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一考 | 内藤三津子さんのことなど

 馬場さんへ
 いつぞや某誌に「今となってはすべて懐かしい思い出である」と書いてこっぴどく叱られたことがある。確かに不用意な文章である、というよりは内容空疎、陳腐な常套句と言えようか。懐かしさを「懐かしい」との言葉を用いずに書き表すのが表現であって、これが私の肉声だとするならば恥じ入るしかない。
 「閑話休題」と「物懐かしい」は宇野浩二がよく用いる文言で、宇野浩二の愛読者である私はついうっかりしていたのである。私のような凡庸な輩は文章を反芻せず、むしろ緊迫感すら抱かずに文章を拵える、悪い癖だと分かっているのだが、そこから抜けきられないがゆえの凡庸なのである。
 さて昨夕、「何ともいへぬ物懐かしい臭い」と久しぶりに出逢った。臭いの主は内藤三津子さん、臭いを漂わせた場所は「風紋」ではなく新宿の「エイジ」。実は締め切りを終え、居ても立ってもいられなくなり、深夜のエイジへ酒を求めて立ち寄ったのである。三十余年前に幾度となく内藤さんとはお会いしているのだが、その後は電話のみにて、ついぞお会いする機会がなかった。カウンターでお互いその人と知らず、官憲の悪口を肴に酒を飲んでいたのである。やがて私に電話が入り、「一考ですが」・・・「あら、あなた渡辺一考さんなの」で官憲への罵詈雑言は薔薇十字社時代の「戦友の思い出」に取って代わった。三島由紀夫から澁澤龍彦へと華やかな会話の裏で内藤さんがふと洩らした一言「晩年がこんなに長いとは思いだにしなかった」。
 記憶が違っていれば申し訳ないのだが、たしか「血と薔薇」が創刊されたのが68年か69年、四冊の終刊から一年を経て、薔薇十字社が設立されたと記憶する。わずか四年の期間であったが、内藤三津子の名はいまになお語り継がれている。
 編輯とは他者との出逢いと排斥、他者と自己との境界を劃定し続ける試みに他ならず、出版は金銭との格闘に終始する。そして権威、才能、実績の裏面にはかならずやセンチメンタルな情動が寄生する。その感傷を、薔薇十字社時代の恨み辛みを近々札幌の出版社から上梓されるとか、鶴首して待ちたい一本である。
 この書き込みを馬場さん宛にしたのは他でもない。「さくら」に於ける月一回のトークショーは結構なのですが、過去に生きた自らの歴史をかなぐり捨て、沈黙してしまった60年代、70年代のプライヴェート・プレスの人たちとのトークに出来ないものでしょうか。華やかな一時を過ごした敗残兵たちの、血と薔薇ならぬ宿酔と血痰の日々、若いときには想像することすらかなわなかった老いてからの屈折と苦衷、陽の光に翳さねばならないのはそちらの方ではないのでしょうか。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月20日 20:34 | 固定ページリンク





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