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一考 | 大脳の白蒸し

 MRIの断層写真だが、大脳と頭蓋骨のあいだと左脳と右脳とのあいだの前方に白い部分がある。これは大脳の萎縮によって生じた空白部であって、私の大脳は年齢相応の萎縮だそうである。ひとの身体は十四、五歳でピークを迎え、あとは老いさらばえてゆく、大脳の盛りは二十四歳(二十二歳との意見もある)で、あとは死に向かって萎縮が進行してゆく。医学上はそういうことになっている。
 昨日、佐々木幹郎さんとはなしていて、私の脳髄には老化や萎縮はまったく見られないと告げられた。脳外科の医者に訊ねたところ、たまにはそう思い込んでいるひともいる、老化は個人差があって迂闊な発言はできないが、萎縮が顕著に確認できないひとが一千万人にひとりぐらいいるとの話を聞いたことがある、と聴かされた。
 幹郎さんが一千万人にひとりの存在だったら、私は彼の前に跪かなければならない、なにしろ、全国でも十二人しかいない珍種、貴種である。コウノトリか幹郎かといった存在である。昨夜は嫉妬と羨望にせめ苛なまれて熟睡できなかった。

 下腹部の老化と萎縮には自信がある。ここで自信などという言葉を用いれば高遠さんから叱られる。ただ、漱石ではあるまいし、自分の才能や価値を信ずることが必ずしも肯定的でなければならないとは思わない。否定的な自信があってもよさそうなものである。下腹部がものの役に立たないことに自信を持っているのであって、悔しかったらかかってこいと世の女房共に言っておきたい。下腹部の任務や義務は他にもあるのである。
 しかし、脳、それも大脳とくれば、負けてはいられない。しかし、負けている、しかし、負けたくないとの堂々巡りが空が白むまで続けられた。これでは大脳の白蒸しである。
 しばらくは口もききたくないなと思い詰めていたのだが、ふと彼の「オポッサムと豆」を想い起こした。

 頭蓋骨の中で からからと鳴るのは豆粒
 オポッサムは二十五個 スカンクは三十五個
 アライグマは百五個 アカギツネは百九十八個
 コヨーテは三百二十五個 オオカミは四百三十八個

 北アメリカの雪の原野で
 シートンは言う
 アカギツネは救いがたい

 ・・・

 かまどの横で寝続ける十頭
 頭蓋骨の大きさに何の意味がある
 豆が何個入るかなんて

 詩の中にred fox(私のニックネーム)がちゃんと入っているではないか。「小さな豆が百九十八個しか入らない頭蓋骨なんて 何を考えているのか」幹郎さんはそこまでお見通しだった。げに詩人は怖ろしいもの恐いものである。
 詩人をぎゃふんと言わせるには百九十九個目の豆を購入しなければならない。帰りに川越街道の乾物屋に立ち寄らねばならない。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月19日 21:01 | 固定ページリンク





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