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2011年09月 アーカイブ


2011年09月30日

初婚  | 一考   

 水道費を支払いに役所へ。バーコードの部分を切り取ってしまったのでコンビニでの取扱いができなくなったのが理由である。もっとも、医療費の申請が主たる用事だったが。
 東葛クリニックだけでなく、今月は本院の領収書も二枚加算される。さらに戸田中央、北里、いいはしデンタルクリニックで計十二枚。北里と戸田中央の中身を訊かれたので、移植の予定と応える。ドナーは見付かったのですか、女房です、と応える。いろいろ質問が続くので丁寧に応答する。移植に関する埼玉県下の情報を知りたいようである。
 ところで、書類が送られてこないので詳細は不明だが、今週初めにわたしは結婚した。彼女が上京した折に役所へ行き、手続きについて尋ねた。初婚に限って本籍地は勝手に決められるようである。「でも、貴方の場合は再婚でしょうから」「わたしは初婚ですが」彼女の方を向いて「どちらかが再婚のばあいは無理です」担当者には、六十過ぎの男女が共に初婚というのが理解できないようであった。
 もっとも本籍地など、わたしにとってはどうでもよいことである。新潟県から離れることになりそうだが、埼玉であれ、神戸であれ、明石であれ、知ったことでない。ムーンさんが神戸の住処を使っていいよと云ってくださったようだが、いっそ北海道斜里町岩尾別(ホテル地の涯の住所)でも結構だと思っている。

 http://ca4.livedoor.biz/archives/50093629.html

 新得町のヌプントムラウシ温泉の紹介もあり。


2011年09月29日

難問  | 一考   

 降圧剤によって収縮期血圧が180、拡張期血圧が100になっている。低い方を90以下に下げるように云われたが、どうすれば下がるのだろうか。医師は塩分の摂取を控えれば良いというが、塩分など摂ってはいない。塩分と尿酸に関する血液検査の結果はナトリウム138、カルシウム5.2、尿酸7.6、マグネシウム2.3と基準値に収まっている。
 血液検査だが、一年前にはどこから手をつければ良いのか途方に暮れた。尿素窒素に問題あり、フェリチンに問題あり、やれ蛋白がどうの、コレステロールがどうの、血糖値がどうのと云われても困惑するばかり。まず、食生活と味付けを根本から見直すのがスタートだった。少しでも抵触するものは台所から追放した。塩、醤油、ソース、マヨネーズ、ケチャップなどは真っ先に追い払った。一年かけてなんとか血液検査は目標に達するようになった。然るに、今回は血圧である。
 高血圧が困るのは視力が駄目になる点である。本を読もうと思っても、十分以上続けられない。全神経を目に集中するのだが、視点が定まらなくなる。降圧剤が有効なのだから降圧剤で下げればよいと思うのだが、薬に頼るのはよろしくないようである。さて、難問にまたぶつかった。


2011年09月28日

沈粉(じんこ)  | 一考   

 小麦粉は強力粉、中力粉、薄力粉、浮き粉、全粒粉、グラハム粉、セモリナ粉などに別れるが、その内の浮き粉について一言。
 浮き粉は、小麦粉から麩の原料として使われるグルテンを分離した残りの澱粉分のこと。分かり易く書けば、麩(グルテン)を作った後、沈殿した澱粉を精製したもの。
 東京では「沈粉はグルテン粉のこと」とする意見が多いが間違っている。むしろ沈粉は浮き粉とするのが正しい。お好み焼きや明石焼き、和菓子、台湾の大根餅、小ロンポウや蒸し海老餃子の透明な皮などに用いられる。関西の商品名はじん粉だが、関東だと中華の食材店や乾物店で浮き粉の名で売られている。
 最近は関西人が経営するお好み焼き店が東京で増えてきたので、沈粉を使う店も増えた。それとは逆に、大阪のイカ焼きやたこ焼きのように、昔は沈粉を使っていたが、現在はメリケン粉(薄力粉)のみという店が大半になった。
 浮き粉を広辞苑で引くと「小麦粉中の澱粉質を精製したもの。菓子を製し、また紅を凝結させるのに用いる。また、米をこまかく粉状にしたもの」とある。前半は正しいが、後半は沈粉としん粉をごた混ぜにしている。この沈粉としん粉に関しては大辞林も国語大辞典も同じ間違いを犯している。大辞林では「米の粉。また、小麦粉の澱粉を精製したもの。和菓子・糊・医薬品などに用いられる。また、紅を凝結させるのにも用いる」とあり、国語大辞典では「米を粉状にしたもの。和菓子の材料、紅や臙脂(えんじ)を凝結させるのに用いる。また、小麦粉のでんぷんを精製したもの。菓子の材料、かまぼこの増量材、糊の素材として用いる」となっている。国語大辞典は大辞林の語釈を掻っ払っただけで、後半に小麦粉のでんぷんを持ってきたのは誤解を生むだけである。序でながら、関東の和菓子にはしん粉が用いられるが、関西では沈粉の方が多い。
 「 ひがれい」(2007年09月)で書いたが、懐石料理や精進料理で用いる言葉は宮崎、京都、大阪で生れた用語が大方を占める。従って関東人(東北を含む)が編輯した辞書に料理用語はほとんど這入っていない。仮に這入っていても、とんでもない誤解に基づいている。日本古来の食文化に忠実な辞書がそろそろ出てきてもよいのだが。

追記
 ふすま(麩)の語釈でもっとも纏まりがよいのは大辞林、先行する広辞苑の盗作だが、国語大辞典も同様。新しい語釈を書くときはもう少し気を遣っていただきたい。なお、語釈にある洗粉は太平洋戦争前までは最も需要の多い化粧料のひとつ。髪洗粉は洗粉に酸性白土を加えたもの。


高血圧  | 一考   

 透析時は六回以上血圧を計る。その血圧が昨日はじめて200を超えた。収縮期血圧が205、拡張期血圧が114だった。それが理由で昨日は終日臥せっていた。200超えははじめてだが、まず目が見えなくなる。ピントが合わなくなるのである。
 降圧剤のニフェジピン(カルシウム拮抗薬)を処方され、ドライウェイトを63.5キロまで落とすように云われた。「減量」で書いたが、わたしは63キロを希望したのだが。
 体重を落とせば血圧は下がる。血圧はカルシウムや塩分と密接な関わりを持っているが、今のところ他に異常はない。取敢えず63.5キロまで除水、降圧剤を飲んで170ー90にまで下がった。飲み続ければさらに下がるだろうが、医師は降圧剤をあまり奨めない。
 食事、水分、体重が血圧を決める要因だが、こればかりは思うようにならない。それでなくとも一年前までは低血圧で困惑させられた。いずれにせよ、失神だけは避けたい。

 「忙裏」で書いたように、水分制限の要はなしと云われた。為事中は1リットルを目安に、為事を止めてからは600ミリを目標にしていた。その制限が一挙に取り払われたため、体重が少々狂いはじめた。そしてその分、尿量が増えている。1.3リットルの尿量が1リットルにまで減っていたのだが、最近は1.3リットルを超えるのも屡々。心做しか勢いもよくなったようである。そのことも関係していると思うのだが。


2011年09月26日

抗体検査  | 一考   

 来週の月曜日(三日)が戸田中央での血液検査日と決まった。採血が朝の八時半なので、拙宅を七時に出なければ間に合わない。外環ならびに十七号線がもっとも混雑する時間帯だが、戸田界隈の間道には精通している。
 いつもの検査と異なり、今回は抗体というか免疫体の検査である。詳しくは分からない、結果や如何に。


2011年09月23日

ドライウェイト  | 一考   

 このところ透析のあと、動かれなくなるひとが続出している。血圧の急速な低下が理由である。150乃至160から一気に90、80へ下降している、過剰な水分除去によって血液が濃厚になりすぎたのだが、これは自己管理に属する。
 先日、席の移動があったと書いたが、入院患者が複数出たからである。症状の悪化、感染症、合併症など理由は多々あるが、今回は入院透析である。除水量が多すぎて通常の透析で間に合わない。ちなみに隣人も2900の透析、今一歩で入院である。
 水分制限は比較的守られているが、問題は食事からくる水分である。わたしには食事制限より水分制限の方が守りにくいのだが、どうやら逆の方が多数を占めるようである。
 透析をはじめるときは太った方が多いが、三年、四年と続けることによってどんどん瘠せてくる。平均すれば身長170センチで60キロは切っている。従って3000超の除水だと体重の5パーセントになる。わたしは失神するのが嫌なので1パーセント内に収めている。
 医師がドライウェイトを決めるのだが、300から500グラムぐらいなら自己申告でどうにでもなる。「今日は食べ過ぎたので300グラムほど残してください」で済むはずである。残した体重は一、二週間かけて徐々に減らしてゆけばよい。ドライウェイトは目安であって、厳密に守るというものでない。それを遮る看護師はいないと思うが。

追記
 九日に「カリウムが規定値を超えた」と書いたが、僅か二週間で血液検査はクリア。豆類、根菜、果物など、徹底的にカリウムを抜いた結果だが、われながら愕いている。早速梨を喰いたいと甘いことを考えている。


2011年09月21日

叙勲  | 一考   

 わたしは関西出身なのですき焼きといえば牛肉に決まっている。肉といえば牛肉を指し、豚肉は「豚肉」といい、安物の代名詞だった。豚バラが活かされるのはお好み焼の豚玉ぐらいなものである。在日文化のひとつである焼肉は「肉」なので、当然牛肉である。関東のホルモン焼は豚の臓物なので、品種がまったく異なる。昔は牛の臓物は関西へ、豚の臓物は関東へ送られていた。ところが、放射線が理由で牛の値崩れが起こり、同じクラスなら牛肉の方が安くなってしまった。焼肉酒家えびすの問題は論外としても、昨今の牛丼によって牛神話が崩れたのである。
 他方、回転寿司は寿司の権威を崩壊せしめた。元々焼肉同様、車夫馬丁の食い物だったものを一部の料理人が食する順序とか食べ方なるものを拵えて寿司道とした。蕎麦も同様である。
 かような権威主義はどこにでもある。例えば役人が決める叙勲なども気に障ること夥しい。終身年金が支給される文化功労章があって、そのなかから文化勲章受章者が撰ばれる。勲章を授与される場合の服装は、男子は紋付羽織袴、フロックコートまたはモーニングコート、女子は白衿紋付またはローブモンタントである。勲章はとくに和服に似合うようにつくられ、中綬で胸部中央に着用する。製式は、橘の花弁を模様化した章の中央に勾玉を配し、鈕に橘の葉と実を配してある。
 元々、勲章は役人が功績顕著な役人を讃えるためのもので、旭日章、瑞宝章、宝冠章等々がある。叙勲の対象は政治家や自治体の首長、公務員をはじめ、大学教授や経済団体役員などである。勲章以外に賜杯や褒賞(特定分野の民間人を表彰する制度)があるが、それらには原則、年金などの金銭は付加されない。あくまでも名誉賞である。日商会頭や経団連会長のように叙勲まではと居座る例はよく知られているが、役人や財界人はこの種の名誉に滅法弱い。権威権力に弱いのは勝手だが、それは権威権力を欲する気持の裏返しに過ぎない。
 名は伏せるが、わたしの知己で一切の叙勲を拒否しつづけている詩人がいる、一方で勲章を求めて駆けずりまわっている詩人がいる。文学を志す身であれば、名利を求めない姿勢を貫いて辞退するのが当然。どちらが真物の詩人かはいうまでもない。
 文学の苗床は情念である。内に秘めた怒りがなくてなにが文学であろうか。文化勲章であろうが紫綬褒章であろうが、役人に自らの為事を功績と評させるなどあってはならない。デカルトの時代ならいざ知らず、現在では情念は心の盲動でない、身体性をもった具体としての人間そのものを示唆している。


2011年09月19日

手続き  | 一考   

 移植にはドナーへの多大な迷惑が伴う。感謝だけでは到底収まらない。まず双方の血液検査があって、結果に一箇月かかる。これは抗体の検査らしいが、わたしは大量の輸血を受けているのでかなり煩雑になりそうである。なお、検査は女子医で行われる。ここで適合するとされた場合、次ぎにドナーの健康状態ならびに移植臓器の提供に堪えられるかどうかの検査がある。手術の三箇月前に一週間の検査入院が必要になる。前項で記したように、子宮癌や乳癌などの癌があれば移植は諦めることになる。癌細胞が転位する可能性があるからである。この間に当方は大腸癌ならびにポリープを除去、転移がないかどうかの病理学検査が行われるようである。
 レシピアントは手術の一週間前に入院して手術前の検査、血液検査、胸部X線、心電図、心臓超音波検査、肺機能検査、胃の検査、膀胱の検査、目の検査などを受ける。退院は一箇月後。以降、移植後四箇月間の導入期を向かえる。急性拒絶反応、感染症、合併症との闘いである。いずれにせよ、生涯にわたる免疫抑制薬の服用が必要。
 移植後の食事制限について聞かされたが、主たるものは塩分制限とカロリー制限である。こちらは問題なし。わたしには元々好き嫌いがなにもない。これは文学についても同じことが云える。みなさん良く好悪を口にされるが、それは読んだ範疇でのこと。喋れば喋るほどに趣味の悪さを露呈する。第一に好き嫌いがあれば編輯者は務まらない。同様に好き嫌いがあれば料理人は務まらない。あるのは面倒か否かだけである。もっとも、その面倒が料理なのだが。


2011年09月17日

ぺたんこ  | 一考   

 猫が轢かれて死んだ。マンションの前には外環から隣町の八潮へ抜ける道がある。高速ではなく外環の下を走る国道である。国道とはいえ、八十キロから百キロの速度で大型車両が這入ってくる。マンションからどこかへ出掛けるにはその道を通らなければならない。見通しが悪いので日々冷やひやしながら走っている。
 死んだ猫は二代目の黒猫である。当初居た黒猫はお産の後いなくなった。生れた猫は白猫が二匹と黒猫が一匹、それと斑が一匹である。他にも二匹の猫がいるが、わたしが些かにせよ、気に掛けていたのは黒猫だけである。気にするとは云え、餌を与えたことは一度もない。声を掛けるだけである。
 米国では二千八百キロを旅した猫がいるという。日本の猫のテリトリーは狭い、せいぜいが百メートルほどである。その範疇ゆえ闖入者は車の方である。ぺちゃんこになって、道には血がこびり付いている。どう考えてもトラックの為業である。
 かつて水戸街道の中川大橋で片側三車線の国道を猫が渡っていた。後方を確認のうえ、わたしは急制動をかけた。しかし深夜の国道である、他の車が止まってくれるとは限らない。周章ててハザードを点けたところ、後続車両も猫を見付けて止まってくださった。竦んでいた猫は脇目も振らず駆け抜けて行った。人よりすぐれた視力を持ちながら傍目がないから猫は轢かれる。もっとも、近頃はそのような人ばかりになってきたように思う。その場合は止められる方が傍迷惑だが。


2011年09月16日

果報  | 一考   

 昨日、透析中に震度3の地震があった。わたしはベッドでなく椅子を使っているが、透析がはじまれば透析器と椅子は鎖で繋がれる。そうでないと穿刺部が引きちぎられるからである。震度6であれば器械を両手で押さえた方がよい。震度7だとなるようにしかならない。椅子と器械は列なって転がり、行先不明になる。そうなると念仏を唱えるのが一番の良策。
 久しぶりに夜の透析を受けたが、夜の部は空いている。何よりも静かなのが良い。朝はおばさまがお喋りに興じている。きっと彼女たちは透析に来るのが嬉しくて仕方がないに違いない。そのお喋りをもっとも聞かせたいのは透析をはじめるもしくは始めたばかりの男性である。男子は暗い、聞くも涙語るも涙の物語、世の中の苦衷を双肩に担ったがごとき顔色である。
 なにびとであろうとも、透析を中断すれば即死である。それが分かっていれば諧謔を弄して生きるしかない。わたしの回りには死の手立てを考えあぐねて逝ったひとが多い。あぐねる必要はどこにもない、目の前にごろんと転がっている。これを果報と云わずしてなんとする。


飲料二種  | 一考   

 嬬恋村の増屋薬舗の干川伸之さんからの贈り物、茜屋珈琲店のぶどうじゅーすについて書いたことがある。あのような生ジュースではなく、濃縮還元ジュースだが、めいらくからコンコード種の葡萄ジュースが売り出されている。パッケージにはポリフェノール1900ミリグラム、プロアントシアニジン150ミリグラムと書かれている。茜屋のそれほど濃厚でないが、大量生産の品としてはまずまずの出来映えである。
 オーガニック紅茶が守山乳業から頒されている。パッケージにはセリンボーン茶園産ダージリン茶葉使用と記されている。セリンボーン茶園は良く知られた茶園である。軟水抽出、無糖、こちらもまずまずの出来映え。最近ちょっと高級だが、うまい飲料が多く販売されるようになった。共に1000ミリリットル、三百円ほど、拙宅の近隣のスーパーでのはなし。


忙裏  | 一考   

 朝九時に家を出て、戻ったのは夜の八時、終日病院を梯子した。腎移植だが、憩室は問われないが輸血と大腸癌は要注意と聞かされた。癌はポリープを引っくるめて事前の完全な除去を命じられた。輸血はさまざまな抗体をもたらす。輸血によってドナーの血液に対する抗体があれば移植はできない。免疫抑制薬が効かず量を増やせば増やすほど、出血箇所が気になる。最悪、憩室も問題になると聞かされた。
 このところ、腹部のレントゲンとエコーを撮り続けている。エコーは一週間で三度である。しかし映像を見たのは今回がはじめて、右側が重傷で左はそれほどでもない。結石に黴が生えてそれが腎臓のネフロンを破壊する。左側の腎臓が生きているので尿だけは出ている。尿と云っても単なる水分で尿毒素は排出されない。ちなみにこの二年間、白血球が異常に高かった理由は前述の黴がもたらす炎症のようである。
 戸田中央の医師と云うよりは女子医の医師によると、現状だと水分は十分に補給してもらって結構と。クリニックへ戻って泌尿器科の医師に伝えると「そうかもしれない」。結石の患者のことはよく分からないのが本音であろう。

 以下は書きにくいことだが、他の患者のために記しておく。
 戸田中央で最初の質問は腎不全に罹った理由である。結石と応えたところ、その腎臓は摘出しましたかと聞かれた。摘出をわたしは考えてもみなかった。明石時代の症状を根掘り葉掘り聞く。体外衝撃波から尿管バイパスまでを説明したが、どうやらその初期段階にわたしの判断ミスがあったようである。四回ほど体外衝撃波を受けて結石が流れ出さない場合は内視鏡で取り除くなど方法はいくらでもある。最悪、摘出すべきだった。破片で捨て置くから腎不全になった、と。
 通常、結石で腎不全になるなど考えられない、あり得ないことであると云われた。わたしの知識不足と、どうでもいいやとの投げ遣りな考えが理由だが、捨て置けば透析になると聞かされていたら初期段階で何等かの処置を施したかもしれない。すべてはわたしの遣る気のなさにある。
 結石はどのような人間にも起こっている。流れ出すか止まって石になるかどうかである。

 丸一日診察で追われたため、食事は摂っていない。当然体重はドライウェイトを一キロ近く下回ってしまった。しかしクリニックの看護師はなにも云わない。汗だくのわたしを見て「どうだった、うまく行きそう」それが嬉しかった。


2011年09月14日

虫歯  | 一考   

 左の奥歯で梃摺っている。二十年ほど前に修理した虫歯の蓋を外したところ、膿が出てきた。外科的手術を避けるために、日々繰り返し消毒液を塗っている。そろそろ膿が止まりそうである。前の歯医者の処置に問題があったようである。
 今日は口腔をバキュームして沁みる箇所を調べた。上部前歯が二本沁みる。沁みないように接着剤を塗ってプラスティックを盛りつける。歯医者は削ったり盛ったりと大変である。
 治療中のさらに奥の歯もかつて虫歯治療を済ませているものの、やはり沁みる。こちらは神経が残っているので三回ほどで済むらしい。問題はもっか治療中の奥から二本目の歯である。気長に構えているので何日かかろうともよいのだが、こんなに長く歯医者にかかるのは初めてである。


正心誠意と誠心誠意  | 一考   

 朱子学の「大学」を総括する三綱領の細目八条目が格物、致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下である。朱子学は江戸期の官学で「朱子学は生きた天神のごとく、徂徠派は玄蕃の火の見のごとく」などと揶揄されている。
 朱子学において要とされたのが上記の「格物致知」だが、陽明学では「誠意」を要とする。江戸期は正心誠意が通例として用いられていたようである。それでなくとも勝海舟は幕閣のひとり、正心とするは当然のこと。
 時代は下り明治中期、貨幣経済の滲透による商業主義の渦中にあって、陽明学が持て囃されるのは理の当然。また同じ頃、日本語にも急速に変化が顕れる。例えば句読点がそれである。文芸の分野では尾崎紅葉や山田美妙が明治十九年五月の我楽多文庫で用いたのを端緒とする。
 要は日本語にはさしたる歴史も伝統もないと云いたい。句点と読点は数年のあいだに入れ替わってしまったが、現在の読点「、」には打つべき基準もなにもない。
 現在、編まれる辞書の類いは明治以降の文化の上に胡床をかいている。しかも地域的におそろしく限定されている(この件に関しては掲示板1.0で詳述)。日本語の問題点は正誤にあらず、慣用にあるとかねて思っている。

追記
 テレビ朝日のアナウンサーが氷川清話を「ひかわしんわ」と読んでいた。モーニングバードでのはなしである。


諠譟  | 一考   

 現在のクリニックへはじめて行った折、月、水、金が忙しく、火、木、土が比較的暇だと聞かされて透析日を後者に決めた。ところが、戸田中央総合病院腎センターは火、木、土なので困ってしまった。クリニックはやはり曜日の変更は無理だという。非常用のベッドがひとつあって、たまになら変更可能だという。福島からいらした患者のためにもこれ以上の無理は云えない。
 木曜日の透析を夜の部にして、午前中に戸田中央へ出掛け様子を見ることにした。今は時間制限がないので昼夜は何とでもなる。

 透析は四人が一グループを成し、同じスタッフから穿刺を受ける。滅多なことでグループに移動はない。ところが、今回クリニックの患者に入れ替えがあった。直接の理由は分からないが、次回から席が替わることになった。
 わたしが属するグループには五月蠅い患者がいて、屡々看護師とトラブルを起こす。大声を張り上げるだけなので黙っているが、もしも看護師に手を出すようなことがあれば撲り倒してやろうと思っていた。夜の部から朝の部に移ったときから癪にさわっていたが、目的は治療であって喧嘩でない。それにしても穢い言葉を遣う。看護師は強い、泣きもせずにひたすら謝罪を繰り返している。どうやらその患者がいなくなったようである。他のクリニックへ転院したものと思うが、これで少しは静かになる。


2011年09月13日

情念の欠落  | 一考   

 誰かさんが「死の町」との発言で辞任したが、その意見表明はさまざまな問題を孕んでいる。これが状況論でなく、「死の町にした責任はわれわれにある」乃至「まるで死の町である。全力を尽くして何とかしなければならない」だったら辞任に至っていない。当事者意識、要するに情念が端から欠落している。言い換えれば身体性の欠損である。
 昨今、そのような人が増えてきた。状況を分析し認識はするものの、そこから先がなにもない。考えがないのか、それとも組み立てができないのか。

 TBSの震災報道スペシャル「原発攻防180日の真実」を見た。水素爆発の原因究明の前半は科学的な検証に徹しながら、後半はすこぶる情緒的な構成になっている。全体としては不自然かつ中途半端な番組だったが前半は良い。ただし既知のことばかりである。
 全電源喪失に至っても水素爆発は防ぐことが可能だったとチームFは指摘する。まずバッテリーを電源に用いる(弁の開閉のみ)非常用復水器(IC)がある。第二に水素を外部へ逃がすベントである。ICは当初機能したものの、すぐ停止したことに関係者は誰も気付かなかった。
 同じく電源喪失で、ベントのための弁を開けなくなったため、バッテリーやコンプレッサー(空気圧縮機)を探したが、現場では備蓄状況さえ把握しておらず、調達に手間取った。また東電によるとバッテリーは四時間しかもたず、バッテリーを取換えようとしたものの、重量があって運ぶだけの人員がいなかったと弁解する。また、ベントを手動で開けるマニュアルがなく、資料を取り寄せての作業となったが、結局間に合わなかった。こうしたことから一号機の原子炉への淡水注入が始まったのは電源喪失から約十四時間後の十二日午前五時四十六分、すでにメルトダウンは発生していた。同日午後三時に一号機は水素爆発を起こした。

 http://blog.dandoweb.com/?eid=123210
 http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/20110517/1940_1gouki.html

 国会が提出を求めた非常時の事故対策マニュアルに東電は通常事故対策マニュアルを供出。しかも十二頁中九頁は真っ黒に塗り潰されていた。思うに、非常時の事故対策マニュアルを東電は作っていなかったのでないかとの疑念が涌く。
 なお、これらの検証にチームFは台湾の同型原子炉を取材、非常用復水器なども撮影している。福島第一の原子炉の建屋内部は未だに非公開である。


2011年09月12日

謄本  | 一考   

 隆さんを入籍するに際し謄本を取り寄せた。わたしは平成元年に渡邉の邉を正しい漢字に訂している。改名の手続きが必要とのことで云われるがままに手続きを取った。親の名字はそのままにわたしの名字のみ変えたつもりだった。
 昭和期にとった謄本は手書きだったが、今回は活字になって送られてきた。それを見て愕いたのだが、遡って名字が訂正されている。両親の邉も正しい邉になっていたのである。
 府中で免許を取ったときも、また住民票を移す度にしんにょうの点は一つですね、と確認された。それが面倒でしんにょうの点を二つにしたのである。そして謄本からは改名の記載が消えている。その辺りの法律をわたしは知らない。名字が正しくなったのだからそれで良いのだが。


2011年09月11日

心臓の負担  | 一考   

 クリニックで心臓のエコー検査があった。透析患者の持病とでもいうべき心臓大動脈弁膜症を調べるためである。要するに心不全の原因たる血液の逆流の有無を調べるわけである。わたしが属する部屋にも五名の弁膜症患者がいて、うち一人は四段階のステップ三である。防ぐ手立てはなにもない。
 二十年三十年と透析を続けている方がいるが、率からいえば数万分の一である。そこまで心臓が持たないのである。それでなくとも、静脈を動脈に代えることで血液の流れが変わり、心臓に負担が掛かっている。
 わたしは先週エコー検査を済ませたばかりだが、心臓だけは定期検査なので端折ったと云う。それが病院の流儀なら仕方がない。火曜日に再度受けなければならない。
 腎移植の専門医によると、移植が成功したときはシャントを元に戻して心臓への負担を軽減するとか。しかし、クリニックの医師によると例え移植に成功してもシャントはそのままにする方が良いと。生着の期間が短く、大方は透析に戻ってくるという。現場の意見と云えるのはクリニック側であろう。他方、たとえ短期間であろうとも、透析から解放されれば旅行も可能になる、その悦びはなににも代えがたいと医師はいう。


2011年09月10日

戸田中央  | 一考   

 戸田中央総合病院腎センターへ行く。婦長と思しきひとが移植のはなしは東京女子医科大学病院の医師がいるときにしてほしいと云う。最初からわたしはそのように説明しているし、受付でも同じはなしを繰り返している。はなしは何一つ通じていない。大きな病院はこれだから嫌である。
 婦長は親切な人で紹介状を読み、女子医から来ている医師の名と曜日を細かく教えてくださる。月、木、土曜は午前、火曜は午後、ただし月曜日は混雑するので避けたが良いと。また、待たされるので十二時直前の来院が望ましいと。そうすると火、木、土曜になり、透析とぶつかってしまう。透析を月、水、金曜に替えるしかない。明日、東葛クリニックで相談である。うまくベッドが空いていると良いのだが。
 問診に対する質問があって、大腸の出血は要注意。胃カメラと内視鏡は戸田中央で撮り直し、他の検査結果は東葛クリニックから当方へ送ることになるそうな。
 診察料はなし、駐車場は割引となった。2009年08月17日に同病院の駐車場について悪口を書いている。今回は婦長の指示に従って百円だった。


2011年09月09日

バースト  | 一考   

 病院の駐車場でパンクしたようで、外環で調べたところ、後輪がバーストしていた。スペアタイヤに取換えて帰宅。拙宅でホイールを四論とも取り換えた。
 書けばこれだけのことなのだが、手作業のため随分と時間が掛かった。勿体ないのでスタッドレスを履いたままだったが、四駆のスタッドレスは最後は大概バーストする。宿命のようなものである。
 高速でのパンクは久しぶりだが、僅かにハンドルが左に切れたようである。よく高速のパンクで分離帯に激突したり、回転したりの大事故を起こしているが、わたしには理解できない。東名阪や中国道など、至るところでパンクしているが、どうこういうことはない。掲示板1.0で書いた記憶があるが、二輪同時にパンクしたこともある。速度は書かないが、制限速度を遙かにオーバーしていた。
 久しぶりにラジアルタイヤに戻った。空気圧は2.6。スタッドレスは燃費が悪く、雨天の急制動が効かない。これからは少しは飛ばせそう。

 汗でびっしょりになったが、愕いたのは体重が五百グラム減ったこと。明日は透析なので水分の補給に務めている。


果物  | 一考   

 カリウムが規定値を超えた。「貴方らしくない」と看護師。何度も書いているが、透析をはじめてからカリメートを服用していない。従って規定値に持って行くのは簡単だが、どこでミスを犯したのか、反省しなければならない。
 リンは心当たりが幾らでもあるのだが、カリウムとなれば豆、果物、珈琲しか思いつかない。先日、北里病院でブラックコーヒーを二杯飲んだ。先週は目先を変えようとして豆御飯を炊いた。幸水、豊水(共に梨の品種)、巨峰を食べた。ある看護師は珈琲だといい、ある看護師は豆御飯だという。わたしは果物と豆だと思っている。
 食欲のないときに果物は結構である。梨はともかく、葡萄は比較的カリウムが低い、西瓜やメロンとか果物ではないが赤茄子(トマト)や茄子、ピーマンほどに高くはない、そう思って食しているのだが、やはり量が問題になるようである。五、六粒に収めた方が無難である。
 カリウムにせよ、リンにせよ、二週間では数値は下がらない。次々回の血液検査で元に戻さなければならない。


2011年09月08日

旧掲示板  | 一考   

 急かせたつもりはなかったのだが、おっきーさんが掲示板1.0の一部検索機能とホームページを改変してくださった。何時ものことながら申し訳なく思っている。
 おっきーさんによると「googleは、まだ掲示板1.0のクロールが終わっていないため、記事を検索してくれないようです」と書かれている。このあたりの消息はわたしにはまったく分からないが、クロールを検索すると「既知のWebページをダウンロードして解析し、別のページへのリンクが含まれる場合そのページをダウンロードする、というプロセスを繰り返して、次々にWebページを収集していく」ようである。よってgoogleロボットが動くのは時間の問題かと思われる。
 為事が忙しいなか、掲示板リンクを主体に変更するなど、さまざまな細工をしていただき感謝の他なし。


2011年09月07日

独立  | 一考   

 知己が独立するとか。とは云え、心裡留保は得意とするところでない。よってこの種の書き込みは苦手である。苦手というよりもどうでもよい、みなさんが一度は経験することだからである。
 親はいずれ死ぬ、望むと望まないとにかかわらず、例外なく子等らは自らの生計と取り組むしかない。独立する、言い換えれば行政サービスを受けるには税金を自分で支払わなければならない。市県民税、保険、年金、所得税の類いである。従ってさまざまな準備が必要になる。独立を意識してから数箇月乃至数年はかかる。最大の問題は生計費だが、食生活の勝手も大きな問題を孕む。そのための準備をしてきた人ならいざ知らず。用意のないひとがいきなり家を出ても早晩戻ることになる。
 昨今はファストフード店が発達したと云うが、かようなもので生涯押し通すことはできない。わたしが十代のころ、板前修業をしたのもそれがためである。醤油の使い方、味醂の使い方、出汁の取り方、なんでもないことが大きな障害になる。どうでもよいことだが、拙宅ではキャラメルを一箱買えば半年はある、チョコレートを一箱買っても半年はある。そのような物品に遣う金数はないからである。
 今は透析治療を受けているので無断で休めば看護師が走ってくださる。命が懸かっているので透析を休むのは考えられない。しかし透析をはじめる前は大変だった。入浴中に昏睡状態に陥ると手の施しようがないからである。入浴前には命懸けであることを自らに五月蠅いほど言い聞かせていた。一人住まいだとそのようなことも問題になる。障害者に限らず、人は常に埋められない間隙を背負っている。
 さて、知己はどうするのであろうか。生活の場にあって伊達であろうが不恰好であろうが、そのようなことはどうでもよいことである。生計を独立させてはじめて間隙に情念が割り込んで来るのでないだろうか。


颱風  | 一考   

 和歌山、奈良が大きな被害を受けた。次は北海道である。北海道は車や二輪で何度も走り回っている。途次、二度颱風に出遇った。一度は室蘭でフェリーが欠航となって二日間待たされた。先日十勝で400ミリを超えたと聞く。きっと農産物は大きな被害を受けたと思うが、今一度はその足寄や陸別界隈を走っていて颱風と遭遇した。
 足寄の辺りは牧場経営のキャンプ場が多いが、掲示板1.0で書いたと思って検索したところヒットした。2005年06月09日に書いた「コバルトブルー」がそれである。
 「中標津町の開陽台の売りは「地球がまるいことが実感できる」、標茶町の多和平の売りは「今にも落ちてきそうなほどの星が、満天に広がる」。共にライダーなら必ず訪れるところだが、牧場はゴルフ場同様、保水能力はまったくない。ちょっとした雨でいたるところが川となり、地面をえぐって滝となる。台風が上陸すれば、河川の氾濫、土砂崩れが方々で起こり、道路は流され、水田や畑は泥に埋り、流木が家屋をなぎ倒していく。満天の星空にはなんの罪もないが、牧場はひどく環境を破壊している。反論を喰らうのを承知で言いたいのだが、それら根釧台地から積丹の海に至るまで、自然はひとの悪意を飽食してきたのだと思う。いまにそこら中が悪意だらけになって、死の匂いが充満し、日本全土が崩壊する日がくるのを一日千秋の思いで待っている」。
 和歌山、奈良方面も高野山から天川村、冬季通行止の道を経て大台ヶ原、谷瀬の吊橋から十津川村と走り回っている。国道はともかく、県道は未舗装、一車線でガードレールはない。乗り合いバスと出遇うと一キロ二キロとバックさせられる。今回崩れ落ちた道を引っくるめて、げに怖ろしき地域だった。


マッチョマン  | 一考   

 東葛クリニックのグループ病院にボディビルのジムに通っている人がいるようである。マッチョマンは筋肉と毛細血管が発達して血管本体は硬く深い、よって穿刺に向かない。日々、大層難儀しているようである。看護師に訊いたところ、ボディビルに限らず、スポーツをよくする人はみなさん大変らしい。それはわたしが知らなかったことである。

 右耳が40dBから50dB以下だと聞こえない。前から分かっていたことだが、左は普通に聞こえるので不自由は覚えない。電話は左耳でしか受けられない、右耳だと仰有っていることがまったく聞き取られないからである。聞こえなくなった理由は不明、おそらく中耳炎を拗らせたのではないかと。治す気はまったくない。


高遠さんへ  | 一考   

 お読みいただいて恐縮です。プルーストは楽しみにしております。それがための読書論でございます。
 ですぺら終了について掲示板で明記するのは避けました。わたしにとっては廃業ですが、あとは知己の中村さんが屋号をそのままに営業を続けられるからです。
 一年かけて腎移植を受けようかと思っています。成功すれば七十歳まで生きられると看護師から云われました。戸田中央総合病院への紹介状も書いていただきました。うまくいけばよろしいのですが。


2011年09月05日

ありがたうございます  | 高遠弘美   

一考さん。的確にお書きくださつてありがたく拝読しました。
ですぺら終了のこと、うつかりしてゐて、たいへん残念に思つてをります。お元気であられますやうに。
私のプルースト、続いてをります。一考さんにお読み頂くのが支へです。どうか御身、くれぐれもお大事に。


読書  | 一考   

 「愛読書、といふより人生の書として司馬遼太郎、藤沢周平、山本周五郎の歴史小説を挙げ、一方で、ここに名前を書くのも憚られる絶対に詩ではない安手の人生訓の作者の言葉を座右の銘にする。いつになつたらかういふ政治家がゐなくなつてくれるのか。文人政治家といふのはこの国ではつひにあり得ないのか」と高遠さんが嘆いている。
 最近頻繁に出掛ける歯医者に相田みつをの書がたくさん掛けられている。「うつくしいものを美しいと思えるあなたのこころがうつくしい」の如くたわいない作品である。詩人なら「うつくしい」との言葉は用いない、また「うつくしい」との言葉の概念に対する考察を端から放棄している。別に誰がだれの作品を愛唱しようが心にとめようが勝手であって、他人がとやかく云うことでない。ただこれほど思慮のない箴言風の作品が詩だとは驚きを通り越して呆れ返る。
 上記三名、司馬、藤沢、山本などは政治家に限らず、経済人も好みとするところである。文人経済家との言葉があるかどうか知らないが、左右経済人もものを考えない人種である。この「ものを考えない」は時代に関係なく存在する。おそらく大多数がそうであろう。
 星新一や小松左京を好きな方がいらっしゃる。対象が森茉莉か倉橋由美子ならいざ知らず、よりによって星、小松とはどういうことなのであろうか。前述の経済人同様、よほどものを考えるのが嫌なのだと思われる。そしてその御仁は自らの考えのなさを趣味の違いで片づける。文学の世界に趣味とはなんたることであろうか。「趣味は読書と音楽鑑賞」ですとの陳腐かつ低劣な言い種を思い浮かべる。星新一や小松左京にしても断じて趣味でものを書いているのでない。
 ひとは生きて行くなかでさまざまなことで壁に頭を打ち付ける。その度にひとは変わりもしくは深化する。ひとは救いを求めて書物を繙くのであって、癒しや楽しみ乃至教養を求めて読むのでない。
 理解できない書物と出遇ったとき、ひとは自らの不明を恥じる。その対象がプルーストであれベケットであれ、事理に暗いこと、識見のなさを思い知らされる。ならば対象の内に融合し、解体する努力こそ問われるべきである。ラルボーのいう弁証法的読書が有効になる一瞬である。
 読書は生涯続く、続く限り人は迷い憂え頭を傾く。反芻を必要としない文学など、それだけで如何わしい。高遠さんは「「相田みつを」的なものに私も蟷螂の斧ではあるけれど、抗し続けてゆくつもりである」と書く。「安手の人生訓」即ち分かり易い文学に心惹かれる人の思考回路は相応に平易であるに違いない。そして人生をエンジョイできるものと信じているに違いない。お手軽文学結構、ただしわたしはそのような方を知己にする気は毛頭ない。

追記
 悪口を著すに引用されるのは迷惑千万、それを承知の引用である。お許しを乞う。


2011年09月04日

掲示板1.0  | 一考   

 おっきーさんの尽力によってですぺら掲示板1.0が起きた。現行のbbs2をbbs1にすれば展開する。検索はまだ出来ない。

 http://www.despera.com/bbs1/

 前項で結果だけ述べたが、北里研究所病院について一言。
 去年の八月三日から二十三日の間、北里病院に二度入院した。「この一年、さまざまな葛藤はあったが、生き延びる途をわたしは撰択した」と書いた。書いた以上死ぬわけにはいかなかったが、実体は心細かった。入退院は共に幹郎さんを煩わせたが、何時ブラックアウトに襲われても仕方のない状況で、幹郎さんの運転で病院へ着いたときにはこれで命が繋がったと安堵したものである。
 病院の二階には「つくし」との喫茶店が設けられているが、そこで珈琲を註文した。丁度一年前にも珈琲を飲んでいる。珈琲は禁止品目のひとつだが、次回の血液検査まで三日の猶予があって響影は残らない。
 一杯の珈琲はわたしにとって危険を孕んだ飲料だが、一瓢の飲であるに違いない。掲示板同様、貧しさも不安も焦躁も悦楽も引っくるめての戯れであり冗談である。


2011年09月03日

腎移植  | 一考   

 腎移植に関しては東京女子医科大学病院がもっとも経験を積んでい、その女子医がスタッフを送り込んでいる病院がお薦めということ。埼玉県だと戸田市の戸田中央総合病院が卓れているそうである。女子医が一千例、戸田中央が百例を達成している。
 詳しくは以下のサイトにて。

 http://www.twmu.ac.jp/KC/Surgery/kidneytx.html

生体腎移植では一週問ほど前に入院して準備する。手術前の検査は血液検査、胸部X線、心電図、心臓超音波検査、肺機能検査、胃の検査、膀胱の検査、目の検査などが行われる。特に出血を伴う箇所は重点的な検査が必須。わたしの場合は胃カメラと大腸の内視鏡検査が欠かせない。
 免疫抑制が不十分だと拒絶反応、行き過ぎると感染症という、ぎりぎりのところで免疫抑制療法は行われる。免疫抑制薬は、腎障害、高血圧、高脂血症、糖尿病、満月様顔貌、白内障・緑内障、消化性潰瘍、大腿骨頭壊死などの感染症や合併症をもたらし、肝障害や骨髄抑制による白血球減少などに関係する。また副作用が強く、鬱患者や自殺者を生んでいる。
 約一万三千人の方が献腎移植の登録をしているが、年間七百例に止まっている。いずれにせよ、検査期間を入れてほぼ一年を要する。


2011年09月02日

減量  | 一考   

 体重が増えれば血圧が上がり減れば血圧が下がる。言い換えれば、太れば血中の水分が増え、瘠せれば水分が減って血液が濃厚になる。血液が濃厚になれば除水ができなくなって、愈濃厚になってゆく。
 体重を減らせないかとの質問に返ってきた看護師の意見である。透析治療の基本であるよく食べよく除水するとの教えがここには流れている。
 先日「体重を57キロ、ウェストを70糎まで落としたい」と書いたが、どうやら無理のようである。ドライウェイトは現在63.8キロだが、最大限落として63キロだそうである。一箇月に200グラムが限界で、それも心胸比と血圧次第と云うことになる。
 先月は一箇月で500グラム減らしたが、医師が特別に認めたのであって、あのようなことを続けるのは以ての外だと叱責された。「あなたは除水率が低すぎる。今年一杯掛けて除水を1.8キロにしてドライウェイトを実質62キロにすれば」と云われてしまった。これは摂食量を増やせとの意見である。
 透析を行いながらの減量は難しい。いろんな検査結果が連動している。ぼちぼち減量するしかなさそうである。

追記
 来週からレナジェルが復活する。3.11から半年掛かったことになる。

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