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一考 | 魚卵鳴く

 「古事記」における古代歌謡に現れた叙情的造型様式は「万葉集」で三十一文字となって完成する。そして「王朝貴族の社会になると、詩歌はますます民衆的なエネルギーから遊離していって、洗練された純粋な叙情詩の美学が確立された。それ以来、その特質は、俳句や近代詩に至っても、本質的に変わっていない」とは新倉俊一氏のご意見ですが、言い換えれば、自分で生みだす才能の持ち合わせがなく、転移才能のみがわが邦では発達したということになりましょうか。いずれにせよ、詠歎なんざあ、個人や主観を信じてなきゃあ成り立たないのであって、そこいらに日本文学の限界がありそうです。
 河合凱夫に「蚯蚓鳴く十七音にしたがえば」との句があって、現実に鳴こうが鳴くまいが、鳴いたと思えば鳴いたのであって、「亀鳴く」「蚯蚓鳴く」「山笑ふ」など、世の中には不思議な季語が存在します。

  夜を着きしふるさとは亀鳴けり   成瀬桜桃子

 亀を鳴かせるのは亀鳴屋の特技です。もっとも、勝井さんに言わせると「ならびいて鳴きそうになき亀ばかり(能村登四郎)」だそうで、ないているのは社主ばかりとか。
 櫻井さんご紹介の美の壺の再放送を覧ました。水木しげる描くサラリーマンの顔をさらに長くした龜鳴屋主人勝井隆則さんとの初対面でした。某編集長によると適当に人生の潮風に当たってきた顔だそうで、さすがに編集者はうまく表現すると感心させられました。また、他の人に言わせると屈託のない顔つきだそうです。もっとも、出版人に屈託がないというのは真っ赤な嘘で、私なんざあ、印刷費や製本代の工面でこころが晴れたことなど一度もなかったのですから。

  蚯蚓鳴く六波羅密寺しんのやみ   川端茅舎
  蚯蚓鳴く人の子寝まる草の庵   川端茅舎
  蚯蚓鳴く辺に来て少女賢しや   岸田稚魚

 鳴かないものの声まで聞こえるの意ですが、そこまで我を張るなら、いっそ「和名抄」に倣って「美美須」ではいかがと言いたくなる。
 さて、送られし魚卵漬けに添えられた手紙によれば、川魚料理「かわべ」のご亭主河崎徹さんが久しぶりに句入りの原稿を書かれたとか。綺羅を競うに固執し、理念を顧みなかった平安の王朝貴族への造反か、「人生への適応障害」を疾む河崎さんの句に見得や気取りはない。意気地を張らず体裁をつくろわず、ただゴロンとふて寝する、それこそが民衆的なエネルギーというものではなかったか。河崎さんの句に内在する人生への「害」に身を任せていただきたいと思う。



投稿者: 一考    日時: 2006年11月21日 12:48 | 固定ページリンク





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