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2014年06月 アーカイブ


2014年06月24日

江川商店のちりめん山椒  | 一考   

 当地のスーパーで10種類を超えるちりめん山椒を試食した。その中に江川商店(神戸市兵庫区中ノ島1丁目1−1)のちりめん山椒があった。モンドセレクション4年連続受賞と記されているが、そのようなことに興味はない。ただ、使用している淡路のちりめんが小さく頗る上質、かつ香味に品がある。
 10種類を超えると前述したが、他の商品は味が濃すぎてまるで佃煮である。京都のちりめん山椒がブランド化された理由はそこはかとなく漂う醤油と酒の香りにある。江川商店のちりめん山椒は京都の木村九商店のそれと比して、まったく遜色ない。50g×3パックで税込み1296円は廉価、お試しあれ。ちなみに、江川商店が用いているちりめんはグラム400円はする、それから推しても安いと思う。
 山椒が少ないと思われる向きは有馬山椒を加えれば良い。既製品の有馬山椒は味が濃すぎる、作り方は当掲示板に詳しい。

 http://item.rakuten.co.jp/e-kaisan/0076/?scid=af_pc_link_tbl&sc2id=146355517

 実山椒もこちらで売っている。韓国産だが、さして遜色なし。

 http://item.rakuten.co.jp.3s3s.org/e-kaisan/10000938/

 上記アドレスは実山椒・江川商店で再検索していただきたい。楽天で実山椒を検索するといろいろ出てくる。わたしは京都の錦から丹波産を送らせているが、和歌山有田産ぶどう山椒は美味。

 http://search.rakuten.co.jp/search/mall/%E5%AE%9F%E5%B1%B1%E6%A4%92/%E8%AA%BF%E5%91%B3%E6%96%99-100300/p.1-s.1-sf.0-st.A-v.2


やまちゃん  | 一考   

 神戸物産と共同仕入れをしている大黒天物産は「ラ・ムー (LAMU)」「ディオ (DIO)」などのメガディスカウントランドを経営している。魚住の明石南店と大蔵海岸店が明石の東西に展開されている。わたしはこのような巨大な店舗を信用していなかったのだが、大蔵海岸店の平目と鯛のにぎり寿司(各5巻270円)と大名寿司との巻き寿司(370円)は旨い。旨いと云うより、この値段で昼網の活魚が使えるところが立派と云うほかない。

 昔、贔屓にしていた「やまちゃん」との飲み屋が枝吉にあった。店主の名は山内武史、わたしより三歳年下だが、魚のプロで、どれだけ面倒をお掛けしたか分からない。西明石のですぺらのオープニングには包丁持参で駆けつけ、魚を片端から下ろしてくださった。爾来、明石浦漁協で昼網を競り落とすのが日課になった。彼の綽名はスーパーマン。明石、神戸に止まらない、加古川から西宮間のスーパーに精通していた。
 その彼が8年前に脳溢血で倒れ、リハビリに勤しんでいたと人づてに聞いた。動かれるようになってからはマックスバリュ西明石南店で働いていたようである。大黒天物産は岡山だが、マックスバリュは広島、今はイオングループの中核をなす。彼はこの7年、マックスバリュ西明石南店で朝網の魚を捌いていたのである。
 拙宅の近くにある山陽マルナカ玉津店も同じイオングループだが、こちらにも魚のプロが這入っている。今日はオコゼのアラ6匹分が150円だった。オコゼの身を買う金はないが、こちらなら大丈夫、唐揚げにしてもっとも旨い魚である。
 やまちゃんと16年ぶりに杯を傾けた。活魚専門の飲み屋でもはじめようかと、さまざまな料理に話は弾んだ。


2014年06月23日

単車への憧れ  | 一考   

 自動車保険契約「中断証明書」が見付かった。保険の解約日が平成22年7月8日、有効期限は32年7月8日。新契約のノンフリート等級は20等級である。当時は42000円の保険料が5960円だったが、現在なら9000円ほどになる。BMW R100RSの任意保険である、単車の保険は単車にしか通用しない。四輪のそれとは別口である。
 四輪での事故は物損(追突事故)が一回、逆に100対0でぶつけられたのが三度。二輪では自損(靱帯剥離骨折)が一回と二度四輪からぶつけられている。保険を用いたのは四輪での物損事故だけで、二輪は一度も保険を使っていない。従って、長く20等級だった。免許を取得した日から車種や事情を問わず人身事故を起こしたときは免許返上と弁えている。

 引っ越してから体調が良い。小さなオートバイなら乗られるのでないだろうかと思っているが、医師から禁じられている。シャント(橈側皮静脈と橈骨動脈の吻合)を造ってからは表皮を動脈が流れている。もしも、バイクが顛倒して腕に傷を負えば止血能力を超えてしまう。数分で失血死に至る。それを承知でどのようなバイクに乗ろうかと考えあぐねている。
 顛倒を避けるためにシート高は70センチまでならどうか、100キロまでしか出ない20馬力以下ならどうだろうか、買い物用の原チャリなら良いのでは等々、買いはしないのだが、あれこれ思いを巡らしているのが愉しいのである。


ポタリング  | 一考   

 北海道へ行くたびに走行速度が落ちてゆく。その結果が四輪でなく二輪、大型バイクでなく原チャリの一種、二種なのである。前項で林道について触れたが、林道にとどまらず、一般国道であっても、風景の種類は速度に比例して変化する。例えば、春先の原生花園に相応しい速度は時速5キロまでである。そこを大型バイクで50キロ(北海道は市内40キロ、郊外50キロ制限)で走ったとして何が咲いているのやら皆目見当もつかない。花が咲いているのかどうかすら分からない。なぜなら、花屋の花と違って原生花園のそれは一輪、一輪がとても小さいのである。
 10キロには10キロの、50キロには50キロの景色と云うものがある。澁澤さんは新幹線を忌み嫌った。窓が開かないような電車で旅をする気にはならないと。身体が不自由になったのも理由のひとつだが、わたしは自転車で北海道を回られなかったことをいまなお後悔している。
 時間が自由になるのは時間すなわち限界を意識しないで済む十代だけでないだろうか。二十歳になればパラサイトでいることは許されない、生計は自分で立てなければならない。要するに、働きはじめた人間が時間を手に入れるには、定年を待たなければならない。わたしが北海道でもっとも多く出逢ったのは、十代のチャリダーと定年退職を向かえて颯爽とカブに跨がる老人だった。
 北海道には安価に宿泊できるユースホステル、ライダーハウス、とほ宿、無料のキャンプ場がいくらでもある。よって北海道は自転車旅行者が全国でもっとも多い。ただし、道東、道北では都市間が数十キロ以上離れてい、食糧の調達には難儀させられる。さらに、食料品店やガソリンスタンドは17時には閉まってしまう。補給は事前に綿密な計画をたてなければならない。


2014年06月19日

神戸病院と神大病院  | 一考   

 神大病院の行き来に県道21号神戸明石線を利用した。神戸市中央区から明石市を結ぶ主要地方道で、須磨離宮付近以西の区間を地元では専ら「旧神明」と呼んでいる。21号には多聞通、大開通、水木通、七曲がりなどと名が付けられているが、とにかく古い道である。わたしは30歳の折、西区枝吉のマンション「シャトレ北川」を下検分に行くため、この道を走っている。
 月見山から離宮公園の間、名谷町の信号、多聞町大門の信号など車線を間違えるとあらぬ方へ行ってしまう。また、七曲がりのように狭隘な区間もあるため、常に渋滞気味である。それ故、朝夕の通勤時間帯なら2号線経由の方が早い。

 神大病院でのクレアチニンは2.02だった。膀胱炎も治まり、とりたてて気になるような数値は検査結果に顕れていない。目眩はするが、血色素量(ヘモグロビン濃度)10.6、ヘマトクリット32.5とさして低くはない。MCV(平均赤血球容積)、MCH(平均赤血球ヘモグロビン量)、MCHC(平均赤血球ヘモグロビン濃度)は基準値に収まっている。

 神戸大学医学部附属病院の源流となる神戸病院は1869(明治2)年に設立。1944(昭和19)年、神戸病院は兵庫県立医学専門学校附属医院へ、1946(昭和21)年に兵庫県立医科大学附属医院へ、1952 (昭和27)年に兵庫県立神戸医科大学附属病院へ、1964 (昭和39)に国立移管され、1967(昭和42)年に神戸大学医学部附属病院となった。従って、わたしが子供の頃は県病と云われていた。


2014年06月17日

サイクルライフマツダ  | 一考   

 サイクルワークショップクサカ(神戸市西区森友4丁目98-2)とサイクルライフマツダ(明石市王子1丁目15-1)へ挨拶に。神戸市と明石市だが、自転車で10分足らずの距離である。クサカについては過去掲示板で触れたことがあるので、今回はサイクルライフマツダを紹介したい。
 元々、両者は明石市硯町の同地番にあった。クサカは自転車を造るところ、マツダはそれを売るところ。正確には松田さんが日下さんのところに居候していたのである。その後、松田さんは硯町からハイツヒラノ(明石市大道町1丁目5)へ引越し、向かいの木造家屋へと再度引越された。
 クサカはビバロで知られたピストを造っていた。明石には競輪選手が多いが、その多くがかつてビバロに乗り、松田さんの客だった。その松田さんと久しぶりに話し込んだが、車体に軽量化したパイプを使うと耐用年数が短くなると云うところではなしが止まった。

 引越に際し、幹郎さん家(ち)と周さんのところへ嫁入りした自転車を思い出したのである。幹郎さんの自転車のヘッドチューブに罅が這入っているとか、周さんの自転車のチェーンの断裂、またはブレーキシューのワッシャーのひび割れなどを思い起こした。共にアルミフレームの自転車だが、やはりクロモリと比して軽量化には問題が生じることが分かった。
 競輪選手ならいざ知らず、通常は切れないチェーンがいとも簡単に切れるなど、周さんの脚力を甘く見ていたと反省している。クロモリフレームの自転車を置いてくるべきだった。それにしても、アルミ、チタン、カーボンなど、自転車の軽量化は極限に達している。10キロを切るのが当たり前になってい、なかには5キロほどの自転車すらある。しかし、わたしは10、12キロが限界だと云う。軽量化と耐久性についてはもう一度考え直すべき大きな問題を孕んでいる。

 http://cyclife.web.fc2.com/cyclife/shoppu_shao_jie.html

追記
 従来は手組ホイールしかなかったが、1990年代に這入って完組ホイールが登場した。スポークではなく一体成形のディスクを採用したカーボンホイールなどである。軽量化はフレームに止まらず、有りとあるパーツがカーボンで造られるようになった。レース用ロードバイクはUCIによって、合計重量が6.8kgを下回ってはならないと規定されているが、現実には下回っており、バラストを積んで走っている。
 わたしがここで云っているのは70年代のロードバイクであって、手組の自転車である。組み立てに興味があるのであって、完成品に興味はない。もっとも、エディ・メルクスのような軽量化に拘るレーサーもいたが。


2014年06月13日

フレッシュ石守  | 一考   

 2012年03月21日に「 ユニクロ流スーパー」と題して神戸物産のことを書いた。神戸物産は直営小売店を2店舗持っており、共に「フレッシュ石守」と云う。稲美店と伊川谷店(神戸市西区白水3丁目4-29)で、後者は県道21号(旧神明)白水橋のやや上にある。食料品の買い出しに利用している。鱧があれば、いつも購入しているが、明石界隈でもっとも安い店である。
 わたしの頭のなかでは神戸物産とフレッシュ石守はまったく結びつかなかった。伊川谷の鉄工団地に用があり、偶然見つけたのである。

 拙宅のすぐ横を明石川が流れている。手前は玉津町出合、川向こうは玉津町今津に変わる。名のない橋をわたってすぐのところにミニストップ神戸玉津店があった。伊川谷の鉄工団地はさらに東へ1.5キロほど進む。
 ミニストップは周さんに教えていただいたソフトクリームの旨いコンビニである。宣伝に釣られてぶどうソフトを注文。一口食して注文ミスに気付かされた、やはりバニラにしておくのだった。アイスクリームを食べた後に水が欲しくなるような種類の甘さは好みにあらず。一寸残念。


2014年06月12日

中央自動車  | 一考   

 昔、自動車教習所ではない自動車練習所が明石市中朝霧丘1-19にあった。中央自動車と称し、わたしがさまざまな車の練習をしたところである。最初の普通免許と普通自動二輪は山形の新庄第一自動車学校で同時取得した。東京からの合宿免許でもっとも安いところだった。合宿所は喜至楼、瀬見温泉の旅館でイワナ、ヤマメ、サクラマス、アユなどの渓流釣りで有名なところである。とんでもなくレトロな宿で、合宿生は4人部屋、当たり前だが、風呂もトイレも共同、湯沸かしポットと有料の洗濯機以外なにもなかった。食事は明けても暮れてもカレーライスの繰り返し。もっとも、バイクの度重なる顛倒で両脚は腫れ上がり、寝る以外なにも出来なかったが。
 前述の明石の練習所だが、本職は自動車整備工場で、片手間で大型、普通、けん引、大特、大型自動二輪を時間貸しで運転できた。実技が免除にならないので値は安く、大型で40分2000円だったと記憶する。だいたい20単位ほど練習すれば大概の試験には受かった。場所は明石市立大蔵中学校の裏、徒歩2、3分で明石運転免許試験場である。利点は試験場と同じ車種をレンタルできたこと。
 試験場が傍にあれば、高い金を出して教習所へ通う必要はまったくない。日々眺めておれば3種類あるコースは覚えてしまうからである。明石の友人の多くは中央自動車を利用して大型もしくは大自二を飛び込みで取っていた。
 先日、その中央自動車へ行ったものの高木マンションになってい、練習コースと思しき辺りにも家が建っている。毎日自動車商会の川口さんに訊ねたところ、どうやら廃業したようである。半生の一コマがまた・・・このようにして諸事万端は記憶に鎖されてゆく。


2014年06月11日

冬瓜  | 一考   

 2009年07月26日に「来客」と題する文章を書いた。この月16日に靱帯剥離骨折と腎機能の低下により川久保病院へ入院、10月にはときとうクリニックへ、同じく川久保病院へ再入院、21単位の輸血を受けている。「医学的には3度死んでいる」と山崎医師の云う3度はこの期間に集中している。
 「なだ万の弁当に鱧と冬瓜の煮付けを持って川津さんが来られた。冬瓜は確かカリウムの含有量が多く、慢性腎不全には不向きかと思ったが、これが実に美味い。冬瓜はかつて店のお通しにもよく使った、店では鱧の替わりに海老を用いたが。おそらく生涯で最後の冬瓜になると心して頂戴した」
 今日、冬瓜の煮付けを買ってきた。自分で造ればよいのだが、それでは量が多すぎる。ひとり住まいだと惣菜を買うに如くはない。ただし、なだ万のそれと比して味が濃い、白出汁の中へ入れて一煮立ちさせ、冷やせば美味しく頂戴できる。確かにカリウムは高いが、低残渣の野菜である。それにしても、腎移植に成功し、ふたたび冬瓜と見えることになろうとは。


2014年06月09日

車と用途  | 一考   

 免許を取得してホンダXL250を購入。四輪の方は金がなかったので丸一年はペーパードライバーだった。やがてトヨタの初代カリブ1500を購入。3年後の1992年、品川さんに運転を教えていて事故、カリブは廃車になり、代わりにトヨタのチェイサー2000GTを弁償していただく。
 この間、94年にですぺら開店、99年に東京へ移転。11年間18万キロ乗り継いだチェイサーを廃車。2003年からインプレッサ、マスタング(追突されて廃車)、ボルボ850(追突して廃車)、ボルボS80等を乗り継ぐ。
 このうち、カリブ、インプレッサ、ボルボ850の購入価格は5万円、マスタングは木村さんから頂戴したもの。わたしにとって車は北海道へ行くための足。よってカリブ、インプレッサ、ボルボ850はバンタイプ、かつ前の二者は四駆。
 要するに足であって乗りたい車になんぞただの一度も乗っていない。と云うよりも車なんぞ走ればよいとしか思っていない。こだわりがあるのは自転車やオートバイの方かもしれない。北海道での長期にわたるキャンプ道具を積むために二輪にはさまざまな積載方法を試みた。CBX125にはBMWのキャリアを溶接し、二輪としては最大の積載量を持たせた。
 四輪と比して二輪の走行距離は圧倒している。XL以外にもホンダCX400、BMW-R100RS、BMW-K100RSと乗り継いだが、なんと云っても前記CBX125カスタムは12万キロを、ヤマハジョグ49ccは15万キロを乗り回した。二輪の12万キロは四輪の24万キロに相応する。

 このまま身体が落ち着けば、もう一度125ccの原付きバイクで北海道へ行きたいと思っている。夏であれば、10万円で1箇月以上過ごすことが可能である。原動機付き自転車だとフェリー代は半額で2000円ほどで済む。
 北海道で舗装されているのは幹線道路だけである。にもかかわらず、皆さんはこぞって大型バイクでやってくる。従って、海沿いと富良野、美瑛を走って終わりである。昔、セローという225ccのバイクがあった。林道を走るにはあの大きさが上限である。大型はおろか、中型で林道を走る猛者がいれば拍手喝采したくなる。それほどに、北海道の林道は狭隘かつ線形不良な砂利道ばかりである。たまにジムニーが間違えて這入ってくるが、底がつかえて動かれなくなっている。身動きできなくなったジムニーを助けるのはわれわれライダーの仕事である。

 「知らない街や自然を見聞きし、バイクで駈けめぐり、北海道の見知らぬ大地の匂いに噎せた日々を想い起こす。小水の魚となったいまも、雨とともに、風とともにあった幾多の野営場が頭のなかをよぎる。わたしはなんという贅沢を味わってきたのだろうかと。深夜の病院のラウンジで幹郎さんの真似をしてデミタス珈琲をゆっくり啜る。ささやかな自由、そしてささやかな苦味が激痛のように口のなかを刺す。なぜか涙が濫れだしてとまらない」とかつて掲示板へ書いた。古平町の「白鳥古丹」の碑の前で佇んだ折、免許を取得したことを、車に乗られることを感謝した。

 ああ麗しい距離(デスタンス)、
 つねに遠のいてゆく風景・・・・・

 悲しみの彼方、母への、
 捜り打つ夜半の最弱音(ピアニッシモ)。


2014年06月07日

みどり屋  |  一考

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 175号線中古瀬南から社滝野線(567号)へ右折、松尾で372号線と合流する。今田町の北側、篠山の南側を掠めて、天引峠から湯の花を右折して、湯ノ花温泉方面へ這入る。松園荘保津川亭の先を右折するとみどり屋亀岡店がある。温泉町の民具、すなわち茶道具、煎茶器、漆器、掛軸等々が大量に置かれている。着物、和装小物を中心とした長岡店と共に、昔から世話になっているアンティークショップである。
 かつて装訂の資料にと多くのはぎれを購入したのを思い起こす。ところで、そのみどり屋がスタッフのブログをはじめている。題して「みどりや日記」、素敵に面白いと評しておこう。

 http://blog.recycle-midoriya.com/


2014年06月05日

道場と江井ヶ嶋酒造  | 一考   

 地酒を口にしてこの酒に合う食べ物はとの質問が多い。わたしはそれを聞く度に不思議に思う。地酒ならば地の食べ物に決まっているだろうに。例えば、灘なら鱧の落とし、鱧皮酢、鯛の子の煮付け、玉筋魚の釘煮、わらびもち、穴子焼き、お好み焼き等々だが、わたしは明石焼きと江井ヶ嶋酒造の神鷹は似合いだと思っている。
 明石駅南側にあった飲み屋「酒道場」(今は北側へ移転)の隣には「お好み焼道場」があって、神鷹と明石焼きを同時に頂戴することができた。わたしは「お好み焼道場」の明石焼きが明石でもっとも安くかつ旨いと思っている。
 江井ヶ嶋酒造は昔、花園の藤本さんに連れられて行った。その折、ホワイトオークは飲んだが、シングルモルトあかしは飲んでいない。イチローズ・モルトよりよほど楽しみにしている。


鯛の子の煮付け  |  一考

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 例によって、ある日の朝兼昼飯。鯛の子と白子の煮付け、肉じゃがの二品。肉じゃがとは申せ、牛肉は30グラムしか這入っていない。飯は変わらず120グラム。
 このところ、夕飯には鱧の湯引きもしくは落としががつづく。埼玉では生きの良い鱧が手に這入らないために諦めていたが、明石では200円から300円ぐらいで入手可能。鱧落ち以外にも鱧や穴子の骨せんべいは久しぶりである。


2014年06月03日

立杭  |  一考

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 こちらは冷房の効く車のはなし。
 ボルボの調子がよくなったので、立杭(今田町)へ出掛けた。県道75号(小野藍本線)を選んだが、天神北で道に迷う。三田西ICから溝口、相野経由で逆方向から三本峠へ這入った。16年経てばこのようなものか。往き帰り走って何となく道の印象が戻った。次回は間違わずに行かれそうである。
 県道75号以外にも国道372号線、もしくは314号(大川瀬吉川線)から20号線との道もある。吉川経由はワインディングが楽しまれるが、ボルボで峠は無理である。
 国道372号線は京都府亀岡市から兵庫県姫路市に至る一般国道だが、わたしが離れている間に様変わりした。例えば、京都府亀岡市と兵庫県篠山市の県境になっている天引峠直下を貫通する天引トンネルが昔は存在せず、幅員狭小かつ急曲線な天引峠を越える山道だった。また、野村河高バイパスの旧道となる社町駅東方のクランク箇処が2005年にに拡幅、湯の花温泉界隈では幅員3mほどの狭隘かつ線形不良な離合困難箇所を多く抱えていた。
 もっとも変わったのは現日置バイパスで、篠山市辻から同市八上上に至る旧道は人家連担地区を通過する狭小な道路で、なかには人家の中庭を擦り抜けるような箇処すらあった。
 阪神・淡路大震災の際には国道2号や阪神高速道路、中国自動車道をはじめとした東西の交通が寸断されたことから、国道372号全線が東西の通過交通対策ルートに指定され、代替機能を担うこととなった。7本のバイパスによって拡幅整備され、旧道の面影はなくなった。

 今田町では清水千代市さんと旧交を温め、市野悟窯の市野哲次、市野英一、市野秀之、丹誠窯の大西誠一さんの作品を鑑賞した。千代市さんがギャラリーを設けて26年になるが、陶房にいらした佐藤さんは12年前に退職したそうである。一緒に備前の窯元を走り回ったのを思い出す。写真は大西さんの一輪挿し、白丹波窯変である。
 ところで気を遣わずに車を転がすとチェックランプは元に戻ってしまった。コンピューターのリセットはなんだったのだろう。騙し騙し乗るしか手はなさそうである。


冷房のない車  | 一考   

 お説の通りです。車の歴史は熱対策の歴史で、これでも随分と発熱量は減ったと思われます。内燃機関(ガソリンエンジン)を用いた自動車の生みの親はダイムラーとベンツの両人でしょうが、フォード・T型からほぼ100年の歴史を経て、ガソリン自動車はなくなりつつあります。とは云え、中国や印度のような国々ではこれから原動機付きの車が増えてゆくのでしょう。
 考えてみれば、小学生の頃、自転車に乗るようになって一気にテリトリーが拡がりました。神戸から岡山、奈良、京都をはじめ、日本海側まで走り回りました。その後、二輪の免許を取得、北海道へ毎年のように行ったのですが、自転車や原動機付き自転車で北海道を旅する多くのひとと出会いました。
 広い意味での車と旅行とは切っても切れない関係にあると思います。わたしは小型のモーターバイクをとことこ走らせての旅が好きなのですが。


2014年06月02日

1冷房車は暑い  | なんで   

 歩いている人間にとって、冷房しながら駐車している車は「発熱体」だ。これほど技術が進んだ車でも「排気ガス」は垂れ流し、「綺麗」になったとはいえ、『ガスはガス」自己責任の時代なら、車の外側も冷房とはいわないが、発熱をしない工夫をする責任があると思う。
車の増加率と「肺がん」の増加率が「平行線」とは隠れた事実だといわれているが、今はどうなっているのだろう。たばこには「一服して考える」という長所がある。喫茶店で「禁煙」をいうところは「喫茶店」の「喫」の字を外すべきである。


2014年06月01日

車検2  | 一考   

 チェックランプが消えないのでディーラーへ持ち込んでコンピューターチェックをしてもらう。セントラルエレクトロニックモジュール(CEM)とステアリングホイールモジュール(SWM)との交信がうまく機能していない、との結果が出た。
 一覧表を頂戴したが、わたしには何のことやらさっぱり分からない。車本体とコンピューターとの交信が一部断線しているということ以外、なにも分からないのである。SWMを交換して直るといった単純なものでもなさそうである。SWMそのものが故障しているのでなく、電源が供給されていない、もしくはアースリード線が断線している、端子の接続不良などが考えられるが、その修理に6万円ほど掛かると云う。
 捨て置いても車としての機能に問題はないが、さまざまな故障症状が出る。クルーズコントロールがまったく機能しないこと、ステアリングホイールに付いている各種ボタン(マニュアルモードのシフトとCDの曲送り・曲戻し等々)が作動しない、ターンシグナルランプが作動しない、ウィンドシールドワイパーが最低スピードでしか動かないなどである。
 この内、前二者はわたしには必要がなく、後二者は深刻な影響をもたらす。わたしの車の場合、現れた症状は右折時のターンシグナルランプがたまに途切れることである。しかしレバーを押さえておけば普通に点滅する。ボルボのターンシグナルリレーの動作音は大きく設定されているので、途切れたときにすぐ分かる、頗る便利である。
 取り敢えず、コンピューターをリセット(これはディーラーにしかできない)し、チェックランプは消えた。走行に問題は生じないのでこのままでどうだろうかと、ディーラーのひとは云う。(リセットの方法がネット上でいろいろ紹介されているが、「バッテリーのマイナスリード線の接続を外す」をはじめとして有効なものはひとつもなかった)

 エンジンオイル、ミッションオイル共に問題なし。タイミングベルトも良好、過去の持ち主が十分な整備を施していたことが伺える。摩耗しているブレーキのディスクパッドとディスクローターを交換すれば、当分トラブルは生じないそうである。江別のスーパーライン北翔へマイレのパーツを注文した。
 毎日自動車商会がボルボにも詳しくて助かった。神戸ナンバーへ変わったため、市役所での手続きがはじまる。使わないだろうが、市営駐車場が3時間無料になる。それと保険の登録変更を急がなければ。

追記
 欧州車はパッドとローターの両方が磨耗しながらクルマを停めるという設計思想なので、日本車に比べてダストの量が多い。そこへ持ってきてボルボのホイールはフィンタイプのため掃除が大変である。そこでブレーキダストカバーを付けようと思う。ブレーキダストカバーの装着はディスクローターまで外さないと無理なので、良い機会である。

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