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一考 | オブセッション4

 友が主宰するブログで「民衆が愚かであるかどうか」との遣り取りがあった。私自身、その民衆のひとりとして坐視しえない問題である。ただ、いくら書き綴っても日本という国もしくは日本人という民族に対するオブセッションが強くて深く立ち入ることができない。まるでコブレンツを拠点としたエミグレのような心境である。

 1874年以降の「征韓外交」にはじまって1945年の敗戦まで、日本人はナショナリズムの坩堝に嵌まっていた。そしていま、中国と韓国はそのナショナリズムを初体験しつつある。一方、中国はプラザ合意で生じた日本経済の混乱の前轍を踏むまいと実に慎重な為替管理を行っている。されば、日本が中国に表明すべきなのは、かつてのナショナリズムの管理ミスとそのリスクの高さである。互いがナショナリズムを競い合っては元も子もなくなる。
 英国との関わりを断たなければ、太平洋戦争を回避できたのではなかったか、と私は思っている。振り返るに、現況は米国の核の傘にいればこその繁栄である。わが国が自前の軍隊を持ち、核武装すれば米国との関わりはやがて途絶える。
 朝鮮戦争から数次にわたる中東戦争まで、日本はひとの不幸に付け入って贅沢な暮しを享受してきた。それらは米国から教わり学び取ってきた技法である。昨今、殷賑な「反米右翼」も結構だが、貪ってきた安逸を捨てる覚悟があるのだろうか。ハメルーンの笛吹よろしく、破滅に向かうのであれば、私は躊躇なく賛同する。しかし、それが自滅への戦略でないとするならば、憲法改正にも遊就館のプロパガンダにも苦言を呈したい。
 憲法についても靖国に対しても私なりの意見の用意はある。ただ、それらは掲示板には馴染まない。こう見えても書き込みのアウトラインは管理人と呼吸を合わせるように心掛けている。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月31日 21:53 | 固定ページリンク





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