レイアウトが崩れる方・右メニューが表示されない方: >>シンプル・レイアウトへ

« 2010年02月 | メイン | 2010年04月 »

2010年03月 アーカイブ


2010年03月26日

「冬至の薔薇」について  | 一考   

 子供のころ、自分の死を持ち歩くように、いつも詩集を小脇に挿んでいた。有明、清白、朔太郎、そして吉岡実であり田村隆一だった。そこへ相澤啓三の詩集が加わった。
 先日「冬至の薔薇」が書肆山田から上梓された。彼の詩集はいつも遺書の形を取る、それは分かっているのだが、今回は特にその感が強い。巻頭を飾る「冬至の薔薇」と巻末に置かれた「まだ見ぬかたの花」のコレスポンドンス、「アントン/アントン」の後方に位置する「革命」と「非在のノイズ」、そして「島」、詩の一篇、一篇がどうしようもない地歩を占める。彼の詩は順序を違えると理解できなくなる。かくまで冷徹な計算によって組み立てられた詩集が他にあったろうか。
 詩は私でなければならぬ。この当たり前のことをひとは等閑(なおざり)にする。私小説という言葉が遣われた意味はともかく、「冬至の薔薇」一冊はすぐれて私集といえようか。
 作品が作者を離れて独立するというようなことをしたり顔で宣うひとがいるが、作品はその人そのものである。人品骨柄のことごとくは作品に如実に反映される。人格が不明瞭な作品は精神と情念との相剋が未分化なだけである。そんな詩が持て囃される時代にあって、相澤啓三の私はまさに詩として屹立する。
 心ある人は戦中戦後を生きてきた、革命のためだけに。「沈黙の音楽」から「マンゴー幻想」に至る作品にはその苦衷が詳述されている。その「心」を相澤さんはかなぐり捨てたようである。形振りを構わなくなった詩人の絶叫がここには流れている。静と動、あるとないと云った弁証法を越えて、相澤啓三は非在のノイズのなかに深く身を沈める。

  あらゆる言葉がけがされるなかで
  「革命」ほど汚辱にまみれたものはない

 上記の二行から「革命」は書き始められる。長い詩なので引用はしたくない。詩の引用がなにを意味するかは掲示板でさんざん書いてきた。ただ、最初と最後だけを引用する。後は読み手次第である。

  言葉よ眠れ 唾されるがままに
  いま言えないことを浮かび上がらせるために
  深い傷の底へ 言葉よ沈め 見えないアクションをもって

  踏んでゆくしかないそこが ペダルとなって鳴る
  不可解な革命 もしくは永遠に回帰して心を乱しつつ
  光の繭をつむいでは闇に呑まれる音楽

 革命のあらゆる方策があらゆる刃が自分に向けられてゆく。「どこでもいい 自分でないところなら」。子供のころ、ひとはなにものかを睥睨して生きている。そしてある日気付く、睥睨すべき対象はどこにもなかった、ひとり、自分自身を除いて。(文中敬称略)


2010年03月25日

夏蜜柑  | 一考   

 眼鏡を買ってきた。世の中が隅々まで一段とよく見えるようになった。45歳のときにはじめて眼鏡を誂えたのだが、その折は大旨1.0だった。63歳になって相当進んだように思っていたのだが、1.5だった。老眼の進捗はかなり遅い。もともと視力が良かったせいなのかもしれない。
 今日はいろいろと買い物を済ませたのだが、ロジャーズで夏蜜柑を見付けたのは嬉しかった。いつぞや見舞客が持ってこられた罐詰のなかに夏蜜柑が入っていた。それと同じ商品が120円で売られていた。ロジャーズはやはりバッタ屋である。食欲がなくなったときにこれは最高の贈り物になる。ついつい箱で買ってしまい、雨のなかを大事に抱えて車へ急いだ。今日の夜食は夏蜜柑である。
 「物買ってくる、自分買ってくる」耕衣さんが柳宗悦から掻っ払った言葉だが、わたしもしばしば用いる。書画骨董から雑器に至るまで、自らの眼力にひとは金を出すのである。蜜柑罐ひとつにしても、旨いものから拙いもの、どっちでもないものに分かれる。この場合は眼力ではなく舌力であろうか。自分の記憶や意識の有り様が即存在を意味しないが、意識が働いている限りにおいて、ひとはそれを信じるしかなさそうである。


昏睡其二  | 一考   

 気を失うような痛みとか昏睡状態は何度か経験済みなので、どうということはないが、のんちさんには初めての経験でさぞかし驚かれたと思う。重ねてお詫び申し上げる。
 わたしにしても、出来るだけ避けたい状況である。通常、あのような状態は貧血で起こることが多い、そちらは愛子さんが先達なので、昨日はなしを伺った。大旨諒解できたが、わたしは二日前に血液検査をしている。その検査では血圧に異常はみられなかった。もっとも、大腸からの下血以来、大量の輸血はしたものの、血液は慢性に不足している。それにしてもと医師は小首を傾げる。山崎さんに分からないものはわたしにも分からない。とにかく、食事のすぐ後のことゆえ、一種の貧血に違いはないだろう。増血剤でも飲むしかなさそうである。
 直接ですぺらへいらした方、または電話で多くの見舞いを受けた。こちらを借りて御礼申し上げる。moonさんからは長文のメールをいただき恐縮している。文中「連れ合いや伴侶なんて最近では全く宛てにならないのですから」には笑ってしまった。わたしは今週末から独り身になるようだが、こちらはmoonさんが先輩。老いてからの独り身は骨身に応えるらしい。ここは一番「生活なんぞ召使いに任せて」入滅するしか手立てはなさそうである、自分でいうのも可笑しいが。
 滅度で思いだしたが、このところ摂取量が減りつづけている。牛丼の小盛りを残すようになってしまった。前述の件もあり、もっか二回の食事を三、四回に分割し、一度の摂取量をさらに減らす方がよいのかもしれない。消化器官への負担を少しでも減らすことになるからである。いずれにせよ、食べることがますます億劫になってくる。


2010年03月23日

転居  | 一考   

 22日は終日不動産屋巡り、夜は売れた商品の梱包にですぺらへ行く。リクルートフォレントインシュアトやらの認可を得なければならず、不動産屋で源泉課税表の問題に突き当たった。もっか減価償却の最中のために赤字申告である。よって収入のない人に家は貸せないと云われる、もっともな意見である。
 12年前にも同じ問題で引っ掛かった。その時は連帯保証人のみで通る物件を探すしかなかった。探し始めて現在の住居に辿り着くまでに一年以上掛かっている。インターネットで探し出した物件はことごとく断わられた。その間に何度上京を繰り返したか。今ふたたび同じ問題で頭を抱えることになろうとは。
 娑婆でのわたしの評価は限りなくゼロに近い。もっとも、評価すべきなにものをも持たないが。大方は間道というか、掻い潜る手立てをお持ちなのだろうが、わたしにはそれすらない。以前と違ってVISAカードを持てたことが自慢だが、それすらプロバイダへの支払い以外、ただの一度も使ったことがない。
 それにしても、安定収入がないとどうしてかくまで肩身の狭い思いをさせられるのか。世の中は勤め人だけでもあるまいに、と思う。

 大泉学園の方で結構な物件があった。条件に高齢者とあった。出掛けたところ、女房が死に親しくお付き合いできる女性に入っていただきたいとか、なるほどこのようなリクルートもあったのかと失笑させられた。
 入院の要はなく、本日から店は通常通り営業する。


2010年03月21日

昏睡  | 一考   

 今日は大阪から前田さんがいらっしゃる日で、自転車談義を楽しみにしていた。そのような日にわたしは気を失うようなのっぴきならない破目に陥った。のんちさんがいらしたので。事なきを得たが、五分ほど人事不省になった。場所は赤坂のはなまるである。気が付くと店長とおぼしき黒服の人とのんちさんが電話をしている。救急車を呼んでいるのが分かった。口から泡を吹いていきなりぶっ倒れたようである。
 どこで何時死のうが覚悟はしている。ただ、ベッドに縛り付けられたり、寝たきりになるのだけは避けたい。なんとか救急車だけは勘弁していただき、外へ出るもやはり歩かれない。脚が縺れて、視力が失われている。道端へしゃがみ込んだが、再び昏睡状態に陥る。気が付くと通行人の女性とのんちさんが、救急車を呼びに再度電話をしている。見知った赤坂の街なのだが、焦点が定まらない。抱きかかえられるようにしてなんとか店まで辿り着く。こういうこともあろうかと用意しておいたマットと寝袋を床に敷いていただき横になる。
 そうこうしている内に前田さん到着、やがて正気が戻るも、みなさんに悪いことをした。のんちさんには多大な迷惑を掛けてしまった。深くお詫び申し上げる。
 意識不明は昨今家にいてもたまに起こる。ただ一、二分で、五分というのは初めてである。愈死の臭いが近づいてきたようである。来週は入院しなければならない。また山崎医師を煩わせることになりそうである。


2010年03月19日

サイクルショップ・クサカ  | 一考   

 自転車のフレーム素材の鉄鋼関係では神戸製鋼所、中山製鋼所、大同特殊鋼、山陽特殊製鋼があり、非鉄金属では日本軽金属、大紀アルミニウム工業所、大阪チタニウムテクノロジーズ、東邦チタニウム、住友軽金属工業がある。2008年7月のコベルコのニュースによると、パナソニック・サイクルテック株式会社から2008年6月20日に発売された「軽量プレミアム電動自転車"チタンライトEB"」のフレーム素材に、神戸製鋼所(TSE:5406)のチタン溶接管が採用された、とある。正確には同グループの神鋼特殊鋼管である。
 考えてみれば、神戸製鋼所とチタン溶接管の歴史は古い。最初にチタニウムのフレームを売り出したのはフジで、86年発売となっているが、実際は84年に既に存在していた。いかなる経緯で流れたものかはともかく、わたしがチタニウムのフレームを入手したのは84年の末だったと思う。余談だが、ケンメリスカイラインGT-RとフェアレディZ432が履いていたマグホイールも神戸製鋼所の製作によるもの。
 自転車に戻るが、フジのチタニウムフレームは神戸製鋼所のチタン溶接管を用いていたと、これは同じ業界筋のひとから聞いた。わたしはマージ、コルナゴ、チネッリ、ポリアギ、ビチュー、アランとさまざまな自転車を乗り継いできたが、チタニウムのフレームのしなやかさには驚いた。カーボンフレームの欠損はよく聞くが、チタンフレームのそれは聞いたことがない。もっとも、しなやかすぎてプロには不向きだろうが。
 このところ、オークションで知り合った大阪の友人としばしば自転車談義をする。よく自転車をご存じの方で、明石のクサカサイクルをご存じだった。料理、陶芸、和紙、反物、製本、金魚、自転車なんでもよろしいが、わたしは職人と名のつく人が大好きで、自転車の組み立てを教わったのがクサカサイクルである。普段はニコニコと温厚な店主なのだが、専門のこととなると目の色が変わる。はじめてホイールを組んで持って行ったとき、センターが出ていないと大目玉を喰らった。怒りすぎたことに気付いて、最初はそんなものだと慰めもする。振れ取りが許されるのは0.1ミリまでで、横振れよりも縦振れがより大事である、自転車に使われるすべてのネジには相応に必要なトルクがあって、締めればよいというものではない等々、実に細かいことまでご教示いただいた。
 ちなみに、クサカサイクルはビバロで知られるピストの専門店で、集まるのは競輪選手ばかり、わたしのようなロード乗りは番外の客だった。2009年に不幸な事故があり、ビバロはNJS登録を抹消された。当時、21名のS1を含む597名の競輪選手がビバロに乗っていたが、その後クサカサイクルはどうなったろうか。


2010年03月16日

来客  | 一考   

 今し方松山さんから電話、近著を持ってこられるとか。相沢さんに続き、松山さんとも久しぶりに話ができる。同時代によい知己を持ったと、生あることに感謝。


2010年03月15日

冬至の薔薇  | 一考   

 オークションはまたも完売、今日は発送の日である。最近は日曜日にも店へ出ている、梱包のためである。別けて処理しないと身体が持たない。荷物を持って向かえの運送屋へ三度の往き来で呼吸は乱れ、吐き気がひどくて座り込んでしまう。山崎医師の「掻痒感や易疲労感が増悪していますので、早急な透析導入を御検討下さい」の言葉が身にしみる。医師に云われるまでもなく、体調は最悪である。食器を洗っていてすら目眩いに悩まされる。
 先日の血液検査で山崎医師はあまり乗り気でなかった。どっちみち透析のときには改めて検査が必要だからである。「体内は大変なことになっている。よく動いているね」と医師。本当は店へ出るのにすらとんでもない意志力を必要としている。駐車場への往復もこれが出来なくなれば死のうとの悲壮な覚悟を持って当たっている。食欲がなく、背に腹は変えられず、近頃は外食に手を伸ばしている。
 尿素窒素(BUN) 73.3、クレアチニン(Cr) 8.23、尿酸(UA) 6.6、ナトリウム(Na)139、カリウム(K) 5.4、クロール(Cl) 103、カルシウム(Ca) 10.4。これが最新の値だが、前回よりは多少良くなっている。もっとも、良くなるはずがないのであって、「「少々良い」と言うよりは「悪くなっていない」と云う方が適切」と医師。
 土曜日に幹郎さん来店、相澤啓三さんの新詩集「冬至の薔薇」について語り合った。相澤さんの詩集は常に遺書の形をとる。わたしは「冬至の薔薇」を読んで号泣した。いずれ書かなければならないが、生涯に一度か二度しか出会うことのない詩集である。詩の怖ろしさをわが身に刻み込まれる、そんなときである、八方塞がりのなかにあって、生きていてよかったと思うのは。


2010年03月11日

ゼウスのペダル  | 一考   

 今週のオークションへの出品は二十点、おそらく残るのは一点か二点。梱包に困るので、手つかずなのがフレームとハンドルバーとホイールである。そして二階からサドルを引っ張り出したのだが、一緒にチューブラー(タイヤ)とスポークが山のように出てきた。タイヤの在庫にはミシュランのセタ(絹)が混じっている。プロが使うタイヤで一本が数万円もする。車の30パーセントのレーシングタイヤよりはるかに値が張る。スポークはすべてスイスのDTである。
 フレームの方は大阪の知己が興味があるようで、気に入れば引き取りに来てくれるようである。アランの最高級車から住友金属がはじめて作ったチタニウムのフレーム、イタリアのポリアギやアラヤのトリプルバテッドのアルミフレームなどが残っている。
 かつて東京にいた頃はロードに乗っていたが、明石では小径のチューブラーに乗っていた。理由はふたつあって、ひとつは何時も酔っ払っているので両脚がしっかり地面につかないと危なっかしい、今ひとつは街灯がなく道が暗くて頻繁に溜め池や畑へ突っ込んでいた。要は高級車に乗られない理由があったのである。今はなきやまちゃん(炉端焼き)の帰りに田圃へ突っ込み、食用蛙を押し潰して恨みを買った。高麗苑(焼肉屋)の帰りに明石城の横で顛倒、カンパニョーロのリアディレイラーを壊してしまった。その焼肉屋の店主は愛車のジャガーで田圃へ突撃、車は天井を下にひっくり返った。酒にまつわる武勇伝は数限りないが、こちらは掲示板で何度か触れている。
 その小径の自転車だが、拙宅の倉庫で眠っている。整理しようと覗いたところ、ペダルにゼウスのチタニウムが付いている。磨けば高値で売れそうである。とんだところでオークション付いたものである。

追記
住友金属と書いたが、神戸製鋼所の間違い。


2010年03月09日

BMW  | 一考   

 今日は十八時の段階で赤坂の気温は零度、路面は既にシャーベット状態である。車を乗り換えたので、十センチまでの積雪なら平気である。怖いのは明日の路面凍結、タイヤを履き替えていない車は大事になる。
 特定疾病の指定を受けに役所へ行くも、指定医の一筆が必要とか。主治医は指定医でないので毎回困惑する。特定疾病の指定を受ければ、医療費の支払いが一万円にまで下がる。そうでなければ、毎月五十五万円の医療費と薬代二万円ほどを立て替えなければならない。川口へ引っ越す予定だが、その前に片付けなければならない。そして引っ越し先が川口なら書類上の問題はなにも生じないと、障害福祉課の窓口は至って親切である。
 その足で警察へ、駐車禁止除外の許可証をもらってきた。鑑札の真ん中に大きく歩行困難者と記載されている。歩行困難であるに違いないが、ここまで派手に書かなくてもよいではないかと思う。しかし、有り難い鑑札である。処方を待つあいだの薬局の近所での駐車、病院の駐車場が一杯のときもその辺りへ停めておいて捕まらない。

 二輪の処置に困っている。こちらで動くように修理をした上で、オークションで売るしか方法はなさそうである。この件では知己のバイク屋も頭を抱えている。廃棄物としてなら引き取ってくれるようだが、BMWを廃車にするつもりはない。修理費に三十万円ほど掛かるらしいが、掛ける価値はある。二十年の記憶が染みついたバイクである。そういえば、梅木さんの愛車(BMW−R1100)はどうなったろうか。


2010年03月06日

新規ボトル  | 一考   

 久しぶりにあれやこれやとウィスキーを見繕ってきた。キルホーマン3年もの、アン・アード・ビーグ(アードベッグ)2000年蒸留の9年もの、グレン・キース13年もの、ブローラ(ゴードン&マクファイル)である。他にタリスカー、クラガンモア、ラガヴーリンなど常備品を購った。
 キルホーマンはニュースピリッツしか置いていなかったが、これでやっと三年を経てウィスキーの仲間入りをした。買ってきたのは46度の加水タイプとウィスキーライヴで売られたカスク・ストレングス、フレッシュ・バーボン樽熟成61.5度の二種。加水の方は僅かな苦みが気になる。開栓したばかりなのか、ひょっとすると加水が熟れていないのかもしれない。このところフェノール値が高いウィスキーが多く頒されているが、キルホーマンも50PPM。アイラ島西端にオプティック種を用いた素晴らしい蒸留所が増えた。
 アン・アード・ビーグはスリー・ピートの姉妹品で、ワン・ピートと名付けられ、ラフロイグと同時にボトリングされた。現今のディスティラリー・ボトルとは異なる香味だが、わたしには旨く思われる。一言でいえば雑味がなくシトラスの香が強い。
 ブローラは82年の蒸留、前回のコニッサーズ・チョイスが17年もの、今回は26年ものである。リフィール・シェリーでシェリー香は抑えられ、すこぶるナチュラルに仕上げられている。購入価格は12810円、一万円二枚でおつりがくる唯一のブローラである。
 二十四種の「カーンモア ヴィンテージコレクション」で知られるケニー・マッカイの「セレブレーション・オブ・ザ・カスク」の一本がグレン・キース。バーボン樽熟成の19年もの、52.3度のカスク・ストレングス。223本のリミテッド・エディションである。

 今日は忙しくて疲れた。駐車場まで歩く気力がない。椅子を並べて寝そべっている。明日は庭に転がっている厨房機器を引き取りにイラン人が来る。帰らなければならないのだが。


2010年03月04日

開店休業  | 一考   

 店へは出てきたものの、昨日は開店休業である。一昨夜、引越を早くするように依頼され、ちょっと無理を押してサドルを磨いた。それが理由で、身体が痛くて動かれない。moonさんに聞けば、彼も右肩が動かなくなって二、三週間痛みが続いたという。年を取るとはそういうことなのである。
 今日の電話の用件はとmoonさんから訊かれ、「愚痴をいいたいのですよ」と応える。「よく分かる、近くにいればねえ」とmoonさん。人生から乙張がなくなり、愚痴っぽくなってくる。典型的な老人性症候群もしくは痴呆予備症候群である。耕衣の句に「天心にして脇見せり老の雁」とあるが、それを傍見に凡人の嘆き節が続いた。
 このところ、困惑させられている。なににもまして引越のためには荷物を減らさなければならない。透析をはじめなければならないが、透析がはじまればますます荷物の整理が遅延する。病気のせいにはしたくないのだが、さまざまなことが一度に起きて、手に負えなくなってきている。六十三年分の垢を一気に拭えといわれても、ただただ放心するばかり・・・

 ここまで書いてカウンターで寝てしまったようである。優しく肩を揺り動かす気配がして目覚めた。御礼を云おうとして回りを見回すも誰もいない。どこまでが夢だったのか。


2010年03月01日

蒐集家  | 一考   

 週明けは忙しい。土曜と日曜の深夜にオークションが終わるように設定している。三週間で61点出品して売れ残りというか再出品は4点のみ。なかにはこのような高値で売れてよいのだろうかと小頸を傾げるようなものもある。
 取り付けネジが枕頭式かナット止めかとの質問があって、どちらにでも対応できるが、現状を記載するようにしている。バイクを触っている方なら、ネジやナットぐらいは自分で作る。ちょっとした金具屋ならタップのたぐいは取りそろえている。どうして遣い勝手がよいように改造しないのかわたしには分からない。
 ついこの間、植木屋さんの電気鋸が故障したので修理した。植木屋さん曰く「父がよく修理していたのを思い出す」。パソコンでも車でもなんでもそうだが、自分で修理できないものに乗ったり遣ったりするのがいまひとつ理解できないでいる。
 自転車などその最たるもののひとつで、自分で組み立てが出来なければツーリングは止めた方がよい。スポークが折れる、チェーンが切れる、ディレイラーが壊れる、パンクする等は日常茶飯で、事故で拗れた自転車に跨がって40キロを移動した剛の者にも北海道で会った。応急処置にさらに応急処置を施して、自転車屋までの20キロを詳しく教えた。車で運ぼうと云ったのだが、頑として聞き入れない、立派なサイクリストだった。
 さて、オークションは四週目に入った。自転車パーツはまだ半分にも減らない。わたしはコレクターではない、実戦部隊だと、どの面を下げて云ってきたのだろうか。パーツの山を見て反省しきりである。

このページについて..

2010年03月

に「ですぺら掲示板2.0」に投稿されたすべての記事です。新しいものから順番に並んでいます。

次のアーカイブ←:2010年04月

前のアーカイブ→:2010年02月

他にも多くの記事があります。
  • メインページ
  • アーカイブページ

  • も見てください。

    アーカイブ

    ケータイで見るなら...


    Google
    別ウィンドウ(orタブ)開きます。

    牛込櫻会館(掲示板1.0他)内
    ですぺらHP(掲示板2.0他)内
    Powered by
    Movable Type 3.34