去年の6月末と12月上旬に酒を飲んで以来、わたしの肝臓は素干しである。そして、わたしは生きている。医師によればあと3年は生きるそうな。されば「食べ物やITや健康の話題に夢中」ではなく、「食べ物と健康そのものに留意」しなければならない。そうでなければ、医師や看護師、とりわけドナーに申し訳が立たない。
クマーラ・キシオさんが「余命一年を殆ど誰にも告げることなく去っていった梅木さんでした」と書き込まれたのが2010年06月。その言葉は重く痛切である。わたしはキシオさんに返事を認めようとしたが果たせなかった。返答でなく言い訳を書いたのが2013年03月の「逝者」。3箇月に及ぶ入院のさなか、病窓の向こうをガーッと走る埼京線を眺めながらである。
・・・ひとの生死にも「泡沫人は息消えて、帰らぬ水の泡とのみ散りはてし」から「のたうつ藍の虫の息」までさまざまである。新幹線がうたかたなら、さしずめぬたうつのが各駅停車であろうか。きわめて予後の悪い膵臓癌と大腸癌との違いとでも云い換えようか。死ぬ日まで時がなければひとは駈け抜けてゆくだろうし、死ぬ日までいささかでも余裕があれば自らの死について筆舌を累ねるやもしれない・・・
・・・沈黙を守って死んでゆくのと、もがきころびまわって死んでゆくのとどちらが潔いか、ことは簡単には済まない。この場合の潔いは未練の問題であろうか。未練を抱くのと未練を捨て去るのと、いずれにせよ、死にゆく人の未練であり、死にゆく人の時の過ごし方である。軽重を口にするのは生き残る人。いわずもがな・・・
ひとの死を咀嚼するには少なくとも咀嚼しようとするひとの生涯が必要とされる。祥月命日だからと云って、なんぞ著せば良いと云うものでもあるまい。わたしなんざあ、50人を超える知己が旅立った。然れば、年中追悼文を認めろとでも云うのかしら。
絢子さんへの眷恋を表したければ個々に著せばよろしいのであって、どうして当掲示板でなければならないのか。ひとの死から個々ひとは影響を受ける。その影響は内的なものであって、決して喧伝するようなものではない。そして知己の死に軽重のないことを願いたい。
時の流れは静謐さのなかにひとを誘う、それは残酷さと云った熱や温かみの喪失、夥しい失意の葬列でないだろうか。