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2011年02月 アーカイブ


2011年02月26日

フリー  | 一考   

 自転車のフリーはエベレストかレジナを用いてきた。チチチチもしくはジャージャーと音がする。レースのときなど、その音が重なり合って蝉の声もしくは珠盤玉をひっくり返したような音に感じられる。自転車であれ、車であれ、わたしはホーンを鳴らさない。人にぶつかりそうになったときはブレーキを掛け、クランクを後方へ回転させる。フリーの音で自転車の接近を報せるのである。気持がとどかなければ停車する。ところが最近は無音のフリーが増えてきた。それで歩道を走られると危険この上ない。先日も無音の自転車が横をすり抜けていった。後輪を蹴飛ばしてやろうかと思う。
 自転車は軽車両なので、車道を走らなければならない。歩道は押して歩くものと道路交通法で定められている。ところがそれを取り締まるべき警官が歩道を疾走しているのはなぜ。


2011年02月25日

物議  | 一考   

 このところ物議を醸すことを書いたので掲示板のカウントが跳ねあがっている。同時に当掲示板に意外な読み手がいらっしゃることに気付かされた。露愁さんもそうしたおひとりで、いたく恐縮している。
 文責と書いたのが戦闘的に見えるようだが、書かれた文章に責任を持つのは当たり前である。かつて触れたことがあるが、二十代の頃、著作権で問題を起こし何度か裁判沙汰になった。昨今はインターネットだが、メディアが替わっただけで著作権に関する法律は昔より五月蠅くなっている。もっとも病人の書く文章でないと云われればそれまでだが。
 盗作は置き引きと同じ犯罪である。裁判を望まれる方にはどうぞと云いたいが、あの煩わしさは蒙御免。繰り返すが、編輯者の不在が現今の問題を惹きおこしている。ブログに於ける内容のいかがわしさ、日本語の乱れ、細かくは打ち間違い、変換ミス等々、編輯の機能が働けば問題はおきない。編輯者不在で文章を認めることの怖ろしさを思う。


2011年02月24日

天国  | 一考   

 放置バーと云ってもSMバーではない。ですぺらでは客が放置されるの意である。わたしは放置バーが好きである。どうせ大した話などあろう筈もない。昔からバーへ行ったときは黙して飲むことに専念する。酒だけは大したものだからである。
 佐々木幹郎さんがアイラ島から戻られたが、前回のスペイサイド紀行が「嗜み」で三号にわたって連載されている。宇土美佐子さんについて触れられているのはその最終号(九号)である。文中、エジンバラのバー「カニイマン」について触れている。喫煙、携帯電話、写真撮影はNG、クレジットカードもバックパッカーもお断りのバーだが、実にうまく描かれている。(引用はカニイマンでない)

 スコットランドでお酒を飲むときの魅力。それを一言で言えば、夕陽に頬を照らされて飲む楽しみ、に尽きる。
 わたしはまだ五月のスコットランドにいる。もう少し、この時期のスコットランドについて語りたい。
 新鮮な樹木の緑が次々と芽吹く季節。英語では「ラッシュ・グリーン」と言うそうだ。勢いのある言葉だ。その勢いと並行するように、この時期のスコットランドは午後八時になっても外は明るい。首都のエジンバラでも田舎のスペイサイド地区のクライゲラヒ村でも、夕方からバーのカウンターでウイスキーを飲みだして、もう数時間は経つのに、窓の外を見るとオレンジ色の夕陽が皓々としている。隣の酔客の頬に夕陽があたっている。日本のバーで、こんな飲み方をしたことがない。夜の電灯の下でボトルをあけることしか知らなかったわたしには、これは驚くほど新鮮なことだった。少しずつ酩酊しながら、わたしの頬にも夕陽があたる。ここは天国に近いな、と思う。

 ウィスキーについて書かれた文章は数多あるが、どれもこれも無味乾燥である。幹郎さんの文章はいずれ纏まるだろうが、はじめての読み物になるに違いない。わたしも最後は夕陽が頬にあたるバーを営みたいのだが。


2011年02月23日

恢復  | 一考   

 赤坂にはコンビニが多い、ところがコンビニからジュースが消えた。各種茶とレモンウォーターの類いばかりである。気持はよく分かるが、たまにジュースが飲みたいときは困惑する。セブンイレブンにはオリジナル商品でグレープ、グレープフルーツ、オレンジ、アップルが揃っている。それ以外のコンビニ(ただし赤坂店に限る)はよほど売れないのか一掃されてしまった。
 先々週、そのオレンジジュースとアップルジュースを試しに飲んだ。二週間に一リットルだと、血液に問題は生じなかった。この分だとレモンジュースも大丈夫かもしれない。
 ダイアライザーはカリウムは多少除去するがリンは無理である。透析患者が難渋しているのはリンとカルシウムの吸着剤である。そのリンとカルシウムがもっとも多く含まれるのが牛乳だが、こちらも二週間に一リットルだとわたしの場合、血液に異常値は出なかった。とはいえ、技師から個体差があるので、そのような無茶は止めて欲しいと云われた。
 透析患者の血液検査は基準値が健常者のそれとはまったく異なる。当掲示板で血液検査の結果を屡々書き込んでいるが、健常者の参考にはならない。例えば血圧にしても上が150から180だと透析患者にとっては正常だが、健常者の場合は110から120ぐらいである。
 わたしの血圧は低く(高い方が90から70)、失神に泣かされてきたが、最近は正常値(150の80)を維持している(貧血で低血圧と云うのはよほどの失血を除いてあり得ないのだが)。降圧剤の服用を止めてから徐々に戻ってきたようである。貧血の方もヘモグロビンが12.1にまで恢復している。

 ところで、木村さんが高血圧に悩まされているようである。彼の血液検査の結果を見ていないのでなんとも云えないが、降圧剤が効かない場合は利尿剤である。例え減塩生活をしていても、血中はナトリウムの過剰になる。腎臓で排出されても再び吸収してしまうからである。利尿剤は血糖値や尿酸値を上げるとされていたが、最近は見直されている。特にナトリウム再吸収のガードになる。要は尿と共に塩分も排泄されるのである。場合によっては救いの妙薬になる。


為事  | 一考   

 神戸の岡田さんと大阪の木村さんから電話あり。岡田さんは創文社でわたしを担当なさった方で、青春を共に暮らした。コーベブックス名義で拵えた六十四冊の書物は悉く岡田さんの手になるもの。彼とわたしが敷いたレールの上へ、後日サバト館と湯川書房が相乗りしたのである。
 京都の森田和紙の協力があって、とにかく和紙を多用した。創文社と手漉和紙に関してはですぺら掲示板1で幾度となく著したが、印刷機と和紙の相性はすこぶる悪い。和紙は厚みが均一でなく、四方に耳が付いている。しかも、裏表のノンブルが重ならないとわたしの機嫌が悪くなる。文選、植字、刷りすべての職人の呼吸が合わないと美しい版面はできない。費用は眼中になく、ただただ東京で刷られない、精興社で刷られない書物を求めて、また英国の印刷工房に負けない印刷をと、がむしゃらに為事をした。それらを指揮なさったのが岡田さんだった。
 わたしが出版について語るとき、それは取りも直さず岡田巌について語るに等しい。湯川さんと政田さんよろしく、岡田さんとわたしもまた二人三脚だった。二人して、神戸の印刷史に新たな一頁を開いたとわたしは信じている。
 木村さんはコーベブックスで一緒に為事をした。わたしが出版というような勝手な真似ができたのは、木村さんと秋山さんという現場を仕切る方があればこそである。出版が赤字のため、わたしはさまざまな展覧会で利益を上げていた。画展には強力な助っ人の田村書店があった。いずれにせよ、わたしの為事は屡々現場を裏切るような結果になった。済まなく思うと同時に、誰かがやらねばならない蛮勇に類することだった。その木村さんからの電話である。彼は還暦を迎えたとか、ひとには変わる部分と変わらない部分がある。双方引っくるめて話がしたいと思っている。


2011年02月22日

腎結石  | 一考   

 2010年7月17日の新華網によると、中国では腹膜透析や血液透析をしながら腎移植を待つ患者が毎年百万人、肝炎末期で肝臓移植が必要な患者は三十万人いる。そのうち臓器移植を受けられるのはわずか一パーセントだという。
 わたしが腎不全になった理由は腎臓結石だが、この腎結石もしくは尿路結石にかかる比率は二本では人口十万人で五十三人ほど。また、生涯のあいだに百人のうち四人が一度は尿路結石になると言われる。結石から透析に至るのはさらに少なかろう(一説によると結石患者の二パーセント)が、その正確なデータは持っていない。ちなみに、東葛クリニックでは患者一千人のうち、腎結石が引き金になったのはわたしを入れて二名しかいない。
 上皮小体(副甲状腺)と呼ばれる米粒ぐらいの臓器が首の甲状腺の裏に四つある。血中のカルシウム濃度を正常に保つためのホルモン(副甲状腺ホルモン)が分泌されている。結石の治療は腫瘍化した副甲状腺を切除するようである。そうした手術をわたしは受けていないので詳細は分からない。わたしが何度か受けたのは体外衝撃波結石破砕術(ESWL)のみで、経尿道的尿管砕石術(TUL)も受けていない。要するに、本気で癒さなかったのが祟って透析となった。

 現在では透析に至る腎不全患者の七割は糖尿病症であり、その数は増え続けている。糖尿病症の治療法を紹介するのがもっとも役立つのだろうが、わたしが糖尿病症でないので違いがよく分からない。いずれにせよ、透析をはじめてしまえば似たものだと思うが、それ以前の食事制限は似て非なるものである。


湯川拾遺  | 一考   

 伊東さんは焼き肉でなく畜産肉の貿易業者らしい。わたしは存じ上げないし調べる気にもならないので失礼する。湯川さんの実家は東住吉の田辺。摂津正雀の家は父親が住むつもりで買ったものの、横浜への転勤で新婚の湯川さんが住むことになった、と湯川紀美子さんから連絡があった。湯川成一さんの伝記を著すなら調べもしようが、事実関係はここまでで良いと思っている。湯川伝の筆者なら他に適任者がいらっしゃる。わたしは異を唱えるだけで勘弁願いたい。


年内閉店  | 一考   

 体調が良いあいだに身辺整理をはじめなければならない。一番の問題はですぺらと病院である。まず、ですぺらを年内に処理するつもり。赤坂店は2000年3月24日の開店だったので、十一年間の赤字におさらばすることになる。この十一年どうも非合理的な金の遣い方をしたようである。出版といい、飲み屋といい、わたしはおよそ商売に向いていない、分かっていてこの為体である。
 出版はとんでもない赤字を抱えたが、飲み屋の方も似たようなものである。なにもしないのが一番金を遣わない。生活費だけならなんとでもなる。神戸へ帰るのは気が進まなかったが、病気になると致し方ない。
 松戸のクリニックは気に入っている。最新の器械を使っているので心置きなく透析を受けていられる。最近はこちらから細かく指示できるようになった。やっと馴れたかなと思っているのに残念である。神戸に良いクリニックがあればよいのだが。

 チュニジア、エジプトについでリビアが騒然としている。イエメン、ヨルダン、シリア、パレスチナ自治区、スーダン、アルジェリア、バーレーン、サウジアラビア、イランと連鎖反応はつづく。君主乃至は独裁者がいなくなるのは良いが、個々の欲が絡んで無政府状態に陥る。もっとも、共和制とは一種の無政府状態だとわたしは思っている。ただし、病人になるとそれは困る。特に透析の場合、休みなしなので周章てるのは身体である。チュニジアやエジプトの透析患者はどうしているのだろうか。満足な透析など受けられはしまい。
 腹膜透析はエジプトのミイラ造りに端を発するが、今日の腹腔穿刺法は17世紀の腹水症治療と同じ原理、方法で行われている。1744年、Stephen Halesは赤ワインを用いた持続的腹腔洗浄法を発明したが、赤ワインにより腹膜は繊維化し腹腔は閉塞したという。赤ワインの生体適合性が極めて低かったのが理由である。キリスト教徒ならではの試みだったと云えようか。


2011年02月18日

裏面  | 一考   

 湯川さんも政田さんも自分を語るひとでなかった。必要を感じなかったと云うよりはどうでもよかったのだと思う。これは編輯者によくあることで、自らが編輯する著者に代弁させる、すなわち黒子のさらなる裏面といった趣がある。政田さんは上戸で、彼の名古屋時代にわたしは何度か酒を酌み交わしている。しかし、塚本さんの前では決して盃を持つことはなかった。塚本がそれを嫌がったからである。従って、政田さんを下戸と思っているひとは多い。彼はそうした誤解を気にするような素振りすら表出さなかった。
 大相撲の八百長問題でこのところ囂しい。日本相撲協会は八百長はなかったの一点張り。貴乃花や大乃国にとって八百長はあってはならない本質的問題だったが、現実には八百長が横行していた。またマスメディアの連中にとって八百長は相撲取りの大半が毒されてい、八百長は単に相撲協会の立前であったに違いない。なにを云いたいのかというと、本音と立前は常に入れ子構造にあって、なにが本音でなにが立前かは、ひとの立ち位置によって異なる。
 テレビで某評論家が「立前は美しい、立前には美学がある」と分かったようなことを云っていた。日本相撲協会を弁護する発言だったが、本音と立前を識別できるひとだと、妙に感心させられた。感心させられた理由は彼は嘘をついていると云う点にある。前述したように本音と立前のあいだに境界線はない。常に揺れ動いている概念だからである。
 余談だが、わたしは詩歌をよく読む。その評価は前述の嘘が含まれているかどうかの一点である。詩人でその峻別ができるのは谷川俊太郎の他、おそらく十名しかいない。一語、一語その言葉が正しいのか嘘なのかを吟味して用いる作家は寡ない。それは作品の巧拙を越えて大切なことである。翻訳の場合、その嘘があるかないかはさらに少数者になる。横文字を縦文字に変換するに止まらない。なにげなく用いる言葉にこそ、嘘は介在する。その嘘を刮げ落とし、かつ名調子に仕立て上げる高遠弘美など神業に近いものだと思っている。
 さて、湯川と政田である。彼等は相手に応じてなにものにでも成り遂せた編輯者である。出遇った相手の数だけの顔を湯川さんも政田さんも持ち合わせていた。そこのところを誤解するととんでもない湯川像が政田像が誕生する。もっとも、彼等はにんまり嗤ってそれを許しただろうが。


2011年02月17日

湯川さんについて追記  | 一考   

 前項で悪口を書いた。あまり書きたくなかったのだが、告訴とか裁判とかが聞こえてきたので書かざるを得なくなった。いわばガス抜きである。文学とは縁もゆかりもないひとがコレクターには多い。それはそれで大切な方々である。コレクターがいればこそ後世ののひとが美本を入手できる。そして限定出版はそういったコレクターによって支えられている。ただ、コレクターが常に分を弁えるとは限らない。誰かが迷惑を被れば、叩かざるを得ない。
 今回は岡田露愁さんに関する文章があまりに酷かった。何度か事実関係を調べたが、本に書かれていることはまったくの伝聞か創作の域を一歩も出るものでなかった。それは分かっていたのだが、例え掲示板と云えどもしっかり調べないと書かれない。貴重な時間をわたしのために割かれた方には御礼申し上げる。
 あのような内容の書物は上梓する前にゲラ刷りを関係者に見せるべきであろう。そうした通常とられる手続きが踏まれなかったところに不幸がある。理由は編輯者の不在である。同書は八十部の限定本だが、劃ったがゆえに許されるというものでない。印刷は複製技術であり、例え一部であっても公刊本である。
 露愁さんの肉筆一部本が献本として彼の手に渡っている。それは世話になったもしくは雑作を掛けた相手への湯川の謝意である。その段階で貸し借りは終了している。それを露愁さんのせいにするのは逆怨みである。今回の件で露愁さんが立腹なさるのを危惧する。それでなくとも湯川の奥方は腹を立てていらっしゃる。
 彼についてはわたしはなにも知らない。どうやら焼き肉に関する会社の社長のようである。かなり神経の粗雑な方とお見受けする。でなければあのような文章は書かれない。土足で他人の家屋を荒らすような風情である。他に書くことはあったが、水掛け論はしたくないので控えた。
 繰り返すが、前項の文章の文責はわたしにある。なにかあればわたしを相手にしていただきたい。文を著すとはそういうことであって、常に責任が生じる。責任が取られない文章は決して書いてはいけない。


湯川書房について  | 一考   

 携帯電話が架かってきたときに、眼鏡が近くにあればよいのだが、大概は見当たらない。要するに、誰からの電話なのか声を聞くまでは分からない。今回の電話は湯川書房についてであった。
 「夢のあとで」と題する著書が上梓された。「湯川書房・湯川成一と四十年」との副題がつけられている。刊行は伊東康雄氏だが、「伊東康雄語り、片柳草生文」と記載されている。伊東氏は湯川書房の株主ではないがコレクターである。片柳草生氏は元文化出版局、現在はフリーで活躍なさっている。本書の場合、文責がどちらに在るのかよく分からないが、取り敢えず伊東氏ということにしておこう。文責と書いたが書かねばならないほど本書には間違いが多い。おそらく触れられている各人に直接取材をせずに、著者の思い込みで書かれたものと推察する。本書には夥しい固有名詞が著されているものの、どこにも小説乃至は創作とは記されていない、さればこそ問題が生じる。以下「夢のあとで」の本文に添ってはなしを進める。(文中敬称略)

 文中、塚本邦雄の「茴香変」以降、政田と湯川との関係は急速に親密度を増したとあるが、政田岑生と湯川との交わりは古く、政田が広島で詩の同人誌を出していた頃からの付き合いである。湯川に断わりなく政田が湯川書房の名で勝手に本を出した、とあるのは間違っている。湯川と政田は親友で、彼等の営みは二人三脚のようなものだった。従って、互いに足らない部分を補っていたと云うが正しい。念の為に云っておくが、両名とも同性愛的なものとは遠く、世にいうストレートだったと断じておく。いわんや「溶ける魚」「水の巵子」「火の雉子」は男色趣味とは縁もゆかりもない書冊であり、鶴岡善久と政田両氏の編纂になる。伊東のような色眼鏡で見られては立腹なさる方もなかにはいらっしゃる。
 季刊湯川の発刊も政田の影響下ではない。季刊湯川の編輯をわたしはお手伝いしたが、政田の影響としては、岩波書店の書冊を手掛けていた精興社で印刷した点、それ以外彼はほとんどタッチしていない。蛇足ながら、辻邦生、小川国夫、塚本邦雄の三名を「三クニオ」と最初に揶揄したのは記憶に間違いがなければ旭屋梅田店の海地さんだった。
 湯川がみすず書房のファンだったかどうかは知らないが、レイアウトはみすずのそれとは全く異なる。むしろ湯川は岩波書店のファンで、精興社への憧れが強かった。レイアウトに関しては詩書出版の書肆山田もしくは小沢書店の方が湯川のそれに近い。
 株主七人と発起人一人の計八人で湯川書房は株式会社となった。株式会社設立後、東販と日販は注文口座を、東京の鈴木書店は新刊配本の口座を開設する。鈴木のそれは痒いところに手が届くような配本で、湯川書房には特に力を入れていた。関西は地元ゆえ構わないが、鈴木の取扱いがなければ東京の書店への配本はかなわなかった。
 鶉屋の飯田さんが繁く登場なさるが、ならば浪速書林の梶原さんを取上げなければ片手落ちになる。「死者」に関して生田との間に生じた確執は岡田露愁とわたしが起因している。強調しておきたいのは生田が露愁と不仲になり名前を返せと云ったとき、湯川は珍しく生田の態度に大人げないと立腹していた。ちなみに、「湯川72倶楽部」の限定記号に木偏の活字を用いると言い出したのは大阪の波宣亭主人、泉さんだった。
 岡田露愁の「魔笛」について一言。まず九条の公団は湯川が用意したものでなく、金数も出していない。数名の刷り師にアルバイトを頼み、五千余枚を刷り上げた。画料の一部を先払いし、露愁はそれをアルバイト代として遣い、最後の清算は曖昧になった。曖昧に終わったでは誤解が生じる、露愁が辞退したのである。文中で触れられているような生活の面倒までみたはとんでもない間違いで、当時の湯川にそのようなゆとりはなかった。99部の「魔笛」は完売、湯川本としては大成功だった。伊東が土地を手離したのは事実だろうが、それは伊東と湯川の問題であって、露愁とはなんの関わりもない。この件に関してはいくら強調しても強調しすぎるといったきらいはない。
 湯川と奥方の紀美子さんは社内結婚、二人にとって小川証券は思い出深い会社である。その小川証券のことを伊東は書いているが、かかるプライベートなことは書くべきでない。自殺云々とはかつての湯川の部下と運転手のことであろうが、事実関係を往事の小川証券の関係者に問い合わせたのであろうか。わたしが調べた限り、湯川とはなんの関わりもなかった。小川証券の一節の結句として伊東が引用する有生夫の名で書いたエッセイは小川国夫著「闇の人」へのオマージュであって、湯川は洒落気の強い人で闇とは最期まで縁がなかった。暗さのない人間などいないだろうが、闇と云うような弁証法的転嫁は彼には生涯無縁だった。
 学生時代ボクシング部に籍を置いたとか、浜村美智子のバックダンサーをしていたと書いているが、湯川が親しくしていた同級生に問い合わせたところ、そのような事実関係はなかった。洒落気と書いたが、このような冗談を湯川は屡々口にする。例えば、父親がスーパーを経営していて、その土地建物を売った金で出版を維持しているとの類いである。昭森社の森谷均の法螺を擬えたものであって、本気にしては恥をかく。
 湯川が左手で仏画を描いたのは永田耕衣の模倣、作品も耕衣ゆかりのものが多い。正雀の家を実家と書くのも間違い。湯川の父親は高島屋の部長だった方で、摂津正雀の家は結婚の祝いに購いしもの。
 湯川の出資者についてだが、わたしにできたのは吉岡実の詩集を全冊買い支えたことぐらい。前述した梶原をはじめ、株主の方々は各位可能な限りの協力をなさっている。ご協力を忝なく思うが、出資は伊東だけではない。それについては個人的なことゆえ、詳細は触れない。

 湯川書房の編輯を手伝った一人として看過できない点があった。それゆえ、不本意ながら重箱の隅を楊枝でつつくようなことを書いた。しかし、「夢のあとで」の基本姿勢は湯川へのオマージュである。それは重々承知の上で、遺族を悲しませるような書き方は止めた方がよろしいかと思う。本書の上梓をもっとも慨いているのは湯川紀美子さんである。戸田勝久や創文社など、湯川と親しかった人々が名を連ねながらどうしてこのような書物が陽の目をみるに至ったのか。文芸書ではないにせよ、関係者各位の猛省を促したい。なお、当文責は渡辺一考にある。


2011年02月16日

長生きの秘訣  | 一考   

 「不必要な長生きなんぞしたくもない」と書いたが、欲求がないわけではない。それは北海道への旅行である。制約が多すぎるので、透析を受けながらの旅は願い下げである。そのためには腎移植が必要となる。そして移植は透析以上の問題をわたしに突きつける。
 わたしの意見は2009年07月22日に書いた「腎不全」の時のままである。移植に対する意見は変わらない、変わらないと云うよりは迷い続けていると云った方が正しい。ドナーに云わせると、失敗してもともと、少しでも長生きできればそれで良いではないかと。有り難いはなしだが、それは長生きをしたいひとに云うことである、翻ってわたしが長生きしたいのかと云うと、そこのところがよく分からない。
 若ければ若いほど、ひとは先を読むことができない。読まれないがゆえの狼狽え、怯え、すなわち執着がある。しかし、三十歳を出て先行きが読まれないのはおよそ無知曚昧に等しい。人生の概念、要するに設計図を引くのは三十歳までにあらかた終了する。あとはその概念に則って残された日々を送るだけ。長生きしようとも途中で中断されようともそれ以上の者になれる筈もない。それ以上の者とは非凡を示唆している。非凡を一廉の人物もしくは世間的な評価と置き換えても構わない。
 明日になればなにか起こりそうな気がする、そう思ってひとは生き延びる。選民意識も長生きの秘訣かもしれない、わたしは撰ばれた人間で他人が必要としていると。そうした勝手な思い込みがない場合の口実は、家族ないしは友の存在だろう。それを言い換えれば、悲しむひとがいるとなる。しかし、悲しむひとのために生き延びるのでは、あまりに他人事に過ぎよう。恋愛同様、他の存在があってのはなしゆえ、選民意識と似たようなものである。
 それにしても、他人から必要とされるような理不尽かつあり得ない関係をどうしてひとは求め、信じようとするのか。近頃、無縁社会が問題になっているが、団塊の世代が大家族での暮らしを拒否したところから派生した問題であって、意図した以上、ひとは無縁にならざるを得ない。無縁者は誰からも必要とされない、ならばそれに徹すべきとわたしは思う。無縁は社会問題でなく、個々の心構えの問題であろう。

 長生きへの思いに結論はない。さればこその北海道旅行である。生きようと思えば、生きることになんらかのこじつけが必要となる。理に合わない牽強附会こそが生きるための唯一の手立てなのだろうか。


2011年02月15日

追記  | 一考   

 靭帯剥離骨折と憩室からの大量下血だが、それらは腎不全のなせる業である。腎不全発症によって骨粗鬆症になったのが骨折の引き金となり、尿毒素によって出血性になった身体から下血したのである。憩室の手術の際、痔も共に手術しなければと云われ、この大変なときにどうして痔の手術をと思ったのだが、出血の可能性のあるところはすべて修復した方が良いとの主治医の命に従った。考えてみれば懸命な処置で、感謝しなければならないのだが、当時は前後の脈絡が分からず、狼狽えるばかりだった。透析をはじめてからさまざまな事柄が一直線に結びついてくる。
 それにしても凄まじい病院だった。入院は僅か二日。サンドイッチ、キャラメルなど食べ物は取上げられ、いきなり下剤を飲まされ点滴がはじめられた。二日目に手術が続き、その日は一日中痛みに堪えかねて唸っていた。痛み止めなどなにも効かない。そして術後、血が滴っているにもかかわらず、また痛みの渦中にあって退院だと云う。案の定、駐車場で失神してしまったが、あれが医術なのだと感心させられた。世の中には面白い医師が居ると驚くと同時にこころを動かされた。主治医の紹介でいろんなタイプの医師と出会う、感謝の他なにもなし。

 腎不全とは結果的に血液そのものが病に罹ることだが、近い将来IPS細胞が実用化されれば簡便に治療できる病になる。おそらく五、六十年後と思われる。


腎不全発症時  | 一考   

 発症前後の処置によって生存率は大きく変わる、そこで腎不全発症の頃を書いておく。わたしは腎結石なのでいずれ腎不全に陥るのは明らかだったが、本人にそのような覚悟はなにもなかった。結石が尿管に落ちるときの激痛は覚悟していても、腎臓は沈黙の臓器であって痛みを伴わない、痛みのないところに不条理は感じようがなかった。
 オートバイの顛倒事故によって左脚の靭帯剥離骨折、その折の血液検査でクレアチニンが6を越えているのを知った。医師にとって骨折は二の次で、即刻シャントの作製と透析を命じられた。ちなみに、事故前年のクレアチニンは2だった。
 通常はクレアチニン6でシャントを作り、7で透析に這入る。ところが、当時のわたしは透析を試みる気はまったくなく、死ぬつもりだった。その理由は捨て置けば心不全でぽっくり死ぬと聴かされたからである。わたしは何時死んでも悔いのない生き方を心掛けてきた。従って、苦しまずに死ぬのであればそれに越したことはないと思った。
 クレアチニンが8を越えたあたりからさまざまな症状に襲われるようになった。顛倒事故からきた松葉杖は別にして、骨粗鬆症、憩室からの下血による慢性の貧血と血圧の低下(通常は高血圧に苦しめられるが、私の場合は違った)、尿毒症がもたらす頭痛、怠さ、嘔気、食欲不振、呼吸困難、歩行困難、全身の痒み等々、しかしそれらは堪えられる種類の痛みだった、たったひとつブラックアウト(急激な血圧低下)を除いて。度重なる失神にわたしは悲鳴を挙げた。ブラックアウトのときの痛みと恐怖心に根負けし、透析に踏み切らざるを得なかった。透析時の年齢は六十三歳。
 わたしがシャントを作った時のクレアチニンは10を越えていた。ここまでで発症から一年半を費やしている。ここで書いておきたいのはもっと早い段階で透析に踏み切っていたら、生存率はさらに上がっていたであろうこと。
 シャント作製から四日目(通常は二週間)に透析をはじめた。それほどに非常事態だった。しかし本人は呑気ななもので、透析をはじめれば多少のことは大丈夫と、病院近隣の喫茶店で葉巻を薫らせ珈琲を啜っていた。流石に珈琲はその一度だけで止めたが、烟草はいまなお馴れ親しんでいる。
 文中で触れたように、高血圧と貧血で悶々とするのが腎不全である。また浮腫は付きものの症例だがわたしには起きなかった。ブラックアウトも前例はあるが頻発するような例はない。このあたりにも個体差が顕れている。そして平均生存率は五年だが、無理が祟って四年というのが医師の見立て、すこぶる冷静な判断だと思っている。
 透析をはじめた以上、わたしが為すべきことはその四年をどこまで延ばすかであろう。よって食事制限とその制限と密接な関わりを持つ血液検査で異常値を出さない、ドライウェイトの三パーセント以内の除水率を守る、以上に全力を傾けるのが医師への礼儀であり謝意だと心得ている。


2011年02月14日

願い  | 一考   

 ですぺら掲示板はヤフーとはほとんど付き合いがなかった。ところがヤフーがグーグルロボットを使いはじめてからヤフーからの検索が増えた。特に透析に関する検索に置いて顕著になった。透析患者の寿命についてはほぼ連日検索されている。先日も十五歳から透析をはじめると何歳まで生きられるかというのがあった。答えは平均で二十五年、従って四十歳までは大丈夫である。
 東洋医学と西洋のそれとでは平均というデータの取り方が異なる。西洋医学にあってはあらゆるデータが採られている。ただし、云っておかなければならないのはデータとは過去に遡っての積算になる。医学は日進月歩であって、透析患者の生存率は年々延びている。その一方で毎年二万人の患者が一年未満で亡くなっているのも事実である。だからこそ除水率が問題になる。
 検索で当掲示板へ来られた方にはぜひ他の頁もお読み頂きたい。除水率ひとつで平均余命を延ばすも縮めるも自在になる。血液透析はあくまでも腎臓の働きのごく一部を代行するものであって、基本的に問われるのは自己管理である。その自己管理についてわたしは経験したすべてをさらけ出している。悲しむ暇があれば、まず自己管理に精通していただきたい。それがわたしの願いである。


2011年02月13日

パンフレット  | 一考   

 本日の除水は200ミリリットル、正月にも食事がかなわずドライウエイトを切ったことがあったが、それを別にして最低量だった。食事はいつも通り、ただ水を少々控えた。これには訳があって、小水が出ているあいだはできるだけ水を飲むように心掛けてきた。ところがクリニックの技師によると突然水を飲むのを止めるのは不可能に近い。少しずつでも減らしてゆくべきでないだろうかと注意を受けた。いわれてみればその通り、で、ちょいと控えた。
 冬場は汗をかかないので夏と比して水分量は増えるはずである。にもかかわらず、200ミリリットルは少なすぎる。ちなみに向かいの患者は4リットル越えで一日では処理しきれず次回まで持ち越し、隣は3.4リットルだった。そのまた隣(彼とは親しい)はコンスタントに2リットル。
 器械が新しくなったので、看護師から「血液透析のしくみ」と「腎臓のしくみと働き」とのパンフレットを頂戴した。それを纏めて気付いたことを追加したのが前項である。過去の書き込みと重複するが、まとめとしてお読み頂きたい。


2011年02月12日

生活習慣病  | 一考   

 腎臓は血液を濾過する臓器で糸球体と尿細管から構成されている。一日1500リットルの血液を濾過し、150リットルの原尿を作り出し、約1.5リットルの尿を排泄する。大きく別けて六つの働きを持つ。老廃物の排泄(尿素窒素、クレアチニン、尿酸など)、水分量の調節、電解質の調節(ナトリウム、カリウム、リン、カルシウムなど)、血圧の調節、ビタミンDの活性化、造血ホルモンの分泌(エリスロポエチン)。
 腎臓病になる理由としては、慢性糸球体腎炎、多発性嚢胞腎(遺伝による)、糖尿病性腎症(高血糖により糸球体が傷む)、腎硬化症(高血圧、動脈硬化により糸球体がが硬くなる)、その他がある。その他には腎結石の他、膠原病やアルポート症候群、バーター症候群等々、遺伝子系の疾患が含まれる。
 腎不全の原因は上述したように、慢性腎炎、嚢胞症、糖尿病、高血圧、高脂血症などの生活習慣病が挙げられる。生活習慣病は食生活からくるものが大半だが、なかには遺伝ないしは体質由来のものもある。上記その他に含まれる疾患の場合は生活習慣病が理由にならない。
 腎不全の症状は上記六つの働きと同じだが、高血圧、貧血、骨粗鬆症、尿毒症などが挙げられる。尿毒症は頭痛、怠さ、嘔気、食欲不振、呼吸困難、出血症、浮腫、それと例外事項になるが、わたしが苦しめられたブラックアウト(急激な血圧低下)などがある。

 腎不全になる患者の七割が糖尿病性腎症で、その数は増え続けている。ごく一部の例外を除いて、生活習慣病が理由である。禁煙や食生活の改善によって避けることが可能。腎不全に至るには数年あるいは数十年の年月が掛かる。訊ねるに、痛みがないので捨て置いたと異口同音に応える。いかに自己責任とは云え、糖尿病から透析に這入る患者の九割以上は透析にまで行く必要はどこにもない。ところが透析をはじめてすら、好き嫌いを口にするひとがいる、何をか云わんや。


2011年02月11日

お休み  | 一考   

 明日の土曜日は降雪のため、ですぺらはお休み。申し訳ございませんがどうかよろしく。
 今月はボトル整理につき、1300円以上のウイスキーは二割引(端数は適宜処理)となります。併せてよろしくお願い致します。


札付き  | 一考   

 小沢一郎の三人の秘書、石川知裕衆議院議員、大久保隆規、池田光智に対する裁判がはじまった。裁判の詳細についてはそちらで調べていただきたいが、吉田正喜元特捜副部長をはじめ、田代政弘、前田恒彦と札付きの検事が取り調べを担当しているのは強調しておきたい。冤罪だった村木厚子元厚労局長への取り調べと構図を一にする。
 そもそも小沢一郎の事件(事件かどうかは分からないが)は検察のリークとそれを鵜呑にしたマスメディアが主をなす。担当検事の一名は左遷、一名は退職、一名は獄中にある。
 虚偽記載とされた問題点は二点。その内、新政治問題研究会と未来産業研究会に関しては、検察側証人として出廷した西松建設元総務部長が二つの政治団体に実体があったと証言。また、検察側は水谷建設から一億円の裏金を受け取ったことを前提に論を進めるも、水谷建設元会長は裏金問題が検察による創作であると証言。自ら立てた証人により自らの論理が崩されてゆく。
 こうした重大ニュースをメディアが一切報道しない意味はどこにあるのか。立証もできない事柄をあたかも事実であるかのように吹聴する検察、小沢は悪者とのイメージ報道を繰り返すマスメディア、ここには一連の事件の異常さが明確に示唆されている。
 わたしは小沢一郎に首相を務めて貰いたかったが、もっとも大切な季節を検察の謀略によって奪われてしまった。彼が政治家として再登場できるかどうかは年齢的にみて難しい。だからこそ、今の彼に望みたいのは法廷闘争によって、検察の思い上がり、司法制度の矛盾、マスメディアの不正義を暴露し、陽の光のもとに晒していただきたいと、それだけである。怖ろしく難儀なこととは分かっている。しかし、彼なら可能である、小沢一郎にしかできないとわたしは信じている。


2011年02月10日

湿布  | 一考   

 穿刺に失敗、十数センチの針先が動脈を突き抜けてしまった。若干の内出血だが、これは明日から二、三日痛みを伴う。身体の順応性には怖ろしいものがあって、骨折も何回も繰り返していると、自分で修理ができるようになる。この前の靭帯剥離骨折ははじめてなので、思うようにいかなかったが、手脚の単純骨折はレントゲンで確認するだけで、修復は自前で行ってきた。今回の穿刺ミスも前の病院で経験済みなので、どうということはない。周章てたのは看護師でどうしましょうかと訊く、どうとでもしてくれ、と云って湿布を貼るしかなかっぺと応える。一同大笑いで幕。
 今日から透析の器械が新しくなった。わたしの回りに四、五人の技師、看護師がたむろし、器械を弄くっている。ところで、今日の除水は五百ミリリットル、渡辺さんはやはり食事をしていないと云われ、下着を捲りあげて腹を見せる。喰ってるんだよ、のデモンストレーションである。先程の看護師が器械が新しくなったので、長生きするわよ。不必要な長生きなんぞしたくもないのに。


2011年02月09日

民主党  | 一考   

 小沢を政権内部にどうして取り込まないのか、現今の民主党執行部の方針は分からないことだらけである。小沢を除名すれば、小沢支持者の造反で予算案と関連法案はますます不成立になる。反小沢を旗印にした時から菅政権の瓦解ははじまっている。
 55年体制終焉後の日本を代表する政治家として小沢一郎と小泉純一郎を挙げたい。後者の不良債権処理と前者の政権交代を重視したい。共にマスコミではまるで悪者扱いだが、わたしはそうは思わない。逆に菅首相は小沢が敷いたレールの上で胡坐をかいているにすぎない。小沢のいない民主党など、山葵抜きの鮨であって喰えたものでない。
 「現在の体たらくには大変落胆している。こういうことのために支援してきたのではなかった」とは小沢支持を掲げる稲盛和夫氏の弁だが、全選全敗の菅首相は一刻も早く解散総選挙すべき。次回の選挙で民主党は小さくなるだろうが、菅、仙石抜きで一から遣り直すしか二大政党制への手立てはない。何度も書いてきたが、市民運動家は赤軍派と同じで権力闘争に明け暮れる、まつりごとなど掌るは不可能。

追記
 石川知裕議員の裁判がはじまったが、石川氏に限らず関係者全員が無罪になることは火を見るより明らか。裁判が進めば検察調書のでっち上げが明白になるだけである。
 去年の8月31日に書いた「雑音」の意見はなにひとつ変わっていない。


世界観追記  | 一考   

 「世界観」は書いていて困惑させられた。書けば書くほどにドイツロマン派のそれと似てくる。わたしは観念論は嫌である、にも関らず、どうして似てくるのか。どうやら未分化なところが多すぎるようである。補足すると書いた理由は以上。もう少し風通しがよくなるのを待って書き直す。


鼻炎  | 一考   

 ポララミンという内服薬を去年の八月以降飲み続けている。抗ヒスタミン作用により掻痒時に効能ありと書いてある。そうかもしれないが、痒みは尿毒素のなせる業で、腎不全には付き物、よって半ば諦めている。どうにもならないときはサリラベートのローションタイプを用いている。ただ、この薬は鼻炎にも滅法効く。アレルギー性鼻炎治療薬としてインタール点鼻液を用いているが、最近はポララミンを専ら内服している。
 透析をはじめた頃は洟がひどくて、看護師が驚いていたが、近頃はめっきり鼻を噛むことが少なくなった。鼻炎の専門薬でないだろうが、慢性のアレルギー性鼻炎に有効である。お薦めする。


2011年02月08日

大腸憩室症  | 一考   

 ひとの血液量は体重のおよそ十三分の一(男性で約8パーセント、女性で約7パーセント)。従って、体重70キロの場合は5.4キロ、60キロの場合は4.6キロとなる。失血による致死量は半分とされているが、静脈では全体の血液の半分が出血しても処置がよければ生命は助かり、動脈では四分の一で生命の危険にさらされる。
 わたしの憩室からの出血は2リットル強、通常なら失血死に至っている。死なないまでも、意識は朦朧となるはずだった。医師は即刻の入院を命じたが、わたしは車で赤坂を往復。通いの医師なのでなんとかなったが、そうでなければ束縛されていたかもしれない。21単位の輸血によってヘモグロビンは10にまで回復したが、主治医によると交通事故のように一挙に出血した場合は死んでいたらしい。
 入院後の意識ははっきりしているが身体がいうことをきかない。粗相を繰り返したのもはじめての経験だった。御下の面倒が自分で看られないのは最大の苦痛であり屈辱である。済まないと陳謝しつつ汚れたシーツの処理を看護師に頼むのだが、人権を剥奪されたような心持ちだった。身体だけがまるで他人のそれで、老年を逸早く体験させられたと思っている。認知症をはじめ、ひとは歳行けばみな同じになる、まさか自分がと思っていても例外はない。ひとは一人では生きてゆけないと思い知らされた。
 まず思い浮かべたのは私自身が拒否し続けてきた家族である。非常時にならないと思いが及ばないところのものに、わたしも気付かされた。ところが、気付いたときには既に親はいない。家族との概念は晩年のわたしにとって大きな問題として立ちはだかる。
 それにしても、靭帯剥離骨折に末期腎不全、あのような火急の折にどうして大量失血が続いたのか、ただただ不条理を噛み締めるのみ。

追記
 従来、欧米では左側大腸(S状結腸)に好発するのに対し、日本では右側結腸が多いとされる。わたしの場合はまず左側に発生、今では左右一面にに拡がり、立派な大腸憩室症となった。大腸のポリープと共にわたしが抱える爆弾である。


2011年02月07日

世界観  | 一考   

 何事によらず考えるに際して、自己と他者、精神と肉体、光と闇、善と悪というように二元的に捉えたがる。なにかしらその方が上等な思考回路のように思われるからであろう。しかし、人はひとつの有機体として一元的に考えるのが自然である。病気になって分かったことと云えば、人間は肉体の各部位が互いに緊密な関わりを持つひとつの統一体であって、単なる部分ないしは要素の寄せ集めでないということ。
 クリニックでは糖尿病から透析に這入った方が多いが、固形物を摂取している状況にあっては好き嫌いが生じるのはやむを得ない。近い将来、食品に対するイメージが大きく変わるに違いないが、その時は糖尿病から透析に這入るというのは昔語りになる。世界観とはおかしなもので、折々の時代、状況から一歩も出られるものでない。
 人工多能性幹細胞(IPS細胞)はまだ細胞レベルの基礎研究であり、実際に移植した際の機能や組織補完能力については良く分かっていないのが現状である。いずれにせよ、IPS細胞が実用化されれば、また新たな世界観が表れると思う。
 わたしが子供の頃、巷には傷痍軍人が濫れていた。片目をを損った父もそうだったが、往時の大人の半数近くはなんらかの障害者だった。わたしが六十歳を出て、手脚のない人は減り、別な意味での障害者が増えた。往時、IPS細胞の実用化がなされておれば、傷痍軍人のイメージも、さらには戦争のイメージもまるで異なったものになっていたに違いない。考えるだに怖ろしくなるが。
 わたしが屡々ひとは時代の子と云うのは、そのような事情による。さて、二元的な考え方だが、花田清輝、石川淳、安部公房、吉本隆明、埴谷雄高、林達夫等々、枚挙に遑がない。そしてそれらは時代の要請であり、時代の必然だったと思う。ひとは過去のなかを彷徨うが、未来を生きることはできない。余談だが、わたしがSFを認めない理由はそこら辺りにある。
 認めないとは云っても、IPS細胞は拒絶反応のない移植用組織や臓器の作製が可能になる。男性から卵子、女性から精子を作るのも可能となり、同性愛者同士による子の誕生も可能になる。世界観と緊密な関わりを持つ倫理観も大きく変化するに違いない。そうしたことは想像するだに楽しい。思うに、夢とは倫理の崩壊が端緒でなかったかと。
 遠い将来、ひとの身体同様、社会、国家、民族、宗教、そうしたものが、全体は要素(あるいは個人)の単なる総和には還元できない独自の存在であるとする考え方が証明されるに違いない。独自の存在であればこそ、闘いは虚しい。なぜなら、違いを違いとして認知するところにしか独自性はない。善悪といった二元的証明は必要でなくなる。(この項に関してはいずれ言葉を補足します)


2011年02月05日

CAVI検査  | 一考   

 六十四回目の誕生日を迎えた。計算によると、あと二回誕生日を迎えられれば御の字だそうである。よほど巧く推移して三度目がやっとだそうである。六十六歳で死のうが、六十七歳で死のうが大差はない。既に擲げた人生であって、酒は嗜めなくなったが、一日、一日を楽しく過ごしている。透析ももっかのところ、なんの苦もなく打ちすぎてゆく。今年も独りかなと思っていたが、訪人あってひとときの晤語を楽しむ。
 ところで、ALSの検査と書いたが、あれはCAVI(キャビィ)検査の間違い。動脈硬化度検査で、動脈硬化の程度と狭窄、閉塞の有無、要するに高血圧、高脂血症、糖尿病などの危険因子を調べる。具体的には仰向けに寝た状態で両腕・両足首の血圧と脈波を測定する。簡単だが、半年毎に検査することで動脈硬化の経時的変化が分かる。


2011年02月04日

保険点数  | 一考   

 民主党政権になってから医療に関する出費が目に見えて減ってきた。先月も透析の保険点数が減らされた。業者にとってはかなりの負担になる。現在、透析治療への国庫からの出費は年間一兆四千億円を超えたと聞く。問題は糖尿病からの透析患者と高齢者が増え続けていることにある。斯くいうわたしも高齢者のひとりだが。
 透析治療には毎月六十万円が必要である。民主党の思惑は月に八万か十五万円ほどの負担を患者に強いることにある。次回の総選挙で民主党は間違いなく透析患者とその家族を含めて百万票は目減りする。民主党と云うよりも菅政権の臨終は近い。新進党時代より、わたしは小沢一郎のファンだったのでなおさらその思いを強くする。


ワクチン  | 一考   

 過日、肺炎球菌ワクチン(ニューモバックス)を受けたが、値は六千五百円。ちなみにワクチンの類いは国保が効かないので実費である。これで風邪に対する手当は済んだが、一万円ちょいの出費になった。死亡率から考えて、命の値段だから安いものである。ただ、ワクチンは罹らなくなるのでない、罹っても重度にならないという一種の保険である。
 ALSの検査(動脈血液ガス分析)があったが、時間の都合がつかず、次回(半年に一回)になった。医師に云わせると血圧の高低差があるので問題なかろうと云うことだった。ところで、ALSが何の検査なのかわたしにはさっぱり分からない。患者が理解できない検査を受けさせるとはいささか強引なクリニックである。透析患者なら知っていて当たり前との論理が屡々罷り通る。当方で調べれば済むことだが、困惑させられる。どうやら、ちょいと痛みを伴う検査のようである。聞くところによると足の動脈へ穿刺するらしい。痛みには毎度慣らされているので問題ないが。


2011年02月03日

カロリー  | 一考   

 一日一キロと書いたが、毎日一キロも飯を喰っていると太るに違いない。透析患者は体重を安定させる必要がある。基礎代謝量が個々に異なるが、一日1300から1800カロリーで十分である。ちなみに、ほっかほっか亭ののり弁当が720kcal、とんかつ弁当なら933kcal、松屋の牛めし(並盛)が671Kcal。普段食べる蛋白制限食は一包装あたり300kcalなので怖ろしくハイカロリーなのが分かる。
 わたしが子供の頃の支那ソバもしくは饂飩蕎麦の類いは150グラムだった。今でははなまるのかけ小盛りの饂飩が210グラムで273kcal、拉麺に至っては倍以上の量になっている。要するに、現代人は飯の食い過ぎである。
 一日一キロは除水量からの逆算で、一キロ喰わねばならないというわけでない。今日も技師とはなしたが、除水でもっとも多いのは2リットルだそうである。おそらく、一日二食が一般的なのだと思う。一食分の除水は大体400ミリリットル、二日で1.6リットル、水と併せて2リットルちょいである。わたしは今多いときで1.2リットル、技師からさらに減らすべきと云われた。自力で尿が排泄されているからである。


一日一キロ  | 一考   

 「カリウムがどうの、リンがどうの、ナトリウムがどうのと云った類いは後のはなしで、まずは摂取量をいかにして抑えるかである」と書いた。血液検査が各週になってからさまざまな実験を試みた。野菜や練り物、ウィンナや魚の子等々、危険なものがどこまで食べられるのかという実験である。結果、血液検査になんらの異常は見られなかった。問われるのは分量であって、一日一キロの食生活を守る限りほとんど問題は生じない。三食で飯が450グラムの場合、副食は550グラムになる。
 例外は中華料理とラーメンとキーマカレー等々である、あれはナトリウム過多でどうにもならない。パンと麺類は規定量を食している限り、問題は生じない。外食は基本的に分量が多すぎて困惑させられるばかり。半分残すのであれば、たとえ外食であっても大丈夫。
 一日一キロさえ守れば、リンやカリウムが少々増えても、レナジェルやカリメートのような吸着剤で処理できる。カルタンのような「沈降炭酸カルシウム」はビタミンD製剤と併用すると血清カルシウム値が上昇する。わたしはレナジェルのような塩酸セベラマーを薦める。ただし、便秘の問題は残るが。
 食べ物単品でどうのこうのと云うまえに、総量規制を重視すべき。あまり五月蠅く制限を設けると食欲をなくする、そちらの方が問題。この半年でわたしが得た結果である。


2011年02月02日

食事量  | 一考   

 2キロの食事と1.5リットルの水が日本人の平均摂取量である。そのうち大便になるのが600グラム、他の2.9キロが水分となる。二日で5.8キロ、透析患者が健常者と同量の食事を摂ると半年以内に臨終を迎える。カリウムがどうの、リンがどうの、ナトリウムがどうのと云った類いは後のはなしで、まずは食事量をいかにして抑えるかである。
 1キロの食事と0.5リットルの水、これで二日で2.4キロになる。これが透析患者が摂る量の上限である。今後の余命を考えればこの半分が理想だが、現実には無理である。「透析患者の寿命」で書いた余命を全うしようと思えば、2.4キロは譲られない。守られなければ、一年以内に三分の二の透析患者が死去する、そのなかに這入ることになる。
 前述したリンとカリウム、蛋白制限などは守る必要はない、と云うのは2.4キロを守れば余程偏った食事(例えば拉麺)でない限りクリアできるからである。まずは量ありきである。
 透析患者は大方があと何年生きられるかを問題にする。ならば2.4キロを守れば「透析患者の寿命」で書いた平均寿命は生きられる。それを制限ととるか、病気に罹ったが故のタックスととるかである。日本国憲法には国民の三大義務のひとつとして納税の義務が上げられている。その納税の一部だと思えばよいのである。
 繰り返すが、1キロの食事と0.5リットルの水、これは守られない量でない。好きなものを食べられないと悄気るまえに、好きなもので良いのである、ただし量を少々控えめに。それだけで寿命を全うすることができる。

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