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石川 潤 | 渡辺一考取扱説明書

 戸田の梅子さんの訪(おとな)いあり。ついてはですぺらに集う酒客への一助として渡辺一考との付き合いの極意(心構え)について些かの注釈を試みられよとの由。常々、あの厚顔無恥でしたり顔の一考氏の化けの皮をはいでやろうと・・・いやいや元薄幸の美少年、福原のアイドル渡辺一考氏のために一肌脱ぐかと、何の責任も(本当はやる気も)なけれどお引き受けした。一考氏の逆鱗にふれぬ(る)ことを願う。
 そもそも渡辺一考とは何か。伝説の流れ編集者? 南柯かぽあんかれーらいす書局の主人? 赤坂のショットバーのハーテンにしてパーテン? 自転車作りのプロ? モツの煮込みから懐石まで何でもござれの料理人? 稀少本とビデオテープの蒐集家? ジャスコで買った2000円の皮ジャンを身に纏いさっそうと走るライダー? 金魚マニア? 喧嘩マニア? 書き込みマニア? ただの変態(これが一番ただしいかも)。まさにヴィアンも真っ青の百面相振りだが、一言で言えば、この人ただのペテン師である。大法螺ふきで無責任、その場限りのやけっぱち、どう転ぶかは気分任せの捨て鉢人生。いやいやこれは誉めすぎ、ただの口先三寸、3センチ5ミリの肉塊ならぬ魂を持つ男なのである。
 一考氏、一度口を開けば他人から聞いた話は自分の体験談となり、数字の二桁三桁の水増しはあたりまえ。トイレの造花はたちまち百宝の花を咲かせ、路地の水溜まりはカスピ海を越えるほどの・・・とまあ、どこまで果てしなく大風呂敷が拡げられていくのかと、側で聞いているだけでクラクラと眩暈がするばかりである。そこの御一考様じゃなかった、御一統様早く目を覚ましなさい。
 さらに詳しく言えば、一考氏、他人なんぞはどうでもよくて自分にまつわる面白話や下ネタをまくし立て、その話に酔いしれているのが楽しくてしょうがない人。ゆめゆめ、一考氏を信じることなかれ、裏切られる事を前提にしなければ、到底付き合うことの出来そうもない浅ましくかつ卑しい人品骨柄の持ち主なのである。さらにさらに言えば誠意、義理、情を三歩、歩いて忘れてしまうのが渡辺一考なのだから。人を貶す時の一考氏の口癖は「ゴミ、塵、あくた」であるが、要するに僕が何を言いたいかと言うと(これも口癖)、倫理観や社会的通念(そんなものがあるとすれば)から見れば、まさに一考氏こそが真性の「ゴミ、塵、あくた」なのである。一考氏は色街が産み落とした宛先のない小包、残飯にして夾雑物、うんこのようなものなのである。
 しかしそれは至極当然のこと。なぜなら一考氏とてわが同朋、地上なんぞは仮の宿でしかないのだ。要するに現実と一考氏を結び付けているもの、それは「書くという行為」に他ならないのである。そう、このデタラメ一考氏、書かれた言葉の世界に対しては自他に関係なく、とても真摯なのである。(三日で消えるようなやつじゃなくて、キラキラしてないと駄目だけどね)その一点がなければ、一考氏の首はとっくの昔に空中の縄の輪を間違いなく通過しているのだ。現実なんてつまらない、あの鈍感な奴の首を目をつぶってチョンと飛ばしている方がよっぽど面白いのではないか・・・。そういえば先日、松山俊太郎も三人殺したって言ってたっけ。ねえ、一考さん堅気の人相手にそんな息巻いてもしょうがないよ。言って解らない奴は目をつぶってチョンでいいじゃないですか。(夷斎曰く、人間の最大の罪は鈍感の罪だからね)
 さっきから僕が何を言いたいかというと、一考氏の話なんかに耳を貸さないで何でもいいからまずは一考氏の書いたものを読んでみなさいということである。「玲瓏たる虚無---ドラコニア紀行」「鏡花本の世界」「黄金のシャワー」もとい「黄金の日々」を。例えば「黄金の日々」311頁と312頁、特に311頁の最後の行から312頁8行目(が、もう抜群)を読め。そこには私の知っている加藤郁乎や種村季弘や・・・切ないまでの(存在を否定した上に屹立する、いまひとつの存在)、スッとした美しい後姿(立ち姿)が見えるではないか。これぞ文学(いい文章、いい俳句は勃起してなきゃ)。もう一度言う、これぞ文学。言葉の織りなす吸引力でどこか見た事もない、行ったこともない所へと誘ってくれる。文体とは精神の運動、即ち思想であり、肉声であり書き手の体臭に他ならない。内容なんて洒落臭いものはそこらに置いといて、そこに香り立つ詩を楽しめばよいではないか。(そう、渡辺一考の長所、それは文章がいい、それだけ)
 要するに僕が何を言いたいかというと、一考氏の書いた文章の中に一考氏を探せばよいのである。スプリングバンクやラガヴーリンのように華麗な文章。こんな紙面上の人格は認めざる(全面的に降参)を得ないのである。そうすればあの酒焼けしたニタニタ顔ではなく、初々しくはにかんだ不良少年、まさに福原のアイドルの顔が見えるはずなのだから。もう一考ちゃんステキ!(分かるひとには三分で見つけられるだろうが、分からない人には一生分からないと思うけどね)。そうでないとカウンターをはさんで目の前にいる一考氏は口先三寸、種村季弘流にいえば「渡辺一考から七、八人の人間がぞろぞろと逃げ出して、ひょっとするといまそこらへんが渡辺一考だらけになってしまうような」とデタラメばかりで溢れて、もうそこには一考氏の実体は存在しないのだから・・・。
 もしや渡辺一考って存在するのに存在しない、えっ、それってビンラディン。いやいや存在しないのに存在している(地上は仮の宿だからね)、えっ、それってもしかしてつちのこ。そう、渡辺一考とは自称するように「つちのこ」である。
 そして頭にかえって渡辺一考と付き合う心構えとは・・・君たち、「つちのこ」相手にどこまで本気になれるかという事だよ。



投稿者: 石川 潤    日時: 2001年11月11日 00:12 | 固定ページリンク





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