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2008年10月 アーカイブ


2008年10月27日

自動二輪の免許  | 一考   

 ヒロユキさんが自動二輪の免許を取得した。取得だと簡単だが、しゅうとくと書くと修得、拾得、収得、習得など意味合いが異なってくる。私ならさしずめ宿徳が免許を拾得したとなるのだが、このような冗談は適切でない。
 彼は拙宅の近隣の教習所へ通っていたので、いつでも見に行けたのだが、最後の卒業検定まで捨て置いた。理由は彼が二十歳なので、最短コースであっても、なんら問題は生じないと思っていたからである。だが、卒業検定はさすがに気になったので見学に行った。
 三十八人中、大型が三名と中型が六名失格、一名がスラロームでパイロンと接触、他はいずれもが一本橋と波状路での脱輪である。彼は中型なので波状路は免除される。従って、苦手課題は一本橋であろう。実は、落下、足付きさえしなければ受かるということを伝えに行ったのである。規定時間は七秒以上だが、例えそれを切っても一秒あたりマイナス五点で済む、それと比して脱輪はその場で失格、ニーグリップの不良はマイナス十点である。
 彼の走行になんら問題はなく、一本橋での所要時間は十秒、大型でも受かる時間だった。車線変更が速すぎたようだが、マイナス特五点というのがあって、違反が一回までなら減点なし、二回以上重ねると遡っての減点となる。従って、彼は満点で通過したはずである。それを確認して私は帰宅した。
 ただ、先達として気になったことがある。彼の着座位置が後方に過ぎる。それが理由で両腕を張っている。大型だとマイナス十点になる。教習所のバイクはステップは前方へ、ハンドル位置は高くかつ後方へ設定している筈である。傾斜ポジションすなわち前傾姿勢が格好いいと思っているのだろうが、油蝉がバイクに止まっているように見える。レーサーレプリカのつもりでネイキッドに乗るのは困りものである。注意しなくては。
 受かったと戻ってきた彼を連れて鮨を買ってくる。今日はですぺらを休み、拙宅のバイクの名義変更と免許証の更新に嬬恋村へ帰った。東京で乗るのだが、嬬恋ナンバーがいいと彼は云う。彼の無邪気なアイデンティティをいささか羨ましく思った。


2008年10月25日

グレンスコシア・ヘヴィリーピーテッド  | 一考   

 前項で「操業を再開した1999年7月、ヘヴィリー・ピーテッド・モルトを仕込み、まずリンブルグ・ウイスキー・フェアーで6年ものをボトリング、次いで2007年4月にディスティラリー・ボトルの販売をはじめた」と書いた。そのリンブルグで発売されたグレン・スコシア99年が手に入った。ゴードン&マクファイルのカスク・ストレングスと差し替えることにした。双方を開栓しない理由は棚がモルト・ウィスキーで一杯だからである。会費は9700円に訂正させていただく。

 田中屋へはヒロユキさんを運転手として連れて行った。佐々木幹郎さんが馳走になったアードベッグを私も飲みたくなったからである。他では62年と74年のマッカラン、幹郎さんの云う「埃を飲むような香り」を堪能した。昔のウィスキーはアルコール度数が低い、低いものしか売られていなかった。しかし、低いが故にシェリー香のコントロールが効いている。アーリー・ランテッドが40度を守っているように、昔のウィスキーも香り、味、フィニッシュの三拍子が揃っていて美味い。私は特に74年が気に入った。何時も飲むマッカランとは異なり、ノックドゥー、グレンロッシー、ロイヤル・ロッホナガーのような植物の味がする。カスク由来だと思うのだが、繊細なところが生きている。これもアルコール度数が46度に抑えられているからである。このところ、カスク・ストレングスを多く飲んでいたのだが、やはりウィスキーの醍醐味は加水タイプにあると再認識させられた。


ラガヴーリン新入荷  | 一考   

 昨夕、スリーリバーズからフレンド・オブ・ザ・クラシック・モルトのラガヴーリンが入荷した。95年蒸留、08年ボトリング、12年もの、48.0度、ファースト・フィル・シェリーバットの熟成品である。香味については書かない、旨いに決まっているからでる。
 それにしても、年が明ければ1ユーロ100円代にまで円高になる。160円からの推移だからウィスキーはずんと安くなる。現時点での購入は控えた方がよろしいかと思う。株価と円相場は連繋すると経済アナリストはいうが、私はそうは思わない。よしんば株価が持ち直すことがあっても円高は容易に解消しない。もっとも、それがいいことだとは思っていないが。


恋情  | 一考   

 ひとから誉められるのは大好きである。とりわけあまねさんからの讃辞にはこころが動かされる。日頃から、存在は新陳代謝と書いている。そして彼は私のまわりで最年少である。老いては子ならぬ個に従えである。私は原則、ひとには頭を垂れないが、個として生きるひとは別格である。個にとって年少も年長も問題にならない。永田耕衣と接するのと同じ緊張感をもってあまねさんと付き合わねばならない。
 「懐かしい」という言葉を私は好まない、私が用いれば不用意ということになる。ただ、彼はその言葉に万感の思いを託している。文中の「・・・僕にはそれも出来かねます」と相俟って、彼がシャイな青年であることを物語っている。老いとは悲しいものである、シャイがシャイでなくなり、「差異もなき夢の気がかり」にしかならなくなる。
 「関係の難しさ、隔たりの深さ」と彼は書く、その懸隔は歳に比例して弥増して行く。年齢のへだたりはともかく、考え方のへだたりはどうにもならない。多くのひとはそれを趣味の相違と解釈する。相違という択一的図式で世の中が片づくと思うのは安易に過ぎる。世の中が常に対等だとは限らないからである。あまねさんは「隔たりの深さ」に畏敬の念を抱いている。懼れを抱くのは素晴らしいことである。思索の苗床は畏怖を除いてなにもない。畏怖は自己解体を余儀なくさせる、そして自己解体とは他者に惚れることに他ならない。間違いなく、土屋さんもあなたと同種の解体を繰り返していた。私には痛いほどよくわかる。あなたの「恋情」は決して身勝手なものでなく、相手に関係ないことではなかったと。


2008年10月24日

アイデア商品  | 一考   

 何処の駅か忘れましたが、新幹線で同じ様式のトイレに入ったことがございます。防水工事の大変さに気を揉みつつも、アイデアとしては一級品と思ったのですが、どうやら先人がいらしたようです。それにしても読ませますね。「わづかにせり上がつた足型様のものふたつ。おづおづと片足づつ」で小生は吹き出してしまいました。福地桜痴「文章論」の「達意ノ文章ハ決シテ奇僻ノ文字ヲ用ヒ、高尚ノ語句ヲ用フルモノノ為シ得ル所ニアラズシテ、己レガ口ニ述ベント欲スルモノヲ筆ニテ、己レガ知ル所ノ文字ヲ書キ下ダスニアル事ヲ知ルニ足ルベシ」を想起。文章はこうでなくては、との思いを新たに致しました。
 襟裳岬の百人浜オートキャンプ場にはジェットガンが備えてあって驚きました。それだけ糞尿を撒き散らす方が多いと云うことになりましょうか。かつてのですぺらでも週一回はそれで泣かされました。もっとも、掃除をしていたのは女人の方ですが。
 ところで、今日田中屋さんでアブサンの素と称するものを頂戴してきました。直径13ミリ、長さ50ミリのカプセルにエッセンスが入っているのですが、96度のウオッカに入れるとたちどころに96度のアブサンに早変わりするという逸品です。当然、非合法なのですが、妙なものを造るひとがいるものだと感心するやら呆れかえるやら。話の種に取り置きます。傷むものではなし、序での折にでも。


毛繕い  | 周   

「エアブラシ有り難く拝読」しました。一考さんのいう親分の元に初めて手伝いに行った日、僕が命じられたのは庭掃除と食器磨きでした。渡されたピカールと布で必死に銀食器を磨きあげたのを記憶しています。研磨剤が強力であればあるほど研磨する側も身を削られます。一考さんも用意してあるのは道具だけではないと感じました。
確かに僕は友達が欲しかったのかもしれません。そして土屋さんにその望みを抱いていたようです。底にあるのは身勝手な恋情。相手には関係ない事でしょう。一考さんと横須賀さんのような例は稀だと思います。「ひとがたまらなく好き、だから人を拒絶する」という文言は一考さんにもそのまま当て嵌まります(誰でもないご自身についてかかれた言葉ですもの)。一考さんは誰も拒絶していないですし、だからこそ、その失意は大きいのだと思います。それを間近で見て来た土屋さんも同じような失意を抱いているように感じます。その失意に僕は懐かしさを感じました。友達という言葉を口にするのはたやすいですが、いざその関係を持続するのはどれほどのエネルギーを必要とするのでしょうか。前のですぺらの時に、ですぺらの「ファン」を自称する人達がですぺらにしてきた事、言っている事を見ていた時に、関係の難しさ、隔たりの深さに気付きました。
友達が欲しければ「がふりよれば」よいのですが、僕にはそれも出来かねます。
以前一考さんは「残日を指折り数えて」と「俳諧の軽みのような笑い」という二編のエッセイを書かれました。ともにですぺら掲示板への書き込みを母体としたものでしたが、当時僕には「俳諧の軽みのような笑い」のほうが納得出来ませんでした。いうなればやっつけ仕事に見えたのです。「残日を指折り数えて」に比べてという事ですが。
今では、あの短さにどうしようもない一考さんの悲しさを感じます。


かの國の思ひ出——水見舞にかへて  | 高遠弘美   

まづは何より水見舞を申し上げます。水ならぬ酒を飲めば金時の火事見舞になるわたくしが水見舞を申し上げても何のお気休めにもなりますまいが、一日も早い復旧を祈りをります。
 最近ではめつきり少なくなつたと思ひますが、かつてフランスにあつたトイレのひとつに、足場がまるで洪水のごとくになるものがありました。何かですでにご存じではありませうが、簡単に申し上げれば、ドアを開けると、イェテイの足跡よろしく、もちろんあれほどは大きくはなく、足を乗せれば靴の方がはみ出すくらゐの大きさの、床面からは浮き彫りのごとくわづかにせり上がつた足型様のものふたつ。おづおづと片足づつその上に乗せ、苦心惨憺の末、用を足します。さて、流す段になつて、天井から下つた鎖を引くと、逃げる間もあらばこそ、ものすごい勢ひで水が流れ込み、思はず溺れさうな錯覚にとらはれ、せめて片足をかはるがはる持ち上げて水難を避けようとしますが、水は撥ね、渦を巻いて床一面を覆つたまま。何世紀にも感じられる時間(実は数十秒なのでせうが)が過ぎるとそれだけで疲労困憊。飛びはねた水で裾を濡らして、惨めな思ひでドアを開けて出てくるといふありさま。トイレに就いてはいつも悩まされるフランスではありました。
 かの國に比べればはるかに細やかなまほろばのこの國。水仙などを床に生けた手水場はいつそ奥ゆかしいかもしれません。
 冗談はともあれ、怨念にかかはりなく、技術上の問題ですぐに解決なさいますやうに。


異変2  | 一考   

 排水管が再び詰った。17日のうちににトイレットペーパー以外の紙類はトイレから除去、18日からはタオルを手拭きとして用意した、にもかかわらず詰ったのである。
 今般の理由はなにかと思案してみる。「radiesthe´sisteの業をもせし怪人」とは高遠兄の綴るところだが、ありもしない「赤坂みすぢ通りの暗渠」を揶揄したのが禍を呼び込んだのではあるまいか。「裏の川を流れるのは下戸や新仮名ばかりとは限らない、篤胤によって等閑視され脇腹の子として偶われてきた新仮名の怨念、そのうらみが溶け込んだ書物の毒、その毒を呷った読書家の悪意等々、さまざまなものが漂い、浮き沈みしているのである」と書いた。今回の捫着は新仮名の怨念ではなく、篤胤の逆怨みでなかったかと思う。
 手水へ立つに長靴に履き替えるのはどうだろうか。夏から秋に紫色の六弁花を開くのは雨久花、いっそトイレの床に水を張り、一面に花を咲かせようかと思っている。


2008年10月23日

モルト会追記  | 一考   

 昨日、「嗜み」第二号が発売された。田中屋の栗林幸吉さんを佐々木幹郎さんが取材している。私はゲラ刷りしか読んでいないので、ちはらさんが届けてくれるのを心待ちにしている。
 その栗林さんと電話で話していて、ちょっと珍しいモルト・ウィスキーが在庫しているかもしれないと知った。グレン・スコシアのヘヴィリー・ピーテッドのカスク・ストレングスは記憶が正しければ、過去二度ボトリングされている。その内の一本がドイツの「リンブルグ・ウイスキーフェスティバル」で発売されたグレン・スコシア99年である。どうやらそれが見本として一本取り置かれているらしい。明日、田中屋へ行く予定だが、明後日のモルト会にこれ以上相応しいモルトはない。モルト会用にゴードン&マクファイル社のグレン・スコシア92年、14年もの、59.0度のカスク・ストレングスを既に購入済みである。これでふたつの大輪が咲く。会費が若干変わるが、喜んでいただけるものと思っている。


2008年10月22日

一周年  | 一考   

 「開店とは申せ、ガスは繋がらず冷凍庫は故障、トイレの鏡とタオル掛けは明日、カタログは未定というありさま。ただ、ウィスキーだけは売るほどあります。従って、オープニングはまだ先のことにして、とりあえずのプレオープンです。食べものはなにもありませんが、どうかよろしくお願い致します」と案内したのが去年の十月二十九日、あれから一年が経った。
 この一年を顧みてなどという感慨はなにもない。それは年初に挨拶はおろか、なんらの計すら持たないのと理由は同じである。一月一日は十二月三十一日の次の日であって、それ以上でもそれ以下でもない。そして一月一日に二日のことは考えない。目が覚めて生きていたら、その日のことを考えればよいのである。
 とは申せ、この一年は目まぐるしかった。もっとも目まぐるしいのは目の前にあるものであって、世の中であり時代の変化だった。目がちらつきはするものの、自分にはいささかの変化もない。個であることに、変化の持ちようがないのである。ただ、個であるために周章て、噪ぎ、狼狽えることがあった。しかし、それは内面の浮沈であり、起伏である。その一端は掲示板で著した。従って、これ以上述べ立てる要はない。
 さて、一周年の日のお手伝いさんが決まった。その日はモルト・ウィスキーを飲もうと思っている。ひとりでは淋しい、お付き合いくださる方を求めている。


2008年10月21日

レダイグとグレンスコシア  | 一考   

 レダイグはトバモリー蒸留所のセカンドラベルだが、1970年代まではレダイグ、1980年に操業を再開してからトバモリーとなった。創業は1798年、海運業者のジョン・シンクレアの手になる。1890年から1916年までジョン・ホプキンス&サンズ社が所有。1930年から1972年まで休業。同年蒸留を再開するも、1981年から1990年の10年間の操業停止を挿んで、1993年にバーン・スチュワート社により買収された。
 バーン・スチュアート・ディスティラーズは1940年後半に設立、グラスゴーに本拠地を置く。1988年以降、急速に拡大し、世界で第三位の独立したスコッチ蒸留所となった。1990年にインヴァーゴードン社よりディーンストン蒸留所を、カーク・リーヴィングトン・プロパティ社よりトバモリー蒸留所を相次いで買収。ブローカーまたはボトラーとしても活躍している。トバモリー蒸留所の前の所有者がアパートを建てるために熟成庫を売却、現在は中央ハイランドにあるディーンストン蒸留所の熟成庫を用いている。
 トバモリー蒸留所のモルトはピートを焚き込まないトバモリー、ピートを焚き込むレダイグ、マル島限定発売のアイオーナの三種。1972年から1975年蒸留のレダイグのディスティラリー・ボトルは美味とされるが、三年ほど前にボトリングされた、バーン・スチュワート社による買収前に蒸留された15年ものディスティラリー・ボトルは絶品である。過去のどのボトルよりもヘヴィリー・ピートなモルトで、どこかで見掛けたら是非お飲みいただきたい。
 ところで、神戸大学の某教授は毎年スコットランドへ旅行しているが、彼女の友人の言語学者によるとレダイグの現地での発音はレチョックだそうである。トバモリー蒸留所はマル島の玄関口、トバモリー村の港に面して建てられている。そのトバモリー村に二十年余住んでいるひとが云うのだから信じる他ない。ちなみに、某教授は美学が専門だが、バタイユを深く読み込んでいる。その彼女の初の土産が1972年蒸留のレダイグだった。

 グレンスコシア蒸留所の創業は1832年。スチュアート・ガルブレイスによるもので、創業当初の名前はスコティア蒸留所。1919年、ウェスト・ハイランド・モルト・ディスティラーズが買収。1924年に同社が破産すると同社のディレクター、ダンカン・マッカラムが買収するも1928年には操業停止。1930年にダンカン・マッカラムは借金を苦にキャンベルタウン・ロッホに身を投じ、爾来蒸留所には彼の幽霊が現れるといわれる。1933年、オークニーのスキャパ蒸留所がグレンスコシアを買収。1954年にハイラム&ウォーカー社がスキャパとグレンスコシアを買収。翌55年、A・グリル社が新オーナーになる。 下って1970年、アマルゲイテッド・ディスティラーズ・プロダクツ社がA・グリル社を買収。1979年から1982年にかけて蒸留所は大改修されるも、1984年に再度閉鎖。1989年、ギブソン・インターナショナル社がアマルゲイテッド・ディスティラーズ・プロダクツ社を買収して操業再開。1994年にグレン・カトリーヌ・ボンデッド・ウェアハウス社(ロッホ・ローモンド・ディスティラリーの子会社)が蒸留所を買収したが操業停止。1999年、スプリングバンク蒸留所の協力を得て操業再開。2000年、ロッホ・ローモンド蒸留所とスタッフによる運営が開始されて現在に至る。
 蒸留所の経緯は上記のごとく、操業停止と再開を繰り返して今に至っている。現オーナーのロッホ・ローモンド・ディスティラリー社はロッホ・ローモンド、リトルミル、グレン・スコシアの三蒸留所を所有。先頃、ボトルが一新され、ラベルも雰囲気を統一、ちょいと見分けが付けにくくなった。ポットスチルはストレートヘッド型で初留、再留釜はそれぞれ1基ずつと規模は小さい。仕込み用水はクロスヒル湖の水と、蒸留所の地下80フィートから汲み上げた地下水を利用している。操業を再開した1999年7月、ヘヴィリー・ピーテッド・モルトを仕込み、まずリンブルグ・ウイスキー・フェアーで6年ものをボトリング、次いで2007年4月にディスティラリー・ボトルの販売をはじめた。
 詳しくは土屋守さんの「モルトウィスキー大全」を繙かれたいが、レダイグ、グレンスコシア共に、アイラモルトとはひと味異なるピーテッド・モルトを造っている。


2008年10月20日

ですぺらモルト会  | 一考   

10月25日(土曜日)の19時から新装開店後、十度目のですぺらモルト会を催します。
会費は9300円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
今回はレダイグとグレン・スコシアのボトルを楽しみます。

ですぺらモルト会(レダイグとグレン・スコシアを飲む)

01 レダイグ・ピート※
 42度のディスティラリー・ボトル。
02 レダイグ・シェリー※
 ミレニアム記念の限定エディション。シェリー・フィニッシュにして、42度。
03 レダイグ '90(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの8年もの、40度。
04 レダイグ '92(ブラックアダー)
 オーク樽の6年もの、43度のシングル・カスク。
05 レダイグ '92(クライズデール)
 熟成は6年11箇月、63.4度のカスク・ストレングス。限定300本のシングル・カスク。
06 レダイグ '93(ジェームズ・マッカーサー)
 オールド・マスターズの一本。10年もの、56.5度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
07 レダイグ '79(バーン・スチュアート)※
 ディスティラリー・コンディションの19年もの、49.1度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
08 グレン・スコシア12年※
 40度のディスティラリー・ボトル。
09 グレン・スコシア '92(キングスバリー)
 14年もの、46度のリミテッド・エディション。カスクはBRL、オロロソ・シェリーである。
10 グレン・スコシア・ピーテッド '99※
 アメリカン・オーク・カスクの8年もの、45度。325本のリミテッド・エディション。
11 グレン・スコシア '91(スコッチ・モルト・セールス)
 ディスティラリー・コレクションの一本。バーボン・バレルの11年もの、57.0度のカスク・ストレングス、限定276本のシングル・カスク。
12 グレン・スコシア'92(ゴードン&マクファイル)
 14年もの、59.0度のカスク・ストレングス。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


エアブラシ  | 一考   

 あまねさんに呼応する形で文章を綴っている。互いに気脈を通じているわけではないので、照応の方が相応しかろう。あまねさんも誰でもないところの(もの)に憑かれたのであろうか。爽やかさのなかに一抹の屈折が宿っているように思う。
 あるがままに描けばよろしいのであって、誤解を懼れてはいけない。もしくは何を書いたところで誤解される。いずれにせよ、誤解、曲解が待ち受けているのであれば、好きに書き継いでいただきたい。私などは文章のなかに埋もれて輝きを喪った屈折を掘り起こすことに専心する。屈折は多くは泥にまみれて冱えない、そのような穢れた(もの)を琢くのが私の仕事である。サンエバール、ピカール、テガール、アルボン、酢酸、酸化クロム、コンパウンド等々、研磨剤や研磨布には不自由しない。必要ならアルミナからサンドブラストの用意まである。
 さて、とんでもない屈折がまたひとつ迷い込んできたようである。

追記
 屈折と書いたものの彼のやさしさが身に沁みる。あまねさんはきっと友達が欲しかったのだと思う。そしてパリの彼はあまねさんに相応しい友だった。なぜ相応しいかと云うに、双方が距離の取り方を体得していたからである、まるで恋人同士であるかのように。
 私の歳になると、悲しむのが嫌でこころのまわりに予防線を張り巡らす。そして生な言葉(懐かしい、あがく、苦しむ、もがくの類い)を遣わなくなる。それを羞ずかしく思う。


エアメール  | 周   

 知り合いと呑んでいたときに彼が夢見るように「このまま経済が崩壊して日本がぐちゃぐちゃになったらいいのにな」と語った。普段そのようなことを口にしない人だ。また他の知り合いと話していたら、「明日の事を知っていると思うやつは馬鹿だ」と言い出した。僕も含めてみな底辺労働者であって、コンビニエンスストアの前などでいい年をした大人が集まって缶ビールなどを呑みながらたむろしているような光景をみたなら、それは僕らと同じような人種だ。だからこれは僕の知り合いというような特定の誰かが行ったというよりも、あなたが街角のコンビニエンスストアで聞くとはなしに聞いてしまった話と思って差し支えはない。
 別の知り合いは「何者かであろうとすることをよしとしない」と語った。知り合いと書くのは彼を貶め、遠ざけようとするからではない。会っているとき、語り合っているとき、その今は確かに彼と僕はそこに在るがその次のことなどわからない。「じゃあ」といって手を振ったその瞬間に彼と僕はまたそれぞれがそれぞれのうかがい知れない他人へと戻る。それはすぐ近所に住んでいても、遠方に住む人であっても何も変わらない。一度出会ったならば必ず別れ、別れたからにはまたどこかで会うかもしれない。しかし次にあったときの彼と私は以前の彼と私ではない。そのことを得心しているからこそ、彼は僕にとって知り合いであり、また懐かしい人でもある。その彼はまた、担がれることを嫌った。「誰でもあり、誰でもないもの」と語る人ならば当然だったろう。個の集合体としての仲間であれば喜んで参加したが、それが党派になることを嫌った。ひとつの権威であることを決して潔しとしなかった。それは友人関係でも上下関係でも変わらない。そもそも安定した関係などを信じていない。外面を取り繕わずに怒りを表明していることもあった。彼の言う個も「確固たる自分」などではなく、あがいても、苦しんでも、もがいても決して抜け出ることのかなわない存在としての個であったのかもしれない。 友と酒を酌み交わしても、恋人と抱き合っても、師に褒められようと、どうにも消えない孤独というものを個と言い表していたのではないかと、そう思う節もある。そんな人が「我々」などという言葉に組しようはずもない。何かをするのはそれぞれであって「我々」などというものではない。彼はそのことを良く教えてくれた。我々という言葉に潜む多人数の優越感というものを教えてくれた。


2008年10月18日

異変  | 一考   

 隣のインディアンサマーのマダムが訪れ、下水がおかしいと告げられる。トイレを覗いたところ、床に水が溜まっている。新たに流したところ、トイレ及びシンクから水が濫れてそこらじゅうが水浸しになる。鹿島の鈴木さんが来られている最中である、せっかく二項対立で盛り上がっていたはなしに水をさされた塩梅である。濡れそぼるですぺらも風情があるが、相手が汚水では洒落にならない。修理屋の来るのが二時とか、気長に待つしか手立てがない。長尺のルーラーがあれば当方でもなんとかなるのだが、手持ちのルーラーは二メートル強、百均で買ってきたものである。アイスピックにせよ、ドライバにせよ、百均は百均でしかなく、火急の間に合わない。
 業者のルーラーが停止したのは便器から6.9メートル。手拭きとしてキッチンペーパーを置いているのだが、それが流され詰ったのが理由である。それにしても、縦管に至る15センチほどはルーラーの直径しかゆとりがない。何時詰るか分からない危険な下水管である。トイレットペーパーはスコッティの強いエンボスの入った高級品へ、さらにトイレにはトイレットペーパー以外の紙類を置かないように注意された。汚水の掃除を済ませて帰宅は五時。とんでもない一日だった。
 縦管は排水管と汚水管に分離されている。にもかかわらず、店の配管は両方が一緒になって汚水管と繋がっている。シンクから汚物の臭いが漂っていた理由がやっと解った。今日は朝からシンクの排水管を組み直した。素人ゆえ、工事は明日もつづく。


2008年10月17日

告解  | 一考   

 「パンツ 掲示板」「地元民は行かない 明石 きむらや」「わさび菜 食べ方」「柘榴口」最近のリクエストで数の多いものを採り上げてみた。後の三者はともかく、「パンツ 掲示板」には恐れ入った。誰がこのような文言で検索するのであろうか、その思いの一端を知りたいものである。
 掲示板で追記を私は多用する。書きづらいことは追記に限ると思っている。なぜなら、掲示板というものは書き流し、読み流しされるものであるらしい。よって遡って読まれることはない。ところが、当掲示板の主たる読み手は検索でやって来る人たちである。検索で入られるひとはどこを読むか分からない。半年前の書き込みを書き直す理由、追記を加える理由はそこにある。
 それにしても、一日三十件の「パンツ 掲示板」には考えさせられる。記憶ではバイクの項でオーバーパンツについて書いたことぐらいだが、検索の本音はズボンでなく、ズロース、ブリーフ、さるまた、パンティだと思われる。
 「土砂降りのなかを帰宅。雨がレインコートを抜けて、下腹部の大事なところがびしょ濡れになった。レーサータイプのバイクならガソリンタンクの手前が盛り上がっていて下腹部が濡れはしない。しかし、それでは腹が閊えるのと前傾姿勢に身体が耐えられない。
 下腹部は冷たいのを通り越して感覚がまったくない。帰宅後、モノを確認するも純白にちぢまっていた。指も真っ白、髭も真っ白、序でに髪も真っ白、心做しか腹までが白く思われた。二重、三重に重ね着しているのだが、膝は振るえだすと止まらない。ガクガクガタガタのまま、家路をたどる。そろそろオーバーパンツが必要になってきたようである」
 女性が愕くのは勃起したそれではなく、小さく縮まった一物である。その消息は提灯か桃燈で書いたような気がする。年相応なのか、近頃ではびしょ濡れにならずともちぢまったままである。一週間に一度とは云わない、せめて月一回でも役に立てばと思うのだが、そのような季節は遠くに過ぎ去ったようである。それにしても「パンツ 掲示板」には熟計させられる。私も回春を夢見て検索してみようか。それとも順序から申せば悔悛の秘跡からか。


2008年10月15日

もどかしい人  | 一考   

 先日パリの友人からアン・リネルの原書数冊を手に入れたとのメールがあった。しかも彼は辻潤のですぺらだけを持ってフランスへ行ったらしい。彼が林達夫に惹かれていたのは承知していたが、辻潤とは恐れ入った。かくいう私も辻潤の影響を受けて若い頃、アン・リネル、ジョルジュ・パラント、ルイ・ギルーなどに興味を持った。アン・リネルの「赤いスフィンクス」が松尾邦之助訳で上梓されたのが昭和31年、同46年から53年にかけてパラント著作集三冊が翻訳出版された。第一回配本は「ペシミズムと個人主義—近代個人主義の研究」で、いまなお拙宅に蔵している。

 世の中には自分の思いを表明しないひとがいる。表明するのを潔しとしないのである。それは誤解を畏れるのではなく、自分が信じられないのである。今日は斯く斯く然然だが、明日はどうなるか分からない。そのような不確かなことを口にしてよいのだろうか。人は迷いつづけ、震えわななき、そして寡黙になる。寡黙なひとは世間を狭めて生きる。既に形を成しているものを書物にまとめるのではなく、不確かなものを、眩暈そのものをこそまとめるべきでなかったか。文学を解さない編輯者が造る二十冊の書物よりは、文学を解する編輯者が拵える一冊の書物を持つことこそがその人の生を全うする。
 彼がパリへ出掛ける直前、ですぺらで話し合った。フランスへ行って語学を学ぶだけでは不甲斐ない。アイルランドやハンガリーから亡命し、母国語を棄ててフランス語で文章を著す人たちがいる。そういう人たちの屈折したものの考え方をこそ学んでいただきたいと強く薦めた。日本にいては理解すらかなわない種類の思惟がある。五年から十年、うまくいけば更に長くフランスで生活すべきだと語った。帰る必要すらないのではないかとも話した。文学するという行為が必ずしも表現とは結びつかないことだってある。詩を書く人間だけが詩人ではない。詩は書かないが、詩を生きている人だっている。要は思いであり思索である。
 私は彼と今生の別れを済ませた。彼に倣えば、明日のことは誰にも分からない。十年経てば老いた私は保守的になっているかもしれない、もしくは認知症になっているかもしれない。話がはなしとして成り立つのは今だけなのである。その今、彼と知り合えたことを光栄に思う。彼が光り輝けば私も照りきらめく。そんな風景はそうあるものではない。私にとっては横須賀功光以来であろうか。
 「誰でもあり、誰でもないもの、揺るぎない自分というものなど信じない、そうした精神の動きこそ『文学』なのではないか」というとき、その揺らぎには「私(ひそか)に淑(よ)しとする」こころも含まれる。影響とか感化といった概念は微妙である。なぜなら、相手も揺らいでいるからである。従って、あくまで秘めやかなものでなければならない。「今だけ」と書いたのはその消息をさらに厳密にする。
 彼から私は多くを学んだ、私かに。掲示板1.0では彼に宛てて、または自らに言い聞かせる形で文章を綴った。「誰でもあり、誰でもないもの」はときとして彼であり、ときとして私であって、そして誰でもあり、誰でもなかった。人称は自称、対称、他称のあいだを自在にすり抜けてゆく。掲示板2.0ではアナロジーについてメトニミックもしくは重語法を用いて語り続けた。「閉店サービス」のようないささか過激な書き込みすらが、彼への気配りであり便宜であり、そして挑撥だった。彼がいなくなった同人誌にはいかなる意味においても存在理由はない。それでも続けようとするなら、新たな存在理由を構築しなければならない。文学はどこまでも「個のはかなごと」である。
 ですぺら掲示板は「辻潤の虚無思想を伝播させるのが唯一の願いである。願いであって目的ではない。いやしくも辻潤の読者であるなら、人生に目的を持つような愚挙には至るまいと思っている。ただし、勝手にそう思っているだけで、実態は存じ上げない」その願いだけは今なお変わらずにある。

追記
 「もどかしい人」と題したが、間怠っこいのは私の方である。パリの彼にはひとりの師もひとりの先達もひとりの友もひとりの恋人もいなかった、と書くのが相応しいのだが、そのように書けば傷つくひとが多く出る。もっとも真に傷ついたのは彼なのだが。責は常識という錯綜した網を彼にかけた方にある。ひとは秀でた才能をみると自らの位置にまで引き下げる。それが如何に不当なものであっても、かれらは自らの定規を押し当てて溜飲を下げるのである。
 それが理由でこのところ掲示板の書き込みがめっきり減った。じれったいことを書く自分に嫌気がさしたのである。長く掲示板を続けているとそのような気分に陥るときもある。書きたくないときは書かなければよい、ただそれだけのことである。


2008年10月06日

保険金  | 一考   

 事故を起こしたのは七月九日午前二時。その示談金がAIU保険会社から振り込まれた。外資系は対応が素早いと聞いていたのだが、結構もたついたようである。おそらく二輪の事故に馴れていなかったのであろう。パニアケースひとつ取ってみても、私の買値は六万六千円だったが、中古相場は八万円ほどする。物品は購入したときがもっとも高く、使用するにつれて値が下がるものだと言われても、世の中には下がらないものだってある。理由はメーカーのクラウザーの値上げであって、現行品は三十万円ほどする。ケースに支払われた金数は結局三万円だったが、これでは新たな購入は望むべくもない。
 はかどらない理由がAIGの破綻かとも思ったが、損害保険に特化するそうで、AIGエジソン生命とAIGスター生命、アリコジャパンを含めた米アリコが売却されることになった。AIUやアメリカンホームダイレクトは残留である。
 この十年ほど、四輪の保険はアメリカンホームダイレクトだった。ところがややこしい規約があって、複数台の車を持っている場合、保険の移動が効かない。それが理由で損保ジャパンへ切り換えた。二輪は免許を取得して以来、三井住友海上である。保険金の金額ではなく、どれだけ融通が利くかが私の場合は問題になる。件の規約はAIU、アメリカンホームダイレクト、アクサダイレクト、チューリッヒは同じである。値が安いというだけで外資系へ戻ることは二度とない。私が知るバイク乗りは複数台のバイクを乗り回している。もっとも対人無制限の任意保険に入っているのは私ぐらいなものだが。

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