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当掲示板の暫定管理人こと櫻井清彦です。
それでは掲示板をオープンいたしましょう。
ですぺらのマスター渡邊さんからお酒や書物などの情報、パーティ企画の告知などがあるでしょう。
掲示板が活発になればいいですね。
ところでお店では今のところパソコンがインターネットに繋がっていないので、推測ですが、
マスターの書き込みは営業時間外になると思われます。
緊急の連絡は電話などを使って下さいね。
加藤郁乎さんの交遊録「新版・後方見聞録」が学研文庫より上梓されました。登場人物は多士済々。当代のル・サンチマンな人々、トンガッてる人々のオンパレード。こしゃこしゃした大衆文芸が跳梁跋扈する世にあって、昨今とんと見掛けられなくなった魂の呻吟、人々の慟哭と搏動を目の当たりに窺うことが出来る名著です。
有り余る知性と含羞い、言い換えればシャイでイナセな加藤郁乎さんと同書の編輯を担当された増田秀光さんを囲む会を催します。題して「イクヤーノフの遊雅なる花園」。会場が食虫植物や毒花の乱舞になるは必定。日時は10月20日土曜日、午後7時より12時まで。会費は4000円。会場にて署名本を謹呈。多くの御参加を願い上げます。
ですぺら 渡邉一考
東京都港区赤坂3丁目18の10 サンエム赤坂ビル3階
電話03-3584-4566
どうも先頭の部分が文字化けしていたようです。すいません。文面は下記の通り。
人を酔わせるほどに魅了する、堅牢美麗なる書物。そんな文学書ばかりを限定版にて上梓していた
書肆、南柯書局の渡邊一考氏といえば、美術品のごとき本造りを続けてきた人物として愛書家には
つとに知られる。その一考氏がバーを開いた。むろん、酒へのこだわり方も尋常ではない。
500種を超えるシングル・モルトをはじめ、厳選された逸品壁面にずらり。重厚な大谷石のカウ
ンターで、まるで洋酒の教科書のようなメニューを眺めつつ、一杯飲る。この酒場にはいい時間が
流れている。(「アルゴ」から)
掲示板開設、おめでとうございます。
加藤郁乎さんを囲む会、行くつもりです。よろしくお願いいたします。
ところで、仕事の合間にですぺらの地図を作ってみました(下のリンク)。
http://www.asahi-net.or.jp/~jr4y-situ/desperamap.jpg
簡単なものなので、まだ改良の余地があるかと思います。
こうしたほうがいい、というご意見などお聞かせいただければ幸いです。
ですぺら掲示板オープン、おめでとうございます。
仕事が忙しくて書くのがおそくなってしまいました。すみません。
来週からは、余裕ができますので、また本の世界に戻ろうとおもいます。
「ヘルメス者」の画家です。どうかよろしく。
いつもおねがいしているモデルさん(ラヴクラフト者で彫刻家)と近いうちに伺う約束をしています。
その際は、よろしくおねがいします。
まずは、この日曜日のホラー対決で。
齋藤靖朗さんへ、地図をありがとうございます。店のオーペン時に拵えたのですが、その後当方のスキャナーが故障、取り込めなくて困っておりました。 さっそく使わせて頂きます。
よくをいえば、赤坂見附駅は丸の内線と銀座線、赤坂駅は千代田線と路線名を明記。また赤坂駅を赤坂通りと一ツ木通りの角へ、さらに見附駅より「田町通り」「みすじ通り」と記載すれば、さらに便利かと思います。勝手なことを申して恐縮ですが、お願い出来ますれば幸いにぞんじます。
たまに関西からの客人有り、いや関西でなくとも種村季弘さんが30分、加藤郁乎さんに至っては小一時間ですぺらを探索なさったようで恐縮致しております。
あなたのお心遣いに感謝。
中島千裕さんへ。
新たな就職先は見つかったのですか。ご時勢だけにいささか心配しています。
よかったよかった、ですね。ちゃんとしたのができて。
明日は伺いますので、よろしくお願いします。
「グレダ・ガルポのような酒」飲みたいです。
ううん、どんなお酒なんだろう。
◆一考さま
ご心配ありがとうございます。
おっしゃるとおり、今、本当に厳しい状況です。
だから、一人で営業するには限界があるので、出版に強いとされている派遣会社に登録して、バイトを紹介してもらっています。
昨日でここ2カ月やっていた仕事の契約は終わったのですが、幸いなことに、派遣元は次のバイトを用意してくれたようです。
カーナビのマニュアルを作る仕事なんですが、自転車乗りで、地理に弱いわたしがやっていいのか? なんて思いました。でも、なんでも経験ですから、喜んでやろうと思います。
先方の都合で始まるまで2週間くらいあいてしまうのですが、この2カ月の激務でぼろぼろなのと、筆者の都合で頓挫していた本の仕事がゾンビのように生き返りまして、とりあえずそっちをやっつけることにしました。
それから、芸能活動しないと!
実は、一考さんにお礼を申し上げなければ、と思っていたのです。
先日、いろいろお話いたしましたよね? すごく楽しかったです。
わたしのことを「表現者なんだから、型(常識的な生き方)にとらわれてはだめだ」って。それから、何か面白いものをつくりなさい、と。期せずして、あのとき話題になっていた人にも同じことをいわれたんですよ。「溢れるものを止めることはない」って。
それで元気になりました。
……そういえば種村先生にも同じようなことを言われたのでした。
絵を続ける為には定期収入が欲しい。だから就職したいなんてがんばってみるんですが、やっぱり、難しいんです。それで世間の垢にまみれているうちに、自分が何をやるために生きてるのか忘れてしまって苦しかったのです。
そういうとき「面白いものつくりなさい」って、思い出させてくれてほんとうにありがとうございます。
あのあと、ぐっとモチベーションがあがって、5枚組の大作を描くことにしました。エスキースができつつあります。この連休にはモデルさんも呼んで、さらに細部を検討するつもりです。
テーマは「音楽」と「対話」で、全体のタイトルは「秘密の花園」。芸(術)をやることはお互いの心にある花園を見せあうこと……そういうコンセプトです。祭壇画のようなレイアウトになっています。上下に細ながーい欄間のような絵をつけて、真ん中に三面鏡のように絵が並びます。
一番下の横に細ながーい画面には画面いっぱいに広がる薔薇の繁みに楽器を持った人、4人が横たわっているのをかかなきゃなんないんですが、あー、誰が描くの、こんな手間かかる絵、って人事みたいに思ってます。
昔の売れっ子の芸術家はこういう手間のかかることはみんな弟子にやらせてたんですよね。うらやましいなあ。売れないヘルメス画家は少しジェラシーです。
一考さん、こんにちは。掲示板開設おめでとうございます。RESもよろしくお 願いしますね♪ さて、前週ダウンしていた拙HPおよび掲示板、ようやく回復しました。早速 「後方見聞録」関係の案内してます。(やっきさん、この掲示板にアクセスする 前に貴掲示板にアクセスしたので、情報がダブってしまいました♪) 今度は、この掲示板の案内しないと、、、。
渡邊様ご無沙汰いたしております。
10/20のイクヤーノフ先生を囲む会にコーベブックス版「後方見聞録」を
持って伺おうと思いましたが、残念なことに10/19から小生は台湾に出張
なのです。
定本全句集も持って願わくばサインなどしていただけたら・・・、などと
夢想いたしておりましたが。
初めまして。加藤郁乎さんを囲む会があるんですね!わ、行きたーい。でも、まだ予定が立ちません。郁乎さんに会うのは何十年(!)ぶりだろう。なお、名前は昔、日本テレビで郁乎さんが現代詩文庫に書いてくれたものです、ハイ。そういやあ、ですぺらだって、ネットで知ってるだけで、まだ行ってなかったんだぁ。
掲示板オープンの記念といっては -以前書いたものの使いまわしで恐縮ですが-
地図を掲げておきます。
等倍フォントでご覧下さい。
メール等でご自由にお使いいただきたく存じます。
こんなでもお役に立つのならば幸いです。
バー「ですぺら」
港区赤坂 3丁目18-10 サンエム赤坂ビル 3階 (一ツ木通り中程・1階は牛丼の吉野屋)
TEL 03-3584-4566
アクセス:営団丸ノ内線あるいは銀座線「赤坂見附」駅 地下通路A出口が最寄
※注意! 「赤坂」駅ではない! 名前が似ているので間違えやすいです
A出口上がってそのまま道なりに進み、スタバの角を曲がって左手に
吉野屋が入っているビルの 3階です。
もし道が分からなくなったら一旦A出口まで戻り交番で聞くか、また
はお店に電話してみましょう。
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↑
___¥ ¥ ¥ 外¥
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| | |サントリー¥ ¥高¥ 通¥
| 鹿島 | | ¥ ¥ ¥ り¥
_______|____|________|_______¥ ¥速¥ ¥___
¥ ¥____
←至渋谷 ¥道 路
青 山 通 り ¥
¥___
← ← ← ← ← ← ← ← ← ← ☆←赤坂見附駅
________ ↓ ________ ___ |地下通路_____
| | | | |スタバ | | | | _|A出口
富士 | 一|↓| |_|コーヒー|み| |_| __|_| |
銀行 | ツ| | |す| ↑|| ↑| | ホ
___| 木|↓|__ |じ| フ|| ポ| |
通| | |←コン |通| キァ|| リ| |
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卍 | | | | || ス| | ル
赤坂不動 |↓|________| |___||____| 至 |
| ________ ___ ____ 溜 |
|↓| | | || | 池 |
| | | | || | ↓ |
|↓|
| |
|↓|__
|→| ☆|
| |__|
| | ココ
| | 1階に吉野屋の
| | ビルの 3階
| |
| |
|至|
|T|
|B|
|S|
|会|
|館|
|↓|
| |
初めまして、ゆきちです。
何度かですぺらには顔を出したことがあります。とっても綺麗なところで、お酒に疎い僕としては、なかなか入らないころなので、最初は感動してしまいました。
また、何度か伺わせていただきたいと思います。余り良い客には成れそうもありませんが、今後ともよろしくお願いいたします。
如月さんにこちらの掲示板をご紹介いただいたのですが、
ちょっとどういう場所なんだろう……、という感じです。
#デスペラというお店の雑談掲示板でいいのかな。
まずは開設まもないようですので、開設おめでとうございます。
ちゃんと投稿できるか心配ではありますが、送信してみます。
「デスペラ」ではなく「ですぺら」ですね。失礼しました。
比呂です。
日曜の夜は、「笹川吉晴vs中島晶也ホラー対決オフ」で本来は
お休みのところをオープンして頂いた上に、予定を大幅に延長して
頂き本当にありがとうございました。
本当に奇跡的な出会いの場所になったかと感じております。
参加者は皆、有意義で濃厚な時間を過ごせたかな?と。
本当にありがとうございました。
お酒には詳しくありませんが、また天上の美酒呑みにお伺いいたします。
その時はまた美妙なるお話をお聞かせくださいませ。
追伸 あの時お約束した事は、現在極秘任務にて確認中。
様々な選択肢がありますので、近日中にどういった形がベスト
となるかをまとめてご説明にお伺いいたします。
金光さんへ
よく覚えていないのですが、とある日、妙な客の登場。モンローから始まり、ドヌーヴ、ガルボ、デートリッヒのようなウィスキーをと注文が続きました。モンローにはコスメチックな香りの強さからボウモアを、ドヌーヴにはシャイな面と育ちの良さを兼ね備えたところからダルユーインを、ガルボには芯のある優雅さからマッカラン、デートリッヒには悲しいまでのダンディスムから極上のスプリングバンクをあてがいました。考えている間にかかる選択に快感を覚えました。
件の紳士は「酒呑みの自己弁護」の著者山口瞳さんのご子息である正介さんの親友。共に週一回はご来店頂いております。開口健さんの思い出話に花を咲かせています。
中島さんへ
昔、澁澤さんから、体があまりに弱く入退院の繰り返し。従って尋常の仕事かなわず、売文に明け暮れるようになったと、幾度となく聴かされました。稼ぐ手立てが限られれば、自ずから専心するしかなく。例えば私のようにいささか器用な人間は、結局何者にもなり得ないのかもしれません。
種村さんから、一考は今のままでは駄目、君は人生に今なお未練を持っている、いざりにならなければものは著せないよとの忠告を受けました。この辺りの消息は「後方見聞録」の解説で触れましたので、お読み頂ければ幸いです。
食するために働かねばならない人が表現者になるのは言語道断との命題は、かのリラダン伯以来、今なお問い続けられるべき問題です。ボクサーの殴られ役によって得る僅かな稼ぎで生き延びたリラダンがかくまで高貴なコント・クリュエルを著したのは悲壮を通り越して、言葉の正真の意味での残酷です。身近には須永朝彦という壮絶な闘いを続ける友がいます。貴女にも頑張って頂かねばならないのです。
如月さんへ
先日来、ご面倒をお掛けしております。有り難うございます。
当方は持病が悪化、痛みのため日中は病院通い、ご返事が遅くなりました。
直腸の腫瘍がいささかつむじを曲げたらしく、どうも体のあちらこちらが主人の意にそぐわなくなって参りました。腎臓と直腸、それに第五腰椎にタリバーンが宿ったようです。アメリカという国は最悪のならずもの国家と認識しますが、さりとてイスラムというのも好きにはなれません。タリバーンならぬタリバーディンというモルト・ウィスキーが私の好物なのですが、その蒸留所、ひょっとしてオーナーはビンラディンかしら。ちなみに、オサマ・ビン・ラディンはラディン家のライオンの意、ウサマとはオサマのパシュトゥン族の発音だそうです。
豚式さんへ
20日までにですぺらへ本をお持ち頂ければ郁乎さんの署名を頂戴しときますが、いかがなものでしょうか。
フーリエの使者さんへ
フーリエの使者なら加藤郁乎でなく、巖谷国士さんの領域ですね。もっとも私もアナーキー大好き人間です。とりわけ肉体関係に関しましては物心がついた頃から原始共産主義を地でいっております。今後ともよろしく。
金光さんへ
この地図はちょっと遠回りじゃござんせんか。でも有り難う。
ゆきちさんへ
ですぺらの店主は本当は気が弱くて恥ずかしがり、お客さんの顔を正面から見ることすらままならないのです。従って、ご来店の折りは大きな声で名乗りをあげていただければ有り難いのです。
50歳を越えてからは人の名を覚えるのが困難になってきました。それ故、むかし山田風太郎氏より学びし若返りの術にもっか励んでおります。いやあ、なにを隠そう、若い愛人をこさえてうつつを抜かしているのです。
高坂さんへ
投稿に不自由があった時は管理人の向こう脛を蹴っ飛ばして下さって結構です。
はてさて、その櫻井さんのご厚意によって開設された掲示板ですが、どういう場所なのかは私にもよく判っておりません。きざな言い方で恐縮ですが、酒、書物、オートバイ、暴走族用の車、金魚、レース用もしくはアンティークな自転車、料理、香辛料、アウトドアに関するグッズ、北海道、かつての色街、変態セックス、その辺りをテリトリーに蠢いております。かかる領域でのご質問なら何でもお答え致します。ちなみに、横浜ケンタウロスの一員として、現在なお、族を張っております。
比呂さんへ
極秘任務の件、ご面倒をお掛け致しますが、何卒よろしくお願い致します。無事落着のみぎりには結構な贈り物あり、否悪しき贈り物かも。それにしても40歳にて独身かつ変態とは、結構なご挨拶で痛み入ります。小心者の店主をあまり驚かさないで下さい。長いお付き合いを願い上げます。
地図改良いたしました。
http://www.asahi-net.or.jp/~jr4y-situ/desperamap.jpg
一考さま。つまらね書き込みにわざわざお返事をいただき、ありがとうございます。「後方見聞録」は、そろそろ我が片田舎にも配本されるころでしょう。私は仏文学には疎いので、学者をほとんど知りません。手元にはミステリの故・小泉喜美子さんの蔵書の形見分けの「幻想の海辺」とかいう本がありますが、手付かずです。私なんざあ、50歳にして未婚、知人たちからは(偉大なる)変人という称号?を何年も前に戴いております。小泉首相の先輩だぁ。(自慢できることかぁ)それにしても。20日夕方は相模大野駅近辺で二人の画家と面談予定。ああ、何たる不運!
高柳重信展が10月10日から12月9日まで戸田市立郷土博物館にて催されています。開館時間は午前10時から午後4時30分。休館日は毎月曜日と10月31日、11月6、27、30日。入場無料。同博物館の住所は以下のごとし。
埼玉県戸田市大字新曽1707 電話048-442-2800
http://www.toda-c.ed.jp/haku
加藤郁乎さんの「後方見聞録」学研M文庫、定価680円は10月11日の発売です。お買い上げもしくは推薦を皆様にお願い致したく、どうかよろしく。なんの役にも立たない解説を同書に26枚ほど著しました。御笑覧頂ければ幸甚です。20日以降ならですぺらにも在庫有り。
上記二項、如月さんちのホームページで詳しく紹介されています。当掲示板をさまざまなところでご紹介頂き、如月さんには感謝。変人の友人というのは有り難いものです。
変態という言葉は、オタマジャクシに手脚が生え、尾がなくなって蛙になったり、芋虫が蛹となり、さらに繭を破って蝶になったりする生物学上のメタモルフォーシスを意味し、大層気に入っていたのですが、傷付く人が多いのではと忠告を受けました。今後は変人に切り替えましょう。でも、意味するところは同じなのですが。
如月さんへの文言の中でウサマとオサマを取り違えていました。アラビア語でウサマ・ビン・ラディンが正しく、オサマ・ビンラディンはタリバーンでの呼称とのこと。悪しからず。
ネットでのやりとりを小生はおしゃべりの延長線上にあるものと心得ます。活字にする時は事前に調べますし、やばいことや曖昧なことは一切許されません。しかし、当掲示板にかような心配りは無用と思っております。酒席同様、無責任な流言蜚語が飛び交うのも愉しいではありませんか。大風呂敷を拡げる人、あらぬことに悶絶する人等々、大歓迎です。もとより、人と人との関係は誤解ないしは思い込みで成り立つもの。されば誤解を六解へ七解へと押し上げようではありませんか。アナーキーな掲示板になればと、勝手な夢想を描いております。また、社会学を最大の敵と心得ますので、そちらの話は御免被りますが、政治、経済に対しては無責任な意見を数多持っております。いずれ、駄法螺を吹き上げますので、よろしく。
震災の後のおしゃべり
読み手をどこかへ連れていくような、物語の楽しさはもちろんですが、
装丁の美しさ、限定出版された書物の希少性、そして、さまざまな立場で本と接する人々……もっと多面的な本の魅力について、お話しましょう。
美しい書物
未曾有の大震災に襲われたのは一月十七日、明石の拙宅も甚大な被害を受けました。屋根が崩れ落ちて瓦は一枚も残らず、風呂場と便所は壁の裂け目から星の瞬きが見えるようになりました。電気、ガス、水道、電話、ライフラインのすべては途切れ、露天風呂と化した風呂桶に残された僅かな水が全財産となりました。数十年かけて蒐めた焼き物や薩摩切り子のコレクションも全滅、大事にしてきた書物も書棚もろとも顛倒して、未だに手つかず。足の踏み場もない書庫から取り出せた数部の書冊も、函が壊れたり、表紙が破れたり、ねじ曲がったり、ことのほか不憫に思われます。
電話が通じるようになってからのことですが、「大丈夫なのか」との問い合わせを随分と頂きました。やがて、馴染みの古書店や出版社の知己から義援金が送られて来、京都在住の友人は飲料水と屋根に掛けるシートを山のように抱えて、福知山経由で丸一日を費やして見舞いに来てくれました。友曰く「おまえが死のうが生きようがどうでもよろしい、ただし、この家には国会図書館にない本が多数ある。まず本を救わねば」彼はさっさと屋根に攀じ登るとシートを拡げ、傾いた襤褸屋をあっという間に「青色の館」へと変身させました。彼だけではありません。前述の「大丈夫なのか」も、大半は「先に本を救え」「屋根だけは何とかしろ」の類で、私の怪我のことなどは誰一人問いただしもしません。どうやら主語は本であるらしく、この家の主人は家中に巣くう夥しい書物なのであって、決して私ではなかったのだと言うことに気づかされました。
本と付き合いはじめてから今日に至るまで、読書に始まって、編集、出版、装丁など、さまざまな形で書籍と接してきました。若い頃に泉鏡花を知ったのが、本好きになるきっかけになったと思います。鏡花本は美しい、実に美しいものです。鏡花本の悉くは鏑木清方や小村雪岱の版画で飾られています。あの時代は絵師に彫り師、摺り師が多く居ました。和紙も廉価で、条件が整っていました。著者自身も装丁には腐心しています。本の内容がメッセージだとすれば、装丁はメディアです。夏目漱石や鈴木三重吉、与謝野晶子はそれを自覚した作家でした。北原白秋、木下杢太郎、竹久夢二、渡辺一夫、北園克衛、吉岡実などは自らの著書にとどまらず、数多くの装丁本を遺しています。内容に相応しい装いに焦がれたのだと思います。著された原稿や作者の想いに一つの形を与えるのが装丁です。配された文字の大きさとバランス、色や紋様、あるいは素材の風合いや感触が中身と照応しあうとき、美しい書物が誕生するのだと思います
罰せられざる悪徳
すべてのきっかけはサルトルでした。
私が中学一年か二年の頃のことです。風邪をひき、かなり高熱を出して寝込んでいる所へ、母が本を買って来てくれました。近所の本屋で薦められたからと渡してくれたのが、人文書院から上梓されたサルトル全集。その一冊に「嘔吐」があり、巻頭にセリーヌの言葉が掲げられていました。セリーヌって誰だろうと疑問に思い、手に入れた「夜の果てへの旅」今は懐かしい大槻鉄男さんの翻訳でした。そのあとがきに出てくるサドの名前。ついで買ったのが澁澤龍彦訳の「恋の駈引き」あとがきには、サドの系譜に属する作家としてポウ、カフカ、石川淳が著されていました。そうやって、本に名前が挙げられた作家の作品を、片端から蒐めていくうちに、私は本の世界にのめり込んでしまったのです。
ヴァレリー・ラルボーに「罰せられざる悪徳・読書」と題するエッセイがありますが、そのタイトルは読書の醍醐味を的確に表した言葉だと思います。男色も、盗みも、殺人も、読書に比べれば、随分と柔な悪徳です。サドの「ソドム百二十日」では三十人がむごたらしい拷問に遭って絶命しますし、登場人物がすべて殺されてしまう著名な探偵小説はみなさんもご存じでしょう。如何にいかがわしい夢を見ようが、また、おぞましいことに身を委ねようが、書物の世界ではすべてが許されるのです。
唐十郎さんが面白い話をしてくれました。彼が子供の頃のことですが、湘南海岸に泳ぎにいきたかったのだけれど、家が貧しかったので湘南までの電車賃がなかった。そこで、洗面器に張った水に湘南への想いを託した。それが文学への第一歩なんですね。電車に乗って湘南へ行くことと洗面器に顔を浸けることとが等価になる。即ち、想像の世界と現実の世界とが等しくなる。そういう人こそ、書物を繙く資格があるんです。夢と現実が相克すると思っている人は、本を読むなんてのっけから止めたほうがいいと思います。
これが文章を著すという段階になると、洗面器の中に、湘南海岸どころか、全宇宙を視てしまう。そして、湘南海岸はああだこうだと活写する、実に稠密かつ緻密にですよ。つまり、見てきたような嘘を書くわけです。生活なんてどこかへ捨ててしまって、書くという行為そのものが唯一の経験になり生活になる。空想と現実との境界線をなくした寄る辺なき身、いわば汽水域に生きる白魚のようなもの、もしくは昆虫でもあり植物でもある冬虫夏草のような存在を想像すればいいわけです。
三橋敏雄さんに「顔押し当つる枕の中も銀河かな」という句がありますが、ここには文学の要諦が示唆されています。「枕の中が」であれば興は褪めます。「枕の中も」と閉じることによって、大宇宙の銀河と枕の中の銀河とが融合するのです。ここでは大きな銀河と小さな銀河とが、入れ子構造となって立ち顕われます。即ち、大と小の弁証法が十七文字に昇華されているのです。
そして、大好きな泉鏡花ですが、鏡花の小説は読んでいて血沸き肉踊ります。読み手をどこか別の世界へ連れていってくれます。「高野聖」で、鬱蒼たる森の中、空から雨のように蛭が降る場面なんか、ありそうにない話だと分かってはいても、思わず背中をまさぐりたくなる。描写力が読み手をぐんぐん引っ張っていく。見たこともない、行ったこともない、そんなすごい所へ連れていってもらえるのが嬉しくて、私は本を読むのですから。
そして神戸
文学に夢中になった坊主頭の中学生は、つっかけを履いて足しげく古書店へ通うようになりました。当時は詩に興味があったものですから、詩書をずいぶん購入しましたが、他方、仏蘭西文学や花柳界を舞台にしたいわゆる「遊蕩文学」をごっそりと買い込みました。歳格好に似つかわしくない本を買っていたからでしょうか、古書店のおやじから声を掛けられたり、懇意にしている作家を紹介してくれたこともあります。澁澤龍彦さんもそうして知り合った一人です。
京阪神の古書店では飽きたらず、お金を貯めては東京へもよく出掛けました。落合の某古書店へモダニズム関係の本を買いに行ったときのこと。書架に並べられた本を見ながら、目的の書冊を次々と引っ張り出して、その数五十冊にもなったでしょうか。店主がやって来て、「ぼく、これ買うの?」当時はまだ十代でしたから、怪訝に思ったのでしょう。「はあ、買いますよ」と答えると、「あんた、誰」「あの、渡辺っていいますが」「渡辺って……、まさか、あの神戸の渡辺さん」その店も通信販売で頻繁に利用していたので、名前は覚えていたのでしょう。「渡辺さんって、五十過ぎの方だと思っていました」
私が驚いたのは、その日、お茶を馳走になりながらの希本の数々である。「先行き、あんたはこういう本を買うようになるんだから、よく見ておきなさい」と言いながら、永井荷風が愛人に贈った署名本や白秋宛て朔太郎の署名本、伊良子清白の詩集「孔雀船」署名本等々を観せて頂いた。
書物は恋人
二十歳の頃です。どうしても欲しい本が明治古典会に出品されるとの話で、蔵書の半数を占めていた詩書を纏めて売り払いました。書肆ユリイカの出版物を中心に、戦後詩の主なものは大体揃っていました。年収の五倍位の大金を得て、念願の平井功の二冊の詩集、「サバト」「戯苑」をはじめとする日夏耿之介の編輯になる諸雑誌一括と日夏耿之介の詩集一口を購入しました。
時には蔵書を売って、あるいは古書店に借金をしてでも、読みたい本は手に入れる。そんな私の本好きは、読むことからやがて造ることへと拡がっていきました。そもそもが、一部分だけ担当するというのが好きじゃないので、本を造るのも、構想を練るところから書店への販売まで工程すべてを手掛けなければ気が済まないのです。なにがしにはあの翻訳を、この人には懸かる種類の創作を、まずはそんな所から始まります。そして、原稿をとってきてレイアウトを施し、朱筆を持って校正し、自ら装丁します。最後は風呂敷にくるんで営業に歩き回るのです。
ところで、二千部の新刊を造ったとします。売り先は、東京都内で千五百部、京阪神で百部、その他の地域は全国津々浦々すべてひっくるめて百部。残る三百部は五年ほどかけて、東京で徐々に捌けていきます。つまり、出版は東京以外の地では成り立たないのです。南柯書局の仕事もなかなか厳しく、ついには印刷会社への支払が滞ってしまいました。一億を軽く越える金数を費やして、残されたのは支払う手立てのない五百万円の赤字と在庫の山。東京の出版社から「借金を肩代わりしてやるから、おまえ、うちの編集長になれ」と声を掛けられたのは、丁度そんな時でした。そこで私は東京へ身売り、三十代も後半のことでした。
考えてみると、本に夢中になってから今日に至るまで、東京へ夜逃げした頃だけが、唯一借金から解放された時代です。他はずっと、古書店の借金を抱えていました。欲しい本のためには借金も厭わないのですから、仕方がないのですが、借金をあまり気にせずにいられるのは、古書店側が平気で借金させるのも原因のひとつです。というのは、もし借金が払えなくても、古書店は本を差し押さえればいいからです。気が置けない古書店の中には、年末になると車でやってきて、借金分だけ本を持っていってしまうところもあります。稲垣足穂の署名本もそれで失いました。借金のかたに本を持っていかれるのは辛いものです。きっと、私が死んだあとは、一冊残さず持ち去るに違いありません。それも二束三文で。でも、真っ先に義援金を工面してくれたのは、その古書店なのです。本の売買と同様に、古書店との付き合いは行きと帰りの両面に亙ります。どちらかが往生するまでの、義理も人情もある愉快な道中です。
大風呂敷
人って、表に出す人もいるし出さない人もいるけれど、大概自分のことを自慢したいんです。自己表現と自慢は一枚のコインの裏表。例えば、私が書物にのめり込んだのも、それは、こんな美しい本があるとか、こんな素敵な本ができたとか、つまりは「すごいだろう」って自慢したいだけなんです。
何かしている、何かに夢中になっている時って、充実しているじゃないですか。どう顛んでも人の一生なんて、「質の悪い冗談」でしょう。行き先には滅亡しかないんですから。生き甲斐なんてあるわけないですよ。だからこそ、死に至る過程を如何に楽しむかが問題になるんです。それはスタイルであり、なりふりの問題です。例えば、人と話をする時に、信じるべき自分、話すべき自分なんて、どこにもないわけでしょう。でも、それでは会話が成り立たないから、その間だけ無理矢理自分を構築するんです、自分はこうなんだと。要するに、相手の思惟の対極にわが身を置くんです。総論反対、各論絶対反対ですね。そうすると、話をしている間だけは「自分」がある。本来、存在していないに均しいものが存在感を感じる。これ以上の錯覚、これ以上の快感はないと思うのですが。
本でも、金魚でも、自転車でも、料理でも、何でもいいんです。なにかしている時って、それに没頭出来るじゃない。そして、自らしていることに意地を張れる。人生なんて、あるがままでは意地の張りようがないけれど、そこに何か項目をつけ加えれば、意地も見栄も張れるでしょう。謂わば限定版の人生をでっち上げるようなものです。むきになるとか、風呂敷を拡げるって、楽しいじゃないですか。そんな時だけですよ、人生がキラキラ輝いてみえるのは。
渡辺一考(わたなべいっこう)昭和二十二年二月五日、兵庫県神戸市生まれ。
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