レイアウトが崩れる方・右メニューが表示されない方: >>シンプル・レイアウトへ

« 2008年11月 | メイン | 2009年01月 »

2008年12月 アーカイブ


2008年12月30日

ナオさんふたたび  | 一考   

 このところ、ナベサンのナオさんとよく会う。よく会うと云っても逢引をしているわけではない、足繁く通っているのである。ナベサンには先代の頃から詩人と映画関係者が多く、先夜も詩人達がいた。詩人というのは詰らない話をすると述べたことが契機になってナオさんと詩について語らった。以下、ナベサンの営業妨害はしたくないので氏名は伏せる。
 彼女が取り出す詩集のほとんどを私は知らない。地方で出された私家版と思しきものばかりで出版社名も定かでない。早い話がプロレタリアート詩なのだが、なるほど彼女の好みにはそれとなく統一された雰囲気が漂っている。唄でいえば原田芳雄の「生きてるうちが花なのよ・・・」「横浜ホンキートンクブルース」、浅川マキの「裏窓」「夜が明けたら」のような自暴自棄なムードが色濃く醸し出される。
 詩のはなしなんぞ、彼女とははじめてである。この種の詩には垂れ流しが多いのだが、大上段に構えた社会的な作品を避けて個の呻吟濃厚な詩を的確に拾い上げてゆく。彼女は身体で文学を語る、その感覚にかなわないなと思う。修辞ではなく、考えるでなく、より皮膚感覚に近い研ぎ澄まされた裸の神経回路を彼女は持っている。そのような回路に私ごときが太刀打ちできよう筈がない。ゴールデン街を十八年間流浪うと、いま在ることの切なさがかくまで明確なかたちで迫ってくるのかと思う。「まえだのババア」の貫き乱るがごとき猛々しさは彼女には微塵もない。正気も本気も狂気もなにもかも呑み込んで顔色ひとつ変えない、そんなニヒリズムが彼女の立ち居振る舞いのそこかしこに匂う。
 かつて「襟を抜くのを去なすというが、年長者のしたり顔をあしらうときの軽みには色気すらある。三十路前半ながら、おそろしくきめの細かい人生を送っている。きめが細かいとは気配りを指し、気配りとは存在の相対化を言う。まるで安保の時代が今様の服をまとって顕れたようで、ある種の懐かしさを憶える。遅れて生れてきた人種のひとりで、時代を取り戻そうとして気を揉んでいる。「遅く生れた」ひとはみな生き急ぐ、その困しみは一種のはがゆさに色彩られている。彼女もまた、あきらめを嘆きの霧の道しるべとするのだろうか」と書いた。この「嘆きの霧」は万葉集の「沖つ風いたく吹きせば我妹子が嘆きの霧に飽かましものを」である。溜息が生じさせる霧の奥ゆかしさと深い失意が私を捉えて離さない。

 ナオさんの実姉HALさんはゴスペルシンガーだが、今月アルバム「 I sing becouse」をリリースした。妹も楽器をよくする。そして彼女の唄に私は魅了され続けている。無料でナオさんの唄を聴くことができる、それを愉しみに私はゴールデン街へ通う。

 本年最後の書き込みである。三十一日は例によって来ていただいたお客さんと豊川稲荷へ初詣、そのあと私はゴールデン街のナベサンへ飲みにゆく。花園神社で楽としたい。


2008年12月28日

ライダー  | 一考   

 「こんな寒い日にバイクはないでしょう。笹目橋の上でカチンコチンに凍てついて死んじゃうよ」と云われてしまった。伝説の編輯者でなくなって、正真正銘伝説のライダーになるとかで、それも悪くないなと独り言ちた。今年は防寒具を買ったので比してましなのだが、去年は防水処理も施されていない薄い皮ジャン一枚でよくぞ押し通したものだと感心する。たとえ一年にせよ、あの頃は若かったとしか云いようがない。
 合羽を着ていても袖口や襟元から雨が浸入してくる。寒さが冷たさになってちぎれるような痛みに変わってゆく。雨天は無惨である。普段よりも前方に着座位置を変える。ハンドルに力を入れて上体を曲がる側へ突き出すように走る。速度が落ちるのは覚悟のうえで、一段低いギアを使う。それもこれも顛倒を防ぐためである。
 わが家に辿り着いてバイクを降りる、濡れそぼちつつ戸口でしばし彳む。ちぎれるような痛みが冷たさになりやがて寒さが襲ってくる。人であることを、生身であることを取り戻すための儀式のようなものである。合羽を脱いで濡れた体躯をタオルで拭き取る。この拭き取りで手抜きをすると風邪を引くことになる。
 私がなぜバイクに乗るのかは、それがもたらす極度の興奮と緊迫感にある。まるで本を読んだり著すのと同じである。詩であろうが、短歌であろうが、俳句であろうが、日常雑記であろうが、著されるのは著者の思想であり息吹であり個々の肉体の搏動である。形態が変わるからといって著者が変わるわけはない。また立ち位置が変わるわけでもない。表現の対象は自分を除いてどこにもない。そして人は複数の自我を内包する器用さを持たない。例え持ち得たにせよ、その対立項は、より高次の総合概念の契機となる。結果としての個人は直接的、抽象的なものではない。個人はより普遍的で、かつより具体的なもの、具体的普遍だと私は思う。そうとでも思わなければこの濡忍を生きて行かれない。


2008年12月26日

もうひとりの就職  | 一考   

 当店にはM編輯長が二名いらっしゃる。編輯子も入れれば四名になる。同様に佐々木さんは三人、鈴木さんは二人いらっしゃる。2008年06月の「口籠りてはきとは聞こえず」はその鈴木さんについて書いたのだが、佐々木さんから出版社を営む鈴木さんと間違えられた。であるからして、一方の佐々木さんは幹郎さん、「口籠りてはきとは聞こえず」の鈴木さんはケンちゃんと呼ぶことにする。ケンちゃんといっても洗濯屋のそれではない、東大出の土木工学のケンちゃんである。客商売を営んでいてケンちゃんもなかろうと思うのだが、そんなことで怒るケンちゃんではない。しかし、いささかの遠慮があるのでケンさんにしよう。
 一昨夜はクリスマス・イヴ、そんな日に店が坊主ではあまりに情けない。落ちこんでいたときにケンさんが女性を伴って来店。お客さんはそれだけだったが、おかげでゆっくりと話ができた。ケンさんは店があまりに暇なのに仰天、昨夜ふたたび来られた。なんでもご子息がバーテンに憬れているとか、しかるべき学校を紹介したのだが、学費が百三十万円と聞いて呆れ返った。運転免許を取得するのに学校が必要かと問われれば必要ないと答える、バーテンになるのに学校はさらに必要ない。その種の学校を私はニッチ産業の一形態と思っている。
 バーテン修行でもっとも困るのが調理である。オードブルから軽食そしてデザートぐらいはこなせなければならない。どのように考えても、調理師からソムリエそしてバーテンの世界は一直線に結びついている。どこからはじめるかは勝手だが、やはり難儀なものからはじめるのが順当ではないだろうか、とすれば調理師である。ヒロユキさんの就職について掲示板で書いてきた。ご当人にその覚悟があるのだろうか。


2008年12月25日

紫陽花と止揚花  | 一考   

 川津さんと夢にかんするメールの遣り取りをしていて、「色は色を否定する。しかし紫陽花は渡ってきたすべての色を紫陽花として生きることで肯定する。 だからこそシヨウカなんだ」と」というくだりがあった。「シヨウカという言葉が 「止揚花」となり、目が覚めました」と続くのだが、この「止揚花」には驚かされた。いうまでもなく、ヘーゲルのアウフヘーベンを指している。
 彼女はいつのまにこのようなアナロジーを駆使するようになったのか。詩人おそるべし、と思った。このところわけがあって情念について書き継いできたのだが、見事に先読みされたようである。
 「紫陽花は渡ってきたすべての色を紫陽花として生きることで肯定する」それにしても美しい言葉である。詩はこうでなければならない。彼女の詩はいささか観念的というか頭で拵える詩が多い、言い換えれば視覚に捉われて自ら作り出すイメージに翻弄されている感がある。だからこそ、作品を意識しない、このようなさりげない場面にあって本領が発揮される。のんちさん、これを詩精神というのですよ。


ジャパン・アヴァンギャルド  | 一考   

 かつて催されたジャパン・アヴァンギャルド(アングラ演劇傑作ポスター展)が渋谷パルコで再度開かれる。会期は12月31日から1月5日まで。1月1日には寺山修司実験映画新春特別上映が併催される。蝶服記、ローラ、審判の三作品です。
 店に招待券を用意している。希望される方はお申し付けください。


2008年12月24日

呪われてあれ  | 一考   

 「明けましておめでとうございます」は論外として、「よいお年を」が私には云うことができない。それを口にすると悲しくなって泣き出してしまうのである。小学生まではよかった、だが中学校へそれも高学年になってからは云わなくなってしまった。
 今年もあちらからこちらから喪中につき年賀は遠慮するとの手紙が送られてくる。どうして喪がその年だけでお仕舞いになるのかそれが私には分からない。礼儀だけなら、そのような手紙は出さない方がいいに決まっている。私の母は今年死んだが、それと賀状を出す出さないはなんのかかわりもない。前項で書いた事件にしても、保健所で殺されたチロを覚えているはずがない、怒りはそのように続くものではない、というのが大方の意見である。しかし、それをしっかりと胸のなかへ刻み込んでいるひともいる。
 自らを振り返ってよい年などあったのだろうか、と思う。それでなくとも、私のまわりには自殺者が多かった。ひとは死ぬと同時に他人になる。同時に、口にこそしないが、こころの友になる。ひとひとり死んで私より悲しむひとは多くいる。だからこそ、口にできないこころの友なのである。悲しみはいやまさるばかり。その憤りも私の大きな情念のひとつである。
 前の店では店のドアを閉めてエレベーターのドアが閉まりかけた瞬間に「よいお年を」という。頭を垂れたまま涙が濫れてくる。その涙を拭き取ってから、なにごともなかったように店へ戻るのである。ひとには云わなければならない、だが、誰が自分のために「よいお年を」などというものか。


「宛先のない小包」  | 一考   

 破滅と自己顕示とは常に寄り添っている。このところ起きる事件を見つつそのように感じる。因果関係はことごとくが私忿であり、そこから生じるトラウマである。アナウンサー、リポーター、キャスター、コメンテーター、アナリストと称する人たちは事件の裏を探ろうとして、そこになにものも存在しないことを知って愕然とする。例えば元事務次官の殺害に関して政治的背景やテロリズムを端倪するも、幼少期の保健所による犬の死が理由だと聞かされて、その虚しさに嗟咨する。
 しかし、と思う。放送に携る人たちは自らの知を切り売りするのが商売である。その高踏と思われる知識が逆に目眩ましになっていることに彼等は気付かない。知識が邪魔をしてひとの情念が読み解けないのである。
 私は義務教育しか出ていないので、安保世代でありながら学生運動のなんたるかを知らない。それが幸いして、私忿をポリティカルに飾る術を持たなかった。だからこそ、憤りとは個にまつわるものであり、どこまでも私事に由来するものだといまだに信じこんでいる。
 自意識の発育過程で周囲に示す反抗的態度、自ら存在することへの憤り、反抗期の八つ当りほど謂れなきものはない。何に対して怒りが湧いてくるのか、またその怒りをどこへ振り向ければよいのか、ことごとくが理不尽であり、謎であり、ただただ困惑するばかりである。それら宛先のない怒りを私は私忿と称している。小泉某にしたところで、殺されたのが犬であろうが、猫であろうが、兄弟であろうが、親であろうが、自分であろうが同じことである。また殺める対象が元事務次官であらねばならぬ理由はどこにもない。ただ、厚労省の職員名簿の閲覧を禁止したのは役人の自意識過剰であって、臑に傷を持つからに違いない。次は私かという擬似被害者が十人、二十人いてもおかしくないのである。
 安保世代はそのポリティカルな粉飾を情念の名で呼んだ。デカルトは体に起因する心の乱れと解した。それは共に間違っている。デカルトの時代にあっては対立概念だったものが、今日では包括概念になっている。また安保世代は修辞法を組織論に応用したに過ぎない。私にいわせれば、国家権力、国家体制、警察国家、官僚政治等々、いくら修辞を凝らしてみたところで、私忿であり私怨であることに変わりはない。その素裸の私忿、私怨をこそ私は情念と名付けたい。前述したコクトーのいう「宛先のない小包」である。情念とは目には見えない透明な膜に蔽われた憤りであり、愁いによりその淵に凍りついた鏡のような絶望そのものだった。


偏向  | 一考   

 佐々木幹郎さんから読んでいい作品があればどんどん評価すべきと強く言われた。私もそのように思う。玲さんについて重ねて書いたのは幹郎さんの言葉に共感したからに他ならない。過日、川津さんの詩を嬬恋村まで持参したこともある。その原稿に幹郎さんは丹念に朱を入れてくださった。それは私にとっても勉強になる。
 先月「自意識」で「現世の評価などいかほどのものであろうか。現代の詩人はそのようないかがわしいものを求めて詩を著すのであろうか。結社や同人に属し、関連行事や出版記念会で顔を繋ぎ、当たり障りのない挨拶を繰り返すのが自らの価値を定め高めることだとでも思っているのだろうか」と書いた。昨今の若手は年長者の顔色を窺う、もしくは対抗しようとする。どちらに転んでも、それでは駄目である。より超然と構えるべきと思う。真に必要なのは比較しようのない場に行かざるを得なかった作家である。月並かもしれないが、女性を知らない男、男性経験のない女性、もしくは性的なものからスポイルされたひと等々、ある意味ある部分、世間から隔絶されるのが大切な場合だって有り得る。
 生活環境が許すなら空想の世界、妄想の世界だけを生きたところで、一向に構わない。私の知己で二十代に結婚したものの、僅か四、五日で嫁いだ北海道から神戸へ逃げ帰った女性がいた。曰く「夜な夜な男が私の寝室へ潜り込んでくる、あれは何なの、一考さんどう思う」と。これでは嫁として失格である。結婚について恋愛について、もしくは生活そのものについて事前の話し合いが不足していたか、常識というものが端から欠落していたかであろう。他方、彼女はすぐれた言語感覚を持つ詩人だった。だからこそ、問題はその偏向が作品を著すこととどのように結びついているかにある。
 ひとの精神はなにかしら不自由であって、どこかしら疾んでいる。そしてひとは死ぬが、作品は遺される。そこまで行かなくても、著すことが「自分の生き死にとって必要だと痛感」される場合もある。おそらく、作家とはそのような存在なのである。あとはその偏向に相応しい理解者が得られるかどうかに掛かっている。もっとも、そちらはそちらで別なる問題を抱えているが。


就職2  | 一考   

 ヒロユキさんが初日から包丁を持っているらしい。馬鈴薯と人参の皮むき、それと天麩羅の下拵えをしたとの連絡が入った。これは吉報である。初日から包丁を持つなどは普通ではあり得ない。紹介者kioraのシェフ中原さんの尽力によるものである。彼の就職に関してはさまざまなひとを煩わせた。詳細は明示しないが深く感謝したい。


2008年12月23日

玲はる名さんについて  | 一考   

 先日紹介した「愛すべき孤独」の作者は玲はる名、歌人である。紹介文を著した後、玲さんから、あれは一考さん好みの作品ですからと云われた。彼女がどういうつもりで云ったのか定かでないが、私は好き嫌いで作品の判断は下さない。それどころか、どちらかと云えば好きな作品ではない。富永太郎や伊東静雄を想起させるリリシズムがあって、吉田一穂のようなアナロジーに充ちた詩が好きな私には食い足りない。しかし、「愛すべき孤独」一篇は屹立している。過去読んだ彼女のいかなる作品よりも胸中に素直に入ってくる。恋愛という人生最大の自己解体作業の息せき切った思いがみなぎっている。
 いまは閉じられたブログで彼女は「ぼくはいい年齢のくせして未だに胸がしめつけられたり、想うだけで涙が流れてくるような恋ができることは恵まれていると思う。でも、それは苦しみや迷いの連続で、浮き沈みの激しいものだと思う」と書いている。確かに「胸がしめつけられ」る恋をしているのは事実であって、「想うだけで涙が流れてくるような恋」の渦中にあるのは事実なのだが、恋の対象たる対手はどこにいるのだろうかと思う。その相手すなわち他者が私には見えてこないし、浮かび上がってこない。
 ここで述べておくが、私は彼女のことをよくは知らない。いわんやプライヴェートなことなど皆目である。一緒に酒を飲んだのも二度か三度、それもひとと会してである。従って、私のいうところは的がはずれているかもしれない。だからこそ、作品をのみ対象として喋っている。
 玲さんの恋は常に受動であって、完結すらが情念のなかでなされる。言い換えれば、彼女は恋などしていないし、失恋する必要がないのである。いっそ端から恋なんぞなかったとすら云えるのではないだろうか。
 前項で「外界を受容して内面に生まれる作者の情念がひしと伝わってくる」と書いたが、情念の世界にあって外界と内面とはしばしば入れ子構造を形作る。すなわち弁証法的かかわりを有するのである。なれば、外界がみだりな想いであることも重々可能である。「オタマジャクシに手脚が生え、尾がなくなって蛙になったり、芋虫が蛹となり、さらに繭を破って蝶になったりするのが生物学上のメタモルフォーシスであり、それら自然界の法則を空想の世界で一挙に実現させてみせるのが文学」だとみせびらきの詞で書いた。思うに、外界と内面との垣根を苦もなく跳びこえるのも想像力のなせるわざであろうか。私などはかかる恋愛、妄想の対手にされるのは迷惑なこととしか思っていなかったのだが、その妄想が「愛すべき孤独」を作りだす創造的な構成力、想像力の一とするならどうだろうか。ここにはしたたかに計量された玲さんの文学に対する「息せき切った思い」が汪溢している。
 私は引用があまり好きでない。作者は必要とするだけの文字数で自らの情念を綴る。よって作品を截り取るのは書き手に非礼を働くことになる。今回は玲さんの許可を得たので全文を引用する。なお、佐々木幹郎さんが当作品を誉めていらしたことを書き添えておきたい。

愛すべき孤独   玲はる名

日中最高気温16度/最低気温2度。文字化けに記録されたあなたの不機嫌な真昼。アメリカが嫌いなあなたはジーンズを穿かないから、こんなに寒くなってもコットンのパンツで過ごしているはず。強がりではなく弱ければ弱いほど強固になる命の染みが、あなたの全身に犇いているのだろう。ぼくは祈る。ぼくよりも遥かに高潔で賢いあなたが目を見開いて世界を見る意志を持つ日を。知性ではなく、肉体でも、精神でもなく、血汐で詩の一頁を捲る日が来ることを。この祈りがまっすぐに通じるといいな。孤独は愛されてはじめて意味を持つのだろう。身近な例で言えば「エリザベート」。いや、そんな安易な演劇であなたは納得しないかもしれないけれど。ぼくはけしてあなたを癒そうとはしないけれど、だからこそ、せめて、あなたが孤独を愛することができるように。ぼくは祈ろう。零れ落ちる木の実たちが母樹の側で誕生とも死ともつかないはじまりを向かえるように。大地は恵まれてばかりはいない。けれどもそれらはひとつの大地なのだとぼくは思う。その大地が広大で変化の激しいものであったとしても、ひとつの大地であるとぼくが語ったことをあなたは忘れないで欲しい。このひとつの大地に孤独は存在しない。孤独をつくるのはあるいは時間なのだ。ひとひとりが同じココロで同じ時間を歩むことがどれほど困難かをぼくは知っている。生まれてから今日の今日まで、ひとりの人間として確固たる自我であることなどありえないのだ。それは、自己を記録している人間ならばわかる。同様に他人も確固たる自我であることはないとぼくは思う。動いて揺れるものが自我なのではないか。あなたとぼくは同じ精神を持っている。あなたを知ったとき腹違いの双子をみつけたとぼくは思った。固体の精神はやがて崩壊し、無形の精神は常に浮遊し続ける。あなたがどう思うかわからないけれど、ぼくは後者の精神を好む。あなたが再びぼくをみるとき、ぼくはすべてを了解するのではないか。それが、ちょっと怖いけれど。


2008年12月22日

痙攣  | 一考   

 土曜日は久しぶりの新宿行、朝までナベサンのナオさんと唄う。帰宅後、ふくらはぎが攣り痛みで二度三度と覚醒。このところ腰痛が出ないので安心していたが、どうやらふくらはぎの痙攣に魅入られたようである。
 途中でAgeの弘子さんも合流、三枝和子さんの話に時を忘れる。改めていうまでもないが、弘子さんとの付き合いは長い。そして私たちの交わりはどこかしら間が抜けている。旅をしていても積極的な意見、例えばどこそこへ行こうとか誰それと会おうといった意見は出てこない。すべては行き当たりばったり、投げ遣りで捨て鉢なのである。年齢のもたらすものではなく、個々の生き方に起因すると思っている。
 団体だとその消息はさらに顕著になる。個々がてんでんばらばらなのである。勝手な時間に起きだして杯を傾けては酔いつぶれる。全身を投げ出しての高鼾があれば、輾転反側するひとがいる。要するに、ひとの心情に関与しないという優しさを互いが持っている。言い換えれば、ひとのはなしは聞くが訊かない、云いたくないことは口にする必要がないのである。
 mama-witchさんが書いている「本人が話さないことは何も聞くな」(http://witch-vill.blog.so-net.ne.jp/)はもんきゅに限らず、新宿ゴールデン街の不文律である。逆にいえば、しゃしゃり出るひとは意外なところから攻撃を受ける。先夜もお喋りなオカマちゃんがいて自分の作詞を自慢、他の客から「おまえは詰らない」と宣告されていた。私なら口にしない言葉だが、宣うだけの優しさをその客は持ち合わせている、さすがナベサンの常連客である。
 さて、美が痙攣的だと宣ったひとにとっては愛も痙攣的なものだったらしい。あれでは全体主義は痙攣的と宣言しているようなものである。だとすれば、私のふくらはぎの痙攣も追放しなければならない。なにかしら方策はなきものか。


モルト会解説  | 一考   

 ロングモーンの香り、味わい、フィニッシュについては蒸留所紹介の項に譲る。ここでは個々のロングモーンのボトラーを紹介したい。

01 ヴィンテージ・ハイランド(シグナトリー)
 7年もの、40度。中味はロングモーン。
 シグナトリー社は1988年、リースで創業。現在はエディンバラに事務所兼倉庫を持ち、ボトリングから保管に至るすべての業務をを行う。「ダンイーダン」「サイレント・スティルズ」等、他では飲めない稀少なシングル・カスクが多い。ヨーロッパ向け限定商品として「アン・チルフィルタード・コレクション」がある。ラベルにはカスク・ナンバーやボトル・ナンバー等、詳細が著されてい、樽がもたらす個々の性格の違いを楽しむことができる。ゴードン&マクファイル社、ケイデンヘッド社に次ぐ三番目のボトラー。
 同社のカスク・ストレングスにあって、ダンピー・ボトルのシリーズは逸品揃い、ぜひ味わって頂きたいモルト・ウィスキーである。上記シリーズに取って代わったカスク・ストレングス・コレクションは同社の総力を挙げての快挙。グレンキース蒸留所で実験的に造られたクレイグダフ等が入っている。

02 ロングモーン '96(キングスバリー)
 セレクションの一本。ホグスヘッドの10年もの、43度。1110本のリミテッド・エディション。
 同時頒布にカリラ、グレン・グラント、マッカランの三種あり。
 元イーグル・サムという会社名でキングスバリー・シリーズを発売している。社名もそれにならいキングスバリーと改称され、本拠地もキャンベルタウンからスコットランド東部アバディーンへ、そしてロンドンへ移された。現在ではワインと蒸留酒全般を扱う。
 ボトラーのケイデンヘッド社の子会社。着色、添加は一切行わず、濾過はペーパー・フィルターのみ使用。すべてがシングル・カスクであり、蒸留年月日、瓶詰年月日、樽の種類等、モルトの性格を識るに必要な項目はラベルに記載されている。なお、ラベルに著されたテイスティング・ノートは鑑定家ジム・マレーの手になるもの。
 2000年4月「ケルティック・コレクション」が新たに頒された。ケルト文字をあしらった美しいデザインのラベル、中味も秀逸なコレクションである。ついでハンドライティング・シリーズを頒布。その名のとおり、ラベルがハンドライティングで仕上げられている。オリジナルとケルティック・コレクションに次ぐシリーズ。

03 ロングモーン'90(ドナート)
 ダン・イーディアンの一本。シェリー・カスクの10年もの、46度、415本のリミテッド・エディション。
 イタリアはジェノヴァの酒商。「ダン・イーディアン」とのコレクションを頒す。ダン・イーディアンとはスコットランドの古都エディンバラのケルト語読み。オスロスク12年、同カスク・ストレングス、カリラ10年、ボウモア9年、マッカラン11年等が当初ボトリングされた。カスク・ストレングス以外はすべて46度のシングル・カスク。無着色、低温濾過は施されていない。適度に澱もあり、コンディションは良好、かつコスト・パフォーマンスに勝れる。他にカスク・ストレングスも頒布している。シグナトリー社の関係子会社だが、大いに期待できるボトラーである。

04 ロングモーン '90(ウィスキー・ガロア)
 バーボン・カスクの12年もの、46度。
 ウィスキー・ガロア社はダンカン・テイラー社の子会社。他にヴァッテッドモルトも販売。ダンカン・テイラー社のピアレス・シリーズ同様、ノン・チル・フィルター、ノン・カラーリングで、46度まで加水のうえボトリング。
 親会社のダンカン・テイラー社は1961年にアラン・ゴードン氏によって設立、ダフタウンから東へ20キロ、ハントリーの町にオフィスを構える。ブレンデッド・ウィスキーの「グレン・アルバ」「スコティッシュ・グローリー」「グレンダロッシュ」などの商品を持つウィスキー・メーカー。
 2002年5月、新たにザ・ピアレス・コレクションを頒布。21年以上熟成されたシングル・モルトとシングル・グレーンを専門に扱う。同コレクションは元々B・デヴェロップ社から頒されていたが、その商標をテイラー社が買い取ってラベルを新たにしたもの。デヴェロップ社のボトルはわが邦には未入荷。なお、ハート・ブラザーズ社の長期熟成のモルトはダンカン・テイラー社の提供になるものが多い。

05 ロングモーン12年(ゴードン&マクファイル)
 本品は40度。ディスティラリー・ボトルと比して度数は低いが、キリキリと咽を刺すようなフィニッシュはこちらの方が強烈。
 ゴードン&マクファイル社は1895年、当初食料品店としてエルギンで創業。ウィスキー産業がまだブレンデッド中心の頃から同社は世界に向けてボトルを輸出、モルト愛好家を魅了してやまなかった。謂わば独立瓶詰業者のさきがけであり、今日のモルト・ウィスキー人気の蔭の立て役者。1992年、ベンローマック蒸留所をユナイテッド・ディスティラーズ社より買収。豊富な在庫を用い、「コニッサーズ・チョイス」「マクファイルズ・コレクション」「マクファイル・プライベート・コレクション」「スピリッツ・オブ・スコットランド」「スペイモルト」「レア・オールド」等、多くのコレクションを頒している。1995年にボトリングされた「100周年記念ボトル」は総じて樽の選択がよく、美味なものが多いのでお薦め。また、「コニッサーズ・チョイス」は各地の蒸留所のモルト・ウィスキーを網羅、ユナイテッド・ディスティラーズ社の「クラシック・モルト・シリーズ」と共に入門編として最適。

06 ロングモーン15年(DB)※
 45度の
 シーバス・ブラザーズ社がボトリングしていた旧ディスティラリー・エディション。04年位までは酒屋の棚の隅に在庫していたが、最近ではまったく見掛けなくなった。

07 ロングモーン16年(DB)※
 アメリカン・オークの48度。新しいディスティラリー・ボトル。
 蒸留所のオーナーはシーバス・ブラザーズ社からペルノ・リカール社へ変わった。今後の動向が気になる蒸留所である。本品の発売は07年から。ゴードン&マクファイル社のカスク・ストレングスやスピリッツ ・オブ・ スコットランドのボトル、またはダンカン・テイラー社のピアレス・コレクション等、ロングモーンはボトラーズ・ボトルが旨い。トップから南国フルーツの香りが顕著、オレンジマーマレード、マンゴー、グレープフルーツの皮のフィニッシュがディスティラリー・ボトルと比してより強い。値が高いばかりで、ディスティラリー・ボトルはいまいち。

08 ロングモーン'76(モンゴメリーズ)
 シングル・カスク・コレクションの一本。02年のボトリング。オーク・カスクの26年もの、43度。
 モンゴメリーズ社はアンガス・ダンディー社傘下のカンパニー、本社はグラスゴー。従って、マキロップ社とは兄弟会社になる。ボトリング・ライセンスを持ち、樽と樽とのヴァッティングは一切行わず、スモール・バッチを売りとする。第一回頒布は2000年末。
 親会社のアンガス・ダンディー社はモルトウィスキーの他ブレンデッドやスピリッツ全般を扱い、50年以上の歴史を持つロンドンの酒類販売業。スペイサイドのトミントール蒸留所、ハイランドのグレンカダム蒸留所のオーナー。モンゴメリーズ社やマキロップ社のボトリングはトミントール蒸留所の設備を用いている。樽の選択はマスター・オブワインの資格者ローン・マキロップ。
 モンゴメリーズ社、マキロップ社、ウィスキー・エクスチェンジ社は中味と比して安価なボトルが多い。

09 ロングモーン・グレンリヴェット '70(ベリー・ブロス&ラッド)
 ベリーズ・オウン・セレクションの一本。オロロソ・シェリー・カスクの28年もの、43度。
 1698年創業のベリー・ブロス&ラッド社は、カティーサークやブルーハンガーのプロデューサーとしても有名なロンドンの老舗酒商で、18世紀から現在までロイヤルファミリーにワインを供給している名門。マスターオブワインの資格者を常時雇用し、秀逸なワインやモルト・ウィスキーをベリーズ・オウン・セレクションとして販売。
 ロンドンのセントジェームスストリートにある本店は18世紀に建てられた古い建物で、香港のコーズウェイベイのリー・ガーデン(Lee Gardens)内に支店がある。セントジェームズストリートはホワイト・ブルックス、ブードルズといった古くからのジェントルマンズクラブが点在し、ジェントルマンの聖地(クラブランド)でとなっている。またセントジェームズパレスにも近く、同時にロンドンのクラフトマンシップの中心地でもある。通りの南側には8軒の老舗が集まっている。靴のジョン・ロブ、帽子のジェームズ・ロック、薬局のD・R・ハリス、銃砲のウイリアム・エバンス、世界最古の葉巻商ジェームズ・J・フォックスとロバート・ルイス、そしてワイン商のベリー・ブロス&ラッドとジャステリーニ&ブルックスである。

10 ロングモーン'91(ジャック・ウィバース)
 スコティッシュ・キャッスルの一本。06年のボトリング。オーク・カスクの15年もの、56.0度のカスクストレングス、260本のシングル・カスク。
 ジャック・ウィバース・ウィスキーワールド社は、その名の通りジャック・ウィバースが主宰するドイツのボトラー。「ウィスキー・ワールド」「オールド・トレイン」「ザ・クロスヒル」ドイツ限定ボトリングの「プレミアモルト」「スコティッシュ・キャッスル・コレクション」等がある。わが国ではエイコーンが扱っている。

11 ロングモーン'86(ウィスキー・エクスチェンジ)
 リージョンズ・ウイスキーの一本。07年のボトリング。バーボン・カスクの20年もの、54.3度のカスクストレングス、260本のシングル・カスク。
 バタースコッチ、キャラメルの香り。蜂蜜やスパイシーさが長く続き、心地よく甘い味わい。シンプルなラベルデザインながらも、スペイサイドは青、アイランドは茶色といったように各地域で色合いが異なる。当シリーズは他にリンリスゴー、マッカラン、オルトモーア、ハイランドパーク、ローズバンク等が頒されている。
 ロングモーンの長期熟成にはシェリー樽が多く用いられる。本品はバーボン樽だが、味わいは実に美味。
 ザ・ウイスキー・エクスチェンジ社は、ロンドン北部、パークロイヤルにある酒屋で、1200種を超えるシングルモルトの在庫を抱える。多くのディスティラリー商品の販売を手掛けることによって代表のスキンダー・シンは蒸留所関係者とも密接な関係を持つ。ブランド名となっている「ザ・シングルモルツ・オブ・スコットランド」シリーズは、同社を代表する製品。

12 ロングモーン '73(ゴードン&マクファイル)
 30年もの、55.8度のカスク・ストレングス。
 バニラやレーズン、ラム酒を想わせる華やかな香り。ドライでスパイシー、かつ拡がりのある味わい。喉ごしは滑らかだが、舌先にごく僅かな渋味が残る。蓋し、秀でた食前酒であり、エルギン地区を代表する佳酒。
 他では64年、66年、69年蒸留のものが多く頒され、特に66年の41年ものがケルティック・ラベル、69年の39年ものがスピリッツ・オブ・スコットランドとして08年にボトリングされている。


2008年12月20日

ですぺらモルト会  | 一考   

12月27日(土曜日)の19時から新装開店後、十二度目のですぺらモルト会を催します。
会費は11700円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
今回はロングモーンのボトルを楽しみます。

ですぺらモルト会(ロングモーンを飲む)

01 ヴィンテージ・ハイランド(シグナトリー)
 シグナトリー社が7年もののロングモーンを瓶詰め。40度。
02 ロングモーン '96(キングスバリー)
 セレクションの一本。ホグスヘッドの10年もの、43度。1110本のリミテッド・エディション。
03 ロングモーン'90(ドナート)
 ダン・イーディアンの一本。シェリー・カスクの10年もの、46度、415本のリミテッド・エディション。
04 ロングモーン '90(ウィスキー・ガロア)
 バーボン・カスクの12年もの、46度。
05 ロングモーン12年(ゴードン&マクファイル)
 40度。
06 ロングモーン15年(DB)※
 45度の旧ディスティラリー・エディション。
07 ロングモーン16年(DB)※
 アメリカン・オークの48度。新しいディスティラリー・ボトル。
08 ロングモーン'76(モンゴメリー)
 シングル・カスク・コレクションの一本。02年のボトリング。オーク・カスクの26年もの、43度。
09 ロングモーン・グレンリヴェット '70(ベリー・ブロス&ラッド)
 ベリーズ・オウン・セレクションの一本。オロロソ・シェリー・カスクの28年もの、43度。
10 ロングモーン'91(ジャック・ウィバース)
 スコティッシュ・キャッスルの一本。06年のボトリング。オーク・カスクの15年もの、56.0度のカスクストレングス、260本のシングル・カスク。
11 ロングモーン'86(ウィスキー・エクスチェンジ)
 リージョンズ・ウイスキーの一本。07年のボトリング。バーボン・カスクの20年もの、54.3度のカスクストレングス、260本のシングル・カスク。
12 ロングモーン '73(ゴードン&マクファイル)
 30年もの、55.8度のカスク・ストレングス。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


2008年12月19日

「愛すべき孤独」  | 一考   

 先頃知己のブログを読んでいて「愛すべき孤独」という詩に行きあった。誰がだれのために書いたのかある程度の予測はつくものの、そのようなプライヴェートなことを離れて読ませる作品である。言葉遣いのごく一部に詰めのあまさが感じられるが、こちらも気にはすまい。外界を受容して内面に生まれる作者の情念がひしと伝わってくる。

・・・アメリカが嫌いなあなたはジーンズを穿かないから、こんなに寒くなってもコットンのパンツで過ごしているはず。強がりではなく弱ければ弱いほど強固になる命の染みが、あなたの全身に犇いているのだろう。ぼくは祈る。ぼくよりも遥かに高潔で賢いあなたが目を見開いて世界を見る意志を持つ日を。知性ではなく、肉体でも、精神でもなく、血汐で詩の一頁を捲る日が来ることを・・・

・・・生まれてから今日の今日まで、ひとりの人間として確固たる自我であることなどありえないのだ。それは、自己を記録している人間ならばわかる。同様に他人も確固たる自我であることはないとぼくは思う。動いて揺れるものが自我なのではないか。あなたとぼくは同じ精神を持っている。あなたを知ったとき腹違いの双子をみつけたとぼくは思った。固体の精神はやがて崩壊し、無形の精神は常に浮遊し続ける・・・

 この種のポエジーが近頃の詩には見受けられなくなった。頭に知己と書いたが、身近にこれだけの詩を著すひとがい、それに気付かなかったとすれば迂闊である。おのが不明を恥じるしかない。
 幼少の頃、本を読むとは詩歌を繙くことだった。戦後詩に限っても、石原吉郎、黒田三郎、吉岡実、石垣りん、鮎川信夫、北村太郎、田村隆一、吉本隆明、吉野弘、茨木のり子、飯島耕一、相澤啓三、入沢康夫、谷川俊太郎、堀川正美、渋沢孝輔、岩田宏、中桐雅夫、三好豊一郎、衣更着信、鈴木志郎康、天沢退二郎、吉増剛造、高橋睦郎、佐々木幹郎等々、お気に入りの詩集を小脇に挿んで議論していた。それが何時の頃からか、詩歌は読まれなくなった。文学という情念と縁なき人々が文学の世界へ彷徨いこんできたのである。彼等は散文を専らとするらしい。速読術とやらが持て囃され、心身合一ではなく、知識の量ばかりが珍重される。謂わば、身体論の欠如である。
 詩歌を読まない理由を訊くに、異口同音になにが書かれているのかが理解できないと云う。読み手のおつむの鈍さを詩書に被せられてはかなわない。それどころか、彼等が得意とする散文にあっても、ゴンブロヴィッチ、ベケット、アルトーのようなストーリー性を持たない作家は読まれない。言い換えれば、一冊を読了するに数箇月掛かるような読書は慎重に避けているようである。
 詩は散文とは異なって数段高次に存在する。その理由は情念を生な形で孕んでいるからである。この場合の情念は哲学と解していただいて差し障りない。デュジャルダンがいう内的独白やバタイユのいう内的体験と軸を一にしている。
 かつて鏡花の「化鳥」について、「化鳥」では、読者はのっけから主人公の思考のなかに置かれる。われわれは少年廉とともにいきなり窓から顔を出して雨の降っている橋の上を眺める。少年の意識にとって、過去も未来も、いやな経験も楽しい空想も、すべては《ここ》と《いま》に現前している。はじめの八行目に「寒い日の朝、雨の降ってる時、私の小さな時分、何日(いつか)でしたっけ、窓から顔を出して見ていました」とあるが、現在も、過去のなかの現在も、すべてひとしなみに《ここ》であり《いま》でしかない。対自としての意識、論理的に組み立てられる以前の、より無意識に近い思考にあって、時間は隔たりを持たない。「母様(おつかさん)が在(い)らっしゃるから、母様(おつかさん)が在(い)らっしゃったから」との言葉で小説が閉じられるが、現在形と過去形とを並べることによって、語られたすべての時間はくずれ、時はなだらかに融化していく。いや、廉の夢が大きくふくれあがって、すべての物語の時間を呑みこんでしまったのである。と書いたことがある。
 「愛すべき孤独」にあっては作者の夢が大きくふくれあがって浮遊しはじめ、時と日を呑みこんで、無形の精神となって彷徨い迷い続けるのである。ここで注意しなければならないのは、日々が跡切れずに繋がっていることである。この当たり前のことに多くのひとは気づかない。パトスはそのベクトルのなさからロゴスと比較され、刹那であるところからエートスと対比される。しかしパトスはありとある表現の苗床、パトスの知が蠢かないところに内面の表出はありえない。情念は心身合一を冀求し、身体性をもった具体的な人間のありようを示唆する。


2008年12月16日

フォアグラ  | 一考   

 西明石の頃はビールの種類が多く、頻繁にカタログを書き換えていました。松友さんには申し訳のないことを致しました。それにしても体調にはご注意、お互い若くはないのですから。
 私もフォアグラの悪化でこのところ食事制限がきつく、困っております。私の場合はウィスキーとワインは結構、ただしビールと烏賊と干物は遠慮してくれと山崎医師からのきついお達しです。プリン体がいけないようですが、プリン体の入っていない食物などなく、適当な食事を繰り返しているので一向に改善しないようです。


2008年12月15日

御礼  | 一考   

 金沢の「かわべ」主人河崎徹、「亀鳴屋」社主勝井隆則両氏より大包みが到着。イワナ卵の醤油漬け、ニジマス卵の塩漬け、同佃煮、同薫製が送られてきた。早速、昨夜のぼたん鍋の前菜として頂戴した。ぼたん鍋は定員をはみでる盛会で金沢からのお歳暮は消えてなくなった。私事で恐縮だが、十二月の家賃がやっと払えて安堵している。これも河崎、勝井両氏の厚誼のたまものと御礼申し上げる。
 勝井さん曰く、好不況の(渦外)の地べたを這う身なれば、せめて不況の渦中に仲間入り致したく、当方もデストラの日が近づいております、と。destra(右手)ではなくdestructionの略だが、亀鳴屋の場合は滅亡、破滅よりですぺら同様駆除の方が当たっているように思う。害毒にしかならぬ書物を飽きもせずに上梓している彼はさしずめ害虫そのものであろうか。ちなみに、近著は「高祖保書簡集 井上多喜三郎宛」外村 彰編、「續人譽幻談 水の底」伊藤人譽著、「伊藤茂次詩集 ないしょ」(売り切れ)である。ここはひとつ、舟木伝内に倣って陰の備忘録「奈落の栞」をお書きいただきたいと願っている。
 河崎さんの「イワナ売ります」は既に四十回を数える。「大風呂敷」もいよよ研がれて舌鋒鋭く、「勝ってくるぞと勇ましく…」では金メダルに於ける運の大事を説き、その「運(好運)は誰れにでも等しくある」と結論づける。当然、好運であろうが悪運であろうが消息は同じである。思うに、金メダルであっても何でも構わないが、そのようなもので感動するような軟な人心への警告と私は読んだ。前回の三十九回は「ふるさとの山に向かいて金はナシ(この方が面白い)」で閉じられている。ずっと遡って第二十七回では俳句が詠まれている。その「賢者と愚者」と題された項では歴史と経験を主調に教育について大学紛争についてイジメについて気の向くままに「エラソウな事」が詳述されている。
 哲学するという行為を大学で教えることはできない、大学で教えることができるのは哲学の通史のみ。それは対象が文学であれ歴史であれ同じである。思想の数だけの歴史観があり、日本人の看るアジア史と朝鮮人の、中国人の看るアジア史はまったく異なる。客観的な歴史などと云うものはどこにもなく、独立した日本史などと云うものもどこにもない。あるのは世界史のなかの日本史であり、世界史のなかのアジア史である。さらに踏み込めば歴史観のないところに思想はなく、思想そのものが歴史と云っていえなくはない。
 亀鳴屋がどうして貴重な出版社かと云えば、自身の価値観なり歴史観すなわち世界観の書き直しを余儀なくさせる書物を上梓しているからに他ならない。「イワナ売ります」然り、河崎さんのブログも亀鳴屋の大切な為事の一と私は考えている。文中、河崎さんは「大切なのは歴史に自分は何を学ぶのか(学ばないのか)、この社会で身につけた経験がそれでよかったのか(悪かったのか)をいつも自問自答する事だと思う」と著す。その問いかけは良い悪いと云った二項対立を通り越してさらに深い渦中に個を誘う。河崎さんの遠慮がちな文言は考えるってなに、という自問自答を私に突きつけてやまない。

 齢食えば 見馴れた秋も又よしと
 刈った田に バアチャン一人と赤トンボ
 野菊折り 名知らぬ 墓に添えてみる
 千年も 同じかと思う 秋の暮れ
 見上げれば 耳鳴りだけ 秋の空
 秋だけは 孤独もよしと 一人ごと
 何時からか 秋の花が 好きになり(河崎徹)


2008年12月14日

伺うのも難く  | 松友   

 就職先が決まりましたか。掲示板上であいすみませんが、

おめでとうございます。

 それにしても赤坂でですぺらさんが新新居を構えてからというもの殆どお伺いできていないのが実情、お恥ずかしく存じます。今年は私事、仕事先の事務所移転や組織替えや案件のデスマーチ化やらもありましたが。何にましてスピリッツ系が殆ど飲めなくなってきたというのがあります。栄養の偏りやら肥満やらできっと肝臓が疲れきっているのでしょう。今年の夏は終始ひどい夏ばてで閉口していたのもきっとそのせいかと。自家製フォアグラは必要ないのですけれども、そんな塩梅なので最近はビール風味酒をちびちびです。
 えーとヒューガルデンの白生をガンガン飲んでたみたいに流布されているような気もいたしますが、ではないのは分かりますけれど、ヒューガルデンの白生は一押しでいらした記憶がございましたしお客さんは皆様召し上がっておられましたしボディントンも同様でした。そんな中、ですぺらさんへお伺いした当初は330mlのビール2缶でへろへろになっていた訳でして、缶ビール2つと春巻きorささみチーズフライ、で、おいとまというのが当初のパターンでした。ビールをカタログ順に飲んでいたら並びを入れ替えられて訳わかんなくなったりしたのは今となってはいい思い出です。
 年越しに近辺の神社めぐりに御一緒させて頂いたのも懐かしく、ってそれは赤坂にお見えになってからの事ですが未だ年末ではないのでそれまでには一回くらいはお伺いできたらなと考えている、松友でした。


2008年12月12日

嬬恋村の少年  | 一考   

 ヒロユキさんの就職先は目白のフォーシーズンズホテル椿山荘のメイン厨房である。今日の昼過ぎに決まった。仕事に入るのは22日から。佐々木幹郎さんは十八日までフランスへ行っているが、彼共々喜んでいる。
 幹郎さんに云わせるとですぺらは予備校、嬬恋村の少年がいかに変わったか、椿山荘で真価が問われる。幹郎さん、彼は大丈夫です。屈折こそすれ、挫折することは二度とないと、私がそのように信じるに至ったのです。


為替  | 一考   

 アイルランドのスタウト「マーフィーズ」を二割引で入手、本日から売価も二割引にする。

 10月16日にドルは80円代にまで下がると書いたが、今日88円にまでなった。第4四半期の結果が出るころには80円にまで下がりそうな気がする。さらに酷いのはユーロであり、ポンドである。第1四半期の結果を待たずして100円にまで下がりそうである。去年の夏、ポンドは250円だった。それが現在は130円、さらに下がるのは必定。ウィスキーの値は半額以下になっていい筈である。いずこで滞っているのか定かでないが、一向に値は下がらない。インポーターはどうも一時の現象と思っているようである。欲しいウィスキーはあるのだが、今月は差し控える。


ぼたん鍋4  | 一考   

 猪肉が送られてきた。肉質はまずまずの状態、これでひと安心。あとは取合せ、焼豆腐、ちぎり菎蒻、白菜、葱、牛蒡、えのき茸、椎茸の類いである。明日から用意に入るが、焼豆腐とちぎり菎蒻は指定があって今日中に仕入れる。


2008年12月10日

リストラ  | 一考   

 かつてですぺらが在ったサンエム赤坂ビルが不況のあおりで建て直しを断念、あのままで賃貸物件となることが決まった。従って、ビルに残っている四店舗はそのまま居座ることになった。心中穏やかでなかった「かさね」さんも落ち着きを取り戻されたと思う。
 現在工事に入ったところは別にして、建て直しを断念したビルが他にも複数ある。そして工事中のビルのひとつは中断したままである。そこかしこに不況の影響が現れはじめた。余波ではなく、本番はこれからである。
 ですぺらもまた、その影響の渦中にある。私が営む店だから暇なのは当たり前なのだが、十二月というのに客足は途絶えたまま、すでに月のうち三分の一が過ぎ去って開店以来最悪の売上である。ですぺらがリストラクチュアリングされる日が近づいてきたようである。ですぺらがリストラされればへらへら、軽薄でしまりがないのは私の性根そのものである。


ゆきずり  | 一考   

 「是が非でも」と云った覚悟は疾うに私の人生にはない。ああ生きたい、こう生きたいという思いは十代のときに棄てた。生きるところ万端がかりそめであり、ゆきずりと思っている。そして、少しでも楽しいゆきずりであってほしいと願う。
 人の死亡率は百パーセント、それは分かっているのだが、歳を取るのは初体験である。五十を出てからは日々懼れおののきながら生きている。
 オートバイでどうしていたのかと掲示板を弄るってみる。二月二十五日に「次の冬は鉄馬に跨がることができるのだろうか」と書いている。ヒロユキさんによると二十四日の嬬恋村は猛烈な吹雪だったそうな。
 ちはらさんがユニクロのヒートテックという下着を買ってきた。パッチは去年はじめて穿いたが、長袖のシャツを着るのは生れてはじめての経験である。今までは真冬でも縮の半袖で通してきた。オークションで千円の革ジャンと三千円のゴアテックスのジャンパーを購入、併せてこの冬を乗り切るつもりである。
 乗るのが快感だったオートバイが地獄の責具に思われてくる。そういえば、ゴアテックスを検索するにラテックスで検索、SM用コスチュームが出てきて困惑させられた。店の客からゴアテックスではないのかと指摘され大笑い。頭のなかでオートバイが責具、責具とスピンしていたのかもしれない。
 それにしても、楽しいゆきずりとは暖かい人肌でしかない。この種の生臭さだけは消えそうにない。


2008年12月09日

就職  | 一考   

 ヒロユキさんの就職がほぼ決まった。就職先へランチでも食べに行こうかと思ったが、もっとも高価なコースだと一万六千円である。ディナーは二万五千円。とんでもない世界が目白の方にはあるそうな。
 なにはともあれ、喜ばしいことである。いささか難産したが、よき紹介者に恵まれて理想的なかたちで決着がつきそうである。料理人として最初の就職先は生涯のあらましを決定づける。さればこそ、料理の基礎を学ぶになんら不足はない。三箇月はアルバイト、一年は契約社員、正社員になるのは一年三箇月後になるが奮起していただきたい。
 総料理長との面接を済ませ、金曜日が総支配人との最終面接らしいが、手に付着したブドウ球菌の検査があるといわれたのには驚いた。私にはそうした儀式めいた面談の機会がまったくなかった。なかったことを是とべきか、非とすべきか私には分からない。ただ、生きる過程で必要が生じた最小限の許可証、修了証、免許の取得はその都度済ませてきた。
 正社員になってから五年はなにがあってもしがみ付いてほしい。その間は自分の人生を捨ててほしい。そうでないと応用が利かないからである。十年と云いたいところだが、料理の世界はセンスである。センスが秀でていれば十年の要はない。あとは武者修行を繰り返す方が良いに決まっている。いずれにせよ、自らの腕と相談しながら決めるに越したことはない。修行がはじまれば人はひとりになる。決して連まずに耐えていただきたい。


2008年12月06日

ぼたん鍋3  | 一考   

 ぼたん鍋の会は12月14日の日曜日19時からということに急遽決まった。会費は人数次第だが、鍋代に五千円を考えている。鍋だけでなく、刺身も仕入れる予定。
 参加なさるのは現在のところ二名、あと五名募集している。ご希望の方は電話(03-3584-4566)もしくはメールをいただければありがたい。掲示板トップをクリック、ホームページ扉の一番下にメールアドレスが記入されている。複数あるメールアドレスはすべて拙宅のパソコンに通じている。

 追記
 先ほど二名増えてもっか四名。刺身用フィレ肉が一本手に入ればよろしいのですが、月曜日夕に判明の予定。もしも入れば、ひどく安価なぼたん鍋になります。E型肝炎満載の生肉です、みんなで食べてぬたうちまわりましょう。
 追記2
 さらに一名増えてもっか五名。あと二名さまです、どうかよろしく。
 二度の猪肉註文のメールに返事がなく、もしやと思って電話したところメールが不通とのこと。改めて註文し、フィレ肉共々ぼたん鍋が空を翔けてくることになった。ちなみに拙宅のメールも先ほどから不通、こちらはルーターのコンセントが抜けていました。(8日14時)


2008年12月05日

麦酒について  | 一考   

 アイルランドビールといえば、ギネス、キルケニー、スミディックス、ビーミッシュ、マーフィーズ。ギネスはダブリン、キルケニーとスミディックスはギネスの傘下に入ったため、今では生地のキルケニーを離れてダブリンで醸されている。南部の第二の都市コークで醸造されているのが後者のふたつ。それにイングランドのマンチェスターのボディントンを加えると私の好きなビールの勢揃いである。
 明石で飲み屋をはじめた頃、正確には1994年11月、大阪のインポーターからボディントンを百ケース買い取ったのを覚えている。ベルギービールのヒューガルデン樽生を小西酒造から取り寄せたのも同じ頃、小西の担当者に云わせるとですぺらが関西で最初ということで、一緒に伊丹の飛行場まで60リットルの樽を取りに行った。小西の社史ではヒューガルデン樽生の輸入は1993年からとなっているので、東京ではですぺらが取り寄せる前年から扱っていたことになる。ブラッセルズあたりであろうか。
 掲示板とは個人的なもの、ここで書いておかなければならないのはヒューガルデンのジョッキを片手に笑顔が絶えなかった松友さんのことである。四、五日で六十リットルの樽をコンスタントに開けていたのだから日々繁盛していた。ボディントンは一日平均二十罐は出ていただろうか。ボディントンについては掲示板1.0で書いたように思うのだが、検索で出てこない。従って以下は繰り返しになるかもしれない。
 前述のインポーターとは重松貿易である。重松貿易は当時の正規代理店で表記はバディントンズ・ドラフトビール、330ミリリットルで4.8度だった。イギリスの友人に問い合わせたところ、現地では3.5度のものが出回っているらしく、わが国へ入れるに際し酒精を強化したと思われる。ウイットブレッド・ペールやニューキー・スチーム・ラガーなどもそうなのだが、私は長い間イギリスのビールはアルコール度数が低いものと思いこんでいた。ボディントンは現在、440ミリリットルで4.8度のものが出回っている。ただし、香味は決定的に変わった。変わったとは云っても、こればかりは比較して飲んでいただくしかない。今となっては詮ないはなしである。
 重松貿易はインバー・ハウス・ディスティラリーズ社のスペイバーンやプルトニーの代理店だが、ボディントンは売れなくて手を焼いていたらしい。当方の大量注文に値引きで応じてくださり、さらに百ケースを追加した。ですぺらでの売価はボディントンが五百円、ヒューガルデン樽生が六百円だった(これは今の仕入れ値に近い)。西明石にアイルランド人が働くアイリッシュパブがあったが、ボディントンやマーフィーズに二千円を請求されて憤慨したことがあった。
 今では日本中にアイリッシュパブやベルギービールの店があるが、当時ボディントンやヒューガルデンが人気だったのはですぺらのみで、明石や神戸、大阪の知己に配っても屁のようなビールだと酷評された。ちなみに当時のカタログを見ると、アイルランドとベルギーだけで百六十二種類のビールを置いている。ですぺらにもそのような季節があったのである。
 昨今、ボディントンやマーフィーズの終売がネット上を騒がせているが、蒸留所や醸造所はどこへも行かない、グレンロセス同様輸入元が変わるだけである。そのようなことよりも親会社の都合で工場が閉鎖されるのが辛い。05年2月に閉鎖予定だった(http://www.iuf.org/cgi-bin/dbman/db.cgi?db=default&uid=default&ID=2612&view_records=1&ww=1&ja=1)ボディントンはうまく収まったようだが、未だに不安定である。ボディントンの親会社だったウィットブレッド社は2000年にベルギーのインターブリュー社へ経営権を身売りし、マーフィーズはハイネケン傘下となって現在オランダ工場をはじめEU各地で造られている。ビールの世界もモルト・ウィスキーと同じである。

追記
 ベルギーのインターブリュー社は2004年、ブラジルのAmBev(アンベヴ)と合併してInBev(インベヴ)となり、2008年にアメリカのアンハイザー・ブッシュ社を買収し、アンハイザー・ ブッシュ・インベヴとして世界最大のビールメーカーとなった。ヒューガルデンもその傘下で、ボディントンの生産はサウスウェールズのプレストンビール工場に移転され、歴史を誇るマンチェスター醸造所は閉鎖された。興味ある方は検索されたい。


2008年12月03日

新入荷のボトル  | 一考   

 アイル・オブ・ジュラ'99(マシュー・フォレスト)※
 ヘヴィリー・ピーテッド3年とピーテッドでない13年と21年もののヴァテッド・モルト。58.8度のカスクストレングス、705本のリミテッド・エディション。
 パシフィック・カレドニアンが頒した一本にして、ディスティラリー・エディション。マシュー・フォレスト氏死去のあとパシフィック・カレドニアンは解散、在庫はウィスク・イーの取扱いとなった。

 ポート・シャーロット'03(スコッチ・モルト・セールス)
 08年のボトリング。4年もの、46度、373本のリミテッド・エディション。ディスティラリー・コンディション。
 日本のある企業が創立50周年を記念してつくったプライベートラベル、扱いはスコッチ・モルト・セールス。

 ポート・シャーロット'01(DB)※
 07年のボトリング。オーク・カスクの6年もの、61.6度のカスクストレングス、18000本のリミテッド・エディション。
 ブルイックラディ蒸留所ではポート・シャーロット、ロッホ・インダール、オクトモア(未頒布、80ppm)と呼ばれる三種のヘヴィリー・ピーテッドを造っている。現在、かつてのロッホ・インダール蒸留所の建物にインヴァーレーヴン蒸留所の設備を移設してポート・シャーロット蒸留所の名前で蒸留所を開くプランが進行中。アイラ島の蒸留所がまたひとつ増える。5年もの(PC5)に次ぐ6年もの(PC6)。

 カリラ(UDV)※
 フレンド・オブ・クラシック・モルトの一本。07年のボトリング、43度のリミテッド・エディション。
 ノンヴィンテージ、ノンエイジングで樽はフィールシェリーとリフィールバーボンのヴァテッド。裏ラベルにはディアジオ・スイスと記され、ヨーロッパの「クラシックモルト」の会員向け。発売は08年末。

 ラガヴーリン'95(UDV)※
 フレンド・オブ・クラシック・モルトの一本。08年のボトリング、ファースト・フィル・シェリーバットの12年もの、48度のリミテッド・エディション。
 ドイツとスウェーデンの「クラシックモルト」の会員向け。過去「タリスカー10年('89、59.3度)」「クラガンモア14年(47.5度、4987本)」「グレンキンチー12年(58.7度、5010本)」等が頒されている。

 ラフロイグ'96(ウィスキー・エクスチェンジ)
 エクスクルーシヴ・モルトの一本。06年のボトリング、オーク・カスクの9年もの、52.3度のカスク・ストレングス、311本のシングル・カスク。
 ウィスキー・エクスチェンジ社はスピリッツへの情熱と40年間の豊富な経験を持つシャキンダー・シンとラジャバー・シンの2人の兄弟によって創設された酒類専門会社。取り扱う商品は1500以上のウイスキー、100以上のコニャック、ラム、その他のスピリッツなど、豊富な品揃えを持つ。また、最近ではボトラーズとしても活躍、数々のシングルモルト・ウイスキーを発売している。

 グレンスコシア'99(リンブルグ)
 リンブルグ・ウィスキーフェアのボトル。06年のボトリング、バーボン・バレルの6年もの、52.7度のカスクストレングス。ディスティラリー・コンディション。
 99年から蒸留がはじめられたヘヴィリー・ピーテッドモルトの第一弾。この後、「グレン・スコシア・ピーテッド」との加水タイプがボトリングされた。

 マッカラン・グレンリヴェット・レジェンド'89(ドラミン)
 03年のボトリング。ペドロヒメネスの13年もの、55.9度のカスクストレングス。
 89年蒸留の同じラベルのボトルが3度頒されている。91年蒸留のの14年ものからはラベルを一新、ボトルもクリアーになった。ボトラーのドラミンはアバディーンの新規ボトラー。量産されはじめる(74、75年)以前の「昔のマッカラン」を復活させようとの試み。敢えて「Macallan-Glenlivet」と銘打つ。伝統的なノンチルフィルター・ノンカラーリングで、時間が経つにつれほのかに主張をはじめるシェリーの奥ゆかしさを秘める。

 マッカラン'88(スコッチ・モルト・セールス)
 ディスティラリー・コレクションの一本。03年のボトリング。オロロソ・シェリーの15年もの、55.9度のカスクストレングス。
 マルコム・プライドの樽をスコッチ・モルト・セールスがボトリング。

 ロングモーン16年(DB)※
 アメリカン・オークの48度。新しいディスティラリー・ボトル。
 蒸留所のオーナーはシーバス・ブラザーズ社からペルノ・リカール社へ変わった。今後の動向が気になる蒸留所である。本品の発売は07年から。ゴードン&マクファイル社のカスク・ストレングスやスピリッツ ・オブ・ スコットランドのボトル、またはダンカン・テイラー社のピアレス・コレクション等、ロングモーンはボトラーズ・ボトルが旨い。トップから南国フルーツの香りが顕著、オレンジマーマレード、マンゴー、グレープフルーツの皮のフィニッシュがディスティラリー・ボトルと比してより強い。値が高いばかりで、ディスティラリー・ボトルはいまいち。

 ロングモーン'76(モンゴメリー)
 シングル・カスク・コレクションの一本。02年のボトリング。オーク・カスクの26年もの、43度。
 モンゴメリーズ社はアンガス・ダンディ社の傘下、従ってマキロップ社とは兄弟会社になる。モンゴメリーズ社、マキロップ社、ウィスキー・エクスチェンジ社は中身と比して安価なボトルが多い。

 ロングモーン'91(ジャック・ウィバース)
 スコティッシュ・キャッスルの一本。06年のボトリング。オーク・カスクの15年もの、56.0度のカスクストレングス、260本のシングル・カスク。
 ジャック・ウィバース・ウィスキーワールド社は、その名の通りジャック・ウィバースが主宰するドイツのボトラー。「ウィスキー・ワールド」「オールド・トレイン」「ザ・クロスヒル」ドイツ限定ボトリングの「プレミアモルト」「スコティッシュ・キャッスル・コレクション」等がある。

 ロングモーン'86(ウィスキー・エクスチェンジ)
 リージョンズ・ウイスキーの一本。07年のボトリング。バーボン・カスクの20年もの、54.3度のカスクストレングス、260本のシングル・カスク。
 バタースコッチ、キャラメルの香り。蜂蜜やスパイシーさが長く続き、心地よく甘い味わい。シンプルなラベルデザインながらも、スペイサイドは青、アイランドは茶色といったように各地域で色合いが異なる。他にリンリスゴー、マッカラン、オルトモーア、ハイランドパーク、ローズバンク等が頒されている。ロングモーンの長期熟成にはシェリー樽が多く用いられる。本品はバーボン樽だが、味わいは実に美味。

 ブローラ'75(ダグラス・マクギボン)
 01年のボトリング。25年もの、43度。
 1967〜8年に新築された蒸留所がクライヌリッシュと名付けられるまでは、旧蒸留所がクライヌリッシュと呼ばれていた。そして、その旧蒸留所がブローラと改名された。従って、ブローラ蒸留所名義で造られたモルト・ウィスキーは69年から83年までの14年間のみ。69年以前に蒸留されたクライヌリッシュはブローラと同じものである。現在、跡地はクライヌリッシュの熟成庫とヴィジター・センターになっている。

 リンリスゴー'82(ウイスキー・エクスチェンジ)
 07年のボトリング。リフィルシェリーバットの25年もの、62.4度のカスクストレングス、606本のリミテッド・エディション。
 新シリーズ「リージョンズ・ オブ・ スコットランド」の第一弾。ローランドモルトとしてはボリューム感があり、クリーンで華やかな特徴はしっかり残っている。クリーミーで、モルティーな甘さのあとにドライフルーツ、ナッツなどが現れる。味わいはミルクをかけたフルーツグラノーラとピーチティー、フィニッシュと共にバランス佳し。

 ローズバンク12年スリーディスティレーション(DB)※
 1980年代のスイス向けボトル。43度のディスティラリー・ボトル。
 アルコール感は弱く、優しい華やかな香りが広がる。おとなしいローズバンク。
 創業は18世紀後半の1773年と言われており、在所の地名を冠しキャメロン蒸留所と名乗っていた。現在の建物は地元の穀物・ワイン商のジェームズ・ランキンが1840年に建てたもので、製麦棟を改造してローズバンク蒸留所の名で再スタート。
 1914年、同じローランドのグレンキンチー、セント・マグデラン、グランジ、クライズデールと共にスコティッシュ・モルト・ディスティラーズを形成、ハイランドモルトのウィスキー業者に対抗したが、こ の中で現在創業を続けているのはグレンキンチーのみ。

 最近はシングル・ショットで三千円を超えるモルトが増えてきた。その一方で安いモルト・ウィスキーも置いている。昨夜もあまねさんとそのことで話し込んだが、余市は五百円だし、七百円の商品も増やしている。ただし、安いものはまったく売れない。安価なボトルが飾りで高価なボトルが頻繁に開いてゆく。妙な時代になったものである。
 上記十六本のうち、一万円を切る安価なボトルは四本のみ。商売だから高級品が売れるのは嬉しいのだが、安酒で他愛ないお喋りがうだうだ続くのも好きなのである。
 ロングモーンが多いのは今月のモルト会の用意である。あと一本シェリーカスク以外のものを探している。木村さんからモルト会の会費が安いと云われ、ちょっぴり嬉しくなった。なんでも四軒のバーで見積もりなさったようである。

このページについて..

2008年12月

に「ですぺら掲示板2.0」に投稿されたすべての記事です。新しいものから順番に並んでいます。

次のアーカイブ←:2009年01月

前のアーカイブ→:2008年11月

他にも多くの記事があります。
  • メインページ
  • アーカイブページ

  • も見てください。

    アーカイブ

    ケータイで見るなら...


    Google
    別ウィンドウ(orタブ)開きます。

    牛込櫻会館(掲示板1.0他)内
    ですぺらHP(掲示板2.0他)内
    Powered by
    Movable Type 3.34