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2017年02月 アーカイブ


2017年02月27日

インターネット不通  | 一考   

 So-net で店のパソコンを繋いだものの繋がらない。Wi-fi が駄目なので、ランケーブルを繋いだが、同じである。ネットワーク診断で Ethernet、ネットワーク設定、ISP までは繋がるのだが、インターネットとサーバが繋がらない。
 外部装置を再起動しても同じで、まったく理由が分からない。その内に繋がるのでなかろうかと気長に待っている。埼玉で似た状態に陥ったことがあったが、そのときはさらに一台ルーターを入れて繋がった。今回もその手で行こうか。


2017年02月26日

変なひと  | 一考   

 バックバーを指してこれはなんだ、と一言。意味が分からないので、モルトウイスキーですと答える。俺はこだわりを持った人間で、明石では珍しくモルトウイスキーを知っている男だと。
 これはきっと制御不能の客だなあと自分に言い聞かせる。俺はシングルモルトが好きだからマッカランが嫌いだ、パッチもののハイランドパークが嫌だ、やはり酒はシングルモルトでないと。バランタインは駄目だがオールドパーは旨い。近頃の日本人はみなさん焼酎だが、マスターはワインは飲むのかね、やはりキャンティーかね。
 アネーブル・トゥ・コントロールとはこのこと。宗教者に多いのだが、この客はいずれの宗教家なのかしら。わたしがすべてに「その通り」と応えたのは云うまでもない。

 ところで、わが国最大の宗教政党は自民党である。内閣に創価学会がひとりと無宗教がひとり、他はことごとくが神道政治連盟に属している。政治が制御不能になるのはやむを得ない。ABEのあと、HASHIIMOTOが首相になればよろしかろうにと思う。迷いのないことにおいて特出している、金正恩を加えて東亜細亜の3巨頭かと存じあげる。


電話  | 一考   

 店の電話がはじめて鳴った。ホームページ刷新の薦めらしく、一応、ですぺらのホームページを見た上での電話らしい。一日3000から5000のリクエストがありますから結構です、といったところ、それは嘘でしょうと返してきた。嘘かどうかはそちらには分かるまいに。
 日々のカウントなんぞ、こちらは気にもしていない。たとえ、1日1リクエストになったとて、そのようなものかと思うまでのはなし。訪れるひとを増やすためにあくせくするなんざあ、愚の骨頂。
 自販機世代のオウム真理教のようなもので、心の空白を埋め,超能力を手に入れてこの世を超越できる安手の自動販売機に過ぎない。その自販機がパソコンであれ、ホームページであれ、AKBであれ、江戸文化であれ、わたしの知ったことでない。

 昔、友人がオウム真理教の信者になった。独裁は,大衆の熱狂や万雷の拍手を背景として生まれてくる点で,民主主義を基盤としながら民主主義圧殺に通じる鬼子であるなどと云ったところで、なにひとつ通じない。もっとも、通じるようなら、そのひとは信者でないのだが。


2017年02月25日

レスピレーターと慢性鼻炎  | 一考   

 戸田中央で全身麻酔の際、レスピレーターを用いた。国際的には肺換気を目的とする器械という意味でベンチレーター(人工換気器)と呼ぶのが正しいが,日本では以前からの習慣でレスピレーター(人工呼吸器)と呼んでいる。
 レスピレーターを装着すると気道がカラカラに乾燥し、声が出なくなる。医師から何という無様な声といわれたが、事ほどさようにおかしい声になる。手術時と集中治療室で用いていたので4.5日は装着していたように記憶する。
 手術時に限らず、小腸の内視鏡検査、大量下血による2度の非常時など肺にまで管を挿入する。気持ちのよいものでない。しかし、それによって慢性鼻炎が治ったのである。医師によると関係ないとのことだが、わたしに限っては治った。一日にティッシュペーパー1箱では足りず、ロールティッシュを用いていたのだが、それがピタリと止んだ。鼻炎の特効薬は肺にまで挿入する1本の管だと信じている。


2017年02月23日

腸炎と下痢  | 一考   

 食事は摂るようになったが、腸炎と下痢は続いている。かてて加えて尿の濁りである。医師との話し合いで、免疫抑制剤の変更が理由のひとつでなかろうかとなった。薬を元に戻して様子を見ることにした。
 薬は万人に向くとは限らない。わたしとは相性がよろしくないのである。最初から疑っていたものの、医師にしてみれば最新のすぐれた免疫抑制剤である、止めるに期間が必要だったに違いない。それにしても、1箇月の下痢はひどい。もう少し早くなんとかならなかったのかと云いたい。ミヤBMの代わりに、ビオフェルミンRを頂戴してきた。次の手は検便の結果による。ひょっとすれば、腸炎には別の理由があのかも。
 週1回の外来がつづく。4週に1回の外来はわずかに2度のみ。自らの身体を不甲斐なく思う。


2017年02月18日

開店資金  | 一考   

 このところ、スプリングバンク、ポート・エレン、アードベッグ、ブローラを数十本ヤフオクへ出品した。店の開店資金である。これで費用は賄えたが、あと運転資金が必要である。
 ポート・エレンは新品だと10万円を下ることはないが、ヤフオクだと5.6万円である。10万円の値をつけている出品者もいるが、売れはしない。
 さまざまなウイスキーを出品して分かったことは、3.4万円の商品がもっとも売れるということ。例えば、アードベッグでもっとも安いべりーヤングやスティルヤングが3万円で売れる。その伝でいけば、シグナトリーの旧カスク・シリーズなど20万円でもよいのだが、現実には8万円である。
 カリラの花と動物シリーズのカスク・ストレングスを目下出品している。珍品中の珍品だと思うのだが、いくらになるのだろう。出品価格は26000円、4万円はついてほしいのだが。
 どうでも良いことだが。ランクがゴールドになった。


893の腎移植  | 一考   

 893の人工透析ならびに腎移植が物議を醸している。問題になっているのは医師の方だが、893の延命のほうもわたしには気になる。まず、命を惜しんで893はつとまるまいと思うのだが。
 893は組織命であって、個であることを端に捨てている。従って、893といえども人の子とか、
病は個のものといった理屈は通じない。況んや、相手は山菱の総長である。延命を図りたいのなら、まず組から離脱して個人にもどるべきである。離脱しないでの透析、移植なら、それを受け入れた病院側も反社会的集団の一員と受け取られて仕方がないだろう。
 テレビで医師が医学上の知見の正しさを強調していたが、それは問題のすり替えである。透析や移植を受け入れたこと自体が問われているのである。医師としての倫理をどこへ置き忘れてきたのだろうか。


2017年02月17日

開店10日  | 一考   

 ですぺら開店はよいのだけれど、3箇月は客があるまいと覚悟していた。然るに、西明石時代のお客さんがひとり、ふたりといらっしゃるようになった。ありがたい話である。
 妙な伝説のようなもの・・・昔々変な居酒屋があったそうな、ベルギービールが流行る前に50種のベルギービールを置き、芋焼酎がブームになる前に芋焼酎を置き、西明石ではじめてシングルモルトを、しかも20種類のスプリングバンクを置いていた居酒屋。

 チョイスを楽しまれる居酒屋がわたしのモットー、すばわち努力目標である。どこそこで一番などというものを目指しているわけではない。ボトルの数ならコレクターにはかなわない。モルトウイスキーで若くて安くて旨いものを集めている。ここで云う旨いは蒸留所の個性が端的に顕れているものをさす。例えば、クライズデールやインプレッシヴのようなボトラーである。
 おなじく焼酎である。月の中のように思いっきり芋くさいものかシェリーカスクで熟成させたウイスキーのような焼酎である。
 ビールはわが国にはない生きた酵母の這入ったベルギービール、それも白ビールがよい。乾きものはもっかのところサービスである。チェーサーに炭酸を用いているが、こちらも無料。身体が落ち着けば、徐々にフードを作るつもりだが、はてさて何時になることやら。


2017年02月15日

「Bar 眞」  | 一考   

 「Bar 眞」のオーナー眞野公一さんがいらっしゃった。西明石ですぺらが閉店後、明石市野々上2丁目11-5-1Fに出店なさったようである。ところで、この屋号には心当たりがある。かつてヤフオクでファクシミリを落札した折、あなたは西明石でですぺらを経営していた渡辺さんではないかと訊ねられたのである。ですぺらのお客さんだったらしく、閉店後は家の近くの「Bar 眞」へ飲みに出掛けているとのことだった。
 爾来、気にはかけていたのだが、まさかそこのオーナーが飲みにいらっしゃるとは。ヒューガルデン・ホワイト、磯自慢、グレンキース(旧ディスティラリー・ボトル)、シールダイグのラガヴーリン、アイラストーム、インプレッシヴのアードベッグを飲み、モルト談義に花が咲いた。
 カクテルが中心の店らしく、ノンアルコールのカクテルもありますからと、お誘いを受けた。月曜日が休日、18時から26時の営業、電話番号は078-925-1142。拙宅から近く、日曜日なら飲みに行かれる。開店から8日目にしてはじめてのモルトウイスキーのお客、嬉しい仲間がひとりできた。

 その眞野さんの紹介で、西明石時代のお客北角さんがいらした。ですぺら西明石閉店以来、すなわち1999年8月末日以来、18年ぶりの再会である。林達夫張りのアイロニカルな口調はそのままに、いろんな焼酎を、モルトウイスキーを傾ける。北角さん、18年間の話しをしましょうよ。


2017年02月14日

田嶋華子さん  |  一考

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 わたしが腎不全を発症したのは2009年7月、クレアチニンが4乃至5だったのが、翌10年には突如7乃至8に急上昇、末期腎不全になった。末期になると3.4箇月の命である。重度の尿毒症に悩まされ、痒みに全身を掻きむしり、身体がむくみ、肺や胃に水がたまる。
 その10年6月に腎不全を発症し、同年9月14日合併症の肺炎をこじらせて亡くなった女性がいる。名を田嶋華子さん。彼女については書かねばならないと思いつつ、今に至っている。かつて「少女の死」と題して当掲示板で触れているが、名は伏せて書いた。「少女の死」に限らない、そこら中で彼女について触れている。
 例えば、「透析を受ければ即刻元気になるとほとんどの方は思い込んでいる。しかし、腎不全に治療法は存在しない。人工腎臓を用いても高カリウム血症へ至るのを遅らせることしかできない。どの程度遅らせることができるのかは、その人の食事制限、水分制限の結果次第である。人工腎臓はそのための手助けでしかない。要するに死が約束された病であって、死が約束されたと云う点で人生と同じである。透析を何年続けたかは問題にならない、一年であれ十年であれ、その期間こそがその人の寿命なのである」と当掲示板で書いている。
 おそらくこの年、末期腎不全になられた方にとって、彼女の名前は忘れられないものになったに違いない。
 田嶋華子さんについてはNHKでドキュメントが放送されており、ご存じの方も多いと思う。自ら透析治療を拒否したため、本人の意思にかかわりなく、医療をはじめ様々な分野の方に物議をもたらした。延命治療のあり方、末期医療のあり方、命の尊厳、自死の是非などなど、しかし、誰がなにを云おうが、彼女の病は彼女の病、彼女の命は彼女の命であって、一般論として括られるところのものではない。

 船橋市在住の彼女は生れつきの重度の心臓病(三尖弁閉鎖症)で生後2箇月で肺高血圧と心不全があるため肺動脈バンディングの手術を受ける。様々な危機を乗り越えて東京慈恵会医科大付属病院で念願のフォンタン手術に成功し、5箇月の長い治療に耐え、元気になった喜びも束の間、心臓の働きが低下し重度の心不全症状を起こし入院生活になった。精密検査の結果、拡張型心筋症と診断され、あと数箇月の命と宣告された。
 8歳の時、ドイツで心臓移植手術を受けたが、免疫抑制剤の副作用で背骨が曲がる難病にかかり、呼吸ができなくなり、15歳で人工呼吸器を装着。声を失い、からまる痰は自分で吸引した。
 この段階で、彼女は次になにか新しい病気が起こったら治療は拒否するとの意思を両親に表明する。そして、免疫抑制剤は腎毒性を持つ、やがて彼女は腎臓の機能も失ってゆく。
 両親は、延命治療拒否の意思を尊重しようと決めているが、腎不全の透析治療を受けようとしない彼女に、医師立ち会いの下に「生きて欲しい」と懇願する。しかし、これ以上の延命治療を受けたくないという彼女の決意は固く、説得を受け入れることはなかった。仮に透析治療を行った場合、あと2年は生きられたと思うが、移植手術の際に医師が云った「余命10年」の言葉通り、彼女は18歳で逝った。
 わたしが愕くのは、末期腎不全で死を迎えるその苦痛である。わたしはその死の寸前まで経験したが、とても耐えられるものでない。辞書によると「嘔吐・下血・意識障害・貧血・肺水腫・漿膜炎などを生じ、ついには痙攣・昏睡に陥る」となる、その通りなのだが、顔や手足が無残にむくみ、内部から全身が爆発するような痛み、全身を切り裂かれてゆく壮絶な痒み、刃物と鋭利な針でできたミミズが身体中を跳ね回る。血を垂れ流しながら、のたうち回るのである。
 田嶋華子さんのあとを追ってわたしは死のうと思った。しかし、あまりもの痛みにわたしの心は折れた。死の1週間前、幹郎さんに連れられて、わたしは北里研究所病院へシャント造設のために入院した。

 (写真は大磯の小児ホスピス「海のみえる森」、田嶋華子さんゆかりの地)


2017年02月12日

歳月  | 一考   

 今月の5日、腸炎のさなか、70歳を迎えた。わが国で誕生日を祝うのは満1歳の初誕生日に限られ、それ以外に年々の誕生日を祝う風習は日本になかった。少なくとも、わたしにとって誕生日とは代謝の衰えの記録以外のなにものでもない。そのようなものを祝うSNSのさだめが理解できない。また、足跡を残されたからには無視できない、当方も訪ねるしかない。なんともはや煩雑なことよ。
 その点、ですぺら掲示板は自由でよい。一日3千件以上のリクエスト(実数は200ほどだが、そのようなことはどうでもよい)があるが、勝手に訪ねて勝手に去って行く、誰が何時、何をしに来たのか、雲をもつかむはなしである。もっとも、検索項目を調べれば、ある程度の方向性は見えてくる。そしてその方向性をわたしは大事にしている。
 例えば、人工透析、腎移植、余命のブロックがあって、モルトウイスキーのブロック、燻製とその調味料のブロック、亡くなっていった多くの友と客のブロック等々があって、極力それに添うテーマなりモチーフを考えている。
 どなたの掲示板であれ、検索で這入るのが一番。SNSのごとく、最新の書き込みのみ重視するのはいかがなものか。掲示板はファッションでないと思うのはわたしだけではあるまい。

 ダイヤライザーの性能がいくらよくなったからといって、人工透析患者の余命は腎移植患者ほどには延びない。免疫抑制剤がいくらよくなったからといって、健常者ほどに寿命が長くなるわけでもない。腎移植をしたものの、人工透析に舞い戻ったひとを多く知っている。なかには3度の移植手術をした強者もいらっしゃる。それが分かっているが故に、移植手術をしたからといって、シャントを元に戻すひとはいない。みなさん、覚悟を決めて生きていなさる。
 毎年1万人ほどの透析患者が増えている。そしてその7.8割の患者が亡くなっている。新たに患者になられる方はみなさん透析患者の余命を調べる。病院では一部の例外を除いて明確な形で余命の宣告はしない。症状が異なるし、身体が受けるダメージも個々に異なる。安直に余命を宣することなどできようはずがない。

 松戸の東葛クリニック病院で医師に余命を尋ねた、2012年2月のことである。5年後の誕生日を迎えられるように、全力で治療に当たります、と。この場合の治療は根治ではなく、対症療法である。
 山中(旧姓)さんが九州で透析治療を受けておられると聞いてから随分になる。生きておられるのだろうか。

追記
 東葛クリニック病院では3度の入院と2年間の透析治療を受けている。レビューによると医師は敬語を遣えず、受付の女性の態度が横柄だと書かれている。今も同じ人だが、あれほど親切な事務員をわたしは知らない。


2017年02月11日

辰巳忠司さん  | 一考   

 前項で東明商事のご主人と書いたが、お名前は辰巳忠司、ですぺら初のお客さんである。隣のビルで不動産会社を営んでい、今回の店舗探しではいろいろと面倒をおかけした。彼の周旋する物件に這入ったわけではないのだが、随分と親しくお付き合いしてくださり、感謝している。
 桜町界隈では主のような方で、日々、違うお客さんを連れてのご来店。先日はですぺらとの屋号が気に入らないとの意見に対して、「捨て鉢、投げ遣り」がマスターの人生観なのだからと、弁護してくださった。
 ひとの人生観について語るということは自分の人生観を持っているとの証し。流されるのではなく、時として立ち止まり、行きつ戻りつしながら逡巡と反芻を繰り返さなければ、人生観を抱くことはかなわない。最晩年に当たって、ためらいを持つ友ができたのは嬉しい。


Whiskey Elements と地酒蔵のウイスキー  | 一考   

 スミノ酒店から富山の若鶴酒造の「地酒蔵のウイスキー」という一升瓶を買ってきた。20年ものモルトが這入っているのが売りらしいが、すこぶるニュートラルなウイスキーである。そこで、松本さんから頂戴したウイスキーエレメンツの「Scotch」と称する試作品を用いてみた。リムザンオークの香りが強く、グレンファークラスを想い起こす味わいとなった。
 元々、ウイスキーエレメンツなる木片は個性を持ったウイスキーには使っても意味がない。国産のオークの香りすらしないような没個性のウイスキーにこそ相応しい。それにしてもこの変わり様はどうだろう。屡々カスクはウイスキーの魔法使いといわれる。それがこの木片で可能になるのである。


一見さん  | 一考   

 昨日今日と一見さんが来店。おそらく東明商事のご主人と思うが、宣伝なさっているようである。二人連れで来られてビール1本、お代は600円である。お通しは無料、注文もしていないものを勝手に出して金を取るような阿漕な商売はやりたくない。

 モデルのような女性は近隣でスナックを営んでいらっしゃるとか、話されることは聞くが、そこから先、聞き出すような無粋なことはしない。話したいこと、話したくないこと、ひとは様々な事情を抱えて生きている。
 女性が帰られた後、気配を感じて振り返る、横須賀さんが後ろにいるような。おいおい、ここは明石ですよ、明石まで迎えに来なくったって。小夜子さんとの晤語を楽しんでいるのでは・・・なんだ一緒なの。
 連れて帰ろうかと思ったのだが、2.3日早かったようだね、と言い残しておふたりはひょいひょいと消え去った。横須賀さんのところへはどなたが迎えにいったのだろうか。


整腸剤  | 一考   

 ですぺら開店から4日目、はじめて空腹を感じ、445円の握り寿司を買ってくる。久しぶりの寿司、食事らしい食事に溜息をつく。
 仕事はリハビリと思っているが、突然やってくる腸炎は困りものである。今回は腸炎だけだったが、腸炎を発症するとサイトメガロウイルスを併発する。そうなれば下血で悲鳴をあげることになる。これで2度死にかけている。

 ひとの身体は、異物が這入ってきたときにそれを敵と見做して闘う免疫によって守られている。すなわち、臓器移植をするとその臓器を敵と見做して攻撃するのである。そこで免疫抑制剤を飲んで免疫を落として移植臓器を守るのである。臓器移植の歴史は免疫抑制剤開発の歴史でもある。ただし、移植臓器は守られるものの、他のウイルスや黴菌との戦闘能力も同時に失われる。
 臓器移植者は無菌室で生活すべきなのだが、現実にはそうはいかない。生きていればこそ、さまざまな病気にかかる、その度に大騒ぎになるのである。

 免疫抑制剤のおかげで、風邪のPL配合顆粒と整腸剤のミヤBMぐらいしか服用できる薬はない。整腸剤でも飲んで腸炎が自然に治るのを気長に待つとの著しく消極的な手立てしかない。それが2週間たっても完全に治癒しない理由である。
 腸炎を治す方法はなく、発症に確たる理由なんぞあるわけもない。これは腸炎に限らない。敢えて申せば元凶は免疫抑制剤そのものなのである。


2017年02月09日

川口真世さん  |  一考

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 高橋睦郎さんの講演で質疑応答になったとき、若い人たちがわたしはアララギで、わたしは歴程でと、属する組織名を真っ先にあげていた。睦郎さんはそのような組織に属することなく詩を書いてこられた、にもかかわらずである。
 もとより、詩を書くとは個の営みであって、どこそこへ帰属しているからと云ってそれが作家であることの権威付けにこそなれ、証明にはならない。その消息は舞踏であれ、陶芸であれ、なんであっても同じである。
 むしろ何々に属していると表明した瞬間に指のあいだからさらさらと零れ落ちてゆく砂状のもののなかにこそ、愛おしむべき個の呻吟が隠されているのでないだろうか。

 その個と闘う陶芸家がいる、川口真世(まよ)さんである。写真はですぺら開店のために川口さんがお持ちになった小鉢。わたしが世話になる毎日自動車商会社主の娘さんであること以外、彼女についてはなにひとつ存じ上げない。知識があれば迂闊なことは書かれない、知らないがゆえに、なんだかんだと云えるし、書かれるのである。
 例えば、のっけに師匠はどちらのと訊いてしまった。それが立杭であろうが九谷であろうが、初手の一歩に手を貸したまでのはなし。川口さんの焼き物はあくまでも川口さんのものに他ならない。これが迂闊の一歩。
 焼き物の景色を構成するさまざまな用語がある。例えば、土が荒いせいかイシハゼが目立つが、珍重されるべき景色を奏でていると云った類いである。しかし、そのような用語が如何ほどのものを意味するのか、焼き物の説明たり得ても作家個人をなにひとつ語ったことにならない。それも迂闊のひとつ。

 通常、個人としての陶芸作家は釜の一部を間借りするしか方法がない。従って、窯元の威光が強く、自由な表現活動ができないのである。ところが、川口さんは大蔵町近隣の寺に釜があってそこで焼いていらっしゃるとか。ますますもって自己完結なさっている。権威・権力・組織に背を向けて作陶なさっている個人と久しぶりに出会った。晩年の楽しみがひとつ増えたと云っておこうか。


2017年02月06日

ですぺら開店  | 一考   

 オープニングのようなセレモニーはしない。本日月曜日から五月雨式に営業する。だらしなく、場当たり的で申し訳ないが、その方法しかないと思う。
 トイレは完成したが、若干の水漏れあり、理由は分からない。フードは現状では造られない、よって乾き物だけで済ませる。取り敢えずのオープニングである。


2017年02月03日

年寄りの冷や水  | 一考   

 今朝、腸炎が治まった。時を同じくして和式トイレを洋式に替える簡易トイレ、TOTOスワレットが届き、明日もしくは明後日に工事をしていただく。そのトイレだが、結構重量があって、今のわたしには2階から1階の車にまで運ばれない。運送屋さんに事情を説明し、1階での受け取りに変更、車まで積んでいただいた。
 2階から1階へ往復するだけで、わたしの身体は30分ほど動かれない。それよりなにより、この10日ほど、ゴミを捨てられなかったのが辛い。店のオープンを予定して、かなりの量の生鮮食料品を購入していた。すべての食品は黴びてしまった。明日にでも、拙宅とですぺら双方の冷蔵庫の大掃除である。とは云え、次回の生ゴミを捨てる日は月曜日。

 通常、腸の中に害のある菌やウイルスが這入り、下痢によって排出しようとする作用が働く、その作用を下痢と云うのだが、わたしの潰瘍性大腸炎はサイトメガロウイルス腸炎と合併することがあって、非常に危険である。
 健康なひとならみなさんお持ちのウイルスなのだが、免疫を抑制しているわたしにとっては命取りになる。
 今回みなさんから頓珍漢な質問を多く受けた。傷んだものを食べたのではとか、疲れがたまっていたのではの類いである。反論する気にすらならないので、「あ、そう」と聞き流している。

 2日かけて粥から固形物へと胃腸を馴らして行かなければならない。戸田中央では固形物への移行だけで1週間を費やした。
 そもそも、病人が店を営むこと自体、無理なのかも知れない。ここまで書いて目眩いがひどいので中断。

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