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2013年04月 アーカイブ


2013年04月30日

さようなら  | 一考   

 瀬戸口誠医師の戸田中央での最後の日、明日からは埼玉県済生会栗橋病院へ赴任となる。済生会栗橋病院は東京女子医科大学の関連病院であり、医師は同大学からの派遣によっている。瀬戸口さんは「おいでよ」と云うが、茨城、群馬、埼玉の県境、ちょいと遠すぎる。
 済生会栗橋病院には名物外科医の本田宏さんがいる。日経メディカルブログの「勤務医よ、闘え!」はじめ、数冊の著書でもって医療崩壊と闘いつづけている。「朝まで生テレビ」の「医療崩壊」にも出演なさってい、過激な発言は夙に知られる。本田さんと瀬戸口さんの組み合わせだとどうなるのか楽しみである。
 それにしても、医師とここまで親しくなったのは稀である、山崎医師に次いで二人目になる。瀬戸口医師の後任は松田さんという女医らしいが、第一印象がすべて、決してトラブルを起こさないようにと念を押された。

 6月末に1年目の生検を戸田中央で済ませてから神戸へ引っ越して欲しいと瀬戸口さんは云う。移植手術は7月18日だったが、通常は手術後3箇月で拒否反応は収まる、しかしわたしの場合は11箇月を経て未だに落ち着かない。拒否反応さえ収まれば、免疫抑制剤の量を減らしてサイトメガロウィルスの退治ができるのだが。
 今日の血液検査はクレアチニン1.63H、Hb10.5L、Ht33.2L、タクロリムス4.8、セルセプトとサイトメガロは検査中。検査中なれど、サイトAgは3から4を行きつ戻りつしている。他はそれなりに安定している。それなりにと書いた理由はクレアチニン1.63Hなど、本来あってはならない数値だからである。

 瀬戸口さんが下血にだけは気をつけて、命に関わる問題だから、下血がないときも下痢には注意をするように。大丈夫、ミヤBMを飲んでいますから、とわたし。病院慣れしてきたね。看護師が二人、暖かい笑みを浮かべてわたしたちの遣り取りを見守っている。瀬戸口さんと別れの挨拶を重ねる。なにかしら云わなければならないことがあるのだが、口篭ってしまう。御懇情を賜わり・・・それから後は言葉にならない。


2013年04月28日

益子焼  |  一考

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 昭和12年日立製作所の窯業文化(特に碍子研究)向上のため大甕(おおみか)陶苑が設けられた。戦後になってより本格的な陶房として操業すべく、昭和31年に京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)に技術員の紹介を依頼。その折、日立へやってきた若き陶芸家が、富本憲吉の指導を受けた加守田章二と竹内彰だった。やがて加守田はより自由な作陶をもとめて益子へ移り、竹内は日立に残って伝統的な要素を持つ政策をつづけた。
 加守田章二と同じく日立製作所および塚本製陶所の研究生になった弟子筋に当たる陶芸家に菊池昭がいる。生年はわたしと同じで、はじめての個展は昭和51年に西武デパート池袋店で催している。
 益子は何度か行っているが、今までさしたる興味を持たなかった。なるほど加守田章二の作品には良いものが多い、しかしわたしの手に負える価格でない。今回の菊池昭作うずら文茶碗は内容価格共に一目惚れだった。
 那須烏山市に築窯したヘスアルド・F・ブラボ、益子木綿の日下田正氏に師事し草木染手びき木綿織りを手がける箱田侑子も忘れられない作家である。後者は確か目白千種画廊で個展を催したと記憶する。


HPのリクエスト  | 一考   

 .edu(米国高等教育機関)からリクエストがあって愕いた。ついでに、同日「クレアチニンが4.6、貧血が9.9 造血ホルモン」とのリクエストがあった。「腎不全で手術ってあるの?」と云うのもあった。
 クレアチニン値が4.6mg/dLと云うのは、腎臓の機能が30パーセントから10パーセントに低下した状態で腎不全の症状が出てくる。クレアチニン値が8mg/dL以上になると人口透析か腎臓移植が必要になり、それを捨て置くと一年以内に確実に死ぬ。貧血が9.9とあるが、こちらは取り立てて貧血というほどのものでない。況んや、造血ホルモンはクレアチニン値が4.6の段階では不必要である。
 「腎不全で手術ってあるの?」は愚問である。腎不全の段階で手術の要はないが、早晩末期腎不全になる。人工透析をはじめるに当たって動脈と静脈を直接吻合しなければならない、その箇所をバスキュラーアクセス(シャント)と云う。これも立派な手術である。腎不全になれば、何等かの手術(透析か移植)を施さなければ生きてゆかれない。「あるの?」ではなく、必須である。


関根の白胡麻油  | 一考   

 先日、衣揚げで東西の天麩羅油の違いについて著した。ところが、さらに調べてみると意外なことが判明した。
 「関東と関西では今もむかしも揚げ方ならびに油の調合はまったく異なる。胡麻油は常温で圧搾すると淡黄色の油が得られるが、わが国では事前に胡麻を炒る。従って、搾られる油は黄褐色で特有の香りと味をもつ。特に関東で使われる黒胡麻(くろしぼり)と云う胡麻油はその香りが強烈である・・・関東ではくろしぼりをメインに、綿実油(最近は大豆油が増加している)などさまざまな油を調合するのにたいして、関西では綿実油をメインに1、2割ほど白胡麻(しらしぼり)もしくはくろしぼりを入れる。よって胡麻油特有の香りは関西ではほとんど見受けられないか、縦んばあっても淡い」と著した。
 天麩羅が江戸で人気を博したのは周知だが、江戸期の天麩羅油といえば春日部から船で古利根川を下り、江戸へ運ばれた武州胡麻油である。武州でもっとも知られた油屋と云えば関根である。
 関根が武州春日部で胡麻油を造り始めたのは今から290年以上前の八代将軍吉宗の享保年間である。往事、胡麻油はとても貴重で、燈油、薬や化粧品に用いられた。やがて作付面積も増え、江戸前天麩羅の揚げ油として流行っってゆく。
 武州胡麻油は白胡麻で、風味を損わないように低温で煎り、低圧搾し、ゆっくり濾過を繰り返し純度を高める。要するに江戸期の天麩羅油はことごとくが白胡麻(しらしぼり)だったのである。癖のないさらりとした口当たりとほのかな香り、謂わば胡麻油の一番搾りとでも云うべき質の高い油だった。
 それがいつ頃黒胡麻(くろしぼり)に変わって行ったのか分からない。ただ、江戸っ子を気取るような人間は得てして田舎者が多い。明治に這入って急速に東京の人口は増える、おそらくその過程でしらしぼりの品の良さよりもくろしぼりの強烈な癖が江戸っ子に相応しく思われたのであろう。今では東京の天麩羅屋はくろしぼり一色になった。


Mac mini  |  一考

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 マックがインテルを使うのは良いのだが、二、三世代前のアクセラレータでもってニュータイプはなかろう。マック特有の大名商売がはじまったようである。はじまったと云うよりは回帰したというべきか。
 写真は解体したminiのロジックボードである。ロジックボードの上に写っているヒートシンクを外すのがちょっと厄介だった。CPUを差し替えるまでに掛かった時間は二時間弱、ネジはすべてで17本、次回からは一時間以内に短縮される。miniだけあって構造は実に簡素化されている。
 マックのパソコンは昔から高い、アイデアだけで商売する会社である。もっとも新品で購入する気はまったくなく、どうでも良いのだが。


2013年04月26日

QuickSilver  | 一考   

 PowerMac G4 733MHz QuickSilverのジャンク品を300円で買った。発売当時は「五月蠅い」と振り向くひともいなかったのに、その後人気が出たという不思議なモデル。ジャンクの理由はHDD、同IDEケーブル、同マウンタの欠品。メモリは512MBが1枚ささっているとの代物。
 仮に起動しないとすれば、わたしの出番である。電源、ケーブル、グラフィックボード、ロジックボードのいずれかに問題がある。LC475からG5に到るパワーPCならデスクトップからノートブックまで、どのような修理でもお手のものである。
 かつてiBookの不動品を掴まされたことがあったが、電源とロジックボードのケーブルならびにロジックボードとキーボードのケーブルが双方ロジックボード側で外れていただけ、繋ぐと瞬時に起動した。おそらく前の持ち主が組み立ても出来ないのに解体したのが理由のようである。足らないネジを補い、パソコンは明石へ行ったが、どうやら使われていないようである。使わないなら戻してほしいのだが。
 QuickSilver到着後、手持ちのG4 450MHzから欠品を補填、同じく手持ちのパーツばかりだが、グラフィックボードはNVIDIA GeForce2 MX 32MをNVIDIA GeForce4 MX 64Mへ、メモリは1.5GBへ、CD-R・RWドライブはDVDドライブへ換装した。ただし、MOはヤノ電気なのでドライバが入手不可能、こちらは富士通のMOを200円で購入、到着を待っている。

 以前買ったG4 Cube 450MHzは非力なCPUが理由で動画が一切開かない。メモリは1.5GB、グラフィックボードもNVIDIA GeForce2 MX 64Mへ換装したが、やはり動かない。こちらはSONNET ENCORE/ST G4 1000/2M 1.2GHzのCPUを2450円で購入。これでG4としてはほぼ最速のモデルに化けた。動画はグラフィックボードでなく、アクセラレータの問題だと分かった。

 Intel core Duo 1.66GHzをcore2Duoへ換装しようと思い、2000円を奮発してIntel core 2 Duo 2.2GHzを買ってきた。こちらはヒートシンクの外し方が難しそう。ものはMac miniである。これだけ遊んで計5000円。金の問題でなく、触っているのが愉しいのである。


2013年04月25日

ひよこ豆とレンズ豆  | 一考   

 リゾット風を造った序でに、ひよこ豆とレンズ豆を検索。ひよこ豆が750グラム650円、水煮罐なら400グラム204円と安価である。チャナーマサラやチャクチュカは以前から造ってみたいと思っていた。そしてレンズ豆はさらに廉い。1キログラム558円、水煮罐なら400グラム189円である。拙宅のメニューが増えそうである。
 カレーはもとより、ひき肉をレンズ豆で代用し、生姜味噌で煮込んだビーガンのレンズ豆の肉味噌風は美味。ビーガンにこだわりがなければ、鶏肉を用いればさらに結構。
 インド北部のカレーは南部のそれと比してスパイスが控えめ、それと香菜の使い方が絶妙、そうでなければ毎日は食べられない。南部のカレーはとろみがなく、口当たりはしゃばしゃばで淡白だが、とにかく辛い。もっともわが国のカレーは北部のそれの筈なのだが、激辛が多くて困惑させられる。

 葉山のティラキタ(http://www.tirakita.com/food/id_spc_dal.shtml)はインド系アジアン雑貨ショップだが、レトルトカレーを多品種扱っている。ベジタリアンカレーが17種類、豆のカレーが12種類、鶏肉カレーが2種類、パニール(チーズ)カレーが9種類、他にカレーピラフが2種類とスープが2種類。他にもあるだろうが、これだけ揃えているところは尠ない。

 http://cookpad.com/category/1228
 http://cookpad.com/category/1230
 http://cookpad.com/search/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%BA%E8%B1%86

追記
 カレー粉を用いた雑炊など邪道かもしれないが、これだけ粥が続くと、少々越軌しようがしまいが、どうでも良くなってくる。昔からそうだが、料理には行儀も作法もなにもない。旧套を脱するところから新たな料理が創られてきた。極端な云い方をすれば、河豚や茸のように「食む」との行為に命懸けで立ち向かってきたのである。わたしは須臾前から深海魚に凝っているが、これらの魚をはじめて口にしたひとはなにを考えたのだろうと何時も思う。料理に先達の教えもへったくれもあったものでない。
 30日まで下血がなければ、サイトメガロウィルスの影響は今回は脱したと考えて良いのでないかと云われている、あと一週間ほどである。30日の血液検査の結果は3日の金曜日に判明する。結果次第で少しは動かれるようになるのだが。


2013年04月24日

輸血の問題点  | 一考   

 輸血をしないと死ぬのは分かっている。そして輸血によって露命を繋いだ。医師に感謝し、夥しい献血者に満腔の謝意を表したく思う。
 粥を啜って露命を繋ぐと世に云うが、正に地で行くとはこのこと。そこまでは良いのだが、とんでもない問題を突きつけられている、抗体である。輸血は臓器移植のひとつだが、血液製剤にはさまざまな献血者の抗体も含まれる。自分の体内にこれまでなかった種類の抗体が潮津波のごとく押し寄せてくる。
 それでなくとも移植者は免疫抑制剤で抗体を抑えなければ生きてゆけない。そこへ新たな抗体が悪戯をする。延齢を図ると碌なことにならないとの証左である。

 人工透析器は腎臓の代わりに拵えられた血液浄化装置である。ただし、腎臓は脳の次に複雑な器官で、血液浄化以外にもレニンというホルモンを分泌し血圧を調節する、ビタミンDを活性化する、骨髄に作用して赤血球の産生を促進するエリスロポエチンというホルモンを作る等々、さまざまな働きを持っている。翻って人工透析器は血液浄化すなわち老廃物を身体の外に排出する役目以外の機能は持っていない。
 人間の赤血球は、四〜五箇月程度の寿命しかない。従って、人工透析を続けている患者はほとんどが輸血に頼って生きている。輸血のおもしろいところは、癌を防止する体質をもつ人の血液を取り出し、癌を患っている人に注入すれば、例えば腫瘍の萎縮という形で、血液の抗ガン効果が即座に現れる。ただし、その作用は短期間に限られる。わたしの場合は輸血によって鉄分が補給されたため、ヘモグロビン値が暫くは上昇する。要するに下血がない限り、四箇月間は貧血すなわち失神から解放されるのである。


2013年04月22日

嚥下障害  | 一考   

 わたしが入院した直後に誤嚥による窒息で緊急入院、気管切開した患者が隣のベッドへ這入った。喉周辺の筋肉や嚥下中枢(延髄)の機能が衰えた高齢者に多い事故で、屡々誤嚥性肺炎を招く。齢八十、上背があって顔付きが生田耕作によく似ている。
 今回は肺炎に罹らなかっただけ幸運なのだが、もっかお襁褓と尿管で排泄の処理をしている。毎日リハビリ療法士が入れ替わり立ち替わりやって来る。咀嚼筋と嚥下をうまく連動(咀嚼反射)させ、唾液を出させるべく治療が続いている。
 唾液腺のマッサージ方法には耳下腺、顎下腺、 舌下腺の三種があって、それらを刺激し、唾液の分泌を促す。詳しく書けば、耳朶の下を人差し指でぐるぐる押しながら回す、顎の骨の左右のエラから少し内側を親指で押しながら回す、顎の下(舌の根元)を親指で 押す、以上である。
 リハビリではなく、肝心の治療だが、食事にかける時間が短すぎるので常に厄介が生じている。医師は米粒が残っているとか副食をもっと小さくしろ、とか云っているが、そのような問題ではない。咀嚼反射はゆっくりと時間をかけなければ解決しない。自分のペースで食べることは誤嚥に限らず、各機能の低下防止にもつながる。

 ちなみに、誤嚥の場合、家でできる治療に「イマムラ IMG 吸引ノズル 」がある。市販されているほとんどの掃除機に接続可能である。高齢者がいる家庭に於ける必需品のひとつ。
 誤嚥しやすい食材として水、お茶、ジュース、汁物など、粘り気のないさらさらした飲みもの。ゆで卵、焼き芋、そぼろ類、焼き魚、ナッツ類、雪花菜など、湿り気がなく口の中でぱさつくもの。菎蒻、蒲鉾、海苔、若芽、餅など、うまく噛めないものや粘着力のあるもの。林檎、牛蒡など、硬いものや繊維質の多いもの。肉類など。
 誤嚥を防止するために、水物は葛や片栗粉でとろみをつける。ぱさつく食材は餡かけやゼリー寄せにする。肉や魚はテリーヌに、卵は卵豆腐になどの工夫が必要。しかし、生田似の御仁は家人の協力がどこまで得られるのであろうか。

追記
 嚥下(えんか)をえんげ、口腔(こうこう)をこうくうなど、医学での慣用読みは多い。禁飲禁食なども病院特有の用語である。


2013年04月21日

いいはしデンタルクリニック  | 一考   

 病院の梯子をしたが、十四箇月ぶりの歯医者について一言。
 三箇月に一度の来院を勧められていたが、そのような暇がなかった。馴染みの受付の女性が入れ替わり、些か淋しい。歯石の除去をして帰りしなに「お口の健康手帳」を頂戴した。診断書説明、ムシ歯診断書、歯の汚れ診断書の三枚組で、一本ごとの歯の状態が絵で表示されている。近頃の歯医者はここまでサービスをするのかと感心させられた。
 個別の診断はともかく、歯ブラシの使い方に関して磨き残し率が62.0パーセントとある。一見よろしくない結果に思われるが、38パーセントは完全に摩かれていて、成績良好の部類に属するようである。
 はじめての折は歯茎に麻酔を打って歯石を取った。そのことから推してかなりひどい状態を医師は想像していたようである。一目見て良く摩かれてい、歯石はほとんど付着していない、と。新たなそれではなく、歯茎のなかに残っている歯石を完全に除去したいらしく、次回に二箇所ほど麻酔を打ちましょうと云う。あまり気は乗らないが「そうしたいならどうぞ」がわたしの意見である。
 歯はすべてFCK(金属の冠で治療)、In(金属の詰め物で治療)、CR充(プラスチックの詰め物で治療)となっていて大丈夫。死ぬまでの間、歯石の除去を除いて治療の要はあるまい。

追記
 須臾掲示板はお休み。


2013年04月19日

山菜いろいろ  | 一考   

 簡単に入手できる(拙宅の近所のスーパーで売っているもののみ)山菜を紹介する。

 3月の旬の山菜、葉山葵、蕗の薹、たらの芽、土筆、蒲公英、山葵の花芽
 4月の旬の山菜、野蒜、蓬、嫁菜(嫁菜は関西のみ、関東嫁菜は食用にしない)、野蕗、蕨、雪の下、烏野豌豆、烏野豌豆(豆のみ)、虎杖、屈(草蘇鉄の方言だが、こちらの方が一般的)、根曲竹、山独活、漉油
 5月の旬の山菜、谷水菜、孟宗竹、真竹、淡竹
 6月の旬の山菜、蛍袋
 9月の旬の山菜、石蕗、通草
 10月の旬の山菜、浜防風(「懐石と低残渣」でも触れている)
 1年中、旬の山菜、黒文字

 良く知られる山菜の食し方、簡単なもののみ紹介する。筍に関しては、大概の料理本で糠を用いるとあるが、新しければ単に湯掻くだけで大丈夫。薄く切って塩焼きか天婦羅が美味。
 古くは山菜として利用されていたものが栽培化され、現在では野菜となったもの。あるいは昔は栽培されていながら、今は山菜となったものなどさまざまである。

 屈。春、芽吹いた若葉を浸し物、汁の実、天婦羅などにする。蕨や薇と比して灰汁が少ない。
 通草の芽。浸し物、胡麻和え、煮物などにする。「庭訓往来」以下の諸書に見える鞍馬の木芽漬の材料の一つ。
 たらの芽。独特の香りと風味があり、天婦羅や蒸焼きにする。
 うるい。百合科の擬宝珠類の若い葉柄。浸し物や汁の実、和え物などにする。独特の歯触りと滑りがある。
 牛尾菜の若芽。百合科の蔓植物。たらの芽と共にもっとも人気のある山菜。和蘭雉隠しに似た風味があり、茹でたり、天婦羅に。
 みず。蕁麻科の多年草。食べるのは柔らかい茎と根で、茎は茹でて浸し物、和え物に、根は生のまま摺り下ろし、味噌、醤油などで調味して食べる。
 とんぶり。藜科の一年草箒木の実。大根下ろしや薯蕷と合わせて醤油で食べる。形、味ともキャビアに似る。古くは地膚子と呼んで薬用にされた。


2013年04月18日

リゾット  | 一考   

 リゾットはパエリア、ビリヤニ、ピラフ、炊き込みご飯などと同類だが、水分を多めに造るのは自由である。沖縄料理のジューシーにはクファとヤファラーがあって、濃厚な味付けはともかく、後者は雑炊である。すなわちリゾットをジューシーに見立てることも可能である。
 粥や雑炊ばかりも飽きる、そこで蕎麦雑炊に尋いで雑炊風リゾットを造ってみた。鍋でオリーブ・オイル(又はバター)を熱し、ニンニクの代わりに唐辛子、ポロネギの代わりに白ネギとタマネギを炒める。そこへ米と白ワインだが、代用品で酒を少々。野菜ブイヨンと米の3倍の水(適宜増量したが、通常は1.5倍から2倍 )を入れアルデンテになるまで煮込む。具材は茸、ハム、ソーセージ、魚介類。身体の都合でパルミジャーノ・レッジャーノもしくはパルメザンは除去。
 茸はシイタケ、エノキタケ、シメジ類、ヒラタケ類、マイタケ、ナメコ、ツクリタケ(マッシュルーム)、エリンギ、ヤマブシタケ、ヒメマツタケ、フクロタケなど何でも良い。こちらは近所のスーパーで売っている茸を片端から扣えてきた。特にツクリタケはホワイト種、ブラウン種、オフホワイト種、ジャンボマッシュルームと揃っている。わたしの田舎の高田同様、千葉県習志野では戦前から、現在では香取市で多く栽培されている。要するに千葉はツクリタケの名産地のひとつである。
 わたしは茸の同定には疎遠である。従って北海道で茸狩りの機会がなんどもあったが、いつも遠慮していた。今回はツクリタケと短く切ったエノキを用い、エンドウ豆、莢隠元、人参、赤茄子、ピーマン、セロリ、その他では小海老と烏賊を用いた。さらに薬味として茗荷を少々。
 先日の蕎麦雑炊なら具材は人参、大根、椎茸、豆腐、油揚、菎蒻、牛蒡、青葱(渭東ねぎ)となるのだが。蕎麦雑炊は徳島だけの食べ物ではない、山形も同じく昔から蕎麦雑炊を食している。渭東ならぬ平田赤ねぎもしくは軟白ねぎということになろうか。

追記
 近所のスーパーでさまざまな茸を売っていたので、あれこれ取り揃えて茸の天婦羅盛り合わせを造った。天婦羅では肉厚のあわび茸が知られるが、そちらは置いていない。その代わり、徳島の茸醤(きのこひしお)が売っていた。


2013年04月17日

蕎麦米  | 一考   

 蕎麦の実から殻だけを除去したものを蕎麦米として売っている。長野市の製粉会社から購入したものだが、このところの粥三昧では飽きが来る、と思って引っ張り出した。久しぶりに蕎麦雑炊を造ってみたが結構旨い。米よりも消化は悪いだろうが、そう気にするものでもあるまい。そこでまた蕎麦について一言。

 挽きぐるみとは、玄蕎麦を殻をつけたまま石臼で挽き、それをふるいにかけ、殻を取り除いた粉を指したが、最近は殻は取り除き、甘皮を一緒に碾き込んだ粉(全粒粉)を云う。甘皮まで一緒に碾き込んでいるため、色は黒っぽく、野趣に富んだ味わいがある。とくに出雲蕎麦が著名。
 蕎麦切りには太麺と細麺の二種類が有って、まず太麺で在ること、次に更科系に対して色が黒い(すなわち挽きぐるみ)こと、それを概して田舎蕎麦と呼ぶ。上述の出雲蕎麦は細麺だが、秋田、山形の蕎麦に更科系はなく、且つ大半が太麺である。

 蕎麦の種実の中心部分を挽いた一番粉で打った蕎麦を更科と称する。舌触りが良く、白く上品なのが取り柄だが、蕎麦らしい香りはほとんどない。日本酒で云えば大吟醸のようなもので、高級志向の極にある。その更科以外に東京には薮と砂場がある。薮は上野と浅草に本店があり、つゆが濃すぎるのが難点だが蕎麦の香味は傑れている。砂場は麺にもつゆにもこれと云った特徴がなにもない。酷い云い方になるが、箸にも棒にも引っかからないとはこのことかと。

 上高井郡小布施町の「せきざわ」、志賀高原(下高井郡山ノ内町)の「山の実」、黒姫(上水内郡信濃町野尻字山桑)の「ふじおか」、静岡県島田市船木の「藪蕎麦・宮本」、近鉄奈良駅から徒歩15分の「玄」など著名な蕎麦屋は多い。そしてそのなかに、東京都中央区八重洲にあった「三日月」を加えておきたい。
 三日月の外山時男さんは山梨長坂「翁」時代の高橋邦弘名人に師事したという、要するに藤岡さんとは兄弟弟子になる。藤岡さんは独学と紹介されているが、間違いでないだろうか。翁時代のことは何度か聞いたが、差し障りがあるので止めておく。ただ彼との話で、現在の蕎麦王国は栃木と茨城であると、これだけは著しておきたい。
 外山時男さんが膵炎で急逝されたのは2005年4月17日、掲示板を契機に知り合った最高の友のひとりだった。


2013年04月16日

シャフトモータースポーツ  |  一考

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 前項で紹介した大桃千明さんはやはりただ者ではなかった。ホームページをご覧いただければ分かる。

 http://webshaft.org/

 「私たちシャフトモータースポーツは埼玉県三郷市にあるモータースポーツショップです。競技車両製作、ボディ補強、セッティング、メンテナンス、競技用オリジナルパーツの開発・販売を通じて、皆様のモータースポーツ活動をサポートしています。ラリー、ダートラ(ダートトライアル)、ジムカーナ、レースなどの本格的なモータースポーツから、サーキット走行会やストリートチューンまで、何でもご相談ください。
 当店代表の大桃千明は、1985年全日本ラリー選手権チャンピオンという経歴を持つ現役のラリードライバー。ラリー界では左足ブレーキを多用するFFドライビングの第一人者としても広く知られています」

 今のわたしは動体視力が落ちた、と云うことは反射神経がまったく駄目なのである。従ってラリー車に乗るのは不可能になった。20年前ならシビック6代目EK型や7代目EU型(共にタイプR)もしくはフィットあたりで走り回ったかも。
 そのシビックのエンジンを解体していた。レース途中でヘッドへ異物が混入したらしく、バルブがすべて壊れている。おそらくシリンダーも壊れているだろう。どんなエアエレメントを使っていたのかしら。レース車両の過酷さの一端が伺える。それにしても、大桃さんのところへ運び込まれる車はことごとくエンジンを下ろしている。
 ちょっとしたチューニングなら試みるが、エンジンOHにせよ、リビルトにせよ、40、50万円はかかる。中古車を購入する方が廉いのでわたしは未経験である。
 今日は随分と話し込んだ。はじめてリフトアップしたが、センターパイプに太鼓(サイレンサー)が三つも付いている、これでは走らないのは当たり前である。社外品を調べてみるが、ボルボを触る人はいないだろうからワンオフマフラーを作ればどうなのと大桃さん。
 S80はラグジュアリーな車、車重は2トン近い(マスタングは1.5トン)、改造するような種類の車でないのは分かっている。あくまでもライトチューニングであり、20、30馬力も上がれば結構、発進時の加速を娯しみたいだけである。
 太鼓をストレートに交換したところで、ターボ車なので排気音はNAほど大きくならない。ただ、ストレートに取替えれば、エアフィルターも吸い込みのいいものに交換、燃料関係のチューニングが必要になる。それ以上に車検に対応するかどうかが問題である。社外品だとほとんどが車検対応なのだが、ワンオフとなるとそうはいかない。車検のたびのマフラー交換は勘辨してほしいのだが。

追記
 シャフトモータースポーツの紹介文のなかで「左足ブレーキを多用する」と書かれているが、ワインディングを好むひとならみなさんご存じである。右足はアクセル、ブレーキとクラッチは左足である。エンジンの回転数を落とさないためにアクセルは踏みっぱなし。左足は蟹足になってブレーキとクラッチの双方を踏むのである。結果、逸早くカーブを走り抜けることができる、高等テクニックのひとつである。
 オートマ車でも左足ブレーキを多用するひとがいる。同じくエンジンの回転を落とさないためだが、ローターの摩耗が激しくなる。速く走られるが、非経済的乗り方である。


2013年04月15日

ブースト計  | 一考   

 ETCのセットアップを終え、市役所で手続きを取った。2週間後には使用できる予定。ETCの配線ついでに、ダッシュボードから線を取ろうと思っていたが、シガープラグ延長コードで間に合わせた。
 車に電圧計が付いていないので、オルタネーターの状態が分からない。羽根は定期的に摩耗するものなので、必要欠くべからざる一品である。よって簡単な電圧計を設けた。
 ポルシェ、ボルボ、アウディー車等にターボを供給しているのはボーグワーナー社。S80-t6はシーケンシャルツインターボチャージャーだが、タービンの材質が金属でなくセラミックなのでブーストアップはほぼ不可能。別にタービンを換装したいとは思わない。従って、ブーストコントローラーは不要だが、ブースト計は必要。前の850には付いていたのだが、ブースト計はアナログメーターが欲しいと思っている。

追記
 わたしが住む大幸マンションの大家の友人に、近所で車の修理屋を営む大桃さんがいる。事情をなにも知らずに飛び込みで面識を得たのだが、ラリー専用の改造を主としている。GTRや2Jの改造車が並べてあって、それとすぐ分かる。
 玄関先で1時間ほど話し合ったのだが、とにかくエンジンに関して嬉しくなるほど詳しい。20年ぐらい前の車だと簡単に500psに持って行けるのだが、現在はコンピューター制御だからどうにもならない、と歎く。お説のとおりで、ディストリビューターを取ってみても、今ではディストリビューター・レス・イグニッション(DLI)や、プラグキャップの先端に直接イグニッションコイルを配置しプラグコードをも廃止したダイレクトイグニッションへと移行している。
 BCNR33型やJZA80スープラRZはマフラーなどで出力を絞っているだけであり、吸排気系を社外品に変えるだけのライトチューンで400psの出力が発生する。わたしが乗るS80-t6もマフラーが大きなネックになっていて、370psはあるであろう出力を272ps(現行は304ps)に抑え込んでいる。100ミリほどのマフラーに換装したいのだが、社外品で適当なものが売っているのだろうか。


2013年04月14日

葉山葵  | 一考   

 葉山葵(はわさび)の季節、わたしがもっとも好きな山菜である。灰汁が出ないので、葉山葵漬けは簡単にできる。採取時期は3月中旬から5月一杯と11月から12月上旬。荻窪の市場でよく売っていた。

 ①アルコールを飛ばした酒と醤油の同割の調味料を作っておく。面倒ならポン酢でも可。
 ②葉山葵を掃除し、2cmから3cm程度に刻む。
 ③笊に入れ、80度から90度のお湯を振りかける。
 ④よく絞り、十分に水切りをする。
 ⑤密封できる容器(タッパーなど)に入れ調味料を入れる。
 ⑥30分ぐらい、叩き付けるように振る。振るほどに辛みが出て旨くなる。
 ⑦冷蔵庫で一晩寝かすと出来上がり。


三好春樹さんの時事問題調理法  | 一考   

 生活とリハビリ研究所主幹三好春樹さんは介護分野の第一人者。ホームページのアドレスは以下のごとし。

 http://www.mdn.ne.jp/~rihaken/index.htm

 トップページ最下段に時事問題に関する発言が紹介されている。「二流国家同士のケンカ」「近代主義者には困ったものだ」「外国人労働者導入反対の理由」は是非お読みいただきたい。「近代主義者には困ったものだ」はモダニズムの全面否定で頗る個性的。


2013年04月13日

夏の風物  |  一考

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 病院の売店で蕨餅買ってくる。ちょいと高いと思ったら、あん黒蜜入りとやら、嫌な甘味が口に残る。餡は定番どおり漉し餡(白練餡)、原材料は葛粉である。
 蕨餅は澱粉と水、砂糖から作る和菓子。原料として蕨の根から取れる澱粉すなわち蕨粉が使われたため、蕨餅の名がついた。名古屋の芳光の蕨餅は著名だが、京都では餡入りが古くから親しまれてきた。それは分かっているのだが、今スーパー、むかし駄菓子屋で売っている安価な蕨餅がわたしの好みである。
 子供のころ、紙芝居と同じく、自転車やリヤカーで蕨餅や信楽餅を売り歩いていた。安価な蕨餅は、蕨粉の代用品として甘藷やタピオカから取られた澱粉、あるいは葛粉を原材料にしていた。蕨粉で作った蕨餅は昔から高級品だった。蕨粉だけのものは茶色がかった色で、無色透明にはならない。また品質が変化するので、冷蔵庫で冷すこともできない。和菓子屋と自転車のそれではまったくの別物で、わたしは涼しげな透明感、うんと冷した蕨餅が好みなのである。
 近頃、金を取るための高級化が流行っている、嫌なご時世である。高級化と云っても、餡が這入っているだけで、蕨粉を用いているわけではない。結局は擬い物に過ぎない。蕨餅や信楽餅もさることながら、わたしは安価な駄菓子そのものが好きなのである。

 麦こがし、ねじりおこし、みじん棒、豆板、芋羊羹、鉄砲玉、鼈甲飴、拳骨飴、肉桂玉(ニッキ飴)、きな粉飴、かるめ焼き、花林糖、塩煎餅などがあって、他ではサメの皮入り煮こごり、するめのゲソの甘露煮(これを食べ過ぎて腎不全になったのかも)、細く切った赤い紙で束ねた肉桂(ニッキ)の小枝、お好み焼きやアイスキャンデーも売っていた。露地裏の小店では菓子だけでなく、めんこ、べいごま、ガラスのおはじき、石蹴り玉、夏は花火、冬は凧や羽根を売っていた。
 駄菓子屋は保育所や幼稚園同様、こどもがはじめてデビューする社交場であり、社会である。家で天皇だった子供が、駄菓子屋で他者と出遇い、他者の存在を知る。それは失意と裏切りのはじまり、懐疑と自己否定、謂わば大人への登竜門などと書くと随分と如何わしくなってくる。「事更物々しく否定し、懐疑して得々たるが故に滑稽なのである」と長与善郎は著している。

追記
 当書き込みは04月05日の「入院セット」の書き込みと前後する。
 後日調べると、葛粉と蕨粉では葛粉の方が値が高いことに気づいた。


2013年04月12日

衣揚げ  | 一考   

 某辞書では「江戸で発達したてんぷらは、明治以降も東京名物としてますます盛んになり、全国的に広まっていった。江戸前の海が東京湾と名を変えても、ここでとれる魚貝類はてんぷらに好適であったのである。羽田の穴子、小柴の濱の車蝦、沙魚、銀宝、女鯒、白鱚などはとくに有名だった。当時の東京のてんぷらは、衣を厚くしてごま油を用いて高温で揚げるので、表面がすこし焦げるぐらいに揚げるのを特徴とした。関西では薄衣をつけ、サラダ油などで淡泊に揚げたが、現在ではこの関西式の揚げ方が一般化している」
 書いたのは関西人と思われるが、この記述は間違いである。関東と関西では今もむかしも揚げ方ならびに油の調合はまったく異なる。胡麻油は常温で圧搾すると淡黄色の油が得られるが、わが国では事前に胡麻を炒る。従って、搾られる油は黄褐色で特有の香りと味をもつ。特に関東で使われる黒胡麻(くろしぼり)と云う胡麻油はその香りが強烈である。「えびはいさ どこにも勝る 江戸前は 油は胡麻の 香に匂ひける(酔狂老人卍)」
 関東ではくろしぼりをメインに、綿実油(最近は大豆油が増加している)などさまざまな油を調合するのにたいして、関西では綿実油をメインに1、2割ほど白胡麻(しらしぼり)もしくはくろしぼりを入れる。よって胡麻油特有の香りは関西ではほとんど見受けられないか、縦んばあっても淡い。
 子供の頃は値を気にしたことがなかったのでわたしには下手物も上手物もない。食い物に関してはただ旨いか不味いかだけである。で、この旨いか不味いかなのだが、これは慣れがものをいう。わたしは臭いや匂いに敏感で、例えば大蒜などは身体が受け付けない。同様に、胡麻油の香ばしさが強烈すぎて駄目なのである。従って、てんぷらは関西に限ると思っている。

 てんぷらが江戸の人気を博したのは屋台の食べ物として庶民に歓迎されたからで、天明(1781‐89)の頃の黄表紙には多くの屋台が登場する。それらの挿絵から推すに、屋台の天ぷらは串刺し、今日いう串揚げの先達だった。蜀山人の「左に盃をあげ、右にてんぷらを杖つきて(から誓文)」という一節も、当時のてんぷらの形状を示唆している。当初は、もっぱら屋台が中心だったが、嘉永(1848‐54)頃から居つきの店も多くなり、当時の著名料亭の中にはてんぷらを看板にする店も現れ、てんぷらは名実ともに東京名物となった。
 関東大震災で東京のてんぷら職人が関西へ移住したため,以降阪神地区のてんぷら技術は著しく向上したといわれる。その逆に天つゆの代わりに塩(粗塩の他、抹茶、柚子、山椒などを混ぜる)を用いる関西流の食べ方が東京へ拡がった。これはてんぷらに止まらず、関東煮、すき焼き、鮨、蕎麦など多くの技術の移転乃至東西融合が行われた。
 「此世をハ と里や お暇尓 せん古う能 煙りと供尓 者ひ 左樣なら(十返舎一九)」食べログのグルメレビュアーで識られる酔狂老人卍さんは著す。「昭和の頃天麩羅で名高きは、淺草「中清」、銀座「天金」、新橋「橋善」。この内、今になほ商ふは纔かに「中清」のみ。今をときめく天麩羅店は粗方、銀座「天一」、神田駿河臺「山の上」、神田猿樂町「天政」、茅場町「みかわ」の流れを汲む。何れも京坂の技法を取り込みたる輕やかな味はひ」 と。

 前述の辞書で「てんつゆは、みりん1、しょうゆ1、だし汁1の割合で混ぜ合わせ」るとある。これはとんでもない間違いで、だし汁の比率は4か5になる。作って食べてみれば分かったろうに、語釈を書くとはそこまで実証してみないといけないのである。天つゆは近代に這入ってからの食べ方で、江戸時代には醤油をかけて食べていた。
 余談ながら、湯豆腐のつゆの割合も天つゆと同じである。ただし、天つゆは甘く、湯豆腐のそれは辛く作らないといけない。従って、味醂を焼き味醂にする。現在の味醂の成分はアルコール分13パーセント前後,糖分37パーセント前後である。よって火をいれると入れないとではまるで香味が異なる。


2013年04月11日

練り天とてんぷら  | 一考   

 辞書の語釈というものは良い加減なもので、あまり信用できない。しかし、中には執筆者の名を明らかにしたものもあって、よくぞここまで調べたというような力作もある。前項で書いた粥についての語釈は感心させられた。先日、天婦羅について調べていて、
 「江戸末期、京坂でははんぺんの油揚げを「てんぷら」といい、いまでも関西では薩摩揚げのことを「てんぷら」とよんでいる所もある」
 「上方では今日いう薩摩揚げをてんぷらと呼び,江戸ではもっぱら衣揚げをてんぷらと称していた」
 違う辞書だが上記のような箇所があった。ところで、水産練製品には、蒲鉾、竹輪、半片、真薯(しんじょ)、薩摩揚げ(鹿児島ではつけ揚げ)、伊達巻、摘入れなどがあって、それぞれに異なる。京坂でてんぷらと称したのは薩摩揚げのことで、半片のごとく柔らかい練製品は当時もいまも存在しなかった。後半の「いまでも関西では薩摩揚げのことを「てんぷら」とよんでいる所もある」は概ね正しい。この著者は半片と薩摩揚げを同じものと思っている。一方、下段の語釈は正しい。
 ただ、ここで問題なのは関西のてんぷら屋はどこでもそうだが、水産練製品全般を取り揃えていて、薩摩揚げを指しててんぷらとは云わない。全体がてんぷらなのである。てんぷら屋と称するが、てんぷらとの商品は存在しない。個別に呼び名がある。しかもその名は一定の方針に則ってはいるが、店毎に異なる。
 例えば野菜焼きもしくはタマネギ焼きと云うのがあって、玉葱の微塵切りを中心の煉り物にパン粉を付けて揚げている。関東にも玉葱の微塵切りを中心の煉りものはあるが、素揚げでパン粉は用いない。そこで埼玉の大手の練り天屋に訊いてみた。そうすると、関西で人気商品なので作ったが、関東ではまったく売れないらしく、現在では生産していないとのこと。またいまでは流通が発達しているので、関東で関西向けの商品を、関西で関東向けの商品を作ることもある、と。
 ちなみに、パン粉を塗して揚げたカツレツ製品では、島根の赤てん、廣島のがんす、北海道のパンロールなどがある。
 練り製品と衣揚げの双方をてんぷらというのは混乱しないかとよく訊かれる。はなしの前後でそれとなく察しがつくから混乱することはない。混乱すると思えば、練り製品を練り天、衣揚げを天婦羅と云えば済むことである。「江戸の三味」すなわち、蕎麦・寿司・てんぷらは江戸(東京)の郷土料理。衣揚げをてんぷらと称したのは江戸地方だけで、練り天をてんぷらと称したのは上方に止まらない。今でも和歌山、九州、四国、中国地方へ行けばてんぷらは練り天を指すのが一般的である。
 フランス料理のクネルが薩摩揚げに相応するとの意見もある。確かにクネルは摘み入れの一種だが、主としてクリーム煮にて頂戴する。よって揚げ物ではない。ちなみに、てんぷらの文献上の初見は1669年(寛文9)刊、京の医師奥村久正による「食道記」である。文中、「てんふらり」に「小鳥たたきて、かまくらえび、くるみ、葛たまり」と記されている。これは小鳥のミンチを餡掛けにしたもので、この記述では揚げ物と限定していない。この方が薩摩揚げよりはクネルに似ている。
 「上方流と江戸流では実体の違っていたてんぷらが、衣揚げこそてんぷらであるというような地位にのしあがっていったのは、《言海》はじめ多くの近代国語辞典が江戸流てんぷらだけを採択したせいかと考えられる。明治以降、方言が中央語に収れんされていく過程でてんぷらも巻添えをくったものであろう」と書いたのは平田万里遠さん、これなど肉声を鏤めた見事な語釈で、編輯者の手前なかなか書ける文章でない。


2013年04月10日

饅(ぬた)について  | 一考   

 大体が、触穢(しょくえ)などという概念を屁とも思わないわたしなれば、「店家物は穢れ無し、店家物で為済、店家火とて銭一文出し穢家の物を食ふ忌服穢なし(譬喩尽)」をどう思うかと問われても、意見の持ちようがない。ただ旨いからとしか云いようがない。
 福原で育ったせいか、こどもの頃から店屋物が好きだった。店屋物には料理屋、蕎麦屋、鮨屋などの飲食店で売っている食物。またはその店から取り寄せる食物、の二通りの意味がある。わたしは出掛けるのが好きで、取り寄せたことはほとんどない。そもそも、店で食べる方が旨いに決まっている。
 ところで、上記の蕎麦屋と鮨屋だが、阪神だと少し様子が異なる。高級鮨屋は別にして、蕎麦屋ならぬ饂飩屋が大方で、温飩のあるところ蕎麦があって、蕎麦のあるところ天婦羅があって、さらに簡単な鮨がある。それが通常いう町の饂飩屋である。他にも酒肴がいろいろあって、特に饅(ぬた)あえはお気に入りだった。その饅について一言。これは余談だが、羹(なます)は温飩をいう女房詞。

 饅は和え物の一種。鮪、烏賊、蛸、蛤、浅蜊、青柳などの魚貝類に葱、分葱、韮、若布(わかめ)などを配し、酢味噌などで和えたもの。江戸時代には、ぬたなます、ぬたあえと呼び、「料理網目調味抄(1730)」には「饅膾(ぬたなます)は酒の糟、酢、芥子を以てあゆるを云也」とある。また、より古く室町末期ごろの成立とされる「大草家料理書」には「のたあへ鱠」との料理があり、酒粕に大豆粉などを合わせ、酢を加えて擂り伸ばしたもので魚を和えるとしている。「のた」「ぬた」は共に酒粕に酢を加えることを基本としている。
 ここで問題になるのは、室町期から江戸期にかけて酒粕と酢を用いていたものが、現代では酢味噌に化けていることである。正確には辛子酢味噌だが。酒粕は独得の風味と甘味があって奈良漬け、わさび漬け、魚や野菜の粕漬け、もしくは粕汁に用いられる。分葱と烏賊の饅がわたしは好きだが、酒粕を少量いれてみたところ、まったく旨いと思わなかった。酒粕の渾った味わいが味噌の舌触りまで渾ったものにする。やや甜い味噌と鼻へ抜けるような辛子と食酢の酸っぱさの三拍子にはかなわない。「若芽出でて古根枯るる」と云うが、饅は新陳代謝によって香味がシンプルになり見違えるように旨くなった。


2013年04月09日

河北の陳蕎麦  | 一考   

 「冷たい肉蕎麦」は、山形県河北町の郷土料理。鶏肉(歯応えのある親鶏すなわち陳鶏のこと)と葱を上置きする。つゆは鶏だしで冷製、延びないように冷やして出したのが始まりと云う。また、延びにくいということで酒の肴としてあてがわれる。 冷やしすぎると鶏の脂が固まるため、冷たいというよりはやや常温に近い。 地元では温かい肉蕎麦も供されるが、冬でも冷たい肉蕎麦を注文する客が多い。余談ながら、陳鶏(ひねどり)の燻製はすこぶる美味。西明石のですぺらで最も売れた肴のひとつ。

 尾花沢発祥の郷土料理に「だし」と云うのがある、出汁ではなく和え物である。茄子、胡瓜、紫蘇、茗荷、葱、生姜、オクラ、昆布など、夏野菜と香味野菜を細かくきざみ、醤油、酒などで和え、一晩ほど寝かせる。大皿に盛り、各自が適量を温かいご飯に載せて食べるのが一般的。冷奴の薬味として食べられることも多い。蕎麦つゆと同割で、麺に絡ませる食べ方もある。「だし」に似た和え物を蕎麦に絡ませるのは東北に多い食べ方。
 この尾花沢の「だし」を近所のスーパーで買ってきた。1914年創業の庄内町のマルハチが「山形のだし」を商標登録しているが、そちらは調味料が濃厚。わたしが購入したものは他に四、五種類売られている「だし」のひとつで、マルハチのそれと比して甘味がなく、淡い酸味が心地よい。

 長野県北部から新潟県西部にかけて、「やたら」という呼び名で同様の郷土料理がある。ぼたんこしょう、茗荷、丸茄子、大根味噌漬けが基本材料。子供の頃によく食べたが、こちらは食べる直前に混ぜ合わせる。上越ではこの「やたら」を上記「だし」同様、蕎麦に絡ませて食べる。
 同地域でもう一品、「こしょうみそ」と称する郷土料理。材料はぼたんこしょう、砂糖、味噌、青紫蘇。ぼたんこしょう別名ぼたごしょう(上越ではそう呼称していた)は激辛ピーマン、斑尾山麓の長野県中野市永江地区で栽培される。ぼたんこしょうは微塵切り、青紫蘇は細切りにする。鍋に味噌と砂糖を入れて弱火で混ぜる。砂糖が溶けたら、ぼたんこしょうを入れて10分位練り、青紫蘇を加えて良くなじんだら出来上がり。今なら、「やたら」より「こしょうみそ」を好むだろうが、幼少時は「やたら」ですら、やたら辛いと思った。


再発  | 一考   

 サイトメガロウィルスが再発して五日目、いつ下血がはじまるのか、心して待っている。半年から一年ぐらいは大丈夫と思っていたのだが、僅かに一箇月。うまく行かないものである。どうせなら戸田の病院で死にたいと思っている。この期に及んで病院が変わるのはうんざりである。

 食事は低残渣を意識して粥に切り替えた。おそらく二、三週間は粥三昧になると思う。掲示板で和えものや嘗めものの紹介が繰り返されるのは粥に理由がある。同じ食するならより旨いものを食べたいからである。
 もともと粥と雑炊の境界は曖昧で、大根や葱などの具を刻みこみ味噌で味付けをして炊いた粥が雑炊の走りとされる。古くは「みそうず」といい、女房詞では「おみそう」「おじや」といった。「みそうず」は未曾水、醤水などと書かれ、味噌で味をつけたのが由来。雑炊も当て字で古くは増水と書いた。江戸期以降、醤油が一般に普及しはじめるが、それまでは味噌しかなかった。
 現在では雑炊と粥との違いは味付けするかしないかに収斂されるが、これはあくまでも慣習に起因する。さして意味のないものと解釈していただいて結構である。


2013年04月07日

三歳児のお襁褓  | 一考   

 部屋替えによって見られなくなったが、前の病室の下には児童公園があった。幼児から小学生が対象である。小学生に個体差が出るのは当然として、幼児にも顕著に現れるのを見ていろいろと考えさせられた。
 小学生の方から書くが、毎日来るグループのなかに、いささか体力に自信ありげな少年がいる。彼だけはランニングシャツで一回りがたいが大きい。そして何かにつけてボディビルや空手を思わせるような恰好をする。ところが今はサッカー全盛である。ボディビルは流行りでない。彼も走りとなるとさっぱりである。俊敏さに欠けるというか、ボールは遠くに行っているのにひとり取り残されている。
 ある日、グループでトラブルがあって、喧嘩の真似事がはじまった。当然、がたいの大きな子が勝つかと思ったが、豈図らんや、サッカーに長じた痩身の弱そうな子が勝った。まわりもその子を後押ししている。これは流行りの勝ち負けであって、個々の図体の問題でない。
 幼児の方である。最初に気付いたのは縄跳び。覚えの早い子は縄を回す前に身体が動いている。リズムを取っているのである。こういう子は二重跳び、三重跳びも軽くこなす。一方、間怠っこい子は回した縄を見詰めていて、足下にきてから足を上げる。よって頻繁に縄に足が引っかかる。なにごとも経験という、確かに経験がいつの日かじれったさを補ってゆく。それまではひたすら跳び続けるしかない。
 ももいろクローバーZとかいう健康的なアイドルグループがあって、身体を空中で海老反にする演出がある。ある幼児がそれを真似していたのだが、見事な運動神経だと思った。また、走り出すとその差はうんと強調される。先頭の子が走り出しているにもかかわらず、2番手3番手はまだ用意どんの段階である。
 さて、個体差を強調したのは他でもない。幼稚園児、要するに3歳児のお襁褓が禁止された。それが理由で幼稚園へ入園できない子供が続出している。お襁褓の禁止にどのような意味があるのだろうか。1歳、2歳でお襁褓が取られれば結構でないか。そしてなかには4歳、5歳でお襁褓が必要な子だっている。このようなことは文部省が決めるようなことではない。鈍臭いのは役所の大人の方である。


梨とカリウム  | 一考   

 今回の隣人は腎移植の手術を済ませ、週末には退院という男子学生。両親は腎不全をよくご存じで、ドナーは父親。初期の慢性腎不全から即移植ということで、シャントも透析も経験なし。経験があるのは腎生検のみ。非常に珍しいケースである。
 同級生をはじめ、毎日見舞客が引きも切らず、病室にはフルーツや花が溢れかえっている。梨が好物だったが、カリウムの制限で食べられなくなったと。ところが、移植でカリウムの制限がなくなり、フルーツを食べることで頭が一杯。ポテトチップを親に所望していたが、なにを考えているのか。将来の人工透析を踏まえての制限食が望まれるのだが。
 人生バラ色の方で、温泉と旅行とテニスのはなしばかり。テニスは全国大会の腕前らしく、リハビリや筋トレを考えているらしい。医師が筋トレと温泉だけは駄目ですと念を押す。そもそも腎不全がどういう病かご存じないようである。
 やがて、希望がひとつずつ消えてゆくに違いない。移植が成功したからと云って、健康なときの状態に戻るわけではない。死ぬまで移植腎が機能し続ければよろしいのですが。まあ、頑張ってみてください、としか云いようがない。

 上記に関して看護師との会話、看護師、わたしの順。
 「まだ、シャントしてるんだ、どうして」「移植しても全員シャントはそのままですよ」「どうして」「また、必ず使うからね」「・・・・」「移植腎は何時までももたない、いつか必ず透析にもどるからね」「そんなこと医師が云ったの、インターネットで調べたの、でたらめよ」以上は学生でなくちゃんとした看護師の弁である。それも、泌尿器科と消化器外科の病棟の看護師である。開いた口が塞がらない。


2013年04月06日

火曜日の結果次第  | 一考   

 サイトメガロの数値は2。下血もしくは腹痛がなければ、様子を見ようとのこと。ヘモグロビンが下がっているが、この際どうでも良い。
 サイトメガロが陰性になったのは大下血の次の日の2月25日、よって40日ぶりの陽性反応である。本日の血液検査の結果が出るのは週明け、その数値を確認の上どうするかを決める。数値が10になれば確実に炎症が進捗する、もしそうなれば躊躇なく入院である。緊急避難用にバリキサを7錠もらってきた。
 拙宅では当然血液検査はできない。しかし、糞便の状態から憶測することはできる。消化能力が落ちているので、野菜を食べれば植物繊維がほぼ原型のまま糞便に残る。その残渣の程度から潰瘍の状態を逆算するのである。これはかなり有効な方法である。

 いずれにせよ、入院しなくて済んだのは嬉しい。そこで日本酒を買ってきた、灘の生貯蔵酒である。


2013年04月05日

赤紙  | 一考   

 血圧、体温に異常はない、とりたてて腹痛もない。よって現状では入院になるかどうか分からない。最悪、入院になっても土、日の入院でデノシンの大量点滴で済めばよいと思っている。しかし、どのようになろうと諦めと云うか、覚悟は出来ている。ひょっとすると深夜から生死に関わるような下血がはじまるかもしれない。
 動ける内にと思って、部屋を片付けている。野菜を2週間分買ったばかりだが、こちらは手を付けずに出掛ける。ただし、湯通しするもの、水に浸すものなど、それなりの処理は施してゆく。牛蒡はそのままだと萎びてしまうが、千切りにして水に漬けておくと1箇月は持つ。
 電話は外来の小牧さん、何時もお世話になっている看護師である。本当はもう一言説明が欲しいところだが、わたしが相手ならサイトメガロが陽性になったで十分かもしれない。退院前日の3月14日から22日の検査までは陰性だった。折しもあれ、爆弾低気圧とやら、腹模様にも似て。


サイトメガロ陽性反応  | 一考   

 4月4日に血液検査をした。その内、タクロリムスは5.5だったが、セルセプトとサイトメガロウィルスの結果がさきほど判明した。かなり危険な数値が出たようで、病院側は下血を心配している。明日午前中に来院するようにとの電話があった。前項で書いたように、入院セットは持ち歩いているので大丈夫だが。

 4月6日土曜日にですぺらへ行く予定にしていた。酒は無理なので面倒を掛けた病院の事務員もしくは看護師を同伴、代わりにお飲みいただこうと思っていたのに中止になった。残念である。


入院セット  | 一考   

 下血から入院までの時間差をなくすために、入院セットを拵えて車に積み込んだ。寝間着、下着、お襁褓、洗顔・風呂・洗濯・食卓用具、携帯ラジオ等々である。医師もそれには賛成で、戸田まで来る時間がなければどこでもよいから病院へ飛び込みなさいとのことだった。必要なのは内視鏡と輸血とはいえ、下手な医師だと穿孔の虞がある。
 医師と相談の上、ステロイド薬を減らした。其の他8種類の薬は同じだが、なぜかイソジンが追加されている。口腔の殺菌・消毒効果があるうがい薬だが、どうして処方されたのかしら。
 クレアチニン、尿酸、ヘモグロビンなどに異同なし。免疫抑制剤の血中濃度にも大きな異同はないものの、免疫抑制剤の抑制がどうやら効いていないようである。それで量を僅かに増やしたり減らしたり細かい操作をしている。もっとも、一部の結果はまだだが。

 銀行に用があって雨のなか松戸まで乗り合いバスで出掛けた。腰の調子がよくなったので、3月15日以来久しぶりに買い物を兼ねての外出である。
 能美市の金鍔と蕨餅を買ってきた。どちらも掲示板で書き込んだもののうち、わたしが食べたかった商品である。当然、餡の這入っていない普通の蕨餅である。
 序でに蓼科高原「わけあり割ラスク」を買ってきた。茅野のわけあり商品がなぜ三郷で浮上するのか不思議だが、パンについては発酵食品で書き込んだばかりである。醗酵にせよ、残渣にせよ、そこまで神経質になる理由がよく分からない。
 潰瘍性腸炎における食事制限が透析時代の食事制限と比して、内容はともかく、範囲は腸炎のそれの方が厳しい。下血がはじまったときに高残渣食品や醗酵食品の制限が有効になるが、どのみち出血を止めるには20日ほどの禁食を続けるしかない。だとすれば、普段の生活で神経質かつ孱弱になる必要もなかろうにと思う。
 思いはするものの、内視鏡で散々に潰瘍の痕を見せつけられてきた後である。それを思い起こせば醗酵食品よりも高残渣が気になる。ならば醗酵食品はほどほどにして、植物繊維の摂取を削るによくよく心すべきである。


オーロラソース  | 一考   

 病院のオーロラソースについて苦言を呈しようかと思ったが、そもそも高級と名の付くレストランでオーロラソースを旨いと思ったことがない。香辛料についての知識が浅薄なのである。そして病院のそれは香辛料など月並みなものしか使っていない、それを云々するのは可愛相。洒落たつもりだろうが、よく分からない料理に手は出さない方が良いに決まっている。
 オーロラソースのオーロラは極光(白色)でなく、ローマ神話の曙の女神アウロラからきてる。ホメロスの叙事詩にいう「薔薇色の指をもてる」「番紅花(サフラン)色の衣をまとえる」女神である。
 病院では花甘藍(カリフラワー)をよく使う、それが理由でサフラン色にしたいのだろう。オーロラソースの基本はマヨネーズ大6、ケチャップ大1、生クリーム大1、ブランデー小1、檸檬汁小1、タバスコ少々、ウスターソース少々。スパイスはセロリ、タラゴン、デイル、オールスパイス、パセリ、カエンペッパー、ファインハーブ、胡椒、塩から選択。
 序でに、カリフラワーは塩と小麦粉同量を加えて茹でる。茎を上にして落とし蓋、硬く絞った濡れ布巾を2枚被せたまま冷ます。市販のマヨネーズを用いるときはどんなときでも生クリームと少量の砂糖が必要、嘘のように旨くなるのでお試しあれ。
 オーロラソースは元来がサラダ用のソースだが、いっそ和風で酢味噌、梅肉和え、すき焼き風味の方がよほど美味だと思うのだが、いかが。


種物  | 一考   

 岩手県陸中海岸の腹子蕎麦について書きたくて稿を起こした。
 岩手県南部の鼻曲がりの鮭は有名だが、三陸沿岸を遡上する鮭の腹子をかけ蕎麦に上置きした郷土色豊かな種物。手がやっと這入るぐらいの熱い湯で筋子の表皮(この表皮がもっとも生臭い)をとり、ぱらぱらにほぐしてイクラにしてから蕎麦の上へ配う。暖かい出汁を入れるが、イクラがちょうど半熟になるように仕上げる。生臭さを除去するために軽く白濁しない程度の温度が良い。温度が高いとイクラは白く濁って臭みが出る。低いと生のままで、違った意味で生臭い。そのところの兼ね合いが難しい。

 汁蕎麦にいろいろの具を配ったのが種物で、加薬(かやく)蕎麦とも呼ばれた。ただし、月見かけ、納豆かけ、おろしかけ、狸かけと呼称した。幕末ころまでに花巻き、霰(あられ)、天婦羅、卵とじ、鴨南蛮、おかめなどが売り出された。花巻きは焼海苔、霰は馬鹿貝の柱をのせたもの、鴨南蛮の南蛮は葱のことである。おかめは結び湯葉、蒲鉾などの具を上置きしておかめの面をかたどったもので、卓袱もほぼ同じものである。
 地方の名物蕎麦には、青森県の津軽蕎麦、岩手県盛岡の椀子蕎麦、福井県のおろし蕎麦などが知られ、身欠き鰊を巧みに生かした京都の鰊蕎麦も独特の風味をもつ。そのほか蕎麦切りの食べ方としては、蕎麦鮨、蕎麦サラダなどがある。
 調べただけでも33種類の現行の加薬蕎麦があって、なかには奇想に属するものあり。そのうちに紹介する。

 下記の麺類雑学辞典はお薦め。
 http://www.nichimen.or.jp/index.html


2013年04月04日

嘗物2  | 一考   

 嘗物(なめもの)は、塩辛、醤(ひしお)、嘗め味噌など半固形体の副食物の総称。醤は古くは比之保と書いた、味噌や醤油の祖型。戸田中央総合病院では粥に醤や嘗め味噌を入れて食べたが、これは昔からよくある食し方。
 前項の北京味噌は北京ダックに用いる北京味噌でなく、通常の焼き味噌に大蒜を加え甜麺醤を入れて甘くしたもの。それを浅い盃(さかずき)に塗り付けて炙る。

 なお、魚醤(ぎょしょう)は醤から発展したもの。わが国では秋田の塩汁(しょっつる)、能登の魚汁(いしる)、香川のいかなご醤油、広島の牡蠣醤油、北海道の鮭醤やほっけ醤油、熊本の隠しあじの達人、南知多町豊浜のしこの露、新潟の南蛮えび醤油、大分県日田市や秋田県横手市で開発された鮎魚醤などが知られる。南米や南欧のアンチョビーソース、ベトナムのニョクマム、タイのナンプラーなども魚醤に含まれる。

 醤と嘗味噌について書いたので、味噌と醤油の関係について一言。
 江戸の頃まで醤油は庶民にとって大変貴重な調味料だった。醤油が普及する以前は、酒と鰹節と梅干しでつくる煎酒(いりざけ)で刺身を食べた。他方、蕎麦を食べるときは、現在の醤油ベースのめんつゆでなく、味噌から作る煮貫(にぬき)で食べていた。
 江戸っ子は外皮や甘皮も除去したぬき実を製粉した白い蕎麦を持て囃した。魚や鶏肉に熱湯をかけて霜降りにするのも灰汁抜きが目的だが、蕎麦の実も徹底的に灰汁抜きして嗜むのを粋とした。いわゆる一番粉のことで「さらしな」とも呼ばれる。
 原料ソバは石臼にかけてゆっくり挽くが、粉の歩留りは70パーセントほどである。歩留りを高くするほど粉は黒くなるが、風味はかえって良くなる。一番粉や二番粉とは別に挽きぐるみがあって、外皮をとっただけで全部挽くか、外の殻まで一緒に挽いたもので、色が黒くごつごつした感じである。出雲蕎麦や出石蕎麦などはそうした蕎麦粉が使われる。江戸っ子は見て呉れにこだわり、繊細な香りには一顧だにしなかった。
 「料理物語(1643)」には生垂(なまだれ)、垂(たれ)味噌、煮貫の名が見える。生垂は味噌1升を水3升でといて袋に入れ、滴り落ちる液汁を濾したもの。垂味噌は「みそ一升に水三升五合入せんじ三升ほどになりたる時ふくろに入たれ申候也」とあって、3升ほどに煮詰めて生垂同様に濾したもの。煮貫は生垂に大量の鰹節を入れ、煮たてて濾しとったものとされる。江戸時代の料理書には「常の如く」とか「よき加減に」などとあり、分量など詳細については書かれていないことが多い。それこそ常の如し。


嘗物の梅びしお  | 一考   

 低残渣食に嘗め味噌は付きもの、塩味のない粥を食べるに必要なのかもしれない。緊急入院3追記15で梅醤(うめびしお)について触れた、そこで一言。
 梅醤に似たものに梅が香、梅醤油(うめじょうゆ)がある。
 梅が香は梅肉を裏漉しして大量の鰹節と合わせ、少量の醤油と酒で味を整えながら伸ばしたもの。懐石にも使われ、ですぺらで人気の肴だった。「合類日用料理指南抄」(1689)に掲げられている。
 梅醤油は通常云う梅肉のこと。塩抜きした梅干しを裏漉しにかけ、醤油を加え酒で伸ばす。鱧の湯引きの他、さまざまな魚貝類や野菜などの和え物に用いる。一部の地域では鱧に酢味噌を用いるが、あれはもっての他。
 梅醤は塩抜きした梅肉に砂糖を入れてジャム状にしたもの、江戸時代に愛好された。同様のものでは鉄火味噌、鯛味噌などが知られる。

 鉄火味噌は江戸の庶民が愛好したもの。江戸時代すでに鮪は定置網漁業の発達によって庶民の食べ物だったが、それとはまったく関係ない。鉄火味噌の鉄火とは鉄火場の雰囲気を唐辛子の辛さでもって表現せしもの。大豆、刻み牛蒡、麻の実などを胡麻油で炒め、赤味噌、砂糖、味醂、生姜、赤唐辛子の微塵切りなどを加えて練り上げる。
 江戸の鉄火味噌に呼応するのが京阪の鯛味噌と桜味噌。鯛味噌は鯛を蒸してほぐしたそぼろを、砂糖、味醂などで味をつけ、味噌を加えて練り上げる。最後に水飴と片栗粉を加えて仕上げる。大坂の料理屋八百源の売り出し。現在では市販品の多くが鱈、竹麦魚(ほうぼう)、鰈などの白身魚を用いる。桜味噌は牛蒡、生姜などのほか水飴や砂糖を加えた甘いもの。
 江戸後期の三都に共通して見られたのは径山寺(きんざんじ)味噌で、嘗味噌(なめみそ)の代表選手。煎った大豆を挽き割り、麦麹と塩を合わせ、塩圧した瓜、茄子、生姜などを刻んで混ぜ、さらに茴香、山椒、紫蘇などを加え,密封して3箇月ほど熟成させる。風味のよい赤褐色の味噌である。「金山寺みそは紀州若山金山寺の名物にて、江戸に流行出しは享保年中よりとなむ」と「嬉遊笑覧」に書いてある。享保は他の文献で調べても正しいが、和歌山に金山寺という寺はない。
 嘗味噌にはご当地物が多く、柚子味噌、鶏味噌、胡麻味噌、生薑味噌、牡蠣味噌、榧(かや)味噌、蛤の剥き身を加える時雨(しぐれ)味噌、田楽味噌、甘口の八千代味噌などがある。なお、八千代味噌は最近味噌つけ麺に使われている。
 新しいところでは岩手県紫波町の「ばっけ味噌」。岩手では蕗の薹をばっけと云う、そのばっけを突きいれた味噌で、蕗の薹のほろ苦さを楽しむ和え味噌。同じく岩手県奥州の「弁慶のほろほろ漬」。人参、胡瓜、大根、茄子、紫蘇の葉などを細かく切って塩抜きし、醤油と味噌の中間のようなもろみ(唐辛子入り)と混ぜ合わせて熟成させた刻み漬け。

 嘗味噌のバリエーションに焼き味噌がある。杓文字や盃に味噌を塗って炙ったもので、飛騨の郷土料理朴葉(ほおば)味噌や帝国陸軍のレシピ集である「軍隊調理法」に取り入れられた鉄火味噌は有名。焼き味噌は当初、味噌、鰹節、おろし生薑、大葉を混ぜていたが、やがて蕎麦味噌や北京味噌などさまざまな種類が派生し、左党を娯しませている。奴豆腐には梅が香が似合うが、焼き味噌を添えるのも一興。
 鉄火味噌について一言。鉄火味噌は八丁味噌と根菜(牛蒡、蓮根、人参、生薑)を胡麻油で炒める。梅醤の鉄火味噌と間違わないように。梅醤は練り味噌、こちらは焼き味噌。余談ながら、鉄火味噌は極陽性食品、貧血防止になるそうな。塩分が気にならなければ、わたしに相応しいのかも。
 梅も味噌もわたしの好物であり、北京味噌を専門とする大阪阪急の居酒屋には、よくお邪魔した。今ではその梅も味噌も食べられなくなってしまった。「焼味噌を好く者は金得延ばさぬ」(「えのばさぬ」はふやせない、貧乏するの意)、金を命に置き換えれば今のわたしである。


2013年04月03日

木の葉丼と蒲鉾  | 一考   

 「辺つ風」で、山陽、中国の窯元へ行きたいと書いたが、明石からもっとも近いのは篠山市今田町上立杭である。車なら1時間半ほどで行く。そこに立杭陶の郷があって、レストランがある。そこの木の葉どんぶりが滅法旨い。過去、木の葉どんぶりなど旨いと思ったことはないのだが、ここのどんぶりは蒲鉾が少なく山菜が大半を占めている。それなら山菜どんぶりに名称を変更すればと思うが、よほど店主が木の葉の名が好きなのであろう。もしくは木の葉とは山菜のことと思い込んでいるのかもしれない。篠山名物の鴨や猪肉のどんぶりもあるのだが、わたしは陶の郷へ行けばいつも木の葉どんぶりを食べていた。

 どんぶりの端緒はうなぎどんぶり、簡便な方式が庶民の愛好するところとなり、「江戸名所図会」に見られるごとく「丼物」なる語を生むに到った。鰻丼、天丼、カツ丼、親子丼、開化丼(親子丼の鶏を牛肉に)、牛丼、鉄火丼、木の葉丼など種類はさまざまである。掛け蕎麦の種物ほどではないが、20種類ほどある。
 鉄火丼のみ、寿司米を用いる。木の葉丼は通常、蒲鉾、椎茸、長葱を用いる、店によって鶏卵も。

追記
 木の葉丼の具材、蒲鉾について一言。魚肉を擂りつぶし竹串に塗って焼いたものの形が蒲(がま)の穂に似ているところから蒲鉾と呼んだ、と室町時代中期の古文書に見える。要は竹輪である。古文書とは「四条流庖丁書」(1489)と「宗五大双紙」(1528)。
 小田原式の蒲鉾が現れるのは江戸末期。蒲鉾の命ともいうべき強い弾力を「足」と称する。現在は弾力補強剤として臭素酸カリウムを擂潰(らいかい)の際に加える。多くの煉り物同様、塩分もしくはカリウムが多く、ハムやソーセージと共にわたしには禁制品のひとつとなった。
 なお、板つき蒲鉾には小田原式の蒸して作る蒸板(むしいた)、京阪地区に多い蒸し上げてから表面を焼く焼板(やきいた)、関西各地のはじめから焙焼(ばいしよう)する焼抜(やきぬき)の3種がある。


醗酵食品  | 一考   

 パン並びにバターとマーガリンは控えるようにと云われた。パンは残渣の問題にあらず、醗酵食品が理由である。許可が出たのは食パンのみ、それも一日一枚まで。それはともかく、バターやマーガリンが罷り成らんとはこれいかに。もっとも、入院中は各種ジャムしか当たらなかったが。
 原料油脂が植物油であれ植物硬化油であれ、乳化剤や乳成分が添加されるのは当然。それ故にバターとマーガリンが融会混同されるのであろうか。
 前項で書いた発酵食品のうち、わたしの食生活で觝触するのは、酒、酢、味醂、醤油、味噌、鰹節、紅茶、烏龍茶そしてパンだが、量を摂るのは紅茶と烏龍茶である。透析時代なら引っ掛かっていた緑茶が移植によって今では問題なし、紅茶と烏龍茶双方を緑茶に切り替えればうまく収まる。
 酒、味醂、醤油、味噌、バターは元来控えている。従って酢、鰹節、パン、マーガリンの四点が觝触する。酢は塩の代わり、鰹節は塩と出汁の素の代わり、マーガリンは乳製品すなわちバターの代わりとして摂取していた。出汁の素、バター、醤油、味噌はいずれも塩分の塊のような食品である。
 パンは量は減らすが止めるつもりは全くない。一々云うことを聞いておれば、粥と菠薐草の浸し物しか食えなくなる。JAと書くと問題が生じる、米問屋から賂でも貰っているのかしら。


2013年04月02日

ジオスとマージ  | 一考   

 東間医師と話し合い、貧血と低血圧とがまったくの別物と聞く。目から鱗とはこのこと、わたしは医学に関してあまりにも無知だと思う。簡単に書けば、貧血は血液中のヘモグロビン濃度が低くなった状態をいい、低血圧は最大血圧が100〜110mmHg以下の場合をいう、とあるが、100ぐらいなら普通だと思うが。わたしのそれは貧血で、度重なる失神のはなしをしたところ、医師も調べてみようとのこと。

 東間医師は自転車好き、以前に著したようにイタリアのジオス、正確にはジョスに乗っている。1948年設立、本拠地はイタリアのトリノ。ちなみに、チネリはチネッリが、マジーはマージが正しい。
 わたしが乗っていたマージは梅木英治さんに譲ったが、気に入りの自転車だった。もっとも好きだからこそ彼に譲った。往事のジオスの鋼材はコロンバス、マージの鋼材はレイノルズ531、違いはレイノルズの方が剛性が低く靭やか、一方コロンバスは剛性が高くハードな乗心地。
 かつジオスの方がシートピラーが立っており、マージと比してフレームサイズがずんと短い。要はジオスが現代的、かつプロ向けの自転車ということになる。
 その後、わたしはコロンバスを乗り継ぐが、やはり乗心地が堅く、やがてチタニウム、アルミニウム、ジェラルミンなどの柔らかい自転車に乗り換える。今では舶来でなく大阪のアラヤのアルミニウムのトリプルバテッドのフレームを自家用に持っている。理由は自分の体力の限界を知ったからで、プロの乗る自転車はわたし向けでないと悟ったからである。もっとも、それすら乗られなくなってしまった。
 東間医師と自転車のはなしをはじめると、他の医師は呆れかえった顔でそそくさと退室、遊びの世界とはそういうものなのです。


車と吸排気  | 一考   

 このところ入院がつづき全く乗っていないので、折角購入したボルボS80-t6に愛着が湧かない。実はスタイルや車の寸法すら頭に這入っていないし、エンジンの癖もよく分かっていない。ダッシュボードの改造もまだだし、ETCの手続きさえ済んでいない。明瞭なのはエンジンがポルシェの設計であり、セルシオよりボディの幅が広いということぐらいで、前の850-t5の方がよほど記憶に鮮明である。
 そもそもグレーが好きでないのだが、車は道具、色なんぞ詰るところはどうだってよい。要は走るか走らないかである。その点、ボルボS80-t6はよく走る。ただし、四輪駆動と二輪駆動が選択できるので燃費はよろしくない。燃料消費率6.2km/Lとなっているが、現実には5.0kmから5.5kmが精一杯である。
 4速ギヤ1880回転で100km/h、3380回転で180km/h、これほど低い回転数であれば高速道路での巡航は向かうところ敵なし。この車の新車価格をわたしは知らなかったが、8520000円だそうである。
 足回りの改造は考えなくもないが、明石へ引っ越せば毎日自動車商会という行きつけの自動車屋がある。彼なら説明しなくても、ことごとく了解済みである。かつて1Gや1Jを気が済むまで改造してもらった。まず、吸排気だけでも変えたいと思っている。

追記
 スバルのBRZがトヨタの直噴技術である「D-4S」を組み合わせただけで120psから200psに化けた。さすがにトヨタの実力である。あの回らないスバルのエンジンをよくぞ蘇らせた、レースでの実績はこのところ目覚ましいものがある。


2013年04月01日

道路交通法マナーバージョン  | 一考   

 病窓から戸田公園駅が見える、駅から戸田中央までは一本道である。その道を電動車椅子が走ってくる、四つ辻を斜めに突っ切って一方通行の道へ逆走で這入ってゆく。運転者は婆さんなのだが、道路交通法をご存じないようである。
 昨今、自転車の無法走行が問題になっているが、ここ戸田も朝の通勤時、自転車の一方通行逆走、右側通行、一旦停止無視、信号無視、大人の2人乗り、携帯電話、雨天の傘等々は常態化している。取り締まればきっと大混乱が起きるに違いないが、と云って捨て置いて良いものでもあるまい。
 例え弱者であろうと、軽車両の入手の段階で道路交通法マナーバージョンを学ぶ(敢えて「学ばせる」ではない)べきでないだろうか。
 あまりに常識的すぎて書くのが躊躇われるが、同じ自転車乗りとして一言述べておきたい。

追記
 同じ一方通行を125ccの小型バイクが逆走、ドライバーは女性、戸田は一体どうなっているのだろう。この女性、先々週も逆走していたような。


衛生マスク  | 一考   

 看護師がN95マスクを着用しなければならない患者2人が入院した。1人はわたしが輸血を受けたナースセンター内の病室A1422(4階の最終番号で窓が一切ない)で、重度の治療が必要である。いま1人は個室、共に五月蠅いほどシーリングチェックをしている。詳細は分からないが呼吸器感染症に違いない。
 N95は細菌の遮断効果が要求されるマスクで、不織布の中にフィルターとしてグラスウールと活性炭が這入った3層構造のもの。もっともこのマスク、15分以上は苦しくて使えない。手術用のサージカルマスクなどとは区別し、レスピレータ(呼吸用保護具や防塵マスクとも呼ばれる)と呼ぶ。サージカルマスクは装着者の側から発する飛沫の拡散を防ぐために用いるが、レスピレータは装着者を空気中の微粒子(有害物質やウイルスなど)から防ぐために用いる。なお、N95は普通に販売されているが、微粒子用マスクなど何に使うのかしら。
 序でにマスクについて一言。最大の用途は咳、嚔(くしゃみ)、痰、唾液の飛沫による病原菌の放出を防ぐ。風邪の予防としても用いるが、ウイルスや細菌はマスクのガーゼを通過して鼻腔や口腔内から体外に飛散、また逆に侵入するので役に立たない。さらに、マスクそのものが呼吸によって温まり湿潤すると、細菌の繁殖を助ける。従ってマスクを使用する場合、1時間以上同一のものを使用すると逆効果になる。10枚100円の安物を頻繁に交換するのが最も効果的。安物が嫌な神経質な方は防毒マスク着用を。

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