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2011年06月 アーカイブ


2011年06月30日

歯科医  | 一考   

 「奥歯がぼろぼろと欠けてゆく」と月初めに書いた。何時までも捨て置くわけにいかず、透析を終えてから歯医者へ行く、病院の梯子である。拙宅の近所だが、若くて良さそうな医者に思われる。
 麻酔は極端に少なくしてもらった。効けばよいので、それ以上は無用である。化膿止めと痛み止めを頂戴したが、痛み止めを飲むことはあるまい。薬に関しては腎不全であることを何度も説明した。例えば胃薬のようにアルミニウムが這入った薬剤は服用できない。腎臓が機能していないので、排出できないからである。
 レントゲンを撮って、取敢えず奥の二本を修理しようということになった。歯の形の四分の一ほど残っている。当然抜歯だと思っていたが、残すと云う。二分割した差し歯を作って奥と手前から差し込み接着剤で合わせるようである。わたしには修理方法が皆目分からないが、分かる必要もあるまい。わたしごときに理解できない新しい技術が開発されたのであろう。だから若い医師は素晴らしい。もっとも、二、三年もてばそれで良いのだが。
 ただ、歯医者は時間が掛かる。いつぞやの野戦病院のようには行かない。透析に合わせて暫く通わなくては。


2011年06月29日

菊芋  | 一考   

 菊芋を買ってきた。サラダオイルで炒め、牛肉、人参、いんげん、菎蒻などを入れて煮る。菊芋が柔らかくなったら、醤油と味醂、塩、胡椒で肉じゃが風に味付け。他に短冊切りにして金平牛蒡風、スライスしてサラダもしくは天麩羅など食べ方はご随意に。
 菊芋は知ってはいたが、調理したのははじめて。形はワサビかショウガのそれだが、食感は蓮根に近い。それ故、金平牛蒡風がもっとも旨く感じられた。材料は肉じゃが風と同じだが薄切りにする。仕上げには胡麻や唐辛子の輪切りが良く似合う。
 通常の芋類と異なり、デンプンはほとんど含まれない。主成分のイヌリン〈ノンカロリーの糖質〉は消化によってオリゴ糖の一種キクイモオリゴ糖(イヌロオリゴ糖)となるため、血糖値をあげず、健康食品として扱われる。
 芋なので、カリウム、ナトリウム、マグネシウム、カルシウム、リン、亜鉛、セレン等を含み、ポリフェノールの含有量が高い。「菊芋は天然のインスリン」と云われるだけあって、1型糖尿病に効果があるそうである。
 しゃきしゃき感を残した方が美味。近所のスーパーでは二百グラム、百五十円で売っている。


2011年06月28日

レナジェル最後の在庫  | 一考   

 透析中は眠っている。もっとも血圧測定その他で頻繁に起こされるが。土曜日は「渡辺さん」との声で目が覚めた。いつもは通り過ぎる栄養士が書類を持って座り込んでいる。案の定、高リン血症についてである。日々の食事の内容と量について語る。
 飯は低蛋白米でなく、通常の無洗米である。四合ほど炊いて140グラムにラップで小分けしている。週に二回ほど焼肉も食べているが、80から100グラム内に収めている。副食は総じて120から160グラム。一日二食、600グラムが二日で1200グラム。結果600グラムほどの除水になって体重は静止している。
 尿素窒素が低いのでもう少し量を増やそうと思うが、増やせばリンがさらに過剰になる。蛋白とリンは別物として認識できない。
 透析がはじまってから塩分、尿酸(ナトリウム、カリウム、尿酸、マグネシウム)と蛋白、コレステロール、糖(総蛋白、アルプミン、コレステロール、中性脂肪、血糖)に関しては異常は出ていない。ちなみに、カリメートと降圧剤は服用していない。要するに食事療法は完璧に効いている。
 にもかかわらず、高リン血症に陥った。栄養士と看護師はわたしの食生活の内容を知っている。知っているがゆえに、二箇月のあいだリンが高くなっても黙っていた。私自身、食事に落度があるとは思っていない。すべては薬の(塩酸セベラマー)のせいである。
 自己診断では食事を一日三回に振り分け、レナジェルを四錠ずつ計十二錠に増加する、である。土曜日は看護師と栄養士が一緒になって医師に抗議してくださった。おかげでレナジェルの処方箋が変わった。透析病院の回診医師はアルバイトなので変化を嫌がる、自分で判断するのを嫌がるのである。そこで、一番若い医師のときを狙っての作戦だった。
 その日のうちに、最後(追加分)のレナジェルを持って薬剤師がにこにこ笑いながらやって来た。「これで一箇月待ってください、リンは必ず下がりますから」と嬉しいのはわたしの方である。
 回診がないクリニックもあって、医師が来るだけでもましなのだが、小回りが利かないのは問題である。ドライウェイトにしても頻繁に動かして良いと思うのだが、失神でもしない限り当方の云うことは聞いて貰えそうにない。ならば些か無茶をしてでも現在のドライウェイトを守り続ける方が無難なのである。

追記
 以上は土曜日のはなし。今日は別の医師、「誰だ、処方箋を変えたのは」の一言で元に戻った。元に戻るどころでない、セベラマー二錠に減らされてしまった。レナジェルは八錠で2000ミリグラム、セベラマーは二錠で1600ミリグラムである。
 たかが薬のことで喧嘩をする気はない。途中から黙ってしまった。なるようになるのだろう。


2011年06月27日

猫の手  | 一考   

 明石から二組の客がきた。一組は隆さんの友人のようだが、もう一組はですぺら西明石店を手伝ってくださった愛子さんである。十一時に店を閉めて久しぶりにナベサンへ行く。明石を離れて十年余、彼女にもさまざまなことがあったようである。
 人は繰り返し疵を負いながら生きる、従って当たり前のことだが、彼女も子連れになった。子供が疵だとは云っていない。疵とはこころの問題であって、子供をつくる過程で彼女の内面に生じる疵である。子はそういったことに無頓着に生れそして育つ、ある歳までは。
 のっけに面接した時のことを云われた。店の表に「猫の手募集」と書いていた。わたしは覚えていないが、愛子さんによると五、六人の猫の手が店内にいらしたそうな。そして彼女は履歴書を持ってきたようだが、わたしはそのようなものを読みはしない。それどころか、名前すら覚えない、必要があればそのうち覚えるからである。その証拠に愛子さん以外の名前をわたしは覚えていない。
 当時、彼女は女子大生だった。二年ほど経て、彼女は就職試験を受けたが、その会社に君が居ようが居まいが会社は存続する。ですぺらのホールは君が居なくなればどうなるのかね、と云ったらしい。慎にもって勝手なはなしだが、彼女はですぺらを選択してくださった。おかげでですぺらの営業は続いた。それが良かったか悪かったかは書かない。彼女にとっては悪いに決まっているからである。ですぺらは食堂だったので、とにかく忙しかった。やがて彼女はあしらいを覚え、厨房に欠かせない存在となる。
 わたしは毎日酒を嗜んでいた。飲み出すとウィスキーなら一本は空けていた。よって毎日泥酔運転だった。愛子さんはそうしたわたしの滅茶苦茶な性格をよく心得ている。ある日、神戸の三ノ宮へ飲みに出掛けた。一軒目で二本目のボトルを開けたまでは覚えているが、後は定かでない。明石への帰り道、高速道路がどこまでも畝ってい、地球は丸いものだと実感させられたのを覚えている。同乗するにさぞかし勇気が必要だったと思うのだが。
 彼女に云わせるとわたしには透析を楽しんでいるかのような風情があるそうな。楽しんではいないが、悲しんでもいない。あるがまま受け容れているだけである。ごくたまに面倒と思うこともあるが、命が掛かっているので手抜きはできない。ただ、自殺の心配はもっかのところない。わたしは先行きは考えないようにして生きてきた。なるようにしかならないからである。能転気なところなきにしもあらずだが、楽天的なわけではない。その辺りの呼吸法のようなものを彼女に掻っ払って欲しかった。
 人生、猫の手で結構。ひとつの賓辞を自分に強いているとき、そんなときだけである、人生が輝いて見えるのは。

追記
 男女のいかんを問わず、主辞の大安売りには閉口する。ひとがなにを考えていようが、わたしの知ったことでない。私自身、わたしの主辞など信じていない。云った口の下から含羞や逡巡が押し寄せてくる。


立法  | 一考   

 神戸での経験だが、ボランティアが必要になるのは二、三年後から五年後である。そのためのサポートはなされているのだろうか。神戸や富山のボランティアグループが活躍なさっているが、あまりにもボランティア任せでないだろうか。
 経済界では電力の値上がりを懸念して、原発の存続を強調する。今回の事故に纏る費用を加えなくても、原発電力の価格は現在の十数倍との試算がある。使用済み燃料の処理や将来の廃炉の費用を加えてのはなしである。
 このような大事故があって原発は停止されるのが当然である。前述したように、停止に伴う電力不足に対応するための立法がなにひとつなされないのはどうしてか。法律を改正すれば電力不足は回避できるが、そのためには東電の解体、電力の自由化が必須条件である。例えば、ガス会社の自家発電を今の十倍にするに、インフラ費用は東電のそれをはるかに下回る。
 国外へ出られる大手企業は出るしかないだろう。国内の経済活動は根幹から変わらざるを得ない。将来を見据える経済人も政治家もわが国には見当たらない。
 五年後、十年後には原発被害者が顕在化する。広島同様の長期裁判が繰り返されることになる。そのための立法を手当しておくべきだと思うのだが。霞ヶ関も経済界も念頭にあるのは対症療法のみ。対症療法とは申せ、決して適切な処置ではない。


2011年06月25日

震災復旧  | 一考   

 ある金融関係者が、今回の大震災と阪神淡路の違いを指摘する。「阪神淡路のときは家屋は壊れたけれども、仕事は残っていた。今回は、職場そのものまで失った人たちが大勢いる」。確かに自助努力を求めるには、あまりに事態は深刻である。
 為事が「なくなった」30.2パーセント、「減った」と応えた方36.9パーセント、人口にして十一万人。阪神淡路大震災の際は失職乃至離職した人は十万人、率にして3.6パーセントである。ちなみに罹災後、神戸を離れた人口も十万人だった。そして、自宅または工場や商店の再建による二重ローンを抱えた被災者は一万人を超えた。東日本の場合は車や漁船といった生活手段がそれに加わる。糅てて加えて福島である。

 電気がほぼ復旧したのは、阪神淡路が震災から六日後の一月二十三日、これに対して東日本は二十日後の三月三十一日で、約十七万戸が停電したままだった。もっとも、神戸の場合も全面復旧に電気は一箇月、水道は三箇月掛かっている。今回は四箇月目に入った現在、水道とガスは目処さえつかない町村がある。瓦礫の処理に兆単位の予算が必要だが、こちらの目処も立たない。

 自民、公明、みんな、たちあがれ日本、新党改革の野党五党は二十一日、福島第一原発事故の被害者への賠償金を東京電力に代わって国が仮払いし、生活再建を支援する「原子力事故被害緊急措置法案」を参院に共同提出した。東電が支払うべき損害賠償額の半分以上を国がまず支払い、後で東電に請求する内容だが、これから審議に這入る。法案山積でどうにもなるまい。


2011年06月24日

「父がいなくなった時」  | 一考   

 北九州市子どもノンフィクション文学賞というのがあって、佐木隆三さんが中心になって審査をしている。第二回の最終審査会は二月二十五日、小倉北区のホテルで行われた。全国・海外から934(中学生の部)の応募があり、中学生の部の大賞を「父がいなくなった時」が受賞。受賞者は梅光学院中学校三年生の江原千花さんだった。入賞作品の表彰式は北九州芸術劇場で三月二十八日に催された。
 梅光学院の中学三年生は同文学賞に全員応募することを目標にしている。今年は江原さんの大賞はじめ、佳作に垣田紗幸さんの「私の夏休み」、そして学校団体賞(中学校の部)のトリプル受賞だった。
 受賞作品は冊子にまとめて全国の図書館に送られる、そちらでお読み頂きたい。中学二年生の秋、突然消息を絶った父が遺体で見つかるまでの出来事や心情を描いた傑作と佐木隆三さんは激賞する。久しぶりの天才児の出現を思わせる。
、遺体の「腐敗のにおいが、ぎんなんの香りとそっくりなこと。(中略)ぎんなんの香りでいっぱいの十月の道は、通る度にあの日のことを思い出させた。他の人はそんなこと知らないだろうなと思いながら、その道はなるべくゆっくり通るようにした。決して良い思い出ではないのだけれど、少しでもパパを感じていたいと思うと、そうなった。自分でも、よくわからない行動だと思う。」
 江原千花さんには異なる話題もあるが、わたしはそちらに興味がない。


2011年06月23日

レナジェル不足  | 一考   

 米国ジェンザイム社のセベラマー塩酸塩錠に変わったのは良いが、やはり量が十分には行き渡らないようである。わたしの服用量も減らされてしまった。高リン血症は当分続きそうである。主治医に問い合わせたが、川口の薬局でも新規の入手は無理だそうである。
 血清リンの正常値は2.5〜4.5mg/dl、値が5.0mg/dl以上に上昇した場合を高リン血症という。手指が引き攣ったり、唇の痺れなどがおこる。捨て置くと、血管に石灰化が起こり、心筋梗塞や脳梗塞の危険性が高まる。それよりも、骨の劣化や変形が嫌なのである。長期透析患者はことごとく足の骨が変形し跛を引いている。
 今回の品不足は中外のレナジェル、キリンのフォスブロック(名称は異なるが同じ薬)共に委託製造会社の被災によるものだが、考えてみれば心許ない薬である。2003年6月から販売された新薬で、特許があってジェネリック薬品はない。検索したところ、九月末には元に戻るようである。
 クリニックで苦言を呈したところ、取敢えずアルファロール〈ビタミンD〉を頂戴したが、これでは解決にならない。

追記
 他のリン吸着剤としてバイエル薬品のフォスレノール(炭酸ランタン)がある。昨今、中国の輸出規制で問題になったレアアースが原料の一部に用いられている。


2011年06月22日

脱原発  | 一考   

 瓢箪から駒は出ずとも涙は眼から出で灰吹から蛇は出ずとも間違ひは欲から出る。権勢欲も極まれり、今回も菅首相の作戦勝ちである。辞める気はさらさらないように見受けられる。震災をここまで人質に取り込まれては為す術はあるまい。
 然り乍ら、瓢箪から駒でも良いから脱原発を称えないだろうか。大阪の橋下知事は脱原発、滋賀の嘉田知事は卒原発を表明した。前項で記したように、原発から脱却しようとすれば、夥しい数の新規法律が必要になる。そうでなければ広域停電は避けられない。現在の大臣の過多は反対するだろう、むろん政党もである。菅自身、原発を五十パーセントにまで拡大すると、三月十二日の東京電力福島原発爆発までは宣っていた。爆発が彼を変えたのなら結構、彼の欲がそれをさせたのなら猶のこと結構である。事情は問わない、日本中の原発が廃炉になるなら菅万歳なのだが。


2011年06月21日

レナジェル  | 一考   

 汗をかく季節になった。透析が功を奏し、わたしにも体臭が戻った。腋の下を手の平で拭い、匂いを嗅ぐ。この二年間、遠のいていた匂いである。それにしても、汗と高リン血症が相俟って背中が痒い。主治医に処方箋を書いていただこうかと思う。食べ物同様、薬も自分で管理したいのだが。
 震災で委託製造会社が被災、レナジェルの安定供給に支障が生じていたが、米国ジェンザイム社からセベラマー塩酸塩錠800ミリグラム「G」が輸入されることになった。代用品となっているが、米国製が元の薬品である。有効成分は同じだが、添加物はまったく異なる。添加物として二酸化ケイ素、ステアリン酸、ヒプロメロース、ジアセチル化モノグリセリドが這入っているが、わたしにはなんのことやら。
 レナジェルは中外製薬とキリンビールの共同開発だが、当分のあいだ米国産セベラマーを処方せよとのこと。クリニックではわたしが最初だそうである。アルミニウムやカルシウムを含まないので、安心できる薬である。


原発  | 一考   

 政府の被災地支援は論外だが、菅首相が云う電力会社の発電部門と送配電部門の分離、風力や太陽光など再生可能エネルギー法案、原発の廃炉について国が責任を持つ新法などは、もし制定されれば画期的なものになる。
 東電の電力供給量はすこぶる恣意的なもので自家発電や揚水発電は含まれない。要するに原発を止める気はまったくないからであって、それは東電に限らず、経産省も民主党も自民党も同じである。経産省は六月中に新たな審議会を設置、原子力発電をエネルギー供給の「三本柱の一つとする」との方針を打ち出した。海江田が経産省の依頼で全国の原発再開を命じたのも、菅の主張に対する牽制であろう。
 東電の最大供給量は600万キロワットだが、民間の自家発電も600万キロワットほどある。それに細かい風力、太陽光、地熱などを入れれば、原発がなくても大丈夫だが、そのためには法律改正が必要になる。東電を解体するか、電力会社の発電部門と送配電部門の分離ができれば民間の発電を利用できるのだが、問題はその法律改正ができないところにある。
 原発が定期検査に入ったまま再稼働できないという状況にもっか陥っている。安全性について地元自治体の理解が得られないためで、このままでは来春にも国内五十四基の全原発が止まるかもしれない。そのような状況下で橋本府知事は海江田に猛反発し、石原都知事は核武装の必要を説く。原発はどこへ行くのだろうか。
 汚染された瓦礫の処理に関する法律すら出来ないのに、東電を解体するような法律が通るわけがない。マスコミが云うように菅首相は延命しか考えていないのか、それとも脱原発を本気で考えているのだろうか。

追記
 十一時過ぎの共同通信で、菅直人首相の退陣条件として公債発行特例法案と2011年度第二次補正予算案の成立を図ることで大筋合意した、とあった。結局はそのようなものか。


2011年06月20日

懐疑  | 一考   

 昨夜、伊波普猷や仲宗根政善の生涯を描いたETV特集を見ていて涙す。日本人なら標準語を遣えと命令され、沖縄方言を遣う者は米国の間諜とみなされ処刑された。旧軍部は朝鮮に於けるのと同様の振る舞いを沖縄でも続けた。それは戦後も長く続き、琉球大学の琉球文学に執筆した多くの学生は退学のやむなきに至った。琉球大学国文科の助手や学生など若者たちによるおもろ研究会(沖縄の万葉集と云われる)の発足が1968年。その学生たちによって細々と続けられた琉球方言研究クラブが中心になって沖縄言語研究センターが設立されたのが1978年。禁じられていた「しまくぅとば」が小学生に解放されるのは沖縄返還後、十数年を経てのこと。
 ちなみに、同じことをアイヌ民族相手に日本人は強いてきた。いづこの国も同じであろうが、日本の歴史も血で彩られている。日本語に恨みはないが、日本語を用いる国民、大衆には恨みを感じる。ひとは常に徒党を組む、数は権力を生み権威をもたらす。その権威は伝統や歴史の名でもって少数者の生命を簒奪する。日本の歴史もまた多民族の否定であり、異民族虐殺の歴史である。
 「国旗掲揚」で触れたことと消息は同じである。日本語や国旗そのものに罪があるわけでない。運用する側の心根に問題がある。特定の民族や社会、団体が長い歴史を通じて培い伝えてくるところのものは個とのあいだに齟齬を生む。その食い違いに常に身を晒しつづける精神的在り方があっての歴史であり、伝統だと思うのだが。


2011年06月18日

粘り腰  | 一考   

 「これは何なのか、見たことのない光景だ」西岡武夫が菅首相の意外な粘り腰について語った言葉である。辛坊治郎が「週刊朝日」で「発言する西岡参議院議長」について糞味噌に書いていた。参議院議長としての権威を貶めるとか議長としての中立性うんぬんだが、いずれにせよ、同氏の型破りの姿勢を揶揄してのはなしである。その西岡は尖閣問題や原発問題に対する政府の責任放棄を痛烈に非難する(ニコニコ生放送「山本一太の直滑降ストリーム」)。
 菅総理は一旦は「辞める」「退陣する」というニュアンスを醸し出して、不信任決議案に賛成しようと思っていた人たちを反対に回したとあるが、菅首相はニュアンスを匂わせただけで、辞めるとは一言も云っていない。わたしはそれを「取りも直さず菅首相の作戦勝ちである」と書いた。不見識と云えばそれまでだが、復興基本法も自民党と公明党の案を丸呑み、今回は「1.5次補正」を、さらには内角改造までも口にしだした。
 一昨夜幹郎さんと話していて、菅は総理の座にあって市民運動を、政治家を相手に抵抗運動を試みているとの発言があった。卓見であって、どうやら個に徹しているのは菅と思しき風情がある。菅にとっては与党も野党もない、要するに味方はいなくなった。従って、利用できるものはなんでも利用する。よって国会の延長も野党は断り切れなくなった。
 復興基本法案、第2次補正、3次補正予算の上程の他、電力会社の発電部門と送配電部門の分離検討を提起したと思えば、風力や太陽光など再生可能な自然エネルギーを基幹エネルギーに加える方針を表明、原発の廃炉について国が責任を持つ新法を検討するようである。菅首相を「延命学」の大家と名付けたのはみんなの党の渡辺喜美だが、それは今のところ有効である。
 菅の横紙破りは既に政治家のそれではない。戦略として西岡や小沢のそれをはるかに凌駕する。個に徹し、加えるに総理大臣である、怖いものはない。八月の頭「原爆の日」に「脱原発」を争点に解散、総選挙を打つやもしれぬ。頑固一徹、とんでもない市民活動家を抱え込んだものである。


2011年06月17日

災害関連死  | 一考   

 気仙沼で八十代の夫婦が無理心中した。妻を絞殺後、夫は電気コードで縊死。夫婦の自宅は東日本大震災の津波で損壊。妻は寝たきりで介護を必要とした。
 五月の自殺者数は岩手県三十二人、宮城県五十人、福島県六十八人。福島第一原発事故が収束しない福島県が十九人増えている。阪神大震災では地震発生後しばらくたってから高齢者の自殺が相次いだ。多くが仮設住宅で一人暮らしだった。
 津波で建物が全壊するなどして運営できなくなった高齢者施設が三県で約八十箇所に上り、入所していた高齢者約三千三百人が現在も他施設で避難生活を余儀なくされている。岩手で約五百人、宮城で約千二百人、福島で約千六百人。このうち認知症の患者数は四百から六百人とされる。環境の変化などで症状が悪化するケースが多く、施設再建への支援が求められる。被災した建物の多くは賃借物件なので再建に国の補助は受けられず、自治体にも支援の枠組みはない。
 詳述しないが、原発周辺の入所施設から避難した知的障害者の死亡が相次いでいる、こちらも同様である。


国旗掲揚  | 一考   

 国旗、国歌について囂しいが、どうして向きになるのだろうか。わたしは東山小学校の一期生だが、国旗掲揚係だった。誰よりも早く登校し、日曜、祭日を含めて無遅刻無欠勤を通した。当時は日教組が過半数を占め、苦虫を噛みつぶしている教師も多かったと思うが、直接なにかを云われたことは一度もない。国語の教師からやってくれるかと頼まれ、好きな教師だったので気楽に引き受けた。教師一般に対する反抗心があったのかもしれない。
 国旗、国歌に対しては多少の思い入れがあるが、オリンピックや国体で国旗を打ち振る趣味はまったくない。個として国旗、国歌にお付き合いしたまでである。従って、公務員〈教員〉が反対する理由がわたしには分からない。先般の戦争にしたところで、一握りの戦犯が起こしたものと思っていない、国民の支持があればこそであって、どちらかと云えば、わたしは日本の国民をこそ憎んでいる。議会制ないしは政党制を支持しなくなったのは大衆であって、その大衆の支持を得て台頭してきたのが軍部でなかったのか。消息はワイマール体制下のナチスと同じである。
 繰り返すが、わたしが信じるのは個のみ。国民とか大衆とか世論などと云うものは眼中にない。


2011年06月16日

魚屋  | 一考   

 震災のせいで、このところ魚が極端に廉い。鮪の値が下がっているのは周知だが、その他の高級魚も例外でない。ヒラメ(四十糎、890円)、カレイ(680円)、マダイ(980円)、クロダイ(880円)、イシダイ(1200円)、カワハギ(290円)、メバル(580円)、イサキ(320円)。ヒラメ以外は三十糎ほどの刺身用、立派な魚体である。目下一尺の魚は刺身にして八人前以上ある。一人では食べられないので、購入は控えた。
 ちなみに、国内産本鮪の大トロがグラム510円、中トロが390円である。百円寿司で朝網や昼網のヒラメやイシダイが扱えるとは信じられない。ここまで値が下がれば、高級寿司店はどのように値を付けているのであろうか。
 ともあれ、値下がりによって代用魚の出番はなくなる。やはり、深海魚は深海魚として楽しみたいものである。


被曝  | 一考   

 透析中ニュースを見ていたのだが、郡山で小学生の鼻血が多発しているようである。沖縄の喜友名さんが原発で内部被爆し多発性骨髄腫で死亡、初の労災認定を受けたとの報道があった。家人によると風呂場で血の塊が鼻から噴き出たとあったが、やはり頻繁に鼻血が出たと証言している。病気を発症してからの一年は老人のようになってしまったとも。
 喜友名さんが被曝した線量は六年四箇月で99.76ミリシーベルト、年間15.8ミリシーベルトだった。東電の200ミリシーベルトと比して遙かに低い。原発に従事した労働者7829人中内部被曝量を測定したのは約1800人、なかには5.2ミリシーベルトで白血病を発症した人もいる。
 東電社員ならびに作業員の中から八人の被曝者が出た。放射線医学総合研究所の評価で三十代社員の被曝量は678ミリシーベルト、四十代社員は643ミリシーベルトと判明。新たに六人が250ミリシーベルトを超えた可能性があると厚労省が発表。また、双葉厚生病院の関係者三人が、除染後の検査でも高い放射線量の値を示したため、第二次被曝医療機関に搬送されていたことも判明した。
 放射性物質がピークだった三月に福島第一原発で作業していたのは3726人。そのうち内部被曝量が判明しているのは約六割の2367人。残る1359人の半分は検査すら受けていない。これから被曝者が続発する。前記、郡山の小学生は十年後にどうなるのだろうか。


2011年06月15日

「菫の花の片隅で」  | 一考   

 ルネ・ヴィヴィアン詩集「菫の花の片隅で」が彩流社から上梓された。訳者は中島淑恵さん、ですぺらのお客さんでもある。ヴィヴィアンについてわたしは書くべき資格を持たない。そこで腰巻きの文章をまるごと引用する。

 同性愛者として知られ、フランス象徴派詩人のマドンナともいうべきルネ・ヴィヴィアン〈1877-1909〉の遺稿詩集本邦初訳。

 曽根元吉さんからルネ・ヴィヴィアンの名はよく聞かされた。新しくは土屋さんからも夭折した彼女の詩文について聞かされた。巻頭の詩を一篇、紹介する。

  菫の加護のもとに

 我置かん、菫の加護のもとに
 いとも慎ましく物言わぬ敬いを
 おお、汝ら、菫よ。

 香りの枝に長けて、かの声、
 かの褐色の長い眼差しを呼び起こす汝ら、
 その香りの力強さよ。

 汝らを愛する女の叫びを聞き入れたまえ
 かくして我が生と我が詩とを薫らせたまえ
 我が汝らを愛するのを知って。

 我百合に倦み、薔薇にも疲れぬ。
 その気高さ光輝にも、花咲ける瑞々しさにも、
 かの大いなる百合や、薔薇の全き麗しさに我は倦めり。

 汝らの香気は日暮れどき闇の中に募る。
 菫よ、おお、胸塞ぐ甘美なる花よ、
 夕べの菫よ。


深海魚  | 一考   

 毎年車で北海道へ旅をしていた時期があった。その往き来、日本海側を走る時は山形、秋田の蕎麦を、太平洋側のときは漁港廻りで鮨屋へ飛び込むのを常とした。同じ蕎麦屋、鮨屋へは二度と這入っていない、それほどに多肢に亙る選択が可能だった。
 いま思えばどこでなにを食したか、詳細を控えておくべきだったが、鮨屋で耳目を属したのは深海魚だった。掲示板1.0で何度か書いたが、それぞれの漁港にそれぞれの深海魚があって、わたしのように白身が好きな者には堪えられない。
 ところで、川内村から東へ下ると富岡だが、さすが原発の街だけあってアトムという回転寿司がある。芳賀さんとその命名に大笑いしたが、福井を中心に展開しているチェーン店で「鉄腕アトムのキャラクター使用許諾契約を結び」とあって原発とは関係ないようである。
 アトムは詰らない店だが、相馬から小名浜まで福井の漁港には必ず鮨屋があって、鮨屋のあるところには深海魚がいる。そして個々の深海魚はすこぶる旨い。それは福井に止まらない。八戸から三陸を経て亘理に至るまで、名物はいちご煮やはらこ飯だけではない。東北の珍味は深海にありと思っている。ただし、鮨屋の職人は深海魚について詳しく知らない、訊ねても無駄である。
 と云うよりも、この深海魚は偽装魚、代用魚というもうひとつの悪名を持っている。偽装魚とはアメリカナマズをヒラメ、ティラピアをマダイ、赤マンボウをキハダマグロ、アロツナスをカツオ、ウミヘビ科のマルアナゴをアナゴ、シルバーワレフをブリ、オヒョウをヒラメのエンガワ、スギをカンパチ、ナイルパーチ、ブラックバスをスズキ、ヒモダラをアイナメ、ロコ貝をアワビ、サルボウ貝を赤貝の類いである。
 伊豆半島を挿んで相模湾、駿河湾はカイワリをはじめとする各種アジ、シモフリハナアンコウをはじめとする鮟鱇各種が採れる。種村さんが好物だったアカヤガラやマトウダイの産地としても知られるが、深海魚と云うよりも地魚の鮨屋が沼津、戸田、土肥にはある。かね半は有名だが、ソコアマダイモドキ、げほう(トウジンとも、正式名称はソコダラ)、めぎす(ニギス)、とろぼっち(アオメエソ)、どんこ(エゾイソアイナメ)、ごそ(ハシキンメ)、赤かさご等を鮨ネタとして扱っている。
 東北にはそうした専門店はなく、鮨屋に飛び込んだときの偶然に合わせるしかないが、他にスミヤキ、オキギス、ヘリダラ、アブラボウズ、カナガシラ等を食した記憶がある。代用魚はともかく、深海魚は足が早い。運良く巡り会えたときはここぞとばかりに註文する。鮨屋の多くは漁港に寄り添ってある。今回の震災で潰滅したと思う。生きているあいだに深海魚と二度と出遭えそうにない。


2011年06月13日

旧象の牙  | 一考   

 地震、津波、原発が複雑に絡み合っているので今回の震災については書きにくい。地震と津波に関しては被災者即被害者なのだが、原発は災害ではない。原発を是認し、認容し、原発と共に生きてきたことにおいて、日本人は加害者である。例え原発から被害を受けていても、やはり加害者であるに違いない。
 廃炉はおろか、使用済み核燃料の処理方法すら未定のまま原発の運営は続けられている。原発は過度的な存在であると同時に過度適応の好例であろう。正常運転の廃炉であっても二十年以上の歳月が掛かり、廃炉できても使用済み核燃料の処理に数兆円を必要とする。全国の原発では国家予算の数年分の費用が掛かる。そうしたことを先送りにしてのコスト計算である。
 日本で大規模な原発反対運動が起きないのは、地域が政府や電気事業者から支出される補助金や公共事業に依存しているからである。敦賀市長の公開質問状に対して大阪府知事は「立地地域の経済や雇用のために原発を維持するのは本末顛倒だ」と反論している。どう考えても大阪府知事の方が正論だと思うが、わが国ではその本末顛倒が罷り通ってきた。
 わが国のように言論の自由が保障され、政治家が民主的に選ばれる国において、政府は国民の鏡のような存在である。明日よりも現在の利益、理念なき近視眼的な利益配分にしか目が行かないのが国民ならば、政府も近視眼的にならざるを得ない。一年ごとに首相が交代するのは世論の賜物である。
 日本という国は何をするにも行き当たりばったりである。台湾の植民地化から朝鮮併合、満州事変や支那事変から太平洋戦争に至るまで、日本人は遣りたい放題で、反省もなければ責任を取ったことすらない。一握りの政治家もしくは軍人に責任を被せて、一般は頬被りである。頬被りならまだ良い、政府が駄目、軍人に責任があったとの大合唱である。日比谷焼打事件から今に至るまで日本国民はなにひとつ変わっていない。
 低金利にもかかわらず、資産は銀行預金のみ、国が穴埋めしてくれない商品には目もくれない。どこかの航空会社や金融機関は国が救うのが当然と思っている。震災に遭えば国が個人の損失を補填するのが当たり前と思っている。
 世論調査で菅首相に辞める必要がないと応えた方が二十五パーセント、政治という詰め将棋はとっくに終わっている。しかし、いま握っている権力は手放したくない。そしてそれを支持する国民もしっかり存在する。これが日本の国民である。

追記
 非常事態ならば、党派を超えた政治が必要である。党籍を離れた政治家、枯れた政治家でなければ不可能である。小泉純一郎元首相と党員資格停止中の小沢一郎の組み合わせなどぴったりだと思うのだが。


2011年06月11日

蔵書  | 一考   

 遠くでドーンと音が聞こえる。ゴォーと低い唸りが近づく。一秒か二秒の時間差、「来るぞ」と思いつつ搖れがはじまる。昨日、地震に見舞われた夢をみた。夢のなかの地震は東日本大震災の時のそれと同じで、大した搖れではなかった。小刻みな搖れで、阪神大震災のときのような暴力的なパワーはない。
 小倉さんが飲みにいらしたが、彼とのあいだには共通する友人が多い。で、その友人が東京で被災して困惑している。困惑どころでなく、泣き出してしまったとの話を聞かされて呆れ返った。それが理由で地震の夢を見たに違いない。家中の書物が滅茶苦茶になったらしいが、別に家が崩壊したわけでなく、身内が亡くなったわけでもない。書物が棚から飛び出したくらいで死ぬ思いであれば、神戸の蔵書家はみんな死んでいる。
 小倉さんはちょうど帰京時で、東京駅から吉祥寺まで歩いて帰ったようだが、それにしても道は歩けたわけである。神戸はビルの倒壊ないしは道路の陥没と隆起、ひび割れで主要道路はことごとく通行不能になった。
 神戸の家屋やビルの倒壊箇所は十万箇所を超えたが、二千五百の主要ビルに限っても、倒壊十七、大破二十五、解体五十六、補修二百十七棟だった。日本ではありえないとされていた中層階のパンケーキクラッシュが多数起こり、低層ビルでは一階の崩壊や、今まで日本では見られなかった建物が土台から切り離されての倒壊などの被害が出た。倒壊しないまでも、室内は冷蔵庫、箪笥、食器棚が倒れ、大型ブラウン管テレビが飛び跳ねた。アルミサッシのドアや窓のガラスも砕け散る。多くの被災者はそうした家具に挿まれて圧死した。
 旧いビルだから壊れた、一階が駐車場になっていて強度が足りず潰れた、屋根瓦が重くて倒壊した、土台と建物との結合に問題があった、そうした嘘が罷り通り、建築家は知ったかぶりの意見を吐露する。倒壊の理由は住民にしか判らない。木造家屋、低層ビル、高層ビル、道路の見境なく、断層に沿って一列に家屋は崩れる。
 阪神淡路大震災のときの瓦礫の総重量は約2000万トンと前項で書いた。東日本大震災で生じた瓦礫は2392万トン、加えるに岩手、宮城、福島、茨城四県に津波によって打ち上げられたヘドロの量が1000万から1600万トンと云われる。合わせて4000万トン近い瓦礫とヘドロが綯交ぜになって被災地を蔽っている。一旦緩急あれば、書物どころの話でない。物品から生命まで、所有欲は根底から覆される。何のための想像力なのか、少しは被災地のことを考えろと云いたい。早晩、東京も震度七の直下型に襲われる。前回のエネルギーの三千倍の地震である。


2011年06月10日

ゴールデンバット  | 一考   

 ゴールデンバットの販売再開は八月上旬だそうである。先日、烟草屋で確かめたが、最初は一ケースか二ケースのみ。通常に入荷するようになるのは九月まで待たなければならない。女主人は申し訳なさそうに、隠していた一ケースを頒けてくださった。
 このところ、本数は極端に減らしているが、それでも二日に一箱はなくなる。今月中にストックが尽きる。

 このところ掲示板に誤植が多く、一週間に一度は振り返って訂正している。お詫び申し上げる。


浄財  | 一考   

 全国から届いた浄財は「義援金配分委員会」で立てられた配分計画に基づいて被災者に届けられる。わたしは明石在だったのでまったく貰っていないが、神戸市内では死者一名につき十万円、損壊家屋一世帯につき十万円が配られた。即効性が求められているにもかかわらず、1788億円の義援金が行き渡るのに一年近くを要した。
 場所にもよるが、今回は一次分として既に三十五万円が手渡されたと聞く。五月末で2500億円を超える金数が日赤と中央共同募金会だけでも集まっている。従って、個人への手渡し分はその数倍になると予測される。
 他にも、同義援金や原発事故の損害賠償金は借金の差し押さえ対象から外すための法制度、企業や個人が生活再建のために新たな借金を抱える「二重ローン」を支援する措置、利子負担の軽減措置などが検討されている。

 神戸では両親を同時に喪った被災児童〈中学生〉に市が火葬費二十万円を請求して問題となったが、岩手県は震災後約二箇月間に遺族自らが行った分の葬儀費用を還付すると発表した。至矣尽矣の援助は良いのだが、自活したくないので仮設に罹災者が這入らないとか、援助物資でこと足れりとして地元の商店に客が来ないとか、阪神大震災の時には生じなかった問題が多々起きている。お上への依存心が高いのは地域性か、それとも日本人固有の政府への不満の裏返しか。

追記
 阪神淡路大震災と東日本大震災、火災と津波の違いがあって、同日に語られないのは云うまでもない。


2011年06月09日

瓦礫  | 一考   

 港湾、道路、橋梁、トンネルなどは全国どこのゼネコンであろうと為事はできる。ただし瓦礫(災害廃棄物)は一般廃棄物と同様に市町村が回収処理するよう定められている。要するに地方自治体の指定業者に限られるのである。今回のような大震災になると、業者それ自体が壊滅した市町村も多い。そこはひとつ超法規的に指定外の業者でも廃棄物を扱えるようにすべきである。その消息を前項で「目的は規制緩和」と書いた。
 阪神淡路大震災の折は東京ドーム約12.4杯分の瓦礫が出た。廃棄物の総重量は約二千万トン。四トンダンプ500万台分である。今回はそれを遥かに超える。
 津波は国内法に則ってやって来るのでない。だとすれば対応策も超法規的にならざるを得ない。もっとも、政令を出せば終わりなのだが、菅総理はそれを指示しない。そして八月までは総理を務めるそうである。確信犯なので手の出しようがない。それよりなにより、総理が辞めてもいないのに、民主党の次の候補選びの囂しさはどうしたことか。

 自民党が小沢と手を組んで谷垣総裁を首相にする。間不容髪、解散総選挙を打って小沢チルドレンを落選させる。あとは自民党の天下、との青写真を描いていたとのニュースが這入ってきた。一方で、菅総理は小沢を除名させるまでは辞めないとのニュースも這入ってきた。党員資格停止処分を受けている一兵卒がそこまで怖いとは不思議な国である。誰か永田町1丁目7−1に屯する瓦礫を処理するひとはいないのかしら。


病死  | 一考   

 阪神大震災での震災関連死は九百十九人。今回も高齢者の孤独死など関連死は数千人になると思われる。四月末で震災関連の病死は五百人を超えている。感染症、生活不活発病、静脈血栓塞栓症、肺炎、高血圧など徐々に慢性疾患に移ってきた。阪神大震災では仮設住宅で孤独死した病死者の死因の三割がアルコール依存からくる肝疾患だった。
 日本の人工透析患者は約二十九万人。今回、震災の被害が著しかった岩手、宮城、福島の三県には約一万二千人の透析患者がいた。北海道の避難住宅に入居を希望する者は少ないが、岩手と宮城の透析患者は多数避難している。東北からの透析患者の移動で関東圏の病院もほぼ満床になっている。
 現地の透析治療は今なお変則的である。通常四時間の治療が三時間に短縮された病院が過半数を占める。除水を短時間にすると血圧の急な低下、頭痛や吐き気などの不均衡症候群が起こる。尿毒素が抜けきれず、カリウムの数値も高くなり、肺水腫、不整脈、心不全、さらには死に繋がる。
 余談だが、東京で震度七クラスの地震が起きればどうなるのだろうかと思う。電気と水道が破断すれば透析はできなくなる。十日も止まれば十万人ほどの患者が死ぬ。それをカバーするだけの医療設備は関西にもない。全員で天皇陛下万歳と叫んで死ぬ他ないのである。


2011年06月08日

食欲  | 一考   

 除水が一キロになったのは二箇月ぶりである。二百、三百デシリットルがこれ以上続くとドライウェイトを下げると通告されていたので嬉しい。あまりの嬉しさにメバルを買ってきて刺身を造った。
 震災の影響で薬が手に入らなくなって高リン血症になった。高リン血症と云うことは低カルシウム血症でもある。要するに十箇月ほどのあいだ守ってきた身体のバランスが崩れてしまった。せめて体重だけは維持したいと思っていたが、まったく食欲がない。低リン酸血症は食欲不振を招くが、高リン血症と食欲は関係ないと思う。しかし、なぜか食べられなくて困っている。
 起床は七時半、朝飯は透析が終わった午後二時から三時のあいだ。為事を経て帰宅してから深夜の二時か三時に夜食を摂る。それがなぜか土曜日に少し食欲が湧いた、店の近くのコンビニでサンドイッチを買った。間食は数箇月ぶりである。ちなみに、金曜日は四粒の葡萄で腹が一杯になった。いっそ沈降炭酸カルシウムを服用しようかと思っている。
 日曜日はベランダに置いていた本箱や箪笥の解体に忙しく、食事らしい食事は摂らなかったが、なんとなく腹は空いていた。月曜日は朝飯に百六十グラムのハンバーグと百四十グラムの飯を喰った。肉は高リン高蛋白だが、とにかく食欲優先である。その甲斐あって久しぶりに食欲が戻ったような気がする。このまま、ドライウェイトを守れると良いのだが。


大政翼賛会  | 一考   

 主として民主党の仙谷由人代表代行がいろいろ画策しているようだが、大連立構想が紙面を賑わしている。この時期に大連立を口にするような政治家はそれだけでも失格である。政党政治の崩壊を政党人が望むとはこれ如何に。近衛文麿とその側近によって組織された官製国民統制組織をなんと心得ているのか。 政党政治を守るのが共産党と社民党とは皮肉である。二大政党制とは共産党と社民党のことだったのか、と問い質したくなる。
 ウォールストリート・ジャーナルは「国民世論が小沢氏を嫌っているのは紛れもない。ここでこの政治家の嫌疑について何らかの法的免責を与えれば大きな物議を醸すことは必定だ。しかし小沢氏が自民党と袂を分かつことになった彼の長年にわたる政治信条——利益供与型政治の改革へのたゆまぬ努力、官僚支配の打破——を考えると、その力は重要だ。もし小沢氏が民主、自民両党の改革支持勢力を束ねることができれば、小さな政府と経済成長の促進政策への国民的コンセンサスを形成することも可能になるかもしれない」と書いている。
 ここで云って置かなければならないのは、小沢のいう「官僚支配の打破」とは官僚の排除にあらず、官僚の行政への関与を極力排すとの意味合いである。目的は規制緩和にあって、菅のような官僚との闘い(闘いは癒着と同質の弁証)を意味するものでない。
 小沢にかくまで好意的な書き方をするのは流石外国のジャーナリズムである。日本のそれだと決してこうは書くまい。文中の要は「改革支持勢力を束ねる」にあって、単なる大連立でない。大連立を最初に口にしたのは小沢だが、彼の頭のなかにあるのは常に理念であり、利益供与などという打算は一切含まれない。
 素人の予想だが、大連立構想なるものは纏まるまいと思っている。纏まったところで、三箇月は持たないであろうことは必定。連立の画策が可能な政治家は小沢を除いて他にはいない。小沢に「壊し屋」との異名があるのは、彼の離合集散の中心には「常に理念」があるからである。ところが政治家の過多は利益供与を求める、それ故結果として離合集散の蹴り返しになる。ここが理解できなければ小沢を解することは不可能である。
 衆院で小沢グループが七十人前後、鳩山グループが三十人、合わせて百余名。新党を立ち上げる金はある。そうすれば、民主党は衆院で単独過半数を割り込む。小沢の新たな破壊と創造を願っている。

追記
 菅が消費税を十パーセントに上げると云う。マスコミは「欧州の消費税に比べれば、日本の税率は低い」と解説する。だが、欧州に消費税はない、あるのは付加価値税だ。インボイスと呼ばれる請求書を用い、払った税額を確定する間接税で、軽減税率の適用がある。同日に論じるべきでない。


2011年06月06日

合鴨  | 一考   

 大切なお客の水谷さんが戻られた。胆管結石を患い、胆嚢の摘出手術を受けられたようである。胆石症、総胆管結石症、肝内結石症などがあるが、詳細はお聞きしていない。普通は胆石症は体外衝撃波結石破砕法を、胆嚢摘出は約九十パーセントが腹腔鏡下で行われるようになったが、その低侵襲な治療法でなく、水谷さんは開腹手術を受けられたようである。いずれにせよ、再度モルト・ウィスキーが飲まれるようになったのは慶賀に堪えない。
 その水谷さんが合鴨の薫製を食したいと仰言る。ところが、台湾産合鴨肉の極端な品不足のために方々に問い合わせを出したがどことも売り切れである。ハナマサも高騰のため扱っていないと云う。国産は入手可能だが、肉質が薫製には向かない。以前にも台湾産がなくなって、東北ならびに北海道の合鴨を購入したが、薫製には使えなかった。その国産品もとんでもなく値が上がっている。暫く諦めるしかなさそうである。


椿花書局  | 一考   

 橋本真理さんのことを書きながら、いろいろと思い出した。一時期荻窪のミニヨンには青柳瑞穂、瀧口修造、西脇順三郎、窪田般彌、中井英夫、相澤啓三、種村季弘、三枝和子、斎藤慎爾などが集っていた。その中に真理さんもいらして、わたしなどは仰ぎ見ていた。同世代にも天才児や問題児が多く、大方は若くして亡くなられたが、一時は綺羅、星のごとき状況だった。例えば、編輯者にして造本家だった椿花書局の中山さんはわたしの手に負えない逸才だった。
 たった今、少年院から出てきましたと云うニヒルな相貌、あまりに冷たい眼差しに、どのような幼年期を過ごしたのだろうかと想像させるような暗い青年だった。わたしは礼儀正しい人間をまったく信用しない、その理由は誠実さに欠けるからである。寄らば斬るぞ、と云った雰囲気で懐に匕首をひそめるタイプのみ信用する。彼については掲示板1.0で詳しく書いたが、ミニヨンにかかわった他の編輯者など、彼に比べればまるで赤児である。
 中山さんと最初に遇ったのは神戸の拙宅だった。鈴木信太郎の訳詩集「ポエジー」の特装本を小脇に抱えて彼は現れた。装訂ではなく造本の基本について語りあかしたのを覚えている。装いは二の次ぎで、守るべきは麻糸による糸縢り、巻き見返し、捨て紙、額貼、本文共紙、遊び紙、限定記号の活版刷り。してはならないこととして回し取り、別丁立て、表紙や貼函への絵画の印刷(木版絵の直刷りを除く)、そして何よりも精興社に代表される東京式印刷(天地逆転)の拒否等々、造本に関してはなしができた生涯唯一の機会だった。
 先日、間村さんが「耕衣百句」の本文に用いた一号活字が分からないといっていたが、あの活字は元活の活字で今はなくなってしまった。昔は元活、日活、秀英、築地、岩田と云った活字メーカーがあって、文字の形や縦横の肉の比率が異なっていた。旧漢字を揃えるには上海や台湾から活字もしくは字母を輸入するしかなく、上海の活字にもっとも近いのが元活の活字だった。
 中山さんはわたしより二歳ほど年下だったと思うが、大変な人が現れたと畏怖の念に打たれた。暫時、彼が出版をはじめ、わたしにはできない基本を守り続けているのを知って嬉しくなった。旧漢字は当方の専門と思っていたのに、彼が上梓する書冊は見事な旧漢字が並んでいて、どこで揃えたのかかなり苦心の後が見受けられた。その彼を病魔が襲い、三冊の歌集を遺して逝った。昨今の出版界にあって、彼が大切にした基本はひとつとして守られていない。もっとも、そのような安価な書物をのみ大衆は求めているのだが。
 さて「ポエジー」である。わたしは丁寧にお断り申し上げた。貴重な典籍以上の贈り物を彼から頂戴したからである。一条の光を、夢を求めて彼は驀地に死地へ赴いた。彼もまた南柯の夢を追う幻の狩人だったと云えようか。


2011年06月05日

辞任  | 一考   

 朝日新聞社説の鸚鵡返えしのごとき民主党の言い分を聞いているに、彼等は震災を政権維持のために利用しているに過ぎない。猫も杓子もこの大変な国難に当たってとか、被災者のために野党は無条件で協力すべきだと云う。ところが、捩れ国会になった理由は国民が民主党を見放したからである。責任は民主党の現執行部にあって、自民党側にあるのでない。実情は震災復興が進まないから菅に辞めろと云っているのである。民主党が云うような大連立になれば体政翼賛会の再来ではないか。
 自民党が云うように、連立は復興支援に関する法律、すなわち現地の規制緩和もしくは特例法に限るべきである。復興に関し、民主党の案件で足りない部分を自民党が補っているが、その内容は項目にして四百を超える。ごく一部は民主党が取り入れたが、山積みにされた小中学校の校庭の汚染土砂の撤去など、直接票に結びつかない項目は無視している。要するに、子供に関する特例はただの一件も通していない。民主党がかくまで姑息な党だったとは思わなかった。国民は二度と民主党に政権を取らせないであろう。

 「やっと菅が引退するようである」と書いた。しかし、首相の地位にかくまで執着する菅に、何人がいかなる手立てを以て引退させるのか。二次補正と特例公債法案に目処がつけばと云っているようだが、目処などつく筈もなかろう。きっと、自民党に責任を転嫁して居座るつもりでないだろうか。菅と岡田幹事長は共に我執の人、自分の思い込みが世のすべてであって、ひとの意見に耳を貸すようなタイプでない。だからこそ、方法は不信任案しかなかった。その採決に失敗した時点で、小沢一郎の政治家生命は終わった。そのことについて小沢はどう思っているのだろうか。


仮設と避難所  | 一考   

 被災者が仮にどこかへ避難したとして、離れた地であれば、一時帰宅や車を取りに戻るなどの機会は失われる。埼玉には役所ごと引っ越してきた町村があるが、そこも蚊帳の外である。また、県外に避難した人は仮設住宅への入居が後回しになる。今、被災者のなかでは在所の近隣へ戻ろうとの動きがある。そして、阪神大震災のときがそうだったように、近隣の家賃は二、三倍に跳ね上がっている。
 仮設の抽選に当たったものの、仮設に這入れば食料などの支援物資を受けられなくなる。そこで避難所に居座ったままのひとが多く、抽選に外れたひとが怒り出すとの状況も起きている。
 インフラ(鉄道、橋梁、道路)が回復しなければ電車もバスも動かない。公共交通機関が動かなければ住民は移動できない。動かれなければ買い物も労働もできない。しかるにインフラは三箇月を経て未だに手つかずである。阪神大震災の折は政府の命令で大量の重機が一週間を経ず、投入された。その裏付けとなる二次補正予算が国会を通過するのは何時のことなのか。
 そして、なによりも子供の放射能汚染である。大人が死のうが生きようがわたしの知ったことでない。福島県下の小中高校生二十六万人、中学生までなら二十一万人、乳幼児一万八千人に対して、放射線の線量計フィルムバッチを渡す予定は未だに懸案中だそうである。今頃、提供しても遅きに過ぎるが。
 いずれにせよ、やっと菅が引退するようである。引退してもまだ民主党の政権は続く。賞味期限が済んでいるのは自民党でなく民主党の方なのだが。


2011年06月03日

偏向報道  | 一考   

 福島原発から三十キロ以上離れたところで年間被曝二百ミリシーベルトを軽く超える場所が複数ある。そこに小中学校があってと書けば問題になるのが当然なのだが、指摘する政治家は原口一博前総務相のみ。菅と云うのはどこまで愚劣な輩であろうか。
 国際放射線防護委員会の基準値を厳しくとれば福島県の大半は非居住区域の範疇に這入る。先日書いたように、福島市や郡山市の保育所、小中学校等の汚染度はチェルノブイリでは非居住区域に相当する。避難区域が十キロ拡がれば補償金は数十倍になる。政府が二十ミリシーベルトで頑張るのには然るべき理由がある。
 原発との人災に関して政府は東電任せで対応策を立てようともしない。今もっとも大事なのは土壌の汚染除去だが、そのための手立てはなにひとつない。汚染除去のみならず、三箇月を経て、義援金の配布、補償金の支払い、瓦礫の撤去、インフラの復興、仮設住宅の建設、すべては遅延したままである。瓦礫処理の進捗率は十五パーセント、うち五パーセントはボランティア、十パーセントは自衛隊によるもの。被災地へ派遣された重機は地方自治体のそれを除いて一台もない。
 当初予算の約四割の財源を裏付ける特例公債法案すら宙に浮いたままだ。特例法案が通らなければ赤字国債を出せず、当初予算はもちろん、二次補正の財源も賄われない。しかしこのままでは自民党の協力は得られない。菅でなければ野党は連立を組むと云っている。そこまでして政権にしがみつく菅の頭のなかはどうなっているのだろうか。権力の亡者と云うしかない。
 今回の不信任決議案の報道に関して朝日新聞の偏向報道には呆れ返った。わたしの命があと何年かは知らないが、二度と朝日新聞を読むことはあるまい。公器があの為体では日本の将来も知れたこと。
 以下は余談。 相澤さんは朝日新聞社出版局にいらしたが、朝日であるが故に屡々執筆を拒否されると嘆いていた。朝日ジャーナルかアサヒカメラの編集長の折にも、何度も執筆拒否に合っている。わたしの友人に関することなのでここで詳細は書かないが、わたしの回りには執筆拒否派が多いようである。もっとも、他人のことは云えないが。


永田耕衣特集号  | 一考   

 小澤實さん来店。「澤」で永田耕衣特集号を出されるとか、ついては編輯者の目から見た耕衣について書けとの仰せ。耕衣さんとは親しく接してきたが文章にまとめたことはない。わたしに書けるかどうか分からないが、取敢えず受けることにした。
 十代の頃、天才と謳われた橋本真理さんが数十年ぶりに詩集を上梓した。そこで小澤さんを焚き付けて耕衣俳句について書いていただくことになった。彼女が二十歳のころに書いた三橋敏夫論がわたしのなかに強烈な印象を残している。真理さんはわたしと同い年だが、三橋敏夫に着目したおそらく最初の詩人でなかったか。高橋睦郎さんにそのはなしをしたところ、彼女はとにかく頭が良い、将来をもっとも嘱望されていた詩人だったと。原稿はまだだが、鶴首して待つ。
 わたしは談林俳句とシュルレアリスムの関係について書いた。シュルレアリスムの技法であるデペイズマン、オートマティスム、コラージュ等は談林俳句の中にいくらでも見て取れる。其の辺りについて七枚ほど書いた。真理さんと原稿が並ぶのは光栄と思っている。
 本日、書物の写真撮影も終了。間村さんがわたしの造った耕衣本について書いてくださるそうである。いろいろと楽しみが増えた。


2011年06月02日

政治  | 一考   

 「東日本大震災や福島原発事故に一定の目途がついた時点で、辞任する」意向だそうである。取りも直さず菅首相の作戦がちである。「原発事故に一定の目途」がつくのが十年後か三十年後か、何時まで菅が首相を務めると云うのだろう。いずれにせよ、以降は小沢と岡田の怨念の闘いに移る。おそらく小沢の全面敗退になるに違いない。
 小沢が自民党を割った93年以来、良い夢を見させていただいた。彼のバイタリティーはそれほどに血湧き肉躍るものだった。彼が居なければ具体としての政治に興味をいだくことはなかった。ここから先、政治に興味は持たない。況や、菅政権になってからの旧態以上の秘密・密室政治に関心など持てようはずもない。学生運動や市民運動で活躍した人はどうにもならない選民意識を内に秘めている。わたしがもっとも嫌いな人種である。
 芸能人と政治家は自分を買いかぶり世の中を舐めたよこしまな人間だと思っている。もっとも政治家の存在は議会制民主主義のコストであって、芸能人や政治家をそのように育んだのは大衆である。されば自分を買いかぶっているのは大衆そのものなのかもしれない。さようなら、日本の政治。


2011年06月01日

不信任案  | 一考   

 菅直人首相から五月三十一日に国営諫早湾干拓事業の開門調査などの課題をめぐり協力を求められたことを民主党の原口一博前総務相が明らかにした。「今の時期にこの話をするのかと思った」と述べているが、いよいよ菅首相も切羽詰まってきたようである。
 政党を作るには数十億の金がいる。民主党の立ち上げに関しては鳩山由紀夫前首相が費用を捻出し、前回の総選挙の費用は小沢一郎元代表が負担した。で、菅直人首相は金銭の負担はしていない。だからこそ、今回の震災復興でゼネコンからの歩戻しを期待している。どうあっても、小沢を再起させない理由はそのあたりにある。しかし、菅に選挙はできない。自前の政治資金を持たないからである。金はないが権力は欲しい、いささか矛盾したはなしである。
 ドイツは2022年までの全原発停止を発表したばかり。これは福島第一原子力発電所の事故発生以降では、主要国として初めての対応である。菅内閣は浜岡原発は全面停止したが、他の原発を停止する気はまったくない。中国と北朝鮮が核武装すれば韓国の核武装も時間の問題である。近い将来の日本の核武装を念頭に置いての対応であろう。菅内閣に対する不信任決議案が賛成多数で通過することをわたしは願う。


高リン血症  | 一考   

 このところ体調が思わしくない。高リン血症と低カルシウム血症に泣いている。糅てて加えて虫歯である。もっとも透析療法に付きものの高リン血症は骨粗鬆症を引きおこす。よって奥歯がぼろぼろと欠けてゆく。
 食欲がなく、除水も500ミリリットルを切ったまま。無理をしてでも食べないといけないのだが、どうにもならない。中二日で500はないでしょう、と看護師。ちなみに隣のオッサンは5500ミリリットルだとか。
 小魚類、桜えび、スルメ、あさり、肉類、豆、ナッツ類、卵黄、ハムや蒲鉾などの練り製品、牛乳チーズなどの乳製品、それに加えて生野菜とフルーツ類は極力避けているのだが、震災の影響で肝心の薬が手に入らない。2ちゃんねるでスレッドが立つぐらいだから余程のことなのだろう。
 医師はレナジェルを減らすことばかり考えていて、話にならない。リンとカルシウムのバランスが崩れるとしてアルファロールも据置である。透析をはじめて十箇月、やっと身体が狂いはじめたようである。

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