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2008年05月 アーカイブ


2008年05月30日

血について  | 一考   

 おそらく、野溝七生子をもっともセンシブルに描いたエッセイを著したのは種村季弘でなかったか。

 野溝七生子という作家が、都内のさるホテルの一室にもう十数年も終身亡命者のようにひっそりと暮らしていると聞いたのはいつの頃のことだったか。ひょっとするとそれは、私の記憶違いかも知れない。けれどもかりに記憶違いでないとすれば、いかにも『女獣心理』の作家にふさわしい生き方ではあるまいか。大隠住朝市、小隠住丘樊。どれだけ奥深い山林に入っても、そこがしめっぽい風土と地続きであるならば、すでにして隠遁の尻は割れてこれ見よがしのナマ法師が顔を出す。さもあらばあれ、俗塵の只中に空中に吊るした鳥籠のような一室がビル街に宙吊りになり、そこにその人が棲っているのならば、この地面に根づかない箱ほど彼女にふさわしい空間はあるまい、と考えたのである。もっぱら通り過ぎる人のために作られたその部屋はあらかじめ風土から疎隔されており、大地との接触を禁じられているからだ。
 ありきたりのシングル・ベッドを置いた何の変哲もないシングル・ルームが目に浮ぶ。しかし一旦そのなかに純粋な魂がはたらきはじめると、この部屋は化学実験室のようなものに変容するはずだ。そこでどんな化学実験が行われるか。いささか古風な、いまではもう誰も見向きもしなくなっている「対立」という名の実験である。白と黒、童貞と淫蕩、幾何学的知性と非合理、純潔と本能のような、クレロ・オスクラのくっきりと目にあざやかな命題と反対命題とが、一瞬のうちに結合され、攪拌され、みるみる宇宙大の渾沌と化して、さて、その渾沌をたぎらせたビーカーから卵のようにぽんと生み出されたのは、ファウスト博士のホムンクルス。いや、あの不思議にあえかにもはかなげな野溝七生子のファム=アンファンたちである。(「アリアドネーの子ら」種村季弘)

 林礼子さんはこの文章がことのほかお気に召したようである。平成元年二月、名古屋の今池ヘルス通りに独りの部屋を持った彼女はその僑寓をしばしば「鳥籠」と呼んでいる。また、「希臘の独り子」所収の「なめし革の鞭の下で」では、種村さんに倣って野溝七生子の短編「往来」を繙いている。
 「私の中にある生きることへの躊躇は誰から習ったのだろうか。・・・口をひらくたびに誤解をうみ、周囲との不調和に苦しむことが多い。これは私には、野溝一族に流れる血のなせることのように思われるのであるが・・・」と林さんは著す。「幼い頃にうけた父親のなめし革の鞭の痛さ」すなわち現実からの逃避が底辺にあって、「人生は苦悩と悔恨の堆積にほかならない」としながら、一方で父系制社会そのものである血筋から抜けられない。こうした撞着に林さんも取り憑かれていたようである。
 野溝七生子や林礼子に限らない。名前を書きたくないので匿名にするが、前項で触れた「ガーリッシュな私小説の系譜」に属する作家たちは総じて血筋を一大事と捉える。「風土から疎隔されており、大地との接触を禁じられている」のであれば、率直に個としての自己を認め、自らを解放すればと思うのだが、そうはいかないらしい。私も彼女たちから「あなたの血筋にはどのような作家が輩出されているのですか」との質問を幾度となく訊かされた。思うに、これほど傲慢かつ無礼な質問はあるまい。しかしながら、彼女たちに悪意はない。善意に則った上からの、お仕着せの問い掛けなのである。上意にもとずく好意では誤解や不調和が生じるのは当たり前である。言っておくが、林さんのことを書いているのではない、某作家のことである。

 種村さんは誰も見向きもしなくなった二項対立がもたらす渾沌と書く。カオスを相容れないものとして忌み嫌った種村さんであれば、上記文章を素直にオマージュとして読むことはできない。二重、三重の絡繰りがありそうである。「くっきりと目にあざやか」であればこそ、これはもう疑ってかかるしかないのである。いや種村さんなら、あるがままに書いたまでだよ、としらばくれるに違いない。実は種村さんが「アリアドネーの子ら」を書いた83年末、彼と新橋の中華料理屋で酒を酌み交わした、それも一度ならずである。その折に「異形もひとつの形だし、血もある種の風土だからね」と聞かされた。野溝さんが住んでいたのは新橋の第一ホテル、中華料理屋のすぐ傍だった。そのホテルへは矢川さんに連れられて何度か行ったことがある。


開店時間  | 一考   

 お名前は書かないが、昨夜も客に迷惑をお掛けした。せっかくいらしたのに店が閉っていたのである。これから梅雨を迎える。従って再度繰り返しておく。
 普段は六時に店へ出るように心掛けているが、雨降りはそうもいかない。雨天は車で出勤しているが、理由があって麹町の駐車場を利用している。そこは六時半からしか利用できない。駐車場から店まで歩いて十五分はかかる。それゆえ、雨天の開店は六時五十分になる。こちらの都合で申し訳ないのだが、費用節約のため、ご協力をお願いする。


2008年05月28日

同時代に生きる幸ひ  | 高遠弘美   

 ピンポンのやうで申し訳ありません。
 あの四葉の、プルーストのタイプ原稿の写真についてひと言のみ。あれは原書ではばらばらに配されてゐます。それをページ数との絶妙な調整とともに、あそこに入れてくださつたのはひとへに光文社古典新訳文庫編集部の方々のお力です。ぴつたりページが合つたときには、わたくしも感激いたしました。

 一考さんや駒井編集長以下光文社古典新訳文庫編集部の方々、また温かきお言葉を拙訳に寄せてくださつたすべての方々と同時代の空気を吸つてゐることに限りない喜びを感じてをります。


 追記
 タイプミス「わくしの」を「わたくしの」と訂正してくださつてありがとうございました。


2008年05月27日

後世ならぬ同時代の友へ  | 一考   

 全374頁の内、本文はほぼ半分の191頁。しかも口絵が真ん中に挿入されるという奇想に充ちた一本でございました。なかでも圧巻は訳者前口上、語り手とアルベルチーヌの関係にとどまらず、「その連想や比喩、分析や思考の道すじはときに、すんなりと頭に入らないことがあるかもしれない。その場合はもう一度反芻しながら、ゆっくりと読み進めることをお薦めする。文体上の複雑さは作品が晦渋であることを意味しない」
 プルーストを読むうえで大いなる示唆を得ました。こちらこそ感謝いたしております。


感謝いたしてをります  | 高遠弘美   

 後世ではなく、同時代にあつて、これだけ今回の仕事を評価してくださる方がいらつしやるといふことがどれほどわたくしを励まし、叱咤激励し、鞭撻してくださることでせうか。
 そして、駒井さんをはじめ、光文社の方々が拙訳「消え去つたアルベルチーヌ」に注いでくださつた愛情と熱意に、わたくしは心から打たれて、感謝申し上げてをります。
 今回ほど、拙訳に対して忝ないお言葉を頂いたことはありませぬ。これも三十六年近く、わたくしの人生の支へとなつてきてくれたプルーストのお蔭です。
 一考さん、駒井さんをはじめ、すべての方々に感謝いたします。
 ありがたうございました。これからも精進いたします。


鏡花の俳句  | 一考   

 「わが恋は 人とる沼の 花菖蒲 泉鏡花 意味」での検索が一昨日あった。この句の意味を検索したところでなにも出てきはしない。検索するのなら、それは自らのこころの内側である。索引で語を検索できても、文学は検索できない。なぜなら、文学とは文学するこころであって、情報ではないからである。ウェブサイトに文学にまつわる情報は顛がっているかもしれないが、文学とはついにウェブサイトとは無縁である。
 ここで云う「人とる」は字義通りであろうが、それでは面白くない。されば、「人とる」とは人のこころを捕るもしくは奪うの意として読み解きたくなる。それでなくとも、鏡花の俳句は鏡花の散文世界と切実に響きあっている。ボードレールのいうコレスポンダンスであろうか。従って、解釈は読み手によっていかようにも変化する、もしくは伸縮自在に読みうるところに俳句の俳句たる所以がある。
 「とる」には芸者や娼妓が客を迎えて勤めるの意もあり、いざないみちびくの意も含まれる。私などはいっそ人を危めるの意と取りたい。初夏、沼に咲く大輪の花菖蒲が人を殺める、恋心とはそのようなものである。こうなれば、鏡花の俳句のなかでもとびきり危険であり怖い俳句のひとつとなろうか。鏡花の句については、かつてですぺら掲示板1で書いたような記憶がある。


キルケニー未入荷  | 一考   

 キルケニー入荷と書いたが、入荷は週末かもしくは来週にずれ込む。新製品のため、流通在庫はどこにもない。従って時間が掛かるのは当たり前である。繋ぎに単品で仕入れようかと思ったが、うまくいかない。やはり、待つしかなさそうである。


「消え去ったアルベルチーヌ」  | 一考   

 先週の金曜日、駒井さんが来店。高遠弘美さんのプルースト「消え去ったアルベルチーヌ」の談議に終始した。のっけから細かいはなしで恐縮だが、グラッセ版をテキストに用いたため、著作権を取得しての翻訳となった。こういう場合はフランス側と翻訳者とのあいだで印税は折半となる。にもかかわらず、翻訳者に支払われる印税は八パーセント。フランス側へ支払われる印税は光文社持ちとなった。この一点をもってしても、彼の本書にかかわる姿勢のおよそが察知される。
 駒井さんは云う。ウーロン茶やトロピカルなど、酎ハイが持て囃される世の中にあって、かような生一本こそが私の造りたかった書物である。また、当企画を通すにいかばかりの苦労があったか、最終校では丸二日の徹夜を余儀なくされた等々、はなしは深更を通り過ぎて朝明けにおよんだ。
 彼が手掛ける「光文社古典新訳文庫」は売れている。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」は通算で八十万部を超えてまだ躍進中である。長く翻訳書の売れ行きは低迷していたが、それに「新訳」との起爆剤でもって彼は応じた。聞くところによると、「消え去ったアルベルチーヌ」はドストエフスキーのそれにつぐ売れ行きだそうである。慶賀すべきことである。

 プルーストの文体は流麗である。さればこそ、文体に酔うことが可能な作品なのである。にもかかわらず、酔わせるプルーストはどこにもなかった。「失われた時を求めて」に幾度となく挑戦し、その度に敗退させられたのである。「二〇世紀の新しい文学」とはかくまで難解であり、読みづらいものなのかというのが私の偽らざる感想であった。これはプルーストに限らない、ジャン・ジュネにしてからが読むに忍耐が必要となる。原作者はきっとこのようなことを言いたいに違いない、との想像力を欠いては一頁すら読み進められないのである。
 先だって、「翻訳にあっては日本語の能力以前にフランス語の能力が問われる。翻訳はフランス語からの類比推理であって、いくら日本語に精通していてもそれだけでどうこうなるものではない。フランス語による思考回路を持ってはじめて馥郁たる日本語への置換が可能になる。そのような能力を有し、和文にも堪能したひとと申せば、高遠弘美を除いて他にはあるまい」と書いた。今般の高遠さんの「消え去ったアルベルチーヌ」は実に新訳を通り越して本邦初のプルーストの翻訳であった。
 読み進むうちに、高遠さんに全訳の意志ありと確信した。その旨を駒井さんに伝えたところ、覚悟ありとの明解かつ意味深い応えが返ってきた。プルーストは高遠さんの生涯の伴侶として相応しい。おそらく十五、六巻になるであろうことは必至。ここは一番、奮起していただきたく思う。

 朝まで酒を酌み交わしたと前述した。駒井さんへ次なる書冊のリクエストを繰り返し述べた。彼にわが国の翻訳の歴史を書き換えていただきたいからに他ならない。


煙特集  | 一考   

 ドイツのリンブルグにはじまったウィスキー・フェアが人気を博している。会場向けのボトルが通年で売られるようになり、ウィスキー・フェアは全欧州へ拡がっている。そうして出来た新しいモルト・ウィスキーの客の四分の三がアイラ・モルトを嗜むという。それが理由でこのところアイラ・モルトが品薄である。アイラ島に八番目のキルホーマン蒸留所ができたのも、そのブームを見越してのことである。
 ブームとは怖ろしいものでアイラ島以外の蒸留所もヘヴィリー・ピーテッド・モルトに力を入れはじめた。アイル・オブ・ジュラ、ベンリアック、キャパドニック、アードモア、ベンローマック、スキャパ、グレン・スコシア、ロングロウなどである。もっとも、ロングロウは昔からだが。それに今までヘヴィリー・ピーテッド・モルトを造っていなかったブナハーヴン、ポート・シャーロット(ブルイックラディ蒸留所)、かてて加えるに山崎、白州、それで計十二種類となる。山崎、白州の変わりにブレッヒンとリンブルグのアードベッグでもかまわない。
 次回のモルト会は題して「煙を飲む」、田中屋の栗林さんのアイデアであり、彼の協力を得ることになった。


キルケニー入荷  | 一考   

 ヒデキさんからキルケニーの罐が発売されたのを聞いた。さっそく一ケース註文、明日の夜には入荷するので明後日からは販売できる。
 キルケニーについては2005年3月15日のですぺら掲示板でヒデキさんが書いておられる。

 先日お話したキルケニーを扱っているお店の名前ですが、「アイリッシュパブ スタシェーン」でした。JRの駅構内にあるようなお店ですから、もうあちこちに出来ているものと思っておりましたが、現在はまだ上野、田町、西荻窪の三駅でのみ営業しているようです。
 http://www.nre.co.jp/stasiun/
 昨日も行ってきましたが、キルケニーはそれだけでも、あるいはギネスとのハーフ&ハーフでもやはりとてもおいしかったです。
 難しい条件のあることは先日も伺って承知しておりますが、貴店の素晴らしいスモークを肴にキルケニーを楽しみたいという気持ちを捨てきれないでおります。

 同じ年の3月20日には松友さんが書いておられる。

 西の地でキルケニーを頂戴しましたお店といえば三宮、いや元町の「ザ ダブリナーズ アイリッシュ パブ」でしたかしらと。ライオンチェーンのお店だったと思いますが確かにサイトで見ても神戸にはお店がないようになっています。往時は確か神戸の三宮と元町の間の海側で、大丸傍の東京三菱銀行の東隣のビルの地下辺り、階段を下りると片側がライオン、片側がダブリナーズでした(今は昔なので場所は間違っているやも)。同サイトですと、此方、赤坂にはあるようですので今度寄る機会があれば、です。取り合えずキルケニーはサイトには出ていますし・・・

 神戸ではギネスとのハーフ&ハーフでよく飲んだが、今の私にはキルケニー単品の方が好ましい。輸入元はサッポロ、これからは日々嗜むことができる。


2008年05月24日

近況  | 一考   

 このところモルト・ウィスキーの客で忙しい。雑誌のお陰もあり、他方ウェブサイトを覧てという客も多い。despera.comのカウントは増え続けている。ウェブサーバの統計によると一日五千件をコンスタントに超えた。ありがたいはなしである。
 客が増えればモルト・ウィスキーは減る。拙宅からのボトルの大量投与で急場を凌いでいるが、このまま行けば、あと一年ほどで在庫は尽きる。旧店舗で仕入れた収集品というか、ボトルが六百本はあった。それが目に見えて減ってきたのである。開店以来、この七箇月で既に二百本は注ぎこんだように記憶する。この二百本にはディスティラリー・ボトルの追加購入は入れていない。フードがなくなった分、なおさらモルト・ウィスキーの消耗が激しいのであろう。

 高遠弘美さんの「消え去ったアルベルチーヌ」を検索して訪ねる方が多い。私はといえば、四月十四日に同書の近刊予告を書いたのみ、実は送られてきた同書を日曜日にゆっくりと読ませていただくつもりにしていた。ところが前項の理由によって読書は不可能になった。急ぐ必要はあるまい、遅らせる方が愉しみが増そうというものである。
 同じ高遠さんの書き込みに影響を受けて著した「針聞書」のキャッシュを作りにロボットが日参している。そして同じキャッシュにバーン・スチュワートが挙がっていたが、こちらは生産量世界第三位のメーカーにしてブローカー、そして蒸留所のオーナーでもある。いづれ別項を設ける。

 鶴留さんへ一言。拙宅の書庫から吉行淳之介はなくなっていた。驟雨、原色の街はおろか、湯川書房で造った限定版、ご当人から寄贈された著書もである。残日は少ない、読み切れない書物は躊躇なく売りさばいている。散書の悲しみは集書の段階ではじまっている。あと十年余のあいだに蔵書はことごとく処分したく思っている。書物同様、人の存在も新陳代謝である。


2008年05月20日

林礼子さんと野溝七生子  | 一考   

 名古屋で人間社を営む高橋正義さんから「ぱうぜ」終刊号の寄贈にあずかった。昨年五月五日、肝硬変にて逝去された林礼子さんの追悼号である。
 「ぱうぜ」は音楽の休止符、ドイツ語で「ぱうぜ」と発音する。いとすこしの休憩の意で林さんは用いていた。二十年来書き続けた「作家」を退去し、発表の場を個人誌「ぱうぜ」に求めた。
 追悼号には「終焉の確認」「湯ヶ島 小さな文学室」そして「手紙の中から」と題する文章が収められている。「終焉の確認」には「昭和一桁生まれの私が青春時代に憬れた作家たちは、一部を除いて、ならして貧しかった。十代の私には、その貧しささえ憬れに値した。権力なんて無縁でいい。評価は低くて結構。必要以上の付き合いはしたくない。そのかわり親切で優しかったと言われたいなどと思ったりした」とある。
 肝硬変から癌に進んで三年を経て、なお生きながらえる彼女の矜持のようなものがせつせつと伝わってくる。全文を引用したいのだが、そうもいくまい。せめて、辻潤の箇所だけでもと思う。

 辻潤の貧乏振りはまたいちだんと凄まじかった。妻が大杉栄に走り揚句に虐殺されたことに、どれほど心を痛めたことだろう。私の知人である脇とよさんは、辻潤、無想庵などと同じ時代に生きた女性であったが、狂人のごとく乞食姿で現れ座敷に陣取る辻潤に困惑しながら、それでも酒をふるまい自分の食事を食べさせた人である。晩年のとよさんを老人施設に訪ねたおり、とよさんははにかむように私に尋ねた。「礼子さんは無想庵と辻潤とどちらが好きなの」と、そして私の答えを待たずして「私は辻さんの方が好き」と加えた。私はとよさんの穏やかな表情を見つめながら涙がでた。「辻さんは優しくて、頭もよくて才能もあった人だけれど、あまり貧乏すぎたのよ」と、とよさんは辻潤をどこまでも弁護した。辻潤の死因は餓死であった。アパートの部屋でたった独りで死去した。びっしりとついていた虱さえも、死体となった辻を見捨ててゾロゾロと離れていったのだと聞いた。それでも辻はその貧しさの中で作品をたくさん生み出している。

 林さんは「虚無思想研究」第十一号へ「辻潤と野溝七生子—辻潤没後五十年に寄せて—」を寄稿している。そう、林さんといえば、野溝七生子や辻潤を繙く者にとって、馴染みの作家である。野溝七生子の姪御さんで、著書に「希臘の独り子──私にとっての野溝七生子」がある。「希臘の独り子」とは「山梔」の由布阿字子が自らにつけた名前である。矢川澄子にとっての野溝七生子が「ヌマ叔母さん」なら林さんのそれは「ナア叔母様」だった。
 高橋正義さんが朝日新聞へ追悼文を掲げている。

 個人の思いが強ければ強いほど、世間との折り合いが困難となるのは常だが、林さんもその一人だったのだろう。常々「生きにくさ」を自覚していた林さんは、「そういうときは一切合切を棄て、もう一度生き直す」ことを信条としていた。「野溝の血を書く」と語っていた言葉は、イコール「生きにくさ」を書くことでもあった。世間智に長けていない者ゆえに身につけた処世の術を、作品に登場させる「私」に込めて書き続けた。品性を失わなければ敢然と立ち向かっていけると書けば書くほど、立ち向かうことの孤絶もまた浮き彫りになるようだった。

 「十代の頃から長い間自殺志願者だった私」すなわち林さんの生死が透けてみえるような文章である。今回、その高橋正義さんのご協力を得て、私家版で上梓された「希臘の独り子──私にとっての野溝七生子」を五部ほど店に取り置くことになった。野溝七生子に、そして林礼子に興味をお持ちの方はですぺらへどうぞ。

追記
 林礼子さんの晩年は不遇だった。社会福祉や戦争資料館開設などに奔走するも中途で手を引き、作品集の出版すらが平成元年で跡絶える。そうした頓挫の繰り返しは自ら招いたもの、個として生きるとは真面目な煩悶に身を曝すことに他ならない。世間を狭めて生きた一人の作家の夢中の呻吟が聴こえてくる。野溝七生子から尾崎翠、吉屋信子、森茉莉、矢川澄子といったガーリッシュな私小説の系譜がここにもある。
 他に「セシリアの笛」(昭和五十八年二月 作家社刊)、「名古屋今池界隈」(昭和五十八年二月 鳥影社)あり。「希臘の独り子」は昭和六十年十二月に林礼子出版事務局から刊行された。
 昭和八年一月十六日生れ、母の名は澄子。野溝家は豊後竹田(大分)の旧家で、軍人の父のもとで七番目に生れたのが七生子、五番目の男子のもとに生れたのが林礼子さんです。戸籍名は山崎禮子。
 若くして多くの文士と親交を持ち、平塚らいてうを知ったのも「ナア叔母様」の紹介になる。「紅爐」を主宰した島岡明子さんとは特に近しく、辻潤に関するエッセイをまとめた「孤影の人」の著者、脇とよさんとも行き来があった。平成六年、今池の酒場「ぱうぜ」で催された「ダダイスト辻潤展」は彼女の尽力によるもの。


2008年05月19日

オフィシャル・ボトル  | 一考   

 業界とか専門という言葉ほど嫌なものはない。「ありそうでウッフンなさそうでウッフン」というのが業界や専門家の意味合いであろう。ひとは同業者仲間だけを対象に生きているのではないし、一本やりで生きられるものではあるまい。「業界人」のような閉鎖的文言をことさらに強調するひとを私は小馬鹿にしている。
 さて、その業界ならぬウィスキー好きのひとと昨日の午後は一緒だった。ちなみに、モルト・ウィスキーを嗜む方で私が尊敬するのはわが国に五人しかいない。わずか五人では「業界」にならない。そのうちの二人と昼下がりの晤語を愉しんだのである。もっとも、それが理由で愉しみにしていた読書が後回しになってしまったが。
 モルト・ウィスキーの世界は近頃、マニアによって穢されている、という話になった。その典型がオークションである。ウィスキーは書物と同じで、売り急ぐものでも買い急ぐものでもない。また、飲むものであって蒐集するものではない。況や、嗜好品への知識が自己表現になるなどとは決して思わない方がよい。にもかかわらず、どのような世界であれ、その途のプロらしきひとが居、訳知り立てが幅を利かすのは困ったものである。

 実はコニャックの原稿の進捗を確認に行ったのだが、逆に催促されてしまった。昨今ウィスキーに関する書物は多いが、土屋さんの著書を除いて総花的な概略本ばかりであり、香味についてのオリジナリティに欠ける。蕃椒三羽烏のダルユーイン、ピティヴェアック、グレンキンチーだとか、スペイサイドの香りの迷路を代表するのはブレイヴァル、クラガンモア、バルヴィニーの三種などという意見を貴方が書かなければ誰が書くのかと叱責される始末。タイトルには「一考のぐでんぐでん」がよいとか「へべれけ一考」だとか勝手なことをいう。
 そう云えば、十年ほど前、モルト・ウィスキーの稿を書こうとして資料の整理を試みたことがあった。恰度そのころからであった、ボトラーが無闇と増えて手が付けられなくなった。88年に三社しかなかった瓶詰業者が十年後には六十社ほどに増え、今では百社を軽く超えて実体は藪の中。ペーパーカンパニーやプライヴェート・ボトラーを入れると雲を掴むようなはなしになった。それでも上京後、二、三年はがんばってみたが泥沼はますます深くなるばかり、その後はすっかり諦めてしまった。
 ユナイテッド・ディスティラーズ社の「花と動物シリーズ」は「クラシック・モルト・シリーズ」に収録されなかった蒸留所のモルト・ウィスキーを90年代に入ってからボトリング。当初は蒸留所の売店もしくは近隣での販売を目的としたため、蒸留所周辺に棲息する動物や植物の絵柄をあしらい、土産品としての付加価値を高めた。同シリーズは「クラシック・モルト・シリーズ」とは異なり、オーナーズ・ボトルであってもディスティラリー・ボトルではない。どれもこれもシェリー香が強く、美味すぎるのである。カリラなどはその典型で、飲めば飲むほどにカリラの実体から離れてゆく。94年からはじまった「レア・モルト・セレクション」三十一種はさらにその傾向が顕著であった。
 シェリー酒とウィスキーの生産量が逆転するまで、モルト・ウィスキーはシェリー樽で熟成されていた。それを考慮すれば、ユナイテッド・ディスティラーズ社の商品は伝統的な熟成法に則ったものといえる。確かに同社のダブル・マチュアードはよく考えられてい、タリスカーなどは際立って美味い。
 現今のブームともいえるモルト・ウィスキーの需要を担ったのはゴードン&マクファイル社、ケイデンヘッド社、シグナトリー社、そしてユナイテッド・ディスティラーズ社の四社である。ユナイテッド・ディスティラーズ社は業界最大のブローカーであり、88年創業のシグナトリー社は当初ケイデンヘッド社から樽の供給を受けていた。
 「花と動物シリーズ」二十七種のシリーズに先行する形で、アバフェルディ、インチガワーなど、ラベルに蒸留所の絵を刷り込んだボトルが80年代に頒布されていた。やがて「花と動物シリーズ」は2001年のリリースを最後に中断された。今では流通在庫が五、六種類頒されているのみ。オーナー会社のユナイテッド・ディスティラーズ社(現ディアジオ社)はボトラーズとしての役目を終え、蒸留所は自らオリジナル・ボトルを拵えるようになった。それが和製英語でいうところのオフィシャル・ボトルである。
 90年代ならまだしも、今世紀に入ってからは概略本など、なんの意味も持たなくなってしまった。というのも、蒸留所がボトラーズに倣ってシングル・カスクを出すに至り、ボトラーズ・ボトルとディスティラリー・ボトルの色分けが意味をなさなくなってしまったのである。この傾向は今後ますます強くなってゆく。
 二年ほど前にモルト・ウィスキーは輸入総量で中国に追い越され、昨年は台湾にも追い越されたと聞く。台湾ではストラスアイラのがぶ飲みが流行りとか。アジアで三位の消費量とは申せ、その差は間違いなく拡がるばかりであろう。


2008年05月18日

モルト会解説  | 一考   

ですぺらモルト会(ブレイヴァルとクラガンモアを飲む)

 クラガンモア '90(マーレイ・マクデヴィッド)
 バーボン・カスクの11年もの、46度のシングル・カスク。
 マーレイ・マクデヴィッド社はグラスゴーとロンドンに店を持つ瓶詰業者。オーナーのゴードン・ライトのファミリーは1828年以来、スプリングバンク蒸留所を経営。「スプリングバンク」のディスティラリー・ボトル同様、すべての商品は46度に調整されている。2001年初頭、アイラ島のブルイックラディ蒸留所をジム・ビーム・ブランド社より買収。また、マッキンタイアという瓶詰業者のボトルが時折日本でも出まわるが、これはマーレイ・マクデヴィット社がドイツの輸入会社のために瓶詰、すべてがカスク・ストレングスである。
 同社のボトルの裏ラベルには必ず繰り言が著されている。例えば「アードベッグ」のラベルでは、蒸留所をわが社に売らず、何故グレンモーレンジ社に売却したのかといった類である。「ラフロイグ」も然り、ディスティラリー・コンディション以外のボトルが頒布されるのを嫌がった同社との間に訴訟騒ぎを起こしている。結果、わざとラフロイグのスペルを誤植させ、お茶を濁す始末。かかる生臭さに私などは惹かれるのである。最近、「ミッション」と題して長期熟成のコレクションを頒布している。

 クラガンモア '89(ヴァン・ウィー)
 アルティメットの一本。オーク・カスクの12年もの、43度のシングル・カスク。
 ヴァン・ウィー社は1921年に煙草の卸業者としてオランダのアムステルダム郊外に設立。マッカランやグレンファークラス等の蒸留所元詰めや、ゴードン&マクファイル社やケイデンヘッド社のボトラーズ・モルトをオランダで最初に輸入。1994年からアルティメットの名でコレクションを頒す。シングル・カスク、ノンチル・フィルター、ナチュラル・カラーを順守し、モルト愛好家の期待に応えている。
 わが国へは2000年1月入荷のスプリングバンクが最初。同年6月以降は順次輸入されている。
 同社のホームページはこの種のものとしては傑出している。情報量の多さもさることながら、マイケル・ジャクソンに倣い、すべてのボトルに点数を設けています。蒸留所の写真も豊富に掲載されてい、モルト・ファンなら覗かずにはいられないホームページ。
 (http://www.awa.dk/whisky/windex.htm)

 クラガンモア '89(キングスバリー)
 3年ぶりのオリジナル・ボトル。ホグスヘッドの11年もの、46度。396本のシングル・カスク。
 元イーグル・サムという会社名でキングスバリー・シリーズを発売している。社名もそれにならいキングスバリーと改称され、本拠地もキャンベルタウンからアバディーン、そしてロンドンへ移された。現在ではワインと蒸留酒全般を扱う。
 ボトラーのケイデンヘッド社の子会社。着色、添加は一切行わず、濾過はペーパー・フィルターのみ使用。すべてがシングル・カスクであり、蒸留年月日、瓶詰年月日、樽の種類等、モルトの性格を識るに必要な項目はラベルに記載されている。なお、ラベルに著されたテイスティング・ノートは鑑定家ジム・マレーの手になるもの。
 2000年4月「ケルティック・コレクション」が新たに頒された。ケルト文字をあしらった美しいデザインのラベル、中味も秀逸なコレクションである。ついでハンドライティング・シリーズを頒布。その名のとおり、ラベルがハンドライティングで仕上げられている。オリジナルとケルティック・コレクションに次ぐシリーズ。

 クラガンモア '89(ケイデンヘッド)
 オーセンティック・コレクションの一本。オーク・バットの12年もの、59.2度のカスク・ストレングス。678本のリミテッド・エディション。
 ケイデンヘッド社は1842年、エディンバラにて創業。現在はキャンベルタウンを本拠地とし、エディンバラのキャノンゲートとロンドンのコヴェント・ガーデンに店舗を持つ。スコットランド最古のインデペンデント・ボトラーにして、ゴードン&マクファイル社と共に業界の雄。オーナーはJ&Aミッチェル社でスプリングバンク蒸留所とは同資本。「オーセンティック・コレクション」「オリジナル・コレクション」「ボンド・リザーヴ」「チェアマンズ・ストック」等のコレクションがある。着色と低温濾過を施さず、樽と樽とのヴァッティングも一切行わない。一樽限定のシングル・カスクという贅沢な飲み方を世界に広めた第一人者。子会社にダッシーズ社とイーグル・サム社(現キングスバリー社)があり、サマローリ社やスコッチ・モルト・ウィスキー・ソサエティー社等、多くのボトラーに樽を供給している。ユナイテッド・ディスティラーズ社のボトルに満足せず、さらなる刺激をお求めの方にお薦め。

 クラガンモア・カスクストレングス '93(DB)※
 ボデガ・ユーロピアン・オークの10年もの、60.1度のカスク・ストレングスにしてディスティラリー・ボトル。15000本のリミテッド・エディション。
 熟成年とアルコール度数を感じさせない柔らかさを持つ。コーヒーやビターチョコレート、グレインや皮、マディラ酒などの香り。加水すると、スモーキーさからウッディな芳香へ、さらにナッツ系の香りへと変化してゆく。ハーブやスパイス(月桂樹・胡椒の実・ナツメグ等)のキャラクターを内包。さまざまな暗示があり、名状し難い複雑な味わいを呈している。
 ディスティラリー・ボトルとしてディアジオ社のクラシック・モルト・シリーズに12年ものが入っている。飲み口の柔らかさと豊潤なこくと香り、そのバランスのよさと華やかなフレーバーはモーツァルトのシンフォニーに例えられる。評論家マイケル・ジャクソンの採点ではマッカランに次ぐ高得点。名実共に、スペイサイドを代表する銘酒。オールド・パーとアンティクァリーのメイン原酒。
 ディスティラリー・ボトルは先頃ラベルが変わったが、香味に変化はない。他にダブルマチュアードのポートとフレンド・オブ・クラシックの14年もの、さらに29年ものカスク・ストレングスが頒されている。

 クラガンモア・カスクストレングス '88(DB)※
 リフィール・アメリカンオーク・ホグスヘッドの17年もの、55.5度のディスティラリー・ボトル。5970本のリミテッド・エディション。
 10年ものより、色は淡く、香味は確実に複雑。スティルの独特な形状により、蒸気中の不純物がローワインに戻され再凝縮する「リフラックス」のよさを最大限に活かす。つねに芳香が変化する様はバルヴィニーのシングル・カスクと双璧。表現力豊かなクラガンモア。
 それにしても、10年ものをスパニッシュ・オークのシェリー樽、17年ものをアメリカン・オークで熟成するところは非凡。10年であればカスク由来の変化に富む香味の力を借り、17年であればこそカスクによる変化を拒む、ブレンダーの卓越した妙技に感服。

 クレディタブル '75(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。25年もの、50度のプリファード・ストレングス。限定300本のシングル・カスク。中味はクラガンモア。
 蜂蜜と柑橘系のスイートな香り、香草を食むような膨(ふく)よかな味わい。水際立った切れ上がりのよさ、嫋々(じょうじょう)たる余韻。
 ダグラス・レイン社は1949年、グラスゴーにて設立。「キング・オブ・スコッツ」等、ブレンデッド・スコッチを扱うブレンダー兼輸出業者。1999年よりオールド・モルト・カスクと題するシングル・モルトのコレクションを頒布。現在はオールド&レア・プラチナ・セレクションにも力を入れる。ダグラス・レイン社は父方の、ダグラス・マクギボン社は母方の一族が営み、ミルロイ兄弟とは親しい。
 アルコール度数を50度に限るのが同社のポリシーだが、熟成期間が長く、アルコール度数が50度未満のものはカスク・ストレングスとして頒される。50度を越える高アルコールのボトルは望むべくもないが、稀少品が多く、比較的コンディションもよい。ポート・エレンをはじめ、入手しにくい蒸留所の長期熟成品のボトリングがこのところ続いている。現在、最も活躍しているボトラーである。

 ブレイヴァル '96(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。シェリー・バットの9年もの、46度。 
 プロヴァナンスとはグラスゴーのインデペンデント・ボトラー、ダグラス・マクギボン社のコレクションの総称。同社は1949年に創設。創業者のアゥルド・ダグラス・マックギボンは現在のオーナーの祖父。彼はアイラ島で水没した蒸留所、ロッホインダールとポートシャーロットのマッシュハウスの責任者で、スコッチウイスキーへの愛情とこだわりは、研修生としてブルイックラディ蒸留所で働いていた時代に育まれた。スコッチウイスキーの販売をはじめてから頑なにノーカラーリング・ノーチルフィルターリングを貫く。ラベルの左側には彼らのモルトウイスキーへのこだわりが、そして右側にはテイスティングノートが、そして特筆すべきは春夏秋冬と蒸留したシーズンによって異なるラベルカラーと風景画を用いている。

 ブレーズ・オブ・グレンリヴェット '85(シグナトリー)
 オーク・カスクの16年もの、43度。432本のリミテッド・エディション。
 ソフトな中甘口、噛み応えのあるボディ。
 シグナトリー社は1988年、リースで創業。現在はエディンバラに事務所兼倉庫を持ち、ボトリングから保管に至るすべての業務をを行う。「ダンイーダン」「サイレント・スティル」等、他では飲めない稀少なシングル・カスクが多い。ヨーロッパ向け限定商品として「アン・チルフィルタード・コレクション」や「ストレート・フロム・ザ・カスク」ドイツ向けに「ザ・シングル・シングル・モルト・コレクション」「ナチュラル・ハイ・ストレングス」日本向けに「ザ・フラゴン・コレクション」をボトリングするなど、多彩なコレクションで識られる。ラベルにはカスク・ナンバーやボトル・ナンバー等、詳細が著されてい、樽がもたらす個々の性格の違いが愉しめる。
 同社のカスク・ストレングスにあって、ダンピー・ボトルのシリーズは逸品揃い、ぜひ味わって頂きたいモルト・ウィスキーである。上記シリーズに取って代わったカスク・ストレングス・コレクションは同社の総力を挙げての快挙。グレンキース蒸留所で実験的に造られたクレイグダフ等が入っている。

 ブレイズ・オブ・グレンリヴェット '77(キングスバリー)
 オーク・ホグスヘッドの19年もの、48.9度のカスク・ストレングス。シングル・カスク。
 蒸留所名はブレイヴァル。シーバス・リーガルの原酒モルトのためディスティラリー・ボトルはなく、インデペンデント・ボトラーを介してやっと入手可能になった。しかし、1994年にグラスゴーにおいて設立された瓶詰業者アベルコ社がシーバス・ブラザーズ社の許可の下でディアストーカーを販売。10年、12年、18年の三アイテムがリリースされた。12年と18年はバルミニックだが、10年はブレイヴァル。準オフィシャル・ボトルといえる。
 同10年ものは熟したグスベリーと西瓜のふくよかな香り。ライトボディにしては華麗で長いフィニッシュ、歯ごたえさえ感じさせる。ちなみに、マイケル・ジャクソンやジム・マーレイなどウイスキーの専門家も高く評価している。
 なお、二回目のリリースでは12年ものの中身がアルタナベーンになっている。ラベルに蒸留所名が記載されているので、購入時には確認が必要。

 ブレイズ・オブ・グレンリヴェット '89(ダンカン・テイラー)
 ピアレス・シリーズの一本。オーク・カスクの18年もの、50.2度のカスク・ストレングス。347本のリミテッド・エディション。
 ダンカン・テイラー社は1961年にアラン・ゴードン氏によって設立、ダフタウンから東へ20キロ、ハントリーの町にオフィスを構える。ブレンデッド・ウィスキーの「グレン・アルバ」「スコティッシュ・グローリー」「グレンダロッシュ」やシングル・モルトの「ウィスキー・ガロア」などの商品を持つウィスキー・メーカー。
 2002年5月、新たにザ・ピアレス・コレクションを頒布。21年以上熟成されたシングル・モルトとシングル・グレーンを専門に扱う。同コレクションは元々B・デヴェロップ社から頒されていたが、その商標をテイラー社が買い取ってラベルを新たにしたもの。デヴェロップ社のボトルはわが邦には未入荷。なお、ハート・ブラザーズ社の長期熟成のモルトはダンカン・テイラー社の提供になるものが多い。

 ブレイズ・オブ・グレンリヴェット '75(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの一本。32年もの、43度。
 前回は25年ものだった、実に七年ぶりのボトリング。蒸留所創業二年目のウィスキーだが、香味共に非の打ち所がない。
 アルタナベーンとは兄弟蒸留所だが、こちらは重厚な味わい。メイプルシロップや干し葡萄の甘い香り、蜂蜜のような深くまろやかなこくとオレンジ・ピールの風味。フィニッシュは長くドライ。かかるボトルを飲むとカスク・ストレングスにこだわる理由が薄らいでくる。創業は73年と新しいが、ストラスアイラ、グレンキースと共に傑出したモルト。ストラスアイラが甘すぎるという方に強くお薦め。

追記
クラガンモアに関しては、もう一度飲み会を催すに必要なボトルの在庫がある。いずれ機会を持ちたい。
このところ、瓶詰業者について出来るかぎり書くように心掛けている。併し乍ら、頻繁にオーナーもしくは系列が変わるため、間違いも多かろうと思う。ご一報くだされば幸いである。


2008年05月17日

週刊文春  | 一考   

 ですぺら紹介文が掲載される週刊文春の発行日が22日の木曜日に決まった。巻末の「ニュースなレストラン」がそれで、見開きで載る。料理通信の君島佐和子さんに感謝。
 それにしても、高級モルト・ウィスキーの紹介になってしまった。もう少し、安価なものを事前に選ぶべきだったと、これは私の反省である。


ボトラーとラベラー  | 一考   

 成城石井卸売本部の東京ヨーロッパ貿易がウィスキーの輸入から撤退するようである。同社は焼肉チェーン「牛角」などで知られるレックス・ホールディングスの傘下にある。それが理由かどうかはここでは記さない。ただ、成城石井はエディンバラの瓶詰業者ウイルソン&モーガン社の代理店である。
 ウイルソン&モーガン社は古くからエディンバラに拠点を置きさまざまな樽をリリースしてきたイタリア資本の会社。謂わば、イタリア系ボトラーズ・ブランドの「はしり」ともいえる老舗で、ムーン・インポートやサマローリよりも幅広い支持を受けている。イタリア国内の三ツ星レストランやバーなどではよく知られた瓶詰業者なのである。
 日本ではサマローリが有名だが、サマローリはブレシアの酒商で、ケイデンヘッド社とその子会社ダッシーズ社と太いパイプを持っている。要するに、樽の大半はケイデンヘッド社から提供を受けている。全体量が少ないのでコレクターズ・アイテムとしての評価を受けているが、私はボトラーならぬラベラーとして認識している。ケイデンヘッド社から樽の供給を受けるという点に於いて、キングスバリーやスコッチ・モルト・ウィスキー・ソサエティーと似ている。

 かつてホームページに以下の文章を掲げた。
 「1996年以降、モルト・ウィスキーを扱う業者が急速に増えている。記載したインデペンデント・ボトラーズ以外にも、エディンバラ周辺ではウェイヴァキー・ヴァントナーズ、フォース・ワイン、ルヴィアン・ボトル・ショップ、ロイヤル・ミル、ヴィルヌーヴ・ワイン等、グラスゴー周辺ではペックハム&ライ、ウィリアム・モートン、ギャヴィン・リドル、ワラセス・エクスプレス、セントラル・キャッシュ&キャリー等、ロンドン市内ではオドビンス、ザ・ヴィンテージ・ハウス、ザ・ウィスキー・エクスチェンジ等のカンパニーがある。
 ウィスキー業界ではブローカーが中心的役割を占める。ブローカーは大量に購入したモルト・ウィスキーをブレンド業者やインデペンデント・ボトラーズに販売する。桶買いならぬ樽買いである。その樽買いと、昨今のモルト・ウィスキーのブームが相乗し、瓶詰業者のボトルの洪水がはじまっている。過去、モルト・ウィスキーを扱っていなかったワイン商や食料品店がプライベート・ボトルを販売。聞くところによると1998年以降、年間に輸入されるボトルは軽く一千種を越えるという。愛好家にとってはうれしい悲鳴だが、蒸留所は苦い思いを噛みしめている。ボトラーズの扱うウィスキーが、ディスティラリー・ボトルの売れ行きを抑制しているのではないかとの疑惑がそれである。事実、ボトラーズへ流れるモルト・ウィスキーが急速に減っているようである。このところU.D.V(ディアジオ)社とボトラーズとの間に諍いが絶えず、蒸留所名を明記しないインデペンデント・ボトルが増えている。かかるボトルはシングル・カスクとしてボトリングされることが多く、美味なものが大半を占めるにもかかわらずである。このままでは瓶詰業者は自らの首を絞めることになるかもしれない。洪水の要はないが、適度なチョイスは残してほしいものである」

 文中、「一千種を越える」とあるが、今ではその二、三倍のボトルが輸入されている。そして、自前の熟成庫を持つボトラーを除けば、ほとんどのボトラーは決まったブローカーまたは大手のボトラーから樽を購入している。従って、弱小のボトラーは淘汰されてゆく運命にある。数年後には大手五社だけが生き残るだろうとの悲観的な見方すらある。ちなみに大手のボトラーが所有する樽数は以下のごとし。

 イアン・マクロード社 20,000樽(グレンゴインを除く)
 ゴードン&マクファイル社 17,000樽(ベンローマックを除く)
 シグナトリー社 12,000樽(エドラダワーを除く)
 ダグラス・レイン社 10,000樽
 ダンカン・テイラー社 4,000樽

 この辺りで、ボトラーとラベラーとの識別をすべきではないかと思う。いかにユニークとはいえ、ラベル一枚に高い金数を払うがごとき、無駄な浪費は止めるべきだと云いたいのである。「蒸留所は苦い思いを噛みしめている」とも書いた。しかし、その蒸留所が十万円を超えるボトルを陸続と頒布しはじめたのも問題である。アードベッグやラフロイグの一部の商品の値付けには疑問を挟まざるを得ない。
 さて、リーズナブルな商品を多くリリースし、常識的なプライスを保ってきたウイルソン&モーガン社のボトルがT酒店で売られている。マッカラン、グレンリヴェット、グレングラント、グレンフィディックのような世界の酒が一方に在っても構わない。ただ、ウィスキーはスコットランドの地酒である。地酒には地酒としての嗜み方がある。


2008年05月16日

新入荷のボトル  | 一考   

 アードベッグ '90(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。バーボン・カスクの10年もの、43度。
 頗るユニークにして、かつ巧緻な味わいのアードベッグ。微かなバニラ香を持つミディアム・ボディ。口に含むと甘いフローラルな味わい。ただし、ラスト・ノートは正真のアードベッグ。ゴードン&マクファイル社の加水タイプと比してはるかにソルティー、長く続 くフィニッシュは申し分なし。
 フローラルな味わいの理由はポート・エレンのモルトを使用したこと。かかるボトルがコレクターズ・アイテムになるのなら異議はない。

 アードベッグ・スティルヤング '98※
 ディスティラリー・ボトルの8年もの、56.2度のカスク・ストレングス。
 04年発売のベリー・ヤングに続いて06年に発売。同じ蒸留年のウィスキー熟成の過程を愉しむとのコンセプトでボトリング。本品についで08年にオールモストゼアが発売された。他にコミッティー・ヴァージョンやウィスキー・フェア用に異なるヴィンテージのものがボトリングされている。

 アードベッグ・オールモスト・ゼア '98※
 ディスティラリー・ボトルの9年もの、54.1度のカスク・ストレングス。
 04年発売のベリー・ヤング、06年発売のスティルヤングに続いて08年に頒された。同じ蒸留年のウィスキー熟成の過程を愉しむとのコンセプトでボトリング。本品が最終のボトルである。しかし、前二者とは異なって噛み応えと香味に深みあり、一年の差とは思われない。

 ボウモア・カスク・ストレングス※
 ディスティラリー・ボトル、56.0度のカスク・ストレングス。
 本品はなくなるまでの特価販売です。

 スプリングバンク・ブラック・ファウンダーズ16年
 08年4月発売のロッホデール社のサード・リリース。46度のミディアムボディ。
 前回のブルー・ファウンダーズから5年、これまでは、ビンテージ、熟成年の記載がなかったが、今回はより熟成を経た16年ものとしてボトリング。
 芳醇で甘く滑らかな味わい、フルーツ香とクリーミーなココナッツ、かすかなスモーキー・フレーバーガ織りなすクラシカルなスプリングバンク。美味。

 グレンキース '85(モンゴメリーズ)
 シングル・カスク・コレクションの一本。17年もの、43度。
 モンゴメリーズ社のグレンキースはオフィシャル・ボトルと比してべっこう飴の芳ばしさに少し欠ける。これはボトラーのグレンキースに共通して言えることで、シェリー香がより弱く、やや辛口に振られている。ちょうど、ゴードン&マクファイル社のマクファイルとオフィシャルのマッカランの関係に似ている。私はボトラーの方が好きなのだが。
 モンゴメリーズ社はマキロップ社と共にアンガス・ダンディ社の傘下。なお、マルコム・プライド社はアンガス・ダンディ社と同資本のカンパニー。なにを言いたいかというと、玉石混交だということ。でも、グレンキースは2001年にペルノリカール社によって買収されたものの、2000年から休止状態が続き、どうやら取り壊されるもよう。ボトラーへの出荷が極端に少ないので、流通在庫はローズバンクよりはるかに少ない。飲むなら今のうち。

 ストラスアイラ '91(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。10年もの、60.2度のカスク・ストレングス。
 ダグラス・マクギボン社は1949年、グラスゴーで組織された瓶詰業者。蒸留所の作業に携わった職人の末裔による同族会社にして、ダグラス・レイン社とは兄弟会社。広大な熟成庫を持ち、60年代以降、色付けとチル・フィルターを拒み、「プロヴァナンス」の名のもとにコレクションを頒布。特にアイラ島の蒸留所とは太いパイプを持つ。「クライズデール」同様、熟成年数の若いモルトが中心だが、共に品質のよさでは一頭地を抜く。
 本品は記載はないものの、リフィール・シェリーと思われる。ストラスアイラは多くのカスク・ストレングスがボトリングされているが、本品は他と比してまろやかさで卓れる。

 ストラスアイラ '89(クライズデール)
 9年もの、63.3度のカスク・ストレングス。290本のリミテッド・エディション。
 ザ・クライズデール・オリジナル・スコッチ・ウィスキー社は熟成5年から10年の比較的若いカスク・ストレングスをシングル・カスクにて瓶詰め。他のボトラーとの差別化を図る。低温濾過、加水、着色を一切行わず、モルト・ウィスキーの素地を知るには最適。ダグラス・マクギボン社の「プロヴァナンス」と共に一押しのコレクションである。総称の「クライズデール」とはグラスゴー近郊にかつて存在した蒸留所名。昨年、ボトルをリニューアルした。ブラッカダーのジョン・レイモンドが選んだ樽からボトリング。ブラッカダーのセカンド・ラベル的存在。

 ストラスアイラ '89(アバディーン)
 オーク・カスクの13年もの、62.5度のカスク・ストレングス。シングル・カスク。
 アバディーン・ディスティラーズ社は1993年頃、スコットランド北東部のアバディーンで設立。ヨーロッパ市場向けのボトリングだが、過去一度、スリーリバーズによって極少量が日本へも入荷している。本品はその一本。


キルホーマン  | 一考   

 ウォンズ パブリシング リミテッドが発行する「WANDS」2007年1月号へ土屋 守さんが寄稿なさっている。「2006年 スコッチ業界に起きた新しい動き」がそれで、昨今のマイクロ・ディスティラリーの動きについて詳述している。

 http://www.wine.or.jp/wands/2007/1/scotch.html

 十八枚ほどの稿なので、ぜひお読みいただきたい。文中、アイラ島で八番目となるキルホーマン蒸留所について触れられている。キルホーマンが入荷したのは先月のこと、2007年12月20日蒸溜、2008年2月8日のボトリング、アルコール62.4度のニュースピリットである。フェノール値は50ppm、ラフロイグと同じである。
 売価は5000円ほどで発売即完売、しかし七月には再入荷。その理由は日本のファンの熱烈なニーズに応えたいとの由。どことは書かないが、某酒店では50ミリリットルのミニチュア瓶を2980円で発売したと聞く。そのようなものに集るのは蠅か蛆と決まっている。それにしても、一部のモルトファンの見苦しさ、またそれに付け入る業者の浅ましさには反す言葉もない。蒸留所にしてからが、ニュースピリットを売ってでも金を稼がなければならないとしたら、なんのための蒸留所かと問い質したくなる。ウィスキーとは年月の掛かるものなのである。


2008年05月15日

ですぺらモルト会  | 一考   

5月24日(土)の19時から新装開店後、五度目のですぺらモルト会を催します。
会費は11500円、今回はかなり割安になっています。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
なお、ブレイヴァルの08番と12番は新規入荷品です。
スペイサイドでもっとも香りが豊かなウィスキーはブレイヴァル、クラガンモア、バルヴィニーの三点です。なかでも、ブレイヴァルは評価するひとが少ない蒸留所ですが、店主が好きなモルト・ウィスキーです。
シーバス・リーガルの原酒モルトのためディスティラリー・ボトルはなく、インデペンデント・ボトラーを介してやっと入手可能になったウィスキーです。蒸留所名はブレイヴァルですが、ブレイヴァルもしくはブレイズ・オブ・グレンリヴェットの名でボトリングされています。ザ・グレンリヴェットとは全く無関係です。
シーバスへ原酒を提供する蒸留所のうちグレンキースは2001年にペルノリカール社によって買収されたものの、2000年から休止状態が続き、どうやら取り壊されるもよう。ボトラーへの出荷が極端に少ない蒸留所なので、極めて入手がむずかしくなりました。グレンキースとストラスアイラの飲み会を催さなければと思いつつも、店の在庫が急速になくなってしまいました。それ故、ブレイヴァルをモルト会で採りあげることになったのは嬉しく思います。オレンジ・ピール、オレンジ・リキュール、ハニーのさんざめく甘味と潤いのある香味をお楽しみ下さい。

ですぺらモルト会(ブレイヴァルとクラガンモアを飲む)

01 クラガンモア '90(マーレイ・マクデヴィッド)
 バーボン・カスクの11年もの、46度のシングル・カスク。
02 クラガンモア '89(ヴァン・ウィー)
 アルティメットの一本。オーク・カスクの12年もの、43度のシングル・カスク。
03 クラガンモア '89(キングスバリー)
 ホグスヘッドの11年もの、46度。396本のシングル・カスク。
04 クラガンモア・カスクストレングス '93(DB)※
 ボデガ・ユーロピアン・オークの10年もの、60.1度のカスク・ストレングスにしてディスティラリー・ボトル。15000本のリミテッド・エディション。
05 クラガンモア '89(ケイデンヘッド)
 オーセンティック・コレクションの一本。オーク・バットの12年もの、59.2度のカスク・ストレングス。678本のリミテッド・エディション。
06 クラガンモア・カスクストレングス '88(DB)※
 リフィール・アメリカンオーク・ホグスヘッドの17年もの、55.5度のディスティラリー・ボトル。5970本のリミテッド・エディション。
07 クレディタブル '75(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。25年もの、50度のプリファード・ストレングス。限定300本のシングル・カスク。中味はクラガンモア。
08 ブレイヴァル '96(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。シェリー・バットの9年もの、46度。 
09 ブレイズ・オブ・グレンリヴェット '85(シグナトリー)
 オーク・カスクの16年もの、43度。432本のリミテッド・エディション。
10 ブレイズ・オブ・グレンリヴェット '77(キングスバリー)
 オーク・ホグスヘッドの19年もの、48.9度のカスク・ストレングス。シングル・カスク。
11 ブレイズ・オブ・グレンリヴェット '75(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの一本。32年もの、43度。
12 ブレイズ・オブ・グレンリヴェット '89(ダンカン・テイラー)
 ピアレス・シリーズの一本。オーク・カスクの18年もの、50.2度のカスク・ストレングス。347本のリミテッド・エディション。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


2008年05月09日

齋藤亮一さんの写真  |  一考

ですぺら・一考氏 撮影:齋藤亮一

 「TASINAMI(嗜み)」創刊号(2008年3月20日刊、文藝春秋社)で、「今宵いつものバーで」と題して、佐々木幹郎さんが六頁にわたってですぺらを紹介してくださった。
 雑誌に掲載されなかった写真の数々が後日、写真家の齋藤亮一さんから送られてきた。前項に続く私の露出趣味であり、晴れがましいのでその内の一枚を紹介する。掲示板へ載せるために無断でトリミング、遺影に使おうかと思っている。
 幹郎さんが相手なので話が弾む。いささか生真面目な表情だが、これは喜んでいる顔である。


2008年05月08日

蕁麻疹騒動  | 一考   

 二十歳のときに封じ込めたはずの蕁麻疹がふたたび発症したと思った。左顔面と耳朶、首全体に発疹が顕れたのである。とにもかくにも痒くて居た堪らない。近所の薬局へ飛び込んだところ、どれどれと観察し「このような蕁麻疹はない、なにかに気触れたのだろう」と軟膏を処方する。一週間ほどで癒るとの御託宣の代金が大枚千六百円だったが、蕁麻疹でないと分かっただけでもその価値はある。ことほどさように、蕁麻疹には泣かされた過去がある。
 記憶がはじまる四歳から二十歳に至る十余年はアトピーと同居していた。とりわけ酒を飲みだした十四歳からあとは酷かった。酒を一口飲むと全身に発疹する。気管支喘息、鼻炎、蕁麻疹、皮膚炎が繰り返し襲ってくる。塩水の蒸気吸入とスイス製の抗ヒスタミン剤、抗プラスミン剤を欠いては日常生活そのものが成り立たなかった。酒を止めればよさそうなものだが、その選択肢は私には考えられなかった。なぜかと云うに、柳暗花明にあって酒を嗜まないというのは人と人との私交を反故するに等しい。要するに、色里のしきたりを無視するような傲慢さの持ち合わせが当時はなかったのである。
 このアトピーと呼ばれる一群のアレルギー性疾患は難儀な代物で、上記の症状はことごとくが深く重なり合っている。体質素因が理由の過多だが、他人は食物への好き嫌いだの、精神だの、果ては気合いだのとあらぬことを口走り詰責する。それこそ、したたかな根性が具わったと思われる現今にあってすら、慢性副鼻腔炎(いわゆる蓄膿症)と無呼吸症候群からは解放されないでいる。医師からは慢性気管支炎の患者の痰からは、しばしばインフルエンザ杆菌が検出されると脅され、人生から口吻という快楽を抛棄するに至った。他にも蕁麻疹と仮性包茎(こちらはアトピーとは関係ないが)が理由で銭湯は知らずじまい。結果、風呂嫌い温泉嫌いとなって今に続いている。
 車の免許を取得したのは平成元年、取るなり出掛けた北海道は函館のすぐ傍、南茅部町の大船温泉がおそらく生れてはじめての銭湯であり温泉であった。露天風呂を出たり入ったり、二時間はたっぷりと浸かっていただろうか、あの時のうれしさは筆舌に尽くしがたい。北海道をこころの故郷というのにはかような理由があったのである。
 指で骨折していないのは双の親指と小指、それと左手の薬指だけである。そして、いまでも右手中指の第二関節には皮膚が瘤のように硬くふくらんだところがある。これは喧嘩ではなく、最後に蕁麻疹を封じ込めた箇所である。愛おしむべき瘤で、以降抗ヒスタミン剤が生活の場から消えた。ところで、二十九日は車のメンテナンスをしていた。どうやらその最中に毛虫に触れたようである。庭に梅の木があって、毛虫の巣窟になっている。梅の下には紫陽花があるが花は咲かない。いっそ梅を根こそぎ剪り取りたいと思っている。


2008年05月03日

陳鶏  | 一考   

 饂飩の腰を強くするための添加物については当掲示板で何度か触れてきたが、地鶏も堅いものと相場は決まっている。肉質を堅くするのは簡単で、飼育期間を三〜五箇月(比内鶏は百八十日)と長くし平飼い(放し飼い)にする。ところで、日本食鳥協会の国産銘柄鶏の定義による「在来鶏」(四十一種)と日本農林規格(JAS)でいう「在来種」(三十八種)とは若干異なる。面倒なので詳しくは書かない。ただ、戦後アメリカから導入されたブロイラーはコーニッシュやプリマスロック、ロードアイランドレッドなどを元に品種改良が進められた。そして、現行の比内鶏は雄の比内鶏と雌のロードアイランドレッドを掛け合わせたものである。ここでブロイラーと地鶏の違いについて書きたいのではない。従ってはなしを飛ばす。
 先日、比内地鶏偽装で逮捕者が出た。廃鶏を比内地鶏とはまさに偽装以外のなにものでもないが、それを言い出せば東京の焼鳥屋で廃鶏を扱っていないところを探すに苦労する。そして廃鶏を廃鶏と表示しないところが大半である。なかには単に地鶏と表記している、これは立派な詐欺商法である。おそらく、数千人の逮捕者が出るのではないかとひそかにほくそ笑んでいる。
 関西では廃鶏を陳もしくは陳鶏(ひねどり)と記述する。韓国の陳鶏料理は有名だが、ですぺらの薫製に陳鶏を用いたのは、繁く付き合う韓国人から教わったからに他ならない。
 私は若い頃から陳鶏に馴染んできた。というよりも、引き揚げ者が営む露店は陳の焼き鳥か鯨の串カツと大体の見当はつく。満州から共に引き揚げてきた父の知己は陳の焼き鳥からはじまって饂飩屋へと出世したが、そこの鴨南蛮には陳鶏が使われていた。詳細は審らかとしないが、中野に住んでいた折、近所の饂飩屋がフランス鴨を鴨南蛮に用いていた。その胸肉が堅くて歯が立たない、これなら国産の合鴨の方が良いのにと往時の連れ添いと語らったものである。
 陳鶏は卵用鶏(レイヤー)のなれの果てである。陳る、要するに老生した鳥であるが故に脂肪は少なく身は堅い。鳥インフルエンザを畏れてケージに閉じ込められた地鶏を喰うのなら、いっそ陳鶏を陳鶏として楽しめばというのが同じく老生した海馬の意見である。

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