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2015年10月 アーカイブ


2015年10月31日

地勢型地球儀  | 一考   

 アメリカ製リブルーグル・ジャパンの地球儀を買った。かなり古い地球儀で、中国東北部は満州国の表記になっている。父が生きていれば欣んだに違いない。もっとも、その地球儀をわたしが気に入った理由は国別の色分けがないからである。則ち、行政型でなく、気候風土別色分けになっている。さらに詳しく書けば、陸地を森林、砂漠等の地理的特徴で色分けし、国境線を赤い実線で表した地勢型で、山岳ならびに海底火山などの隆起加工が施された地球儀である。
 世界の地球儀ドットコムを見るとメルカトル、ヴォゴンディ、ホンディウスの地球儀などが並んでいる。わたしの地球儀はル・コマンドールの地球儀に似て、球体本体の向きがくるくる回り、南半球の地形も容易に見ることができる。大体、北極が上になるような発想はどこからきたのだろうか。北極を上にするから人間中心になるのであって、南極を上にすれば、地球は海だらけ、どう考えても地球の主人は鰯か秋刀魚かオキアミである。この上下の逆転もわたしが気に入ったもうひとつの理由である。

 父の生まれは新潟、それ故、5度召集令状を受けてその都度満州へ出征している、所謂関東軍の精鋭であり、通信兵だった。出征したひとに共通して云えることだが、戦後、彼等は戦争について語るのを極端に嫌がった。父にも妙な癖があって、終戦日と云わずに休戦日と云うのを常とした。
 南方へ転進した部隊と違って、中国残留の部隊はソ連の参戦がなければ勝利していたと思い込んでいたようである。往時の教育は鬼畜米英だが、朝鮮中国は畜生以下、要するに穢多非人の類だった。父に云わせると、当時はひとを殺していると云った感覚などどこにもなく、野太刀を斬馬刀のように使って中国人を片端から斬り殺していた、と。
 日ソ中立条約が締結された1941年の関東軍は一時的に兵力74万人以上に達していたが、その数で1700万人に及ぶ中国人を殺戮している。ひとり平均23人である。要するに、関東軍は中国の軍人はほとんど殺していない。大半は女子供など民間人である。この消息はシベリア出兵から南京虐殺に至るまで続いている。揚句は葛根廟事件である。「開拓殖民を見捨てて逃げ出した」と後に非難されることになる。戦後、彼等が口を噤んだのは当然なのかもしれない。
 父が戦後、文筆に勤しんだのは彼の非凡にあったのではなく、忸怩たる思いに駆られてのことだったと解釈している。その内容について呵するのは叶わない、まだ一部関係者が存命しているからである。

追記
 前後のブロックの纏まりに欠ける文章である。無理に結びつける必要もないのでそのままにした。「骰子の7の目」ではないが、目線の移動はさまざまな価値観に自己を遭遇させる。そのような柔軟さを持つひとが戦前には極度に寡なかった。個を維持し、個に鍛えられることは軍のような組織にあっては不可能である。関東軍に限らず、組織に属するのは恐ろしいが、その実態はいまもなにひとつ変わっていない。ひとが個に徹するには、余程の覚悟と個に対する情熱が必要である。
 父の個との闘いは長い文章になる、よって別途著すことにする。


2015年10月29日

買い物  | 一考   

 赤坂銘食街のすぐ根際にイオン土山店がある。王塚台にあったイオン西神戸店が閉店したので、少々遠いがわたしは重宝している。先にも書いたが、100乃至120グラムのレトルトパウチ食品が揃っているのが便利。それと魚の種類が多い。魚種はもちろんのことだが、刺し身から焼き魚、干物、はたまた産地ととにかく間口が広い。干物はマルアイの鰈が立派で旨いが、鹿児島の飛び魚や長崎の梭魚、青森の八角、北海道のキンキなど、ギョギョっと思うものがイオンには揃っている。
 まっすぐ南へ下ればイトーヨーカドー明石店があるが、こちらは値が高くて取附嶋がない。食品に限らず、衣服から履き物、日用品に至るまで、イオンもしくはイズミヤに軍配が上がるようである。
 イオン土山店に這入っているパン屋はパン工場、イトーヨーカドー明石店のそれはレフボン、いずれもカスクートを扱っている。フランス語のカスクートではなく、日本語で意味するバゲットのサンドイッチである。明石でカスクートが食べられるのは嬉しい。
 他に総菜に特徴のある大久保のイオン明石ショッピングセンターや明石ビブレがあって、その前にはかつてクレーン免許を取得したコベルコ教習所がある。うろうろするに、オートバイは最適の乗り物である。

追記
 最近はカスクルートの方が用いられているそうな。


2015年10月28日

1330万人の慢性腎臓病患者  | 一考   

 患者や医師らで構成される公益社団法人日本糖尿病協会によると、日本の総人口の6分の1にあたる約2210万人が糖尿病患者、または予備軍となっている。そして、日本透析医学会によると、腎臓病は糖尿病の深刻な合併症の一つであり、透析導入した患者の43.7%が糖尿病を原疾患とする。ただし、このパーセントは急速に増え続けている。
 日本腎臓学会による統計では、日本の成人の8人に1人にあたる、1330万人がCKD(蛋白尿陽性要するに慢性腎臓病)患者と推測され、治療を要するレベル(末期腎不全)の患者も600万人あまりいる。腎臓病、糖尿病共に、国民病とでもいうべき状況である。
 腎臓病は悪くはなっても良くはならないという不可逆な病である。CKDに罹るといずれ末期腎不全になる。そうすると、腎臓の役割を人工的に代替する腹膜透析(PD)や血液透析(HD)といった透析療法、あるいは腎臓移植 が必要となる。
 CKD患者が1330万人と云うのは尨大な数値である。それらが2、3年、あるいは4、5年後には確実に透析患者になる。上述の43.7%は平成8年の統計で、現在は50%を軽く超えている。

 尿路感染症を発症して恰度1箇月、本日の血液検査で正常に戻り、小便も濁らなくなった。ミノマイシンを14日分、フリバス(ナフトピジル)を28日分頂戴してきたが、おそらくミノマイシンはこれでお仕舞いになる。それよりなにより、次回は28日後となり、こちらも正常に戻った。しかし、気になることがひとつ、小便の細かい泡が消えにくい。これは危険な兆候である。
 リハビリに戻ろうかと思うが、このところ血圧が低い。収縮期血圧が110から120で、医師に云わせると結構となるのだが、リハビリの理学療法士には通用しない。療法士は失神を惧れて、110以下だと今日は中止となる。自宅でのリハビリに切り替えようかと思っている。


2015年10月19日

赤坂銘食街  |  一考

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大西隆志さんの紹介で知った。興味津々、「プチ九龍城砦状態」とあるが、文字通りの砦趾。ですぺら明石店にぴったしとおもうのだが 。

 http://osakadeep.info/akashi-tsuchiyama/

 紹介した建物は土山だが、明石駅前の鍛冶屋町、桜町、相生町辺りにも、古ぼけて閑散とした建物が多い。花街ビルひなぎくのように、女性がひとりで営んでいたバーやスナックが片端から閉店。後を継ぐ者、新規に這入る者などなく、それきりになっている。
 地方都市の現状そのものだが、きっと中国との軍拡競争に勝利した暁(勝利するはずがないのだが)には、日本国民が支持する自民党がなんとかしてくれるに違いない。


2015年10月16日

陳麻婆豆腐  | 一考   

 ヤマムロの「陳麻婆豆腐」の素は旨い。しかし、丸美屋の「贅を味わう麻婆豆腐の素」でも十分である。と云うよりも、花椒(パウダー)を買ってきてちょいと足せばよいのである。
 豆板醤、甜麺醤、豆豉などを適当に混ぜれば麻婆豆腐は出来るのだが、問題は山椒でなく、花椒(華北山椒)にある。日本の山椒で決して代用は効かないので、購入をお薦めする。

 ちなみに、旨いチャーハンの作り方。お好み焼きやうどんに持ちいる「あぶらかす」を砕いた粉末を少々加える。絶品のチャーハンが出来する。


2015年10月14日

尿路感染症  | 一考   

 このところ毎週の病院通いがつづく、則ち紙おむつとの共棲がつづく。前立腺肥大と過活動膀胱、尿路感染症の合併症である。小便がひどく濁っている、そして頻尿、残尿感、尿勢低下と典型的な感染症に陥っている。この年になって、あの憎っくき生田耕作と同じ病に罹るとは。
 尿路感染症は東京女子医がもっとも得意とする分野の病気である。私の場合、起炎菌が同定されていないため、腎機能の低下を招くことが懸念される。戸田中央なら、入院の上、抗菌薬の静脈内投与となるのだが。

 排尿トラブルは運動や旅行などの行動が制限されたりして、生活の質が著しく低下する。発見が早く、フリバス(ナフトピジル)やミノマイシンを処方して貰っている。フリバスには強力な降圧作用があるので要注意。
 この種のトラブルは治しておかないと北海道へ旅行に行かれない。嬉しいおっきーさんとの約束である。来年の7月はなにがあっても、道の東西を股に掛けるつもりである。積丹のなぎさ食堂から知床のホテル地の果へと。「でっかいどう」が呼んでいる。


妝訖一  | 一考   

 「報道特集」の番組概要に「あまたのニュースの中から、伝えるべき情報を厳選し、報道特集という妝訖一を通して、責任をもって視聴者にお伝えします。」とあった。文中引用されている中国語の「妝訖一」の意味はなんだろうか。「聊齋志異」で見たような気もするが、定かならず。妝が化粧(よわい)であることは分かるのだが、然るべき辞書、辞典がないので調べようがない。


反省なきホロコースト  |  一考

 原爆に対するさまざまなテレビ番組が顕われる。然るに、その姿勢は年が変わっても同じである。被害者意識一色なのである。日本人は先般の戦争責任をどのように解釈しているのだろうか。日本人の死者は戦闘員と民間人を合わせて213万4000人、それに比して、太平洋戦争に於ける米兵の死者数35万4523人。他に、中国約1700万人、朝鮮約20万人、ベトナム約200万人、インドネシア約200万人、フィリピン約105万人、シンガポール約5000人、ビルマ約5万人。アジア全体で2230万5千人である。実に日本人被害者の10倍を超える被害者数である。(「新・ぼくらの太平洋戦争(2002)」本庄豊)
 南京虐殺の被害者の数で悶着を起こしているようだが、そのようなことを遙かに凌駕する被害者数である。ナチスによるホロコーストで犠牲となったユダヤ人は600万人以上、最多で1100万人を超えるとされているが、実にそれに倍するアジア各国の人民を日本人は虐殺している。

 原爆にかんする番組で唯一感心させられた番組があった。ETV特集「立花隆 次世代へのメッセージ~わが原点の広島・長崎から~」である。例の香月泰男の「赤い屍体と黒い屍体」のはなしである。
 シベリアで抑留されていた香月は述べる。中国からシベリアへ向かう鉄道の線路脇に打ち捨てられていた日本人の屍体。生皮を剥がれ筋肉を示す赤い筋が全身に走った赤い屍体。教科書の解剖図の人体そのままの姿だった。憎悪に駆られた中国人に殺されたに違いない、と。

 日本に帰ってきてから、広島の原爆で真黒焦げになって、転がっている屍体の写真を見た。
 黒い屍体によって、日本人は戦争の被害者意識を持つことができた。
 みんなが口をそろえてノーモア・ヒロシマを叫んだ。
 まるで原爆以外の戦争はなかったみたいだと私は思った。
 私にはまだどうもよくわからない。あの赤い屍体についてどう語ればいいのだろう。
 赤い屍体の責任は誰がどうとればよいのか。
 再び赤い屍体を生み出さないためにはどうすればよいのか。
 だが少なくともこれだけのことはいえる。
 戦争の本質への深い洞察も、真の反戦運動も、黒い屍体からではなく、赤い屍体から生まれ出なければならない。(香月泰男「私のシベリア」より)

 戦争に限らないが、継承とはなにか、なぜ継承が必要なのか、大事なのはそこから生まれる懐疑であって、継承そのものではない。被爆体験と戦争体験は入れ子になってい、片側だけを取り出して考察することなんぞ、まったくナンセンスである。被曝について語るとは、取りも直さず、維新以降つづいてきた日本民族の他民族への差別と搾取そのものを語るに等しい。先般の戦争に対する日本人のとち狂った被害者意識が昨今の中国や韓国との軋轢を生んでいる。
 先項で日本人の熱狂について書いた、今回は日本人のいかがわしさについて述べたつもりである。核をなぜ廃絶しなければならないのか。いかがわしい民族を滅ぼすに、核ほど相応しいものはあるまいに。


2015年10月13日

アジアの覇者  | 一考   

 安全保障関連法の改正案が可決成立した。国会審議では、今回の法改正により米国の日本に対する信頼感が高まり、第三国からの攻撃に対する抑止力がはたらくとの答弁が随所で行なわれた。しかし、抑止力とはなんだろうか、「これだけ措置すれば抑止力が得られる、そうでないと抑止力は働かない」というようなことではないだろう。そもそも有効な抑止力なんぞあるのだろうか。
 かつて日独伊三国同盟を結んだおり、これでわが国の抑止力は盤石になったと松岡は語った。その抑止力こそが第二次世界大戦を生んだのでなかったか。米国の核の傘に這入ることの危険性を訴え、カナダは外交的には米国と一線を画してきた。今は誰もが不当な戦争であったと知っている、2003年のイラク侵攻の際は、カナダは明確に参加を拒否した。
 ドイツは米国と核を共有しているし、核の傘(そのような傘の実体がどこにあるのだろうか)に這入っている国は日本を除いて他にあるのかしら。

 侵掠を受けたときに如何すればよいのか、と皆さん仰有る。朝までテレビに近頃出演なさっている右翼の姉ちゃんは「イメージや理想で語るのではなく、現実をしっかり押さえた「外交リテラシー」は、ぜひ持っておきたい」とお抜かしになるが、リテラシーを持たねばならないのはそちらであろう。現実問題としてどこの国が攻めてくると云うのか。
 いまの中国の国民総生産は日本の3.5倍、況んや、核武装している。日本が逆立ちしたって叶う相手でない。安倍政権はあと3年つづく、おそらく、その3年の内に、憲法を改正し核武装をするに違いない。日本の国民の大多数はそれを願っている。
 安倍首相はGDP600兆円や介護離職ゼロなど大言壮語を繰り返す。新しい3本の矢は、「希望を生み出す強い経済」「夢をつむぐ子育て支援」「安心につながる社会保障」となってい、政策というよりはキャッチフレーズのそれである。どうやら、共産党のお株を奪いたいようである。
 いずれにせよ、維新からつづく日本民族の悲願、アジアの覇者が安倍の手によって近く形をなすに相違ない。


2015年10月11日

友来たる  | 一考   

 5日に幹郎さん来神、4、5時間はみっちり話し込んだ。毎日に掲げられた五木寛之さんの取材記事「敗戦、ついえた熱狂」を種に話しは続いた。短い文章なので引用しておく。

 お祭りでした。花火が上がり、花電車が走って。
 <五木さんが5歳だった1937年、日中戦争で当時の中華民国の首都・南京が「陥落」と伝えられた。ソウルは日本人の祝賀行事でにぎわい、父と街へ見物に出かけた>
 「尽忠愛国」で民衆の心は燃え盛っていました。軍部の独走は国民の支持があったからこそ可能だったのでしょう。
 <人々は新聞やラジオが伝える「日本軍の快進撃」に歓喜していた>
 一日も早く立派な軍人になるのが夢でした。あこがれのヒーローは軍人でしたから。軍人勅諭の全文を今でも覚えています。数々の軍国歌謡も。あらゆるサブカルチャーが戦争に彩られていました。
 戦後、物書きになってから料亭での宴会で、何かやれって言われ、何もできないから、(戦時中に学校で教えられた)手旗信号をやりましたよ。全然ウケませんでしたが(笑い)。
 <45年8月15日、敗戦。人々の熱狂はついえた。この時12歳、旧平壌第一中学校の1年生だった>
 夢から覚めたような、きつねにつままれたような感覚でした。
 <まもなく、まちにソ連軍がやってきた>

 38度線を境に北か南かで敗者の状況はまったく異なる。南は帰郷、北は抑留である。この件は後述するとして、わたしが強調したいのは五木の云う日本国民の熱狂についてである。幼少期を朝鮮で過ごした五木にはこのような文章が多い。しかし、いずれもが一読に値する。

 日米開戦を東条は後から知った。あの大戦は国民と天皇との共同謀議だったとわたしは思っている。日比谷焼打事件を持ち出すまでもなく、日本人が内包する熱狂は一方で大正デモクラシーの推進力にもなったが、他方アジア全域に途方もない厄災をもたらした。
 東京大空襲と重慶爆撃では質が違うとの意見を吐露するひともいるが、重慶爆撃は1937年のゲルニカ爆撃に続く最初期の組織的な戦略爆撃として位置づけられている。また、終戦時、ソ連の占領した満州、北鮮、樺太、千島には軍民あわせ約272万6千人の日本人がいたが、このうち約107万人が終戦後シベリアをはじめとするソ連各地に送られ強制労働をさせられた。ウイリアム・ニンモの「検証-シベリア抑留」によれば、確認済みの死者は25万4千人、行方不明、推定死亡者は9万3千名で、事実上、約34万人の日本人が死亡したという。
 その逆になるが、バターン半島の米比軍約7万6千名の捕虜のうち、カパスの収容所にたどり着いたのは約5万4千人で、約7千人から1万人がマラリアや飢え、疲労、そして日本軍の処刑などで死亡している。バターン死の行進よりさらに苛烈だったのが、サンダカン死の行進である。豪英軍兵士捕虜に対する死の行進であって、1000人以上の捕虜が7人を除き全員死亡したとされる。

 祝祭を咒い、戦争から震災と云った折々の厄災に心を奪われず、事象もしくは時代そのものにそびらを向け、ひとり「細雪」を書き綴った谷崎潤一郎をわたしたちは知っている。そう云った希有な個の営みにこそ、思想があるのでないだろうか。

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