固定ページリンク




外山時男 | ニイニイゼミ

一考さま

 「無頓着が割烹着着てふんぞりかえる」はひどいじゃあーりませんか。
 まるで中世ヨーロッパの世俗版画の題名です。あんなに行儀良くかしこまっていたのにひどいなあ。
 ゆうべニイニイゼミが迷い込んできてほうっておいたら今朝もまだ床で生きていました。食べようかどうか迷っているうちによちよち歩きはじめたので、これはよかったとつかまえてジージー鳴くのをベランダのオリーブの幹にくっつけてやると上へ上へ昇ってゆきました。
 仕事の電話を一件して顔を洗って戻ってみるともう姿はなし。
 どこかへ飛んでいったのですね。
 哀しいような嬉しいような。

 これから蛾の季節になります。外灯に細かなゴミみたいな蛾があつまります。良く見ると蝶よりずっと綺麗です。



投稿者: 外山時男    日時: 2004年07月18日 14:11 | 固定ページリンク




ユリーカ | 磁気作用

 薫子さんへ

御返事、ありがとうございます。
かのサルバドール・ダリの創作態度はパラノイアック・クリチック(偏執狂的批判的創造)であるが、私のは更に加えて、メタフィジック・メガロマニアック・エピレプシー・ダウジング(形而上的誇大妄想的癲癇)な性分であります。

綜合して、私は或る抽象的な駒となり、此の盤上を縦横無尽に駆け巡る、変幻自在な自動人形であり、万年中学生であり、太陽に焼かれ立ち上がり、雨に吹かれ花を散らし、どこまでも飛び続けるあらゆる総ての欲望の種子なのだから。瞬間ごとのチャンスに賭け続け、その中に自分を見失いながら光りのようにバラバラになってしまうこと。
私が自分であり続ける限り想いは完遂しないのだから。

画家が好んで描いたモチーフに「種蒔く人」というのがあるが、芸術はドライヴ、バイアスが過剰に掛かったコミュニケーションだから放恣に蒔き続けるしかありません。
「欠損の美学」と「過剰の美学」、「内在する不在感」と「外の主体」について。
コレは誰もが、血や唾や糞尿、陽なたの臭いにまとわり付かれながらわが身を以て知る最後の形而上学だ。



投稿者: ユリーカ    日時: 2004年07月18日 23:54 | 固定ページリンク




ユリーカ | ボウドレイル・フラグメント

 ビンラディンさんへ

レス、ありがとうございます。でも、わたくし、突発性脳内出血ニヨル海綿状血管腫、及ビ海馬萎縮硬化ニヨル側頭葉癲癇なもので、お書きになっている内容が全くわかりません。どうぞ癲癇にもわかる日本語にてお書きください。

ただ、ワタシは本は読まなくても内容は解ってしまうので、30年以上も字面を追うような只の翻訳じゃあありません。ダウジング式翻訳です。お勉強で読むのは他人に任せてありますから。
書き置かれた文章=遺稿と云うのは、読み替えられ、書き換えられるその時を、常に待っている、と云うことがお解りか?そういう意味で翻訳は面白いのですネ。

>原文?
御自分で見つけ出して下さい。探すのは楽しい事です。

電気を帯びたこの脳でダウジングすれば解ってくる。わかってきた。そういうふうになっているのだ。そろそろ誰しも、自分というモノが一体全体どういうナニモノなのかを知る時に来ているのだと思う。
私の脳は煙草を喫いすぎて電気を帯びるほど炭化しかかったカーボン・ファイバー・アンテナとしてソレをダウジング探知している。



投稿者: ユリーカ    日時: 2004年07月18日 23:59 | 固定ページリンク




薫子 | ですぺらオフ会

 今一度、お知らせいたします。
7月25日(日)午後4時より、ですぺらにて
はじめてのオフ会を催します。
会費は実費割り勘で、お酒を飲まれない方には割引いたします。
どなたさまでも、お気軽にご参加くださいまし。
メールにてお知らせいただければ、幸甚です。



投稿者: 薫子    日時: 2004年07月19日 20:31 | 固定ページリンク




一考 | オフ会へいかが

 御邪魔ビンラディン伊藤さんへ
 この度はご迷惑をお掛けし申し訳ございません。ところで、久しぶりにあなたと呑みたいので、ご都合がよろしければオフ会に出席してください。でも、割り勘ですから手ぶらで来てくださいね。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月20日 19:51 | 固定ページリンク




一考 | うわばみ

 外山さんへ
 無頓着といってもいろんなむとんじゃくがあり、前回ご紹介の佐々木幹郎さんも無頓着に毛が生えたような方だと思います。佐々木さんと酒を酌み交わしていると、アイルランド的な無邪気さ、おおらかさの内に秘めた詩人の悲しいまでの覚悟を思い知らされるのです。その「無邪気さ、おおらかさ」を無頓着と称したくなるのです。同様に、あなたが醸し出す「妙な味わい」に、なにかしら浮世離れしたもの、ノン・シャランな匂いを嗅ぎつけるのです。もっとも、私のそれは蓬頭垢面、蓬頭垢衣の類ですが。
 ベランダでオリーブとはそれもまた豪気なはなしですね。一体どんなベランダなのでしょうか。阪神大震災の折りに庭木はすべて伐採しましたが、オリーブは年毎に1センチは太くなります。10年も経てば立派な大木ではないですか。
 ところで蕎麦の出前の件は今回は見送らせてください。迷惑の掛けっぱなしで恐縮ですが、出版記念会が午後七時から翌日の始発までになりました。参加なさる予定の半数がアスクレピオスの末裔で、うわばみ科に属する高等生物らしいのです。私自身、ホモ・サピエンスのなかの亜種関係とみられているらしく、参加者より費用はすべて酒に費やせとのきつーいお達しでございます。申し訳ございませんが、どうかよろしく。
 上海蟹や藻屑蟹の酒付けは有名ですが、うわばみの酒付けなんぞ、煮ても焼いても食えませんよね。酒にウワバミソウのあしらいがよろしいのではと思いおる次第。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月20日 19:54 | 固定ページリンク




外山時男 | オリーブ

一考さま

 出前の件、了解いたしました。ウワバミの中身はやはり豆ならぬゾウがふさわしく、ちかくのバオバブからは酒が噴出するのにちがいありますまい。
 我が家のべランダのオリーブは鉢植えで、ほとんどちりめんじゃこみたいなものです。小豆島のオリーブとはちがいます。小学生のころの2年間を高松で過ごしたので、オリーブの樹にはなじみがあります。高松の家庭では普通の植木としてオリーブが植えられていました。
 高松でのセミはやはりクマゼミです。あの朝っぱらからシャアシャア鳴く大声には血沸き肉踊るものがありました。広島の平和公園で聞いたクマゼミの声はちょっとモノクロームでフクザツではありましたが。
 そのころ読んだファーブルの昆虫記のセミの章には写真があって、それは我が家のオリーブみたいな細い枝に何頭ものセミがとまっているものでした。いま考えればヤラセみたいな写真でしたが、セミは欅や桜の太い幹で鳴くものと決めつけていたので、ひどく新鮮な印象をうけました。
 で、痩せたオリーブにニイニイをとまらせてみたしだい。

 赤坂の弁慶橋ではヘラブナが釣れます。鮒鮨はヘラではつくれないのでしょうか。ちなみに不忍池ではタウナギが、大きな声では言えませんが明治神宮の菖蒲園では、ギギ、もしくはギバチが釣れます。カラス貝も棲んでいます。



投稿者: 外山時男    日時: 2004年07月21日 02:26 | 固定ページリンク




高遠弘美 | ご馳走様でした

一考様

 昨夜はご馳走様でした。
 ちりめん山椒、三種類。舌莫迦の身ゆゑ、それこそ猫に小判だつたと思ひますが、それでも、縮緬雑魚のあはい味はひと、舌をかすかに刺戟する山椒の、絶妙のとりあはせに、しばし憂を忘れました。酒でないのにネパンティス。いやはや、凡俗の生活を送るわたくしにとつても、すこぶるつきのすてきな贈り物でした。感謝申し上げます。

 外山様
 お蕎麦、遠からず食べに参ります。その節はよろしくお願ひ申し上げます。

 追記
 十年ほど前に巴里で買つたバオバブの種はいまだに種のままで我が机上にあります。いつか植えたいと思つてゐますが、さて、どこにとなると場所もなく。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年07月21日 09:39 | 固定ページリンク




外山時男 | 高遠弘美さま

高遠さま

 お出ましくださるとのこと。こちらこそよろしくお願い申し上げます。ただし昼は怠惰で留守がちにつき、かなうならば夜がいちばんなのです。
 勝手なお願いすみません。心よりご来店お待ち申し上げます。
 バオバブを植えるのは昔ならとうぜん丸善のあたりでしょうが、それでは今や、イヤ、それどころか昔でも気が長すぎます。パリでお買いになった種子ならマダガスカル産ではなく、象牙海岸、奴隷海岸あたりの種なのでしょうか。マダムの脇の下なる夜間飛行は一考さん作のティーバックにもどこかで繋がっているみたいで、初心なわたくしはアタマがくらくらしてまいります。「翼よ、あれはどこの灯だ」
 バオバブの種がどんなものなのか、どうかお教えください。花は咲くのでしょうか。まさか桜みたいにハカナク散っては欲しくありませんが。



投稿者: 外山時男    日時: 2004年07月23日 02:57 | 固定ページリンク




高遠弘美 | バオバブ栽培法

外山時男様

ぜひ近日中にお伺ひいたします。その節は何卒よろしくお願ひいたします。

さて、本日はバオバブの育て方について。
種に附いてゐる説明書を訳しますと……(ちやんとした翻訳ではありませんが、この暑さに免じてお許し下さい)。

【バオバブ(学名Adansonia digitata)】
Bombacacee科。セネガル原産。世界有数の巨木。セネガルでは胴回りが20メートルを超えるものもあります。
《一年中発芽可能》
同梱の種子は発芽能力が高いものを厳選、処理したもので、白くなつてゐたり種子によつて大きさが違つたりといふこともありますが、不良品ではありません。種子の発芽能力は大きさとは関係がないのです。
《栽培のしかた》
◎小鍋でお湯を沸騰させたのち、火を止め、種子を入れます。そのまま24時間漬けておきます。
◎10センチから20センチくらいの鉢かプラスチック製のミニ・セール[フランス人は植物栽培が好きなので、温度管理ができる小型の栽培用棚や栽培ケースが売られています。セールは本来「温室」の意味です。蓋が附いたりビニールの覆ひが附いたりしてゐます]の四分の三まで、川砂か採掘場の砂を入れます。その際、砂をあまり詰めすぎてはいけません。砂は園藝店や花屋さんや種苗店で買ふことができます。鉢かミニ・セールの底に、水はけ用の穴があいてゐることを確かめてください。
◎その砂の上に、ある程度間隔をあけて、種子を置いてゆきます。そうしたら、5ミリくらゐの厚さになるやうに均等に砂をかぶせてください。
◎砂の表面に水を遣ります。必要ならば噴霧器を使つてもいいでせう。砂はつねに湿らせておかなくてはなりませんが、水を遣りすぎるのは禁物です。朝晩、規則正しく水を遣ることが発芽の時期には大切です。
◎鉢かミニ・セールを明るく温かな場所に移します。場合によつてはヒーターを使つてください。摂氏25度から30度の温度で管理すれば、10日から15日で発芽します。
◎若芽が出てきたら、直射日光を避け、25度から25度の温度管理をしてください。ミニ・セールの場合は、この段階で蓋やカバーをとります。
◎苗が8センチから10センチになつたら、砂も一緒に、もつと大きな鉢に移植してください。
◎そこには砂とテール・ド・ブリュイエール[ヒースの腐植土に砂を混ぜた酸性の強い培養土]を同量混ぜたものを入れます。
◎規則正しく水を遣るやうに心がけてください。さうすればバオバブは育ちます。


追記1
私の持つてゐるバオバブの種は、大きさ一センチ弱。焦げ茶色で楕円の片側をぎゆつとへこませたやうな形をしてゐます。煎つたらビールのつまみになりさうです。
追記2
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/baobab.html
に写真と説明がありました。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年07月23日 14:21 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 訂正

前書き込みで、25度から25度といふのは、20度から25度の誤記です。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年07月23日 14:24 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 『幻の猫』讃、否、絶讃

龜鳴屋
勝井隆則さま

 一考さんの紹介で、先日御社刊行の伊藤人誉著『幻の猫』を需めました。
けふ昼頃でしたか何の気なしに読み始めたら、あまりの面白さに頁を繰る手が止まらず、さきほど読了いたしました。
 亢奮がさめやらぬまま、また直前二回に続けての書き込みになつてしまふにもかかはらず、ひとこと御礼申し上げたくて、書かせて頂くことにしました。一考さんが先月半ばに書かれてゐるごとく、勝井様のやうな出版人と同時代に生きる幸せをつくづく感じます。
 どれも傑作といふほかない、みごとな小説ばかりで、心底堪能しました。近頃、ここまで面白い小説を読んだことがありません。どの作品も読後感が強烈で、といつて決して押しつけがましくなく、いつまでも余韻が残る、素晴らしい小説だと思ひました。これこそ小説でしか表現できない世界です。
 そこでお願ひなのですが、ぜひ伊藤氏の小説の第二集をつくつては頂けないでせうか。著者自筆年譜によれば、まだまだ御作はあります。タイトルを拝見するだけですぐにでも読みたくなるやうなものばかりです。「女の声で泣く蛙」「赤い洞窟」「幻の虫」「光る鎖」「落ちてくる!」「寝化粧」「登山者」「青の湖」「盗人は夜来る」などなど。短編集『登山者』や長篇『猟人』は1958年の刊行ですから、入手はなかなかに困難ではないかと拝察いたします。
 ぜひ、ぜひ、御社での第二集の刊行を、読者のひとりとして切にお願ひ申し上げるしだいです。
 失礼の段は何卒ご容赦ください。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年07月23日 16:15 | 固定ページリンク




薫子 | オフ会の連絡

 オフ会の連絡です。参加者はメールによるご連絡が4名、直接お聞きしした方が6名の合せて10名となりました。ご参加くださる方が思いのほか少なかったので、鍋はやめて焼き肉に致します。野菜は埼玉で購入しますが、肉類は近所のハナマサで間に合わせましょう。会費は2000円までです。首に巻くタオルをご持参のうえ、においがついてもよいファッションでお越しください。



投稿者: 薫子    日時: 2004年07月23日 20:01 | 固定ページリンク




御邪魔ビンラディン伊藤 | お誘いありがとうございます。

最近、この掲示板をみるのは週に一、二度のことなので、せっかくお誘いがあったのを見るのが遅れ、返辞が遅くなりました。
さいきん、見る回数が減ったのは、高遠弘美さんとの充実したやりとりを「相聞歌だね」などといってまぜっかえしたくなる自分
のアホぶりを恥じてのことです。
御迷惑でなければ、やや遅れて、6時前ころに出没したいと考えています。



投稿者: 御邪魔ビンラディン伊藤    日時: 2004年07月24日 10:07 | 固定ページリンク




如月 | 息抜きページ

ちょっと息抜きに、小サイトに次のようなページ↓、アップしました。 おひまな方はどうぞ。 http://www.furugosho.com/precurseurs/oi-no-kobumi.htm   *    *    * このところ「存在と時間」を読むのに忙しくて、明日のオフ会のこと、今知りま した。明日の夕方は友達と会う可能性があるのですが、もしそれがキャンセルに なったら、ふらっと寄らせてくださいね♪



投稿者: 如月    日時: 2004年07月24日 12:56 | 固定ページリンク




フク | 本日行けず無念

 この週末に上京し、また本日がオフ会とは知りつつ、矢張り日曜日まで滞在は相成らず、昨晩一人でですぺらプレオフ会に臨ませて頂きました。御馳走様でした。今頃、煙で店内は濛濛としているのではないかと推察致しますが、楽しんで下さいませ。またいつか皆様ともお目に掛かれる機会があるものと思います。

 ところで昨日、噂の『幻の猫』を落掌し、帰り道で一気に読了致しました。何というか、雰囲気とその先にある何かを醸し出すのに長けた作品だと感じました。また年輪というか、センスだけでは描き得ないと感じさせられる描写からさりげなくも鬼気迫る迫力があります。小生の稚拙な表現力では感じたことが言い尽くせないのが歯痒いのですけれど。



投稿者: フク    日時: 2004年07月25日 18:57 | 固定ページリンク




薫子 | オフ会御礼

 昨晩のオフ会に参加いただきました皆々様、ありがとうございます。
プレオフ会にわざわざお越しくださったフクさん、ですぺらでゆっくり飲むためにと、赤坂に宿をとってまで、いつもありがとうございます。お察しのとおり、煙もくもく、エアコンはきかず、暑かったです~。冬に鴨鍋の方がよいかも。



投稿者: 薫子    日時: 2004年07月26日 02:08 | 固定ページリンク




一考 | 鮒の念仏

 外山さんへ
 釣りがお好きなんですね。それにしても、不忍池のカワヘビと菖蒲園のハゲギギですか。どちらも食いたくないなあ。ブラックバス同様、それは誰かが放したのでは、自然分布じゃないですよ。ヘラブナは鮒鮨になりますが、弁慶橋の水質はどうなのですか。琵琶湖の源五郎鮒は北湖の狭い水域のものに限られると聞いています。琵琶湖の風物詩の一つ、いわゆるえり漁ですね。
 源五郎鮒はもともと琵琶湖特産だったのでしょうが、溜池のような狭いところでも育つようにと大阪の河内で品種改良されました。そのカワチブナがヘラブナの代表選手ということになります。根っ子は同じものですから、問題ないと思います。釣りの世界ではマブナ釣りとヘラブナ釣りはまったく異なるものですが、日本各地に移殖されたヘラブナと在来ブナとの交配による雑種が多く、諸説紛々、学説もかなり混乱してきたようです。
 話序でに、むかし京都書院の仲間と酒を呑んでいて、鮒鮨が「熟れずし」か「馴れずし」なのかで論争になったことがありました。私はとうぜん「馴れずし」だと思っていたのですが、「鮒鮨のマニアは飯が好物なのよ」といいながら、むしゃむしゃと食べるひとがいて愕かされました。近江は知りませんが、少なくとも京都の鮒鮨は「熟れずし」のようでした。
 以上、鮒の念仏です。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月26日 19:17 | 固定ページリンク




間村俊一 渡辺一考 | 「悲歌が生まれるまで」出版記念会

 「むかし神話と妖精は箇々の家庭にあり、人々と起居を共にしていた。やがて神話は国家のものとなり、妖精は死に絶えた。その神話を国家から取り戻し、妖精を蘇らせるのが詩人に与えられた使命である」とのはなしを佐々木幹郎さんから聴かされました。アイルランド的な無邪気さ、おおらかさの内に秘めた詩人の悲しいまでの覚悟を思い知らされた日でした。
 かつて掲示板で紹介させていただいた「オポッサムと豆」所収の佐々木幹郎さんの新しい詩集『悲歌が生まれるまで』が月末に思潮社から上梓されます。氏の頭蓋骨の中でからからと鳴る二十五個の豆粒、その一粒一粒に明瞭なかたちが与えられたのです。諧謔と哀愁、そして失意へのポーラー・メソッドとでもいう他ない同書の誕生を著者と共に祝したいと思います。菊池雅志さんの笛演奏を伴う徹宵痛飲、長夜歌吹のくさぐさ。日時は八月七日の土曜日、午後七時より翌日の始発まで、会場はですぺら、赤坂一ッ木通の真ん中あたり、一階は手作り居酒屋「かっぽうぎ」、会費は五千円、月下にせぐり来る思いを語りあかそうではありませんか。



投稿者: 間村俊一 渡辺一考    日時: 2004年07月26日 19:41 | 固定ページリンク




和子 | 41歳の主婦です

結婚して20年になりましたが夫とは歳がだいぶ離れていて正直相手になりません。 というか疲れきってて倒れそう!? そんな結婚生活20年間、遊びという遊びは控えてきましたがここまで歳をとるとどうしても元気な男の人を求めたくなってしまって…。 私は最近フラダンスに夢中、特技は編物です! よかったら元気な男の人返事ください。



投稿者: 和子    日時: 2004年07月27日 14:48 | 固定ページリンク




一考 | 孫太郎虫

 私の家は上越の高田、姫路からの国替えによるものですが、松平ではなく榊原十五万石の時代の家老職でした。新潟は幕末期には十一の小藩に分立していましたが、そのなかで高田は最初に薩長連合軍に白旗を掲げた軟弱きわまりない藩、私は無血開城に近い不名誉を背負った親藩の末裔ということになるのです。従って、長岡や会津や新選組といえばただただ平伏する他なく、とりわけ会津には怠状とあこがれが綯い交ぜになった複雑な気持ちを抱いていました。
 某新聞社で編輯に携っていたおり、その会津へ取材に出掛けました。東京本社からのお出ましということで、わざわざ料亭を朝まで借り切っての饗応。さぞかし旨いものが喰える、しめしめとほくそ笑んでおりました。ところが目前に並べられたのは、生きた蜂の子、蝉の幼虫、カイコ、ざざ虫、蝗をはじめ、あとは正体不明の昆虫のフルコース。思惑が大きくはずれ、蛆虫に囲まれた私は悲鳴をあげました。得体の知れない虫が一品か二品であれば、他の野菜や山菜に紛れ込ませてなんとかやっつけるのですが、オンパレードとなると気後れします。怯むどころか、私は失神寸前にまで追い詰められてしまったのです。
 動顛した私をなだめたのは遅れて出された一枚のざる蕎麦、今宵の数多の料理のなかで唯一食べられる最高の馳走、この一皿を逃せば人生が瓦解すると思った私は蕎麦を丁寧にほぐし、一本ずつすすり上げながら朝までなんとか遣り繰りしたのです。

 このところ昆虫談義がつづきますが、文字のうえでの昆虫はともかく、真物の昆虫はからきし駄目なのです。思うに、こどもの頃にむりやり飲まされた熊の胆や孫太郎虫が遠因ではなかったかと思うのです。ざざ虫はカワゲラ、カゲロウ、トビケラなどの幼虫の佃煮ですが、時にはヘビトンボの幼虫も含められます。このヘビトンボの幼虫の黒焼きを孫太郎虫というのですが、私はそれが大の苦手で、四、五センチの幼虫五匹を串刺しにしたものをこどもの頃に食べさせられて泣き出した記憶があるのです。熊の胆はクマの胆汁を乾燥させた円板状のもので、共にこどもの疳の妙薬、または腸内寄生虫の特効薬とされていました。しかし味は当薬のせんぶり同様、ただ苦いだけの気色のわるい民間薬でした。最近はあまり見掛けなくなりましたが、毒消し売りや富山の薬売りと称するひとたちが、万病に効く反魂丹などと一緒に売り歩いていたのです。山東京伝の「敵討孫太郎虫」は紙衣で有名な宮城の白石の孫太郎伝説を小説化したもの、ご存じの方もあろうかと思います。
 虫といえば、忘れられないのが蛇屋。むかしはどこの町にも蛇屋と俗称される漢方の薬局がありました。メスシリンダーに収められた白蛇や臓物をさらけ出したアオダイショウやシマヘビ、、疥に霊験あらたかとされたマムシを漬け込んだ液体、アルコール漬けのムカデ、イモリの黒焼、鹿の珍宝、得体のしれないふぐり等々。いかがわしさではサーカスや化け物屋敷よりも上に位置し、少年のこころをときめかせ、沈ませ、そしておそれさせる謎にみちた場所でした。
 捕まえる時に硬い頭胸部をヘビのように動かし噛みついてくるところからヘビトンボの名があるのですが、ためを持ったあの屈折した動きには怖ろしさを感じたものでした。いかに瓶越しとはいえ、こわごわ指を差し出し、または手をかざしながら覗き込む、怪獣と自分とのあいだにもうけられたガラスの仕切を確認し、さらに顔を近づける、大丈夫だと聞かされていても、瓶を割って跳びかかってくるのではないかとの恐怖心が私を逡巡させました。古本屋通いの一歩手前で繰り返された蛇屋通い。思うに、自己と他者とのあいだの垣根のしつらえ方、距離の取りようをはじめて学ばされたのが蛇屋ではなかったか。間違いなく、あのメスシリンダーにぎりぎりと刻み込まれた目盛りの一条一条に私の青春が、拓落失路がまるまるあった。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月27日 20:54 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 蛇屋

 伊藤さんからは「相聞歌」と冷やかされたこともあり、また、先日のオフ会では「書きすぎ」を指摘されたりもしたので、しばらく書き込みはやめようと思つてゐたのですが、「蛇屋」となると、書かざるを得ません。管理人さんからは「そろそろペンネームにしたはうがいいですよ」とご親切にも言はれたのですけれど、どうも匿名といふのは性にあはなくて。
 向後、あまり書き込みはしないといふことでこの名前での書き込みをお許し頂けたらと思ひます。
 むかし、生家の、通りの向かひ側の真ん前が蛇屋でした。信州は上田といふ田舎町でのことです。たしか「まむしや」といふ屋号だつたやうな気がします。ここは民間漢方の店といふよりは、まさに蛇屋で、網といふか檻といふか、ともかく金網の向かうに何十匹かわからない蛇たちがごによごによからみあつてゐました。私たち兄弟は可愛がられてゐて、学校から帰つてくると、「ひろみちやーん」などと呼ばれ、「はい、あげるね」などといはれて「孫太郎虫」やら「ざざむし」やら、時にはとぐろをまいた縞蛇をそのまま黒こげにしたのを、かき氷を作る器械にかけてじやりじやりと擂つた黒い粉などを貰つてゐました。たまには生きた蛇を渡されたりしましたが、兄は首に巻いてにこにこしてゐたものです。私はさすがにそれはできませんでしたが、蛇のあのてらつとした感触はいまだに覚えています。35年前に他界した私の亡母は蛇が大嫌ひで、あるとき、昔のことですから、下水がラフにつながつてゐたせゐでせうか、セメントでできた「流し」の排水溝からにゅつと蛇が顔を出したことがあつて、母は「ぎやつ」と叫んで卒倒。それほど蛇嫌ひの母なのに、もらつた小遣ひで、デパートでゴム製の蛇を買ひ、毎日着物を着てゐた母の箪笥に入れたことがありました。箪笥は二階にあり、朝、二階で母の絶叫が聞こえ、数秒後「ヒロミ!」といふ、ここはゴチックにしたいほどの大声が聞こえました。あとはご推察のとほり、こつぴどく叱られ、しばらくおやつもお小遣ひももらへませんでした。あのとき、母は、どうしてこんな子供を産んでしまつたのだらうとひどく、恐らくは心から後悔してゐたにちがひありません。その絶望を明るい希望に変へる間もなく、母は死んでしまつたのですから、私はすでにそのときからPARRICIDEたる宿命を負はされてゐたのかもしれません。

追記
外山さんのお蕎麦のお店、とつても素敵で美味しいお店です。おすすめ!クロワッサンを頼りに検索するとわかります。東京八重洲。

追記2 
某社から頼まれた賃仕事を手伝つてくださつたIさん。どうもご苦労様でした。お名前も伺はず、お話もほとんどしませんでしたが、ご協力に感謝いたします。バオバブはどこかにきつとうゑませう。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年07月29日 00:49 | 固定ページリンク




外山時男 | バオバブの花

高遠弘美さま

昨夜はあの蒸し暑い中ご来店いただきありがとうございます。なんだかロウバイして妙なこと申し上げたかもしれません。恐縮です。
 またバオバブ栽培法大変おもしろく読ませていただきました。こちらもありがとうございます。わたくしもネットで調べてみたところ、花は白の五弁で全体の形状は小型ビゼンクラゲか傘の開いたマッシュルームのよう。成木はデブで奇怪ですが、あの花だけでもじゅうぶん面妖です。
 種は勾玉か腎臓みたいでじっさい食用になるとの記述もありました。
 セネガルはご存知パリダカールラリーの終点でもあります。起点がパリなのは心底腹立つようなもはやどうでもよいような。



投稿者: 外山時男    日時: 2004年07月29日 00:49 | 固定ページリンク




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