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2008年11月 アーカイブ


2008年11月29日

ぼたん鍋2  | 一考   

 ヒデキさんからのお申し込みなれば、いいかげんな猪肉は使えません。なんでもよろしければグラム800〜1000円であります。しかし、丹波篠山産の極上部位なら、送料消費税別で1500〜1800円はします。ちなみに極上ロースは地元の料亭旅館でもほとんど用いません。ひとり200グラムとして材料費だけで4500円ほど掛かります。
 それはよいのですが、居候の彼は12月から就職ですし、ちはらさんは19日以降は北海道へ出張です。従ってぼたん鍋を予定していた20日、22日、27日(モルト会)は不可能になりました。拙宅から鍋釜食器を大量に運ばないといけないので、そのためのお手伝いさんを探しています。うまく行かなければ明年一月に順延となりましょうか。


2008年11月28日

ぼたん鍋期待。  | ヒデキ   

 ぜひお願いします。伯父が九州の山中で仕留めたイノシシの鍋を幼少の砌食して以来、ぼたん鍋は好物であります。楽しみにしております。


2008年11月27日

ギネスとキルケニー  | 一考   

 「サッポロはいっそギネスの子会社としての生き残りを考えればどうか。それでなくとも、外資の禿鷹ファンドに狙われている。三菱グループの麒麟麦酒や三井系の大日本麦酒同様、ディアジオ社傘下のビールメーカーがあってもよい。ディアジオ社と関係が深いのはキリンビールだが、なぜか日本国内でのギネスビールの販売権はサッポロビールが持っている。それを利用しない手はないと思うのだが」と書いたのが8月4日。
 「おそらく近い将来、サッポロもギネスから袖にされるに違いない、と思っているのは私だけなのであろうか。そのようにならないことを願っている」と書いたのが9月4日。
 そして11月26日のロイターは「キリンビール、ギネスなどの国内販売権を取得」と伝えた。全文は以下のごとし、

 「キリンビールは26日、英酒類大手ディアジオが持つ「ギネス」などの国内販売権を取得、2009年6月1日から輸入・販売を開始すると発表した。
 ディアジオ社は、1964年からサッポロビールと販売代理店契約を結んでいたが、09年5月末での契約打ち切りを通告。国内販売代理店をサッポロからキリンに切り替えた。
 キリンが販売するのは「ギネス」、「キルケニー」、「スミノフアイス(アルコール飲料)」。
 「ギネス」は、2006年に55万ケース(1ケースは大瓶20本換算)を売り上げてピークを付けた後、07年は53万ケース、08年も同程度の販売を見込んでいる。
 サッポロによると、ディアジオ分の07年の売上げ分は70億円で、サッポロの国内酒類売上高の2.2%となっている」

 キリンは93年にサントリーから、アンハイザー・ブッシュの「バドワイザー」の販売権を取得、現在はライセンス生産を行っている。そして今回、キリンが狙っていたのはディアジオ社の契約打ち切り、これでキルケニーが不安定な販売から解放される。失礼なはなしだが、上面醗酵と下面醗酵を繰り返しているキリンの黒ビールはひどく不味い。ギネスを取り込むことで、スタウト本来の上面醗酵の旨いビールを手中にした。
 セブンイレブンの一部店舗限定のチルドビールがはじまったのが2002年7月。無濾過ビールを販売するにコンビニの配送ルートを利用しない手はない。このコンビニの配送ルートに関して私は99年に講演で述べた。キリンは大手メーカーなのだが、もっとも小回りがきくメーカーである。キルケニーのさらなる発展を祈る。


2008年11月26日

ぼたん鍋  | 一考   

 黒豆枝豆や生山椒の仕入れで親しくしている篠山から丹波の冬の風物詩、ぼたん鍋の案内があった。「今年の秋は木の実が豊作だったようで、猪にとってもとても良い秋だったようです。ここにきて冷え込みもありさぞかし脂のノリもいい具合になっているのでは・・・」との文章が添えられてあった。
 明石では猪や猪豚をよく食した。松坂牛のもとは神戸牛、神戸牛のもとは淡路牛、そして淡路は猪豚の飼育でも有名である。猪は篠山と静岡の天城山、岐阜の郡上が三大名産地だが、なかでも丹波篠山産は美味とされる。「猪肉の良し悪しを見分けるのは爪の磨耗度を見る」と云われる。起伏に富んだ険しい地形で生れ、雑木林や竹藪に体をぶつけながら走り回ることで良質の猪が育つ。また猪は大食漢、たらふく食べた木の実の香りが身に滲みこんでいる。
 「静々に五徳にすゑにけり薬食」と詠んだのは蕪村、「シシ食えば古傷がうずく」は古傷がうずくほど精が強いの意。肉食が禁じられた江戸時代にも山鯨と称され、寒さ厳しい冬の季節の栄養補給源として山窩に食べられた。
 ぼたん鍋にはだし昆布、たまご、こんにゃく、やき豆腐、白菜、ねぎ、えのき、菊菜、ごぼう、生椎茸、山の芋などが用いられる。要点は薬味の山椒の粉を三十分ほど前に猪肉に振りかけること。白味噌、赤味噌、味醂、酒に粉山椒を加えた合わせ味噌を昆布だしで薄める。猪肉は他の肉と違い、煮れば煮るほど柔らかくなる。というよりは少々煮詰まる方がおいしくいただける。煮詰まると脂身が縮れてぼたんの花のようになるところからきたぼたん鍋である。
 「雪がチラチラ丹波の宿に ししが飛び込むぼたん鍋」はデカンショ節の一節。さて、今年はですぺらでぼたん鍋の会を催そうかと思っている。


2008年11月23日

モルト会御礼  | 一考   

 「クライヌリッシュとブローラ」を新稿に差し替えた。それに伴って「モルト会解説」も一部字句を修正。それにしても素晴らしいモルト会だった。みなさん有り難うございました。
 12月はロングモーンとベンリアック、元はエルギン地区の兄弟蒸留所。ベンリアックの方は2004年に、バーン・スチュアート社の前オーナーだったビリー・ウォーカー氏が中心となってペルノ・リカール社から買収、現在はアンゴスチュラ・グループの傘下。ノン・ピートからヘヴィリー・ピーテッド、そして様々な樽を用いたダブル・マチュアードをボトリング、積極的にシングルモルトを商品化している。


2008年11月21日

モルト会解説  | 一考   

01 クライヌリッシュ14年※
 46度のディスティラリー・ボトル。
 2002年夏の発売だが、正規代理店を経ての入荷は同年10月より。
 U.D社の花と動物シリーズと比して、初手はよりホットにしてスパイシーな味わい。暖かく長く続くフィニッシュの中に僅かな甘味があり、バランスの良さでは本品が優るものの、旧ディスティラリー・ボトルにみられるバターのようなこくと香りはなくなった。香味にかなり差異があり、好き嫌いが訣れるところか。

02 クライヌリッシュ '89(マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。11年もの、43度。
 足腰が強く、スパイシー、かつ長く豊かなフィニッシュをもたらすモルトは、熟成の年月にこだわらず、若いものを味わうのが最適。
 ダグラス・マクギボン社は1949年、グラスゴーで組織された瓶詰業者。蒸留所の作業に携わった職人の末裔による同族会社にして、ダグラス・レイン社と同系列。広大な熟成庫を持ち、60年代以降、色付けとチル・フィルターを拒み、「プロヴァナンス」の名のもとにコレクションを頒布。特にアイラ島の蒸留所とは太いパイプを持つ。かつての「クライズデール」同様、熟成年数の若いモルトが中心だが、共に品質のよさでは一頭地を出す。「マクギボン・プレミアム・リザーヴ」とのブレンデッド・スコッチも頒している。割水を施した低アルコールのモルト・ウィスキーをマクギボン社より、プリファード・ストレングスもしくはカスク・ストレングスをダグラス・レイン社と割り振りしている。
 ラベルの左部分には彼らのシングルモルトウイスキーへのこだわり、そして右部分にはテースティングノートが。そしてもっとも特筆すべきは春夏秋冬と蒸留したシーズンによって異なるラベルカラーと風景画を配している。

03 クライヌリッシュ '90(ヴィンテージ・モルト)
 クーパーズ・チョイスの一本。ポート・フィニッシュの12年もの、46度。
 ヴィンテージ・モルト社は1992年、ブライアン・クルックによってグラスゴーのバーズデンで創業。ヴァテッド・モルトの「フィンラガン」をボトリング。シングル・モルトでは「クーパーズ・チョイス」の名でコレクションを頒している。クーパーズとは樽職人の意。2001年5月にラベルが一新された。

04 クライヌリッシュ '82(ロンバード)
 ジュエル・オブ・ハイランドの一本。16年もの、50度のカスク・ストレングス。
 ロンバード社のボトルは総じて塩辛い。スプリングバンクも辛いが、本品もクライヌリッシュとしては図抜けて辛口に振られている。
 ロンバード社はスコットランドのマン島のインディペンデントボトラー。「ジュエルズ・オブ・アイラ」「ジュエルズ・オブ・キャンベルタウン」等々、地域ごとにラベル・デザインが異なるジュエルズ・コレクションを頒布している。ジュエルは至宝、珠玉、貴重の意。
 家族経営の会社で、さかのぼること300年以上も前から酒類業界に身を置く。ビールの醸造所を所有していた1960年頃に、副産物としてのウイスキーを生産したのが、ロンバード・ウイスキーの始まり。当初はウイスキーの樽をブレンデッド・ウイスキーのメーカーに売るブローカーだったが、1990年代にシングルモルトが注目されるようになると、いち早くインディペンデントボトラーに変身。カスクストレングスよりは、46度や50度のモルトを中心にリリースしている。2001年からニューシリーズが頒され、ロングボトルになってラベルも新しくなった。

05 クライヌリッシュ '89(アデルフィ)
 12年もの、57.2度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
 アデルフィ蒸留所は1826年グラスゴーにて設立。1880年にはスコットランドでもっとも大きな蒸留所のひとつになる。しかし、20世紀に入り景気が後退、生産調整のために多くの蒸留所が閉鎖。アデルフィ蒸留所も時局を免れること能わず、1902年に閉鎖。ボトリングラインと倉庫のみ使用されるという状態で1960年まで建物は残っていたが、その後取り壊されました。
 蒸留所の最後のオーナーであったアーチボールド・ウォーカー氏より数えて四代目にあたるジミー・ウォーカー氏はアデルフィ蒸留所の再興を願い、1993年にエディンバラでインデペンデント・ボトラーを設立。2004年にオーナーが変わり、テイスティングメンバーにはチャールズ・マクリーンが参加している。
 アデルフィ社は低温濾過すなわちフィルターの無使用と無着色のカスク・ストレングスを専門する。ラベルとボトルのデザインはスコットランドのグラハム・スコットの手になるもの。すべてが一樽のみのシングル・カスクのため、イギリスでは主にメール・オーダーで頒布されている。信頼できる瓶詰業者のひとつですが、わが邦での評価は異常なまでに高い。もっとも美味なクライヌリッシュのひとつである。 

06 クライヌリッシュ '90(キングスバリー)
 バルデスピノ社のコリセオ・アモンティリャード・シェリー・カスクを用いた10年もの、54.2度のカスク・ストレングス。
 バルデスピノ社は1340年創業のシェリー酒専門メーカー。アモンティリャード・コリセオは140年を超える古酒でありながら、若々しい香味を失わない銘酒。その樽を用いたというだけで、酒通にはこたえられない。2000年4月リリースの本シリーズには、他にスプリングバンク91年とリンクウッド90年の二種がある。
 キングスバリー社はスコットランド東部アバディーンのワイン商。現在ではロンドンに本社を持ち、ワインと蒸留酒全般を扱う。ボトラーのケイデンヘッド社とその子会社イーグル・サム社と太いパイプを持つ。着色、添加は一切行わず、濾過はペーパー・フィルターのみ使用。すべてがシングル・カスクであり、蒸留年月日、瓶詰年月日、樽の種類等、モルトの性格を識るに必要な項目はラベルに記載されている。なお、ラベルに著されたテイスティング・ノートは鑑定家ジム・マレーの手になるもの。
 2000年4月「ケルティック・コレクション」が新たに頒された。ケルト文字をあしらった美しいデザインのラベル、中味も秀逸なコレクションである。

07 クライヌリッシュ '83(シグナトリー)
 オーク樽による15年もの、43度のフルボディ。限定715本のシングル・カスク。
 1988年、リースで創業。現在はエディンバラに事務所兼倉庫を持ち、ボトリングから保管に至るすべての業務をを行う。「ダンイーダン」「サイレント・スティルズ」等、他では飲めない稀少なシングル・カスクが多い。ゴードン&マクファイル社、ケイデンヘッド社に次ぐ三番目のボトラー。
 アデルフィ社のボトルと共に傑出したクライヌリッシュ。

08 クライヌリッシュ '91(ユナイテッド・ディスティラーズ)※
 ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。ダーク・オロロソ・セコシェリー・フィニッシュの15年もの、46度。
 販売は07年から。まず香るのはレーズン、さらに言えばラムレーズン。オレンジピール、胡桃、ドライチェリー、干し葡萄、アプリコット等の香りと共に、ブラック・チョコレートといったやや刺激性の香りも。ヘーゼルナッツやマカダミアナッツが内包する粘りのある舌触り、油性の質感のなかにソルティーな味わい。ダブル・マチュアードによって、軽くフローラルなスタイルに木ノ実の豊かさがうまく加味される。フィニッシュは短いが、ナッティーなほろ苦さが強調されている。

09 ブローラ '82(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。シェリー・バットの19年もの、46度。2樽、1332本のリミテッド・エディション。
 スカイ島の豪族、マクロード家のイアン・マクロードがオーナー、エディンバラ近郊のブロックスバーンに本拠地を置く。同社はイングランドでの「グレンファークラス」の発売元。「タリスカー」をベースに用いたブレンデッド・ウィスキー「マリー・ボーン」「アイル・オブ・スカイ」や「クイーンズ・シール」で識られる。蒸留所名を記載できるボトルはイアン・マクロード社、蒸留所名を記載できないボトルはスコティッシュ・インデペンデント・ディスティラーズ社というように区分している。
 1999年に頒された「チーフテンズ・チョイス」は2001年に「チーフテンズ」と変更。ラベル、パッケージ共に一新、フルラインナップとなった、初入荷は十四点。ダグラス・レイン社の「オールド・モルト・カスク」と共に今後目の離せないシリーズとなった。他に「ダン・ベーガン」「アズ・ウィ・ゲット・イット」「シールダイグ」「ファラン・イーラ」等、多彩なボトル展開をしている。

10 ブローラ '75(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。25年もの、43度、限定263本のシングル・カスク。01年のボトリング。
 アイラのポート・エレン、ローランドのセント・マグデラン同様、ストックが尽きた段階で飲めなくなるモルト。煤の臭い、焦げたオークのスモーキーなキャラクター、噛み応えのあるタンニン。強烈な個性を味わえるのは今を除いてない。

11 ブローラ '81(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。18年もの、50度のプリファード・ストレングス、限定263本のシングル・カスク。
 蒸留所最終年のボトルに五万円もの値がつけられている。それが妥当かどうかはさて置いて、25年ものがもっとも若くなってしまったいま、18年は貴重である。
 ダグラス・レイン社は1949年、グラスゴーにて設立。「キング・オブ・スコッツ」等、ブレンデッド・スコッチを扱うブレンダー兼ブローカー兼ボトラー。1999年より「オールド・モルト・カスク」と題するシングル・モルトのコレクションを頒布。アルコール度数を50度に限るのが同社のポリシーだが、熟成期間が長く、アルコール度数が50度未満のものはカスク・ストレングスとして頒される。
 50度を越える高アルコールのボトルは望むべくもないが、稀少品が多く、比較的コンディションもよい。入手しにくい蒸留所の長期熟成品のボトリングがこのところ続いている。現在、最も活躍しているボトラーである。
 ダグラス・レイン社は父方の、ダグラス・マクギボン社は母方の一族が営み、ミルロイ兄弟とは懇意にしている。

12 ブローラ '77(レア・モルト)※
 ユナイテッド・ディスティラーズ社のレア・モルト・セレクションの一本。21年もの、56.9度のカスク・ストレングス。
 ナッツのオイリーな風味と熟した果実の甘さ。噛みごたえのあるタンニンを伴うスパイシーなフィニッシュ。クライヌリッシュと比してドライ、また極めてスモーキー。
 ギネス・グループの一員にして、半数近い蒸留所(閉鎖もしくは休業中の蒸留所を含め、現時点で36箇所)を所有するスコッチ業界最大のウィスキー・メーカー。ダグラス・レイン社をはじめ、多くのボトラーへ樽を供給していたが、昨今樽売りを極力控えている。モルト・ウィスキーのブームに鑑みて、傘下の蒸留所のオフィシャル・ボトルの販売を促すためと思われる。
 「レア・モルト・セレクション」は「花と動物シリーズ」の好評に気をよくしたU.D社がすでに閉鎖された蒸留所や稀少なモルト・ウィスキーを樽出しにて94年よりボトリング。より高価、よりレアなコレクションとして愛飲家に大いなる刺激と満足感を与えた。
 「インチガワー」「オルトモーア」「カードゥ」「カリラ」「クライヌリッシュ」「クレイゲラヒ」「グレン・オード」「グレンダラン」「グレンユーリー・ロイヤル」「グレンロッキー」「コールバーン」「セント・マグデラン」「ダフタウン」「ダラス・ドゥー」「ダルユーイン」「テナニャック」「ノース・ポート」「バルミニック」「ヒルサイド」「ブローラ」「ベンリネス」「ベンローマック」「ポート・エレン」「マノックモア」「ミルバーン」「モートラック」「リンクウッド」「ローズバンク」「ロイヤル・ブラックラ」「ロイヤル・ロッホナガー」の30種が頒布されている。2001年のリリースに「ブラッドノック」がある。


2008年11月20日

クライヌリッシュとブローラ  | 一考   

 北ハイランドの東沿岸部、ゴルフとサーモン・フィッシングで有名なリゾート地ブローラにクライヌリッシュ蒸留所はある。創設は1819年。創業者はスタフォード侯、のちのサザーランド公。余剰大麦の利用と密造酒への対策を兼ねて、自らの領地に蒸留所を建て賃貸した。1925年にD.C.L社が買収。1967年、新たな蒸留所が道路を挟んだ向い側に建てられ、そちらをクライヌリッシュ、旧蒸留所をブローラと命名。下って、83年5月にブローラ蒸留所は操業停止。現在、跡地はクライヌリッシュの熟成庫とヴィジター・センターになっている。1986年以降はU.D社の傘下となった。
 ここでややこしいのは、1967〜8年に新築された蒸留所がクライヌリッシュと名付けられるまでは、旧蒸留所がクライヌリッシュと呼ばれていた。そして、その旧蒸留所がブローラと改名されたのである。従って、ブローラ蒸留所名義で造られたモルト・ウィスキーは69年から83年までの14年間のみ。69年以前に蒸留されたクライヌリッシュはブローラと同じものである。ちなみに、ブローラとはヴァイキングがつけた地名で「橋のある川」の意。仕込み水はクラインミルトン川から採取、初留釜、再留釜各一基を持ち、カードゥ、タリスカーと共にジョニー・ウォーカーのキーモルト。現在ではポットスチルの数は六基に増えている。

 スコットランド本土にありながら、オーバンと共にピート香を内包し酒質はややドライ、アイランズ・モルトの特徴を兼ね備えている。絹綾のように滑らかで豊かなこくと杳杳たる余韻、食前・食後を問わないオールラウンダーの銘酒として知られるが、ブローラに限ってなら私は食後酒の典型と思っている。そのブローラとクライヌリッシュの違いだが、スチルも麦芽も仕込み水も、さらには熟成庫も従来のものと全く同じであり設備が近代的になったにすぎない。敢えて申せば、ブローラの方がややスパイシーで苦みが強いということであろうか。ただし、この苦みはマッカランのディスティラリー・ボトルのカスク・ストレングスに著しい苦みと同質で、甘口のシェリー・カスクで熟成されたものに限られる。言い換えればフレンチ・オークに屡々見られる樽から滲みだしたタンニンのなせるわざである。最近のボトルで云えば、U.D.Vやシグナトリー社のカスクストレングス・コレクション、イアン・マクロード社のチーフテンズ、ボトラーズ社などに顕著。他方、ダグラス・レイン社の約半数とダグラス・マクギボン社、ロンバード社、同じマクロード社だがダン・ベーガンのボトルは23年ものがホグスヘッド、24年ものがフィノ・シェリーである。従って苦みは少なく、素顔のブローラに近いと云える。
 69年以降のクライヌリッシュと以前のそれとはフェノール値が異なると聞くが、真偽のほどは知らない。ただ、ピート香にさしたる変化は認められない。前述した苦みをピート香と勘違いしているのではあるまいか。思うに、煤の臭い、焦げたオークのスモーキーなキャラクター、噛み応えのあるタンニンと云ったブローラの特質を味わうには若いモルトが最適である。詮無いはなしだが。
 ゴードン&マクファイル社から84年から89年にかけて蒸留された12年ものクライヌリッシュのカスク・ストレングスの香味はブローラとほとんど識別不可能だった。もっとも、今となってはブローラは長期熟成品のみになった。それ故、プラムやプルーンなど熟した果実の香り、焼いたオレンジやレモネードの甘さ等々、カスク由来の香味とタールもしくは消毒液の微かな香りとが綯い交ぜになった円熟したアロマが汪溢する。食後酒の典型とした理由である。ライトからミディアムへ、ミディアムからフルへとブローラはどこまでもリッチになってゆく。ポート・エレン・モルティング社が最後に出したポート・エレン同様に、U.D.Vのニュー・カスク・ストレングスはスモーキーなピートの風味や塩辛さからはどんどん遠のいて行く。これも閉鎖された蒸留所の運命であろうか。
 余談ながら、90年代以降のディスティラリー・エディションはユナイテッド・ディスティラーズ社の花と動物シリーズだが、あの濃厚なバターのようなこくと香りには閉口である。それ故、ゴードン&マクファイル社のクライヌリッシュを基準にすると何かと便利である。例えば、ヴィンテージ・モルト社やマキロップ社のそれは口当たりが柔らかく、ケイデンヘッド社のものはやや硬派。もっとも、酒の硬軟は日本酒に於ける甘辛同様、美味、不味とはなんのかかわりもなく、要は飲み手の体調次第である。なお、ゴードン&マクファイル社のクライヌリッシュの旧ボトルとよく似たラベルで蒸留所元詰のカスク・ストレングスも頒されているので注意が必要。
 特筆すべきはアデルフィ社のクライヌリッシュ。89年蒸留の12年もの、88年蒸留の11年もの、84年蒸留の16年もの、72年蒸留の28年もの、74年蒸留の27年ものなどがカスク・ストレングスで頒されているが、リキュール系の輝くような甘さとスパイシーな薫香、マスタードの辛さが顕著。ごく僅かな加水によって甚だドライでシャープな切れ上がりをみせる。他ではシグナトリー社とダグラス・マクギボン社の加水タイプのクライヌリッシュも傑出したモルト・ウィスキーである。


2008年11月17日

ですぺらモルト会  | 一考   

11月22日(土曜日)の19時から新装開店後、十一度目のですぺらモルト会を催します。
会費は12900円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
今回はクライヌリッシュとブローラのボトルを楽しみます。

ですぺらモルト会(クライヌリッシュとブローラを飲む)

01 クライヌリッシュ14年※
 46度のディスティラリー・ボトル。
02 クライヌリッシュ '89(マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。11年もの、43度。
03 クライヌリッシュ '90(ヴィンテージ・モルト)
 クーパーズ・チョイスの一本。ポート・フィニッシュの12年もの、46度。
04 クライヌリッシュ '82(ロンバード)
 ジュエル・オブ・ハイランドの一本。16年もの、50度のカスク・ストレングス。
05 クライヌリッシュ '89(アデルフィ)
 12年もの、57.2度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
06 クライヌリッシュ '90(キングスバリー)
 バルデスピノ社のコリセオ・アモンティリャード・シェリー・カスクを用いた10年もの、54.2度のカスク・ストレングス。
07 クライヌリッシュ '83(シグナトリー)
 オーク樽による15年もの、43度のフルボディ。限定715本のシングル・カスク。
08 クライヌリッシュ '91(ユナイテッド・ディスティラーズ)※
 ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。ダーク・オロロソ・セコシェリー・フィニッシュの15年もの、46度。
09 ブローラ '82(イアン・マクロード)
 チーフテンズの一本。シェリー・バットの19年もの、46度。2樽、1332本のリミテッド・エディション。
10 ブローラ '75(ダグラス・マクギボン)
 プロヴァナンスの一本。25年もの、43度、限定263本のシングル・カスク。01年のボトリング。
11 ブローラ '81(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。18年もの、50度のプリファード・ストレングス、限定263本のシングル・カスク。
12 ブローラ '77(レア・モルト)※
 ユナイテッド・ディスティラーズ社のレア・モルト・セレクションの一本。21年もの、56.9度のカスク・ストレングス。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


迷惑カキコ  | 一考   

 久しぶりの休みなのでオートバイの修理に専念。修理を済ませて走ってみると後輪がひどく滑る、前輪の空気圧が低いのが理由である。タイヤを替えたばかりで、どうして空気圧が減るのか、理由はチューブの虫でしかない。ついでにスクーターをチェック、こちらの後輪は1.2気圧、燃費が悪い筈です。黴の生えた虫を洗って押し込んで応急処置。茶毒蛾の次は生ゴムのムシに襲われた塩梅。それやこれやで、この間掲示板はほったらかし、気が付くと「パナマからの手紙」で埋められていました。おっきーさん、済みません。


2008年11月12日

訃報  | 一考   

 早朝、浪速書林の梶原正弘さんが昨夜亡くなったとご子息の武文さんから連絡があった。今日が通夜で、葬儀は明日十三日十二時から、大阪府池田市新町一の十六の弘誓寺(ぐぜいじ)会館にて。一年に及ぶ闘病生活の果てだそうである。七夕市や明治古典会など大市がある度に上京、必ずですぺらへ立ち寄っていただいた。
 (続きは明日)
 本が好きだったので黒木書店、浪速書林、田村書店と家族ぐるみのお付き合いをさせていただいた。神戸在のころは梶原さんと泥酔、福島の旧宅で何度もご厄介になった。旧宅の入り口には金網を張った一画があって、梶原さんのお子さんが蛙を飼っていた。梶原さんはいくら酔おうが、蛙の餌だけは忘れなかった。蛙は生き餌しか食べない、蠅か蟋蟀である。小さく切った蒲鉾をピンセットでつまんで根気よく鼻先で動かしたり、見えないほど細い針金をつけて動かしたりしても、口に含んだときに動かなければ吐きだしてしまう。活け造り専門の、蛙は美食家なのである。
 「ごねんなあ、ちょっと待っててや」梶原さんは生き餌のはいったビニール袋を大事そうに抱えて戻ってくる。「これなあ、私の人生なんや」「古本屋をやめてペットショップにしたら」「あほ云うたらあかん」そんなときの梶原さんの目はあたたかだった。
 小さい小さい梶原さん、きっと死んでさらに小さく、消え入るように小さくなったと思う、私の父がそうだったように。十代半ばの頃の私を知るのは山本六三、黒木正男、梶原正弘のお三方のみ。そして三人とも鬼籍に入られた、と同時に私の十代も消え去った。存在は記憶のなかにしかない。そして記憶が跡切れたとき、存在したことも消え去る。

 十月の末に山崎剛太郎さんの「夏の遺言」と題する詩集が水声社から上梓された。巻頭に昭和十四年に松下博によって撮影された写真が二葉掲げられている。一葉には信濃追分の径を肩を寄せ合って散策する小山正孝、野村英夫、山崎剛太郎、中村真一郎の後ろ姿が写っている。山崎さんのキャプションがなければ個人を特定するのは難しい。途の向こうへと消え去ってゆく影、顔はなく、存在はなく、そこに在るのは蜉蝣のように立ちのぼる記憶だけ。かかる写真を選択した山崎さんの詩精神とタイトルの「夏の遺言」とのコレスポンドンス、霜の音が聞こえてくるような冴えわたった記憶である。この写真を前にして私は本文を繙くことができなくなった。読むのはいい、ただ泣き出してしまうに違いない。そんな記憶を梶原さんと私も共有していたのである。


2008年11月10日

自意識  | 一考   

 詰らないと思いつつ、少しでもましなところを探して拾い読みすべきか、それとも思想のなさから抛り出すべきか、書物を繙く度に溜息が出る。最近では根気がなくなって投げ出すケースが増えてきた。結論を先に申せば、書物に対する好奇心が急速に失せつつある。
 好奇心が失せつつあると書けば間違いになる。好奇心を抱かせるような内容のある書物がめっきり減ってきたのである。俳句では永田耕衣、三橋敏雄、高柳重信が逝いて興味の持ちようがなくなってしまった。短歌では葛原妙子、塚本邦雄、寺山修司、春日井建、山中智恵子、安永蕗子以降は俳句同様、興味が持たれなくなってしまった。
 記紀歌謡末期、万葉集初期の作品に成立した短歌と比して詩は歴史がはるかに古い。古いとは申せ、江戸漢詩と新体詩との断絶、ならびに現代詩との隔絶は昭和三十年代の前衛短歌運動にはじまった現代短歌と同じく、過去と現在とのあいだに横たわる脈絡を探せと云われても困惑するのみ。この消息は散文の世界においても似たり寄ったりである。

 詳細は端折るが、先日地方に住む詩人が来られた。年格好は私と似ているのだが、旺盛な常識と権威主義には呆れるばかり。作品と人品骨柄のあいだにいささかの乖離があってとの註釈が付けられていたが、そこのところが既に怪しい。いかな人品骨柄であろうとも、作品はそれを忠実に擬える。良きにつけ悪しきにつけ、作品と人柄のあいだに乖離などあろう筈がない。それが読み解かれなければ、作家はおろか、読み手にすらなり得ない。もっとも不快を感じたのは「私は書き手であって、他の一般大衆とは異なる」のひとことである。当掲示板で触れ続けてきた選民意識の権化のような御仁だったと記しておこうか。
 地方に住む詩人は地方に在ることへの恨みを刺激のなさ乃至は評価のなさと結びつける。評価のなさは発表誌の確保に苦しむことになる、と。しかし、と思う。現世の評価などいかほどのものであろうか。現代の詩人はそのようないかがわしいものを求めて詩を著すのであろうか。結社や同人に属し、関連行事や出版記念会で顔を繋ぎ、当たり障りのない挨拶を繰り返すのが自らの価値を定め高めることだとでも思っているのだろうか。また件の詩人は「言葉は進歩する」「詩は勝負だ」とも云う。「詩のボクシング」があるのだから詩を格闘技の一種と看做すひとがいてなんの不思議もないのだが、勝ち負けの判定の基準をどこに設けるのであろうか。そして、その結果をいさぎよく受け容れるようなひとがいるのだろうか。
 「アナロジーの魔の渦中にぽいと抛り出されるのが詩の宿命、もっとも、類推があってこそ、詩は書き手を離れて自立し、読み手の頭上を翔けていく」とかつて川津さんに宛てて書いた。詩はつねにストレイシープ(迷子)である。生前にひとりの読者を得ることがいかに至難か、それをもっともよく知るのは「シジン」であろう。「シジン」が好んで用いる文言に「超高速で発射される言葉」がある。それを超高速で受け取る読み手などそんじょそこらに居るわけがない。もし可能だとするなら、その読者は書き手の趣味や生き方の根本的な更新を余儀なくさせる。すぐれた読者は作者が予想だにしなかった新たな領域を作品にもたらす。言い換えれば、作品を作品たらしめるのは最後は読者でしかないと、世の詩人はこのことに心致さねばならない。

 愛惜措く能わざる詩人のひとりに相澤啓三がいる。彼は発表機関誌はなにも持たない、単行本を出すべき版元も持たない、そして誰も評さないがゆえに無名である。況や現代詩文庫にも入っていない。もっとも、現代詩文庫のような有相無相と一緒くたにされるのは本人が嫌がるだろうが。しかし、私はわが国でもっとも偉大な詩人のひとりと思っている。明晰な頭脳の持ち主と思っている。前述したように「書物に対する好奇心が急速に失せつつある」なかで、相澤さんの著書は大切にしている。おそらく、読み手が私ひとりになっても、彼の詩に対する私の評価は揺らがない。読者は一般大衆のなかにしか存在しない、そして読者は限られている。しかし、その少数者と大衆は齟齬をきたさない。格差と差別は同心円を描く。政治であれ経済であれ文学であれ、格差の解決は論理的帰着として必ずやナショナリズムに行き着く。齟齬をきたさないのではなく、齟齬をきたしてはならないのである。個は大衆の投影であって、大衆は個の鏡である。私はその教えを十五の歳にボードレールから学んだ。肉体という概念を介して生涯そのことと闘ったのがマラルメでなかったか。


蕎麦  | 一考   

 新蕎麦の季節になった。二〇〇五年四月十七日に急逝した三日月の外山時男さんを想い起こす。
 このところ、木村さんとおっきーさんが蕎麦造りに執心なさっている。おっきーさんの目がどんぐり眼になってなおのこと外山さんを思い出させる。
 そばを揚げたスナックとそば茶にはじまって、そばの芽のサラダ、そばの芽のジュース、そばの芽のてんぷら、そばの実の浅漬、そば豆腐、そばの実雑炊、そば団子、そば切り、最後にデザートとしてそばの実の入ったシャーベットかゼリー、もしくはクレープ(ガレット)を付ける。
 以上が一般的な蕎麦コースである。私が子供のころはデザートを端折り、団子をデザート替わりに配ったものが、讃岐、神鍋、高田などで食べられた。確か、神鍋では松葉肉や鴨の炭火焼き、やまめの塩焼きなども添えられていたように記憶する。
 山形へでも蕎麦を食べに行こうかと、こちらは思っているだけである。


2008年11月03日

パシフィック・カレドニアンのことなど  | 一考   

 パシフィック・カレドニアンとはインポーター兼ボトラーの名前である。詳細は存じあげないが、故マシュー・D・フォレスト氏のオリジナルボトルを扱っていた。フォレスト氏が経営なさっていたインポーターなのかもしれない。ヘヴィリー・ピートのアイル・オブ・ジュラ、99年蒸留、3年もの、60.7度のカスク・ストレングス、447本のリミテッド・エディションをかつて蔵していた。
 他にもジュラのカスク違い、同じくジュラの75年蒸留、バーボン・バレルの25年もの、60.9度。オールド・フェッターケアンの21年もの、62.3度。タムナヴーリンの66年蒸留、クリーム・シェリー・カスクの35年もの、52.6度、472本。スプリングバンクの68年蒸留、30年もの、49.2度、271本のリミテッド・エディション。ベン・ウィヴィス72年蒸留、バーボン・カスクの27年もの、45.9度、187本のリミテッド・エディション。同じくベン・ウィヴィス72年蒸留、バーボン・カスクの27年もの、43.1度、146本のリミテッド・エディションなどが頒されたのを記憶している。73年蒸留のハイランドパークもあったと思う。新しくはジュラのスーパー・スティションの初の輸入元だった。
 ベン・ウィヴィスはハイランド地方の北部インバーゴードン蒸溜所の熟成庫内で隠れるように眠っていた最後の二樽をカスク・ストレングスでボトリング。2000年にリリースされた。キンクレイス、グレンフラグラー、レディーバーンと共に幻のモルト・ウィスキーと騒がれている。幻であることは認めるが、香味の方はさっぱり、金を出して飲むような代物ではない。
 ここで触れたいのは前述したジュラのカスク違いである。99年蒸留、02年ボトリング、3年もの、58.8度のカスク・ストレングス、705本のリミテッド・エディションがそれで、前者はブルーのラベルで後者はクリーム色のラベルである。記憶が正しければ、クリーム色のラベルは3年のベリーヘビーピートに1970年代の原酒を加えたものだった。いずれにせよ、ジュラ蒸留所がヘヴィリー・ピーテッド・モルトを造ったのは99年が最初で、フェノール値40ppmのポート・エレンのモルトを用いている。
 今回購入したボトルには前回同様、ジュラ蒸留所のマスターブレンダーのリチャード・パタースンと同蒸留所長マイクル・ヘッズ両氏のサインが入っている。ディスティラリー・コンディションだが、従来のエディションと異なり強烈にピートを焚いている。レダイグ15年ものを想起させる強いピート香、パワフルでスモーキーなフィニッシュを持つ。今では、ディスティラリー・ボトルでヘヴィリー・ピーテッドが頒されているが、本品が最初に市場に出回ったヘヴィリー・ピーテッドである。

追記
 フォレスト氏の急逝が2005年5月、それ以降はウィスク・イーが「ジュラ1999・ヘビーピーテッド・マシューフォレスト」として扱っている。


客裡  | 一考   

 去年の十月「友よ、いずこ」を書いた。それを覚えているひとがいて、一昨日メールを頂戴した。プレオープンの一週間前、よきはなし相手に恵まれ、こよなく穏やかな宵だった。滄海桑田の世にあって疏簾委委斜のごとく、ひっそりと酒を酌み交わすのは素直にうれしい。
 消尽、焼尽、消失、寂滅、寂黙、寂歴等々、話し合ったことは「消え入ること」のみ。かつて辻潤がペール・ラシェーズでなにを思い、なにを自らと語らったのか。ガンベッタから下る坂道に生う雑草に、彼は明日あるであろう命を託した。
 あなたを煩わせたひとは鮮やかに立ち直ったようである。書くことで経験するようにしているとのメッセージが届いた。躄がひとり、身の回りに増えたような。そう、膝行にならなければ文学は分からない。日常は繰り返す悔い、肉体はツール、あれもこれも決して悲しみに昇華することはない。
 何ごとによらず、顧みないひとがいる。きし方は夢のなかに定かならず、紐を解かないのは「さきだたぬ悔い悲しきは流るる水のかへりこぬ」ことを知っているから。まことに悲しいのは流れる水、繰り返される悔いが悲しいわけではない。
 「日本語を捨て、フランス語で考え、文章を著せば、そうすれば、自分が消えるのではないかと……」素敵滅法な覚悟かと拝察。「文学とは消え入ることに命をかけること」自分の言葉なれば間違いはなかろうと思うが、さらに委身曲附(しゃがむとまがり)を付け加えておきたく思う。

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