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2007年11月 アーカイブ


2007年11月30日

ルンプロとルンルン  | 一考   

 ボア付きの長靴を買った、これで雨天のバイク乗車が可能になる。足先が暖かいので嬉しい。先々週は連荘(麻雀用語だとりきさんから教わった)で雨に打たれて靴はびしょ濡れ、乾かす暇がなく濡れたまま履く。足が冷たくて考え事ができない、というよりも考えを纏めることがかなわなかった。
 素足の松山さんを想起する。芭蕉から秋成、馬琴を経て明治末まで文筆で飯は喰えなかった。漱石あたりから原稿料や印税がやっと安定するに至る。もっとも、それには漱石のいささか姑息な算段あり、正月に各社の編輯者を集めての入札会を催したという。漱石が獲得した三割五分の印税に嫉妬した秋江が詳細を記述している。
 ルンペンプロレタリアート、略称ルンプロとのマルクス主義の用語があった。ファシズムの手兵として利用もされたが、そちらについては触れない。襤褸を纏い、仕事につかず、就業の意思なく、定住せず、塵あさり、物乞、ときには犯罪、売春などでその日の糧を得る。他人の救護のみに頼って生活し、相対的過剰人口からも落ちこぼれた極貧層である。ルンペンのさらなるルンペンをルンルンという。こちらは至って享楽主義的で金のないのを謳歌する。ルンプロとの違いは身なりがよく、教養もあり、ときとして非凡な才能を持つ。肉体労働だが、ちゃんとした職業を持つ。その職業の名は男妾、別名を物書きと称す。昔、新世から更新世に広く分布したジゴロフォドンという長鼻類がいたが、現代のジゴロとの関連はない。


2007年11月29日

無力と喪失  | 一考   

 「自分が無力である事、そして喪失感を学ぶ」と言ったとき、ではかつては力があり、喪失をもたらすところの所有があったのかと揚げ足のひとつも取りたくなる。「見るべきものを喪ったのか、それとも端から見るべきものなどなかったのか」と書いた理由がそこにある。否、これほどに曖昧な文言もあるまい。なぜなら、主語は略かれているものの、ここには確たる自意識がある。
 はなしを複雑にしたくないのでもとに戻る。「元々無力であって、今も亦無力である、なにかしら喪失感があって、今尚それは続いている」と書きなおした方が通りはよくなる。しかし、それではますます詩から遠離る。私は曖昧なら曖昧である、と断定形で文章を綴る癖がある。どうせ大したことは書かれないのだから対象を絞り込む。この場合の対象とは自分自身に他ならない。言い換えれば、考えの側面のみを捉えることになる。螺旋のような思惟の一断面なのだからますます持って恣意的にならざるを得ない。絞り込むことによって振れは小さくなり判断は甘くなるが、その分わかり易くなる。わかり易いのがよいこととは思わないが、読み解くに難渋させられるのは迷惑なときもある。もっとも、この難渋には二種類あって、表現の難解さがもたらすものと、書き手のおつむの風通しの悪さからくるものがある。後者は手の施しようがない。
 なにを言いたいかというと、詩歌と散文の違いを述べたまで。「振れは小さくな」ると書いたが、それを補って余りある力が詩歌にはある。なぜなら、詩歌はひとに類推を強要する。従って、思案を巡らすことなしに詩歌は読まれない。謂わば、読むための能力と感性が必要になる。この訓練は若ければ若いほど有効である。では散文は、となるが、こちらについては触れない。字面を追うだけの読者が多くて、このところ悲しみばかりが弥増す。
 思うに、ひとは変わらない。と言うよりは、変わらないでいようと務めるひとが多い。しかし、変えてはならないものなど、この世にあるのだろうか。世の中を変えるとは、自らをを変えることに他ならない。「自分が無力である事、そして喪失感を学ぶ」その無力を怒りに、喪失を悲しみに置換できないだろうか。のんちさんは若い。若ければこそ、その転換は易い。「怒りと悲しみ」それは書くという行為のおそらく唯一の元手であり、そして苗床である。


謎の美少女  | 一考   

 詩のボクシングのスタッフが連荘(れんちゃん)でいらした(連荘は勝手に変換されたのだが、麻雀用語であろうか、私には理解できない用語である。ただ面白いのでそのまま用いる)。気持の良い方々で、ご紹介いただいた幹郎さんに感謝せねばならない。
 摂食障害のひとが彼等にかかると謎の美少女となる。殊更に彼女を話題にするつもりはないが、謎の美少女の「謎」には興味がある。正体が分からないのを謎とする。この場合の謎は正体があるのを前提にしている。しかし、前提を外せばどうなるのか。要するに、正体がなければどうなるのか。
 例え正体不明であっても人はひとである。また、正体だと思っているのは本人だけで、他人から見ればそうでないこともある。その逆もある。さらに、人に正体があるとは限らない。ありそうでないのが正体で、ある日突然にあなたの正体はと問いつめられれば、誰だって返答に窮する。そして大方は属性概念で応えるのを常とする。この場合は「美少女」である。
 ところでデカルトによれば、実体のもつ本質的な性質は、物体と精神という二実体の属性をいうらしい。これでは端から実体が二分割されている。もっとも、二分割されようが、三分割されようが一向にかまわない。哲学とは概して便宜的なものである。「それを否定すれば事物の存在そのものも否定されてしまうような性質。それなしにはある事物を考えられないような性質」は好きなだけ分割すればよい、私の知ったことではない。
 さような分割よりも、正体すなわち本当の姿といったものがあるのなら偽の姿もあると切り返すのが私の好みである。しかし、それでははなしが長くなる。ここで触れたいのは正体の持ち合わせについてである。
 さて、正体への観察は謎を招来する。謎は謎を呼び、やがて世界は謎だらけになってゆく。にんまりとほくそ笑むデカルトとスピノザ、どうやら罠に嵌まったようである。「謎の美少女」とはひとつの単語であって、分割不可能な属性概念だった。


2007年11月27日

無常  | 一考   

 佐々木幹郎さん来店、アイラ・ストームをリカー長谷川で註文なさったようである。店では当然アイラ・ストーム、絶妙の甘味(うまみ)に舌つづみを打つ。
 掲示板を読みて小生の情緒もとにもどりたるを確認、それを傳えに来られた由。そちらでは彼は先輩、黙坐しつつ聴きいる。「遠に投首」でも書いたが、歳を取るとエネルギーを喪う。切ないほど、ものごとに対応する力が衰える。だからこそ、書くしかない。このところ、自らの心事を暴くがごとく赤裸々に綴った。それが唯一の抽象化になると信じて。


はがゆい叙情  | 高遠弘美   

一考さんのブログ、いつも謹んで拝読いたしてをります。
このたびのお書き込みも心にしみました。
ただ、ひとつ、私の名前をお書きくださいましたが、もともとはqfwfqさまの以下のブログにあつた言葉です。
そちらを皆様にはごらん頂ければ幸ひです。

http://d.hatena.ne.jp/qfwfq/20070325/p1



まなざし  | 一考   

 このところ、摂食障害のひとが来る。とは申せ、二度目の来店である。名前はまだ知らない。名を知らないのか覚えていないのか、定かでない。摂食障害というのも自己申告だけで、真偽は分からない。ただ、見るからに摂食障害者である。摂食障害と書いたが、正確には神経性食思不振症である。極度の不食と高度のやせとを主徴とする病いで、根には成熟することへの嫌悪感がある。そのようなひとにものを喰えとは言えない、嘔吐するだけなのは分かっている、困しむのは本人だけである。
 友人で彼女より上背があって、さらなる痩身を知っている。その彼女Y・Nさんは摂食障害者ではない。にもかかわらず、ひどく瘠せている。従って、瘠せていることは私にとって驚きとはなり得ない。ただ、どこかしら気になるひとである。
 彼女は某大学で露文を学んでいる。そのせいか、A子さんのことを訊ねるためにいらしたようである。事情があってA子さんのことを私は掲示板では書かない。
 「どこかしら気になる」と書いた。気になる一は目のくらさにある。虚ろではなく、昏いでもなく、と言って幽い、冥い、ことごとくが外れる。やはり暗い目になるのだろうか。涼やかな眼差しだが、媚を売る目ではない。淋しげな眼差しだが、なにかを訴える目ではない。どこかを視ているようで、どこも視ていない。しかし、この稀い存在が投げかける眼差しは何故か記憶の底に刻まれてある。この記憶はどこからくるのだろうか。自分の目のなかに焼き付いたもうひとつの自分の目なのだろうか。
 見るべきものを喪ったのか、それともはなから見るべきものなどなかったのか。この病いのひとは精神的に打ちとけないというが、そのあたりの消息をいつの日か話し合える日が来るような気がする。


もうひとつのはがゆさ  | 一考   

 「自在力についてはまた」と書いたが、ことさら書きたいとも思わない。ただ、秋、落雁、水といった透き徹った悲しみについて触れたかったまでである。
 文章を綴るとは自分のなかにあるものを吐露するまでで、次はなにを吐き出そうかと思案する。思案できるあいだは結構なのだが、早晩ひとは吐露すべきなにもないのに気付く。そこからではないだろうか、高遠さんとこで触れられていた「はがゆいやうな透明の抒情」がはじまるのは。
 「はがゆい」はじれったい、もどかしいとシノニムであって思うままにならなくてこころがいらだつの意。もっとも、「透明の」が加算されることによって、苛立ちや焦躁よりもさらに内省的な意味合いを持つ。従って、内省が内生であっても一向にかまわない。もっとも、それは私の解釈であって、本家の中井さんはルサンチマンのひとだった。怨嗟というよりも、怨恨や遺恨が強かった。そしてその怨恨は身近なひとへと向けられた。しかし、それについて書くつもりはない。

 ものはあれどもものはなし、庵はあれども庵なしという。吐露すべきなにものもないと書いたが、それは畢竟ずるに、さびやしおりや細みのようなものであって形を成すものではない。好き嫌いは別にして、そこに日本文学の特異さがある。去来抄に「さびは句の色なり。閑寂なる句をいふにあらず。仮令ば、老人の甲冑をたいし戦場に働き、錦繍をかざり御宴に侍りても、老の姿有がごとし」とあるが、その「句の色」こそが吐露の対象たりうると思う。去来によれば「老の姿」とでもなるのであろうか。
 なにもなければ、吐露すべきなにかを仕入れなければならない。仕入れ先は先人に、書物に求めるのが無難であり博く一般的である。そして仕入れ先は歳と共に変わってゆく。仕入れ先が変わるのではない、仕入れ先の「色」合いが変わるのである。繰り返すが、表層ではなく形式ではなく色合いである。
 屈折した剥きだしのこころではなく、ひとの色に恋をする、そのような消息を人のこころに恋をするという。面白い表現であって、すこぶる抽象的である。ヘンリー・ミラーの北回帰線にさびやしおりや細みを感ずると言ったら暴論になろうか。少なくとも、「はがゆいやうな透明の抒情」を私は見届ける。


2007年11月25日

グレン・スコシアのことなど  | 一考   

 このところ忙しくしてい、東京の酒屋へ行っていない。従って、アイラ・ストームがどこで売られているかを知らない。私は埼玉のやまいちで贖っている。インポーターがウィックなので、目白の田中屋は間違いなく扱っている。かめや、河内屋、リカー長谷川での取扱いはなさそうである。ただ、ウィックなので酒屋で註文すれば入るはず。ただし、酒屋が面倒臭がらなければのはなし。
 昨夜は土曜日、水谷、大浦、松友さんが集まってのモルト談義となった。ニューボトルが三本開き、これで新装開店に伴って入荷した六十本のうち半数以上が開栓された。ゴードン&マクファイル社が久しぶりに出したプレイヴァル、ピティヴェアック、ロングモーンは相変わらず美味。プレイヴァルは前回は25年ものだったが、一挙に32年ものになった。そのゴードン&マクファイル社の9年ものと平行してグレン・スコシアのディスティラリー・ボトルが出た。こちらは香味にいささかの変化あり。やや辛口に振られてすっきりしたが、陽にかざすと骨まで透ける干鰈のごときデリケートなこくがさらに稀くなった。逆に、微かなスモーキー・フレーバーと芯のある甘味、フレッシュな味わいは強調された。特徴のないラベルと月並なブランドで損をしていたが、今回もずんぐりしたボトルが通常のクリアーなボトルに変わった他、相も変わらぬ特徴のないラベルを用いている。一本筋の通った貴重な味わいと絶妙のバランスを内に秘めたモルトなのだが、売る気があるのかと問いただしたくなる。旧オーナーのグレン・カトリーヌ社(ロッホ・ローモンド・ディスティラリーの子会社)のボトルがさらに値を上げることだろう。
 ロングモーン15年のディスティラリー・ボトルが限定販売された、価格は一万五千円を超える。去年ボトリングされたシグナトリーの16年ものカスク・ストレングスが九千円だったことを考えてもずんと高い、飲んでいないので何ともいえないが、さぞかし旨いのだと思う。金欠病に掛かっている方にはゴードン&マクファイル社の加水タイプの12年ものが五千六百五十円、現在の為替相場を考慮しても安い。
 このところ、ベンリアックのニュー・ボトルが続く。ロングモーンとは兄弟蒸留所で、新しいオーナーのもと、ヘビリー・ピーテッドに力を入れている。アイル・オブ・ジュラもそうなのだが、最近はピートを深く焚き籠めたモルト・ウィスキーが増えてきた。値は一・五倍から二倍ほどだが、それだけの価値はある。ベンリアックのヘビリー・ピーテッドは二種ボトリングされている。
 最後に、モルト・ウィスキーの専門店ならどこへ行かれても安い。そこいらの飲み屋はバランタインやジョニー・ウォーカーなど千円のウィスキーを一杯五百円で売っている。要はダブルで元が取れる計算である。その計算なら一万円のウィスキーの売値は一杯五千円になる。ところが専門店なら二千円までで飲まれる。もっとも、ウィスキーに二千円が高いと思し召しの方はモルト・ウィスキーの専門店とはご縁がないだけのはなしである。


遠に投首  | 一考   

 オープンが済んで土曜日からは通常の営業がはじまる。十二、三人は来られるかと思っていたが、その半分だった。しかし半分で佳し、中身のあるオープニングだった。松山俊太郎さんを地下鉄の駅へ見送ったが、一分の道程に三十分を費やした。心臓がおかしいとかで歩かれない、五六歩進んでは休むの繰り返しで、揚句は地下鉄の入り口で地べたへ座り込んでの晤語となった。横の手摺りを鉄棒に見立てて子供がはしゃいでいる、その傍らでの喘ぎ。存在の新陳代謝のあまりに見事な演出に応えられなくて言葉が淀む。
 先に帰られた相澤さんね、寂しいのよ、話相手がいなくなっちゃってね・・・主語はどこにあるのかわからないまま・・・末期の水はうまかったね、次は会えるかなあ・・・相澤さんとそれとも私と・・・みなで会いましょう、どこかで、きっと、いつか・・・泣き出しそうになるのを怺え、即製の吃吶を演じる。
 家に暖房がなくってね、でも着物を頂戴したから風邪はひかない・・・次回は足袋をお持ちしましょう・・・君とはずっと昔にお会いしたような・・・実はですぺらではないのですよ、遙か以前に冥草舎でお会いした、と言うか言うまいか思いがたもとおる。そんなことはどうでもよい、そんなことより、いま、いまだけだから。「いまだけ」は横須賀さんの言い種だったっけ、横須賀も種村もあなたもわたしもなにもない、思案に暮れなずんだまますべては滅び同化してゆく、涙すらも。

 手伝ってくださった方から「一考さんが敬語を遣って話すのをはじめて・・・」と。人物や事物にではなく、話題に対して敬意を払っているのです。そう、「カラマーゾフの兄弟」の新訳と米川訳についての議論が一時間も二時間もつづく、ここには相澤啓三さんの時間が在った。過ぎ去りし日々、ドイツ語が跳びかった新宿五丁目、秘かにトマス・マンの宵と名づけた一夜があった。書物を繙くことの意味と怖ろしさを彼は切々と訴える。趣味で本は読まれない、読書は命懸けの為事、滅びへの道行きだと。

 神戸の季村敏夫さんの変わらぬ厚誼に感謝申し上げる、お手伝いくださった鶴留聖代さんと田中香織さんにも。


2007年11月23日

アイラ・ストーム2  | 一考   

 田中香織さんが飲みにいらした。出したのはラガヴーリン12年のカスク・ストレングス、シールダイグのラガヴーリン、そしてアイラ・ストームの三点。すべてカスク・ストレングスである。まずディスティラリー・エディションの12年ものは最悪、次いでシールダイグは旨いが軟弱、アイラ・ストームがこの中ではもっとも美味しいとのご意見だった。それにしても、この三点を私のように一ミリほど飲んだだけで同じ蒸留所のウィスキーと見極めるのはむずかしいとのはなしだが、それは慣れの問題である。私が驚いたのはそれぞれのラガヴーリンに対する偏見のなさについてである。
 彼女は旧ですぺら閉店間際にいらしたお客でモルト・ウィスキーに関する意見の持ち合わせはない。なければこそ、個別の香味のみではなしをする。そしてその意見は大旨正しい。ディスティラリー・エディションの12年は味に纏まりがなく、飲み手をしてどこへも連れて行かない。シールダイグにはちょいと異なる意見があるが、アイラ・ストームの粗粗しさと海塩の香、ブレストの乱暴者を想起させるがごとき港町の無骨には「枝の無骨なるに似ず、・・・さまざまの色に透きつ幽める其葉の間々に」といった風情までをも内包している。要するにアイラ・ストームの前ではシールダイグすらが影を淡くする。
 ラガヴーリンのディスティラリー・エディションを否定するのは難しい。マッカランやボウモアやスプリングバンク同様、それなりに美味だからである。と言うよりは、蒸留所元詰めに対する信仰のようなものがわが国にはある。ディスティラリー・エディションは大量生産のため、斑は少ないかわりに品質は平均化される。この平均化を日本人は好むのである。どこそこの蒸留所の酒はこのような味であると、謂わば安心を買っている。飲む度に味が変われば安心して飲んでいられないのが本音らしい。
 ところが、カスクは均一にはできていない。レダイグのシェリーを持ち出すまでもなく、ボトリングの度に香味は変わる。蒸留所は否定しているが、ラガヴーリンの一部はリフィール・シェリーと私は思っている。これが曲者で、16年ものはこの十年で随分と味が変化してきた、当然不味い方へである。もっか生産調整中だが、このあとどうなって行くのか危惧している。
 それにしても、アイラ・ストームは旨い。それを再確認させてくださった田中香織さんに、スランジバー。


2007年11月21日

アイラ・ストーム  | 一考   

 先日もカリラのカスク・ストレングスやインプレッシヴのアードベッグの注文を受けたがお断りした。インプレッシヴのアードベッグとラフロイグは旧店舗では最後のサービスとして特価で提供した。そして値は元に戻った、それでも安いのだが。また、グレン・ドロナックのトラディショナルは原価でお売りした。トラディショナルはかつては安かったのだが今は高い、それを承知で仕入れてきた。要は67年や69年もしくは74年のアードベッグや蒸留所に関わりなくトラディショナルのような古いボトルは売りようがないのである。売りようがなければ置かなければよいのだが、そうもいかない。なかには金額に拘らないお客さまもいらっしゃるからである。また、カリラのカスク・ストレングスは旧店舗では切れたままだった。値がほぼ倍になり、置くのをやめたのである。新店舗ではそうもいかないので仕入れてきた。ところで、専門の業務店にはカタログは置いていない。みなさんはどうしておられるのか、不思議である。
 高いウィスキーがあるかと思えば安いものもある。例えばグレンファークラスやハイランドパークである。為替は対ポンドで三割五分ほど騰がったが、値上げはその範疇に収まっている。
 安い酒といえばアイラ・ストームとのボトルがウィックから売り出されている。蒸留所未公開のアイラモルトで、樽の種類も本数も不明である。ただ、シングルカスクで三百六十本ほどと聞く。見立てはオークカスクのラガヴーリン、香味は至って美味。加水タイプは12年と記載されているが、カスク・ストレングスは10年ものと見た。今年一番のモルト・ウィスキーである。重厚かつなめらか、ベルベットのような味わい。焦げたヘザー、強いピート香、潮、海風、海藻の香り等、一度飲んだら病みつきになる銘酒中の銘酒。強烈な個性を包むエレガントなこくとシェリー酒の妙なる甘味。フィニッシュはパワフルでスモーキー。愛惜措く能わざる逸品。と書けばモルトファンならずとも必ずや酒屋へ購入に走るはずである。兎にも角にも安い、五千円札でお釣りがくる。


2007年11月19日

ナオさんについて  | 一考   

 渡辺ナオさんがカウンターを仕切ってくださったので、昨日は終日厨房へ籠る。厨房のはじめての活用だったが、カウンター嬢がいなければフードは無理だと確認するに終わった。やはりひとりで両方をこなすのは無理、一部のスモークとウィンナーか肉饅ぐらいが関の山だろう。
 ナオさんにですぺらを営業していただくのも一興、飜ってなべさんを私が取り仕切る。それでは店主が交代するだけで意味がない、どうもうまくない。なにかしらの解決策はないものか。
 土曜日には合鴨スモークの註文があった。はじめての依頼であり、他に客がなく、その心配もなかったので作る。「他店のスモークは食べられなくなった、やはり旨い」と言われて喜ぶ。以前と違って、原価で難儀させられる要もなく、しかるべき厚みで提供できるのが嬉しい。赤坂の鮨屋のネタのようなことは今後はしたくない。
 食器へのこだわりをナオさんから指摘される。わずか半年ですべて無くしたが、最初に用意した四十個の箸置きは備前の灰焼き、一箇三千円の品物だった。値打ちを知っての盗みなら納得がいくが、どうもそうではなさそうである。今回の猫の箸置きは百円、こちらの方が受けは良い。フードがはじまれば徐々に差し替えてゆくつもりだが、高価な食器は家で出番を待っている。
 ナベサンについてはかつて書いたので、ナオさんについて一言。襟を抜くのを去なすというが、年長者のしたり顔をあしらうときの軽みには色気すらある。三十路前半ながら、おそろしくきめの細かい人生を送っている。きめが細かいとは気配りを指し、気配りとは存在の相対化を言う。まるで安保の時代が今様の服をまとって顕れたようで、ある種の懐かしさを憶える。遅れて生れてきた人種のひとりで、時代を取り戻そうとして気を揉んでいる。「遅く生れた」ひとはみな生き急ぐ、その困しみは一種のはがゆさに色彩られている。彼女もまた、あきらめを嘆きの霧の道しるべとするのだろうか。


2007年11月18日

芳賀啓さんについて  | 一考   

 看板が完成。私のような日陰者に看板を背負込むような商売ができるのだろうか、嬉しいと同時に一抹の不安がよぎる。

 分かってはいたが、文学散歩へですぺらからの参加はなし。皆さん自分への興味はあっても文学への興味はお持ちでなさそうである。今回の参加はいつもより少なくて十四名、少なくても十四名集まるところにナベサンの底力がある。
 前回は山王・馬込文士村散歩だったが、コースは大森八景坂(別名薬研坂、薬師坂、池上道、現池上街道)、天祖神社(八幡太郎義家鎧掛の松跡、俳人景山の大森八景碑など)、山王二丁目遺跡、「日本帝国小銃射的協会跡」碑、大森テニスクラブ(旧小銃射的場)、闇(くらやみ)坂、大森ホテル跡、望翠楼ホテル跡、薬師堂・「桃雲寺再興記念碑」「仙元大菩薩」碑(冨士講碑)、大田区立山王会館・馬込村文士資料展示室、熊野神社、善慶寺・都旧跡新井宿義民六人集の墓、片山広子・旧宅跡、山本有三・旧宅跡、倉田百三終焉地、磨墨塚(平家物語宇治川の合戦の梶原景季の愛馬)、萩原朔太郎・旧宅跡、川端康成・旧宅跡、三島由紀夫旧邸、衣巻省三・稲垣足穂住居跡、宇野千代・尾崎史郎・旧宅跡、大田区文化財・冨士講灯籠、今井達夫・三好達治・標識、山本周五郎・旧宅跡、慈眼山満福寺(梶原景時墓、磨墨像、室生犀星坪庭・句碑)、室生犀星終焉の地、小林古径・旧宅跡、区立郷土博物館、蘇峰公園・大田区山王草堂記念館だった。

 それにしても、芳賀さんの博聞彊志に驚かされる。あれだけ仕事をし、浴びるほど酒を喰らい、そして歩く、ただただ歩く、二十キロでも三十キロでも歩くのである。歩くから多識になるのか、それとも見聞が彼を歩かせるのか、ひょっとしたら、彼は生まれ落ちたときから学芸万般に通じていたのでなかろうか。
 彼にとって文学は喋るものではない、要は自己主張のネタにはならないのである。このあたりから並のひとではない。現場での叩きあげとは彼のようなひとを言う。彼はひたすら歩き、ひたすら書く、そして沈思黙考のあとふたたび歩く。「現場のない文学なんて」との呟きが聞こえてくる。
 蘇軾に「三杯卯酒人径酔、一枕春睡日亭午」とあるが、卯酒は彼のもっとも得意とするところで、私も何度かお付き合いいただいた。卯の刻(午前六時ごろ)に飲む酒とは申せ、はじまるのは宵の口に決まっている。あの小さな体躯のどこに多量の酒の処理器官が秘められているのか、不思議である。
 それとカラオケがある。もっとも、彼の唄は郁乎さんのそれにも似て、がなり立てるのみ。ひとには叫声としか聞こえないのだが、全身を振るわせての熱唱にみなは圧倒される。阿鼻叫喚の巷を表現する第一人者とでも言っておこうか。これは既に巧いとか下手とかいう問題を超えている。文学同様、歌にあっても彼に手抜きは許されないのである。久しぶりに彼の唄が聴きたくなった。明日はお共させていただこうか。


2007年11月14日

ナベサン文学散歩の会  | 一考   

第21回ナベサン文学散歩の会

急ですが、ナベサン文学散歩07年11月は18日(今度の日曜日)です。
集合時間は14:00
集合場所はJR総武線「飯田橋駅ホーム」御茶ノ水寄り。
案内者は芳賀さん。
健脚向き長距離ですが、最後は「プレ・オープン中」の「ですぺら」で打上。
日曜日でお休みのところ一考さんは5時には開けてくれるそうです。ちなみに新
デスペラのオープニングは23日と。
参加者の人数把握のため16日までに返事を下さい。(世話人渡辺ナオ)

コースは以下の通り。
[外濠をあるく]飯田橋・歩道橋・船河原橋→神楽河岸公園→牛込見附跡→外濠土手→
新見附橋→
市谷見附跡→南北線市ヶ谷駅江戸城歴史コーナー→市谷八幡→長延寺谷跡→外濠
公園→四谷見附跡→外濠土手→尾張徳川屋敷跡→喰違見附跡→紀伊国坂→赤坂見
附跡→赤坂プリンスホテル旧館前→清水谷公園→弁慶橋→赤坂見附駅(→ですぺ
ら)

ゴールデン街の飲み屋「ナベサン」恒例の文学散歩です。案内者は地図出版の之潮(コレジオ)の芳賀さん。参加をご希望の方は一考まで連絡をください。


2007年11月13日

自在力  | 一考   

 店に飾った吉岡実さんの詩に「来てみれば秋 ここは落雁の見える 寂しい水の上の光景」がある。飛び立つ鳥ではなく舞い降りる鳥、行き場を喪った苛しいやるせなさがここにはある。先日、落魄と魚卵について書いたが、あれはそっくりそのまま吉岡さんの詩の、そして死のモチーフでもあった。
 かつては大槻鉄男さんを懐うて涙したが、近頃は理由もなく泣き出すことが多くなった。さなくとも夥しい先達を友を喪ってしまった。今や、生き残りを数えるが易くなった。

 ですぺらが再開されてから一日一食が続く。自宅での朝飯か、それを逃すと松屋での牛丼。そもそも料理人の沽券にかかわるとしてファーストフードの店は敬遠していた。抵抗がなくなったのは四国でマクドナルドへ入ってからである。これが滅法旨かったと記憶する。それからあとは雪崩れ式で、沽券などという見体(みてくれ)を構う要はなくなった。赤坂の松屋で牛丼を頬張る横須賀さんを想い起こす。そういえば、彼も一日一食をきまりとしていたようである。もっとも、彼は調法の心得あり。蛸、藻屑蟹、鮟鱇などを買ってきて手料理で持て成すのも屡々だった。
 松山でのファーストフード店初体験は四十路を超えてのはなし。爾来私はみさおを見失うが、これは大きな影響を及ぼした。沽券に限らず、ありとある見てくれからの解放を私にもたらした。見てくれからの解放とはアナロジーの活性化を意味する。
 他人の目に立つような言動や服装、もしくは自己主張の顕れとしての見体、見栄、外見、見かけ、見場、体裁を構う、まるでそれが人の値打ちや品格の証明であるかのように。要するに、大した意味もなくひとは刷り込みに汚染される。そして最大の誤謬は「見られている」との意識である。言い換えれば、ひとは皆「見られてい」そして誰も見ていない、見ているのは自分だけ・・・と言った自意識の検証ではなく、それらを一挙に跳びこえるのがアナロジーである。特定のものになろうとするよりも何ものにでもなりうる、そうした自由を手に入れたのである。これは一種の八方番で自在継手のようなものと思っていただいて不具合はない。
 時として、ひとは秋になり、落雁になり、そして水に成り代わる。この自在力についてはまた。


オープニング  | 一考   

 六月二十二日で閉鎖を余儀なくされた「ですぺら」ですが、この度、おなじ赤坂でモルト・ウィスキー専門店として再開することになりました。コンクリートで囲まれた小さな窩主のような店で、小村雪岱から西脇順三郎、永田耕衣、吉岡実などの書や色紙に飾られた空間です。前店同様、ご贔屓のほど、どうかよろしくお願い致します。
 店はすでに細々と営業をはじめておりますが、オープニングは十一月二十三日金曜日、午後四時から十時です。
 赤坂見附から徒歩二分、青山通りからみすじ通りへ入って五軒目、白木屋の向かえです。もしくは赤坂見附のべルビー赤坂口を出て真ん前の田町通りを右へ、坐和民が入っている扇屋ビルを抜けると目の前が白木屋です。こちらだと所要時間は一分。
 前の店より一筋、見附の駅に近くなります。見附へ近くとは申せ、この一劃はひとけも疎らで喧噪から取り残されて、まるでゴーストタウンです。赤坂の北端に位置し、青山通りを挿んでサントリーのビルがあります。

 ですぺら  渡辺一考
 東京都港区赤坂三丁目九の一五 第2クワムラビル三階
 ☎〇三‐三五八四‐四五六六


風邪  | 一考   

 風邪をひいたので店はお休みです。こればっかりはどうにもなりません。
 プレオープンなので、お客さまは掲示板をご覧になった方だけ、風邪を移したくないので、くれぐれもよろしくお願い致します。
 カタログの整理があって店へは行きますが、どうかよろしく。

 いつぞや、黒木書店の息子のことを書いた。そのことについて天牛書店の天牛高志さんから店へ電話があった。「あいつ、あんな奴やったけど、いいとこもあった。書いてくれてありがとう」ただそれだけの電話だった。気持は痛いほど分かる、思わず目頭が熱くなった。
 彼と高志さんとのかかわりの一端を知っている。黒木にとって高志さんは唯一の相談相手だったに違いない。父親との軋轢のなかで、ともすれば挫けそうになる黒木をいかように支えてくださったのか、涙した理由である。


2007年11月10日

電車通勤  | 一考   

 今晩はフクさんが上京なさるとか、ちょいと一緒に飲もうかと思案中。今宵はバイクをやめて私は電車で通勤しましょう。


魚卵再訪  | 一考   

 河崎徹さんと勝井隆則さんからイワナの魚卵が送られてきた。「年寄り向きの薄味にしましたので一週間ぐらいで食べてください。お宅の店に来るイヤな客に沢山食べさせてください(コレステロール値が多くなる)」との添え状あり、「年寄り向き」には丁寧にアンダーラインが引かれている。河崎さんらしい悪意の一端が垣間見られて頬笑ましい。石川の友の変わらぬ高誼に厚い感謝を申し上げる。
 「青息、吐息、風の息、夢裡のですぺらへ恒例の供物です」とは勝井さんこと金沢落魄小僧の弁。事常に頓挫して失望落魄を繰り返す日々への、これはさらなるだめ押しである。
 さるにても、落魄とか零落ほど麗しい言葉があろうか。一刻一刻、滅びが近づいてくる。存在は新陳代謝と口にする時の沙を食むような寂しさ、そして口に残る味気ない異物感。目には視て手には取られぬその距離、その失意にいとおしさを覚える。
 白居易に「門前冷落鞍馬稀」とある。客を鞍馬に見立てればですぺらの光景が顕れる。さて、イワナ好きの鞍馬にはこの一週間がチャンスである。酔いなくて、魚卵がなくていかに生きられようか。


2007年11月08日

看板  | 一考   

 常連の水谷さんの紹介によって十七日に看板ができあがる。持つべきは友か常連か、ただただ感謝である。いよいよオープンが近づいてきた。
 一昨日は七日目にしてはや坊主、このままではやってられない。一刻も早くですぺら再開をひとに知らさねばならない。私の友人はこぞって電脳には弱い、やはり手紙を書かないと効果がない。二十三日の金曜日にはグランドオープンが可能か。

 ミュリエル、ブラックストン、ボルクムリーフ、キースなどをこのところ嗜んでいる。それぞれにいろんな種類があって心地よい。と言ってもなんのことやら、判じかねるだろう。シート・タイプの葉巻である。キースのスリムを偶然に購入したのがはじまりで、爾来嵌まってしまった。普通の紙巻き煙草と値が変わらないので、毎日あれこれ試している。キースにもいろいろあってキーススリムにも各種ある。単にキーススリムというのが私のもっかのお気に入りである。
 どうして値が変わらないのか不思議だが、考えてみれば値のあらかたは税金である。わが国で二百八十円の煙草がニューヨークでは七百円だそうである。同じ値段ならよりヘビーな葉巻を吸うにしくはない。例え千円になったとて私は喫む、本数は減るだろうが。
 三筋通りにシガーバーがあって、さまざまな葉巻が売られている。こちらはシートではなくナチュラルな葉で巻かれている。さすがに高いものが多く、私の小遣いでは手が出ない。ミネラルウォーター同様、上にはうえがある。当節流行りの千二百円の水など、置きたくても店には置かれない。


2007年11月06日

据置  | 一考   

 代価について訊かれるが、値はほんの一部のウィスキーを除いて変えていない。値上げはカリラのカスク・ストレングスやアードベッグである。店を閉めていた四箇月のあいだにユーロは騰がりつづけ、モルト・ウィスキーは随分と高くなった。手持ちのウィスキーは構わないが、新規購入のボトルの値上げはやむを得ない。閉店前の五月の掲示板でも書いたが、なかにはアードベッグのように倍以上の高値になったものもある。もっとも、グレン・モーレンジ社が買収した時から樽売りがなくなり、アードベッグが高値で安定するのは分かっていた。それにしても、1975や1977が四万円から九万円とは何事かと思う。
 かつては一万五千円を超えるボトルには手を出さないでいた。この価格帯にはレアモルトが含まれるからである。しかし、そのレアモルトがなくなってそうも言っておられなくなった。今は二万五千円にまで購入価格を引き上げた。その分、売値が高いウィスキーが多くなるのは致し方がない。
 それとビールの値上げが続く。白生が四十円の値上がりで、旧ですぺらでは据え置いたが、今回は百円の値上げである。その替わりにサントリーのプレミアム・モルトを置く。開店には瓶を用いたが、やがて罐に切り換える。瓶の回収が面倒だからである。自宅と店との往復はバイク、可能な限り荷物は減らせたい。

 今日から店の飾り付けをはじめた。来週の月曜日には完成するが、小村雪岱から西脇順三郎、永田耕衣、高柳重信、赤尾兜子、三橋敏雄、吉岡実、塚本邦雄、種村季弘などの書や色紙などの小品である。前の店からの念願だったが叶わなかった。その理由は額縁を購う金数に不自由していたからである。今回はちょいと私の趣味を吐露させていただく。
 趣味性と言えば、今置いている水は微発泡の硬度1677瓱の硬水である。イタリアはサレルノの天然水で、加熱殺菌処理されたわが邦のミネラルウォーターと比して味、癖ともにすこぶる強い。さりながら、モルト・ウィスキーには似合うと思っている。わが邦のミネラルウォーターも置いているので、お試しいただければ幸いである。サレルノの天然水は五万円分買ってきたので、一箇月は持つ。


2007年11月02日

営業中  | 一考   

 明日の土曜日は祭日のようですが、赤坂に用事があって店は開けます。どうかよろしく。


雑炊  | 一考   

 今日、そばの実雑炊が到着。到着はよろしいが、何時になったら作られるのやら。そんなことを言っていてもはじまらないので、取り敢えず二人前のみ作ろうと思う。人体実験を希望される志の篤い方はお越しください。


身も蓋も  | 一考   

 ガスが開通、冷凍庫を購入すれば調理が可能になる。家の冷凍庫で眠っている食材を利用するには他に方法はない。一方、看板が高いのでどうしようかと倦ねている。看板なしでの営業は成り立ちがたい。冷凍庫か看板か、どちらを先にすべきか悩ましい限りである。
 週初めは帰宅後、ピザを焼かんとするもトースターにそのまま、風呂も沸騰させてしまった。朝のゴミ捨ても打棄つのまま、耄けたように眠る。拙宅が松山亭に似てくるのもご愛敬、もっともそうしたハチャメチャな生活には慣れている。否、慣れているのではなく、そうあらねばならぬと思う。生活に限らないが、ひとさまにお見せするために生きているのではない。自らが生きたいように生きる、結果は明白で諸事万端不義理ばかりが募る。掲示板にしてからが、結果としてひとが見るのであろうが、その功能を期待してのはなしではない。第一にひとが見ると言うが、何処のどなたがご覧になるのか皆目見当も付かない。見当が付くのはこの一週間に来てくださるごく僅かな方のみ。
 明石から高麗苑の店主高野さんが来店。明石ではやまちゃんが閉店、来住さんも今月の十七日で閉店する。来住のご主人は宝塚の老舗、割烹旅館若水へ移籍なさる。たしか若水は十年ほど前に「ホテル若水」と号を換えたように記憶する。
 ですぺらの西明石時代は彼等と共にあった。とにかくよく飲みよく語った。当地の「かさね」同様、私は割烹の主人とはすぐ親しくなる。プロの料理人は秘密を持たない、調法はべらべら喋るのが常である。喋ったからといって同じものは作られない。微妙な差違は舌が決める、その舌に自信があるからである。舌なら私にも自信がある。もっとも、私のそれは作る方ではなくて味わう側である。
 高野さんと赤坂の焼き肉屋へ赴く。焼き肉はやはり在日の文化であり、しかも関西のものと改めて識る。改めてと書いたのは、かつて店の裏メニューでギアラ、あかせん、てっちゃん等を置いた、理由は赤坂のそれに納得が行かなかったからである。直腸との連結部位のような良いてっちゃんなら卸しでグラム七百円、売値が千円を下ることはない。てっちゃんはてっちゃんであって、こてっちゃんではない。それが解らないひとに焼き肉を語る資格はない。
 赤坂の焼き肉はただただ不味い。鮨と同じで、過当競争がわざわいしている。安価で出すために関西なら使わない部位を用いる。鮨にせよ焼き肉にせよ、一人前一万円以下なら食さないに限る。まずイメージが狂う、第二に悔いを残す。悔いの残らない人生などないが、食べ物は人生ではない。金がなければ食さないまでのはなしであって、安物や贋物で間に合わせるような器用さは私にはない。この消息は酒にあっても同じである。
 今回入ったビルに同居する割烹は一人前二、三万円はする。さなきだに不味いもののみ多かりき日常に対する、これはひとつの識見である。雰囲気をのみ味わうならランチタイムに行けば良い。

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