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2008年08月 アーカイブ


2008年08月30日

板前修業  | 一考   

 「意地っ張り」で板前修業の理不尽さを書いたが、考えてみれば簡単なはなしである。フレンチを学ぶ人は語学で頭をぶつける。ひとつひとつの料理の仕込みからあしらいまでをを言葉で覚えていかなければならない。従って、帰郷後は言葉で料理を教えようと務める。一方、和食の世界にあっては語学の必要がない。「見て奪え」「見て盗め」はそこから派生する。
 「精神論」と揶揄するようなことを書いたが、板前には調法を言葉で表現する能力が欠けているだけのはなしである。能力が欠けているのかその種の能力が必要とされないのかは同じ結果をもたらす。それでは板前修業の中味は永遠に変わらない。
 「素質を持つ板前がみんなフレンチやイタリアンへ逃げ出してゆく」と書いたが、その逆はどうだろうかと考えた。五年ほど基礎をフレンチで習い、その後和食へ転向する。これはよいアイデアではなかろうか。捌きと舌のセンスはどのような料理であろうとも錬磨は可能である。包丁にしてからが、親しくしているフレンチの料理人は片刃を用いている。片刃と両刃では切れ味が異なる。彼等は納得のいくことはどのようなことでも取り入れるにやぶさかでない。
 ヒロユキさんとの別れが近づいてきた。彼の将来に対して私のなかで割り切れないものがずっと渦を巻いていたが、どうやら決断を下す時がやってきた。知己にはフレンチやイタリアンで一家を成した方もいる。先日話したところ、八割は三週間以内に辞めてゆく、残りの二割の内三箇月もつのは一人いるかいないかと聴かされた。三箇月我慢できれば五年という年月は問題にならないらしい。語学も料理も似たものである。思うに、挑戦とはそのようなものでなかったか。されば超一流のシェフの元へ送り込もうかと考えている。


ホテル雷電  | 一考   

 北海道の岩内といえば雷電温泉、朝日温泉、飢餓海峡、そして新宿ナベサンのマダム、ナオさんの出生地である。私がもっとも好きなニセコアンヌプリから下るパノラマラインの終着でもある。その雷電温泉のホテル雷電が廃業した。2002年11月20日付でホテル層雲と共に廃業が決まっていたので今更いうこともないのだが、残念である。
 温泉は岩内町が一括管理し、ホテル雷電からホテル観光かとうへも配湯していた。かとうの方は営業を続けているが、ホテル雷電の玄関には破産管財人の告知が貼られてあって、かなり酷な倒産だったと分かる。
 天井が高く、日本海側に面した大きな窓硝子からは沈む夕陽が眺められた。雷電海岸の奇岩と相俟って道南では屈指の温泉だった。ただし、奇岩に蔓延るのはカモメでもウミネコでもなく、閑古鳥の大群。岩内町自体が過疎化に苦しんでいる状態では仕方がなかった。昨年閉鎖していた朝日温泉が今夏、再開したのは未だしも吉報だった。
 北海道で知られた温泉は以下のごとし、

 石狩地方 定山渓温泉、小金湯温泉、支笏湖温泉
 胆振地方 登別温泉、洞爺湖温泉、北湯沢温泉、虎杖浜温泉、新登別温泉、カルルス温泉、壮瞥温泉、蟠渓温泉
 渡島地方 湯の川温泉、大沼温泉、東大沼温泉、恵山温泉、長万部温泉、濁川温泉、鹿部温泉
 後志地方 ニセコ温泉郷、朝里川温泉、いわない温泉、雷電温泉、盃温泉
 檜山地方 湯ノ岱温泉
 上川地方 層雲峡温泉、白金温泉、旭岳温泉、天人峡温泉、十勝岳温泉
 十勝地方 十勝川温泉、然別湖畔温泉、糠平温泉、雌阿寒温泉、幌加温泉、幕別温泉
 釧路地方 阿寒湖温泉、川湯温泉、和琴温泉、摩周温泉、仁伏温泉
 網走地方 ウトロ温泉、温根湯温泉、滝の湯温泉、網走湖畔温泉、女満別温泉
 根室地方 養老牛温泉、羅臼温泉、尾岱沼温泉
 宗谷地方 豊富温泉、稚内温泉

 私の友人でこれらすべてを駈け巡っている人がいる。彼は定山渓、登別、洞爺湖、湯の川、層雲峡、阿寒湖、川湯の観光バスが行くようなホテルには見向きもしない。団体行動を忌み、ホテル雷電で風呂を浴び、神恵内のプチ・ダイヴか積丹のなぎさ食堂でウニ丼をひとりで食べる。旅人の範のようなひとで、彼の温泉の薦めは信頼できる。その彼が道南で一押しの温泉がホテル雷電だった。ホテル雷電の廃業に伴って、似たロケーションを眺められるのはモッタ海岸温泉旅館になった。北海道でもっともラジウム濃度が高い温泉だが、デッキブラシで擦られて白く褪せたホテル雷電のような鄙びた雰囲気は味わうべくもない。

 ですぺら掲示板1.0で「二セコビュープラザという道の駅があって、そこにニセコヌプリホルスタインズミルク工房の売店があり」そこのソフトクリームが旨いと書いたが、あれは「らんこし・ふるさとの丘」の間違いだった。国道5号沿いは同じだが、所在地は磯谷郡蘭越町字相生969番地、電話は0136-55-3251である。
 併設のアイス工場は町営だそうで、ソフトクリームとカップアイスは、牛乳の甘味を生かしたバニラのみ。ソフトクリームは乳脂肪分よりも無脂固形分にこだわった製法で、シャーベットのようなざらざらした食感を持つ。生乳で拵えたソフトクリームは通常、食した後に水が欲しくなるものだが、「らんこし・ふるさとの丘」のそれは、後味が実にさわやかである。
 http://www.shiribeshi-i.net/jouejoue/2005summer02

 話序でに、通年ウニ丼ならぬウニ定食が食べられる道の駅がある。アルトリ岬キャンプ場の傍にある洞爺湖町(旧虻田町)の道の駅「あぷた」である。値は1500円、味については何も書かない。積丹と比較しては礼を逸することになる。


2008年08月29日

新入荷のボトル  | 一考   

 モルト会へ来られたにもかかわらず、クレッグホーン社のモルト・ウィスキー四種を再度飲みに来られた方がいる。ことほど左様にクレッグホーンは旨い。
 西明石および上京後間もない頃に購ったモルト・ウィスキーをこのところ開栓している。今月は暇だったので、新規ボトルはほとんど購入していない。従って、新規の開栓は十年以上昔のボトルばかりである。先月は少しだけ購入した。その双方を掲げておく。

 タクティカル '79(ダグラス・レイン)
  オールド・モルト・カスクの一本。21年もの、50度のプリファード・ストレングス。312本のリミテッド・エディション。中味はタリスカー。
  オールド・モルト・カスクはタリスカーのような刺激が強いモルトも優しく仕上げる。本品も例外ではなく、ずいぶんと熟れたタリスカーである。

 アードベッグ・ベリーヤング '98※
  ディスティラリー・ボトルの6年もの、58.3度のカスク・ストレングス。
  前年のコミッティー会員向けボトルの一般市場向けの商品。2004年8月ボトリング、ファーストフィルのバーボン樽で熟成。限定20,000本。翌2005年にも別ロットのベリーヤングが頒されている。若々しくフレッシュで刺激的。

 アードベッグ・ルネッサンス '98※
  ディスティラリー・ボトルの10年もの、55.9度のカスク・ストレングス。
  1998年に蒸留された原酒が熟成される過程をボトリングした一連の流れの到達点として、2008年7月25日に発売。
  トロピカルフルーツの果汁、バニラやホットシナモンのスパイス、パイナップルの風味、芳しい花のキャラクター。ピートオイルとがぶつかりあって共存し、力強さを感じさせる。ピーティーな熟成の極み。

 アードベッグ・アリー・ナム・ビースト '90※
  バーボン・カスクの16年もの、46度のディスティラリー・ボトル。
  クリーミーでスモーキーなフレーバーの中に感じるフェンネルや松の実のキャラクター。ピート・オイルの粘り気のあるファッジ・ソースの霧雨。

 スティルベリーヤング・アイラモルト '00(リンブルグ)
  リフィール・シェリーバットの7年もの、59.1度のカスク・ストレングス。中味はアードベッグ。
  ドイツの南西部で催されるリンブルグ・ウイスキー・フェスティバルのボトル。さほどスモーキーでなく、やわらかさの中に、透明感のあるスモーク。シェリーバットの影響か、マイルドな口当たり。ディスティラリー・ボトルと比して値は張るもののすこぶる美味。

 ブナハーブン・ピーテッド '97(シグナトリー)
  アンチルフィルタード・コレクションの一本。リフィール・シェリー・バットの10年もの、46度。852本のリミテッド・エディション。
  同じシグナトリー社のカスク・ストレングス・コレクションと比して加水タイプの弱さはあるが、香りはこちらの方が上かも。

 クラガンモア・カスクストレングス '73※
  04年3月発売の29年もの。アメリカンオークのリフィル、52.5度のディスティラリー・ボトル。6000本のリミテッド・エディション。
  以下は蒸留所のテイスティング・ノートより。
  香りはドライさと甘みの混じる芳香。若草、薬草、焦げた砂糖、クリームブリュレ。加水すると種子のようなオイル香。
  ボディーは ソフト。かすかにオイリーでドライ。
  テイストはドライ、ジャコウの花、ペッパー。カンゾウ(甘草)とオレンジ。加水しなくても飲みやすいまろやかさ、多少の酸味とナッツの風味を感じる。
  フィニッシュは ミディアムからロング。ドライ、そして花を想像させるようなやわらかな甘さとナッツのような後味。香味共に文句なし。

 クレイゲラヒ 14年※
  14年もの、40度。
  正式販売される商品ではなく、蒸溜所のスタッフ及び関係者だけに配られる限定ボトル。アルコール度数は低いが美味。

 グレン・キース '93(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの一本。14年もの、46度。
  ゴードン&マクファイル社最後のコニッサーズ・チョイス、以降はラベルが新しくなった。

 グレン・キース '95(イアン・マクロード)
  チーフテンズの一本。ホグスヘッドの13年もの、43度。3樽1572本のリミテッド・エディション。

 グレンファークラス '89※
  オロロソ・シェリーの16年もの、56.3度のカスク・ストレングス。278本のリミテッド・エディション。
  ロンドンにあるウイスキーショップ、ウイスキー・エクスチェンジ向けにリリースされたボトル。ファーストフィルのオロロソシェリー樽で熟成、シェリー樽ならではの甘い香りとオイリーな飲み口が重なってエイジング以上の練りを感じさせる。

 オーキンドゥー '82(クレッグホーン)
  13年もの、55.2度のカスク・ストレングス。限定232本のリミテッド・エディション。中味はタムドゥー。

 ベルチャロン '79(クレッグホーン)
  14年もの、59.7度のカスク・ストレングス。247本のリミテッド・エディション。中味はダルユーイン。

 ブレイヴァル '95(ダン・ベーガン)
  ダン・ベーガンの一本。シェリー・バットの11年もの、46度、750本のリミテッド・エディション。
  ダン・ベーガンはスコットランドのスカイ島にある村名。支配者である地元のクラン(部族)が、生産者ウイリアム・マックスウェル社の創業家と深いつながりがあったことから、ブランド名が決まった。なお、ウイリアム・マックスウェル社はイアン・マクロード社と同一資本。
  1997年にフランス向けにボトリングをスタート、2002年後半に現在のパッケージになり、アメリカ、ヨーロッパ、台湾などで販売を開始。

 グレン・クエッチ '75(クレッグホーン)
  19年もの、58.2度のカスク・ストレングス。243本のリミテッド・エディション。中味はアバフェルディ。

 ワリゴー '81(クレッグホーン)
  13年もの、56.4度のカスク・ストレングス。250本のリミテッド・エディション。中味はプルトニー。


2008年08月26日

プルトニーの香味  | 一考   

 プルトニーは大ブリテン島の北の端、北海に面した港町ウィックの蒸留所。バランタインの主要モルトのため、ゴードン&マクファイル社の8年、15年ものが僅かに出回るのみだったが、95年に12年もののディスティラリー・ボトルが、次いで98年には15年ものカスク・ストレングスが頒された。
 「海風や磯の香、魚介や海藻の潮味等、塩辛さが織りなす極めてシンプルな辛口」と書いたが、これはディスティラリー・ボトル、ゴードン&マクファイル社のボトル双方について言えることで、まずゴードン&マクファイル社が香味を定め、ディスティラリー・ボトルがそれに倣ったというのが真相であろう。
 ところで、スコティッシュ・リキュール社のビーン・ア・チェオ、クレッグホーン社のワリゴー(共にプルトニー)はどちらも甘口である。ビーン・ア・チェオはカスク違いも試してみたが同じだった。「オキシフルに漬け込んだ海藻の匂いが顕著な辛口」といったイメージはどこを探してもみつからない。また、不思議なことにこの二種類のプルトニーは香味が似ている。
 ちなみに、前述のミレニアム・エディションの15年ものカスク・ストレングスは、すべてシェリー樽熟成のシングル・カスクである。ビーン・ア・チェオやワリゴーがシェリー・カスクだからというのは甘口の理由にならない。ウィックはロバート・スチーブンソンの生誕地である。ジョン・シルバーのラム酒の雰囲気すら漂わせていると書けば書きすぎであろうか。
 ゴードン&マクファイル社のマクファイルとマッカランのディスティラリー・ボトル、もしくはスピリット・オブ・スコットランド(ゴードン&マクファイル社)のアードベッグと現行のアードベッグのディスティラリー・ボトルを比較すればよく分かるように、ゴードン&マクファイル社は少々辛口に振る癖がある。私はその方が好きなのだが、プルトニーの場合は差違では済まされない。ここにも、ブレンダーのセンスひとつでウィスキーの味はどうにでも化けるとの典型例がある。おそらく、どちらの香味もプルトニーなのである。強調させる部分が異なっただけなのである。それにしてもどこをどうすればこのような落差が生じるのか、と思う。

 クレッグホーン社のボトルについて一言。オーキンドゥーはマクファイルズ・コレクションのタムドゥーと比して頗るフルーティー、「際立った個性はない」どころか、スペイサイド固有の蜂蜜ナッツや熟した果実、レーズンの香り、シェリー酒の風味が豊か、こくに奥行きがありオイリー、柔らかい甘味が残るフィニッシュが長く続く。要するに銘酒の一つである。現在ですぺらに在庫するのはオーキンドゥー(タムドゥー)、グレン・クェッチ(アバフェルディ)、ベルチャロン(ダルユーイン)、ワリゴー(プルトニー)の四種類。そして孰れもが美味である。発売は94年から95年、今から13年前である。その後、ワイン商に戻ったらしく、モルト・ウィスキーのボトリングはついぞ聞かない。早過ぎたボトラーとして惜しまれてならない。


2008年08月25日

クレイゲラヒとレアモルト  | 一考   

 クレイゲラヒのフィニッシュについて「心地よい余韻が長く続く」と書いた。これは蒸留所の説明をそのまま写したまでで、飲んだ結果気付かされたことがあった。
 クレイゲラヒのフィニッシュはオスロスクのそれに似て、心地よいのだが幾分ショートである。同じようなフィニッシュにダフタウンがある。「ふっと消え入るような風情」と寡多録に書いているが、そっくりそのままクレイゲラヒにも通用する。
 例外はレアモルトのクレイゲラヒで、「クリーミー」は「アイリッシュクリームの味わい」へ、「アップル、ライチ、フレッシュな洋梨」は「オレンジとナッツの風味」へと変化する。そして「最良の食後酒のひとつ」に相応しく、長く濃密なフィニッシュを有する。このフィニッシュは同じユナイテッド・ディスティラーズ社の花と動物シリーズにもみられないものである。

 何度も書いていることだが、花と動物シリーズは元々ディスティラリー・ボトルを持たない蒸留所のビジターセンター及び近隣での販売用に九十年代に入ってからボトリングされた。それが理由で、蒸留所周辺に棲息する動物や植物の絵柄をラベルにあしらい、土産品としての付加価値を高めた。全部で二十七種類(詳細はホームページのオーナーズ・ボトル一覧を参照)が頒され、蒸留所の売店で売られたところからディスティラリー・ボトルと思い込んでいる人も多い。しかし、オーナーズ・ボトルではあってもディスティラリー・ボトルではない。私は単純にボトラーズ・ボトルの一種と解釈している。
 それにしても、レアモルト・セレクションは旨い、あまりにも旨過ぎるのである。ダグラス・レイン社はじめ多くのボトラーへ樽の供給をしていたぐらいだから手持ちの駒は潤沢である。樽の選定からして並のボトラーとは違う。レアモルト・セレクション三十一種類はことごとくがシェリー樽を熟成に用いている。伝統的な熟成法に則った最後のシリーズでなかったかと今にして思う。現行のシグナトリー社のカスクストレングス・コレクション四十四種類(他に未確認有り)と比してもその完成度は水際立っている。
 前述のクレイゲラヒにしても、あれがクレイゲラヒだと私は思っていない。ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルト・セレクションを飲んでいるのである。かかるボトルをボトラーズ・ボトルといわずに何とする。


2008年08月22日

チーフテンズ・チョイスほか  | 一考   

 2001年にはじまったイアン・マクロード社のチーフテンズの前身にチーフテンズ・チョイス(名義はスコティッシュ・インデペンデント・ディスティラーズ)がある。現在は46度でヴィンテージはじめ詳細が明記されているが、当時は43度でエイジングのみ、なかにはヴィンテージの記載があったりと不統一だった。2000年にクレイゲラヒ18年と19年、ダフタウン12年、グレンバーギ11年(1988)、コンヴァルモア15年、リンクウッド10年(1990)、ティーニニック16年等がボトリングされている。
 ダフタウンはシェリー・ウッドフィニッシュ、ティーニニックはフィニッシュにポート・バレルを用いたダブル・マチュアード。95年から97年発売のユナイテッド・ディスティラーズ社のクラシック・モルト・シリーズのダブル・マチュアード版を強く意識している。
 チーフテンズはダン・ベーガンと共にイアン・マクロード社の中核を成しているが、ホグスヘッドに混じってラム、ポート、シェリー、クラレットなど、さまざまなカスクをフィニッシュに用いる。ウッド・フィニッシュ物は当初例外アイテムとして扱われてきたが、最近ではやっと存在理由を得たようである。
 蒸留所を所有するのがボトラー生き残りの秘策とか。シグナトリー社が2002年にペルノ・リカール社から買収したエドラダワーもそうしたひとつだが、ボトラーが蒸留所を所有するとウッド・フィニッシュ物が増える。熟成に闌けたボトラーならではの実験だが、私は好意的に見ている。それでなくてもシェリー樽は減り続けている。これからはフォーティファイドワインからスティルワインに至るさまざまな樽が熟成に用いられる。カスクの違いがウィスキーに与える影響の差異、インデペンデント・ボトルを楽しむ醍醐味はそんなところにもある。


2008年08月19日

オフィシャル・ボトルとはなんぞや  | 一考   

 かつて「オフィシャル・ボトル」と題する文章を書いた。私もごくたまに遣う、遣いながら奇妙な言葉だと思う。「オフィシャル・ボトル」は和製英語で、正確にはディスティラリー・ボトルもしくは蒸留所元詰めになる。ところで、ボトリング設備を自前で持っている蒸留所はグレンフィディックとスプリングバンク、それとブルイックラディとキルホーマンの四社のみ。要するに他の蒸留所のボトリング(註一)を引き受けているのはスプリングバンクのみということになる。従って、多くの蒸留所はブローカーやボトラーの設備を借りてボトリングしている。「蒸留所元詰め」は言葉の持つ意味において矛盾している。
 ウィスキーの世界はブローカーを中心に動いている。ブローカーはニュー・スピリッツの段階で蒸留所からウィスキーを買い取ってメーカーへ卸したりボトラーへ転売する。グレンフィディックやグレンモーレンジのように、すべてをシングル・モルトとして出荷。現在、一切の樽売りはしていない蒸留所もある。そのような蒸留所を除いて、熟成庫やボトリング設備を持つ必要はどこにもなかった。モルト・ウィスキーをモルト・ウィスキーとして楽しむ人々は少なく、一部のブローカー兼ボトラー、ケイデンヘッド社とゴードン&マクファイル社が細々とボトルを頒していたに過ぎなかった。われわれがモルト・ウィスキーを広く嗜むようになったのは90年代に入ってからである。ウィスキーの歴史は古いが、モルト・ウィスキーの歴史ははじまったばかりである。もっか最先端の飲み物といえようか。
 メーカー(註二)すなわちブレンド・ウィスキーを作っているところは代理店を持つ。ブレンド・ウィスキーにおける正規品、並行輸入品の概念はそこから生まれる。代理店経由が正規品で、それ以外が並行輸入品となる。モルト・ウィスキーの場合も、ヴーグ・クリコジャパンが扱うアードベッグとグレンモーレンジ、サントリーが扱うボウモア、ラフロイグ、マッカラン、スキャパ等は正規品と並行輸入品の双方が存在する。それらは数少ない例外であって、ブレンド・ウィスキーとは異なり、正規品の方が安価な場合がある。
 「オフィシャル・ボトル」との言葉を誰が遣い出したのかは知らない。ただ、罪作りな言葉を造ったものである。この言葉には正規品とのイメージが深く刻まれているように思う。日本人は正規とかオフィシャルという言葉に弱い。最近ではオフィシャル・ボトルが正規品で、ボトラーズ・ボトルが並行輸入品と思い込んでいる方すらいる。ボトラーズ・ボトルとオフィシャル・ボトルの違いについてはホームページの「インディペンデント・ボトラーズについて」で詳述しているのでここでは繰り返さない。
 ただ、オフィシャル・ボトルがはじまったのとボトラーが雨後の筍のように増えた時期は共に90年代に入ってからのことである。そして、ディスティラリー・ボトルを頒していない蒸留所も多く存在する。アルタナベーン、インペリアル、キャパドニック、グレントファース、グレンバーギ、コンヴァルモア、ダラス・ドゥー、ブレイヴァル、グレン・アギー、グレン・カダム、ノース・ポート等がそれで、他にもグレンキースのように94年から2000年までと短命に終わったディスティラリー・ボトルを入れると果てがなくなる。
 オフィシャル・ボトルが任意の蒸留所のウィスキーの基準になるとよく聞かされる。しかし、おおよその目安にはなれ、香味の基準にはならない。オフィシャル・ボトルは大量生産なので、味は平均化される、ただし、ウィスキーの香味は樽の数だけ存在する。ボトラーがシングル・カスクにこだわる理由はその樽の数だけ存在する異なった香味を異なったものとして楽しもうというのが趣旨だからである。過去を振り返っても、ボトラーズ・ボトルがオフィシャル・ボトルの香味に先行し、蒸留所のブレンダーに影響を与え続けた例は枚挙に遑がない。
 どうやら、ここにも日本人特有の短絡的思考が垣間見られるようである。ディスティラリー・ボトルをいくら飲んでもウィスキーは分からない。2008年5月17日に「ボトラーとラベラー」で紹介したイアン・マクロード社、ゴードン&マクファイル社、シグナトリー社、ダグラス・レイン社、ダンカン・テイラー社の五社がこれから生き残るボトラーと云われている。モルト・ウィスキーを知りたい人はまずボトラーズ・ボトルから賞味していただきたい。
 以上が武蔵屋の竹内元さんと話した内容である。今後オフィシャル・ボトルを私は遣わない。人のことはどうでもよい、私はディスティラリー・ボトルを用いる。

(註一)樽から瓶詰めして販売することをボトリングという。従って、ボトリングしているからといってボトリング設備を持っているとは限らない。
 スプリングバンク蒸留所とボトラーのケイデンヘッド社は同資本の会社、同じくブルイックラディ蒸留所とボトラーのマーレイ・マクデヴィッド社も同資本。
(註二)通常、蒸留所をメーカーとは云わない。メーカーとはジョニー・ウォーカー、バランタイン、シーバス、ベル、ホワイトホースのようなブレンデッド・ウィスキーを販売する会社を指す。貯蔵庫、ブレンディング、ボトリング設備を持ち、原酒確保のため傘下に蒸留所を抱えたり、直接蒸留所を設営することもある。わが国とはシステムが異なる点に留意。


2008年08月15日

ディアジオ傘下のモルトスター  | 一考   

 毎日のように更新しているので、掲示板の誤植が絶えない。モルトウィスキーに関しての書き直しは仕方がないが、そうでないものにも間違いが増えてきた。少しピッチを落とすことにした。もっとも書き込み速度と誤記、誤植とのあいだにはなんの因果関係もないが。
 6月18日の「ですぺらモルト会」にもミスがあって、「ディアジオ社はその傘下に四つのモルトスターを持っている」と書きながら、三つしか記載していない。グレネスク、グレン・オード、ブレチン(グレンカダム)とポートエレン・モルティング社の四社である。このような間違いや勘違いは無数にあって二十箇所ほど修正した。掲示板の休みの間、極力訂正に務める。どうかよろしく。


一筆啓上  | 一考   

 巷は盆休み、ですぺらは普段通りの営業だが暇である。去年は夏休みだったので比較すべき材料がない。一昨年まで盆は忙しかったのだが。
 ですぺらはともかく、掲示板はしばらくお休みにする。


2008年08月14日

掲示板と原稿料  | 一考   

 武蔵屋の竹内さん来店。ボトラーズ・ボトルに関する書き込みを一部盗用させていただいたとのご挨拶。何時も書いていることだが、ウェブサイトに著作権は原則存在しない。用に供するのであればいつでも掻っ払っていただきたい。地元はおろか、名古屋の某酒店はですぺらホームページからふんだんに盗作なさっている。思考などというものは糊と鋏の使いようひとつでどうにでもなる。況や書き物なんぞ、その思考の残滓ではないか。盗用であろうがなんであろうが、それでモルト・ウィスキーのファンがひとりでも増えればありがたいことである。
 ところで、掲示板への書き込みに対して原稿料が支払われた。これには私も愕いた。何時ぞや、吉行に関する書き込みが続いた。憤懣の一端を吐露したまでなのだが、担当編輯者の能力を私は買っていた。末尾を削り、二箇所ほど順序を入れ替えると素直なオマージュになるように細工した。それを見抜いた彼女も立派だが、掲載した責任者も技有りとしか云いようがない。
 雑誌というか、活字の場合、多くは匿名で著す。「いくらでも書くが、名前を載せてはいけないよ」が私の口癖である。なぜなら私はプロの書き手ではない。そういうことで専門家面するほど酔狂でなく、人目を惹きたいとも思わない。そして一番大事なことは匿名だと文責は編輯部に在るということである。他方、ウェブサイトには編輯を担当する者がいない。よって掲示板では名前を明記するしかない。文責は名告った名前にしか掛かってこない。名無しの権兵衛では責任の取りようがないのである。つい先頃もちょっとした叱責を受け、注意深く修正を施した。
 いずれにせよ、書けば問題が発生する。トラブルが生じないのは何も書いていないに等しいか、もしくは匿名で逃げているに他ならない。その消息は為事に対するのと同じである。トラブルが生じないのは何も為事をしていないか、もしくは上司がうまく処理しているからに違いない。同じく、この消息は生きることにも通じている。


2008年08月13日

ですぺらモルト会  | 一考   

8月23日(土曜日)の19時から新装開店後、八度目のですぺらモルト会を催します。
会費は10000円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
今回はクレイゲラヒがメインで、加えるにクレッグホーン・ディスティラリーのボトルを楽しみます。クレッグホーン・ディスティラリーについては当掲示板2008年07月02日に書いているのでご参照下さい。
 
1998年、ギネス社とグランドメトロポリタン社が合併してディアジオ社が誕生、傘下のUDV社とIDV社は一つにまとまった。しかし、合併は独占禁止法に抵触。デュワーズ社と傘下の四つの蒸溜所をバカルディ社に売却。四つの蒸溜所とはオルトモーア、クレイゲラヒ、アバフェルディ、ロイヤル・ブラックラ。以降のバカルディ社のニュー・ボトルはアバフェルディのみ。
クレイゲラヒは長くホワイトホースのメインモルトだったが、現在ではデュワーズのメインモルトとなった。ディスティラリー・ボトルはなく、シングル・モルトとして出回るのは生産量の一パーセント。先頃14年ものが頒されたが、正式販売される商品ではなく、蒸溜所のスタッフ及び関係者だけに配られた限定ボトル。スペイサイドの隠れた銘酒だけに惜しまれる。
香りは非常に華やかで、フルーツの香りが濃厚。はじめにビールのホップのようなほんのりとした苦味を感じるが、アップル、ライチ、フレッシュな洋梨のキャラクター。クリーミーでバランスが良く上品な味わい。心地よい余韻が長く続く。

ですぺらモルト会(クレイゲラヒを飲む)

01 クレイゲラヒ 14年※
 14年もの、40度のディステラリー・ボトル。
02 クレイゲラヒ '89(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。12年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。360本のシングル・カスク。
03 クレイゲラヒ19年(イアン・マクロード)
 チーフテンズ・チョイスの一本。43度。
04 クレイゲラヒ '84(ハート・ブラザーズ)
 ファイネスト・コレクションの一本。15年もの、43度。
05 クレイゲラヒ '81(シグナトリー)
 オーク樽による16年もの、43度、限定410本のシングル・カスク。
06 クレイゲラヒ '73(レア・モルト)※
 ユナイテッド・ディスティラーズ社のレア・モルト・セレクションの一本にして22年もの、60.2度のカスク・ストレングス。
07 オーキンドゥー '82(クレッグホーン)
 13年もの、55.2度のカスク・ストレングス。232本のリミテッド・エディション。中味はタムドゥー。
08 ベルチャロン '79(クレッグホーン)
 14年もの、59.7度のカスク・ストレングス。247本のリミテッド・エディション。中味はダルユーイン。
09 グレン・クエッチ '75(クレッグホーン)
 19年もの、58.2度のカスク・ストレングス。243本のリミテッド・エディション。中味はアバフェルディ。
10 ワリゴー '81(クレッグホーン)
 13年もの、56.4度のカスク・ストレングス。250本のリミテッド・エディション。中味はプルトニー。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


金子國義サイン会のお知らせ  | 一考   

日時:8月23日(土)15:30〜
会場:ジュンク堂書店池袋本店1階エントランス
同書店にて「金子國義の世界 L'Elegance」(平凡社)を買われた方限定のサイン会です。
予定は八十冊ですが、まだ残部があります。
金子國義さんのことですからサインだけでなく、宛名も書いていただけます。
サイン本購入の最後の機会です。こぞってお出掛け下さい。


2008年08月12日

櫻井幡雄さんのことなど  | 一考   

 「旧字の薦め」を読んで櫻井幡雄さん来店。何年ぶりだろうか、かつてコーベブックスで共に仕事をした間柄である。彼はオール関西の編輯者だった。それが思うところがあって、多田智満子さんの紹介でコーベブックスへ来られた。彼とは活字と酒の日々を過ごした。
 「旧字の薦め」で触れた冨山房や角川の漢和辞典には一部木版活字が使われている。コーベブックスの出版物はなにがあろうとも活版で押し通そうというのが彼と私とのあいだで交わされた黙契だった。一冊の書物を印刷する費用は百二十万から百五十万円ほどだったが、母型の制作代金がしばしば印刷費を上回った。正漢字の活字がなければ母型を作るしかない。母型を作るにはパターンから起こさなければならない。須永さんの本を作っていて二百ほどの母型を作ったこともある。そこまでして正漢字を揃える必要があったかどうかは問うまい。ただ、当時の私たちに不可能はなかった。今にして思えば滑稽である。否、滑稽と思われるような活字まで拵えた。
 出版物はすべて活版の直刷り、限定記号までも一字ずつ差し替えて活版で刷った。それが出来たのも彼がいたからである。製本は須川精四郎、帳簿の職人である。フランスで拵えたルリュールを何冊も持ち込んで口説き落とした。
 活字は母型屋が変わると微妙に縦横の肉厚の比率が異なる。また活字の回りの面積も微細に異なる。元活の活字が私にはもっとも気に入った。なによりも、母型を削る機械の精度が違う。精度が違えばエッジがシャープである。
 箔押しは本金しか使わない。従って通常の凸版は駄目で、当初はスーパー活字を用いた。ただしスーパー活字に旧漢字や正漢字はない。そこでスーパー活字の母型を作る。通常の活字は鉛だが、スーパー活字は超合金である。それの母型だから一般活字の数倍の金数がかかる。活字屋でどれだけの時間を費やしただろうか。編輯の仕事が油に塗れ、工作機械との睨めっこになるとは思いもかけなかった。
 スーパー活字よりさらに深い箔押しをするため、須川製本所の紹介で大阪の辻川彫刻所というところに発注し、金属板を電動ノミで彫刻してもらった。そのような話ができるのは櫻井幡雄さんを除いて他にはない。そして旧字を知れば知るほど正漢字が訝しく思われてくる。江戸期の読本に氾濫する俗字の正統性が浮かび上がってくる。櫻井さんがひとこと、「旧字の薦め」を読んで青春のなにかが終わった、というよりも肩の荷が下りたと。
 櫻井さんからのメールを無断で引用して申し訳ないが、「赤坂見附は長い間、ホロ苦い思い出の地でした。1970年6月14日、青山通から溜池方面に大きく右旋回するデモ隊列の中にいた私は「イカロスの翼」をはばたかせるどころか、いきなり両脇から機動隊員に抱え上げられて体が浮き、弁慶橋のたもとに待機していた車まで運び込まれて留置場行きとなる屈辱を味わったのです。以来、足を向けられずにいましたが、還暦を過ぎてようやく「赤プリ」に宿をとり、一考さんのお店に行くという合せ技のショック療法を敢行し、トラウマの解消に努めた」とある。文中の「イカロスの翼」は佐々木幹郎さんが展望に書いたエッセイで、彼の第一評論集「熱と理由」国文社に収められている。その幹郎さんと彼は偶然ですぺらで会った。我々はいまなお権威・権力と熱い闘いをつづけている。

 震災で櫻井さんは家も蔵書も喪った。崩れ落ち埃で埋もれた書冊のなかから三十箱ほどを選び、何時か綺麗にしようと数度の引越を共にした。已んぬるかな、湿気が黒カビを呼び開けたときには書物でなくなっていた。極度なストレス性の狭心症発作のため救急搬送されたと彼から聴いた。名前は伏せるが、某詩人、某仏文学者は震災で蔵書を喪ったあと耄けていたが、数年後そのまま死んでしまった。私はといえば、愛書家読書家といわれる人たちを爾来嘲笑っている。書物を所有することと文学とはなんの関わりもない。


2008年08月11日

黒豆枝豆  | 一考   

 黒豆枝豆といえば丹波篠山が名産地だが、私が引っ越してきた埼玉でも作っている。今日は群馬県赤城高原産の黒豆枝豆を見付けた。粒が大きくて莢に張りがあって旨そうである。おそらく他でも黒豆の生産に励んでいるに違いない。今日見掛けたものは早生品種であって、普通は九月から十月末までが食べ頃である。莢が黄色く変色し実が黒くなってきたものを私は好む。
 東京へ来て枝豆の湯掻き方がひどいのに気付かされた。どうひどいかというと、ゆがきすぎである。枝豆をボールにとって塩揉みする。沸騰した湯のなかへ入れて四十秒以上はやめていただきたい。本当は二十秒から三十秒といいたいところだが、家庭だと鍋が小さいので湯の温度が下がる。逆に塩分濃度が上がれば沸点も上がる。それを差し引いての四十秒である。明治、大正期に出版された京都の料理書には十五秒と書かれたものもある。
 それと湯掻いたあと、水にはつけないでいただきたい。熱いところへ塩を振って自然に冷ます。それだけで見違えるような枝豆が出来上る。


ウェブサイト  | 一考   

 母が逝いて、残された家族のこと、家のこと、寺のこと等々、微妙かつ煩雑な問題が生じる。そして個人情報保護法に関して家族と論争するつもりはまったくない。従って、家族の名前を掲示板へ出したことを深くお詫びする。今後、家に関する発言は一切控える、控えるというよりも書くことはない。

 随分と前のはなしだが、縊死した某作家に関する書き込みで困惑させられた。よかれと思う書き込みが人の怒りを買う。新潮社の知己からは抑制が効いていてよい文章であると云われたのだが、書いた場所(ですぺら掲示板)が悪かったらしい。ウェブサイトにはなお偏見が強く残る。おそらく匿名性と文責のなさがそうさせるようである。
 いまだに街中を銜え煙草で闊歩するような方がいる。車中からの煙草のポイ捨ては常識であるらしい。その無神経さが昨今の禁煙運動に結びついている。法律で許されているとか禁じられているというのは本末顛倒である。禁じられないような努力がなされなかった結果がいま出ているのである。今に車中での喫煙も禁じられるに違いない。
 煙草を喫むひとの無神経さは目に余る。同様にウェブサイトも今に法律で雁字搦になるに違いない。なってからでは遅いのだが。


2008年08月08日

お詫び  | 一考   

 湯川成一さんのお名前を湯川誠一と間違えていた。申し訳なく思う。ですぺら掲示板2に関しては遡って訂正させていただいた。
 従って2008年07月29日の「自家中毒」で書いた「湯川成一の名で検索しても当掲示板のほかには出てこない」は間違い、お詫び申し上げる。

追記
 湯川成一さんのお名前を誠一と勘違いしたのは須川製本所の二代目、須川誠一さん(精四郎さんの長男)との混同が理由ではなかろうかと櫻井幡雄さんからご指摘があった。さらに、「櫻井幡雄さんのことなど」に記憶違いならびに誤認があって書き直すことになった。櫻井さんに深甚の謝意を表したく思う。


フランスパン  | 一考   

 ヴィロン、モナ・カフェ・エ・ブティック、ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション、メゾン・カイザー、ベッカライ・ブロートハイム、ルヴァン、ユーハイム・ディ・マイスター丸ビル店、ラ・フーガス、ラ・ブランジェ・ナイーフ、プーヴー、グードファリーヌ、横浜のパン・ド・コナ、伊勢原のブノワトン、鷺沼のビゴの店、千葉のル・クール、松戸のパオ、福岡のジェラール・ミュロ、京都のたま木亭、大阪のア・ビアント本店とル・シュクレ・クール等々、バゲットやカンパーニュのようなハード系のフランスパンが旨い店である。残念なことに神戸は一軒も入っていない。
 今回久しぶりに神戸へ行って一日パン屋巡りをした。そして意気沮喪した。かつて神戸のパンは美味かった、それは私の自慢のひとつだった。フィリップ・ビゴがドンクを離れたのは1972年、その辺りから神戸のパンの凋落が徐々にはじまった。もうひとつ気付いたのが、神戸のパンは東京のそれと比して値が高い。おそらく競争がないからだろう。焼きも随分とあまくなってしまった。
 その間に東京では若手のブランジェが多く生れた。数軒のパン屋とは懇意にしていて、窯を見せていただくこともある。仕事は大変だし、労働時間は長い、しかし「意地っ張り」で書いたような理不尽な修行はない。その闊達さが若者を魅了する。
 神戸へ行く理由はまだ残されている。ただ、パン屋へは二度と行かない。


2008年08月07日

二風谷アイヌ文化博物館  | 一考   

 幹郎さんの友人から問い合わせがあったのでひとこと。
 白老のアイヌ民族博物館から東へ七十キロほど行くと平取町二風谷アイヌ文化博物館がある。もう少し詳しく書くと、日高本線の富川(とみかわ)駅がもっとも近く、そこから道南バスで沙流川に沿って237号線を北上、約二十分で二風谷へ到着する。
 アイヌに関心をお持ちならぜひ足を延ばしていただきたい。萱野茂さんの蒐集になるが、アイヌの民族舞踊がビデオで収録されている。夥しい量のビデオが入館料さえ払うと無料で視聴できる。私は北海道へ行くたびに必ず立ち寄るが、二日や三日ではとても見ることはかなわない。
 類似の博物館は多いが、ほとんどは生活優先で商魂逞しい。二風谷のそれは発想がまったく異なる。日本人によって滅ぼされていった民族の悲しみが咀嚼できる。博物館の機能という点では網走の北方民族博物館と双璧であろう。


2008年08月06日

五目焼き  | 一考   

 櫻井幡雄さんが今夜も来られるとか、三十数年前の記憶を整理するいい機会である。湯川成一さんのことを書かなければならないので、なおのこと乱れは許されない。櫻井さんのところへはこちらから取材に行かなければと思っていたのである。

 昨夜、はじめて明石焼きを造った。三度失敗したが四度目からはうまくできた。取り敢えず、メリケン粉(薄力粉)とじん粉(浮粉)の比率は四分六にした。最終的には五分五分にしなければならない。明石焼きを盛る色板がないので、たこ焼きをやめて五目にした。これが結構旨い、二、三人前なら今日もできる。作り置きができないので常備しない。ヒロユキさんがいる間だけ、事前に予約があれば造る。それにしても、一人前に鶏卵がひとつは必要である。思っていたよりも玉子を使う。
 久しぶりにミミガーの薫製を造った。ちょいとピリ辛で、ウィスキーには相応しい。こちらは櫻井さんに味見していただこう。


ばらソース  | 一考   

 豚饅といえば新開地の春陽軒である。ピリ辛の赤味噌が効いた味で昔からウスターソースで頂戴する。このウスターソースの癖からいまだに脱け出せないでいる。
 小学三年生の折、生れてはじめての骨折を経験した。母親から上沢七丁目の接骨医院までタクシーで行くか、それとも春陽軒の豚饅かと択一を迫られ、私は躊躇なく豚饅を選んだ。母と私のあいだに何の屈託もない時期があった。
 名物に旨いものなしで、老祥記の豚饅を私は好きでない。私に限らない、神戸っ子なら誰も食べないであろう。「タコヤキ屋三十軒」で「東京のマスコミで取上げられ、観光客が玉子焼きと蛸の関東煮を求めて列をなす店があるが、あれは明石でもっとも不味い店である」と書いたのは「本家きむらや」である。同様に、老祥記で列をなすのは何も知らない観光客である。この消息は「駒形どぜう」に至るまでなにも変わらない。
 大体が醤油と酢で豚饅を食べるなんざあ、気が狂っている。なにもつけないか、もしくはウスターソースに決まっている。大正十三年に下山手七丁目の駄菓子屋ではじまった一銭洋食(お好み焼きの走り)をはじめとして、肉天(お好み焼きの別称)発祥の地とされる六間道商店街のばらソースに至るまで、神戸の文化はウスターソースによって支えられてきた。
 ライスを皿に盛ってソースをかければ西洋ライスというがごとしで、ビフカツ、ハンバーグ、カレー、コロッケ、サラダなど見境なしにウスターソースをぶっかけて食していた。逆にいえば、ウスターソースさえかければ何だって立派な洋食に化けたのである。ウスターソースの登場は明治期、マヨネーズソースの発売が大正十四年、タルタルソースはずんと遅れる。そんなところも、私のようなウスターソース好きをいたく喜ばせるのである。


2008年08月05日

切なる願い  | 一考   

 仮名遣いに間違いがあれば気付いた人が訂正すればよい。漢字を知らなければ知っている人がそっと教えてあげればよい。かつて定時制高校で朝鮮語の授業を受けたときにそれを痛感させられた。
 「神戸の残り香」で「成田一徹さんとは夢野台高校の同窓生である。もっとも、彼は卒業しているが、私は卒業していない。私は高校を三度転校し、そしてその都度追放された」と書いた。
 この三度目が定時制高校だった。県立から市立そして夜間へと、それが転校してゆく者に定められた規則だったらしい。学校名は湊川高校、当時は詩人の金時鐘さんがおそらくボランティアで教師をなさっていた。彼は1973年に湊川高校の教員になった。日本の教育史上初めて朝鮮語が公立高校で正課にとりあげられ、日本の公立高校初の朝鮮人教師になった。
 私が同校へ通ったのは1963年、彼が正規の教員になる十年前のはなしである。どうして朝鮮語の授業が必要だったかといえば、生徒の過多が在日であり、被差別階層の人だった。政府が同和対策に取り組み出したのは1969年からのことであって、当時は金時鐘さんのような無給の非常勤教師が連夜授業を受け持っていた。
 生徒の中にはいまの私ぐらいの年格好の者もいて、上下左右といった漢字すら書かれない。高校生とは名ばかりで、まず自分の名前を漢字で書くことからはじまるのである。現在では在日の大半は日本人学校へ通っている。それはそれで在日同士の結婚がかなわなくなるという別の問題を孕んでいるのだが。
 似たような不条理を私は過去にも経験している、売春防止法である。当時の女郎には次の勤め先はおろか、帰るところすらない。貧農で口減らしのために売られてきたひとたちである。帰ろうにも家にとっては迷惑なだけである。詳しくは書かないが、結果として彼女たちは警察とやくざの双方から追われる身となった。臭いものには蓋をするとの発想はオリンピックを前にした中国の現況と重なり合う。
 さて、「仮名遣いに間違いがあれば気付いた人が訂正すればよい。漢字を知らなければ知っている人がそっと教えてあげればよい」と書いたのは、定時制高校では蒲原有明も薄田泣菫も通用しない。通用しないことは分かっていたが、その乖離はあまりにも激しかった。私は文学にできることは何だろうかと考えた。その思いはいまなお続いている。
 文学は決して選ばれた少数者のものであってはならない。筑摩書房からかつて現代語訳の全集が上梓された。原文で読むに越したことはないが、点字訳や現代語訳がもっと古典籍にあってもよいと思う。そもそも翻訳という作業は読むという行為を簡便に済ませるための方便である。フランス語やドイツ語が分からない人のために翻訳がなされる。翻訳によって原著者に興味を抱かれた方はそれに相応しい語学を学べばよいのである。後学(本来の意味は異なるが、ウィスキーの世界では後熟という言葉が用いられる)を促すための契機といったところか。
 ところが翻訳者のなかには翻訳を日本語による創作と勘違いなさる方があとを断たない。「ブルトンやマンディアルグが日本語でものを書いたのではない」といって、自らをブルトンと相似形の学者と錯覚し、翻訳を自らの作品といってはばからなかった大先生はともかく、つい先頃、とある書物の制作依頼に預かった御仁も自らの翻訳を芸術作品と得意がっておられた。
 翻訳にもいろいろあるが、一語の訳を巡って一箇月も二箇月も考え倦ねるのは当たり前ではないか、それが翻訳という技術者の務めであって、その難儀を自慢するなどもってのほかである。「会得していて当たり前」と前項で書いたのは翻訳者の良心を示唆してのはなしである。
 象徴派の詩人の作品を翻訳するに際し正漢字歴史的仮名遣いはよいとして、出来上った書冊を繙くにどこが正漢字なのかと問い質したくなる。思うに、東京ではここまでしか揃わなかったとの言訳が続くのだろうが、それでは何故に中国、台湾、韓国、淡路の母型を探さなかったのであろうか。このようなちゃらんぽらんな不揃いな漢字でよろしいのであれば、どうして最初に私に制作を依頼したのか、不愉快この上ない。漢語の引用が多いのも気になるところである。漢和辞典の語釈ではあるまいし、分かり易く翻訳することこそが翻訳者の責務ではあるまいか。好事家の余技として看過できない高慢さを感じる。
 不快序でに、「ディヴァガシオン」に収められたバレエ、音楽、絵画、あるいは政治事件等々、さまざまな批評はことごとくが文学の問題へと収斂されてゆく。マイホーム主義者のどこに「形而上学的危機」を語る資格があるというのか。「ディヴァガシオン」を持ち出すまでもなく、文章で問われるのは問題意識の有りようであって修辞ではない。満足な文章を書く、修辞に秀でた文章を著す、それはそれで大切なことである。ただ、それ以上に大事なこと、それが文章の中身でないだろうか。翻訳家といわれる人はその中身を原著者に委ね、修辞にのみ奔走する。かつての定時制高校が置かれていた位置にわが身を曝し、文学にできることは何だろうかと考えていただきたい。


2008年08月04日

キルケニー在庫  | 一考   

 キルケニーの在庫が跡絶えた。サッポロとギネスが責任の擦り付けあいをしていて見苦しい。もっとも、ギネスの意見自体がサッポロ経由なので、噂のいきを一歩として出るものでない。そのようなビールメーカーだから四位に顛落しもする。発言は転変するも、どうやら九月中に二回目が入荷されるようである。とんと見掛けなくなったキルケニーだが、ヒロユキさんが玉川上水から運んでくださっている。ですぺらにはもっか四十本ほど在庫があって、八月一杯はもちそうである。
 サッポロはいっそギネスの子会社としての生き残りを考えればどうか。それでなくとも、外資の禿鷹ファンドに狙われている。三菱グループの麒麟麦酒や三井系の大日本麦酒同様、ディアジオ社傘下のビールメーカーがあってもよい。ディアジオ社と関係が深いのはキリンビールだが、なぜか日本国内でのギネスビールの販売権はサッポロビールが持っている。それを利用しない手はないと思うのだが。


2008年08月01日

R100RS  | 一考   

 四輪はハンドルで乗るが、バイクは身体で乗る。ハンドルは体重移動に合わせて勝手に切れ込んでゆく。手はハンドルに添えているだけである。ところが事故を起こすと、身体はしっかりとその痛みを覚えている。この二日間、バイクに引きずられていた。腰が引けるというが、身体が引けてしまっているのである。
 戸田橋を渡って志村に親しくしているバイク屋がある。今日そこを訪れた、泣き言を並べにである。バイクは気合いだよ、貴方のようなベテランライダーならそれぐらい分かっているだろうにといいながら、玄翁のような大きな木槌を持って彼は私を追っかける。私を撲るのかと思いきや、木槌はもっか修理中の他のバイク目掛けて振り下ろされた。その一撃でなにかが吹っ切れた、走りが元に戻ったのである。
 今回は二日で終わってよかった。やがて、これが一箇月になり二箇月になり、そしてバイクに乗られなくなる。バイクに跨られるのは何時までだろうと思う。そう思うと居ても立っても居られなくなってBMWの車検を頼んだ。時速二百四十キロを遠い思い出にしてはならない。おそらく、リッターバイクに乗る最後の機会になる。今を除いて気合いが入るときはない。

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