ですぺら
ですぺら掲示板1.0
1.0








 【掲示板1.0では、時系列順(旧→新)に記事を表示しています。】
←ひとつ前のページへ

一考 | 泥酔

 昨夜は朝の5時32分まで赤坂でちょっとブルーな苦い酒を呑みました。献杯にお付き合い下さった方に感謝。
 佐々木幹郎さんと相澤啓三さんの詩集をお買いあげ下さった光文社の駒井さん、ありがとうございました。黒田和美さんの歌集「六月挽歌」は間村さんの方から送られるそうです。

 六月のアート・フィルムずたずたに裁断されしままラッシュ・バックせよ

 黒田さんとはついこのあいだお会いしたばかりなのですが、生きることの切なさを痛感させられた歌集です。もっか、彼女の世界へ深くのめり込んでおります。

 お名前は書きませんが、今日、絢子さんの追悼でいらした方に感謝。「ごめんなさいね、なにもできなくて」私からはそのひとことのみ。



投稿者: 一考    日時: 2005年04月28日 00:09 | 固定ページリンク




一考 | ゴッサマー

 櫻井さんにOSXをインストールしていただいたのだが、SCSIをまったく認識しない。SCSIが内蔵されていない機種でインストールするとSCSI関連の機能拡張が入らないとすると、これはコマッタちゃんである。
 拙宅の周辺機器はすべてSCSI、一日かけてOS10.1.5をインストールするはめに陥った。PCカードを外し、CPU、ROMすらも最初のバージョンに差し替えなければならない。そして格闘中に妙なことに気づいた。ATA接続なら8GBの制約があるのだが、SCSI接続なら容量が解放される。20GBへインストールし、ATAに接続し直したところ、問題なく機能する。
 ハードディスクはOSXで初期化してマックのドライバを入れる必要があるのだが、そのままだとファイルが開かれたままになる。再度OS9で初期化しなければならない。どう考えてもゴッサマーは難儀なマックである。
 この三日間、拙宅のパソコンは不通である。明日中にソフトをインストールしようと思っている。



投稿者: 一考    日時: 2005年04月28日 01:48 | 固定ページリンク




まきまき | 佐々木幹郎氏の朗読された詩について


番組の中で、佐々木幹郎さんが朗読された詩は下記のものでした。
(録画をいたしましたので)
ただ、どの詩集に収められているのかは、わかりません。
お役に立てれば良いのですが。

夢から醒めたとき
既に流されていたのだ
うぶすなの上に

母親は両手を伸ばして
一本の木につかまり
笑っていた

アマ 
アンマア

アマという名の海
アマという名の空

アンマア

海と空の交わる白砂の上で
私は叫んだ
海と空をてらす 母のことを

アンマア



投稿者: まきまき    日時: 2005年04月28日 21:49 | 固定ページリンク




一考 | 鴨鍋

 今頃書いても間に合わないのですが、本日の鍋は鴨鍋です。
 拙宅のパソコンがまだ不通のため、連絡が遅くなりました。申し訳ございません。



投稿者: 一考    日時: 2005年04月30日 19:02 | 固定ページリンク




如月 | 日本18世紀学会全国大会

私も参加している日本18世紀学会第27回全国大会(6月11日・12日)のプログラムが明らかになりましたので、ご案内させて頂きます。

全体の概要は、11日自由論題報告5題、12日自由論題報告1題、共通論題報告&討論で、共通論題は「近代都市の胎動」。ちなみに、11日は私も報告させて頂く予定です。

プログラムの詳細は次のとおりです。
【6月11日<土>】
①「18世紀の舞踏資料が語る、宮廷舞踏会の絶対主義的様態」(赤塚健太郎氏)
②「思考において他者の立場をとるーー名誉欲をめぐる初期カント美学の分析」(木村覚氏)
③「筑前唐泊孫太郎ボルネオ漂流記」(岩尾龍太郎氏)
④「マブリの初期政治思想におけるノミナリスムとレアリスムの相剋」(如月)
⑤「デュ・シャトレ夫人と『プリンキピア』をめぐる謎:ジェンダーはいかにしてテクスト解釈に忍び込むのか」(川島慶子氏)
⑥コンサート:ヴァイス「リュート組曲」、バッハ「リュート組曲」(佐藤亜紀子)
【6月12日<日>】
①「ベルナルド・ベロットの景観画再考ーー点景人物の問題を中心に」(金沢文緒氏)
ーー共通論題「近代都市の胎動」(コーディネーターおよび総合司会・佐々木健一氏)ーー
②「マンチェスタ:近世から近代へ」(近藤和彦氏)
③「ルーマニアの古都スチャーヴァ」(三宅理一氏)
④「殖民都市バダフィアの盛衰」(野村 亨氏)
⑤「ヴェルサイユ・北京・江戸」(渡辺浩氏)
⑥討論

メイン会場は日本大学文理学部 百周年会館・国際会議場
私の報告はともかく、非常に多角的な視点からの報告が予定されており、おもしろい大会となるのではないでしょうか。非会員も聴講可能と思いますので(昨年、私は非会員でしたが聴講させていただきました)、聴講希望等、くわしいことは直接日本18世紀学会http://wwwsoc.nii.ac.jp/jsecs/index.htmlにお問い合わせください。
なお、如月報告は6月11日14:40~15:30が予定されており、逸見龍生さん(新潟大学)が司会してくださる予定です。



投稿者: 如月    日時: 2005年05月01日 11:44 | 固定ページリンク




佐々木幹郎 | 『砂から』


「ようこそ後輩」さま、「まきまき」さま。
「課外授業」の番組で朗読した詩の題名は「木」。
詩集『砂から』(書肆山田、2002)に収録されています。



投稿者: 佐々木幹郎    日時: 2005年05月04日 12:40 | 固定ページリンク




佐々木幹郎 | 


詩篇「木」の全文を転記しておきます。

夢から醒めたとき
すでに流されていたのだ
うぶすなの上に
母親は両手を伸ばして
一本の木につかまり
笑っていた
夢から醒めたとき
神の名も呼ばずに
口を開けていたのだ
東の海の大きな桑の木の繁る島で
銅の顔をした九羽の烏たちが
木の枝からわたしを見ていた
アマ アンマア
アマという名の海 アマという名の空
アンマア
海と空のまじわる白砂の上で
わたしは叫んだ
海と空を照らす 母のことを
アンマア
蚕のような目をして
二千年
見えない絹の糸を吐き出しながら
                (詩集『砂から』書肆山田、2002)



投稿者: 佐々木幹郎    日時: 2005年05月05日 11:21 | 固定ページリンク




一考 | ゴッサマー2

 G3のゴッサマーはIBMが開発したパソコンである。従ってウインドウズ同様、8.4GBの制限が設けられている。120GBであっても認識するのだが、システムのインストール時のみ制限がかかるのである。
 そのシステム用に5台の小容量のハードディスクを用意していた。5台共にインストールまでは成功するのだが、2~3回再起動を繰り返すとフリーズを起こす。ノートンによると、
 マスターディレクトリブロックで重度のエラー
 ボリュームヘッダーブロックで重度のエラー  
 アロケーションファイルで重度のエラー
 ラッパーのカタログBツリーのリーフノードで重度のエラー
 ラッパーのカタログBツリーのインデックスレコードで重度のエラー
となる。B'sCrewでイニシャライズからフォーマッタまで試みても結果は同じ。フォーマッタの後はノートンでは不良セクタなしになるのだが、ファイルをコピーするとファイルのリソースが壊れてしまう。
 拙宅のパソコンは4月26日から不通のままである。8.4GBのハードディスクを買えば解決するのだが、気が乗らない。5台のハードディスクがすべて損壊するとは、今年もつきに見離されたようである。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月06日 18:56 | 固定ページリンク




櫻井清彦 | 出張パソコン修理屋です


出張パソコンサポート屋の管理人です。
5台のハードディスクはファイルシステムは壊れていますが、物理的に損傷しているのではないと
推測します。また使える可能性大。
PowerMac G3 DT/MTのハードディスク交換/増設時にはいろいろ障害が発生するようです。
ひとつのATAバスにマスター/スレーヴで2台のディスクを繋ぐことは推奨されていないようです。
(ATA66の場合)。
Gossamerには8.4GBの制限があるので、細かくパーティションを切ってだましだまし使うしかないとおもいます
(これでもディスククラッシュが報告されています)。

OS 9専用マシンにしたほうが安定するんですけどね。

情報源

http://platinum-mac.com/_old/topics/gossamer/gossamer_t.html

http://www.geocities.jp/nekono_ko/more.html

http://www.geocities.jp/a094497502/mac.html

http://www.ann.hi-ho.ne.jp/kamiru/library/1999/990520_ibmhdd.html



投稿者: 櫻井清彦    日時: 2005年05月07日 14:38 | 固定ページリンク




一考 | 点・点・点

 拠ない事情によって、この連休はどこへも行かれなかった。せめてひとりで西伊豆へキャンプに行こうと思い立ち、二年ほど乗っていない小型のバイクを引っ張り出した。始動に成功したので一万円をはたいてバッテリーを購入したものの、まったく走らない。予測通り、キャブが詰っている。ひょっとすればチャンパーも詰っているかも。修理する気にもならず、ふて寝の繰り返し、この五十八年間で最悪の大型連休と覚悟した。
 四日夕、宇野さんから電話、東十条から新宿へと飲み流れた。なべさんではマクレランズが用意されていた。宇野さん、會利さん、菜穂ちゃんと呑むアイラモルトは美味い。連休が最悪から救われた一夜、感謝を込めて八つ当たり気味に宇野さんに喰ってかかる。
 ジュマンフーヴィスムへの信仰告白を過日書いたが、人生にとりとめなんぞあってたまるかと思っている。それでなくても、わが範は辻潤にある。私は野村隈伴について、菜穂ちゃんは和田久太郎について語りはじめる。ゴールデン街の夜はアナーキーでなければならない。
 ますます息苦しく、生きにくくするのが生来の性癖のようなものである。世間をどこまで狭めて生きて行けるのか、馬鹿な実験を常に現場に持ち込んでいる。来年の連休までキャンプは控えようかとも思っている。
 世間を狭めるとは自らを狭めることに他ならない。例えば食事に関して気に入らないことがあって、私は一日一食のり弁当を三年間つづけた。のり弁当が好きなのではなく、なにを食するかを考えるのが嫌なのである。要するに煩わされるのが真平御免なのである。
 會利さんが宇野さんを指して「点・点・点のひと」と云うが、言い得て妙、すぐれた疑問詞だと思う。それにあやかるなら私も「点・点・点」に浸りたいのである。自己であろうが他者であろうが、統一的理解とか統一的解釈とか云う実証の類いに嘔吐が出る。第一に、自己と他者とのあいだのどこに垣根があると云うのか。他者の言動によって自らが搖れ、己の言動によってひとは迷う、存在はその大略が暫定的なものである。書物という名の大きな謎、そして聳える他者。書物という名の他者は同化と解体の繰り返しを私に命じた。
 答えはどこにもない、だからこそひとは彷徨う。そして徘徊のひとつに物思いがある。振動や振幅への欲求は私の身体に深く刻まれている。物思いに浸るのに相応しく思うのが海辺である。だから私は海辺のキャンプ場を好む。物思いが、妄想であろうが気晴らしであろうが気分転換であろうが委細かまわない。要は情念のいささかの解放であるはずなのだから。それ故、キャンプ場の周辺に温泉があろうがなかろうが、バーベキューの具材が肉であろうが海産物であろうが、そのような添え物に私は興味がない。例えモヤシだけであっても結構、私は「点・点・点」を求めて西へ東へ遁走するのである。
 年に一度の機会に活用できないようでは道具でない。単なるコレクションに興味は抱かれない。キャンプ道具はこのまま封印するか売り払うのが賢明かと思う。キャンプであろうが食い物であろうが女であろうが友であろうが、それを求めて煩わされるのであれば、なにもいらない、なにもしない。その覚悟がなくて世間を狭めるのは世迷いごとにしかならない。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月07日 18:44 | 固定ページリンク




一考 | 無事インストール

 櫻井清彦さんへ
 ご教示に感謝。さっそくATAケーブルを取り換えました。3台のうち2台(FujitsuとQuantum)は蘇り、OS 9.2.2で無事に起動しました。1台(Quantum)はどうやら物理的損傷のようです。あとの2台(SamsungとWD caviar)は明日にでもインストールを試みます。
 やはり安物のスマートケーブルを用いたのがわざわいのもと、ATA66規格のフラットケーブルに取り換える必要に迫られました。
 確かに推奨はされていませんが、ROMはRev. AからRev. Cへ差し替えています。システムプロフィール上で、ROM Revisionが「$77D.45F2」と表示される分です。従ってマスター/スレーヴは問題ないと思うのですが。それとG3 DTはATA33の半分のスピードだったと思います。ただ、速度の異なるデバイスを同じバスに接続している点は気になっています。

 ご指摘のようにOS 9専用マシンにしたほうが安定しますね。仕事で使うのですから、OS Xは潔く諦めるべきなのでしょう。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月07日 19:50 | 固定ページリンク




一考 | 無事終了

 櫻井さんへ
 あとの2台(SamsungとWD caviar)のうち1台は損壊、それとは別に家と店のあいだを持ち歩いていた2台の2.5インチ(Fujitsu)もあえなくご臨終。ハードディスクはよく壊れるものですね。でも、これでシステムのスペアができたので一安心です。本日の夕刻、片肺飛行から解放されました。
 明日、CPU、ジャンパピン、ROM、メモリ、PCカードを差し替えればお仕舞い、長いトラブルでした。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月09日 23:03 | 固定ページリンク




一考 | 蘭越のアイスクリーム

 沖山さんへ
 今回は福井の合宿へ行かなかったので、函館からの海の幸は無事に入手、ありがとうございました。一部は薫子さんの知らない食べ方、ウニは焼いて、ホッキガイは吸い物で馳走になりました。埼玉で活けウニが食べられるとは驚きでした。「ただし道東産」と書かれてましたが、それは仕方がありません。積丹のウニが食べられるのは7月1日からの1カ月間だけです。
 それにしても、7日間にて70湯とは頑張りましたね、と云うよりは気違い沙汰です。稚内-日高ラインより東の方が見るべきところ入るべきところは多くなります。夏以降の連休にはタウシュベツめがね橋で有名な糠平湖をコースに入れてください。洞窟温泉は必見、URLを入れておきます。もっとも夏場はめがね橋は水面下に隠れてしまいますが。

 http://www.asahi-net.or.jp/~re4m-idgc/SANKOSOU.htm

 今回は「北海道一美味いアイスクリーム」のあと、ニセコから岩内へ下りられたと思いますが、なべさんの菜穂ちゃんは岩内のひと。この連休のあいだ、お姉さんと共に五色、薬師、昆布、湯本、雷電、いわない、朝日、新見、盃、神恵内などの温泉のはなしを肴に酒を呑みました。その頃、貴方はいずれかの温泉に浸かっていたわけです。チセヌプリから岩内へ駆け下りるニセカンバの林はいかがでした、私が好きなロケーションのひとつです。貴方がおっしゃる「でっかいどう」、私のスタートは積丹半島からはじまったのです。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月09日 23:06 | 固定ページリンク




沖山 | 湯あたりツアー

一孝様。
こちらこそ処女地北海道への幾多の実感秘蔵情報、ご教授ありがとうございました。積丹の雲丹/東北海道は次回・海の日連休(予)以降の課題と思っております。
 今回、旅行というよりは温泉修行といった趣の旅でございました。世には3,000湯・4,000湯と湯渡り人生を重ねる方もおり、私も温泉マニア界では末席程度ですが。ちなみに菜穂さん(ご面識はありませんが)の挙げられた温泉10湯のうち雪で通行止の新見以外の9湯に浸かりました。しかもどれも疲れたはしご湯客にとっても印象深い・渋い湯ばかり。数例挙げて、現地メモをご紹介いたしますと…

○雷電温泉/石膏泉。1,650mg/kg,PH不明(たぶん中性),温度53.3℃。つぶれたかとおぼしき旧式ホテルにある隠された秘湯。大海原を眺める浴場にはやわらかな石膏泉。舌にも石膏泉の独特の感触・清涼さを感じる。福島・甲子温泉と完全に同系統。ぬるめの湯にいつまでも入っていたくなる。すばらしい!(8.5+/10)

○朝日温泉/硫黄・石膏泉(たぶんね)。成分表ナシ。4WDとはいえ、リッターカーで雪の残る険しい山道をはるばる越えていったら、ほぼ廃業状態の宿!失意の私に、道路工事中の地元おじさんが教えてくれた「露天」。雪の上を素足で歩き、こわれそうな橋を渡り、ようやく川沿いに残る”なんとか入れる浴槽に到達・そこが湯口。強い硫黄臭。沈殿物は硫黄(白緑)と朽ちかけの木の葉。浮く葉をかきわけ入ったこの経験はインパクト強すぎ。湯もいいよ、これ。(9+α/10)

○ニセコ薬師温泉/含炭酸弱食塩泉。PH5.9/成分2159mg/kg。足元湧出のすばらしい温泉。濁り湯と透明湯あり。どちらも足元源泉。大塩温泉と同系統のサイダー的泡立ちと浴感。ぬるま湯の絶妙さとあいまって、おもわず意識が遠くなる。長湯を楽しみながら、体もぽかぽか。まったくすばらしい(9/10)

 こう考えると温泉の楽しみはモルトの楽しみとも似て、キリのない多様性と見果てぬ未知の湯(体験)への憧憬こそが、湯(盃)を重ねる原動力となります。とはいえ、ほとんどが一期一会。再訪したくなるほど惚れる湯は少なく、だからこそ、そのような肝胆相照らす湯(?)に逢えたときの悦びは格別です。あと数回訪れなければ北海道とその湯の地平線は見えてこないように思っています。



投稿者: 沖山    日時: 2005年05月10日 19:02 | 固定ページリンク




一考 | ホテル地の果

 沖山さんへ
 文中「積丹の雲丹」とございますので一言。余市から積丹半島の北側を西進するとして、古平を抜け、美国の町へ入る手前左側に美国小泊野営場があります。そのキャンプ場には食堂が併設され、ウニ丼や海産物のバーベキューが売り、地元のひとしか行かないのですが、2000円のウニ丼は美味。美国小泊野営場を通り越して300メートルで美国川、川を渡ったすぐ右側に魚屋があるのですが、積丹の生ウニを買うならここが一番。
 さらに進み、積丹岬と神威岬のあいだにある武威岬のすぐ横の来岸へ行ってください。目的は来岸港の前にあるなぎさ食堂です。ライダー御用達の食堂で、メニューはウニ丼のみ、普通盛が2000円、大盛が3000円、飯の量は同じでウニの量が異なります。半端な量ではありません、きっと驚きますよ。飯の温かさであっという間にウニは溶けて行きます。なりふり構わずがっついてください。当然、生ウニですから営業は6月下旬から8月上旬まで、他は閉店しています。ちなみに、美国小泊野営場のウニ丼も同じ季節だけの限定メニューです。
 さらに進むと、貴方が今回行かれた神威岬の根元、神崎の食堂みさきが右側に現れます。次回はそれを通り過ぎてください。

 一気に東の端へ飛びます。知床横断道路から知床五湖へ入っていくと、途中で右へ下る細い道があります。ホテル地の果と書かれた小さな看板が出ています。下りたところがイワウベツ川、道のどんつきが岩尾別温泉。URLは以下のごとし。

 http://www6.ocn.ne.jp/~iwaobetu/

 ホテルの前に三段の湯と滝見の湯があります。共に無料で混浴。羅臼の熊の湯と共に、どうあっても行っていただきたい温泉です。

 http://www.aurens.or.jp/hp/theRAUSU/h33.html
 http://www.aurens.or.jp/hp/theRAUSU/kumanoyu.html

 熊の湯は現在、存亡の危機を迎えています。上記URLもご覧ください。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月11日 01:07 | 固定ページリンク




薫子 | お知らせ

 白鳥友彦さんが雑誌を作られました。その名も「L'EVOCATION」(Eの上にアクサン-テギュ)。15日に完成とか。発行元は森開社、白鳥友彦さん、白鳥環さんが詩(創作)を、土谷裕之さんがプチロマン派の作家の短編翻訳、小野夕馥さんが訳詩を寄せられています。定価600円。ですぺらに常備いたします。
 また、5月19日(木)、午後7時より10時まで、ですぺらにて創刊を祝う会を催されます。どなた様でも参加歓迎です。会費は4000円。メール、電話にてお知らせ願えれば幸甚です。



投稿者: 薫子    日時: 2005年05月11日 04:38 | 固定ページリンク




一考 | 小さな旅

 21・22日の両日、小さな旅へ出かける。目的は海辺で酔いつぶれること。目的が目的だけに、誰と出かけるか、すこし迷った。相方を決めようと思って昨日、相談方々無沙汰見舞を兼ねて新宿へおもむいた。私が酔いつぶれても、料理や後かたづけをとどこおりなく進行させてくださるひと、勝手を許し、かつ無益なおしゃべりに興じてくださるひと、となれば同業者しかいない。いつもの仲間が店を閉めていきたいと、ひとことではなしはまとまった。沖山さんの湯あたりツアーの影響か、今回は西伊豆に決まった。
 駿河湾と相模湾では魚の味が違う、磯魚を食べるなら駿河湾に限ると、種村さんからよく聞かされた。熱海から熱函道路を抜けると沼津、そこには魚市場とひもの市場があり、今回は魚市場に寄ろうと思う、あとはキャンプ場を探しながら17号線を下るだけ。
 21日の土曜日、私は不在だが、ですぺらの営業は薫子さんが受け持つ。どうかよろしくお願いします。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月18日 00:48 | 固定ページリンク




一考 | ギヨタ来日

フランスの作家ピエール・ギヨタ(「500万人の兵士の墓」「エデン エデン エデン」など)が来日し、鵜飼哲さん、宇野邦一さんを交えてシンポジウムを催します。
日時 5月25日(水)午後6時 
場所 青山学院大学(青山キャンパス)正門すぐ横 総研ビル12階 大会議室
参加無料 通訳あり

興味ある方はぜひご参加ください。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月18日 22:53 | 固定ページリンク




一考 | 「夢と真実」について

 小野塚力さんから「〈視〉への執着」と題する富ノ澤麟太郎論が送られてきた。四十四枚の労作であり、彼によれば二年のあいだ書き継いできたという。
 着想が結構、論点も整理されていて起承転結がきわやかに著されている。ただし、富ノ澤麟太郎に対する中井繁一の交誼を結句に持ってきたところにいささかの難点がある。これでは文学ではなく、書誌学的趣が強くなってしまう。
 ひとには死が宿命づけられている。従って、人生は一種のカウントダウン、それがメトロノームであれ振り子であれ時計のセコンドであれ、それらが刻む音を翻訳する、その自傷行為のみが文学ではなかったか。
 「彼は恍惚として、セコンドの刻み、靴音、ノツク、雫、月光の波、星の閃き、見えないものの足どりに聞き耽つた」富ノ澤のなかで高まる〈死〉への予感を力さんは全身で受け止めようとする。だからこそ、結句を伏線へ持ってゆき、富ノ澤の文学そのもの、あえぎをうめきを呻吟を主題にしていただきたい。もう半年間、富ノ澤のために時間を費やしていただきたい。間違いなく力さんの搏動に色彩られた傑作が誕生する。
 最近では文芸書すらが立派な実用書に化けたという。文芸書は知識を振り回し、薀蓄を傾け合うための道具に過ぎない。書物から得た知識がひととの回路の接続端子になり、知識は永久に知識の世界に封じ込められる。クイズ番組の達人のようなひとが跳梁跋扈し、考える能力は打ち捨てられて久しい。かような浅薄な時代にあって、力さんのエッセイは清しい。これから立場は顛倒する。力さんの語る文学とはなにか、それを私が学ばねばならない。なにはともあれ、新たな友を得たことを喜びたい。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月21日 00:36 | 固定ページリンク




りき | ありがとうございます。

>一考さま
掲示板ではご無沙汰しております。
拙い文章ですが、なにか一考さんを動かすものがあったのかと
思うと素直にうれしいです。

書き直しは地道にやります。

ありがとうございました。

とりいそぎ、お礼まで。



投稿者: りき    日時: 2005年05月21日 08:59 | 固定ページリンク




一考 | ですぺらの営業

 21日の土曜日は忙しかったようで、感謝しております。

 西伊豆で同業の仲間たちと話し合い、今後のですぺらの営業方針を一部変更します。
 6月1日以降、6時から12時までは今までどおり薫子さんが店を続けます、謂わば第一部。そして第二部は12時から朝の5時までを一考が営業します。第二部は店指定の酒(ワイン、ブレンド・ウィスキー、ビール、焼酎など)を飲み放題、税込み2500円にします。私たちの通勤を電車にする方策の一ですので、その間の時間制限は設けません。ただし、混み入った時にはご協力をお願いします。
 モルト・ウィスキーは半分以下の300種類まで暫時減らしていきます。5年も同じことを繰り返してきますといささか飽きてきます。飽きは疲れに直結します。そろそろ次の展開を考えなければならないのです。最終的には赤坂を退去し、新宿へ引っ越そうかと思っています。酒の種類を減らすのはそのための準備です。
 思うに、文学がキャラの店は5坪が限界、またモルト・ウィスキーのお客様と文学関係のお客様とがバッティングするのも事実です。二部構成にするのはそのための緊急避難的な対策です。
 第一部はもうひとり、女性に手伝っていただこうと思っています。第二部は私が前面に出ます、酒も飲みます、毒舌も吐きます。とは申せ、同じメンバーですから杓子定規なことはなし、深夜以降モルト・ウィスキーを飲まれたい方はおっしゃっていただければ別会計に致します。
 以上、勝手な変更で申し訳ないのですが、どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月23日 19:45 | 固定ページリンク




りき | 恐縮ではありますが、質問があります。

こんばんは。
ですぺらの営業方針変更の件で質問があります。

おつまみおよび軽食のメニューには、第一部と第二部とでは
どのような変更があるのでしょうか?

詳細が判明している範囲でご教授いただけると幸いです。

追伸
私、ですぺらのお好み焼きが大好物です。



投稿者: りき    日時: 2005年05月23日 21:10 | 固定ページリンク




薫子 | 考え中

りきさま
 当分、独りでやることになるので、フードのメニューは絞らざるを得ません。ただいま検討中です。お好み焼きの作り方、伝授いたしますよ。



投稿者: 薫子    日時: 2005年05月26日 09:30 | 固定ページリンク




一考 | 出版再開

 りきさんへ
 急にはなにも変わりません。赤坂の店はそのままにして、将来、私だけが新宿の五坪の店へ引っ越すことになります。それまでの過度的措置と考えてください。女性に手伝っていただくとしても、現況では時給は千円しかお支払いできませんし、見込みも目当てもなにもないのです。搾取するつもりはなく、売り上げが増えればいくらでもお支払いできるのですが。
 それと、南柯書局の再開一冊目の限定本を来年には造らないといけません。そのためにはこの夏から制作に入らねばなりません。また念願の同人誌「塵芥」も年末の発刊をめざしています。そうしたことを手伝ってくださる方がかつては複数いらしたのですが、今は誰もいないのです。ひとりで処理しないといけないので、店の仕事は深夜に回したいのです。
 それやこれやで、取り敢えず営業時間が長くなるだけで、年内は内実は変わりません。一部二部通して私は店にいると思います。ただ、出歩くのが増えると思いますので、いらっしゃる時は連絡をくださいな。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月26日 20:05 | 固定ページリンク




りき | ありがとうございます

>一考さん、薫子さん
丁寧なご回答をありがとうございます。
あまり頻繁にはうかがえませんが、お店にいくときには
事前に連絡をしますね。



投稿者: りき    日時: 2005年05月26日 21:41 | 固定ページリンク




一考 | 売春という黒い穴

 このところ、松岡さんの歌集「青空」の出版記念会とピエール・ギヨタのシンポジウムが続きました。出版記念会のあとは佐々木幹郎さんと酒を酌み交わし、高橋睦郎さんの初期三冊の詩が英訳され、欧米の同性愛者のあいだで熱狂的な支持を得てると聴かされ、うれしく思いました。
 先月、ドウォーキンが亡くなりました。男性と女性の関係はすべて性関係であり、その性関係はすべて性差別である、との信念に則って、彼女の「強姦一元論」(すべての性行為は強姦である)は展開されました。吉澤夏子さんはドウォーキンの信念を「極端にいえば、誰かを女だと見なした瞬間、それはすでに相手に合意のない性関係を強いていることになり、それこそが性差別だ」と著し、「ドウォーキンを読むことの醍醐味は、この鮮やかな世界観の反転を体験・感受するということのうちにある」と結論する。ドウォーキンが引き継いだ「性と政治」の論理はSMの世界や同性愛の世界にもそのまま通じます。彼等、彼女たちはマイノリティであるが故に、日々、否応もなくポリティカルな場に裸で抛り出されているのです。
 イギリスで客死したシモーヌ・ヴェーユはホメロスの叙事詩を「敵に対する侮蔑の不在」と論じた、否、論じざるを得なかった。それほどまでに、第1次世界大戦以降の争いは汚濁に満ちたものになりました。ジュネやギヨタが、人身売買、売春、奴隷といった戦争と性の関係を執拗に書き綴ったのも、「性と政治」の問題、売春という黒い穴をいまいちど穿ち直そうとしたのでなかったかと思うのです。
 家庭と娼窟と戦場では強姦と奴隷性が合法的に演じられ行使されます。その偽善と暴力を問い、個人のなかに潜む政治性を告発しつづけるギヨタの文学は人間性に対する根元的な侵犯行為そのものではなかったかと思います。人間の身体は人間の欲望によって使用されます。謂わば人間の身体は生きた貨幣のようなものなのです。それを諾わなければ、性愛の可能性について思惟することはできないのです。
 美しい言語を巧みに操るところに文学があるのではなく、「文学とのかかわり方を根底から検証しなおすことを余儀なくさせる」もしくは「50万人の兵士の墓」を読んだあとではもはや同じ人間ではありえない等々、今回のシンポジウムはいろんな刺戟をもたらしました。機会を与えてくださった鵜飼さん、宇野さん、そしてギヨタ氏に感謝。

 当掲示板で「50万人」を「500万人」と誤記したらしく、見てきたような嘘を書くのが文学ならいっそ「5000万人」の方がよかったのでは、それでは全国民になります、いや滅びた方がよかったのではと、大笑いになりました。もっともギヨタの文学とは関係なく、さような瑣末なことをあげつらうような貧乏性のひとはいまいと思います。
 ギヨタの文学はマルクスの量と質の弁証法とベンヤミンの「単なる性」を大向こうから文学に持ち込んだのですが、ルリイのサドに関するエッセイから大きな影響を受けたと聴きました。ドゥルーズがマゾッホの影響下にあるのと併せて、ますます興味を抱きました。ドウォーキンが「強姦一元論」で定義づけた絶望の果てにやってくる価値観や世界観の顛倒に一縷の望みを託したように、「50万人の兵士の墓」の第七章はあまりにも美しい。第七章に顕れた動物の概念をこれから読み解かなければならないのです。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月27日 19:43 | 固定ページリンク




一考 | 予行演習

 ですぺらの旧営業方針は昨日で終了しました、どうもありがとうございました。りきさんのせいなのでしょうか、この一週間はお好み焼きのオンパレード、最後の三日はオムライス、オムそば、カツサンドがよく出ました。今日からそれらはメニューから消えます。薫子さんは明日は肉じゃがを作ると張り切っております、家庭の味の押し売りに方向転換するようです。
 私は今日から十一時過ぎに店に出ます。来年秋に出店する新宿店の予行演習です。新宿での営業時間はさらにずれ込みますが、赤坂は取敢えず朝の五時まで、どうかよろしくお願いします。



投稿者: 一考    日時: 2005年06月01日 15:36 | 固定ページリンク




一考 | 恋愛と読書

 「自分探し」とか「アイデンティティ」といった種類の言葉を聞かされるたびに思うのだが、それを発したひとは自分が日本人であることをどう理解しているのだろうか。私はこの日本という「辺地にある粟粒を散らしたように小さな国」に生れ、日本語を解し、日本語でものを考え、宛てがい扶持の生活様式にどっぷり浸っている。
 「この島国の子供騙しの迷信と、底の見え透いた偽善の中に握りつぶされたような長い一生を送るよりは、寧ろ露西亜のような露骨な圧制国に生れて、一思いに警吏に叩き殺される方が増しだ」とアナーキーなことを著したのは啄木だが、北海道ウタリ協会がとりまとめた陳述書の主旨から大きく変節したアイヌ文化法ができて北海道旧土人保護法が廃止されたのは1997年、「日本は単一民族国家」との迷信のただ中にいまなお私たちは生きている。
 そして私の生活の骨格をなす母国の文化が好きかと問われれば、大いなる疑問を抱く、疑問どころか、はっきりいって鼻持ちならないのである。私にとって目の前にごろんと転がるアイデンティティはそこから遁走すべき性質のものなのであって、決して索し求めるものではない。この「アイデンティティ」を「意識」に置き換えても要諦は同じである。

 精神は運動であり、運動はエネルギーである。だからこそ、精神は常に揺れ動いていなければならない。その搖れや振れを求めて、ひとはさまざまな変化や差異に身を委ねる。言い換えれば、自らの連続性、統一性、不変性、独自性に抗して思索の領域に深く沈潜するのである。もっとも、アイデンティティといっても千差万別である。一部の人格障害、意識障害の治療に人格における同一性の再認が有効な時もある。ただし、千差万別とはいっても、一般論を展開する気はさらさらない。第一に私の意見は常にエトセトラ、初手から一般論にはなりえないのである。知識を振りかざせば骨太になり、肉厚も増す。しかし、そのような塩梅になんら興味はない。どちらかといえば、神経症のひと、譫妄のような意識変容のひと、謂わば置換不能ないびつなものこそが私の偏愛の対象になる。なにかを是正しようとか、訂そうとか、癒そうとか、救おうとかいったよこしまな考えを私は持たない。あるがまま、置換不能な個のなかでの振れ、蠢きのようなものにいたく惹かれるのである。
 私は恋愛は妄想のようなものと思っている。従って、妄想ごっこができるひとが恋人なのである。いっそ、妄想が恋人といった方が早いのかもしれないが、やはり妄想の震源地が必要になってくる。現実の性交渉も書きあらわせば抽象性を帯びる。書くことによって性が即物的な性でなくなってしまうのである。自然界では独立した生活を営むが生殖能力をもたない動物、すなわち幼生が成体、あるいは次の段階の幼生へと変化する際に変態がおこる。同様に、SMの世界ではひとが人形に、オブジェに、いとも簡単に変身する。それを「さまざまな変化や差異」といってもよいのだが、要はメタモルフォーシスという自然界の法則を空想の世界で一挙に実現させることにおいて、SMと文学は似た力を持っているといえようか。その力を空想と呼ぼうが妄想と呼ぼうが、それはひとの勝手である。

 日常であれ精神であれ、生活を意識できても、イマジネーションを意識するのは難儀である。なぜなら、イマジネーションの世界では意識されるものと意識されないものとの識閾が意味をなさなくなるからである。例えば一部の文学の世界では意識されるものと意識されないもの、さらには意識するものすらが一種の入れ子構造に陥る。ギヨタやジュネの文学がそうだし、私などは種村季弘さんから言われつづけた「躄になれよ」との言葉を思い出す。この場合の躄は生活への未練を断ち切れとの勧告であって、ものを書くとは躄になることとの注意を喚起させるための愛情の発露であったと解釈している。
 「一種の入れ子構造に陥る」と書いたが、それを個の喪失といえなくもない。意識するもの、意識されるもの、意識されないもの、それらの側面に個がい、またある側面には個がいない。要は実体と思しきものがどこにもないようであり、あるようでない。
 「書物を繙くとは読み解くことである」と先だって書いた。読み解くためには書き手の思索の淵に立ち入らねばならない。立ち入るためには自己解体の止むなきに到る。この解体は読書にあっては必定である、なぜなら、みずからの信念や好悪で判断すれば、それはどこまで掘り下げても誤読にしかならない。書き手と読み手が入れ子構造になることによって、はじめて読書は環を閉じる。この辺りの消息は恋愛と同じである。さらにいえば、入れ子のなかから思いもかけぬ、新しい人格が、意識が派生することもある。この同化と解体の繰り返し、謂わば個の喪失が読書だと私は思っている。それ故、みずからの信念や信条を託すための引用は著者に対する最大の冒涜ではないだろうか。掲示板では書かなかったが、佐々木幹郎さんが「木」の全文を転記してくださったことに私は感謝している。読書とはなにか、文学とはなにか、という大事を幹郎さんはからだで示唆したのである。小説であれ、詩歌であれ、作品を引用するなら著者の許可を得て全文引用すべきであろう。



投稿者: 一考    日時: 2005年06月02日 03:48 | 固定ページリンク




薫子 | 本日は

 日替わりフードメニューとして、今日は一考風汁だく肉じゃがを予定しております。11時ごろまではひとりで営業ということになりますので、しばらくは不手際などあるやもしれませんが、ご容赦願います。でもうるさいオヤジがいないので、いい雰囲気、かも。いない人の噂話をするのが「ですぺら」の掟? 
 どうぞよろしくお願いします。



投稿者: 薫子    日時: 2005年06月02日 15:22 | 固定ページリンク




薫子 | 試食を

 日曜日の午後、料理上手のM子さんから水餃子とキッシュ・ロレーヌの作り方を教わってきました。粉まみれになりながら、気分は餃子職人。いびつな皮にMちゃんが器用に餡を包んでくれました。店に持っていきますので、勇気ある方に試食をお願いいたします。合格点を頂ければメニューに加えたいと思っております。どうぞよろしく。
 二人で試食したところ、とってもおいしかったです。Mちゃん、どうもありがとう!



投稿者: 薫子    日時: 2005年06月06日 01:04 | 固定ページリンク




→ひとつ後のページへ
←ひとつ前のページへ
 
ですぺら
トップへ
掲示板1.0
トップへ
掲示板2.0
トップへ
一ッ前< ||現在 頁 |旧← 35  36  37  38  39  40  41  42  43  44 ・ 45 ・ 46  47  48  49  50  51  52  53  54  55 一括!|| >一ッ後


メール窓口
トップページへ戻る