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2011年05月 アーカイブ


2011年05月28日

山崎利彦さま  | 一考   

 「「消極的な安楽死」として、極めて厄介な立場に立たされます」はよく分かります。だからこそ、医師でなく家族の問題に帰着するようにも思います。「にも」と書かざるを得ないほど複雑な問題を孕んでいるように拝察致します。わたし自身、腎移植に関していまだに迷い続けています。「本来人間の死に様は個人が決定する事ではないかと」のご意見に異存は御座いません。異存はないのですが、やはり家族の意志のようなものが大きく被さってきます。たかだか四、五年長生きするに、これほど難儀させられるとは。死に際を自分で決めるのは可能ですが、余命を自分で決めるのは至難の業でないでしょうか。

追記
 「国家に丸投げする」のはわたしも疑問を抱きます。しかしながら、それを求めているのは大衆でないのでしょうか。民意にせよ、民度にせよ、わたしは日本乃至日本人なるものに極度の不信感を抱いているのです。


2011年05月27日

>胃瘻  | 山崎利彦   

御久し振りです。一考さんの掲示板ならば、一考さんのコメントへの誤解は少ないと思いますが私見をひとつ。
 胃瘻の造設は、脳梗塞その他の患者さんで経口摂取が困難と成られた方にとっては重要な命綱であり、必ずしも否定的な物ではありません。私も在宅診療で胃瘻管理の患者さんを何人か担当しています。脳梗塞の後遺症で嚥下機能が低下して、口から飲食物を摂取すると気管に入ってしまい、肺炎を起こして仕舞う方々です。意識も知能もしっかりされており、「口から食べたい」と云う希望を常に持たれていますが、ゼリー等でさえ誤嚥を起こしてしまい断念しています。
 ここで問題に成るのは、脳梗塞に限らず、単に「経口摂取が出来ない」状態が延々と続き、御本人の意思も確認出来ない状態の方々です。一考さんの御指摘の通り、認知症(この呼び名も私は今でも抵抗がありますが)等で、「食べる欲求さえない」方々をつなぎ止めておくだけの為に胃瘻を使い続けるのは正直多くの医師も疑問を持っています。しかし、充分な信頼関係を構築していない状況で、こちらも安易に胃瘻を放棄して仕舞うと、「消極的な安楽死」として、極めて厄介な立場に立たされますのは周知の事と思います。胃瘻に限らず、漫然とした延命処置に関してはその是非に限らず、それによってもたらされる家族や介助者の負担に関しても充分な議論が社会全体で持たれる事を私自身も希望しています。
 ただ、多くの医師が「社会的議論して国家としての指針を出して欲しい」と望んでいる事にも私は疑問があります。それは人間の死に様を国家が決定する事につながる危険性を感じるからです。一定の指針が、多くの国民の議論の元に形成される事を拒絶する積もりはありませんが、本来人間の死に様は個人が決定する事ではないかと私は思っています。人間が死に行く時に、そこに寄り添うべき職業人である医師が、単に国家によって決定された指針であるからと云う理由だけで選択肢を決定するのは問題があると思っています。周囲の常識がどうであれ、本来人間は自分の死に様は可能な限り本人の自由意志で決定出来るべきでは無いでしょうか。勿論、だからと云う理由で周囲や国家に、手間や金子を要求するような事は「自由」の履き違えである事は云うまでもありません。
 人間の死に様さえ、国家に丸投げする事に、多くの医師が疑問を持っていない事を考えると、今回の震災で明らかに成った原子力発電所の一連の「事件」は必ずしも東電と云う一企業や、政府が単独で起こした物ではなく、私達多くの国民が生み出してしまった人災であるような気持ちにも成っています。

最後の一段落は余計かも知れません。一考さん、不適切でありましたら、御削除御願い致します。


2011年05月26日

胃瘻  | 一考   

 認知症はどのような人間にもやってくる。ただ、生前に発症するかしないかであって運任せのようなところがある。高齢化の進展は認知症患者の増大をもたらす。そして認知症や脳血管障害で困るのは、食べ物を口から摂取できなくなることである。昨今、胃瘻が問題になっているが、現在国内で胃瘻を設けているひとは約四十万人という。
 以前なら老衰死を迎えていた高齢者が意識のないまま何年間も生きている。胃瘻というバイパス手術本来の目的と利用方法が異なってきたようである。
 過日、イギリスでは透析及び腎移植は七十歳以上では行われないと書いた。そのイギリスでは進行した認知症患者に胃瘻の造設は、通常行わない。フランスやオランダ、スウェーデンでも同様である。日本人の寿命が長くなったと云われるが、植物状態での生存になんぞ意味でもあるのだろうか。うやまうべきは死であって、決して長生ではない。
 わたしは人生というものは二十歳までと思っている。二十一歳からは認知症への行進が只管はじまる。腎不全同様、不可逆の行進である。気付いていないのは本人だけだが、気付かないところにこの病の惚けたる所以がある。


2011年05月25日

臨時休業  | 一考   

 建物の塗り替えと高圧洗浄でベランダに出しているものを処理せよということになった。従って、本日はですぺらは臨時休業である。

追記
 拙宅のベランダは七間半ほど、3DKのマンションとしてはかなり広い方である。戸田の旧宅の荷物が多く、引越のあと、分類できない荷物はことごとくベランダへ放り出したままだった。取敢えず部屋のなかへ収納したものの、今度は寝るところがない。一間の座卓とテーブルを大家が欲しいと云うので、それを交換条件に、明日塗装さえ済めばベランダへ置くのは構わないとの由。例によってあまねさんの手を煩わせた、深く感謝する。ちなみにマンションの色調は格段に明るくなって心地好い。感染症もしくは合併症を発症するまではあと二年ほど、この地で骨を埋めたいと思っている。


2011年05月23日

自死と移植  | 一考   

 23日午後10時45分ごろ、埼玉県越谷市南越谷の公園で、男性が倒れているのを近くの住民が発見、110番通報した。男性は既に死亡しており、遺体のわきに猟銃と遺書があった。「警察に迷惑を掛け申し訳ない。人工透析で疲れました」と書いてあった。越谷署は男性が頭を撃ち自殺したとみている。
 透析治療苦に猟銃自殺の上記記事が産経新聞にあった。越谷市内で一人暮らししている無職の五十七歳男性で、東京都公安委員会から猟銃所有の許可は得ていたという。
 個体差があるので一概に云えないが、透析治療は日常生活への復帰を目的とする。しかし、わたしが通うクリニックの朝の部で働いているのはわたしだけである。みなさんの覇気のなさと接するに情けなくなってくる。近頃は挨拶することすら嫌になってきた。復帰が嫌な者は透析を受けなくても良いではないかとすら思う。
 透析患者に自殺者が多いのは周知の事実だが、そうした自殺者からの臓器移植がこのところ続く。親族への優先提供は、改正臓器移植法の柱の一つで、全面施行前の10年1月に一部施行という形で認められた。だが、親族優先の規定は自殺による提供を認めていない。臓器移植は「命のリレー」であって、その主旨から云っても大きな矛盾を孕んでいるからである。
 「国内での臓器提供数は、年間7000〜8000件行われるような米国などと比べて少ない。過去最高となった昨年でも113件(脳死後32件、心停止後81件)で、腎移植を希望している待機患者は3月31日現在で1万2201人いる(毎日新聞5月)」とあるが、平均待機年数は約十七年に及ぶ。その間、透析などでしのぐが、移植できないまま感染症や合併症で死亡するケースが過多を占める。
 先日の腎移植は母から長女への移植だった。娘は先天性水腎症で、小学校低学年で父親から生体腎移植を受けたが、機能が低下し、人工透析を受けていた。マスコミでは自殺の件は伏せられたが、典型的な密室医療となってしまった。
 他にも、鬱病患者で自宅で縊死を図った二十七歳の女性。関東甲信越地方の医療機関に入院中だった二十歳代の女性。信越本線で轢死を図った十七歳の少年等々、特に鬱の女性は死ぬ僅か三箇月前にドナーカードを拵えている。まるで自殺者が臓器供給源になっているかのようである。


2011年05月20日

掲示板  | 一考   

 ですぺら掲示板1.0が暫く前から検索できなくなった。牛込櫻会館の一部が閉鎖されたようである。読むだけなら掲示板2.0へ転写すればよいのだろうが、そのような必要もあるまい。その間、ひろさんのご協力を得たですぺら通信も閉鎖された。
 櫻井さんのおかげで掲示板ができてから十年を越える。彼には深く感謝している。いまどき掲示板でもあるまいに、ですぺらは飽きもせず続いている。どこまで続くのかしら。


除洗  | 一考   

 昨夜ETV「ネットワークでつくる放射能汚染地区」を見た。再再放送は土曜日の午後三時。福島の土壌汚染は想像を絶する。福島市内ですら3から4マイクロシーベルト(毎時)で、これは現在のチェルノブイリの三キロ圏内、当然立ち入り禁止区域である。郡山市内の学校で4.1マイクロシーベルト(毎時)。京都大学、広島大学の研究者が現地で測定し、長崎大学と神奈川大学が協力している。汚染は福島に止まらず、北関東一円に及んでいる。ちなみに、わたしが住む三郷も、松戸、柏と共にホットスポットだそうである。
 小中学生の子どもがいるとの理由で東京を離れた知己が複数いる、その一方で飯舘村の乳幼児や妊産婦がいる124世帯の避難がはじまったと云う、既に二箇月を経たというのに。十五歳以下の子供を持つ親は考慮すべきである。村の名は伏せるが、前記研究者の問い掛けに対して、某村長は文科省からの土壌汚染に関する正式の通告がない、または政府からの正式の連絡を受けていないと云う。いくら待ってもそのような通告などあろう筈がない。
 大人と子供の違いは自意識の有りようにある。自己の本質や限界を知るのも意識のひとつの働きだが、そうした種類の働きは子供にあっては二の次である。親が諦めた夢が子供にあっては諦めにならない。だからこそ命懸けで守らなければならないのは子供の成育であって親の生活ではない。
 話は飛ぶが、東電の責任ばかりが問われている。想定通りの安全基準に則って原発は造られ、その基準を拵えたのは原子力安全委員会や原子力安全保安院、延いては通産省や経産省の官僚でないのだろうか。細野豪志首相補佐官、 高木義明文部科学相、海江田万里経済産業相、枝野幸男官房長官、岡田克也幹事長、菅直人首相、渡部恒三最高顧問等々は子供のことを、すなわち土壌除洗を考慮しないがゆえに戦犯である。しかし、被災者の政府への責任転嫁は許されない。なぜなら、その政府を選択した個々の国民に責任は帰着するからである。今こそ直接民主主義の必要が問われるべきなのだが。

追記
 正しくは「除染」なのだろうが、武田邦彦さんに倣って「除洗」としておく。


2011年05月19日

地名当て字一覧  | 一考   

 このような辞書を十数点拵えて、ATOK、EGBRIDGE、ことえりに変換して遣っています。一括登録が可能ですので、多少は役に立つかと思います。全国の地名辞書、和暦西暦変換辞書等々、さまざまですが、ファイルが大きいので掲示板への掲載は不可能です。しかし、地名当て字辞書もしくは差別用語辞書なら大丈夫です。
 わたしが遣っている地名当て字辞書は本稿の約二倍ですが、そちらは地名のみ抽出することができません。小さなテキストファイルですが、ベースにどうぞ。

 さんちゃご 三的牙〓
 らおす 老〓
 のようなブラウザが対応していない外字は端折っています。

// このテキストファイルを加工してユーザ辞書の一括登録ができます。

あーれ 愛耳 【地名】
あいすらんど 氷島 【地名】
あいすらんど 氷州 【地名】
あいすらんど 愛斯蘭 【地名】
あいるらんど 愛倫 【地名】
あいるらんど 愛蘭 【地名】
あいるらんど 愛蘭土 【地名】
あいるらんど 愛爾蘭 【地名】
あいるらんど 愛耳蘭 【地名】
あじあ 亞細亞 【地名】
あじあ 亜細亜 【地名】
あてね 雅典 【地名】
あびしにあ 亜比西尼 【地名】
あふがにすたん  亜富汗斯坦 【地名】
あふりか 阿弗利加 【地名】
あまぞん 亜馬孫 【地名】
あむーる 阿模爾 【地名】
あむすてるだむ 安特坦 【地名】
あむすてるだむ 安持擔 【地名】
あむすてるだむ 奄特坦 【地名】
あめりか 亞米利加 【地名】
あもい 廈門 【地名】
あらすか 阿拉斯加 【地名】
あらびあ 亞拉毘亞 【地名】
あらびあ 亞剌比亞 【地名】
あらびあ 亜剌比亜 【地名】
あるざす 亞撒西 【地名】
あるじぇりあ 阿爾及 【地名】
あるぜんちん 亜爾然丁 【地名】
あるぷす 亜力伯 【地名】
あるぷす 亞爾伯 【地名】
あるめにあ 亜爾弥亜 【地名】
あれきさんどりあ 亜歴山大 【地名】
あんです 安的斯 【地名】
あんです  安地斯 【地名】
あんとわーぷ 安都厄比 【地名】
いぎりす 英吉利 【地名】
いくえいたー  厄瓜多 【地名】
いすらえる  以色列 【地名】
いたりあ 意太利 【地名】
いたりあ 意太利亞 【地名】
いたりあ 伊太利亞 【地名】
いたりあ 伊太利 【地名】
いらん  伊蘭 【地名】
いんぐらんど 英倫 【地名】
いんぐらんど  英蘭 【地名】
いんだす 印度河 【地名】
いんど 印度 【地名】
いんどしな  印度支那 【地名】
うぃーん 維納 【地名】
うぃーん 維也納 【地名】
うぃってんべるぐ  維丁堡 【地名】
うぇーるず  威爾斯 【地名】
うくらいな 烏克蘭 【地名】
うすりー  烏蘇里 【地名】
うらじおすとっく 浦鹽斯徳 【地名】
うらじおすとっく  浦塩斯徳 【地名】
うらる 烏拉 【地名】
うるぐあい  宇柳具 【地名】
うるぐあい 烏拉乖 【地名】
うらんばーとる  烏蘭巴特 【地名】
えくあどる  依怪佗爾 【地名】
えくあどる 厄瓜多 【地名】
えじぷと 埃及 【地名】
えじんばら 壱丁堡 【地名】
えじんばら 以丁堡 【地名】
えでぃんばら 以丁堡 【地名】
えちおぴあ  越屋比屋 【地名】
えちおぴあ 越日於比亜 【地名】
えでん  以典 【地名】
えるされむ  耶路撤冷 【地名】
えるば  以爾巴 【地名】
おーくらんど 奥克蘭 【地名】
おーすとらりあ 濠太剌利 【地名】
おーすとらりあ  濠太剌利亜 【地名】
おーすとりあ  墺太利 【地名】
おーすとりあ 墺地利 【地名】
おーでんせ 痾典斯 【地名】
おせあにあ 阿西亜尼亜 【地名】
おっくすふぉーど  牛津 【地名】
おっくすふぉーど 阿斯福 【地名】
おっとまん  阿多曼 【地名】
おはいお  呵海呵 【地名】
おらんだ 阿蘭陀 【地名】
おらんだ 和蘭 【地名】
かいろ  改羅 【地名】
かいろ 薤露 【地名】
かなだ 加奈陀 【地名】
かなん  迦南 【地名】
かなりあ 加内黎 【地名】
かぶーる  加布爾 【地名】
かむちゃっか 堪察加 【地名】
かむちゃっか 加莫察加 【地名】
からこるむ 和林 【地名】
からふと 樺太 【地名】
かりぶ 加里比安 【地名】
かりふぉるにあ 加利福尼 【地名】
かりふぉるにあ 加利福尼亜 【地名】
かるかった 甲谷陀 【地名】
かろにな 格阿利納 【地名】
かんざす 剛色斯 【地名】
がんじす 恒河 【地名】
かんぼじあ 柬埔寨 【地名】
ぎあな 歪阿那 【地名】
ぎにあ 幾内亜 【地名】
きゅーば 玖瑪 【地名】
きゅーば 玖馬 【地名】
ぎりしあ 希臘 【地名】
ぎりしゃ 希臘 【地名】
きれないか 馬留加国 【地名】
くーろん 九龍 【地名】
ぐあてまら 瓜地馬拉 【地名】
ぐあてまら 跨的馬拉 【地名】
ぐらすごー 額拉士哥 【地名】
ぐらすごー 哥羅斯哥 【地名】
ぐりーんらんど 緑州 【地名】
ぐりーんらんど 臥児狼徳 【地名】
くりすちゃにあ 幾斯底安 【地名】
ぐりにっじ 緑威 【地名】
ぐれーとぶりてん 大不列顛 【地名】
くれめんと 克力門 【地名】
けーぷたうん 岌朴敦 【地名】
け−ぷぶれとん 新必烈単 【地名】
けべっく 貴壁 【地名】
げるまん 日耳曼 【地名】
けるん 哥羅尼 【地名】
けんたっきー 建徳基 【地名】
けんぶりっじ 剣橋 【地名】
こーかさす 高加索 【地名】
ごーと 俄狄 【地名】
ごーる 高盧 【地名】
ごあ 俄亜 【地名】
こねちかっと 于捏底格 【地名】
こぺんはーげん 骨片波邊 【地名】
こぺんはーげん 哥本哈于 【地名】
こぺんはーげん 哥木哈牙 【地名】
ころんびあ 哥倫比亞 【地名】
ころんびあ 哥倫比 【地名】
こんご 公果 【地名】
こんすたんちのーぷる 君府 【地名】
こんすたんちのーぷる 君子但丁 【地名】
さいごん 西貢 【地名】
さいごん 柴棍 【地名】
さきそん 撒遜 【地名】
ざくせん 薩克索尼亜 【地名】
さくらめんと 桜州 【地名】
させっくす 索塞 【地名】
さはら 薩哈拉 【地名】
さはら 撒哈拉 【地名】
さまるかんど 撒馬児干 【地名】
さるじにあ 沙第尼亜 【地名】
さんくとぺてるぶるぐ 聖彼得堡 【地名】
さんさるばどる 聖薩刺弗佗爾 【地名】
さんどいっち 三維斯 【地名】
さんぱうろ 聖保羅 【地名】
さんふらんしすこ 桑港 【地名】
しーらんど 西蘭 【地名】
しあとる 舎路 【地名】
じぇのば 治那亜 【地名】
しぇらん 日倫 【地名】
しかご 市俄古 【地名】
ししりー 細々里 【地名】
ししりー 西西里 【地名】
しどにー 悉徳尼 【地名】
しどにー 悉土尼 【地名】
じぶらるたる 日巴拉爾太 【地名】
じぶらるたる 日巴拉大 【地名】
しべりあ 西比利亜 【地名】
しべりあ 西伯利亞 【地名】
じゃかるた 加拉巴 【地名】
じゃくそん 邪苦損 【地名】
じゃまいか 牙買加 【地名】
しゃむ 暹羅 【地名】
じゃわ 爪哇 【地名】
じゃわ 闍婆 【地名】
じゅねーぶ 壽府 【地名】
じゅねーぶ 寿府 【地名】
じょーじあ 卓爾治亜 【地名】
しりあ 叙利亜 【地名】
しんがぽーる 新嘉坡 【地名】
すーだん 蘇丹 【地名】
すいす 瑞士 【地名】
すいす 瑞西 【地名】
すうぇーでん 瑞典 【地名】
すえず 蘇素 【地名】
すえず 蘇士 【地名】
すかんじなびあ 斯干的那維 【地名】
すこっとらんど 蘇格蘭 【地名】
すとっくほるむ 斯徳哥摩 【地名】
すとっくほるむ 土篤恒 【地名】
すとらすぶーる 斯達拉斯堡府 【地名】
すぱるた 斯巴爾達 【地名】
すへるで 士加爾達 【地名】
すぺいん 西班牙 【地名】
すまとら 蘇門答刺 【地名】
すりじゃやわるだなぷらこって 曾理邪夜和瑠蛇那波古手 【地名】
せーぬ 塞納 【地名】
せいろん 錫蘭 【地名】
せねがる 塞内加 【地名】
せねがんびあ 瀬根賀宮 【地名】
せばすとぽーる 西巴土多 【地名】
せるびあ 塞爾維 【地名】
せんとへれな 三厄里那 【地名】
せんとるいす 聖路易 【地名】
せんとろーれんす 聖螺瀾 【地名】
そびえと 蘇緯埃 【地名】
そまりあ 楚森 【地名】
たい 泰 【地名】
だいぶりてん 大不列顛 【地名】
だったん 韃靼 【地名】
だにゅーぶ 大奴皮 【地名】
だにゅーぶ 多悩 【地名】
たひち 対比地 【地名】
だぶりん 都伯林 【地名】
だぶりん 都泊林 【地名】
だますかす 大馬士革 【地名】
たんざにあ 三義原 【地名】
ちぐりす 地革里斯 【地名】
ちぐりす 底格里 【地名】
ちぇこ 捷克 【地名】
ちぇにす 突尼斯 【地名】
ちべっと 西蔵 【地名】
ちべる 堤伯 【地名】
ちゅにじあ 突尼斯 【地名】
ちり 智利 【地名】
ちろる 的羅里 【地名】
ちろる 地羅利 【地名】
てーべ 徳巴斯 【地名】
てきさす 徳過瑟斯 【地名】
てきさす 得撒 【地名】
てへらん 徳黒蘭 【地名】
てべる 低伯 【地名】
てむず 達迷塞 【地名】
てむず 達迷斯 【地名】
でらうぇあ 特拉華 【地名】
でんまーく 典馬 【地名】
でんまーく 丁抹 【地名】
どいつ 獨逸 【地名】
どいつ 独逸 【地名】
とすかーな 得斯加尼 【地名】
とすかーな 多加納 【地名】
どなう 多悩 【地名】
とりぽり 特里波里 【地名】
とるきすたん 土留喜須丹 【地名】
とるこ 土耳古 【地名】
どれすでん 徳勤斯達 【地名】
とろいあ 多来 【地名】
どん 頓 【地名】
ないあがら 尼亜吉拉 【地名】
ないる 尼羅 【地名】
なぽり 拿破里 【地名】
なぽり 那不勒 【地名】
なぽり 那不児 【地名】
なぽり 那波里 【地名】
にからぐあ 尼加拉瓜 【地名】
にねべ 尼々微 【地名】
にゅーいんぐらんど 新英州 【地名】
にゅーおーりんず 細哈連 【地名】
にゅーぐれなだ 新加拉那大 【地名】
にゅーじーらんど 新西蘭 【地名】
にゅーじゃーじー 鳥遮爾些 【地名】
にゅーぎにあ 新基尼 【地名】
にゅーはんぷしゃー 牛含布什爾 【地名】
にゅーふぁんどらんど 紐方蘭 【地名】
にゅーぶりゅんすうぃっく 新不倫端 【地名】
にゅーめきしこ 柳墨西哥 【地名】
にゅーよーく 紐育 【地名】
にゅびあ 努皮亜 【地名】
ねーぷるす 那不里斯 【地名】
なざーらんど 尼達蘭 【地名】
ねぱーる 尼波羅 【地名】
ねぱーる 捏巴爾 【地名】
ねるちんすく 尼布楚 【地名】
のるうぇー 那威 【地名】
のるうぇー 諾威 【地名】
のるまんでぃー 諾曼的 【地名】
はーぐ 海牙 【地名】
ばーじにあ 費爾治尼亜 【地名】
ばいえるん 倍愛倫国 【地名】
ばいかる 貝湖 【地名】
はいち 海地 【地名】
ぱきすたん 俾路芝 【地名】
ぱきすたん 巴基斯坦 【地名】
ばぐだっど 巴古達 【地名】
ばるちすたん 尾留知須丹 【地名】
ぱたごにあ 巴多呉仁屋 【地名】
ばたごにあ 巴他峩尼 【地名】
ぱなま 巴奈馬 【地名】
はのい 河内 【地名】
はのーばー 黒那法 【地名】
はばな 嚇法拿 【地名】
ばばりあ 巴威里亜 【地名】
ばびろん 巴比倫 【地名】
ぱらぐあい 巴羅貝 【地名】
ぱらぐあい 巴拉圭 【地名】
ぱり 巴里 【地名】
はりうっど 聖林 【地名】
ばるかん 巴爾幹 【地名】
ばるせろな 巴塞羅 【地名】
ばるちっく 波羅的 【地名】
ばるてぃっく 波羅的 【地名】
ばるちもあ 麻爾底磨 【地名】
ぱるま 巴馬 【地名】
ぱれすちな 巴勤斯旦 【地名】
ぱれすちな 巴勒士底納 【地名】
ぱれるも 巴務摩 【地名】
はわい 布哇 【地名】
はんがりー 洪牙利 【地名】
ばんくーばー 晩香波 【地名】
ばんぐらでしゅ 孟拉加国 【地名】
ばんこく 盤谷 【地名】
ばんこく 万谷 【地名】
はんぶるく 漢堡 【地名】
はんぶるく 旱堡 【地名】
ぴさ 畢撒 【地名】
ひまらや 喜馬拉 【地名】
ぴょんやん 平壌 【地名】
びるま 緬甸 【地名】
ぴれねー 必里尼斯 【地名】
ひんどすたん 院土須丹 【地名】
ぶーたん 不丹 【地名】
ふぃらでるふぃあ 費府 【地名】
ふぃりぴん 比律賓 【地名】
ふぃれんつぇ 佛稜斯 【地名】
ふぃれんつぇ 仏稜 【地名】
ふぃんらんど 芬蘭 【地名】
ぶえのすあいれす 不宜塞利 【地名】
ふぇにきあ 非尼亜 【地名】
ぷえるとりこ 波爾多黎各 【地名】
ふらんくふると 法蘭法爾答 【地名】
ふらんくふると 仏朗仏 【地名】
ふらんくふると 仏蘭克仏 【地名】
ふらんす 佛蘭西 【地名】
ふらんす 仏蘭西 【地名】
ぶりたりあ 貌利太仁亜 【地名】
ぶるがりあ 勃牙利 【地名】
ぶるごんど 不于的 【地名】
ふろーれんす 佛稜斯 【地名】
ぷろいせん 普魯西 【地名】
ふろりだ 福落里得 【地名】
ふろりだ 仏勒里達 【地名】
ふろれんす 福楞察 【地名】
ぶらじる 伯剌西爾 【地名】
ぶりゅっせる 佛律悉 【地名】
ぶりゅっせる 比律悉 【地名】
ぶるがりあ 勃牙利 【地名】
ぶれーめん 不來梅 【地名】
ぶろしあ 普魯西 【地名】
ぶろしゃ 普魯西 【地名】
ぺてるぶるぐ 彼得堡 【地名】
べとなむ 越南 【地名】
べにす 威尼斯 【地名】
べにす 厄西 【地名】
へぶらい 希伯来 【地名】
べらるーし 白露西亜 【地名】
ぺるー 祕魯 【地名】
ぺるー 祕露 【地名】
ぺるー 秘露 【地名】
べるぎー 比利時 【地名】
べるぎー 白耳義 【地名】
ぺるしあ 波斯 【地名】
ぺるしゃ 波斯 【地名】
べるもんと 花満的 【地名】
べるりん 伯林 【地名】
べるん 伯爾尼 【地名】
べねずえら 委内瑞拉 【地名】
べーりんぐ 白令 【地名】
べんがる 孟加喇 【地名】
ぺんしるばにあ 西辺威業 【地名】
ほーちみん 胡志明 【地名】
ぽーつます 波都毛士 【地名】
ぽーらんど 波蘭 【地名】
ぼすとん 波士頓 【地名】
ぼすとん 波士敦 【地名】
ぼすにあ 波斯尼亜 【地名】
ほのるる 花瑠瑠 【地名】
ぼへみあ 波希米亜 【地名】
ぽりねしあ 波蘭西亜 【地名】
ぽるとがる 葡萄牙 【地名】
ぼるどー 波耳多 【地名】
ぼるどー 波多府 【地名】
ぼるねお 渤泥 【地名】
ぼりびあ 暮利比亜 【地名】
ぼんべい 盆買 【地名】
まいんつ 迷尼津 【地名】
まかお 澳門 【地名】
まかお  阿媽港 【地名】
まさちゅーせっつ 馬洩朱些斯 【地名】
ませどん 馬基頓 【地名】
まだがすかる 麻打曷先葛 【地名】
まだがすかる 馬達加斯加 【地名】
まどらす 孟打拉沙 【地名】
まどりーど 馬徳里 【地名】
まどりっど 麻土律戸 【地名】
まにら 馬尼剌 【地名】
まらい 馬來 【地名】
まらや 馬來 【地名】
まらっか 麻拉加 【地名】
まらとん 馬拉敦 【地名】
まりーらんど 瑪理蘭 【地名】
まるせーゆ 馬塞里 【地名】
まるせーゆ 馬耳塞 【地名】
まるせいゆ 馬塞里 【地名】
まるせいゆ 馬耳塞 【地名】
まるせいゆ 馬爾塞 【地名】
まれー 馬来 【地名】
まれーしあ 馬来西亜 【地名】
まんちぇすたー 満遮士打 【地名】
みゅーにっく 慕尼克 【地名】
みらの 米蘭 【地名】
みらの 未蘭 【地名】
みししっぴー 密士失比 【地名】
みゅんへん 摩尼克 【地名】
みゅんへん 慕尼克 【地名】
めきしこ 墨西哥 【地名】
めじな 麥地拿 【地名】
めそぽたみあ 米所並大迷亜 【地名】
めっか 麥加 【地名】
めっしーな 墨西拿 【地名】
めでぃあ 馬太 【地名】
めらねしあ 新貌利顛 【地名】
めらる 美拉 【地名】
めるぼるん 瑪母綸 【地名】
もざんびーく 門沙皮刻 【地名】
もすくわ 莫斯科 【地名】
もすくわ 馬斯高 【地名】
もろっこ 摩洛哥 【地名】
もろっこ 馬邏可 【地名】
もろっこ 馬羅哥 【地名】
もろっこ 莫羅哥 【地名】
もろっこ 茂禄子 【地名】
もんごる 蒙古 【地名】
もんてねぐろ 黒山国 【地名】
もすくわ 莫斯科 【地名】
ゆーふらてす 由非刺底 【地名】
ゆた 武達 【地名】
ゆだや 猶太 【地名】
よーくしゃー 約克舎 【地名】
よーろっぱ 欧羅巴 【地名】
よるだん 約但 【地名】
らいん 来因 【地名】
らいん 來因 【地名】
らっぷらんど 臘巴蘭 【地名】
らてん 拉丁 【地名】
らてん 羅甸 【地名】
らぷらた 良富羅多 【地名】
らんかすたー 蘭加斯徳 【地名】
らんぐーん 蘭貢 【地名】
りおでじゃねいろ 里約日内路 【地名】
りおでじゃねいろ 来約熱内盧 【地名】
りすぼん 里斯本 【地名】
りすぼん 里斯奔 【地名】
りばぷーる 立抜普爾 【地名】
りびあ 利比亜 【地名】
りひてんしゅたいん 列敦斯丁 【地名】
りべりあ 理部利屋 【地名】
りゅーべっく 律北克 【地名】
りゅせるぬ 路塞尼爾 【地名】
りよん 里昂 【地名】
るーまにあ 羅馬尼 【地名】
るーまにあ 羅馬尼亜 【地名】
るくせんぶるく 廬森堡 【地名】
るそん 呂宋 【地名】
るいじあな 禄細亜那 【地名】
ればのん 黎巴嫩 【地名】
れきしんとん 歴星頓 【地名】
ろーあん 拉安 【地名】
ろーどあいらんど 洛哀倫 【地名】
ろーま 羅馬 【地名】
ろさんぜるす 羅府 【地名】
ろしあ 露西亞 【地名】
ろしあ 魯西亞 【地名】
ろしあ 露西亜 【地名】
ろっきー 落機 【地名】
ろってるだむ 鹿特坦 【地名】
ろれーぬ 羅來内 【地名】
ろんどん 倫敦 【地名】
ろんばるでぃあ 朗罷地 【地名】
わーてるろー 瓦得路 【地名】
わしんとん 華盛頓 【地名】
わるしゃわ 華沙 【地名】


2011年05月18日

「螺鈿」  | 一考   

 昨夜、高橋睦郎さんが小澤實さんと来店。永田耕衣、多田智満子、水嶋波津のはなしになった。睦郎さんによると、わたしのことを「神戸の美少年」と云ったのは多田さんらしい。そのような時もあったかと往時の多田さんの貌を思い浮かべた。死期が近づいてきたからか、近頃、多田智満子、山本六三、広政かをるなど、十代の頃の夢をしきりに見る。
 三島由紀夫が自ら果てる直前、激賞した作家に水嶋波津がいる。明治二十九年新潟県村上市に生れ、結婚後北朝鮮にわたり、三十年を経、岡山県美作に住む。岡山を代表する俳人でありながら、読書子からは等閑視されている。著書に「遠樹集」「扉音」「螺鈿」がある。

 初日やゝ狂気を帯びて出でにけり
 天国は地に在りと射す寒の月
 晩夏といふ時の扉がひらく音
 寒梅の紅一言につきにけり
 春たけなはふとよこしまに匂ふ泥
 海ほゝづき鳴らし五体が暗くなる
 ひとすぢの血もなき鯉のあらひかな
 晩年のわが指を膝にそろへおく
 はがれたくなりてはがれし螺鈿かな
 一冊の書物のごとき捨て氷
 女とはどこも悲しい抽斗か
 気がついてみれば地面も仮面かな
 反撃をせんとて冬の蜂あるく (「螺鈿」より)

追記
 「気がついてみれば地面も仮面かな」の仮面は生地の豪雪を描きしもの。水嶋波津には雪の句が多いが、彼女の飛躰はまるでシュルレアリスムのそれである。


2011年05月13日

「風のなかの挨拶」  | 一考   

 風のなかの挨拶   佐々木幹郎

 ねむる月
 なお ねむる月
 おさない葉の
 枝の風を抜けて
 夢乱れて
 泣くなら 泣け
 千のピアノ 千のヴァイオリン
 生まれたての
 やわらかな黄緑の葉をさわり
 愛が人間のなかに入り込むときの
 なんという奇妙な瞬間
 猫 尾を立てて歩き
 挨拶する あなたに

 こぼれ散る風の向こうの あなた
 生きる水 あふれる
 音ひくく
 うた遠く
 知らないうちに
 笛と太鼓が鳴り
 笑い声が
 扉を開けて 次々と扉を開けて
 鉦は鳴る 欲しいものすべて
 四月の大きさ 五月の深さ
 六月の強さ
 芽吹くときの やさしさ すべて 

*4月30日夜、30年ぶりに集ったメンバー7人と「うたげの会」という名称の会を結成しました。東日本を見守る。日本の文化構造を変える。未来の子どもたちのために、必ず変える。生涯最後の、本気の闘いを始めようと思います。

 以上は佐々木幹郎さんのブログからの転載である。昨今の詩人にとって天災か厄災のような詩である。深い覚悟のほどを味わっていただきたい。
 わたしは屡々幹郎さんに助けを乞う。乞うとは云っても「助与」と叫ぶわけではない。「笑いながら突っつきあい、じゃれあってい」るのである。その叫びと戯れとのあいだに友と称する橋が架けられている。糠平湖のタウシュベツ橋梁のような橋で、季節の水位変動によって忽然と姿を消すかと思えば、冬季は氷面を突き破って現れる。
 「幻の橋」と云われる由縁である。移ろいゆく幻なのかもしれぬ、夢なのかもしれない。しかし、詩人にとって夢幻はあってはならない。今ここに在るとの消しがたい思いに明瞭な形を与え、名辞しなければならない。詩人の闘いは続けられる。

追記
 幹郎さんの講演が明治大学和泉校舎で催される。6月7日(火)16時20分から90分間、「詩人と旅」という題で豁達にお話し頂く。コーディネーターは高遠弘美さん。


2011年05月12日

東日本大震災とは  | 一考   

 川上さんと話していて気付いたことがある。今回の東日本大震災で被害を受けたのは東北であって、東京都内はほんの僅かな被害だった。神戸の震災については何度か書いたので繰り返さない。ただ、倒壊したのは灘区の高速道路だけではない。高取から月見山を経て名谷に至る高速道路も倒壊。新幹線が地上に出るのは伊川谷だが、そこから西明石までの橋桁はほとんどが落下した。私鉄が動き出すのに阪急は地震発生から146日、神戸高速鉄道は208日もかかりました。地下鉄は上部が落下して地面に大きな穴が開き、建物は新築のビルを引っくるめて次々と倒壊した。倒れたビルが国道、県道を塞ぎ、中心部はまったく歩かれない。倒れないまでも、大型の冷蔵庫、タンス、食器棚、テレビが室内を飛び跳ね、壁が抜けたり屋外へ飛び出した。
 おそらく、東京での最大の被害は、都内から自宅に帰られなかった人が約三百万人に上ったこと。震度五強の被害とはその程度のものである。震度が一違うとエネルギーは千五百倍異なると云う。とすると今回の二十三区内の搖れのエネルギーは神戸のそれの三千分の一になる。

 東京電力がまとめた三月の電力需要実績によると、管内(関東七都県と静岡県東部、山梨県)の産業用大口需要は五十四億キロワット時で前年に比べ17.6パーセント減。震災と計画停電により激減した。一方で、全体の三分の一を占める家庭用は八十九億キロワット時と3.5パーセント増えている。二十三区に限るなら、増加率はさらに多い。東京人にとって地震は他人事というのがこのようなところにも表れている。

追記
 五人の死者が出たのは残念である。ただ、論旨と異なるので敢えて触れなかった。申し訳ない。


2011年05月11日

『ガリガリ博士の犯罪』  | 一考   

川上史津子さん来店。下記催しの前売り券ですぺらにあります。

劇団☆A・P・B-Tokyo第23回公演
寺山修司作品『ガリガリ博士の犯罪』@ザムザ阿佐ヶ谷

作/寺山修司 
演出/高野美由紀+East 10th Street 
チラシ画/智内兄助
音楽/J・A・シーザー

2010年10周年を迎えた劇団☆A・P・B-Tokyoの第23回公演!
1970年に天井桟敷で初演された寺山修司初期の名作に、現代小劇場界を代表する俳優たちが集結!!

出演
高野美由紀 マメ山田 丸山厚人 保村大和 澤魁士
福谷セイジ 川上史津子 来栖隆文 小堀智弘 ジェニファー松井 
山下満璃奈 尾前志織 関根愛 浜名沙綾    
たんぽぽおさむ 浅野伸幸

2011年6月9日〜6月13日
6/9(木) 19:30
6/10(金) 19:30
6/11(土) 14:00/19:00
6/12(日) 14:00/19:00
6/13(月) 19:30

前売/一般3800円
   ペア7000円
   学生3000円
当日/4300円   
(いずれも日時指定・全席自由)

詳細は川上史津子コミュにて
http://mixi.jp/view_event.pl?id=61763030&comm_id=48287


地ソース  | 一考   

 2008年08月06日に「ばらソース」を挙げた。文中「神戸の文化はウスターソースによって支えられてきた」と書いた。ロンドンの北西部180キロほどのイングランド中央部、ウスターシャー州の州都ウスター市で初めてつくられたため、地名をとって「ウスターソース」と呼ばれるようになった。しかし、日本のウスターソースは名こそ同じだが、独特の香味を持ち、原材料もイギリスのリーペリン・ソースなどとはまったく異なる。どちらかと云えば、フランス料理に使われるブラウンソースに近いものと思われる。なぜなら、わが国では揚げ物などに多量にかけて食すのに対し、イギリスではシチューやスープなどの隠し味としてごぃ少量用いられる。
 現存する最古のソースメーカーである神戸の阪神(日の出)ソース(神戸市東灘区)は、創業者である安井敬七郎が1885年に開発販売した。他にも、オリバーソース(神戸市中央区)、ブラザーソース(神戸市兵庫区)、プリンセスソース(神戸市灘区)、タカラソース(神戸市東灘区)、ばらソース(神戸市長田区)、ニッポンソース(神戸市西区)があり、近隣ではワンダフルソース(尼崎市)、七星ソース(伊丹市)、ドリームソース(明石市)、メイジョーソース(揖保郡太子町)、ミツバソース(たつの市新宮町)などがある。ばらソースと共に神戸のお好み焼きソースを二分してきた二見ソース(神戸市長田区)も忘れられない。震災と大手メーカーの安売り競争に押されて廃業したのは残念である。
 オリバーソースには「どろソース ハバネロ・ライム」との商品があって、じっくりと熟成させたウスターモルトの沈殿を世界一ホットな唐辛子ハバネロと爽やかなライムジュースでさらに過激に磨き上げた超辛口の濃縮ソース。ドリームソースは明石のお好み焼き屋を代表する激辛どろソースで、「ドリームNO.1ステーキソース」も販売している。プリンセスソースはコロッケや串カツに相応しいソースで、それぞれが個々のテリトリーを守っている。子供のころはそれらのソースを使い分けて味わっていた。お好み焼きの地域差すなわち個性を楽しむとは取りも直さず、地ソースの違いを楽しむことだった。
 渋谷の中華料理店「一品香」の焼きそばをはじめ、とんかつの渋谷「蓬莱亭」なども地ソース「ハチ公ソース」で有名になった。わたしは詳細を存じ上げないが、東京にも二十社ほどの地ソースメーカーがあると聞く。前述したように、大手メーカーの安売り競争に押されて地ソースメーカーが減ってゆく。廉ければなんでも良いとの昨今の消費者の精神の貧しさを嘆く。


2011年05月09日

焼肉追記  | 一考   

 食肉加工業者から焼肉酒家えびすに卸された十四頭の牛に廃用牛が含まれていたようである。廃用牛とは出産を繰り返し、子牛が産めなくなった雌の経産牛のこと。肉質が硬く、独得の臭みがあって、ハンバーグやカレーなどの加工食品、レトルト食品の原料などに使われる。
 トリミングや歩留まりが問題になっているが、例えば、河豚の肝の歩留まりは五パーセントほど。回りの毛細血管をそこまで削り落とし、残った芯の部分を薄切りして十分な流水(河豚一匹に水一斗と云われる)に晒す。歩留まりが五パーセントでは商売にならず、大方は二十、三十パーセントの肝を販売、死者が相次いで販売禁止になってしまった。ユッケも河豚の肝と同一の道を歩むようである。
 ちなみに、某食肉加工業者はネット上では「交雑種/外モモ/B2です。赤身率が高くユッケやロースで使用できます」として販売、焼肉酒家えびすへは和牛として売っていたようである。それらは詐欺商法に当たる。廃用牛は再肥育して1キロ500円程度。グラム換算で50円の肉をトリミングしなければ280円売りで利益は十分出る。河豚同様、安売りが逆に自分の首を絞めることになろうとは。わたしに云わせると、280円のユッケを求める客も同罪と思う。
 関西系の安価な焼肉屋では叙々苑が知られているが、同店のユッケは1400円。わたしはこれ以下の値段のユッケは食べないことにしている。


2011年05月07日

ビンラディン追記  | 一考   

 パキスタンに透析治療が可能な病院はいくらでもある。そしてビンラディンがイスラマバード近郊に潜んでいたのは03年ごろからという。妻の証言によれば、タリバーン政権下のアフガニスタンで治療を受け、腎臓は回復していたとある。ということは、ビンラディンはとっくに腎移植を受けていたのが真相のようである。
 ビンラディンの年齢から推して、移植後の平均余命は全うしている。


2011年05月06日

インタビュー記事  | 一考   

 http://gendai.net/articles/view/syakai/130234

 「誰が小沢一郎を殺すのか?」(角川書店)——オランダ人のジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏の著書が話題だ。小沢一郎という異能の政治家を検察、メディアに代表される旧勢力がよってたかって潰そうとした事実が詳細に明らかにされている。小沢氏は民主党の党員資格を剥奪されて、表舞台から去った途端に大震災が起きた。右往左往の菅政権を冷徹なジャーナリストはどう見ているのか。

 との前置きに続けてウォルフレン氏のインタビュー「未曾有の大震災の直前に小沢一郎を排した、この国の不幸」が掲載されている。強く共感す。


「わ印」の作家  | 一考   

 腎不全で透析治療を受けていた団鬼六さんが六日午後二時六分に亡くなられた。享年七十九歳。死因はある種の合併症で、胸部食道癌。透析治療を受けるのが嫌で一年ほど拒否なさっていたが堪えきれず、04年から透析に這入られた。昨年四月、癌の治療中であることを公表。透析をはじめて七年なので長命になるが、腎不全で癌を患うとどうにもならない。

 震災の映像がテレビで放映されるたびにこんなことがあっていいのかと目を覆いたくなるような心境である。
 老婆が泥だらけになった孫のランドセルを手にしながら、孫の姿を懸命に探していたり、震災で親をなくした子供たちが里子に出されるなどという報道を聞くと、まさに戦後さながらの殺伐とした状況に戦慄さを覚えるのである。自ずと遠い昔、私が中学生であった当時の戦後に自然と思いは馳せる。
 当時は日本政府なんてものはあってなきにしの如くで、アメリカ人の管理下に置かれた不甲斐ない状態で、当時の飢え、貧困をはじめ、不衛生、犯罪、人の安否、求職などの不満を一体どこにぶつければいいのかもわからなかった。
 家も、食べ物も、親戚も、金もない、という人間がいたるところに溢れていた。あるのは命だけだった。・・・
 命しかない。けれど、命がある。これが希望である。この震災で多く尊い命を失ったがここにある命はそして経験は脈々と受け継がれ大河となるだろう。希望を絶やしてはいけない。(鬼六最後のブログより)

 人間にはそれぞれの価値というものがある。それが個性になり、魅力になり、その人の器になっていくわけだ。人に敬われるだけの人間が価値あるってもんじゃないでしょ。(鬼六ブログ)


アルファロール  | 一考   

 前回と血糖値が変わらない。しかし、ヘモグロビンエーワンシーが安定しているので問題はないだろう。困るのは低カルシウム血症である。カルシウムD剤(前項のアルファロール)は毎日服用しているのだが、ほとんど効果がない。カルシウムD剤の後発品は種類が多くて手に負えないが、以前飲んでいた帝人のワンアルファ錠(本品は後発品でない)の方が体質に合っているように思う。しかし、病院の薬剤師にそのような註文はできない、黙して与えられた医薬品を服用するのみ。
 東葛クリニックへ通い出したころ、薬の変更を希望したところ、当方では扱っていないと拒否された。こればかりは医師もしくは事務局が決めることなので、どうにもならない。さらに二週間ほど様子を見るしかなさそうである。
 それにしても、血液検査のうち食事によって制禦できない部分はお手上げである。


レナジェル  | 一考   

 2ちゃんねるにも面白い書き込みがある。

 「大丈夫?」っていうと半月遅れて、
 「大丈夫」っていう。

 「発注可能?」っていうと半月遅れて、
 「発注可能」っていう。

 「物はある?」っていうと半月遅れて、
 「物はある」っていう。

 そうして、あとで不安になって、

 「でも本当はちょっと欠品?」って聞くと
 「ちょっと欠品」っていう。

 こだまでしょうか。
 いいえ中外。

 もっか服用中の薬はレナジェル(食前四錠)、ウラリット(食後四錠)、アルファロール(朝食後一錠)、ポララミン(掻痒時一錠)の計二十六錠、必要最低限の薬である。以前は一日百二十錠を超えていたので随分とすっきりした。
 中外製薬のレナジェルはリンの吸着剤で、腎不全の患者には欠かせない医薬品のひとつ。福島県岩瀬郡鏡石工場の二十四時間操業がかなわず、欠品がつづいている。薬品メーカーに停電、節電は通じない。成分の均一性を保つには二十四時間操業が避けられないのである。
 四月のはじめからレナジェル錠の入手が難しくなった。わたしは一日二食なので、他人と比して服用量は少ない、にもかかわらず次回から削るという。同じセベラマー塩酸塩でキリンからフォスブロック錠が、バイエルからはホスレノール錠が販売されてい、他にも印度からジェネリック医薬品が販売されていたように記憶するが、どうなのであろうか。
 大きな医院は医薬品メーカーとの独得の結びつきがあって、簡単に切替はできないようだが、患者優先でことは運ばれるべきである。わたしは必要なら主治医に処方箋を書いていただく、もしくは個人輸入の手もあって心配していないが。


液状化  | 一考   

 先日、百貨店だとホールマネージャーと思しき工学技師から除水を1500か2000に増やすか、ドライウェイトを一キロ減らすように云われた。要するに摂取量を増やせとの命である。除水がこの七箇月のあいだ一リットルを切っているのはおかしいとの意見である。その技師をわたしは予てから敬愛している、それゆえ言葉は重く受け止める。しかし、透析をはじめた頃は低血圧に悩まされ、治療中に失神も経験させられた。やっとリズムに乗ってきたのに狂わせられるのは困る。
 病院中でわたしがもっとも除水量(率)が少ない。それは分かっているが、これがわたしのドライウェイトと摂取と除水のバランスである。平均除水が三リットルだから、せめて二リットルにせよ、というのは逆におかしい。他人は他人、わたしはわたしである。おそらく摂取量を増やそうが、ドライウェイトを減らそうが、一箇月も経てば除水は一リットル以内に落ち着くに違いない。それよりなにより現在のバランス、体調を崩されるのが怖い。
 透析カレンダーなるものを頂戴した。曜日によって時間が微妙に異なる。透析をはじめてから欠席、遅刻は一度もないが、本当は時間を決めていただく方が対応しやすい。穿刺の順番を平等にとの気遣いは理解するが、ならば遅くて結構。ひとりが六、七人に対応しているので、ひとり八分として一時間弱で全員の穿刺が終わる。

 月曜日は客が居なくなったのが三時過ぎ、そのまま寝ずに透析を受け、帰宅は午後二時過ぎ。気付けば、ズボンやワイシャツを着たまま寝入っていた。少々疲れているようだが、良い時に連休が入った。原稿の締め切りが近づいているが、それどころでなく、もっかのところ寝つづけている。まずは食欲を戻して体調を整えなければならない。
 月曜日が血液検査だったので、帰りにメロンを買ってきた。乳製品と果物、特にメロン、西瓜、トマト、ピーマンは普段だと食されない。検査の直近だといかようにも処理できる。わたしの食生活にとって検査の後の二、三日が楽しみなのである。ただし、安価なものを買ったので熟れすぎている。液状化した果肉を啜るにどうやら浦安産のメロンのようである。


2011年05月05日

焼肉  | 一考   

 下世話なはなしが続く。焼肉酒家えびすの客から三人目の犠牲者が出た。溶血性尿毒症症候群(HUS)を発症し、人工透析治療を受けていたが死去。四月二十三日に食し、二十七日に入院したが、急性腎不全としてはあまりにも遅い。血便と激痛に襲われたのは二十六日というが、食中毒の自覚症状は食後三、四時間目からはじまる。二十四日に透析をはじめておれば助かったのではないかと思われる。
 わたしには焼肉屋を営む在日の友人が複数いる。厚労省によれば牛の生肉は存在しないと、それは兼ねてから知っている。友人に云わせると、仕入れ先との暗黙の了解だと云う。生肉で大丈夫との示唆があって、はじめてユッケを引く。従って数量限定で週に二、三回ほど、品切れの日の方が多いようである。ちなみに、ユッケには通常ランプかイチボの先端が使われる。
 一般的に和牛はAクラスだが、A-5に評価されるのは全体の十五パーセントほど。焼肉にはA-5もしくはA-4のもも肉(焼肉屋のロースとはもも肉のこと)が使われるが、神戸ビーフだと仕入れ値はグラム千五百円を下回ることはない。友人から貴方だったら二百八十円のユッケを註文するかねと逆に質問されてしまった。Bクラスの5や4でも仕入れ値は五百円ほど。問題になったユッケは売価から推して原価は八十円以下であろう。要するにどのような肉を食べさせられているかは想像がつく。
 死人を出した焼肉屋ではユッケの註文率は七十パーセントとか、一番の売れ筋商品である。そのように多量かつ上質のユッケが入手できる筈もない。さぞかし無茶な仕入れと販売をしていたと思われる。現に同店の肉の仕入先は東京板橋の大和屋商店とハンナンフーズグループ、それと地元のS館の三店。今回のユッケは大和屋商店が仕入れ先だが、主たるハンナンフーズはBSE偽装事件で夙に知られた悪質業者(Y組傘下の企業舎弟)である。利益至上主義に走る激安チェーン店の実体が垣間見られる。

追記
 激安店を支えているのは仕入れ先である。某鯨肉専門店で尾の身と称する単なる赤身が出てきて焼いて食べたのを思い起こす。また新宿の某焼肉屋でユッケを註文、肉種を確認して食べるのを止めた。客が廉いものを求める限り、このような事故はつづく。


2011年05月04日

宛字  | 一考   

 真偽のほどは知らないが、ビンラディンは2004年から透析治療を受けていたようである。阿富汗斯坦(アフガニスタン)で透析治療が可能なのは加布爾(カブール)のみ。従って、足がつくのを承知で巴基斯坦(パキスタン)に住んでいたと想像する。巴基斯坦なら透析治療が可能な病院はいくらでもある。ただし、透析治療に関して知識のないひとの書き込みばかりなので、ビンラディンの件はがせねたと思う。そうでなければ震災時の停電並びに断水をどのように乗り越えたのであろうか。一度の透析で二百リットルの真水が必要になる。いずれにせよ、ビンラディンを匿っていた巴基斯坦政府は立場を失った。今後の亜米利加、巴基斯坦、印度の関係は核保有国であればこそ、目を離せなくなった。
 仮にビンラディンが腎不全ならば、幾許もなく死去したと思われるが、そのための阿富汗斯坦、次いで伊拉克(イラク)への出兵だったとすれば割に合わない。亜米利加というのは随分と阿呆な国乃至は中国人以上に面子を重んじる国なのであろうか。100645〜109942人(
http://www.iraqbodycount.net/)の戦死者を顧みない国家の実体を膝癢掻背と捉えるのはわたしだけか。

 メソポタミアには米所並大迷亜との当て字はあるが、イラクにあるとは不思議である。考えてみれば第二次世界大戦後に独立した国に当て字のあろう筈がない。

追記
 妻の証言によれば、タリバーン政権下の阿富汗斯坦で治療を受け、腎臓は回復していたという。ビンラディンはとっくに腎移植を受けていたのが真相のようである。


差別  | 一考   

 警戒区域への一時帰宅で、南相馬市小高区の足の不自由な母娘の参加が困難な状況になっているとの記事(毎日新聞)があった。「移動に支援を必要とする者は対象としない」との国の見解に対して一部で非難が起きている。明らかな少数者差別であって、国の見解には憲法違反の疑いがある。同様の理由で参加を断念するしかない住民は他にもいる。憲法記念日に起きた看過できない問題である。
 朝日新聞は菅首相を支持している。新聞社が特定の政治家を支持するのは構わないし、日露戦争に於ける主戦論から日中戦争を経て太平洋戦争に至る時期の朝日新聞の歴史を問い質すつもりもない。ただ、非常時に首相を替えることを理不尽とする論調には与し得ない。菅が首相の座を固持する限り、このような独尊的言動は続く。このような非常時ゆえ、一刻も早い首相交代を願う。

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