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2010年02月 アーカイブ


2010年02月28日

PCDについて  | 一考   

 カンパニョーロ社のクランクセットを出品しているのだが、PCDは何ミリになるのかとの質問あり。PCDはピッチ円直径のことで、同クランクの場合、Pitchが84.64ミリなのでPCDは144だと思われる。それにしても、このような専門的な質問をどのように役立てるのか、そちらがわたしには皆目見当もつかない。
 PCDは車のホイールではよく使うのだが、その場合でも問題になるのは車軸のテーパー角で、一般素人にはどうでもよいことである。黙っていればタイヤ屋が車種にあったホイールを選択してくれる。後輪がハの字に拡がったシャコタンを屡々見掛けるが、あれは暴走族が恰好をつけるためだけに履かせているので、タイヤは片減りするし、接地力がなくなってワインディングは出来なくなる。
 カンパニョーロ社のクランクはインナーの最小が41Tだったので、わたしには使えない。そこで、スギノのマイティーを使っていた。スギノのマイティーはテーパー角がカンパのそれと同じなので、カンパのBBに装着できるのである。ちなみに、マイティーのPitchは64.66ミリなので、PCDは110ミリ。これだと34Tが使えるとの計算になる。しかし、この計算は結果論で、カンパのBBに使えるクランクはないかと探してそうなっただけの話である。
 自転車の世界には高等数学から入ってこられる方がいるようである。


2010年02月27日

最後のマスタング  | 一考   

 マスタングとインプレッサの車両入れ替えが終わった。インプレッサの車検ははじめてのことが多いので、林自動車にお願いし、練馬で予備車検を取っていただくつもりが、結局埼玉の陸運局まで行った。それやこれやで、警察と市役所と銀行などを走り回る日々が続いた。明日はETCのロムの書き換えである。その後、市役所での再度の手続きが必要になる。
 距離的にさして乗ってはいないのだが、マスタングには随分と世話になった。3.8リッターの醍醐味は存分に味わった。マスタングは燃費が悪いと聞いていたが、リッター5.5キロは走る。国産の4リッタークラスと比して遜色はない。セルシオやシーマでも5キロほどしか走らない。日本の車で燃費がいいのは小排気量の二輪駆動の車だけである。ガスの消費量は排気量と比例する。
 ノーマルのまま乗っていたが、走る基本は国産車となにも変わらない。180キロを超えると風きり音が激しいとか、曲がるときの沈み込みが大きいのは国産も同様である。マスタングはワインディング用の改造が効かないのが欠点といえば欠点であろうか。国産車にあってもスポーツカーと名のつく車にはビルシュタインやブレンボが奢られているのを考えると、ブレーキの利きがよかったのは救いだった、おかげでオカマされたが。
 ボンネットを抑えて下がるような車で峠は攻められない。どのような車であっても、走りたければ車の購入価格と変わらないパーツの交換費用が必要になる。点火系や足回りを固めるような車にもう乗ることはないだろうが、たまに懐かしくなるときもある。マスタングに乗る最後の日は某所へ赴き、ローリング族の真似事でもしてみようかと思っていたものの、生憎と雨天。おそらく、廃車後のマスタングは中近東へ最後のお勤めに行くに違いない。マスタングとそして木村さんに感謝。


2010年02月24日

JISとBSC  | 一考   

 カンパニョーロのヘッドパーツを売りに出した。自転車屋さんが函にJISと大きく書いていたので、深く考えずにわたしもJIS規格と書いて出品した。質問があって「JIS規格との事ですが、BSCではないでしょうか?ヘッドロックナットの裏側に“English”の刻印があればBSCなのですが」と確認するむねの質問があった。イタリアのメーカーがJISでもあるまいと思うのだが、わたしの失態であるに違いない。
 わたしは世界中の自転車を組んできたので、ネジの違いは心得ている。ボトムブラケットのテーパー角、長さとワン(カップ)の直径、逆ネジかどうか、またヘッドの形状、ペダルのネジのピッチ、ボスフリーの互換性等々である。質問者は「JISとBSCは基本的に同じですが、唯一ヘッド小物だけが違います、ネジピッチ(1”x24tpi)は同じですが、JIS(30.0mm)のフレームにはBSC(30.2mm)のヘッドセットは入りません、また下玉受け部のサイズも違います」と仰せだが、それはセットしてみれば分かる。わたしは悉くが現場の叩き上げなので、緻かな寸法は知らない。ただ、使えるか使えないかを知っているだけである。
 前述したようにイタリアのメーカーがJIS規格のものを作る筈がなく、BSCかイタリアンに決まっている。従って、この場合のJISはBSCを指している。ということは質問者は自らの知識を披瀝したかった、もしくはわが無知を嘲笑するための書き込みだったのか、それにしては手抜かりがある。カンパニョーロの自転車パーツにはBritishと書かれてはいてもEnglishとは書かれていない。
 この消息はオートバイでも同じで、ミリネジとインチネジがあって、それぞれにピッチが異なる。拙宅に工具が山のようにあるのはそれが理由である。近く手放すつもりだが、BMWは顛倒で被害を被るであろうところのネジはすべてミリネジに取換えている。出先で困るからである。
 日々扱っているボトルのコルク栓の直径もボトラーごとに異なる。こんなものぐらい統一しろと思うのだが、日本語のコードと同じで、メーカーごとにまちまちである。なにをもって正漢字とするのかわたしには皆目見当もつかない。


2010年02月22日

オークションその後  | 一考   

 困ったことが起きてしまった。左手のしびれについては何度か書いてきたが、今日定食屋でみそ汁をこぼしてしまった。セーター、ズボン、パッチ、パンツとすべてびっしょりと濡れてしまった。いつかこのような事態が来るのではないかと思っていたが、案の定である。店員が気に病んでくださったが、申し訳ないのはこちらである。その内、茶碗や丼椀も落とすに違いない。

 月曜日はオークションの発送日なのだが、今週中にあるいは今月中に振り込みますと悠長な方もいらして微笑ましく思う。人々都合がいろいろあって、思うように処理していただければ構わない。ただ、無音に過ぎるのは困る。それといまひとつ困惑しているのが評価である。このようなことで他者を評価するのは釈然としない。納得はいかないものの、それが自然の流れなら逆らうのに抵抗が生じる。わたしは事情のいかんを問わず、機械的に「非常によい」を繰り返している。
 わたしは業者ではないし、その金数が入らなければ明日首を縊るといった塩梅でもない。どだい金券であって、都合の付く人が都合しておればよい、と思ってこれまで生きてきた。いまは借りるばかりだが、昔は金を貸してそのままになった例も多くある。それも経験と割り切らなければ、出版なんぞやって来られなかった。帳尻は死ぬときに合えばよいのである。
 その発送だが、事務員から今日は叱られてしまった。彼女の労働時間が過ぎているのは分かっていたが、締め切りぎりぎりになっての持ち込みが多い。そこへ私がサイクルパーツを山と持ち込むのだから、どうにもならない。こんな日にデートの約束でもあれば腹が立つだろうに、といらぬ気を回す。
 ヤフーからオークションの手数料が知らされたが、五万円を超えている。いかに儲かる商いかがよく分かった。濡れ手で粟とはこのことか。


2010年02月19日

マンナンライス  | 一考   

 コンビニでマンナンライス入りのミニ弁当を見付けた。女性のカロリー控えめ乃至は糖尿病に対応した商品である。さすがにナトリウムやカリウムにまでは気を遣っていないが、腎不全用の弁当まであと一歩である。タンパク制限がこのような形で実現化するとは思っていなかったので驚かされた。
 マンナンライスをわたしはMさんから頂戴したのだが、女性のあいだでは結構知られた商品であるらしい。ファミリーマートやサークルKサンクス、一部の生協などで弁当や握り飯として売られている。ここ二、三日のように家で食事が摂られないときに利用しようかと思う。それにしてもLGC米やでんぷん米は種類が多いのに、どうしてマンナンライスだけが女性に持て囃されるのか。きっと原材料の蒟蒻の受けがよいのであろう。されば、梅干しと塩の代わりに山葵と山葵菜を用いた握り飯を作れば喜ばれるに違いないのだが。
 提灯持ちはしたくないのだが、木村さんから訊かれたので一言。値段はともかく、他のでんぷん米と比して癖もなく、特有の臭みもない、療養食の貧しさと比べてもお薦めである。


2010年02月18日

手続き  | 一考   

 このところ、携帯電話を使うことがないので、たまに架けようとすると画面は真っ暗である。今日も車庫証明をとりに警察署へ赴いたところ、書類の不備で刎ねられた。自動車屋へ電話をしようにも繋がらない。
 車検にせよ、障害者手帳の手続きにせよ、公と名の付く文書は苦手である。人任せにしてきたツケが回ってきたようである。車庫証明は今回が四度目、いつになったら覚えるのであろうか。車検はさらに大事である。マスタングまでは当時の連れ添いが処理してくれたが、今回はひとりで処理しなければならない。障害者の減免手続きも二月中だそうである。保険も車両入れ替えその他の手続きが必要になる。おっきーさんと話したが、継続車検なら鮫洲がよさそうだが今回は初車検、ナンバープレート取得のため埼玉の陸運局でなければならない。警察署や市役所と違って埼玉の陸運局は親切心がまったくない、うんざりである。
 今日は印鑑証明を取りに警察署から市役所へ。序でに高額医療費が支給されるとかで相談にゆく。昨年十月のときとうクリニック、川久保病院の入院費の一部、六万円ほどが戻ってくるようである。身障者医療費と高額医療費との関係がわたしには皆目理解できない。いずれにせよ、双方併せて全額還付になるようである。わたしは二重取りを心配していたのだが、杞憂にすぎなかった。
 透析がはじまれば、いよいよ重度心身障害者医療費受給者証の出番である。毎月五十五万円もの金数を、たとえ一時にせよ、負担はできないからである。さらに、駐車禁止で捕まらないための許可証も取得しなければならない。車の減免手続きは毎年自動更新されるのかどうか、気掛かりなことは山のようにある。


2010年02月17日

過ぎゆくもの  | 一考   

 忠告というほど難しいものはない。忠告は心添えとも云い、ふたつのパターンがあるように思われる。ひとつはひとえに愛情に基づくものであって、ひとつは注意や勧告といったニュアンスを帯びたものである。ただし、この分類にはなんらの意味もない。そのようなことよりも、心添えは対等であるとの仮説に基づいて発せられる。おそらく世の中に対等という概念は存在しようがないと思うのだが、論理的に未分化な人にあっては存在するようである。未分化とは文字通りの未分化である。例えば、稼ぐひと、稼がないひと、几帳面なひと、自堕落なひと、万般に対して積極的なひと、消極的なひと、書き出せばきりがないが、およそ対局主義的なものの考え方の一方を選択する人、しない人、それらすべての状態を未分化と名付けたい。
 ウィスキーの香味について「重いの軽いの、臭いのよい香りの、辛いの甘いのといった註文は意味するところがよく分からない」と書いたが、消息は同じで、なにが重くてなにが軽いのか、なにが辛くてなにが甘いのか、その基準はどこにあるのか、一向にわたしには分からない。例えば、シェリー香が強いウィスキーをビギナー向けとは思わない。一般的に云って、ブレンド・ウィスキーは万人向け、すなわちビギナー向けと思っている。要するに没個性的なウィスキーこそがビギナー向けだと思う。図抜けて旨いウィスキーをビギナー向けという方がたまにいらっしゃるが、その旨い不味いそのものが個性なのであって、そこにビギナーという概念を持ち出すのは間違っている。
 シールダイグのラガヴーリンは近年にない傑作とわたしは思っているが、半数の客は不味いとおっしゃる。これはラガヴーリンと馴染みのない方にとっては当たり前のはなしで、いわんやカスク・ストレングスというだけで拒否反応を示す方が多いのも、いかにブレンド・ウィスキーが数多く出回っているかを示唆している。ここ数年のアードベッグを旨いとおっしゃる方も、最近のアードベッグしか飲まれていない方にとっては当たり前のことで、逆にダグラス・レインやゴードン&マクファイルのアードベッグを飲まれてもなにも感じないようである。
 90年代半ばからのディスティラリー・ボトルにしても、それしか飲まれていなければボトラーズ・ボトルを軽視するのも分からないではない。ただ、蒸留所元詰めとは言いながら、ボトリング設備をもっているのは三蒸留所のみ、グレン・フィディックとスプリングバンク、ブルイックラディである。現状では蒸留所元詰めなどと気安く云ってもらいたくないと思っている。

 他との関係、比較の上でしか成り立たない状況に対して忠告というほど大それた、無意味かつ味気ないものはあるまい。掌や一握の砂に価値があるのではなく、大事は指のあいだをこぼれ落ちていった砂のなかにこそある。


2010年02月15日

オークション2  | 一考   

 オークション第一週は三十万円ほど売れた。第二週は十点ほど出品したので、もう少し売上が伸びると思う。出品と同時に百を超えるアクセスが入るようになった。見知らぬ友に感謝している。
 金嵩だけならモルト・ウィスキーを出品すればよいのだが、こちらは商売道具、またはわたしの死を待ち望んでいる方が幾人かいらっしゃる。簡単に手放すわけにはいかない。
 来月から無料出品が五十点に増える。いずれにせよ、二、三箇月はサイクル・パーツの発送に追われる。向かえのクロネコ宅急便の事務員が親切な方で助かっている。こちらはものを運び込むだけ、梱包はあちらが手伝ってくださる。梱包材料費は当方で負担しているが、安いものである。便利な世の中になった。

 話題は変わるが、昨日は身体が異常だった。夕刻、かゆみ止めとロールティッシュを買いに薬局へ、それから買い物にスーパーへ赴いたのだが、脇腹が痛くて駐車場からの百メートルほどが歩かれない。泣くに泣かれず、道端に座り込んで時が過ぎ行くのを待った。帰宅後も寝床からトイレまで歩くのが苦痛である。痛みはいまなお間断なく続いている。為す術がない。


カストリ麺麭  | 一考   

 西明石のときは地酒も置いていたので、少々酒のことも囓っております。神亀とか大七は辛口の代表選手ですが、酒粕ならはなしは別ですね。それにしても酒粕で酵母を起こすとは面白い。さしずめ、カストリ麺麭とでも名付けましょうか。かかる柔軟さが調法にとってもっとも大切な心掛けなのだと思います。
 表面に塩を振るのも結構なアイデアだと思います。づけ丼は無理ですが、醤油を皿に取っての刺身なら大丈夫、少しの塩分でいかに感じさせるかに、またまた調法の極意があるように思うのです。
 楽しみに致しております。


カウンター  | イナミ   

金曜日は、ありがとうございました。カウンター越しにいつもの仲間の顔をみると少しちがった風景を感じることができ、なんだかとてもよい気分でした。
思いつきのお題がシングルモルトに変換されていくのもすごく興味深く、気づくと結構飲んでいたようです。
パン(麺麭というほうがずっと重みがありますが)についても、貴重なご意見に感謝です。無塩にして表面にわずかな塩をふると最も塩分を感じることができるのではないかと思いますがいかがでしょうか。昨日は地元の酒屋で入手した神亀の酒粕で酵母を起こしバケットを焼きましたが、香りが素晴らしく何もつけることなくおいしくいただけました。近々また試作をお届けいたしますので、忌憚のないご意見を賜りたく、よろしくお願いいたします。


2010年02月14日

オークション  | 一考   

 オークファンで調べてこの三年間に見掛けないものを優先的に出品した。ほとんどが6、70年代のカンパニョーロ、ストロングライト、TAなどのサイクルパーツである。内一点はアクセス数が500を超えた。大変な数であるにもかかわらず、入札は半数。オークションの世界までもが不景気なのかと驚いている。
 売れなかったものは一巡すれば再出品すればよいのであって、安売りはする気もない。なにが売れるか分からないので、次回はブルックスをはじめとする60年代の革製のサドルを出品しようかと思う。こちらの在庫は十個ほどだが、輸入元でひとつずつチェックして購入している。ただ、当時は銅鋲を用いているので錆がひどく、磨くのが大事である。
 先日、出品したカンパのトリプルクランクセットは、必要だろうと思ってボトムブラケットも付けた。トリプル用BBには117ミリ(ロード)と122ミリ(ランドナー)の二種があって、そのことに対して質問があった。しかし、これは応えられない質問である。今ではコロンバスのトリプルバテッドが中心だが、昔の自転車はレイノルズのパイプを使っている。フレームの硬度が変わっただけでなく、スケルトンそのものが変わっている。要はコンパクトに短く立ってきたのである。そして問題はエンド幅が広くなったことである。現今のフレームサイズでは117ミリのBBは使い物になるまい。
 かつてのアランやビチューのアルミフレーム同様、レイノルズ531のフレームは柔らかくしなり、素人にも乗りやすい自転車だった。ところが、今では素人がツール・ド・フランスでプロが乗る自転車に乗っている。ちなみに、フロントのアウターは49Tでも下りで100キロまでは軽く踏める。わたしは46Tを使っていたが、それでも平地で60キロまでは大丈夫である。選手が使うような53Tは脚を痛めるだけである。それでなくてもフリーとチェーンが発達し、枚数も増えた。大きな歯数を用いるのでなく、脚の回転数を上げる訓練をする方が真当である。


吝嗇  | 一考   

 二人連れ来店、這入ってくるなりランチの話をしている。安いランチを探しているらしく、五百円からはじまって四百円、三百円、それ以下のランチへと話は進む。五十円のランチがあっても一向にかまわないのだが、聴けば聴くほどに中身というか内容の話がなにひとつ聞こえてこない。維新号(もっとも高価なディナーは六万円)や天一のディナーが五千円になるのなら安いだろうが、三百円で儲かる設定になっているものを値付けだけで安いとは云えない。中身と値段は相対的なもので、中身を切り捨てて値だけを問うのなら、ですぺらは切り捨てられなければならない。随分と前のはなしだが、余市を置いた。あれはですぺらの原価計算なら一杯三百円になるが、当店は安売りが目的の店ではないので、以降余市は置いていない。バランタイン、シーバス、カティーサーク、ジョニー・ウォーカーもしくはアーリータイムズ、フォアローゼスなどの売価は二百円にも満たない。千円ウィスキーを三、四十種類ほど置いて全品百九十円の方が儲かるかもしれないが、そのような店の営業は蒙御免。
 ホワイエのマスターが屡々来られるが、知己がカクテル百九十円の店をはじめたらしく、大層混雑していると聞かされた。そのホワイエはカクテルを止めてモルトウィスキー一本に営業方針を改めたいといっておられた。こういう不景気なときこそ原点を大事にしたいともおっしゃっていた。それにしても、赤坂に相応しい十の店について話し合ったが、その内の数店はすでに閉店している。老夫婦が営まれるジョーク(未だに真空管のアンプを使っている)などは何時までも残ってほしい店なのだが。
 さて、件の二人連れが帰ったあと、愕いた。ですぺらのカウンターは大谷石なので、小さな穴が無数にあいている。その穴へお絞りをちぎって埋めていたのである。爪楊枝で穿って元に戻したが、カミュの「シーシュポスの神話」を思い起こした。吝い部下を持つ上司の溜息が聞こえてくるようである。


山小屋の仲間  | 一考   

 まず、ご参加くださった山小屋の仲間たちにスランジバー。途中から興に乗り、偲ぶ恋、失われた時を求めて、老いらくの恋等々、モルトウィスキーの註文までが、感情豊かな悲恋ものに変わった。というか、悲恋のみが大きな感情の振幅を内包する。
 わたしはかような概念的註文が大好きである。重いの軽いの、臭いのよい香りの、辛いの甘いのといった註文は意味するところがよく分からないのである。例えばヨード香、ピート香、スモーキーは各々異なる香りである。スキャパのようにピート香はないが、ヨード香を持つウィスキーもある。そのヨード香とピート香を識別なさる女性がいらしたのに愕いた。いずれにせよ、概念的註文を受けると幹郎さんのいう物語が立ち上がってくる。そこにこそ、ウィスキー飲みの醍醐味がある。
 初手は柔らかく、爽やかな喉ごし、馥郁たる香りを持つものの、気づけば後になにも残らない、ダフタウンやシングルトンもそういったウィスキーである。特にシングルトンは一級の悲恋ものとしてわたしは高く評価している。
 
 イナミさんお手製の麺麭は旨かった。無塩だとそのもみなさ(もみない=味気ないの意)にバターを多量に用いる。従って塩分一グラムの減塩麺麭の方が結構と思った。たくさん焼いてきてくださったので、次の日は終日麺麭を囓っていた。久しぶりの麺麭の感触に涙する。
 ナカザワさんのハーブオイルはにんにくの香りが強く、麺麭には不向きと思われたが、炒めもの、特にパスタには最適、併せて感謝する。
 聞くところによると、山小屋に麺麭工房を造るようである。釜は大谷石、いよいよ嬬恋村も忙しくなってくる。


2010年02月09日

限定本  | 一考   

 かつてNさんの限定本を企画した。挿絵はUさんにお願いした。NさんもUさんも亡くなり、企画はそれきりになった。先日、わたしの誕生日にPさんが現れ、あの本を造りたいと仰言る。問題はふたつ、ひとつは綴じ込み本をわたしは造る予定だった。版画は単品だと高いが本文に綴じ込むと挿絵となって安くなる。しかし、綴じ込みだと数物製本では間に合わない、例え数物であっても、少なくともルリュールの心得のある方の製本でなければならない。
 いまひとつは、Pさんが代金のことを口になさっていたが、あまり安く売ってUさんの他の画が値下がりするようでは困る。これは大きな留意点である。
 わたしの余命はいくばくもない。従ってPさんのような奇特の士が現れるのは嬉しい。企画を練り直してもらえないだろうか。


珈琲  | 一考   

 福原のすぐ横、多聞通に上島珈琲があった。木造家屋だったのを昭和三十五年に立て直し、神戸本社ビル(現UCC第1ビル)となった。山本六三さんが珈琲好きで、珈琲豆を買いに日参していた。焙煎はじめ、いかにうるさい注文であっても、店員は快く応じてくださった。
 ミルを股で挿み、がりがりと挽くのである。西明石のですぺらには古い鉄製のミルが大小取り混ぜて四、五台飾っていたが、あれは当時のなごりである。とにかく、山本さん共々、珈琲にはこだわりを持っていた。どこの喫茶店へ行こうとも、ブレンドの豆の配分が手に取るように透けて見える。山本さんはブルーマウンテンかキリマンジャロ単品がお気に入りで、漆黒の濡れたような輝きを持つ、深煎りを好んだ。シングルモルトに嵌る素因はすでに当時から醸されていたのである。
 そんなことを思い出したのは、先日知己に罐珈琲を出したところ、ブラックしか飲まないのでと断わられたからである。罐珈琲は出来合いであって、大量生産されたものである。微妙な香りなんぞ楽しむためのものではない。わたしもちゃんとした珈琲ならブラックで飲む、しかし罐珈琲なら何でもよいと思っている。運送屋で働いていた頃、職場の自販機に牛乳屋のミルク珈琲というのがあって、冬の早朝それを飲むのを楽しみにしていた。
 書物でも同じである。マスプロ出版で拵える本の装訂なんぞ、なんでもよいとわたしは思っている。逆に云えば、綴じ糸に麻が使われていない書物なんぞ糞食らえである。無線綴じや網代綴じの本を手に装訂がどうのこうのというのはまさに笑止。
 ああ、云われたばかりなのに、また悪態をついてしまった。


風景  | 一考   

 花柳界では女性客は嫌がられる。その理由のひとつが風景に溶け込まないからである。女性はどのような場にあっても自らの立ち位置を探し出してきて主調する。抽象化された、すなわち濾過された話題にはついていかれないのである。もしくは年端もいかない芸妓から風景のように扱われることに堪えられないのである。まるで見下ろされているかのごとく錯覚するのであろうか。
 個と個のあいだにあって、分離はあっても対等はないとする考え方をわたしは福原で学んだ、例によってちょんの間である。浮世風呂の一時間は四十分、ちょんの間のそれは二十分である。わずか二十分の交接のあいだに、男は思いの丈を吐きだし、女は男の思いを眺めやる。おそらく、ここには愛と名付けられるさまざまな種類の思いと行為が凝縮されている。
 「仮象と客観的な実在性とがさかしまになっていた」と書いたが、いつも女は風景を眺めている。きっと、受け取るお足すらがひとつの風景だったに違いない。この消息はジュネのような男色家にとっても同じだった。男にしてからが、排泄と同時に逸るこころは鎮められ、一瞬の後には「ばつの悪そうな、済まなさそうな顔」に戻って立ち去ってゆく。
 前述した女性客が持つ主体性を娼婦は持たない。もっとも、眺めるという行為も一種の主体である。しかし、能動的な主体ではなく、著しく静的な主体である。娼婦には選択も参画もない。あるがままに過ぎゆく行為を眺めているだけである。まるで神のように。

 理屈が優先されるのがわたしの癖で、立ち位置を探しているのはわたし自身なのかもしれない。知己から悪罵は書くな、主観を除いたところに悲しみが派生するといわれた。表現の骨幹を端的に示唆されたようで、身震いした。感謝する。


2010年02月08日

通用しなくなった為来り  | 一考   

 お茶屋では仕事、経済、政治のはなしは禁句である、時として趣味のはなしすら。お茶屋に上座、下座はあっても、みなさん常連であって平等に扱われる。それでなくとも、人品に上下などあろうはずがない。従って仕事のうえでの上下関係は無視される。花柳界はどこまで行ってもフィクションの世界であって、それがいやなら席へ上がらなければよいのである。
 スナックやクラブは水商売ではないのでお茶屋とバーを一緒にできないが、仕事に関するはなしは極力避けるのが無難である。そのための共通の話題として当店ではモルト・ウィスキーがある。とは申せ、吉行のような遊び人はめっきり寡なくなった。飲み屋へまで自分の世界を引きずってくる方がいらっしゃる。飲み屋はしがらみから離れ、ひとり静かに酔いを愉しむ場であろうに。
 昔、なぜワーさん、ターさん、ナーさんと名前を呼ばずに符丁で呼んだかといえば、名前だと現実に引き戻されるからであった。時計がないのも同じ理由である。里ことばも同様で、芸妓に出自は無用である。祇園に就職(置屋に所属すること)した若い女性が雲と蜘蛛、箸と橋、雨と飴を同じ発音にするに腐心していたのを思い起こす。
 フィクションの世界と書いたが、パーソナルな部分を捨てた、謂わば人形劇の世界をわたしは花柳界に視ていた。裏側では集娼や散娼、または黴毒や麻薬などが蠢いていたが、お茶屋の席もしくは花魁(これこそ一緒にならないが)というものは、そうした雑事一切に関わりなく、常に美しく輝いていた。「夢こそ真」ではないが、あの世界では仮象と客観的な実在性とがさかしまになっていた。その危うさに少年がどうして惹かれていったのか、そこのところを描きたいのだが、思うに任せない。
 いずれにせよ、苟且の場とはなにかと、いまにして考えさせられる。大切にとはしかるべき距離を指し、諛いとは一足飛びに相手の胸元へ蹴りを入れることに他ならない。距離をなくしてひとときの囲いは提供できない。


でんぷん米  | 一考   

 昨日、ヒデキさんがMさんからと云って、マンナンライスをお持ち下さった。去年の七月、メーカーは違うが、でんぷん米をはじめて食した。人間の食い物ではないというのが、その時のわたしの印象だった。たしか掲示板でも書いたように記憶するが、外米と同じで炒飯や雑炊もしくはカレーライスに向いているとも思った。
 でんぷん米と書いたからには製法は同じなのであろう。しかし、何のでんぷんかでおそらく香味も違ってくるのだろう。 コーンスターチと小麦粉でんぷんで作ったものを食べたのだが、今回のマンナンライスは菎蒻、すなわち芋である。このところ、LGC米ばかりで、でんぷん米からは遠ざかっていた。折角のMさんのご好意を無にすることはない、再チャレンジしてみようと思う。何事によらず、印象が変わるというのは実に楽しいことである。


タンゴール  | 一考   

 「雨過ぎて雲破れるところ」を読んだ時のことを思い出します。2008年09月24日に掲示板で書きました。「生きなくっちゃ。夢なんか見ている暇はない。という息せき切った思いが、山のあちこちにみなぎっている」との幹郎さんの言葉がわたしを熱くさせます。
 イナミさん、ナカザワさんにもお世話を掛けました。いよいよ動かれない身になりつつありますが、山小屋のはなしは幹郎さんから伺っております。
 清見自体が交配種ですが、デコポンの母御ですね。先頃、親しくしている編輯者が来店「カツ丼や焼き肉を食べたくならないか」との訊いに「欲しいのはオレンジジュースかアップルジュース、それも腹一杯」と応えました。それほどに柑橘類や林檎はわたしにとって手の届かないものになってしまいました。
 チレ・セラーノ(Chile Serrano)はさわやかな酸味が特徴の青唐辛子ですね、あまり辛くないとの印象を持っていますが、おいしそうなハーブオイルですね。さっそく試してみましょう。糖尿ではないので、エネルギーは糖分と油分で補っています。従って、ハーブオイルは有り難く頂戴致します。


2010年02月06日

初メールで失礼致します  | ナカザワ   

以前、山小屋でお会いしました地元のメンバーです。
関さんから伺いましたが、私の使っているハーブオイル(無農薬のチリセラーニョ・ローズマリー・ニンニク入り)が、パンに塗ったり、炒め物に良い味を出しますので使ってみては如何でしょう。
関さんに持っていってもらいますので、ご試食下さい。


2010年02月05日

パン  | イナミ   

山小屋メンバーのものです。
関さんからお話のあったパンの件、12にちまでに少しだけですが研究してみます。オレンジピール、おもしろいアイデアです。自家製のもの(清見タンゴール)があるので早速作ってみます。減塩パン、乞うご期待!!


第一回鍋句会のお誘い  | 一考   

今般、中村裕を主宰として、ナベサンに於いて句会を始める事になりました。広く参加者を募ります。

一、経験の有無、性別、年齢、不問
一、提出句は有季無季、定型不定型、不問。但し俳句である事
一、自由題(雑詠)にて五句、当日、提示の席題にて一句
一、参加料無料、飲代のみ、花代可

 主宰・中村裕 勧進元・渡辺ナオ

 日時 2月9日(火)夜7時半〜
 場所 ゴールデン街 ナベサン 電話03-3208-0627

中村 裕さんは1948年北海道生まれ。三橋敏雄に師事。フリーランスの編集者、ライターとして活躍。句集に「石」、著書に「名句で味わう四季の言葉」「やつあたり俳句入門」「俳句鑑賞450番勝負」など多数。


2010年02月04日

ですぺら貸切  | 一考   

 来週の金曜日(12日)、ですぺらは貸切になります。佐々木幹郎さんと山小屋の仲間たちのパーティーです。

 関さんへの伝言です。昨年の七月以来、療養食なるものを食べていますが、飽きてしまったのです。あまりの拙さに食欲不振で、そちらからの解放もあって透析を今月中にはじめることにしました。ところで、かつて赤坂のパン屋をまわった折、食塩を減らせばもみないパンになる。それよりも食する量を減らせばどうか、と逆提案されました。正論で、食事量が減ったいまなら納得がいく意見です。
 例えば、わたしは一日二食ですが、肉饅だとひとつ食べれば半日は大丈夫です。腎不全用の肉饅もあるのですが、ひとつだけなら中華屋の肉饅を食するに如くはなし。この伝でいけば、大概のものは大丈夫ではないかと勝手に判断しています。大食漢の方には申し訳ないのですが。
 パンにはなしを戻しますが、一部のパン屋さんは生のオレンジの皮を磨りつぶして塩の代わりに使っているようです。でもこれだとカリウムが禦がれません。そこで、一般で売っているオレンジピールならいかがでしょうか。生ほどの香りはありませんが、ごく僅かカルダモンを追加してやればいけそうな気がします。そして食パン程度の塩(バゲットに換算して二グラム以下)だといかがでしょうか。期待しております。


吉祥古書店  | 一考   

 「書物の整理の件ですが、お役に立てるかどうかは判りませんし、また東京のそれも専門店の方が便利で安心で高価とは思われるものの、もしそれら馴染みの店でどうにもならない本がありましたらどうぞ小さな古本屋の戸を敲いてみてください」との挨拶を添えて、神戸の荻野勝さんからメールがあった。
 荻野さんはコーベブックスのお客さんで、神戸の拙宅へ来られたことがある。探偵小説をよくする読書家で、当掲示板をご覧になる方には垂涎ものの古書店である。ぜひ紹介しておきたい。書肆風狂を改め、現在では吉祥古書店と号しておられる。URLは以下のごとし。

 http://homepage2.nifty.com/huni/

 荻野さんには取り合えず、ハヤカワポケットミステリーを整理していただこうかと思う。初期のものばかりだが、二百冊余蔵している。


2010年02月03日

サンリオ文庫  | 一考   

 生ける屍、深き森は悪魔のにおい、アバ、アバ、キングとジョーカー、猫城記等、計48冊のサンリオ文庫が拙宅に在る。もう少しあったと思うが、取り敢えずそのようなところ。
 おっきーさんからデジカメを拝借できたので、このところ、持ち物の整理をはじめた。とにかく拙宅にはものが濫れている。そして、雑誌(約三千冊)や文庫本(約一千冊)は出入りの古書店では金にならない。自転車のパーツはオークションで処理をはじめたが、こちらは月に十点しか出品できない。五百点はあろうかと思われるので、業者登録が必要である。登録費用は月間18000円。
 いままで、書物が常に転居のネックになってきた。昨今はやりの空調設備の整ったレンタルルームならいざ知らず、コンテナの類いに詰め込んでで多くの書物を駄目にしてきた。そして阪神淡路大震災では蔵書の中枢を一万点ほど失った。爾来、三村竹清の嘆きがよく分かるようになった。
 いずれにせよ、目の前に陳べることができない書物は蔵書にならない。これに関して幹郎さんの意見は正しい。糅てて加えて、わたしは極端に視力が弱くなった。ぼちぼち店仕舞の季節(書物であって飲み屋ではない)である。
 先日は上田敏、矢野峰人、蒲原有明、薄田泣菫が関係する雑誌を各一口で売却。このあたりだと出入りの古書店でも取り扱うようである。過日、近松秋江の一口が右から左へ売れたので店主は自信ありげである。日夏耿之介、平井功、正岡容が関係する雑誌も一括で売ったが、サバトは買い叩かれた。店主曰く、復刻が出たからね。誰があのようなものを拵えたのでしょうねェ。
 流行りの古書店ならいざしらず、わたしが馴染みの古書店では幻想文学関係は金にならない。一冊、十円とか百円にしかならないのである。上記サンリオ文庫は金高にはまったく這入らない。とはいえ、オークションは面倒である。そこで、病気見舞いを兼ねて高値で知己に買っていただきたいと思っている。

追記 
 さっき眼鏡が壊れた。幹郎さんから頂戴した眼鏡があるが、わたしは幼少の砌から淫乱の気があって、老眼だけではあまり役に立たない、新調しようかと思う。


インプレッサは雪の中  |  一考

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 一昨夜、雪に気付いたのは八時。マスタングはFRで、しかもタイヤはミシュラン、雪道は走られない。川越街道から17号バイパスへの道は毎年何度かアイスバーンになる。降雪の具合から十時までが限界と判断する。駐車場へ走るも、車はすでに雪の中、十分な暖機を取らないと窓の曇りが取られない。走り出したが、みなさんのろのろ運転で一向に捗らない。池袋までは極力飛ばしたが川越街道はひどく吹雪いている。大山市場の交差点も毎年凍り付く場所だが、道はシャーベット状態、タイヤにごつごつした感触が伝わってくる。
 山形での氷上運転の訓練を想い起こす。氷上では四駆もチェーンもなんの役にも立たない。車の立て直しはアクセル操作だけである。なにかしら嫌な予感に襲われる。ぐんと速度が落ち、車間距離が開いてゆく。17号バイパスの入り口は大丈夫だろうかと気が気でない。
 17号バイパスの入り口は前後が遮音壁と高速道路で囲まれているが、中央部だけが吹き曝しになっている。そこに路面凍結注意の看板、分かっているのだからなんとかしろと云いたくなる。17号バイパスの入り口部分を抜けると笹目橋だが、ここから先は高島平から回り込む大型トラックが走っているので余程の降雪でないかぎり大丈夫である。
 帰宅は恰度十時、今回は無事だったが、いよいよインプレッサの車検が近づいてきた。しかし、タイミングベルト、ウォーターポンプ、ドライブブーツ、ブレーキディスクの研摩、ガソリンタンクの洗浄、右後部窓ガラスのモーター、左サイドミラーのモーター交換など、車検と併せて最低でも二十五万円ほど必要である。車は四、五万円で買えるが、走れば走った分、維持費がとんでもなく掛かる。さて、どうしようか。


2010年02月01日

数値表  | 一考   

 山崎医師が血液検査の推移が一目で分かる数値表を作ってくださった。それによると、尿酸、ナトリウム、カリウム、血糖などが標準値にまで下がっている。確かに食事制限が効いているようである。特にカリウムは生野菜や果物に大量に含まれているために、制限が非常に難しい。水漬けのフルーツ罐を無理をして食しているが、カリウムが減るのはいささか嬉しい。
 このところ、日常生活が二進も三進もゆかないので、血液検査表がわたしの唯一の話相手となっている。などと書けばお寒い限りだが、いまのわたしに必要なのはどのようなことでもよろしいから自信をつけることなのである。カリウムが減っている、それだけでエッヘンと威張りたくなる。それが内弁慶だというなら甘んじて受けようではないか。
 山崎医師からカリメートを減らして活性炭を増やす、もしくは活性炭だけでもよいかもとの指示を受ける。早速、そのように書き直した処方箋を頂戴する。わたしは医者ではないが、自らの病症についてあれこれと思いを巡らしたい。考えることによって少しでも客体化できるからである。
 ここまで書いて外を覗くと雪、帰られなくなるので今日は早仕舞である。


如何でもよいこと  | 一考   

 「最後の鍋会」の後半はちょいと難しく書いた。理由はこれ以上ひとを傷つけたくないからである。しかし、病人が感じる疏外感はわたし個人のものではないだろう。繰り言がどなたかの役に立つかしらとも思う。
 例えば、風呂へはいるとさまざまな問題が生じる皮膚疾患に罹った場合、苦痛を避けようとして風呂から遠ざかる。しかし、回りは疾患に罹ること自体が非衛生にしているからだと憶測する。湧いているよ、這入んなさいよ、旺んに薦めるが、それで駄目なら、たまさか入浴した際に、やはり気持いいでしょ、無精髭はない方がいいよ、男前があがったねなどと褒め上げる。しかし、これは鬱病のひとに頑張れと言い続けるのと同じ効果をもたらす。この場合の「頑張れ」は気にかけているもしくは気に病んでる、同情しているとの意思表示なのだが、これが患者にとっては新たな苦痛のたねになる。ひとに迷惑を掛けて生きているといった種類の自覚ないしは自意識が患者のなかでいやまさり、一段と鬱を昂進させる。要はデフレのスパイラル現象と同じである。
 基礎疾患に限らないが、ひとつの病はさまざまな症例をもたらす。わたしのような慢性腎不全の場合は血液が異常になるために、なにが起こるか予測不能になる。そのような場にあって成因論は意味をなさない。なぜ罹患したかではなく、いま出来ることはなにかが問われなければならない。ひとつひとつの病例に則した薬物の種類と量が必要になる。よって、当方の心掛けも症例に応じて揺れ動く、対応するに精一杯で、まわりへの気配りは疏かになる。ところで、気配りというものは双方向ではじめて成り立つものである。気配りが方向性を見失ったときの結果は明らかである。
 以上は気配りが病を進行させる典型なのだが、この構造は看る側、看られる側の双方に通じる。どちらかが諦めるまでつづく構造なのだが、諦めた時は双方の関係は新たなディメンションに立ち至る。
 「鬱病」はかつて「怠け病」と揶揄されてきた。そしてあらゆる病気は鬱病同様、怠け病と解されかねない症例を抱えている。「今回の病症から感じる疏外感を顧みて、鬱病と同種のものを嗅ぎ取った」と書いた内容のほんの一部だが、ここから先は書きたくないので以下削除。

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