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2007年04月 アーカイブ


2007年04月30日

ですぺらにて  | 一考   

 高徳羽副議長の「三十数年前のことで大々的に捜索するとは、朝鮮総連に対する横暴極まりない政治弾圧」との発言について在日琉球人さんが書かれている。三十数年どころではない。私は生まれ落ちる前の日本の不明と暴虐を恥じ、東アジアや東南アジアの諸国民ならびに諸民族に対していまなお謝罪し続けている。
 二児の拉致を巡る関連施設の捜索でもっとも愕かされたのは、人権の侵害を難じるプラカードが多く掲げられたことである。では二児に人権は認められないのか、黒白をつけるなら捜査に協力するのが筋であろうとの水掛論の根を穿り起こす気はない。価値観や基準、規範はおろか、ひとの考え方それ自体が相対的なものだということが分からないひとにはなにを言っても詮無い。
 黒か白か、右か左か、前か後ろか、いずれであろうが、図式化された乃至は分かりやすさでもってひとは判断しがちである。簡略化された二項対立的ものの考え方がよろしくないと唱えたところで、全体を俯瞰しなければとか、多様な価値観を認めなければといった、それこそ新たな二項対立を生む結果にしかならない。

 店の余命が一月半になった。用事もないのだが、そんなことを考えながら終日店で暮らしている。三橋さんや種さんや横須賀さんをはじめ、亡くなられた多くの先達の匂いを憶い起こす。「天地微妙の大消息」の一端もしくは一過に過ぎないのであって、騒ぎ立てるべき対象とはついになり得ないのは分かっている。自らを引っくるめて存在それ自体が新陳代謝であるのも分かっている。ただ、気付かれもしないで通り過ぎてゆくもの、指のあいだからこぼれ落ちてゆくものの大事を彼等から学んだ。慈しみは失意のなかにしかなく、悲しみはいつも濡ればんでいる。
 「暮らしている」と書いたが、私にとってですぺらは暮らしであり活動だった。生活であればこそ、ですぺらは存命不定の線上を彷徨うしかない。ですぺらと名付けた瞬間から私にはある種の覚悟があったはずである。存えさせるための策を講じるべきかどうか、いまなお迷いつづけている。


ですぺら7周年 その2  | 薫子   

 五月一日、二日の二日間のみ、ドリンク全て三割引きといたします。
日頃ちょっと高くて手が出なかったアレとかコレとか、この機会に是非お試しください。お待ちしております。


2007年04月27日

四月二十六日  | 一考   

 絢子さんが逝って四年、そして愛子さん来店、「思い出はぜんぶ、記憶の中だけに留めておくのが好きなのよ」今宵も忘却へ献杯。


2007年04月26日

ですぺら7周年  | 薫子   

今年ですぺらも7周年となりました。
まさかこんなに続けられるとは。応援して下さった皆様、ありがとうございます。
日頃お世話になっているお客様への感謝のサービスディとして、
連休谷間、5月1日・2日にお越しの際には、お酒、フード等をサービス価格にてお出しします。
詳細は・・・例によって未定ですが、 きっと店主がど〜んと太っ腹なところをお見せするでしょう。


2007年04月25日

海馬車  | 一考   

 拙宅へフォードのマスタングがやってきた。1964年にデビューしたスペシャリティカーで、「ブリット」や「男と女」に登場している。2ドアクーペのV6、3.8LのOHVエンジンと4リンクコイルリジッドのリアサスを採用した96年タイプである。メカニズムを書いたのは他でもない、1960年代に多くの日本人が憧れた「豊かでおおらかなアメリカ」のイメージが凝縮されているからである。
 トヨタ、正確にはヤマハが開発した直列6気筒2.0Lのエンジン「1G」がマークII、チェイサー、クレスタ、セリカXX、ソアラに積まれるようになったのは1981年である。爾来、トヨタはDOHCのエンジンの生産では世界一の座を維持し続けている。私は長く1G-GTEUのエンジンを使ってきたので、1G-EUから1G-FEに至るヤマハのエンジンの特性を知り尽くしている。その後スープラに積載されたJZ型の1Jの500馬力には及ばないが、300馬力に耐えるパフォーマンスを持っていた。
 他方、96年製のマスタングは3.8Lで146馬力しかない。走らせてみて分かったのはハーレー・ダヴィッドソンとコンセプトが似ているということである。5500回転からがレッドゾーンだが、現実には5000回転も危うい。OHVのトルクバンドは3000回転から4000回転、それで十分に楽しめるではないか。もしくは高速走行時のスタビリティがどうして必要なのか、アメリカの制限速度は55マイル(80km/h)、マルチリンクでなく4リンクコイルリジッドで十分ではないかと言った塩梅で、スペックを無視した古いシステムを気にせず使っている。スペシャリティカーの特別とはその鷹揚なアメリカらしさを指すのである。
 図体ばかりでなんの取り柄もないその車に、どうやら私は惚れてしまったようである。海馬のような車といえばお分かりいただけようか。北海道でマスタングを悠悠と走らせてみたいと思ったのである。

 ところで、現在乗っているインプレッサが不要になる。淡路や明石の方で乗られる方はいないだろうか。水平対向エンジンはBMWで慣れている。スロットルセンサー、プラグ、プラグコードをはじめ、アースを5本落とすなど、手間隙をかけて電装関係は一新した。アクセルを踏むと同時に、一気に6500回転まで吹き上がる。これが同じスバルかと思うほどレスポンスはよくなった。誰か乗ってくださいな。


2007年04月18日

澁澤展にいってきました  | りき   

圧巻はアンチンボルトでした。

個人的には、小林健二さんの鉱石ラジオ、シモンさんのつくった天使が印象的でした。
マグリットやデルフォーもよかったです。

山本六三さんの油絵も二つきていました。

家族でいったのですが、鉱石ラジオを前に見入っていた息子の
姿に遺伝子を感じます。


2007年04月15日

ちりめん山椒と贅沢おから  | 薫子   

 雑誌の取材のために、月曜日にちりめん山椒と、ですぺら特製贅沢おからをつくります。急なお話だったので、ちりめんじゃこを淡路から取り寄せる時間が無かったのがちょっと残念ですが。久しぶりに作りますので、この機会に是非お試しください。


2007年04月13日

はんてん  | 一考   

 半纏もしくは袢纏はどのような辞書にも載っています。印半纏、剥身屋半纏、刺子半纏、長半纏、尻切半纏、腰切半纏、ねんねこ半纏、革半纏、蝙蝠半纏等々があって、刺子半纏はかつて銀花でも特集しました。ねんねこ半纏は別名亀の子半纏ともいい、マダガスカルでカメレオン半纏というのはご愛敬。
 半纏もサルマタ同様、シルクロードを渡ってきましたが、中国・カザフスタン・キルギスの国境に位置するハン‐テンリの山麓に位置するハン‐テン村の女房たちが防寒のために開発したと言い伝えられています。
 わが国では天保の改革(1841〜43)の女羽織禁止に伴い、庶民の衣服として広まりました。家紋や屋号を白く染め抜いたり、裏返しに着るのが洒落というもので、そこから、斑点や反転現像など、現代用いられる概念が多く誕生しました。ちなみに、ですぺらはですぺら飯店との別称を賜わっております。
 ててら、褞袍、丹前、掻巻などはいとこ同士で、守貞漫稿によれば江戸ではふとんを用いずもっぱら夜着を用いたとあります。火事が多かったところからくる、いわば生活の智慧ではなかったかと思われます。


電光板  | 一考   

 私も普段はIE5以下(Explorer 5.1.7)なのでなにも言えませんが、ウィンドウズ、マックのいかんを問わず、置き去りにされてゆくOSは憫れですね。付帯するアプリケーションの開発も停止されてしまうのですから。
 アドレスの左端で「despera」の文字が電光掲示板のように蠢いているのは愉快です。OS XだとNetscapeとFire fox、OS 9だとNetscapeとMozillaとwazillaが対応しています。サファリ、カミノ、エクスプローラー、オペラ、iCabはネオンサインには未対応のようです。おっきーさんの悪戯を確認するためにもモジラグループに帰属すべきでしょう。Fire foxはMozillaの発展形なので、ビオランテかイモラの方がよかったと思うのですが。

 wazillaが日本語表記されず、エクスプローラーの文字セット表示も日本語表示されないので困っていたのですが、理由は収録フォントでした。マックのシステムを動かすためのCharcoal、Chicago、Geneva、Monaco、Osaka、Osaka-等幅、Symbolを残して、他は日本語のフォントを百四十ほど入れていたのですが、そこに問題があったようです。システムから除去した四十ほどの横文字フォントから十種類ほど入れたところ解決しました。DTP関連のアプリケーションが使うフォントには精通しているのですが、ブラウザまでがフォントを選ぶとは意外でした。
 ところで、G3 Blue and Whiteとハードディスクの相性ですが、OSをインストールしないと結果が得られないので面倒です。このところ、掛かりきりです。そちらが一段落すれば、OS XにおけるATOK14の挙動不審を解決しなければなりません。


G3 Blue and Whiteとハードディスクの相性について  | 一考   

 「PowerMacG3 Blue and Whiteについて」で触れたことの追記です。
 Fujitsu、Quantum、IBMの三社のハードディスクが大丈夫と書いたのですが、IBMはDeskstarに限られるようです。Fireballが出てきたので繋ぎましたが、まったく認識しません。それとNECのハードディスクが大丈夫です。NECはOEMのLogitecやHewlett Packardのハードディスクも試してみましたが、すべて認識しました。
 この件にかんしてはウェブへの書き込みがなされていないので、今後とも分かったことがあれば書き加えていきます。


思い出しました!  | 北端あおい   

ご無沙汰しております。最近すこうしは体調がましになってきました。ところで、初の書き込みがこんな話題で恐縮ですが…本日の宿題、わかりました! 例のものの野暮った可愛い名前、「はんてん」です。祖父母の家で寒がっていると、いつもいそいそと持ってきて貰ったのでした。綿入れはんてんとどてらってどこが違うのかイマイチわからないのですが…、おきやまさま、辞書になかったですよね?とりいそぎご報告まで。 


2007年04月11日

ブラウザについて  | 一考   

 先だってFirefox 2.0.0.3を紹介しました。FirefoxはMozillaの発展途上のブラウザで、ウィンドウズとマック双方に対応しています。なによりもオープンフォント対応なのがありがたく、ヒラギノ所収の外字が〓(ゲタ)をはかないところに利点がありました。
 当掲示板も発展途次にあるのですが、このところ様々のブラウザを試用しています。そしてCamino 1.0.3に行き当たりました。Camino(カミノ)はMac OS Xで動作するウェブブラウザですが、Firefox同様、MozillaのレンダリングエンジンであるGeckoを採用しています。拡張性はやや劣るものの、速度と軽さではFirefoxを圧倒しています。一部のバージョンはユニバーサルバイナリで配布されているので、PowerPCとIntelの両Macで動作します。こちらの利点はJavaパフォーマンスが向上されていることです。

http://jp.caminobrowser.org/

から国際版がダウンロードできます。


2007年04月10日

舌禍の一群  | 一考   

 前項同様、「私情すなわち好悪、言い換えれば趣味と称する自己宣伝」に困惑していると書いた。この件にかんしては、来店してくださる若人に煩がられるほど言い続けている。理由は舌禍の一群から抜け出していただきたいからに他ならない。草の根ネットの時代からウェブサイトを覗いているが、詰らないのひとことである。
 どうして詰らないかと言うに、文章を草するには三つの要が欠かせない。意味内容とセンスそれと手業である。まず、意味内容だが、対象が漱石であれ鴎外であれ鏡花であれ、対象に託つけて自己を述べるのが随筆であり論攷である。表すべき自己を持たなければ、作品の成立過程を時代状況に求めたり、同時代の他の作家の作品との比較考証といった、重箱の隅をつつくような不様を演じることになる。「託つけ」るとは書き手と対象たる作家の内面もしくは内的体験とのあいだに生じるコンフリクトであり、葛藤そのものを書き綴ることに他ならない。ここに肉声の唯一の出番がある。
 次にセンスだが、対象の選択並びにそこから惹き起こされる自己のイメージまでを含めて広義に解釈したい。ウェブでもっとも強調されるのがこのジャンルで、読んだ書物や観た映画の寸評から購入図書目録や作品と思しきイメージの羅列まで囂しい。後者に限ってなら、どうやら五七五であれば俳句で、改行が頻繁になされていれば詩で、そうでなければ散文であるらしい。他人のマスカキを見せ付けられて随喜の涙を流すがごとき奇特の士がウェブを填め尽しているそうな。
 センスとは思慮分別を指す。機微を穿つと言ったときの、その表現の巧みさにこそセンスが顕れる。決して好悪の表明にセンスがあるのではない。そのようなセンスを「臘月のセンス」と呼ぶ。
 過日、某編集者から新人賞の応募作を読まされた。文中に「池袋の街に雨が降ってきた」とあったが、前後を振り返っても街の描写も雨の描写もなにもない。屋根が壁が舗道が木立が雨に打たれてどのように変わっていったのか、その雨はそぼふる雨だったのか篠突く雨だったのか、さらには濡れた街の匂いあるいは雨そのものの匂いはどのようなものだったのか。状況描写を試みようとする以上、そのシチュエーションがどうして必要なのか、その表層的シチュエーションが書き手の内面的シチュエーションといかように響影し合うのか、微視的な重語法を駆使しなければ読み手にはいささかの趣も伝わらない。繰り返すが、霧多布と松江と小豆島に降る雨はまさか同じ匂いではあるまい。その相違に応じて言葉を選び、地名の表明を無用にさせるまでに描き込むのが文学でなかったか。どこまで行こうが、文学とは手業(てわざ)である。

 詰らないのは一考の方で、私たちは多くの友達を得て自給自足しているとの与太が聞こえてくる。確かに、ソーシャル・ネットワーキングの売りは友を作ることらしい。しかして、ひととの出遇いや読書が持って生れた稟質の変更改竄を余儀なくさせるならともかく、拾い得た知識を自らの属性と曲解し、それを出汁に友と称する悉に異(あや)しがるべきものを聚めて悦に入るなど以ての外である。
 喧々囂々と侃々諤々では意味がまったく異なるが、いずれにせよ、大事は遠慮のない直言と大いなる議論にある。もとより、直言とは言いにくいことをいうのであって、非を非と示唆するのはどちらに転ぼうが侮辱にしかならない。指弾が続くことによって、やがて互いの存在を詠嘆し咨嗟し合うようになる。この咨嗟を失意ととろうが失望ととろうがひとさまの勝手であるが、その相方への夢や希望を失くすところから友情がはじまるのではないかと思っている。詠嘆し咨嗟するは天地微妙の大消息深呼吸と相場は決まっている。さればひとの存在もその摂理を遁れられない。友にせよ愛にせよ、それらは独歩に倣えば「天地微妙の大消息」の一端もしくは一過に過ぎないのであって、騒ぎ立てるべき対象とはついになり得ない。


歓送迎会  | 一考   

 掲示板のはじめに「紐帯を深めるための儀であれば控えさせていただ」くと書いた。思入れ三重ならとにかく、あのじめじめした情動が堪らなく嫌なのである。手締めに出遇う度に頭のなかをしらけ鳥が飛んでゆく。
 先日、貸切状態だったのはS社の歓送迎会だった。乾杯がスコール、万歳三唱と手締めのかわりにgo go goと小声で倡和する。さすがにウィスキーのメーカーだけあって、スマートな立居振舞いに感心させられた。あのような儀礼であれば非の付けようがない、見事な気配りであり思いやりであった。


2007年04月08日

澁澤龍彦 幻想美術館  | 薫子   

 展覧会のお知らせです。

 埼玉県立近代美術館にて4月7日から「澁澤龍彦 幻想美術館」展が開催されています。
詳しくはこちらを
http://www.momas.jp/003kikaku/3.01.next.k.htm

アルチンボルド、ルドン、伊藤若仲などなど。ですぺらに度々出没される金子國義さん、四谷シモンさんの作品も展示されます。
今日は澁澤龍子さんと巌谷國士さんとの対談もあるようです。


今後ともよろしくお願いいたします  | 薫子   

 おきやまさま、お忙しい中、ですぺら掲示板2.0開設いただきありがとうございます。店主の「あーせい、こーせい」にも応じて下さり、恐縮です。「せっかく掲示板が復活したんだから、あれもこれも書かなならん」と鼻息荒く申しております。あな恐ろし。
 
 
 


2007年04月06日

飴の中から金太さん  | 一考   

 昨夜、シモンさんが帰られた後、新宿でいつもの五人組が集まって店の先行きについてのはなしになった。再開発は赤坂だけではなく、新宿でも広く行われている。石原都知事の命によってゴールデン街二百六十軒の飲み屋はまさに風前の灯である。五丁目のAgeも立ち退きを迫られた、こちらはビルの建て替えである。二階と三階は住居で、新築から四十年間住んでいた婆さんは真っ先に追い出された。転居までに与えられた期日は一箇月で、転居先は紹介されたものの、引っ越し費用は自己負担である。Ageは業務店なので、さらに過酷な条件が待ち受けている。
 石原都知事の初仕事は都内の公立図書館の縮小と合理化であった。司書は解雇され、地方地誌にかんする資料は大半が破棄された。持て囃されたのは都市の再開発である。ちなみに、東京の産業廃棄物の量は全国の七割を占める。そして産廃を捨てるのに要する費用は明石の二十倍、人件費など諸経費込みでダンプ一杯百万円を超える。業者からは東京価格を請求されるが、その塵が都内で処理されることはほとんどない。茨城、栃木、群馬県内などで投棄されている。それだけ、都内のビルの新陳代謝が激しいのである。
 前項で触れたコンビニや石原に責任があるのではない。要は都民そのものが金太郎飴になってしまったのである。コンビニのおでんを買って天皇陛下万歳とでも三唱しようか。


2007年04月04日

再開発  | 一考   

 ○源ビルといっても、ライオンズマンション同様、いたるところにあって赤坂にも数棟ある。ここで話題にするのはTBSのすぐ横の○源ビルである。ですぺらが入っているビルと比して床面積は十二倍、そこそこの大きさの雑居ビルだった。それを外資系の不動産屋が買収した。彼等にビルを経営する気は端からない。店子を追い出してビルそのものをリニューアルするか、建て直して売り抜け、利鞘を稼ぐのが目的である。いずれにせよ、通常なら立退料で一悶着起きる筈だったが、外資系が買ってほどなく、全テナントの家賃が倍に値上げされた。
 小泉時代の法律改正で店子の権利は骨抜きにされた、目的は再開発を容易にするためである。営業が成り立たなくなった店子はわずかの掴み金を手に泣く泣く出て行かざるを得なかった。○源ビルに限らず、赤坂ではTBSビルのオープニングに向けて外資系の会社が暗中飛躍している。
 先々週の木曜日、そのような会社の役員と語らった。これからは座っただけで一万円、一杯飲んだだけで一万円、二万円というような高級店、もしくは薄利多売のチェーン店のみ生き残ってゆく。味や商品構成に独自性を持つ個人商店は誰も求めていない、とのお話だった。その消息は飲食店に限らない、出版であれなんであれ同じである。魚、青果、精肉、漬物、乾物、葉茶屋、総菜屋、文房具、書店等々が犇めきあう市場や商店街が消え、コンビニに取って代わった。コンビニの商品構成はほぼ一律である。家庭の献立が地域性を失って等し並になってゆくのは当然の結果である。それを求めたのは個々の住民であり、地域社会であった。

 さて、新築になれば賃貸料は二倍に跳ね上がる。前述の役員によると赤坂界隈の適正な賃貸価格は坪四万円だそうである。二十坪の珈琲店で一杯二百円なら、月二万杯、一日八百杯の珈琲を売るのが損益分岐点になる。従業員が二部制で五名、席数が二十五として三十二回転である。そんな店はわが国のどこにもない。通常は四回転、されば珈琲一杯の適正価格は千六百円になる。新橋駅前を持ち出すまでもなく、小料理屋が消えて風俗店が蔓延る理由がここにある。
 ですぺら固有のことはここでは書かない、必要すらないからである。ただ、店の先行きが決まらなかった、決まらなかったというよりは決められなかった、その理由を述べたつもりである。


2007年04月02日

裏の川つづき  | 一考   

 自宅から本が溢れでて、明石のマンションを借りたのは三十歳のときだった。八十平米の3LDKで、借りた当座はこれで少しは楽になるかと思われた。楽というのは他でもない、家の近隣に間借りしていた数軒のアパートの書物を統括できると考えたのである。ところが、マンションは天井が低くかつ柱や梁がいたるところに設えられている。マンション用の本棚を四十本ほど買ってきたものの六千冊ほどが収納の限界だった。当時の蔵書数だと八十平米のマンションを十室ほど賃貸しなければならない。爾来、私は戸建て住宅を専らとしている。木造家屋だと床と天井を抜き、コンクリートを張れば、一帖あたり千冊は軽く収納できる。二十坪で三、四万冊の計算である。
 神保町のT書店の店内蔵書が約一万冊、T書店は神楽坂に店の六倍ほどの倉庫を持っている。天井までの高さは通常のマンションの倍はある。客に見せるわけではないので、倉庫にはびっしりと詰め込まれている。それがなければ古書店は維持できない。
 私が新本を買わないのには理由がある。戦後の本なら図書館に揃っている。どうしてそのようなものを個人で所有しなければならないのか。無理をして購うのは私家版と私刊本、それと納本を拒否しているプライヴェート・プレスの書物だけである。
 蔵書と転居で泣かされてきたひとにとって厚表紙のいわゆる上製本ほど困るものはない。あれの中身は馬糞紙である。ここで木村青竹などを持ち出して馬糞の文化史を語るつもりはない。ただ、日本でも英国の堅板紙に負けないものが造られてはいる。問題はそれを書物に使う版元や装丁家がいないのである。価が馬糞紙の二十倍では仕方ないのかもしれない。麦藁といえば聞こえはいいが、要は土壁を原料とした質の悪いボール紙である。それを以て上製とはこれいかにと、うそむきたくなる。上質の堅板紙を書物の表紙に用いた出版人は、佐々木桔梗を除けば戦後三人しかいない。そして内二名は図書館への納本を拒否しつづけている。
 湊川から荒川へと拙宅の裏を流れる川の名はしばしば変わるが、高遠占師によれば源はひとつであるような。いずれにせよ、月がさやかに照るなかを流れてゆくのは夥しい量の馬糞紙なのである。


2007年04月01日

れいはるさんへ  | 一考   

ありがとうございます。過日、あなたの誕生日だったことを後から知りました、申し訳なく思っているのです。休みの前の日にでも、ゆっくり飲みましょう。


過去ログ2  | 一考   

 昨日の新聞で吉行淳之介が教科書から抹殺され、吉本ばななが掲載されるとかで、いささかの衝撃を受けております。それ故、ご指摘の「あらゆる話し言葉/書き言葉の中間形」であればこそ、一月とは申しませんが三月も経てば掲示板は消えてゆくべきではないかと思うのです。
 他方、車やバイク、パソコンの整備や分解にかんしてはネットのお世話になっています。そのような技術的なことなら納得するのですが、拙文がごとき他愛ない書き込みを残すに尻込みするのは当たり前のことなのです。
 この件にかんしては暗渠の上の赤坂亭にて櫻井さんと話した記憶がございます。しかしながら、「同業者ここにありとは」のような取り置くべきみごとなお言葉を頂戴すると、消すのが暴挙であり愚挙であるようにも思われてきます。
 いずれにせよ、管理なのか技術開発なのかはさておき、掲示板の制作者のご意見は最大限尊重致したく思います。いわんや「掲示板のエコロジー」によって確たる意思表示がなされた以上、私はそれに従います。改めて、よろしきお引き回しのほど、重ねてお願い申し上げます。
 追記
 私に美学は根刮ぎございませんよ。話序でに、選民意識、貴族趣味、帰属意識等も。


掲示板のエコロジー(テストついで)。  | おきやま   

桜井さま。
掲示板1.0の件、だいたい格安ベンチャー系は買収されるとアブナイんですよね。牛込櫻会館は満遍なくgoogleにキャッシュされているので、大変便利なのですが...。一考さんが見つけたXreaへの移転はいかがですか?。大容量アップロードがときどきコケますが。

 過去、しかも自らの著述物に恋々とする書き手ほど気色悪いものはなく、それゆえ書き手の美学?として過去にこだわらないというのは、まぁいいのですが、読み手あるいはネットサーファー(死語!)としては、できれば過去ログ&検索もあれば便利か?と。センチメンタルな感傷よりは、実用性の視点です。
 たとえば北海道に行く前に「つぶ貝のおでん」の件をちと確認したい、北海道イチ・アイスクリ~ムの件を確認したい。で・き・れ・ば、今日は"長々の蘊蓄抜き"(ここ重要!)で...という場合。よーく考えると、ですぺらの営業妨害かも、ですが、書いた本人自体が忘れているトピックが多々あるので...

 書かれたことは、書いたとたんに書き手を離れ、独り立ちするものと思います(特に掲示板はあらゆる話し言葉/書き言葉の中間形です)。そして、本来、時機や文脈とともにあった文章?/書込が、時間軸や肉声や面影と切り離された遺骸となり、横暴な検索エンジンという無数の螽に喰われ、言葉の断片へと切り刻まれていく。誰かの役に立つやも立たぬやもしれず、一生の道を誤らせるかもしれず、頓珍漢な誤解をうけるやもしれず、あるいはおもわぬ解釈や発想へと芽を出すかもしれず...いずれにせよ、遂に単語の引き手もなくなれば、無意味なビット羅列と化して、電脳網の土に還る(?)のですから。
 海馬イラストの裏コンセプトに従っていうならば、海猫が見事なダイビングで海老煎を食べ、してやったはずの海老煎に弱った海猫を海馬が食べ、満腹のシアワセな転た寝で潮に流され刺し網に弱った海馬を漁師が食べ、積年の敵を成敗したはずが思わぬ食当たりに弱った漁師を厳冬の荒海が飲み込み、折しも翌日・押し寄せた流氷下に漂う遺骸をエビが食べ、その海老を...(ぁぁ強引だけどやっと戻った!)ということかもしれません?。
ほな、さいなら。...とかね。


祝、ゼウス。  | れいはる   

初汚しに参りました。新掲示板おめでとうございます。これからも黒き明滅の呟きを楽しみにしております。


投稿機能復帰しました  |  おきやま

技術開発のおきやまです。下記ご指摘の通り、投稿時に謎のエラーが出ていましたが、現在、復帰しております。なお、特にスクリプトには異常なく(修正加えてませんので)、サイトの再構築だけで回復しましたので、実のところ根本原因はよくわかりません。裏で行っているページ分割テストの影響は考えられますが、ロジカルな変更点はないので、Xreaの「虫の居所」以上の原因はわかっていない状態です。ローカルページのスクリプトにゴミが入っていたか?...ぐらいなのですが。
 未だ同様の現象が起こる可能性は消えていませんので、なにかありましたら、掲示板上、またはtookoo@despera.com宛、お知らせ下さい。

★同様のエラーが起きましたら、とりあえず、movabletype管理画面より、左下の「サイトを再構築」を実行してみてください>一考さん、または、ヒロさん。

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