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松岡達宜 | 側女のような心地にての御礼状 (再投稿)

2005年02月18日の、過分なお褒めの言葉、痛く、感謝いたしています。確かに、ご指摘のようにわたしの歌は吃音的短歌であり、歌壇のorthodoxyからは多分、ご褒美の便りはないでしょう。なぜなら、初めて「歌集」を出版してみてわたしの手から離れたわたしの歌集が、ひどく風変わりなobjetに見えてくるのでありました。それは渋澤龍彦さんの、「夢みる少女ーバルテュスの場合」にあるような王国、(処女歌集とはよく言ったもので)少年・少女の恋のみが真のリーベンであり、成長していやらしい陰毛が生え揃えば王国は崩れる。処女歌集の一瞬の夢見る処女性などはたかが、知れているがそれでも、ひとりの処女の時間を少しでも長く、見つめてくれとわたしのobjetはいうのでありました。ところで、バルテュスの少女の姿態は爛熟した側女(ソバメ)のような淫靡さもそこはかとなく、漂わせています。午睡のたゆたいの奇妙なエロティシズム。ああ、わたしの歌集はそんなEROTICな雰囲気は当然にももってはいないのですが、正しき意味で正妻ではなく、ニゴウさんの、少しくドモリの側女なのだ。ソバメは正しい生き方は下手で上手くできないだろうが、下方からの「目線の移動」は黒塀、路地裏、ヒヤシンス(?)の哀愁のまなざしがあり、淫靡で色っぽいだろう。隣りの人妻に横連慕した、北原白秋の「哀(かな)しくも君に思はれこの惜しくきよきいのちを投げやりにする」の歌を、水先案内人としてわが「処女歌集」が隠花植物のように、たまには側女の庭に咲く朝顔のように、路地裏に咲くことを不肖の隣人として願っています。渡辺一考様、貴方様の「論」でわたしはしばらく、いい気持ちでいられます。敬具 拝松岡達宜



投稿者: 松岡達宜    日時: 2005年02月26日 11:28 | 固定ページリンク





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