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高遠弘美 | 一考さんに再び

すぐにメールの返事をするのを「ピンポンメール」と言ひ、避けるべきものと伺ひ及んでおりますが、一考さんのお言葉に、俳諧風にいへば何かまた「附け」たくなりました。またぞろ下らぬことを記すのをお許しください。
一考さんの言はれること、実は私も感じてをりました。原文で読めばいつそ簡単なのに、あるいは俗語や日常語と地続きといふことが尠くないのに、日本語の訳文だけ妙に威儀を正して裃を着てゐるごときものが貴しとされてゐた時代がたしかにありました。しかし、堀口大学の翻訳は、まさしく一考さんの仰せのとほり、融通無碍で、いつまでも手許において飽きることがありません。先日『月下の一群』の三つの版を揃へたのもさういふ思ひからでした。ただ、不思議なもので、これは私の狭量のせゐでせうが、エッセイであれば、堀口大学より日夏、日夏よりはるかに泣菫の方が飽きが来ません。堀口大学は翻訳とエロチック詩があれば私としては言ふことはありません。括弧をつけて補足しておきますと、泣菫『白羊宮』の「わが故郷は日の光蝉の小河にうはぬるみ」で始まり、「かなたへ君といざかへらまし」のルフランを持つ「望郷の歌」は「朗誦に重きを置いた」ものですが、それにしても舌で転がすだけで何と気持ちのよい詩だらうと思ひます。「ああ大和にしあらましかば、/いま神無月」も同様に心地よい朗誦向きの詩ですね。日本の詩人の話を始めるとそれこそ際限がないので、ここにて筆をとどめますが、もうひとつだけ括弧に入れて附けくはへます。それは浄瑠璃の言葉のみごとさです。といふより、すぐれた大夫の語る義太夫は凡百の詩など吹き飛んでしまふほどこちらの魂に訴へかけてくると申した方がいいでせうか。現今では竹本住大夫師のみ。すでに鬼籍に入られた方では、越路大夫、山城少掾、四世津大夫など。とくに住大夫師と越路大夫(こちらはCD)は聴けば聴くほど、至高の境地にあるやうに私には思はれてなりません。住大夫師が何年後かに引退なさったら、あとに一体誰が続くのか、まつたく見えない現状をまともに考へるのが恐ろしくて、ひたすら住大夫師の公演を追ひかけ、越路大夫さんのCDを聴いてゐるといふのが偽らざるところです。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年05月20日 18:25 | 固定ページリンク





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