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2011年03月 アーカイブ


2011年03月31日

疑惑  | 一考   

 社民党の福島瑞穂党首が経済産業省から原子力安全・保安院を分離すべきだと指摘。菅首相は前向きに検討するそうである。政治家の「前向き」を信じるほど、わたしはお人好しでない。とりわけ相手が菅であれば。
 民主党は09年に公表した政策集に、原発事故など万一に備えた防災体制と実効性のある安全検査体制の確立に向け「独立性の高い安全規制委員会を創設する」と明記していた。その後、マニフェストを裏切りつづけた菅ならではの、さらなる裏切りがここにもある。
 保安院は経産省の外局である資源エネルギー庁の特別の機関として設置された。原子力利用を推進する経産省の傘下に安全規制を担う保安院があると云うのも妙なはなしである。保安院は昨今のテレビでお馴染みだが、最初に出演した頓珍漢も、今ご登場の禿面(あれはカツラである)も共に経産省のお役人。東電のカネに汚染した東大の学者連中と一緒になって原発を守ろうと必死である。真に見習うべきは、斎藤寛を学長に選んだ長崎大学の例であろう。
 新規の原発は暫くは無理にしても、既存の施設は残したいのが本音である。福島第一原発の廃炉はやむを得ないとしても、風評被害が他の原発に及ぶのを避ける、そのための大芝居がもっか進行中の計画停電である。
 停電を回避する方法はいくらでもある。例えば都心部を走る地下鉄などもそうだが、大口の電力使用者は民間のそれと比べて実に安価な料金設定になっている。それはいざというとき、使用停止になるのを断わった上での低料金である。されば、いっそ地下鉄を止めれば計画停電の要はなくなる。以前書いたように、山手線の内側は自転車か原チャリを利用すればよい。
 東電の火力、水力を含む全発電能力と首都圏の約九割の電力を賄っているJR東日本の自営の発電所の能力を天秤にかけてみれば、東電の計画停電は詐欺ではないかとの疑惑を抱くはずである。少なくとも、火力発電所の性能にはかなりの余裕が認められる。おそらく電力の重要さを、延いては原発推進の重要さを強調せんがための芝居なのである。
 先日おっきーさんと、拙宅で暖房はことごとく切っているとはなしをした。おっきーさんの会社も暖房は切っているそうな。国の行政機関も切られている、ただし国会議員の居るところを除いて。考えれば考えるほど、節電に協力するのが虚しくなってくる。JR同様、旧財閥は多くが自営の発電所を持っている。電力供給の自由化を先に議論すべきでないだろうか。
 東電本社前に数万人のデモ、沸き上がる原発止めろのシュプレヒコール。もしもそうなって今後原発の営業が成り立たないと悟れば、立ちどころに停電は中止になるに違いない。

追記
 東電の発電能力に関して一言。火力発電所の稼働率が六、七割まで伸びれば計画停電の用はなくなる。
 暖かくなれば風向きが変わる。南風になれば、汚染地域は福島や仙台に拡がる。それまでに収まると思っているのだろうが。


2011年03月30日

仮設住宅  | 一考   

 某市の首長が低地にあった住宅を高台に移す計画を伝え、国に対して支援を求めたという。これは一例だが、家屋が役所乃至政府によって元通りに復旧されると思っているかの発言に愕いた。国が私有財産の再建に手を貸すのはどう考えてもおかしい。それでなくとも、阪神淡路大震災の後、被災者生活再建支援法が議員立法により制定された。今では収入、年齢によって異なるが、最大三百万円が支給されるようになった。
 かつて書いたことがあるが、本州最東端のトドヶ埼灯台から南西約二キロ、姉吉漁港から延びる急坂の上に位置する姉吉地区ではすべての家屋が被害を免れた。その坂の途次に立つ石碑には以下のごとく刻まれている。

   高き住居は児孫の和楽 想へ惨禍の大津浪

 その想いを喪ったが故の大きな災厄だった。
 三陸は猫の額のような狭い土地に家が建て込んでいる、山陰も消息は同じである。住むのが可能なところには当然家屋があった。それに近接するかたちで広大な空き地(山間地)があればともかく、浸水地域への復旧は許されない。だとすれば、村外、町外あるいは県外に仮設住宅を建てるしかない。要するに被災者は住処を捨てるしかない。それでなくとも地盤の沈下によって山手線の内側の七倍の土地が水没した。
 再建費用は所有者負担が原則、少なくとも神戸ではそうだった。そして仮設は仮設であって、二年後には撤収される。避難所には学校をはじめとして本来のの用途があり、仮設住宅同様、苟且の居場所である。好むと好まざるとにかかわらず、生活基盤は他に求めるしかない。漁業、農業、畜産の何如を問わず。
 仮設住宅の入居は妊婦や乳幼児、高齢者のいる世帯などが優先される。地域別でなく、無作為な抽選になる。それがコミュニティの寸断を呼び、高齢者や障害者は結果として見棄てられる。神戸に於ける福祉避難所や多発した仮設住宅に於ける孤独死の問題は、今回もそのまま引き継がれる。神戸の仮設住宅は老人の絶滅を待って五年の長きにわたって存在した。死後数週間あるいは数箇月を経て発見される独居死が倍増したとの記事が、十年後の神戸新聞に書かれている。


2011年03月29日

秬鵡返  | 一考   

 先日触れた某村に残っている畜産業者は新聞によると十数人だが、村人に聞くと七十名だそうである。二十キロと三十キロの双方に跨がって村は在る。現時点で屠殺すれば補償が出ない、と云えど乳は汚染、肉も汚染されている。しかも土壌が汚染され、今後数年は牛を飼うことすらできない。にもかかわらず、餌を与え続ける営みの切なさを思う。
 菠薐草がどうの、甘藍がどうのと云っているが、そうしたことにさしたる興味はない。わたしが興味を抱くのは土壌の汚染である。二十、三十キロの同心円にも興味はない。スピーディによる計測では、南へ四十キロ、北西へ五十キロが汚染されている。気象庁はそのデータを公表しない。そして一部の汚染はチェルノブイリを越えつつある。にもかかわらず、人体に影響はないと判で押したように答えが返ってくる。乳幼児のみが云われるが、チェルノブイリでは十四、五歳までの少年、少女の甲状腺癌が問題になった。こちらも学者に云わせると影響は考えられないようである。

 原発の半径十キロ圏内で見つかった遺体の収容が見合わせられている。遺体から測定された放射線量が高く、搬送は危険と判断されたのである。
 避難した人たちが、放射線量を確認するスクリーニング検査で「異常なし」とする証明書を提示しなければ医療機関で受診できないケースが続出。避難所に入所する際、スクリーニング検査を事実上義務付けられるケースすら起こっている。ナチスに於ける猶太のマーク同様、被災者が被災者を差別する、非科学的な偏見による過剰反応である。
 某副大臣が原発事故の今後の見通しについて「予見しうる最悪の事態を考えているが、それ以上は神のみぞ知るだ」と述べ、陳謝していたが、想定していなかったが故に正しい発言だったのかもしれない。これだけ放射性物質による汚染が拡がり、プルトニウムやウランが検出されるなかで、学者連中はいまなお人体に影響はないと宣っている。思うに、最悪の事態を予見している学者、政治家は皆無でないだろうか。


EDF  | 一考   

 東京電力が福島第一原発の事故で、フランス電力(EDF)や核燃料会社アレバ、原子力庁などフランスの原子力関連企業・機関に支援を要請したことが分かった。ベッソン産業・エネルギー・デジタル経済担当相が二十八日、ラジオ番組で明らかにした、とのニュースが流れてきた。
 EDFは十八日、専門家の派遣や原発事故に対応するロボットを含む資材百三十トンの搬送など独自の救援計画を発表したが、日本側は拒否。アメリカの最初の支援も日本政府は拒否、オバマ大統領は菅政権の隠蔽体質に激怒したと伝えられる。
 愈、原発事故が統御不能に陥ったようである、いまからでは遅すぎるが。


2011年03月28日

ゴールデンバット  | 一考   

 日本たばこ産業(JT)は今回の震災による生産設備への被害と計画停電の影響を受け、全九十七銘柄のたばこの出荷を一時的に停止すると発表。原材料の調達が滞っていることに加え、栃木県と福島県の工場の操業停止で安定供給が難しいと判断、銘柄を大幅に絞って生産し四月十一日から出荷を再開する。この間に、東海以西の製造拠点で「マイルドセブン」や「セブンスター」といった主要二十五銘柄の増産、在庫充実を図るようである。ただし、二十五銘柄のうちに「エコー」と「わかば」は這入っているが、「ゴールデンバット」は這入らない。
 あなたはずっと買っているので五ケースは取り置くと云われたが、次回はいつ這入るか分からないと云われた。巫山戯るなと云いたいところだが、安物を造っている暇はなさそうである。このような形で高齢者は切り捨てられてゆくのかもしれない。愈、禁煙が近づいてきたようである。


本日の営業  | 一考   

諸用があって七時十五分に開店します。


午前の透析  | 一考   

 朝の部へ移って間がない。従って挨拶はするが、話をしたことはなかった。夜の部と比して雰囲気がまったく異なるからである。今日、夜から朝へどうして移ったのですかと訊かれ、停電によって為事ができなくなるからです、と応えた。「はあ、為事をしているんですか。一級じゃないんですか」「一級ですよ」「一級で為事をしているのですか、信じられない」。
 信じられないのはこちらである。透析をしながら為事をしているひとは多くいる。透析に限らず、身障者に理解のある会社だってある。透析優先なので、残業や夜のお付き合い、社員旅行は無理だが、それらを除けばなんとかなる。当然、給料は半額以下になるが、十万から十二、三万円でみなさん遣り繰りしている。要するに、生活保護を受けるのを嫌っているのである。

 停電のない二十二時から六時二十分までの間に透析の半分を変更しようかとのはなしがあった。一部の病院が朝の三時から三時間透析をはじめたようである。わたしは構わないが、スタッフが大変だろうと思う。生活もなにもあったものでない。東電の無計画停電によって域内の国民は弄ばれる。


2011年03月27日

天災と人災  | 一考   

 前項で書き忘れたことがある。阪神淡路大震災では家屋の倒壊に公的補償は付かず、火災保険は天災ということで免責になった。支払われたのは地震保険のみ、ちなみに地震保険の支払い金額は七百八十三億円だった。爾来、地震保険が一般化される。
 本来、地震や津波などの天変地異による被害では保険会社は免責になる。加入者に対する死亡保険金や給付金の支払いから免除されるのである。しかし、今回は生命保険や損害保険を全額支払うことで業界が一致結束している。阪神淡路大震災を超える多大な被害が予想されるが、復興を支援するためにも業界は支払うという。されば保険の方は問題ない。米リスク調査会社の試算によると、地震と津波による保険対象の損害額が最大三百億ドル(約二兆四千四百億円)に上るという。
 今回は天災と人災とが複雑に絡み合っている、例えば福島県のように。保険会社同様の超法規的判断が政府によってなされれば良いが、杓子定規な菅、岡田体制では望むべくもない。結果、人災は補償され、天災は補償されないということになる。この場合の人災とは原発を指す。要するに、同じ罹災地でありながら補償に格差が生じる。おそらく、罹災者にとっては納得のいかない格差になると思う。
 避難地域が八十キロでなく二十キロになっているのは、生じる補償金の減額を狙ってのことである。民主党とマニフェストとの相関関係しか念頭になく、非常時との認識は岡田幹事長の頭のなかにはまったくない。これは阪神淡路大震災時の村山首相の発想と同じである。家を再建するなら自己責任でどうぞ、である。
 二十キロから三十キロのあいだの住民は自主避難ということになって、当然補償の圏外になる。思うに、福島県下の相馬、鹿島、原町、小高、浪江、双葉、大熊、富岡、楢葉、広野、いわき等では遺体の捜索すら満足になされていない。被災者数が最後まで判然としない地域になるだろう。天災か人災か、福島に於ける罹災者の選別が難航するは必至。


2011年03月26日

温泉  | 一考   

 どことは書かないが、某村へ行くには四号線から山越えの道しかなかった。当然、未舗装一車線で、かなり危険の伴う嶮しい道だった。それがある日、立派に舗装されたなだらかな道が完成し、旧道は走るひとも居なくなった。原発が費用を負担し、無料で解放したと聞かされた。同じ原発が村に温泉を造った。鉄筋コンクリート三階建ての立派な建物で、二階が大浴場になっている。村で唯一の社交場は近隣の村民や町民の喝采を受け、温泉は繁盛した。
 村民は三千人だが、原発事故によって隣町の町民約二千五百人を受け入れ、一時住民は約五千五百人にふくれあがった。ところが村も汚染に晒され、村と町の合同災害対策本部は住民の村外への避難を決めた。豚や牛など家畜の管理などで離れられない十数人を除き、より内陸の都市へ避難した。温泉はラジウムならぬセシウム温泉になってしまい、訪ねるひともいない。
 今回の事故がアメリカ、フランス、ドイツで起きていたら、今頃東京の人口は半減していたに違いない。現に多くの大使館は大阪へ移転し、外資系の会社は順次関西へ移動している。一部の国は飛行機の発着を東京から大阪へと変更した。
 原発は落ち着いたと云え、何時水素爆発によって、大量の放射能を撒き散らすか分からない。にも拘らず周章てるひとはいない、大方は汚染されていない牛乳や水を求めて右往左往するだけである。一歳から五歳までの幼児にとって、好ましくないミネラル水を求めて。
 ロシア、中国、シンガポール、オーストラリア、アメリカ等々では日本の農産物は輸入禁止になった。福島県、群馬県、茨城県、千葉県、栃木県の乳製品、野菜、果物、水産物が該当する。わが国はこれから中国の安全な農産物を輸入しなければならない。これもTPPの先取りか。
 拙宅の近所では茨城産の野菜や果物の安売りがはじまっている。青梗菜は五十円、大粒の苺が一箱百五十円で売られている。当分、デザートは苺である。

 阪神淡路大震災の折は自主避難の経費はおろか、家屋の倒壊などに補償はまったく出なかった。私財の損壊に税金は使えないとの方針が最初から決まっていたからである。それはそれで良いのだが、原発問題は同日に語るわけにいかない。今回は地震即津波の問題と原発の問題を混同してはならない。ことは複雑である。


2011年03月24日

 | 一考   

 透析の最中に夜の停電が中止になったのを知った。停電の予定は十五時二十分から十九時までだった。わたしは朝の部へ移ったが、夜は十九時半にはじまり、二十三時半から二十四時まで透析、それから返血だから終了は二十五時になる。スタッフの出勤は八時である。
 疲れから技師のひとりが風邪を引いたが、頑張っている。声を掛けると、一日で良いから休めると癒るのだがと一言。今日は休んでくださいと応える。

 透析が終わって帰りにスーパーへ寄る。案の定、水は売り切れ、そこへおばさん達があらわれて水を探している。水より珍しい商品がこのスーパーには濫れている。停電がわざわいして魚を置く店が極端に減っている、その渦中にあって豊富な魚が揃っている。ところが、水がないのを確認すると団体客はなにも買わずに出ていった。こういう人が買い占め、買い溜めをするのであろう。

 二十三区の住人にとって今回の地震は他人事なのだろうか。今回のように水道水が汚染されれば水の買い占めが起こるように、どこまで行こうが授与される側でしかない。ホンダが良い例だが、工場が停電で生産停止になっているのに、二十三区はほんの一部を除いて停電と縁がない。工場や電車を除いて消費電力の四割近くは民間の消費が占めているにもかかわらず。
 優先順位は工場にあるのでないだろうか、先の項目で大田区と品川区を入れたのは飛行場があり、町工場が多いからに他ならない。工場を優先させなければ経済はさらに大きなダメージを負う。ものがないと云うが、玉子、納豆、モヤシの入手が難しくなったのも理由は停電である。


2011年03月23日

停電  | 一考   

 停電かと思っていたら、午前の停電は中止。朝の部は定時からはじまり、夜の部が繰り上げられた。いつも思うのだが、午前、午後の停電が這入ると透析は一回しかできない、それが日曜日へずれ込む。地震以来、スタッフは休みなしで頑張っている。個々の命がかかっているので中止はあり得ない。わたしが通うクリニックは関東でも最大規模である。札幌ほどではないにしろ、罹災地からの透析患者を含め、もっか満床である。ちなみに成田にも大きな透析病院がある。
 現在の計画停電は五グループに別けられているが、どうして二十三区から二グループを作らないのか。荒川、足立、練馬、板橋は一部停電してるがどうして一部なのか、太田、品川、千代田、港、中央、新宿は仕方がないにせよ、目黒、世田谷、中野、杉並、北などは主として住宅街ではないか。成田を前述したが、同地区は六時から二十二時までの間ほぼ毎日八時間の停電がつづき、透析治療は痲痺している。節電に例外は認められない。現状では周辺の県や市が二十三区の犠牲になっている。
 東京は狭い、山手線の内側の移動は徒歩もしくは自転車か原動機付自転車に限定すべきでないだろうか。このままだと、いずれ怒りが爆発する。


2011年03月22日

震災後  | 一考   

 阪神大震災では、避難所への支援が遅れたため、神戸市内の店舗や住宅で空巣狙い、窃盗、略奪が多発した。避難所に於ける支援物資の奪い合いや喧嘩もあった。東北でこれから生じる問題は神戸のそれと似たものになるだろう。トイレの不備、インフルエンザや胃腸炎、肺炎などの感染症の蔓延、遺体安置所ならびに火葬場の不足、それに伴うドライアイスの不足。大量の産廃処理、視覚障害者や原発流民に対する手当等々も問題になる。
 Yahoo!知恵袋を読んでいて「車・バイク・自転車はあるので家からキャッシュカードさえあれば渋滞で時間はかかりますが大阪、明石、三田方面に車で行きコンビニやスーパーで水・食料品などを買いに行くことはできました」とあったが、あれは一部は嘘である。西明石ならともかく、明石は停電でキャッシュカードは使えない。また地震当日に明石と三田のスーパー、コンビニは商品が空っぽになった筈である。ですぺらの向かえがダイエーだったのでよく知っている。
 地震当日(1995年1月17日)は車で走ることができたが、三日目から一箇月間は一般車の市内走行は禁止(除外車は別)された。それでなくとも、六甲有料道路、新神戸トンネルならびに有馬街道は通行止め、渋滞どころの話でなかった。西明石以西と西ノ宮以東からの援助物資は三日目から入ったが、売り物でなく、例えば生協は無料で配っていた。

 今回も罹災地の映像の報道規制には感心させられる。陰惨な映像(例えば屍体など)は見事に端折られている。阪神大震災同様、これでは他人事と解されてしまう。かねてよりこの種の統制には疑問を抱いている。


2011年03月21日

ガス購入  | 一考   

 拙宅からもっとも近いガソリンスタンドは休み、仕方なく松戸で二時間並んでガソリンを入れてきた。これで明日はですぺらへ行ける。リッター151円也、何時もは138円なので、ちょいと高いが、やむを得ない。それにしても、朝の六時から列をつくるなど、わたしを引っくるめてご苦労なことである。
 最短コースを走り、徹底した省エネ運転を心掛けているので、今週はこれで大丈夫。

追記
 前述した石油備蓄二十二日分の放出を今日、政府が決めた。地震から何日経ったと思っているのか、何もかもが後手に回っている。


あれこれ  | 一考   

 今後、長くボランティアが必要になってくる。ところが、身体の具合が悪くボランティアはできない。献血は三箇月後に再度必要になるが、わたしは輸血しているので献血すらできない。クレーン免許は持っているだけでなんの役にも立たないが、建機や重機なら大概のものは動かすことができる。罹災地区の放送を見ていて、これならわたしにも可能なのにと思うことが他にもある。ガソリンが手に入らないので自転車のリサイクルが奨められているが、自転車の修理ならどのようなことでも可能である。ただし、ボランティアは自己完結型でないと地元は迷惑する。神戸のときならともかく、東北での自己完結は不可能である。

 芳賀さんの川内村の家は村全体が福島原発の三十キロ圏内に這入った。放射線について詳しいことは分からないが、逃げ出した方が良いに決まっている。政府や原子力安全・保安院は楽天的なことしか云わない。レントゲンやCTスキャンといった一瞬の放射線を引き合いに出すが、数箇月間、毎分、毎時レントゲンを浴び続ければどうなるのか。

 海外からの原油供給途絶に備えて百六十四日分の原油が蓄えられている、このうち民間備蓄七十日分のうち三日分(126万キロリットル)が大臣通達によって十四日に放出された。近隣のガソリンスタンドに云わせると、タンクローリー車の配達は毎日で、回数は普段よりはるかに多い、しかし二、三時間の販売分しか供給されないらしい。わずか三日分ではどうにもなるまい。
 透析患者の大半は自家用車もしくは看護用の車で通院する。そのガソリンが手に入らなくて困っている。わたしの車も、あと一メモリで仕舞いである。通院用としては十分だが、通勤用は残っていない、どうしようかと思っている。ガソリンスタンドによると、以前に戻るのに一箇月は掛かると云う。

追記
 福島第一原発は落ち着いたようだが、冷却に三箇月以上掛かる。放射能の問題はこれからである。わたしが読んだサイトでは以下がお薦め。
 http://ameblo.jp/satoshitaka/entry-10834940369.html


2011年03月19日

ガス  | 一考   

 近隣のガソリンスタンドの半分は閉店、残り半分は営業している。ところが朝六時までに並んでくれと云う。ちなみにガソリンスタンドの営業時間は八時から。八時に並ぶとその日の割り当てはないそうな。昔、黒姫に素敵な蕎麦屋があったが、朝五時に並ぶと食べられるが、六時だと食い逸れる。開店時間は十二時である。しかも店主はそれを自慢げに語る。何度か馳走になったが、やがて足が遠のき、途絶えてしまった。
 いくら旨い蕎麦であっても、蕎麦のために七時間は勘弁を願う。ガソリンもさぞかし美味しく、きっと二、三百キロの速度が出るに違いない。しかし興味はない。並んでまで購入するなら家で不貞寝する。

 十時からの停電の場合、七時にはじめて二時間半の透析になると云う。次回火曜日の透析は六時半にクリニックに這入るか、もしくは九時はじまりのフルタイムだそうである。火曜日だからまだしも、中二日で二時間半はきつい。
 日本中の電力の三分の一を東京で使っている。経営は民間でかまわないから、国設の火力発電所を五つ、六つ東京近郊に創設する必要がある。でなければ夏は大変なことになる。


節電  | 一考   

 土曜日は透析の日だが、停電は中止の模様。わたしの穿刺時間は九時八分なので、九時には病室へ這入るようにと云われる。指示がおそろしく細かくなった。これも計画停電のせいである。
 透析へ行く前は停電が多い、従って信号機は点いていない。馴れていないのか、頻繁に信号が無視される。どのような道にも優先順位はあるが、信号機が無点灯の場合は双方が一旦停止するのが作法である。互いの次の動きを目か手で確認してからでなければ前進はできない。その確認が覚束ない、とりわけ原付バイクが一旦停止を怠る。自転車感覚で乗っているのがその理由と思われる。危険この上ない。

 節電で夜の国道、高速道路は街灯が消えている。神戸の震災時は真っ暗闇だった、それと比して随分とましだが、何時もと勝手が異なるのは仕方がない。ガソリンがないので、街を走っているのはプロパンを使うタクシーのみ。赤坂の夜にタクシーの列が戻ってきたのは良いが、客がまったく居ない。ホテルも閑古鳥のようである。
 拙宅の暖房は電気を使っている、よって暖房は切ったままである。寒く思うときもあるが、火燵すら遠慮している。節電をモットーにしているが、例外は風呂、穿刺箇所が痛いからである。


2011年03月18日

時間短縮  | 一考   

 今日の第五グループ(松戸の一部)は十八時二十分から二十二時まで停電である。朝七時にはじめたとしても、十八時二十分までに二サイクルは終了しない。朝晩どちらかの透析の時間短縮を試みるしかない。時短となると今まで以上の厳密な体重自己管理が必要となる。
 スタッフの皆さんは事前のミーティングの時間が取れなくて困っている。休憩などとんでもないとの状況だが、穿刺の瞬間、瞬間は気を張りつめないといけない。わたしが通うクリニックも満床となり、技師、看護師は気力だけで頑張っている。非常時である、患者は我が儘を控えなければならない。
 某サイトで三時間に短縮されると四分の一ずつ尿毒素が溜っていくとの書き込みがあったが、それは一概に云えない。一週間透析を断つと身体中が浮腫んでくる。ぱんぱんに膨らんでくる。二週間断つと心不全や心筋梗塞で斃れる方が出てくる。しかし、透析の時短で死ぬようなことはない。罹災から一週間、被災地の透析患者は危険な状況に陥ってきた。電気もさることながら、透析時には多量の水が必要となる。電気と共に水道の復興を願いたい。


アドワーズ  | 一考   

 Googleプレイスのアドワーズ用無料お試し券が送られてきた。今回の金額は七千五百円、登録期限は三月三十一日となっている。何時ものことながら有り難い。


2011年03月17日

主婦と労働者  | 一考   

 朝の部ははじめてなので勝手が異なる、まるで新入生である。労働者は夜の部、家庭の主婦は朝の部と聞いていたが、とにかく女性が多い。ピーチクパーチクと五月蠅いことこの上ない。三分の二は婆さんである。しかも糖尿症でない方を探すのに一苦労する。糖尿というのは食に好き嫌いを持つ男性の病かと思っていたが、逆だった。見ていて穿刺が大変である。通常のシャントと違って人工血管や動脈を筋肉の上へ追い上げたものなど、さまざまな腕、血管のオンパレードである。糖尿は血管を脆くするが、ここまでかと愕かされた。あの人たちの食生活はどうなっているのだろうか。横の婆さんは生茶を飲んでクッキーを食べている、なにを考えているのだろうか。
 第五グループなので、二度目の停電があって三時間の透析になるなと思っていたが、午後の停電は休止、無事に終了する。看護師、技師がさかんに目で合図を送る。「あなたは理想的な患者だから」と呟きつつ、最初に穿刺をしてくださる。夜の部では最後だが、朝の部ではトップバッターである。

 地震以来、はじめてスーパーへ行く。酢と辛子を買いに行ったのだが、序でにひとわたり見回す。米、水、牛乳、玉子、インスタントラーメンは在庫しているが、一品もしくは二本限定となっている。その後、百均へ行く、欲しかったポケットティッシュが売っていた。松戸のガソリンスタンドもすべて閉まっている。わたしの車はあと四回赤坂を往復できるが、そのあとはどうなるのだろうか。


2011年03月16日

営業時間  | 一考   

 透析を準夜から朝の部へ変更したので、営業時間を遅くする意味がなくなった。とはいえ、当座は罹災が禍して、店は閑であろう。そこで八時十五分の開店にする。十五分というのは麹町の駐車場から店までの歩く時間である。早いお客さんは連絡さえしていただければ何時にでも出てくる。どうかよろしく。

 三郷市が罹災者二百五十人を受け容れると云う。大切なことは期間が限定されていないこと。他の諸都市は大半が一週間とか一箇月と期間が限られている。
 気仙沼の市立病院に血液回路が這入ったようである。罹災地のみならず、透析患者はひどい目に遭っているようである。「非道い目」と書いたが、病人は透析患者だけでないのは承知している。ただ、わたし自身が透析治療を受けているので、気になるという、それだけのことである。


買い占め  | 一考   

 国道は空いていて思ったより早く店へ着いた。理由は走りはじめて直ぐ気付いた。ガソリンスタンドが真っ暗である。三郷を出て、麹町の駐車場まで一軒も開いていない。ガソリンや灯油の買い占めは聞いていたが、ここまでとは思ってなかった。
 非常時になると買い占め、買いだめが横行する。折角透析を朝の部にしていただいたのだが、今度はガソリンの入手が難しくなった。燃費が悪いのは当方の勝手だが、車がなければ動かれない、困ったものである。精米した米同様、ガソリンも買いだめはできない筈である。二週間ほどで品質が落ちるからである。
 買い占めでなく押し売りだが、神戸の震災の折、三ノ宮のガード下商店街が片端から盗人に襲われた。また、ブルーシートが二万円、握り飯が二千円で売られ顰蹙を買っていた。西ノ宮からの担ぎ賃が加算されたからだが、大阪商人の逞しさが如実に表れていた。
 わたしは日本人のそのような癖をまったく信用していない。特に東京では、米、水、インスタントラーメン、トイレットペーパー、乾電池、懐中電灯、カセット用ガス台とボンベ、山岳用のランタンとストーブ、生理用品などが商店から消えた。米のように有り余っているものが店頭から消えるなど、想像すらできない。真に日本人とは如何わしい存在である。


2011年03月15日

朝の部へ編入  | 一考   

 松戸市は逸早く被災者の受け入れを決めた。今日、福島から大型バスが到着、公営施設を開放するという。
 東葛クリニックはごった返していた。松戸の東葛飾は第五グループのようである。停電の影響で朝の部は七時からになったが、受けられなかった方が準夜もしくは夜の部へ殺到。スタッフは朝の五時から夜十時までの勤務、透析時間の短縮は考えていないと云う。わたしは準夜なので四時からだったが、透析がはじまったのは五時過ぎ、終了は十時前、ですぺらは休むしかなかった。何時ものことながら、スタッフの熱心さには頭を垂れるしかない。
 次回の木曜日から朝の部へ変更した。そうしなければ店の営業が覚束ないからである。具合良く一人だけスペースが空いていると云う。開始時間は停電に合わせて、七時から十一時の間。睡眠を二度に分けることになる。ちなみに、木曜日は十時からである。

 国際援助隊の中国人が日本の原発は旧すぎる、中国のそれは安全性に於いて日本の原発を遙かに凌ぐ、と。そうだろうとは思うが、情けないことこの上ない。代替の火力発電と云っても、横須賀火力発電所ぐらいなもので、他はやはり一から建設するしかない。最短コースを走っても三年は掛かるだろう。


お粗末  | 一考   

 先日記述した通り、今日の透析は四時から八時に変更、終了は八時半になる。それから赤坂だと順調にいって九時半、開店は十時になる。この変更時間は日々異なり、当日にならないと分からない。このような状態で店の営業など出来るのだろうか。
 透析患者のなかには関東を離れ、西日本へ転院する方が増えている。
 透析可能病院とベッド数は以下の如く、

 日本透析医会災害情報ネットワーク
 http://www.saigai-touseki.net/sendsdata/total.php

 原発の専門家が東電にいないことが露呈した。炉心格納庫の損壊によって放射能がフィルターを通さずに垂れ流されている。原発に残った五十人の作業員は防護服を着用しているが、一般国民に防護服はない。これをお粗末と云わずになんとする。


東京電力  | 一考   

 透析治療は時間が変更されるようである。どのように変わるかは担当スタッフにも分からない。東京電力が判然としないのに、病院のスタッフに分かる筈がなかろう。透析は中断が許されない、許されないと云っても、停電になればどうにもなるまい。
 停電が理由で透析を断念もしくは短縮する医院が多いと聞く。わたしは除水が少ないので時間短縮が可能である。短縮した分を他の患者に回していただければありがたい。
 五つのグループに別けての計画停電だが、そのグループは日々輪番制になっている。要するに停電の時間帯が毎日変わるのである。これでは治療の計画の立てようがない。透析患者は長期間にわたって東京電力に振り回されることになる。
 原発の問題にしても、エンジンポンプを用いて海水を炉心に注水中、燃料が切れてポンプが停止したのに気づかず、再度燃料棒が露出したと、このようなことを発表する無神経さに呆れ返る。危機管理能力が皆無である。経営陣の責任が問われるべし。


2011年03月14日

計画停電2  | 一考   

 気仙沼の市立病院は市内で残された唯一の透析治療が可能な病院である。近郊の透析患者が集まり、約二百人がフルタイムで治療を受けている。透析の血液回路があと二日分でお仕舞いとか、ヘリコプターを使ってダイアライザーと血液回路、生食と薬品などを急送できないのだろうか。
 妊婦健診、人工呼吸器、透析治療等々の紹介をしているのはNHKのみ。民放は何度も放映している刺激的な映像を繰り返している。このような非常時ですら視聴率を気にかけるとは世も末である。
 公共の交通機関はたとえ間引き運転になっても運行すべき、たとえ一般家庭の電源を切ってでも。数年間に及ぶものゆえ、停電なら停電にしないとダイヤグラムの組みようがないではないか。病院の電力も切られない、人工呼吸器を用いている家庭の電源も切られまい。発電機やバッテリーの手当が済んだとは聞いていない。優先順位はなにがあっても遵守すべき。計画停電と云いながら、奈辺に心算があるのか。
 福島第一原発の二号機の炉心が暴走をはじめそうな雰囲気である。避難距離は十分に取っているのだろうか。格納容器の損壊について楽観的な意見ばかりが跋扈しているが、実態はどうなのだろうか。事前に予測可能なことゆえ、最悪の事態をも考えておくべきでないだろうか。

 私事で恐縮だが、三郷市は今日は停電がなかった。拙宅では風呂から電話に至るまでが停電だと使えなくなる。昔のガス釜だと沸かせるのだが。現今の電化生活の不便さを思う。


息も絶え絶え  | 一考   

 能転気は脳天気の間違い、心良いは快いの間違いとの指摘を校正を生業とする方から受けた。わたしも校正をいささか囓ってきた。共に間違いではないので、言葉の前後のつながり、もしくは意味合いによって変える、あとは好みと云うことになろうか。ただし、どこそこの辞書ではこうなっている、と云うのは間違いである。信じられる辞書などあろう筈がない。とりわけ漢字に関しては顕著である。それにしても脳天気と記載された辞書があるとは不思議である。
 わたしは過去読んできたさまざまな書物から得た知識を基調にしている。なかには無理な遣い方もあるが、それは承知の上である。逆に明治、大正期の無謀とも云えるような遣い方にこそ個性がある、と信じている。
 わたしが著す文章に関してなら出典を明らかにすることができる。文字というものは統一されれば個性がなくなる。不用意乃至無意味に統一する校正は校正でないとすら思っている。言葉は生きものである、だからこそ、慎重な取扱いが必要になる。怠れば言葉は感染症に罹る。感染症で止まれば良いが、昨今は重度の肺炎に罹っているのではないかと思う。


政令  | 一考   

 電話があって交通渋滞で動かれないとか、取敢えず今日はですぺらはお休み。申し訳ない。

 神戸の震災の折、自衛隊の車両を山口組の組員が誘導しているのを見た。それに止まらない、停電の信号に組員が張り付いていたのである。
 自衛隊の緊急派遣隊の優先扱いについて法律の改正が必要と書いたが、どうして政令を発布しないのか、今回の計画停電などはその典型だと思う。責任を問われるのが嫌なのか、あまりにも行き当たりばったりである。対症療法を繰り返しても良くはならない、政治と医学とは基本理念が異なる。
 企業にしても、これを良い機会にフレキシブルな勤務を取り入れるべきであろう。通勤、通学で不用意なエネルギーを費やすのは止めた方が良い。
 停電がはじまったようだが、関東と関西の周波数を変えたのは、このような非常時にネックになる。やることなすこと、悉くに統一性がない。なんのための政権交代だったのか。


計画停電  | 一考   

 計画停電によって交通機関に乱れが出ている。当然、国道にも影響は出る。ですぺらは営業の予定だが、定時通りに行かないだろう。ご来店の際は事前に電話(03-3584-4566)をいただければ幸い。

 拙宅は第五エリアなので、夕刻に摂る朝飯の時間帯である。生活のリズムを変えなければならない。神戸の震災ではライフラインが一箇月以上途絶えた。それを思えば計画停電は順当な手立てと思う。
 東京電力は取敢えず一箇月と云っているが、夏になればさらに電力使用量は増える。福島原発の一方は壊滅、新規の原発を建設しない限り、計画停電は終わらない。しかし、現状で新たな原発など造られるのであろうか。おそらくは隣接する形でしか造られまい。いずれにせよ、三年以上はかかる。どうするつもりなのか、道筋はなにひとつ見られない。

追記
 政府ならびに原子力安全・保安院、東京電力が云うように安全なものなら、東京湾岸に沿って原発を二、三十基ほど造るべし。もっとも合理かつ電力移送のロスも出ない。


2011年03月13日

三拝  | 一考   

 身の回りを書物が飛んでゆく、わたしはパソコンを押さえていただけ、と幹郎さんが仰有っていた。拙宅は回りに積み上げた引越荷物が三方から崩れ落ち、蒲団のなかのわたしは身動きができない。隣の部屋では書物と酒が交互に乱れ飛んだようである。地震は経験済みなので愕かないが、割れたウィスキーの匂いには悩まされる。今のわたしは酒を嗜まないからである。
 早朝から片付けをはじめて、やっと人が歩けるようになった。もっとも、ウィスキーは整理して並べていたが、それらは目茶苦茶になった。これから拭き掃除に使ったタオル数十枚の洗濯である。それにしてもアードベッグの六十九年蒸留の高級品は勿体ないことをした、十五、六万円はしたろうに。末期の水として取り置いていたボトルだったが、これは冗談。
 片付けが一応済んだのでテレビを見る。どのチャンネルを見ても神戸の長田を想い起こす。わたしにとっては心底忘れられない記憶である。わたしが季村さんの書きものに惹かれるのは、それらの記憶と季村さんの存在とが混在しているからなのか。いずれにせよ、所有する「もの」に対する執着がなくなった。それは世界観が変わったに等しい。
 東葛クリニックの猪俣さんのことは書いたが、わたしに残された日々を託すのはかかる病院なのかもしれない。いっそ、松戸で食堂でもはじめようか。
 中村元昭さん、前田昌雄さん、隆さん、また電話をいただいた方々にも御礼申し上げる。


営業  | 一考   

 十二日午後十一時、首都高速は全線の通行止めを解除。従って、ですぺらは月曜日から平常の営業に戻ります。月曜日は幹郎さんがいらっしゃるとか、どうかよろしく。

(取敢えず)追記
 宮城県南三陸町や岩手県大槌町では一万人近くが安否不明とのニュースを視る。最終的には阪神淡路大震災の死者(直接死は5,483人)を大きく上回るだろう。
 もっとも気になる仮設トイレは五千個を提供とあったが、そのような数で足りる筈もない。全国の自治体が所有する仮設トイレのすべてを運ぶべし。でなければ、飲料水も食料品もなんの役にも立たない。水洗便器などあっという間に詰ってしまう。仮設トイレ自体が二時間毎のメンテナンスが必要、そうでなければ糞尿が溢れ出してしまう。分かっているとは思うが。


取敢えず  | 一考   

 赤坂への行きは九時間、帰りは十三時間掛かった。距離は二十一キロなので徒歩の方が早い。途次、練馬自衛隊の緊急派遣隊と遭遇するも渋滞で身動き取られず、非常時の法律の改正が問われる。
 透析が間に合わず、東葛クリニックの猪俣さんが日曜日に来いという。言問橋を渡るだけで一時間を費やす、六号線を諦めて白鬚から鐘ヶ淵を抜けて堀切へ、高速道路の下を伝って八潮から松戸方面へ。土曜日の午後五時にクリニックへ到着、心良く邀えられる。
 訊くと地震のため、透析時間を早めたという。広い病室でひとりで透析を受ける。ちなみに日曜日は休院、命が掛かっているので休みもなにもない、当然です、と猪俣さん。技師、看護師の情熱に感涙す。被災地の透析治療はどうなっているのやら。
 一日半、食事を摂っていないので、体重が足らない。体重維持のため、除水でなく、生理食塩水を血液へ多量に注水。除水はできないが、でも毒素は抜けますからと云われる。

 高速道路が閉鎖されると東京の交通事情は痲痺する。阪神淡路大震災の教訓はなにも生かされていない。
 政府ならびに原子力安全・保安院、東京電力が福島原発をメルトダウンと認めないのは不思議である。セシウムが検知されれば、その段階でメルトダウンである。今後、被爆者をどのように隠蔽すると云うのか。


2011年03月11日

無事で何より  | 隆   

関東への電話回線が絶たれているため、心配していたところです。

@desperaにメールを送りました。


地震  | 一考   

 定時より三十分早く、七時四十五分から営業致します。
 住居は玄関の本箱が崩れましたが、やっと出入りが可能になりました。数十本のウィスキーが割れ、異様な匂いに酔っております。こちらの整理は二、三日掛かりそう。
 仙台の南方が燃えています。震源地の悲惨さに思いを致す。

 交通機関が不通です。赤坂界隈の方は休憩所として店をお使いください。


谷澤永一さん死去  | 一考   

 谷澤永一さんが八日午後十一時二十三分、心不全のため死去された。八十一歳だった。ですぺらへも何度もお見えになり、旧交をあたためた。
 谷澤さんは年少者であろうが異性であろうが、委細構わぬ方だった。ある日、他に客がいてわたしは厨房へ這入らざるを得なかった。その間、客のひとりとはなしになった。谷澤さんと文学に関するはなしをするときには、ひとつだけ注意が必要である。対象となる作家乃至書物についてオリジナルな意見を陳述すると云う、ごく当たり前の注意である。何々を読んだとか識っていると云った類いのはなしには、彼は激昂で応える。プロとして当然の心意気である。ところが件の客は持てる知識の大安売りをはじめた。谷澤さんは怒りはしなかったものの、二度とですぺらのドアを叩くことはなかった。
 似たはなしが読売のときにもあって、谷澤さんの著作集を出版したいので纏めろと命がかかった。わたしひとりかと思ったが、案の定役員がついてくる。梅田のいつもの割烹で待ち合わせたのだが、酒が這入るとその役員は文学論をはじめた。よりによって佐藤春夫から保田与重郎、蓮田善明とはなしはつづく。役員は早稲田の国文出身で書物を読んでいるところを披露したかったのだろうが、これでは纏まるものもまとまらない。テーブルの下で足を蹴飛ばして注意を喚起するのだが、一向に通じない。谷澤さんはわたしの顔を覗き込むようにして溜息をつく。はなしは終わったなと思った。
 割烹を出て、ちょっと用事がと云ってばらばらに別れる。谷澤さんの行くところは分かっている、あとを追って某バーへ。「やあ、一考さん、はなしはなかったことにしてくれ」「分かっています、済みませんでした」。折角の企画が潰えた、全巻の構成まで考えていたのに。
 谷澤さんをわたしは黒木書店と浪速書林の師匠と思っている。書誌学者は古書店から生まれる。黒木正男さんも梶原正弘さんも、そして谷澤永一さんも逝った。わたしも近く幕をおろさねばならない。「遊星群 - 時代を語る好書録」(和泉書院刊)について書評を書きますとの約束を果たせなかったのが心残り、雑書研究の金字塔と思っている。


2011年03月10日

無責任  | 一考   

 前原元外務大臣の弁だが、かつて大阪のオバハンが駐車禁止のチケットをくしゃっと丸めて食べてしまうとの傑作CMがあった。オバハンの言い分は「なんでわたしだけが捕まるの」にある。わたしを捕まえるならあの人もこの人も捕まえてこその平等でしょうとの叫びである。
 どうしてわたしだけが契約社員であの人は正社員なの、どうしてわたしだけが身障者であの人は健常者なの、どうしてわたしだけが独身であの人は女にもてるの。これらはおそらく説明の付く問題であろうが、わたしには説明する気は毛頭ない。多分に偶然性が介在するので、なにを云ってもことを煩雑にするだけである。
 平等との概念は悋気や差別の概念と深く結びついている。マイノリティーの問題と同じで、根が相対的であるがゆえ、明解な解答は見つかるまい。なにを発言しても条件付きの発言しかできない。分かり易く云えば、ことごとくは好悪の問題に帰着する。その帰着点でもって、こころのなかは常に内戦状態である。かかる状態とご縁のない方は能転気という他ない、もしくは根っからの差別主義者であろう。
 わたしなどは差別の表層を撫でているだけで、差別の本質とやらを掴むつもりはさらさらない。何がなににとって差別なのかを見極めるだけでも気が遠くなる。かつての神戸の震災のような非常時には差別に対するそれなりの意見を抱くが、それだって発想の原点は非常に限られた状況である。差別が逆差別を生み、さらに逆逆差別を生む。いっそ片っ端から差別だ、差別だと騒いでいるのが一番良いのかもしれない。
 平等とか差別の概念はよく分からないが、悋気なら多少は分かる気がする。されば悋気諍いだけはすまいと思っている。


2011年03月09日

無題  | 一考   

いろいろ御座いましょうが、わたしは一介の亡国の徒。お構いなく。


2011年03月08日

在日の納税  | 神軍平等兵   

http://www.zaitokukai.info/modules/bluesbb/thread.php?thr=507&sty=1&num=l50


ショットの値段  | 一考   

 あと半年で閉店なので値のことを書いても構わないだろう。ですぺらは開店から二、三年はショットは60ccだった。その後45ccを経て、現在では30ccに落ち着いた。その間、値はほとんど据置である。要するに、徐々に値上がりした。
 おそらく、60ccの時は東京でもっとも安いバーだった。倍に値上げした現在でも、ボトルによっては安いと思っている。他店でさらに安い店があれば遠慮なく申し出ていただきたい。
 店内在庫のアードベッグのごく一部分を記載する。

【アードベッグ '90(ゴードン&マクファイル)】 1000円
 コニッサーズ・チョイスの11年もの、40度。
【アードベッグ '90(ダグラス・マクギボン)】 1300円
 プロヴァナンスの一本。バーボン・カスクの10年もの、43度。
【アードベッグ・オールモスト・ゼア '98】※ 1300円
 ディスティラリー・ボトルの9年もの、54.1度のカスク・ストレングス。
【アードベッグ・スティルヤング '98】※ 1400円
 ディスティラリー・ボトルの8年もの、56.2度のカスク・ストレングス。
【アードベッグ・ベリーヤング '98】※ 1400円
 ディスティラリー・ボトルの6年もの、58.3度のカスク・ストレングス。
【アードベッグ '90(マーレイ・マクデヴィッド)】 1800円
 バーボン樽の9年もの、46度のシングル・カスク。
【アードベッグ '91(スコッチ・モルト・セールス)】 2000円
 ディスティラリー・コレクションの一本。バーボン樽の10年もの、60.1度のカスク・ストレングス。
【アードベッグ '93(ダグラス・レイン)】 2000円
 オールド・モルト・カスクの一本。10年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。限定348本のシングル・カスク。
【アードベッグ '78(ゴードン&マクファイル)】 2000円
 コニッサーズ・チョイスの一本。21年もの、40度。
【アードベッグ '91(ゴードン&マクファイル)】 2000円
 スピリッツ・オブ・スコットランドの一本。13年もの、52.6度のカスク・ストレングス。318本のリミテッド・エディション。
【アードベッグ17年】※ 2000円
 40度のディスティラリー・ボトル。
【アードベッグ '74(シグナトリー)】 2300円
 23年もの、43度。3樽、限定610本のリミテッド・エディション。
【アードベッグ '90】※ 2500円
 ファーストフィル・バーボンの13年もの、55.0度のカスク・ストレングス。日本向け1140本のディスティラリー・ボトル。
【アードベッグ '75】※ 2500円
 23年もの、43度のディスティラリー・ボトル。
【アードベッグ '75(ジョン・ミルロイ)】 3800円
 シェリー・バットの25年もの、58.0度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
【アードベッグ '75(ダグラス・レイン)】 3800円
 オールド・モルト・カスクの一本。24年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。713本のリミテッド・エディション。
【アードベッグ '77】※ 4000円
 24年もの、46度のディスティラリー・ボトル。


2011年03月07日

差別  | 一考   

 某ワイドショーで鳥越俊太郎と山本一太自民党参院政審会長のバトルがあった。前原外務大臣の辞任について鳥越曰く、
 外国人といっても在日韓国人は長く日本に住み、仕事をし、税金を払っており、表面的には日本人と変わらない。法の趣旨は、外国人が政治的な影響を及ぼしてはいけないということだが、焼肉屋のオバちゃんの献金にそれほどの影響力はないはずだ。一応まあ決まりだから、と事務的に返金すればすむはなしだろう、と。
 一方、山本一太は前原外務大臣の辞任さらには民主党の解散総選挙が目的だから、「鳥越さんの言うことは暴論、あまりに極論だ」と噛みつく。
 ここで大切なのは在日朝鮮人ら永住外国人の地方参政権の問題である。地方参政権に止まらない。納税の義務を果たしていながら選挙権を与えないという根本的な差別問題にある。話をそこまで掘り下げれば山本一太の立場はなくなる。しかるに、鳥越の弁を暴論とはよく云ったものである。前原が自民党の福田元総理が北朝鮮系企業から献金を受けていたのを強弁していたが、他人がしているのだからわたしも構わないと云った種類の発言こそが暴論であろう。
 法律というものは時節によってどうにでも変化してゆく。その法律を越えたところに理念や情念がある。わたしは前原を好きではないし、また政治から遠ざかろうとしている鳥越も好きでない。かと云って山本の教条主義的な物言いはさらに好まない、憎悪すら感じる。

追記
 根本的な差別問題と書いたが、念頭にあったのは1925年以前の制限選挙である。日本国籍を持ち、かつ内地に居住するとの条件は当然であって、在日と帰化した人とを同日に語るのは不用意。謝罪の他なし。


血尿  | 一考   

 秋の引越を技師に伝えたのだが、次の日には全員が知るところとなった。尼崎から姫路までの透析可能な病院の所在地をコピーしてくださり、個々の評判をご教示くださるなど、至れり尽せりのサービスである。普段は気難しい年長の看護師までもがいろいろと声を掛けてくださる。分からないことゆえ、みなさんに感謝している。

 血尿が出てから血液検査と尿検査が三度ずつ続いている。わたしは腎結石のせいだと思っているのだが、この一箇月、なにを調べているのだろうか。前立腺癌の疑いはありませんと云われたが、前立腺癌の検査など依頼した記憶はない。どうやら膵臓のポリープ同様、大腸以外のポリープ乃至癌を繰り返し探しているようである。明日は四度目の尿検査、剥離した癌細胞の細片の有無を調べるそうな。通常の尿検査と異なり採取量が多い。結果はまとめて教えてくださるようである。
 それにしても、こんなに検査が多いものなのだろうか。他の病院を知らないので、比較しようがない。それと他の患者の血液検査も尿検査も定期検査だけである。なにかしらの違変があればこその検査なのであろうが、その元が確認できればありがたいことである。もっとも、なるようにしかならないので、気にはしていないが。


2011年03月03日

脱血  | 一考   

 このところ穿刺ミスが多い。内出血にも馴れてきたが、血流の確保に困っている。通常は一分あたり三百ミリだが、わたしの場合はダイアライザーが小さいので百八十ミリである。それゆえ簡単に思われるのだが、血管の太さは均一でなく起伏が激しい。分岐していたり、畝っていたり、突然九十度に曲がっていたりと脱血箇所の確保に手を焼く。浅く刺したり深く刺したりいろいろと試みているのだが、満足な脱血を得られないときがある。そのための刺し直しが増えたのである。
 静脈の方は腕の内側に一直線のところがあるのだが、この内側は神経が集中していて痛いことこのうえない。穿刺のときだけでなく、刺している間ずっと痛いのであまり使う気にならない。いずれ使うしかないのは分かっているのだが。

 除水量によって寿命が決まると書いたが、ここにも個体差があって、クリニックでは良く透析し、良く食べるがモットーだそうである。良く食べると書いたが、透析患者のそれは健常者の半分から三分の二までである。身長体重もしくは新陳代謝によって差違が生じるのでカロリー数は書かれない。
 わたしの除水量は100から500の間を推移しているが、先日はドライウェイトを切ってしまった。尿素窒素が低いので看護師や技師は食事を疑っているが、十分に食している。透析をはじめて八箇月目に入ったが、いまなお飲む量に応じて尿が出ている。腎臓は壊死状態だが、どこかの回路が生きているのだと思う。その尿が理由なのだが、除水量があまりに少ない、況やマイナスになるようでは困るのである。


2011年03月02日

クォーターカスク  | 一考   

 佐々木幹郎さんの土産話のなかに、ラフロイグのクォーターカスクがあった。サントリーが扱うウィスキーのなかでもっともコストパフォーマンスがよく、かつ旨い。最初出たころのクォーターカスク(エイコーンやスリーリバーズの取扱い)は現行のそれと比してもう少し荒々しさがあった。やがてサントリーが扱うようになって香味はうんと滑らかになる。どちらが好きかは個人の好みである。ただし、初期のそれはずんと値が張る。
 クォーターカスクの中身だが、幹郎さんによれば五年ものと十一年ものだそうである。いくら小さな樽とはいえ、五年であれだけの膨よかさが出れば申し分ない。十一年は香りづけに数パーセントと思われるが、蒸留所にとっては儲けがしらと思われる。
 クォーターカスク(小樽)をフィニッシュに用いるという新規の製法だが、マスターブレンダーのロバート・ヒックスが2004年に完成させた。同じ製法は他の蒸留所も試みている。グレンファークラスにはドイツ向けのボトリングがあるが、高級品扱いである。他にもアベラワー、アードモアがそれに倣い、スプリングバンクはさらに小さなカスクを用いた商品を頒している。
 クォーターカスクを用いる利点はバーボン同様、短期熟成が可能だというところ、さればこそ五年もので十分ということになる。他の蒸留所も良いところはどしどし取り入れるべし。
 なお、クォーターカスクをシェリーでフィニッシュした「ラフロイグ トリプルウッド」が免税店向けにボトリングされている。こちらは高級品である。


2011年03月01日

編輯について  | 一考   

 「物議」が高遠さんからお褒めに預かった、悪乗りしてさらに一言。多くの書物が編輯者を介さず、陽の目をみるようになった。おそらく書き手の自己判断が基準になっているのだと思う。しかしこれ以上危険なことがあろうか。
 自分で文字を打ち込めば十万円もあれば本らしきものが造られる。他方、編輯者の目を通すのに五十万円掛かったとする。それでもなお、編輯者が読むことに価値があるとわたしは思う。校閲ないし校正とはそれほどに大変な作業である。
 文章を著すときに編輯者を意識するとは読者を想定するに等しい。最初の読者が編輯者であって、彼(彼女)ならどのように表現するだろうかと考える。そこから文章の鏤刻がはじまり雕琢がはじまる。推敲を重ねるとは既存の書物のあらゆる表現と照らし合わせ、もっとも適確な用語を選択することである。ときとして、句読点ひとつに何日も考え込むこともある。
 それら艱難は著者と編輯者の秘め事であって外には表れない。わたしなどは二十回ほど書き直しをする。書き直すではなく、書き直さざるを得ないのである。理由は手持ちの引き出しの数の少なさにある。
 文学にあってもっとも大切なのはイノベーションだと思う。情念における革新性は当然として、表現法としての革新性も問われつづける。そして情念における革新性と表現法における革新性とは同一のものである。既存の書物から得た夥しい引き出しの古層のなかからのみ、その革新性は生まれる。


閉店予告  | 一考   

 店を借りているのは八月二十三日までですが、店内の器機撤収に一箇月は掛かりますので、営業は七月までとなります。まだ数箇月ありますので、どうかよろしくお願い致します。
 mixiのコミュニティ「ですぺら」の管理人stewardさんには満腔の謝意を表したく思います。


樽について  | 一考   

 某ウィスキー解説書には緯度の関係でスコットランドでオークは採られないと書いていた。わたしはなんの疑いもなく信じていたが、佐々木幹郎さんがアイラ島から帰られ、オークの森の写真をブログへ掲載なさった。調べたところ、

 http://www.ballantines.ne.jp/scotchnote/17/

で書かれていた。以下に紹介する。

 熟成を目的としてウイスキーの貯蔵が始まったのは19世紀後半で、まずヨーロッパから輸入されてきたワインやシェリーの空き樽が使われ、次いで50年ほど前からはバーボンの空き樽が大量に使用されるようになった。次に述べるがこの時代までにスコットランドのオークはほとんど枯渇しており、地元の樽で作ったウイスキー樽は作られなかったのである。

 ピート湿原が広がる荒涼とした風景はスコットランドを代表する風景の一つであるが紀元数千年までは広い範囲が鬱蒼とした森林であった。特にローランド地方や、ハイランドでも海岸部はオークの森林に被われ、オークはスコットランドを代表する樹木であった。これらの森林がほとんど消滅した理由は気象変化もあったが何と言っても人間の活動による。森林は草地への変換のために伐採されたが、オークは船の建造、建築用材、家具、皮なめし用のタンニンの原料、燃料として非常に有用であったので18世紀頃までに大量に伐採されてしまった。しかしながら、資源として利用するには不充分でも今でもオークはスコットランドでよく見かける樹木である。現在私がいるグラスゴー大学の構内でもよく見られるし、グラスゴー市のシンボル・ツリーでもある。
 スコットランドのオークはセシル・オーク(Sessile Oak: Quercus petrae)で、フランスのコニャックの熟成に使われるオークと同種、イングランドやスペインのコモン・オーク(Common Oak: Quercus robur)とは種類が異なっている。スコットランド産のオークで作った樽で熟成したスコッチ・ウイスキーはどんな味がするか出来れば飲んでみたいものである。

 キリスト教の歴史を知らないでフランス文学は理解できない。同様にスコットランドの歴史を知らずしてスコッチウィスキーについて語ることは出来ない。この当たり前のことをわたしは失念していたようである。恥を知るとはこのことで、赤面の至りである。
 「シャルドネ荘園」とのブログでは樽香について詳述されている。

 http://plaza.rakuten.co.jp/chardonnay/diary/200804020000/

 樽香のみならず、地質、タンニン、フェノール化合物(フェノール酸、酒石、アントシアン)等々について実に詳しい。オーガニック、循環型農業(パーマカルチャー)を基本とし、北海道で葡萄栽培を主とした農業を営まれる方だが、生産者側の貴重な意見に充ちている。ぜひお読みいただきたい。

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