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つまさきさま
書き込みを終わってから、実は小生自身もその可能性に思い当たって実は悩んで
おりました。ケーニヒス・クローネでしたか。すっきりしました。御指摘ありが
とうございました。
管理人櫻井さんの10月20日の日記に「臨時バイトの二階堂奥歯さん(←女性)は胸に名刺入れを入れていて、胸元から取り出し
て客人に名刺を渡していた。変わってるなあ。」とありますが、これは決して私の習慣でも趣味でもありません!
単にポケットがないワンピースを着ていたからです!
それから、バイトではなくお手伝いです。
なぜなら……、バイト代は出ないからです……。
お知らせ係奥歯です。
ですぺらにフライヤーが置いてありますのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、改めてお知らせいたします。
エコール・ド・シモンの松島智里さんの個展が本日より行われています。
松島智里個展<Synchronicity>
10月25日(木)~11月8日(木)
アートスペース美蕾樹
渋谷区宇田川町17-1渋谷ブラザービル4F
03-3463-8477
27日(土)6:00~
オープニングパーティー
松島智里さんのHP
http://www5/ocn.ne.jp/~fetaleye/
(でも、昨日から行けないようなのですが。私のブラウザの問題でしょうか。)
ムーンさんへ、妖しき三種の神器、かたじけなくも落手。
Adobeのお姉ちゃんの逆鱗に触れぬよう、注意致しましょう。先日の松友さんの来信も詩的に装われていましたが、草の根ネットとは異なり、こういうオフィシャルの場では迂闊な文言や矯激な発言には要注意ですね。活字や手紙の方が、ヨタをとばせそうな気がしてきました。昔からですが、どうもレトリックなるものは苦手です。
貴方のh・pはいかが相成りましたか。須永さんのh・pでは会員制のサロンでも拵えて、毒舌に浸ろうかと思っています。昨今、著者の息遣いが聞こえる書冊は珍しくなりました。今こそ必要なのは「署名のない紙つぶて」なのにと案じる次第。
ところで、宇野邦一さんの「ドゥルーズ流動の哲学」は読まれましたか、講談社選書メチエの一冊として上梓されました。定価は1700円。取るに足らぬ現代文学(特に小説はひどい)の中にあって、ひときわ屹立した著書とかたく信じます。ご本人とのお付き合いは間合いの取り方がうまくいかず、些か難渋致しておりますが、宇野さんの拵え事にはかねてより畏敬の念を抱いております。書肆山田から上梓されたベケットの翻訳は箇々の作品に合わせて異なる文体を取り入れ、原著者の呼吸もしくは搏動に迫ろうとした意欲に溢れた逸品。気配りと芸の細やかさ、言語に対する智力が美事に三位一体をなしています。ヘーゲルを要約させて右に並ぶ者なく、恩師にあたるドゥルーズの肖像を、哲学的生涯をときほぐした著書の到来が待たれていました。もとより、わが邦における一過性の構造主義に私はなんの興味も抱きませんが、個としてのドゥルーズの哲学には大いなる興味を抱いて参りました。宇野さんの文章は行きつ戻りつ、何を読みとり、いかに読み換えるか、難解なドゥルーズのモチーフにまとわりつつ、懐疑を日本語の中にいかように織り込んでいくかに終始します。ドゥルーズに限らず、立ち徘徊ることを本意とする宇野さんの哲学が、肉声が実に簡明かつ鮮明に書き綴られています。稀にみる名著にして、お薦めの一本です。
奥歯さんへ
これは櫻井さんのふくらみへの憧憬じゃないですか。男と女ではふくらみの場所が異なりますし、些か成分も違えます。ないものねだりは麗しい心意気であって、非難には当たらないと思いますが、如何なものでしょうか。信仰するものは極端に尊く、然らざるものは乱離骨敗との鏡花世界の一端なのですよ。櫻井さんの中にも斉藤磯雄、松山俊太郎、高遠弘美各氏と同種の血が流れているものと思われます。
ちなみに、高遠さんの随筆集「乳いろの花の庭から」(ふらんす堂)所収の「いつの日かフェルメールを見にどこかの町へ」へは頗るユニークなエッセー、そしてロミの翻訳「乳房の神話学」(青土社)は澁澤さんのネタ本の一冊。また、今回種村季弘スペシャルのために著されたエッセーは一随に師を憶う稀代の卓筆。文学翫賞家としての本領を発揮、再構築された資料と種村季弘に対する愛情の念とが渾然一体となり、鮮やかな種村像を浮かび上がらせている。とりわけ、結句は文句なしの傑作。読み手をして慟哭を与えるような文章との出会いは、吉行さんの死後絶えてなかった。かたじけなく存じます。
昨日貼ったURLは間違っていました。
正しくは
http://www5.ocn.ne.jp/~fetaleye/
でした。
今日松島智里さんの個展に伺いました。
50cm四方程度の大きさの世界が並ぶ稠密な空間でした。
怪人百面相の貴兄がレトリックは苦手とは面白い。貴兄の最近の文章は、別種麗しきふくらみと流麗なレトリックを絡ませ、種々アルコールを脳幹網様体に注ぐほどに、ボインとナインに揉まれるほどに、却って明晰判明になるものかと少々驚いております。毒舌に浸れるほどの錬金術を持たぬ小生のHPは未だ手付かずの状態、又苦労して作ったところで、侘びしいかな、「署名のない紙つぶて」を投げてくれる方も受ける方もおりません。お薦めの宇野邦一さんの「ドゥルーズ流動の哲学」、読んでみます。『千(ミル)の高原』ばかりで遊んでいないで、貴兄のように「立ち徘徊る」術を少々学ばねば。しかし貴兄は相変わらず元気ですね、小生は益々体力も無くなり容易には勃起しません(相手が悪い等と言う無かれ)、SMに走るべきかな。
二階堂奥歯さま
日記の文面失礼いたしました。奥歯さんのコメントを日記に挿入させていただきまして、
誤解のないようにいたしました。ご了解ください。
一考さん
フォローありがとうございます。
9時頃お伺いしましたヒデキと申します。芝居が好きで、これまでも
郡司正勝先生の著書からいろいろ教えていただいておりましたので、
見せていただいた「芸能の足跡」、読み耽ってしまいました。手元に
置きたいと真剣に思案しております。
日曜日は日帰りで大阪へ参りまして、山本六三さんの久方振りの
個展を拝見するつもりです。慌ただしい日程になるようですが、
とても楽しみです。貴店の個室で拝見できる山本さんの銅版画作品の
題名を知りたく存じます。ご教示くだされば幸いです。
松友さんへ
「やはり拙メは、ここ、掲示板にても異端の徒となっているように感じます」こういう書き方はよろしくないのでは。と申しますのは、異端の徒でもなんでもよろしいのですが、自らを定義づけるという点に私は納得が行きません。
異端であれ、変人であれ、それら文言から来る優越感と遜った様子に示唆されるコンプレックスの鬩ぎ合い。それを自らの性格の一端として他者へ押し付けるために強調なされるなら、それはそれでよろしいのですが、「私は」との主辞の後にやってくる「何々である」との賓辞、言い換えれば、人の稟質のようなものを自ら定義するのはかなり無謀な行為ではないかと思います。ヘーゲルにせよ、ニーチェにせよ、バタイユにせよ、世の哲人はその一点の証明のために夥しい量の原稿を費やしています。我ら凡人にとって、かかる判断は他者に委ねるのが最も賢明な方法ではないかと思います。というよりも、人品骨柄など、他者が判断すべき筋合いのものであって、自らが自らに下すのはさかしらな迷いごとのような気がします。誤解を畏れず申せば、他者とは自己の鏡であり、自己とは他者の投影ではないのでしょうか。
この消息は、昨今用いられるようになった「私的(わたくしてき)には」にも同様。意見は陳述するものの、確たる自信はなく文責は負いかねる、結果として賓辞はともかく、主辞の方は弱めておこうとの自己防衛が無意識が働いているものと思われます。それら孰れもが、大事なのは私だけとの同心円を描いています。複数の芯を持つ楕円であれば、弁証や懐疑が生まれる可能性も在るのですが、同心円では同じところを繰り返し巡るだけ、犬が自分の尻尾を銜えようとぐるぐる回るのに似て、それでは自らの精神になんら変化も深化も齎しません。当然、精神に進歩や進化などは存在する筈もないのですが、深化を拒否すれば精神は老い、すべては滞ってしまいます。
プライド、オリジナリティー、パーソナリティー、ポリシー、アイデンティティー等々。政治用語から社会学用語に至る虚言に、現代人はすがりつき、振り回されているようです。虚言と申しましたのは、それらの文言は中味すなわち実体をまったく伴っていないからです。虚言癖をかなぐり捨て、肉声を発しようではありませんか。肉声とはおのが迷いであり、逡巡であり、懐疑なのです。それは心の中にふるえを、畏れを、おののきを齎します。でも、それでよろしいではありませんか。精神に賓辞などあろう筈もなく、人に安住の地などあろう筈もないのですから。
ムンムンダイアルさんへ
レトリックが苦手と著したのは自分自身が講じている下らない気配りへの物言いでして、馬鹿を馬鹿と言えず、暗喩としてしか表現出来ない中途半端な現況への自嘲でございます。などと迂闊にものを申せば聡明な貴方のこと故、暗喩が修辞法でなければなんなのですかと畳み込まれそうですね。
会話の妙味を愉しむにはマナー以上にかなり強引な技が必要になります。昔を憶い出して下さい。舞台は三宮の安居酒屋、いやジャズ喫茶でしたっけ、革ジャンとグラサンに身を包み、くわえ煙草で肩を怒らせ、伏し目がちに構え、相手の言動から非論理的もしくは証明に難儀するであろう一言を暴きたて、相手が泣き出すまで容赦なく責めたてる。相手が暴力で立ち向かって来たときはビール瓶の一撃で眠らせる。荒っぽい時代でしたね。さすがに外科病院とのお付き合いは45歳からは沙汰止みになりました。そのかわり、最近は冷えると体の節々が痛みます。偽関節になりかけた左右二箇所の関節もうまく機能せず、感覚が元に戻りません。でも、なんら不満はないのです。過ぎゆく一刻一刻が私にとって遺された掛け替えのない日々であり、能うかぎり律儀に付き合ってきたからです。それはもう暫く、ほんの暫く続きます。
インポテンツが自同律の問題か他同律の問題かと申せば、恐い怖いミル嬢に叱られますので、やや方向を換えまして一言。視姦という不能者に相応しい愉しみ方があるではないですか。インポテンツを嘆くなかれ、若い女ではなくフレッシュな男性を取り込み「鍵」の世界へ。なんですって、お気に召さない、やはり女にこだわりたいですって。されば「卍」の世界しか御座いませんなあ。
この書き込み、やはり修辞法に終始しちまったようで。前言を訂正させて頂きます。なお、当方からも妖しげな一品料理お送り致しましたので、よろしく。
擬関節の(ぎ)を間違えたようです。悪しからず。
中嶋さんへ
ラングドッグではコルナスが有名ですが、ノエル・ヴェルセットの88年ものボトルがとりわけ美味かと思います。シャトーヌフ・デュ・パープは赤が多く白は滅多にありません。ポール・ジャボーレ・エーネの白がお薦め。96年ものがわが邦にも輸入されています。アルザスは当然、白が多いのですが、貴女が触れられているのは赤だと思います。ルージュ・ダルザス・ピノ・ノワールをお好きとはシブイですね。アルザスのピノ・ノワールは葡萄だけでなく、小枝や葉っぱも一緒に処理するところに特徴があります。ちなみに、オークニー諸島のポモナで醸されるモルト・ウィスキーのハイランド・パークは、独自のピートベッドから截り出される若いピートにヘザーの根や枝も一緒に焚き込みます。香味が僅かでも複雑になるんでしょうかね。
ルージュ・ダルザス・ピノ・ノワールは量は飲めませんが、たまにグラス2~3杯なら飲みたいですね。それとドイツの赤ワイン、当然品種はピノ・ノワールですが、過去に3種味わいました。カンパリやスウィート・ヴェルモット同様、甘味が咽に引っ掛かり、あまり感心しなかったのですが、珍品ということで話の種にはなりました。
私の好みですが、ワインと書くとピンとこないのです。やはり、葡萄酒でないと駄目なようです。
ヒデキさんへ
個室の山本六三さんの絵はメーテルランクのペレアスとメリザンド(杉本秀太郎訳、湯川書房)の装画です。同じものが須永朝彦さんの家にも御座います。山本六三さんの絵がお好きなら、次回いらした時に仰有って下さい。珍しいものを店に蔵しています。
山本六三さんとの付き合いは古く、私が15歳の時からです。十代の頃はよく飲みました、と言うより、60年代は連日ご一緒したと言っても過言ではありません。お付き合いは頓挫したままですが、氏から得た厚誼は私にとってのラ・ボエームです。
ルンルン一考さんへ
当時は、会話の妙味と云うよりは、貴兄の圧倒的なお話を精一杯拝聴するだけで終わっておりましたよ。
舞台は何処であれ、惜しいことにその場に居合わせた事はありませんが、喧嘩早い貴兄の武勇伝には事欠きませんよね。最近では、優しい気配りの一考さんで通されている御様子に甚く感服。往事の過激な貴兄そのままなら、高価なモルトウィスキー瓶の一撃はなさそうですが、厨房から何丁もの包丁がびゅんびゅん飛んできそうで誰しも「ですぺら」には近づかないでしょう。しかし当人ではなく、こちらが厄介事に巻き込まれたり勝てる見込みがないと悟られると、すっ飛んで逃げ出すであろう貴兄は、逃げる術にも長けている才人でありますよね。才人と云えば、その多彩さには恐れ入ります。繊細な美少年時には詩人として、後に春歌作詞家兼歌手、今風に云えばシンガーソングライターの先達ですよね、或時は物数奇な装幀家、奇特な出版編集人、或時は本膳と見紛うばかりに舌鼓を打つ料理を饗してくれる料理人(神戸トアロードのデリカテッセンの屑ハム、鱶鰭、銀杏等を素敵に閉じ込めた数十種に及ぶ煮凝りは絶品)、また或時は、ダ・ビンチの設計図から陰部を配慮した最新の解剖学的サドルに至るまで、手作りの種々部品を伊太利からわざわざ取り寄せる程の凝り様で油塗れの自転車作り、すわ見給えと神のごとく疾走するかと思いきや迂闊にも転倒の末痛々しい鎖骨骨折、まんまと市から見舞金をせしめ女子大生と遊興三昧、その後「金の切れ目が縁の切れ目」と宣って、ケンタウルスの旗を翻し暴走族へと変身、ん?こんなの暴露しても宜しかったでしょうか? で、その片手間に、蘭鋳、和蘭獅子頭、地金、土佐金、朱文錦、秋錦、和藤内、水泡眼、珍珠鱗魚、絨球魚、翻鰓、赭魚等の種類は存ぜぬものの、たった一年ほどで品評会一等賞を獲得する程の金魚繁殖養魚師、小生が知らない姿も多くあるのでしょうね、今では大人しく酒肆の店主になりすましておられるものの、さてお次は何に変身? 貴兄の流動する存在は実に素敵です。
「便器」は兎も角、貴兄に倣って視姦は勿論、直角に折れ曲がった男根はありませんが、複数の若い男女を宛い「鍵」「卍」擬の世界も既に試してみましたが持続効果は無く、インポテンツをさほど嘆いているわけではありませんが、残るは多分男を啣えるかSMしか残っておりません。どうも某須永氏のような巨根だと聊か怯んでしまいますし、軟弱短小の小生には、素敵なコスチュームや道具に拘ってSMごっこをする方が妥当かと思っております。傍らの某ミル嬢が矢庭に、小生が惚れている一考氏のを啣えれば等と呟いておりますが...。ところで、貴兄のお店をショットバーから、こだわりのSM倶楽部に変身させませんか? 神戸には古くから「倶楽部DOMA」と「スキン2」がありますが、これが結構流行っていますよ。貴兄が拘れば日本一、いや世界一のSM倶楽部になること請け合いです。
一考様
「やはり拙メは~」の書き込みについてのお言葉ありがとうございます。
自分で「自分はこうである」と言うのは、いうなれば甘えの裏返しです。
大変失礼致しました。
関西にての折にも同じように
「そんな振る舞い、止めなさいな、なんにもならんよ」と、
お教えいただいていましたのに、まだ治っていません。
「中身の無い誤魔化しを捨てよ」とも、そのとおりです。
さて、ご指摘ありました「私的には」も「自分はこう思う」と
はっきりと言わない、逃げであると思います。
あるいは会話の途中に語尾を上げて問いかけるようにする「半疑問」といわれる
表現も同じと考え、避けるようにしていますが咄嗟に出てしまい
反省することがあります。
おっしゃって戴きました通り、思うままに言葉を発するようになるよう、
遅々とした速度でも癖を捨てて行こうと思います。
あ、ですがもう一つの「癖」の方はなかなか難しいかもしれません。
関西の方々には既にバレバレなのが少々恥ずかしいものがありますが、
もしかしたらドクトゥールはご存知無いかもしれませんね、えへへ。
(とっくに見通されているのに気付いていないだけだともっと情けない。)
では。
櫻井清彦さま
お気遣いいただきましてありがとうございます。
櫻井さんが書いていたことは事実です。
ただとにかく恥ずかしくなってしまったものですから。
私の方こそすみませんでした。
moondialさんへ
「便器は兎も角、貴兄に倣って」はないでしょう。私の性癖なんざあ貴方に比べりゃ可愛いもので、ちょいと花柳界に生まれたのが災い(幸いかなあ)しただけですよ。こだわりのSM倶楽部とやら、考えなくもないのですが、元手をすべてモルト・ウィスキーの購入に使っちまいましたので、老いたる先の楽しみに取り置く次第。でも、北海道のライダー・ハウスや牧場にも未練があるなあ。ライダー・ハウスでスワッピング教室や乱交パーティーでも催しますか。
「倶楽部DOMA」と「スキン2」より古いのが「ジュニア」です。もっとも「ジュニア」は神戸最古のゲイバーにして、マスターは博多の産。その「ジュニア」の一期生が「タミー」のオーナーです。たしかカルーセル・麻紀さんも「タミー」の出身者ではなかったかと思います。三宮のゲイバーでちょいと古いお店「三番街」「タブー」「漁火」(この店は郡司さんをお連れしました)など大半はその二店の出身者です。当時「タミー」の独身寮が福原の拙宅の道を挟んで真ん前にあり、幼少の頃から徹底的に性的玩具としての教育を受けたのも懐かしい思い出です。「ジュニア」さんからはゲイバーの発祥の地は博多で、神戸の「ジュニア」が二番目なのよと再三聞かされました。「どん底」「田園」「アスター」のオープンが昭和22年、「ジュニア」は昭和21年ですから、私が生まれる直前の話です。その時の保証人が「ムーンライト」のオーナーで、その「ムーンライト」の一期生が「飛鳥」の創始者だった百地さん。貴方もご存じの、私が15歳で一緒になった最初の女房は「飛鳥」の二代目ママ。それに父と同じ部隊にいた「上高地」「不二家」「明治屋」のオーナー、その辺りの方に支えられて私の十代は成り立ちました。
かつての国際会館の浜側、奥まった路地の突き当たりにあった「ジュニア」は夜の12時になるとシャッターを閉め、秘密倶楽部に変身します。ゲイバーであるにも関わらず、白黒ショー、黒黒ショーにSMショーのオンパレード。今日は鞭打ちで来週は縛りと浣腸……はじめて招かれたのが小学六年生の時、刺激強すぎたよなあ。でも、デビューが早かった割に未だ生臭さを保っているのは立派でしょう。こんなことしか自慢するものありませんから。
一昔前「幻想と怪奇」という雑誌が出ていましたが、その編集長だった人が「髭のサロン」とのSMサロンを営んでいます。私の父が昔関係した「スナイパー」に独自のページを持っていますので、ご存じかも。ちょいとわけありで詳細は控えますが、HPもあります。リンク先に見るべきところ多く、一度覗いて下さいな。例えば新宿の「マーキス」もリンク先のひとつ、こちらはサロンではなく倶楽部です。東京では現在のところ最も過激な秘密倶楽部でしょう。
「ジュニア」のママ(と呼ばれるのを嫌がっていたので、私はマスターと呼んでいました)は引退後、大丸上の柳筋でステーキ・ハウス(よく食べに行きました)を、「タミー」のママは新開地でお好み焼き屋を営んでいました。最後にお会いしたのは20歳と30歳の頃、私がコーベブックス入社前に「ジュニア」さんは死去、「タミー」さんのその後は存じ上げません。兎にも角にもお世話になりました。
追伸。私に秘密などまったく御座いません。というよりは暴露するのもされるのも大好きなのです。何故なら、人の中で最も変わらない部分は性愛構造、ブルトン流に申せば「野をひらく鍵」ということになりましょうか。それが災いして東京ではこのところ絶交状が飛び交っております。ちなみに、当方からの一方的絶交です。プライドは格闘技の世界に任せたいものですね。
松友さんへ
もう一つの「癖」なんぞ、治す必要があるんですかね。気に掛ける必要すらないんじゃござんせんか。MOONさんなんざあ、私ごときが出る幕もないご立派な変態であらせられるじゃないですか。御邪魔ビンラディンさんやMOONさんとご一緒して「性的不能者の文学館」など編輯すればいかがかしらん。第一回配本は「ロリコンの呟き」。投げ込みのタイトルは「文学にとって癒しとは何か」と「性的不能その悲劇の根源」。呟きがしわぶきにならない内に纏めて下さい。これからは高齢者の時代を迎えるわけですから、売れることは請け負います。出版社はソニーがいいんじゃないかしら。
渡辺淳一さんの小説だって、ちょいと見方を換えれば川端や谷崎に勝るとも劣らないインポ文学じゃないですか。ホラーやミステリーのような若者向けの小説は余命幾ばくもありませんよ。
なるほど、さすがに花柳界の事情にお詳しいですね。潰れちゃいましたが、二宮に「ポパイ」ってのがあったでしょう?あの店も確か寄港船員がよく出入りしていたその筋のお店だったと思いますが、あの店も貴兄に教えて貰ったのかな。「倶楽部DOMA」と「スキン2」は随分と新しいお店だと思いますが、御出身は貴兄が挙げられたお店かも知れませんね。その2店ともう一店、都合3店は親子でやっておられる様子で、HPも作っておられます。ただこれらの店は随分と今風でスタイリッシュで大人しいお店です。北海道の牧場でスワッピングですか、佳いですね、実に健康的で牧歌的な風景(どこがやねん!)。「タブー」は一度貴兄に連れて行かれたと記憶しています。きんちゃんにも色々案内して貰いましたが、今では残念ながら殆どのお店は消滅しています。しかし、貴兄が十代の頃から花柳界の女性に玩具にされたことは聴いておりましたが、その「タミー」の独身寮でも性的玩具としての教育を受けておられたとは、全く知りませんでした。貴兄はそちらも素晴らしい才能をお持ちだと、以前意味ありげに梅子さんから聴いた事がありましたが、なるほど、両性の専門学校ご出身だったんですね。あの福原のご自宅の真ん前が寮だったのですか?気が付きませんでした。「デビューが早かった割に未だ生臭さを保っているのは立派でしょう」ふむ、確かにこれもご立派。「白黒ショー、黒黒ショーにSMショーのオンパレード」、これも実に楽しそうですね。一度、貴兄ご自身が出演の素晴らしい白黒ショーを拝見したいものです、一般公開前のプレミアショーですね、貴兄の、素敵な毒素をたっぷり含んだ銀製の「野をひらく鍵」を是非観てみたいものです。しかし、またまた絶交状騒ぎですか、お疲れ様です、何故そんなことになるのでしょうかね。
moonさんへ
二宮のポパイは結構なお店でよく行きました。同じ二宮にあったプーペ、確か中学生の頃の話です。こちらはピアニストの当麻さんに連れて行かれたのが最初で、私が月並みなウィスキーを注文したところ、「それはぼんが飲むようなお酒ではない」とグランシャンパーニュの35年ものを奨められました。初任給が5000円ほどの時代、原価で50万は下らないコニャックだったと思います。ムーンライトも同様で、宛われるのは常に化粧瓶に入ったコニャック、あのころはブランデー神話が生きていたんですね。どうやら、それが引き金になってウィスキー好きになったようです。
福原の家の向かいの寮というのは黒田荘というアパートで、オーナーは中村美容院、後年の割烹赤坂です。黒田荘をタミーが建物ごと借り切って寮として用いていました。
十数年前、いろんな雑誌で阪神間のことを書かされたのですが、父が生きていたので福原を描くのは躊躇われました。父にとって水商売とは、女郎屋、置屋、お茶屋、仕出屋のみでした。クラブやバーの類は気質さんが営む商売として、最後まで認めなかった。こだわりでもあったのですかねえ。飛鳥のママさんの母親が岩国で外人バーを営んでいたのですが、やはり、父とはうまくいかなかったようです。いずれにせよ、関係者の大半が亡くなられたので、福原と花隈についてはどこかで著すつもりです。共に伊藤博文が拓いた色街というのが引っ掛かりますが。
私を過激な共産主義者にしたのは父、すなわち福原なのですが、水上勉さん同様、著さねばならないことは山のようにあります。父が逝った時、一滴の涙も流さなかったのは表向きでして、自宅に辿り着き一人になってから、朝まで泣き崩れました。私も所詮は人の子ですかねえ。あれほど嫌っていた福原が、最近は懐かしく感じられる時があるのです。
「赤坂」の息子が後年、赤坂でショット・バーを始める、親父が生きていたら呆れたでしょうね。
秘密倶楽部は秘密が売りでして、ここに記すのは憚られます。あちらさんから早速クレームが付けられました。従って、メールで送りました。よろしく。
赤坂のぼんへ
なるほど、色々と繋がりがあって実に興味深いお話ですね。「福原と花隈についてはどこかで著すつもりです。」これは楽しみですね、伊藤博文って確か兵庫県知事だった事がありましたよね、その頃の話でしょうか。花柳界やその周辺の風俗には興味が尽きません。白鶴美術館の元館長さんも、長崎の遊郭ご出身で郭について書かかれた本がありますが、縁あって読ませていただきましたが、あまり面白くない。貴兄が書かれるのなら読み物としてそりゃ面白くなりそうです、面白いネタ探しの才にも常々感服しております。
貴兄からの秘密のメール、楽しませていただきました、また続編を是非お願いいたします。
さらに重箱のすみをつついて申し訳ありませんが
「ぱん」ではなく「ぱい」です。
「けーきなのか?ぱいなのか?」であります。
けーにひすくろーねの名物の「こるね」のことを
いっているのであります。
あぁ食べたい・・・。
奥歯さんへ、先日の哲学問答に感謝。
「もともと人は好き嫌いだけで生きています。自らの感性や直感を正当化するために、理屈は後を追ってやってきます。対象が酒であれ、食物であれ、友であれ、すべては同じ筋道をたどります。理なくして、想いに形を与えることは叶いません。だからこそ、最も大切なものは思惟であり、思想なのです。思惟とは宛もなく立ち徘徊(もとお)ることであり、思想とは自らへの懐疑に他なりません」とは店の寡多録に記すところですが、この思惟を哲学に置き換えれば先日の話の通りが少しでもよくなりましょうか。そもそもフィロソフィーを哲学と訳したことからして面妖な話で、素直に叡智とするのが妥当ではなかったかと思われます。
哲学とは行為であり、営みであり、運動なのは言うまでもなく、そのエネルギー源には対極としての概念、もしくは複数の概念が必要となります。ひとつの概念もしくは価値観が生まれた時、即座にそれを疑ってかかるのが人の叡智であり、思惟なのだと思います。繰り返しますが、ひとつの価値観が派生した時、それに対応する新たな価値観を自らの中に拵えないことには精神に振幅運動は始まりません。この価値観を歴史観と置き換えても意は同一です。それら精神の構造上の骨格を成すのが懐疑ではないのかと思うのです。他人を疑うというのは言葉の撞着です。懐疑は常に自己の深部めがけて穿たれていきます。私がポリシーとかアイデンティティーなどという言葉を忌み嫌うのも、自信など持ってよろしいのですか、もしくはひとつの立場に安住していてよろしいのですかとの疑問を自らに突きつけるのを常態としたいからです。
社会の最小単位は夫婦であり、親子であり、家族です。でもその絆が、やがて町になり、地域になり、社会になり、国家になり、民族になり、宗教にも変化していきます。精神の帰属や同一性という魔物が排他性を育み、また単位としての矜持が、自信が民族の浄化を正当化し、人々を殺戮へと向かわせるのです。別のところで「若さから美貌、肉体から貞操、親子から兄弟、売れるものはすべて売りましょう。もちろん最初に売り払うのは愛人であり、恋人であり、連れ添いなのです。本当に無一文になった時には天皇陛下万歳を三唱して死ねばいいではありませんか」と著したのは、謂わば私流の弧絶の薦めなのです。弧絶としたのは他でもありません。孤独という受け身の甘酸っぱい感傷とは無縁の、能動としての参画としての孤独、即ち引くに引けない失意の果てに我とわが身を投じるしかなかった暗闇。そういった孤独を弧絶と呼びたいのです。そしてその弧絶こそが、精神の帰属を拒否し、自己同一性と闘うための唯一の武器になるのです。
何時の時代でもそうなのですが、若者の中にはポリシーとかアイデンティティーが国家や民族や宗教とは結びつかず、大事なのは一重に私だけ、という考えが根強くあるのを識っています。そういう人はアイデンティティーは自己の内側にのみ向かうものと錯誤しています。なぜ錯誤というかについては好例が数多あります。かつてヒトラーは選挙で選ばれたのであり、わが邦において軍靴の跳梁を許し(許すというのは支持するに等しいのですが)たのはかかる無意識かつ無定見なマジョリティーだったのです。要はアイデンティティーを声高に唱える人々こそが多数派の構成要員なのだということです。
一方で、若者を酔わせてやまない「選ばれた少数者のために」との標語があります。ゲッペルスが好んで用いたプロパガンダですが、昨今ではなりふりかまわぬ広告代理店や出版社の金看板と化しています。用いる側すなわち資本家は少数者かもしれませんが、踊らされた消費者がマジョリティー、要するに一般大衆でなければなんなのでしょうか。話を書物に限っても、書物は複製芸術であり、いかに限定を謳ったところでそれすらが逞しき商魂。よしんば購入者にマイノリティー意識という妄想を抱かせたとすれば、それは偽善でしかないのです。というようなことを書き綴っていると、どちらが妄想を抱いているのか、境界線が定かでなくなってきます。
貴女は大学で哲学を専攻なさったという。私の学歴は中学校中退なので、哲学の通史や言葉の意味を学ぶ機会はなかったのです。言い訳は不本意なのですが、用語の選択に曖昧さが残るのも致し方ないのかもしれません。綻びを縫い、でたらめを取り繕うようにして、断片的な知識を糊と鋏でツギハギすることが、中学生時代の理由のない怒りと飢えを宥めるために必要でした。そして誰もが逢着する自家撞着、大方の人はそれを飼い慣らすことによって「人間性」に目覚めて行きます。しかし、それでは「情念とのクリンチ」は手付かずのままじゃないですか。矛盾をいかように飼育調教したところで、新たな壁が次々と立ち顕われるのは必定。「矛盾が矛盾、撞着が撞着でなくなるような至高点」も、私にとっては夢物語にしか思われず。されば、いっそ虚と実、偽と真の間にバイパスを拵えればどうかと、これは辻潤の著書から糸口を掻っ払いました。覚束無かった手綱さばきも、知らぬ間に馴染んできます。人間性という空虚な先入観を打ち壊したバイパスは、現況と至高点との間にすら有効でした。躍動と蠢き、飛翔と脈幅、すべての価値は倒壊し、他者と私は等価な存在となって行きました。他者が私の中を過ぎ行き、私が他者の中を通り過ぎる。いたるところで滲透し合う存在と存在。謂わば存在が伸縮自在なオブジェと化したようです。さらに、等価は無価値となって居候を決め込む始末。目の前にごろんと寝転がる無価値、すなわち虚無がもたらす風通しのよさが私には愛おしくなりました。
私の為事に結論はありません。ただ、貴女との問答の中で概念の曖昧さをこっぴどく突かれました。対応の至らなさに畏れ入っております。でも、私にとっては久しぶりの快感、「身にしみそめし秋風の月」の心胸です。
29日の月曜日、種村季弘さんがNHKの柿沼さんを伴って来店。著書翻訳を取り混ぜ、年内5冊、来年10冊の上梓を確認。それ以外に文庫がおそらく4冊は刊行される予定。過去書き溜めし膨大な量の作品が順次形になって行きます。
例によって、取り留めなき歓談の一夕。「エロティシズムとの蓮っ葉な文言に興味なし、エロでなければ臨場も煽情も感じません」「ビンラディンのお陰で熱海も箱根も息を吹き返した」とアイロニーの連発。相も変わらぬ先生の反語的精神に溜飲が下がる。すべての存在に対する悪意と嘲笑と哄笑に乾杯して、群衆の中に紛れ込む先生を見送る。自らの孤絶を知るに巷の群衆は必要欠くべからざる書割なり。
次回は11月12日に来店なさいます。新刊の学研文庫に署名をして頂くのが目的。お会いしたい方もしくは署名本をお求めの方は是非いらして下さい。
一考さんへ
返信で3件ほどお返ししましたが、e-mailちゃんと受け取れていますか?
以前お送りしたフリーのメールソフト、ちゃんと設定すればso-netとmac.comの貴兄の2件分のアドレスへのメールを、自動で取ってくれますよ(^_^;)。
一考さま
一考さんの思想を記す当て馬に使われているだけのような気がしますが、それでも光栄です。ありがとうござ
います。
不在するために
いつでも
あなたはゆらゆらしている
その揺れはばを
はかりきることができなくて
わたしは膝をかかえこむ
(金子千佳『遅刻者』思潮社)
いや、かかえこむつもりはありません。
私が哲学科を出たということ、一考さんが出ていないということ。
当然ながらそんなことは思惟にとって何事でもありません。
哲学科で学ぶのは哲学史だけ。今ここにたち現れている思考に、数千年の哲学史など薬にもなりません。
「人が考えたから考えなくて済む」をいうわけにはいかない領域こそが哲学であり文学ではないでしょ
うか。
私が用語にこだわるのは単に思考に不可欠だと思うからです。哲学用語が邪魔になるなら捨てても結構。
私と一考さんで新たに言葉を創ればよいことです。
ただ私は、一考さんが、そして私が、ある言葉で何を指しているのかをはっきりさせたいだけなのです。
バベルの塔を建てるための言葉の煉瓦があやふやでは困るのです。
言葉はアリアドネの糸です。思考の軌跡を残しておかなければ同じところをそれと気づかぬまま何度も
ぐるぐるまわるだけにもなりかねません。
糸がなければ迷宮を進むことは出来ない。
そしてまた同時に、確かに糸は先には伸びていないのです。
言葉は常に後付けで、進む先からは遅れている。しかし、思考の道行きに携えていくにはそれしかない
ではありませんか。
なるほど、恋人と一対になることでさえ帰属である。それから逃れたならば次に向かうのは自分自身に
なるでしょう。
自己にすら帰属しないこと。
一考さんがアイデンティティーという言葉を忌み嫌うのは当然です。
アイデンティティーを保つとは自己に帰属することに他ならないのですから。
「二階堂奥歯なる私」など社会的な約束事に過ぎず、「思考者」(いや、「者」が邪魔ならいっそ「思
考」でも「思惟」でも)は無名です。
名前、自己同一性、そんな重いものを引きずっていたらどこにも行けません。言葉を軌跡としてただ飛
べばよいのです。
自己同一性を求めないなら、この矛盾をそのままにしておける。
一考さんが見つけたこの方途。
そして至ったフラットな世界が「すべては同じ」だと言えるものならば、その世界は私の求めるもので
はない。
そこが私にはよくわからないところです。
一考さんはすぐに「すべて」と言う。「すべて」を捨て、「すべて」を疑うと言う。
「すべて」なんて言葉は発した瞬間に「すべて」を捉える立ち位置を作ってしまいます。
きっと、一考さんはその立ち位置さえもすぐに疑うのでしょう。動き続けるのでしょう。
でも、「すべて」と一まとめに扱うのは大雑把すぎ、楽すぎ、危険すぎます。
「一」に至るにはまだ早い。
すべて異なるまま、差異を明らかにしたままで、それを位置付ける価値体系をなくす。
いや、それは価値体系を一つも持たないということではなくて、無数の価値体系を同時に持つことによっ
て、どこにも帰属しない無意味なオブジェとしてすくいあげるということなのです。
フェルメールの絵のようにしらじらとした光の中で、くっきりと、あまりにくっきりとした輪郭を持つ
個物が並ぶ世界。
もう一つ、一考さんが振幅というその言葉、私はそれがよくわからなかったのです。
それは同じところに何度も立ち戻ることかと思ってしまいました。
でも、そうではないのですね。同じ道を辿って行きつ戻りつするのではない。
たとえ同じ道だとしても、歩く一歩は地をうがち、道は下へと向かうでしょう。
思考は螺旋を描いて下降し、地獄巡りがはじまるのです。
パラフレーズ、それもまた同じことを繰り返すことではない。
同じ地点からより明確に見ること。考えを自分になじませ使いやすくすること。新たに進むための道具に
すること。
言われきったこと、書かれきったこと、それはもはや目的ではなくて手段です。
私は足場を作りながらそちらに向かって進みます。今日はここまで。
いや、一考さんに「そちら」になんていないでしょうけれど。
あるいは、「ここ」にも「そこ」にもいるのでしょうけど。
私の言葉は意味が不明確な部分多々多々あり。
「観念的すぎてなにを言っているのかさっぱりわからん!」と言われたばかりなのに、またやってしまいました。
熱い一考さんへ
奥歯さんってどんな女性なんでしょうかね。貴兄のメッセージ、まるで彼女へのラブコールのようで、実に真摯で熱を帯びた書き方ですよね。さぞかし可愛くてチャーミングな女性なんでしょうね、ちょいと興味津々であります、しかし同時に、彼女に対してジェラシーをも感じてしまいますね。貴兄が彼女との問答でこっぴどく突かれたと仰ってる、その曖昧な概念って一体何なんでしょう、想像もつきません。貴兄は昔と違って物事を至極丁寧に説明してくださるし、曖昧さなんぞ露ほどもないように思われるのですがね。ひょっとすると、惚れた弱みで答弁もしどろもどろ、要領を得なくなっていたとか、てなことはないですよね。貴兄の文章を再読してみると、どうも気になるなぁ~、奥歯さんの存在って。貴兄の真面目な書き込みを茶化すような物言いをしてどうもすみません。ところで「存在が伸縮自在なオブジェと化したよう」とは羨ましい、なかなか伸縮自在なオブジェとはならない今日この頃であります。
梅子さん、カラヴァッジオ展良かったですか?
二階堂奥歯さんへ
どうもはじめまして。moondialと申します。
先程の小生のメッセージ、貴女のメッセージを読む前に投函していまいました。
お二人のお話を茶化しちゃって申し訳ない。
思うに、きっと一考さんは、貴女に相当な思い入れがあるのですよ、魅力的な方なんでしょうね。
一度是非お逢いしたいですね、神戸に遊びに来られませんか?歓待しますよ。
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