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一考 | 橋本真理さん

 相澤啓三さんの高見順賞授賞式で三十年ぶりに橋本真理さんと出遇い、次々回の「たまや」への寄稿をお願いした。
 2004年9月1日に発行された「長帽子」66号へ「花」と題する橋本真理さんの詩が掲げられている。


 ほんのすこし
 土に帰れる場所があったので
 わたしは咲いた

 どこからきたのかは
 きかないでほしい
 硬いねむりがはじけ
 夢は夢のまま
 うらがえってはなびらになった
 その一枚一枚をもとめるので
 ひび割れたコンクリート護岸の隙間から
 空へ
 空へ
 のけぞるように
 わたしは咲いた

 河川敷の空はひろいが
 都会では不幸な人しか空を見ない
 土手を行く乳母車の幌は深く
 若い母親の帽子は
 つばびろに陽射しを防ぐ
 漕艇場では
 長いオールが
 しわばんだ水をかき寄せ
 汗に光るからだが反りかえっても
 若者はうつむいたまま
 斎場の煙が上がり
 喪服の家族がやっと
 この日の青空に気づく
 夜は許されない男女が斜面に座り
 女だけが
 星のない空を見上げる


 ことばは人とひととをつなぐ道具、連結器でつながれることによってひとは抽象でなくなる。
 悲しいのはわたしだけではない、そしてあなただけではない、それが実感できる共同体としての装置が書物でなかったか。
 ひとは運命とどのような約束を交わすのかしら、繰り返される「わたしは咲いた」を読んでわたしはひとひ泣かされた。
 はなしはそれだけである。



投稿者: 一考    日時: 2005年03月21日 03:14 | 固定ページリンク





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