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一考 | ジュマンフーヴィスム

 ふたたび友が死して

 愛したひとから託されたひとこと、逝ったひとから告げられたことばは重い。でも、そのことばがもたらす波紋は惨い。こころ優しいひとにとって無慈悲なことばは時として死を招く。それは死人の邪気なのか、はたまた深慮遠謀なのか。
 他者が身をひそめ対話が喪われ死者が一人歩きをはじめる。ことばが秘められそのなかに悪意が充填される。込められたもののなんたるかを当事者たちはだれも気づかない。気づきさえしなければ罪に問われることはない。
 ひとは死者のために涙する、ひとは生者を顧みない。その尊大さは誰のためのものなのか。死者のためではなく、生者のためではなく、それは当事者のみが浸る慢心と傲慢。あのひとのためならとの美詞に隠されたゆがんだ欲望。
 死者の名において鉄の雨が降り、惨劇が繰り返される。おびただしい生贄の最初のひとりに選ばれるのはあなたなのか私なのか。私の近親者ならなにもいうまい、私自身ならさらになにもいうまい。自己犠牲も自欺の一種なのか。
 濡れた壁の向こう側に射止められたあなたは明らめて見るのをやめた、なんの道義もないのに。いつわりのたばかりの凍てついた笑いのなかで、あなたはなにを見失おうとしたのか。託されたのはあなたでなく、告げられたのは決してあなたではなかった。
 波紋がひろがらないように努めるのが生きとし生けるものの習い、ことばや知恵は諍いを鎮めるためのものでなかったか。遺された一口のことばを生者のために置換する、内なる機構の外の世界への置換、それをなおざりにすれば死者の名誉は毀損する。

 死者が粧られて展示される人権博物館。入館許可書の片隅に小さく空押しされたひとこと、糞食らえ。



投稿者: 一考    日時: 2005年04月25日 20:06 | 固定ページリンク





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