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2009年01月 アーカイブ


2009年01月29日

お役所仕事  | 一考   

 運転免許証の更新へ行く。普通車と大型車とのあいだに中型車との区分が設けられ、該当車種は車両総重量5トン以上11トン未満となる。平成19年6月2日に施行されたが、それ以前に普通免許を取得した者は車両総重量8トンまでの限定ながら中型免許が与えられる。車両総重量8トンとは最大積載量5トンを指す。要は名称が換わるだけで乗られる車種は以前と変わらない。
 そこまではよいとして、私は大型免許を取得済みである。従って免許証に「中型車は8tに限る」との条件は不要である。その旨を伝えたが、記載する決まりになっていますのでと断わられた。お役所仕事の典型かと思われる。

 更新へ行くときは朝から目薬を指して目の体操を試みる、目玉をぐるぐる回したり棒切れの先を凝視つつ前後させる。いつものことなのだが心構えとしかるべき準備が必要なのである。ところが、その日に限って目薬が見当たらない。やむを得ず、惚けた目を引っさげて更新に及んだ。視力検査は丸の隙きの開いた方を上下左右と指示するのだが、丸がふたつに見える。いくら目を凝らしたところでやはり丸はふたつである。そこで上の丸は下が開いていますと応える。次のはどうですかと問われたが、丸はやはりふたつ見える。上の丸は右で下の丸は左が開いていますと応じる。担当の婦人警官が「さっきからひとつしか写っていないのですが」と困惑の声。ふざけなさんなとの叱責にも聞こえる。すると視界が明るくなって両眼で見られるようになった。要するに右単眼の検査は端折られたのである。両目で見ると、なるほど丸はひとつである。さらに小さな丸が写し出されたが、私にはなにも見えない。結局、一番大きな丸が両眼視で識別できただけである。
 深視力検査は三度繰り返されるが、三度目に件の婦人警官がひとこと。「三度目は誤差が五ミリだったので合格にしときます」このようなお役所仕事なら大歓迎である。十年以上前のはなしだが、西明石では受かるまで検査が繰り返された。とりあえず更新は終了し、久しぶりのゴールド免許を手にしたものの、次回の視力検査はどうなるものやら。


2009年01月27日

ユーチューブのダウンロード  | 一考   

 有線テレビが月額三百円の値上げでアナログからデジタルに移行された。つまり拙宅へデジタル放送が迷い込んできたわけだが、テレビはアナログのままなのでハイビジョンだデジタルだといっても、なんの恩恵にも浴していない。もっともバイク通勤に必要な天気予報が見られるようになったのはうれしい。こちらはいちはやくデジタル化し、困っていたのである。
 ADSLは有線を利用しているが、明日から電話も有線である。それにしてもと思う。テレビや映画を覧るになぜ鮮明でなければならないのか。かつてVHSが発売された折、巻き戻したり静止画像が見られるようになったのに喜んだ。ヴィスコンティの用いる小道具や絵画を確認できるようになったからである。それまでは目を皿のようにして見続けなければならなかったのである。爾来、お煎にキャラメル、あんパンにジュースを片手の映画鑑賞が可能になった。
 私が申し込んだのは基本コースであって、有料放送は写らない。しかし、とんでもないチャンネル数で、到底使いこなせるものでない。前述のブラウン管方式のアナログテレビはひろさんから頂戴したものだが、年月が経って上部五分の一ほどが写らなくなった。さらに五分の一が写らなくなれば薄型の小さなテレビを購入したいと思っている。
 ひろさんで思い出したが、ユーチューブの音楽をダウンロードするに際しvixy.netは何の役にも立たない。当方はマックなのでmp3へ変換しなければならない。彼から教わったフランスのサイトの方が確立は高い。ちなみにOS 10.3.9で落としたものをOS 9.2.2へ転写、iTunes J1-2.0.4で聴いている。マックユーザーでお困りの方は下記サイトへどうぞ。

 http://catchvideo.net/online-video-converter.aspx


2009年01月21日

モルト会解説(スプリングバンクとその仲間を飲む)  | 一考   

01 スプリングバンク・レッドファウンダーズ(ロッホデール)
 アバディーンに事務所を構える新しいボトラー、ロッホデール社のファースト・リリースで1800本のリミテッド・エディション。46度のミディアムボディ。
 オーナーのゴードンライトはスプリングバンク蒸留所の創業者の子孫で、マーレイ・マクデヴィッド社の関係者。同オーナーの記憶のなかにある60年代のスプリングバンクを再現すべく、年数の異なるバーボンとシェリー数種類のカスクをブレンド、クラシックなスプリングバンクの香味の再現に成功している。1990年前後のカスクを使用、発売は2002年。レッドファウンダーズとは仮の名で、ファウンダーズリザーヴと記載されている。
 シトラス、蜂蜜、メロン等のリッチな香り。バーボンとシェリーカスクのコンビネーションからくる甘味と微かなバニラ香。すべてのクラシックなスプリングバンク同様、潮味の効いた長く繊細なフィニッシュを堪能できる。

02 スプリングバンク・ブルーファウンダーズ(ロッホデール)
 ロッホデール社のセカンド・リリースで国内へは480本の入荷。46度のミディアムボディ。発売は2003年12月、本数は不明だが2006年2月に再入荷あり。

03 スプリングバンク・ブラックファウンダーズ(ロッホデール)
 08年4月発売のサード・リリース。16年もの、46度のミディアムボディ。
 前回のブルー・ファウンダーズから5年、これまではビンテージ、熟成年の記載がなかったが、今回はより熟成を経た16年ものとしてボトリング。エイジングが記載されているが、バーボンとシェリーカスクのコンビネーションはそのまま。
 芳醇で甘く滑らかな味わい、フルーツ香とクリーミーなココナッツ、かすかなスモーキー・フレーバーガ織りなすクラシカルなスプリングバンク。

04 スプリングバンク・ゴールドファウンダーズ(ロッホデール)
 08年12月発売の最終リリース。バーボン・カスクの17年もの、46度のミディアムボディ。
 前回のブラック・ファウンダーズから8箇月、さらに熟成を経た17年ものとしてボトリング。過去二度ののボトルは年数の異なるバーボン樽とシェリー樽数種類のカスクをブレンドしていたが、前回からはエイジングを記載。本品はブラックファウンダーズとは異なり、バーボン・カスクのみを用いる。
 1998年に蒸留された原酒が熟成される過程をボトリングしたアードベッグのベリーヤングからルネッサンスに至る四種のシリーズとよく似た愉しみ方が可能。最終リリースがバーボン・カスクなのはよく考えられている。

05 スプリングバンク '91(ロンバード)
 ジュエル・オブ・スコットランドの一本。バーボン・カスクの10年もの、50度のプリファード・ストレングス。シングル・カスク。
 以前の「ジュエル・オブ・各地域名」をリニューアル。ボトル形状はコニャックのそれに、地域ごとに色分けされたラベルの下部にカスク番号やテイスティングのコメントが付されている。同時頒布にモートラック90年蒸留の10年ものとローズバンク89年蒸留の12年ものがあり、すべてバーボンのシングル・カスク。チル・フィルターや着色は施されていない。
 リニューアル後、最初のボトリングにしては問題あり。割水とウィスキーとが馴染んでおらず、水っぽく感じられる。舌先で香味が割れるようなちぐはぐな味わい。同時頒布のモートラックやローズバンクがまずまずの出来映えだけに残念。しかしながら、塩味は強烈、スプリングバンクの香味の幅を知るに絶好のモルト。

06 スプリングバンク(C.V)※
 12年もの、46度のディスティラリー・ボトル。
 個性的な甘さと深みのあるこくを控え目に、スプリングバンクのいまひとつの個性“Briny”(塩辛い)を強調。
 間違いなく、アイラモルトに似たスプリングバンクの稟質にもっとも近いモルト・ウィスキーである。もともと同社は多面的な商品構成を社是とする。本品に先行するシェリーカスクの12年ものが持てはやされ、本品はさんざんな悪評を被る。CVが蒸留所の顔として位置づけられるのを嫌ったのか、敢えなく絶版。実験品としてコレクターズ・アイテムの仲間入りを果たした。

07 スプリングバンク12年(緑マーク)※
 シェリー樽熟成、46度のディスティラリー・ボトル。
 ディスティラリー・ボトルの12年と21年にみられる馥郁たる甘味は熟成に用いられるダーク・シェリー樽由来のもの。素顔のスプリングバンクはマル島やアイラ島のモルトの如く、オイリーなテキスチャー、ヨード香、塩辛さ等のキャラクターを内包する。決して口当たりのよいウィスキーではなく、強烈なパワーと複雑な香味を併せ持つ、類い稀なウィスキーなのである。タリスカー・アモロソを持ち出すまでもなく、スプリングバンクのような辛口かつシャープな酒質にこそ、シェリー樽が相応しい。ただし、ロイヤル・ロッホナガー・リザーヴ同様、本品も熟成に必要な樽の確保が困難になり、現在ではボトリングされていない。2000年前後に生産終了、2002年以降はとんでもない高値で取引されている。

08 ヘーゼルバーン '98(アルシェミスト)
 オーク・カスクの8年もの、46度。2007年のボトリング。
 1997年から生産がはじめられたスプリングバンク蒸留所の第三のシングルモルト。原料の麦芽にピートを焚き込まず、三回蒸留でつくられる。ローランドタイプのモルトを現代に蘇らせた。

09 ロングロウ '92 ※
 スプリングバンクのセカンドラベル。オーク・カスクの10年もの、46度。2002年のボトリング。
 特質は麦芽の乾燥にピートのみを用いる点。スプリングバンクの6時間に対して、55時間もピートを焚くといわれる。
 湿った草や土の匂い、微かにシェリーの甘味、長くピーティーなフィニッシュ。塩辛く、口腔が沸き立つようなオイリーな後口。通好みのヘビーなモルト。
 1973年から74年にかけて蒸留、85年より発売。ブランドはスプリングバンク蒸留 所に隣接していた蒸留所の名。同蒸留所は1896年に閉鎖され、現在ではスプリングバンク蒸留所の瓶詰工場になっている。
 90年以降、年毎の生産量は増え、2000年からは定期的にボトリング。91年からはヴィンテージが記載されるようになった。しかるにヴィンテージは92年で終了、以降はオーク・カスクとシェリー・カスクのヴァテッド・モルトに統一された。10年もの以外ではシェリー・カスクの14年ものがあり、テキスト・ラベルのカスク・ストレングスがごくたまに頒されている。
 ボトラーではキルシュ・インポート、サマローリ、ドリームス、マーレイ・マクデヴィッドからボトリングされているが、いずれも入手困難。

10 ロングロウ '89 ※
 シェリー・バットの13年もの、53.2度のカスク・ストレングス。テキスト・ラベル2350本のリミテッド・エディション。
 ロングロウのディスティラリー・ボトルにはブルー・ボックス、蒸留所の近影を写したラベル、テキスト・ラベルの三種がある。新しいところではブルー・ボックスが99年に、蒸留所ラベルが98年にボトリングされている。いずれも極めて入手がむずかしい。


2009年01月20日

温野菜  | 一考   

 ヒロユキさん来店、温野菜で頭を抱えているらしい。この場合の温野菜は茹でる、蒸すであって、焼く、煮る、炒めるは除外する。秘訣らしいものはないが、湯掻く時間を極端に短くすることと多量の氷水につけること。温野菜に禁物なのは余熱である。
 いつぞや枝豆の湯掻き方を書いたが、沸騰して一分である。ホテルの温野菜はジャガイモ、ニンジン、ブロッコリーなどを別にすると、ほとんどは葉物である。種類は異なるがブロッコリーの葉もしばしば用いる。この場合は秒単位で時間差攻撃を掛ける。
 東京ではサヤインゲンがよく使われるが、旨いと思ったことが一度もない。湯掻きすぎで芯までぐちゅっとしている。これはビアホールの枝豆も同様である。豆類は氷水につけないので湯掻く時間はさらに慎重にかつ短めにしなければならない。例えば、唐揚げは十秒から二十秒揚げて取り出し三十秒置く。その三十秒の間に余熱で芯まで火が入る。あとは仕上げで表面をからっと揚げるのである。
 繰り返すが、レタスは十秒、キャベツは二十秒で十分である。業務用のガスの火力は強い、そして器は大きい。家庭用とは基本が異なることに留意すべし。それにしても、と思う、嬬恋村で温野菜は食べないだろう。衛生面での配慮なのだが、私はホテルの温野菜に興味がわかない。ただし、コンソメや白出汁を湯掻き汁に用いた温野菜は好きである。野菜が野菜でなくなり、新しい食べ物に変身するからである。

 ヒロユキさんは仕事が続きそうだという。私にとってそれ以上の土産はない。ちょうど一箇月になろうか。嬬恋村の出世頭になってほしい。


ですぺらモルト会  | 一考   

1月24日(土曜日)の19時から新装開店後、十三度目のですぺらモルト会を催します。
会費は11000円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
今回はスプリングバンク、ヘーゼルバーン、ロングロウのボトルを楽しみます。ロッホデールの四種類のスプリングバンクを中心にブリニー(塩味)からシェリー香に至るさまざまな味わい、加えるにノンピートのヘーゼルバーン、強烈にピートを焚き込んだロングロウ、要するにスプリングバンク蒸留所の全貌を味わって頂きます。

ですぺらモルト会(スプリングバンクとその仲間を飲む)

01 スプリングバンク・レッドファウンダーズ(ロッホデール)
 ロッホデール社のファースト・リリースで1800本のリミテッド・エディション。46度のミディアムボディ。
02 スプリングバンク・ブルーファウンダーズ(ロッホデール)
 ロッホデール社のセカンド・リリースで国内へは480本の入荷。46度のミディアムボディ。
03 スプリングバンク・ブラックファウンダーズ(ロッホデール)
 08年4月発売のサード・リリース。16年もの、46度のミディアムボディ。
04 スプリングバンク・ゴールドファウンダーズ(ロッホデール)
 08年12月発売の最終リリース。バーボン・カスクの17年もの、46度のミディアムボディ。
05 スプリングバンク '91(ロンバード)
 ジュエル・オブ・スコットランドの一本。バーボン・カスクの10年もの、50度のプリファード・ストレングス。シングル・カスク。
06 スプリングバンク(C.V)※
 12年もの、46度のディスティラリー・ボトル。
07 スプリングバンク12年(緑マーク)※
 シェリー樽熟成、46度のディスティラリー・ボトル。
08 ヘーゼルバーン '98(アルシェミスト)
 オーク・カスクの8年もの、46度。2007年のボトリング。
09 ロングロウ '92 ※
 スプリングバンクのセカンドラベル。オーク・カスクの10年もの、46度。2002年のボトリング。
10 ロングロウ '89 ※
 シェリー・バットの13年もの、53.2度のカスク・ストレングス。テキスト・ラベル2350本のリミテッド・エディション。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


「嗜み」三号  | 一考   

 「嗜み」三号はインポーターのエイコーンを取上げる。先日、幹郎さんの取材が済んだ。エイコーンの蔦さんから「先方のご期待に添えたかは わかりませんが・・・」とのメールがあって、いまいち噛み合わなかったような気がしないでもない。「リヴェット系」との蔦さんの言葉に幹郎さんはちょいと引っ掛かったようだが、リヴェット系はシーグラム系に置き換えて問題ないと思う。グレン・リヴェット、グレン・グラント、ブレイヴァル(ブレイズ・オブ・グレンリヴェット)、ストラスアイラ、グレンキース、ロングモーン、ベンリアック、アルタナベーン、キャパドニック等、シーバス・ブラザーズ社が所有していた蒸留所は実に旨いモルトを造っていた。シーグラムの売却後、閉鎖された蒸留所、売却された蒸留所など消息はさまざまだが、もったいないことをしたものである。
 温厚なひとほど人見知りするものである。これは幹郎さんのことではない、蔦さんのことである。幹郎さんをして温厚とは口が裂けても言えない冗談である。温厚とくれば篤実である。他への思いやりより悪意と嘲笑が優先されなければ詩は書かれない。一方、蔦さんは外国で長くワインの勉強をしてきた、いわば酒のプロである。香味にいささかの狂いもないが、ラベルのデザインが良くないとの悪口ぐらいは幹郎さんのことだから言ったに違いない。いずれにせよ、四号から舞台はスコットランドへ移る。
 私は口先だけの人間で、分かったような話をしているが、海外旅行の経験はまったくない。私のいう海外とは北海道であり、四国であり、淡路島であり、小豆島なのである。要するにパスポートを必要とする旅行には行ったことがない。先日も客がアイラ島のどこそこの岬が風光明媚でと話すものだから、数え切れないほどアイラへは行っているが、何時も霧でなにも見えません、大体があの辺りは霧が深くて・・・と見てきたような嘘をつく。そんな私だからボトラーではダグラス・レインとイアン・マクロード、蒸留所ならブナハーヴンかバルヴィニーが良いのではと言いはするものの当てにされては困るのである。ここは一番、土屋守さんにお出まし願うしかない。

 先日、幹郎さんからフランス土産にボウモアとダルモアのニュースピリットをいただいた。今週のモルト会で試飲していただこうと思っている。


2009年01月19日

チョコレート  | 一考   

 サントリーがモルト&ショコラプロモーションと題して山崎と白州の販売促進を図っている。さまざまなマリアージュが計画されているようだが、その内のひとつにロイズの生チョコがある。シェリー樽熟成の山崎とミルクチョコレート、白州8年とホワイトチョコレートの組み合わせである。
 ちはらさんが昨年、北海道土産に山崎の方を買ってきた。これは大層旨かった。いつ頃から売り出されたものか詳細は審らかとしない。しかし絶妙の口どけである。私は口に入れるものはその是非のほとんどを香りで決める。そしてロイズの山崎は及第点である。しかし、チョコレートのためにモルトウィスキーを購入するほど裕福ではない。従ってチョコレートだけを大量に買って来てとお願いした。
 モルトウィスキーの方はかつての山崎のヘヴィリーピーテッドのようなシングルカスクが発売されれば無理をしてでも購入するのだが。


大谷石  | 一考   

 カウンターの天板は旧店同様、大谷石を用いている。カウンターの立ち上がりの部分も同じ部材である。立ち上がりは36枚の大谷石で構成されているのだが、その内の23枚が金曜日の営業中に崩れ落ちた。客に怪我がなくて安堵させられた。
 大谷石の裏は張り合わせの合板ではなく、普通のベニヤ板が用いられている。従って圧力が加えられれば歪む。客の足が当たる部分なので一年のあいだに弛んできたのであろう。土曜日に大量の木工ボンドを買ってきて処置した。しかし、これは予測できたことである。再度剥がれるのは時間の問題であろう。剥がれれば張り直す、繰り返される応急処置、私の人生のようで微笑ましく思う。


2009年01月15日

雪の結晶  | 一考   

 中川町の町長亀井義昭さんが来店。北海道の今年の雪はまるで北陸に降るようなべた雪だそうである。マイナス17度までは下がったものの今年は暖かいらしい。とは言え、私には想像を絶する寒さに違いない。時代と共に様変わりしてゆく雪の結晶について話し込む。
 ちはらさんからウィルス性胃腸炎に罹り、先週の土曜日から嘔吐と下痢に悩まされていると連絡があった。佐々木さん(幹郎さんではない)の意見によるとインフルエンザらしい。養生しなければ十日から二週間は癒らない。札幌で紹介できる医師を私は持たないので困惑している。今日の北海道は吹雪である。明日の午後からすこしは緩むらしいが。


次回モルト会のことなど  | 一考   

 ゴードン&マクファイル社のコニッサーズチョイスからローズバンク91年が頒された。アメリカンオークのリフィールシェリー、17年、43度の加水タイプ。参考価格は6909円だが、ほぼ二年ぶりの四桁の売価である。大手ボトラーはさすがに値が下がってきたようだが、小規模なボトラーは為替の差額を超える値上げをしている。このままでは売れなくなるとの危機感を一部の酒屋が抱くようになった。当然である。
 ロッホデールのスプリングバンク・ゴールドファウンダーズが昨年末に頒された。同シリーズの四回目で最終リリースである。前回のブラック・ファウンダーズから8箇月、さらに熟成を経た17年ものとしてボトリング。過去二度ののボトルは年数の異なるバーボン樽とシェリー樽数種類のカスクをブレンドしていたが、前回からはエイジングを記載。本品の特徴はバーボン・カスクのみを用いたところにある。
 クラガンモアのカスク・ストレングスは10年ものがボデガ・ユーロピアン・オーク、17年ものがリフィール・アメリカンオーク・ホグスヘッド、29年ものがアメリカンオークのリフィルを用いている。ゴールドファウンダーズもカスクの不必要な影響を排したというところか。同様の配慮はロングモーンにもいえる。ロングモーンのオフィシャル・ボトルはひどく不味いが、ウィスキー・エクスチェンジのリージョンズ・ウイスキーの一本はバーボン・カスクである。従って、カスク由来の妙な癖がなく、オフィシャルと比して随分と旨い。
 さて、拙宅にファウンダーズ・シリーズが一本ずつ取り置いている。今月のモルト会はそれを中心に据えるつもりである。二年前に「六十年代のスプリングバンクを飲む」とのモルト会を催した。今ではそれぞれが六、七万円はする。仕入れだけで八十万円を超える。もう二度とあのようなモルト会はできない。しかし、一本だけ隠し球を用意している。期待に添えるものと思っている。


2009年01月14日

不可分物  | 一考   

 一月十四日は横須賀さんの遠日。連れ添いの誕生日はおろか親の不楽日すら覚えていないのに、なぜか彼のそれは鮮明である。これからしばらく私の「青の中」がつづく。
 このところ、深夜の赤坂では一度から四度の日々がつづく。私の身体は至って頑健なのだが。
 先日ナオさんと話していて、「男が女の身体に興味を抱くのは四箇月だね」四箇月の春情というのも切ないが、まあそのようなものだろうと思う。ならば、接触しなければ長持ちするのかということになるが、そうもゆくまい。肉体の触れあいと精神の交流は不可分の関係にある。要するに、人間は不可分物なのである。失意などというものはその取り分け不可能な点を諒解するところにはじまる。精神的であるにせよ、肉体的であるにせよ、そのような絶望は自慰的行為にしかならない。自慰としての絶望など考えるにナンセンスである。
 ひとが不可分物でなくなるのは死人と向き合う時のみ。いくら身体が丈夫とは申せ、このところの気落ちははげしい。


2009年01月11日

重ねて  | 一考   

 前項で書いた「ふりかえる」を繰り返し口遊みながら、森田童子の「海を見たいと思った」を聴く。同日の談ではないが、浅川マキはアンダーグラウンドを固守し、森田童子は75年から83年までの活動のあと沈黙する。私性に対する姿勢という点では共通項が見られる。
 私性と書いたが、これは個性を意味する。早いはなしが自分の生き方を擬える行為それ自体が唄になっている。もしくは唄そのものが生き方を示唆しているといえようか。この消息は文学にもそのまま通じる。そこで私はいつも考えさせられる。
 デュシャンの登場が絵画と文学との蜜月に終止符を打ったように、いつ頃から文学と人の存在との間の架け橋がなくなってしまったのか。例えばカラオケへ行ったとする。当然のことながら歌う側は自らの人生を顧みて共感なしうる唄を歌う。この場合、巧拙は問題外である。大事は味わいであって、味わいは同感や共鳴ないしはこころの共振がもたらすものである。
 例えば古書店へ行ったとする。堆く積み上げられた書物のなかから選ぶのは当然のことながら共感なしうる内容の書物である。この場合、作品の巧拙は問題外である。大事は同化であって、同化は同感や共鳴ないしはこころの共振がもたらすものである。その同化しようとするこころを私は自己解体と呼ぶ。
 「熱と理由」一冊がどうして私を涙ぐませたかといえば、死んだ友への共振が全篇の基調モチーフとなっていたからである。「熱と理由」は彼の「二十歳のエチュード」であり「死人覚え書」だった。読了し、涙腺がゆるまなかったとすれば、その人には書物を読む資格なんぞありはしない。
 人は不器用なもの、「さまざまな種類の自我の同時存在はあり得ない」と書いた。人はどうあろうとも全力で疾走するしかない。ありとあらゆるジャンルでもって人は個であることを証明しつづけるしかない。ある領域の自分とある領域の自分とが異なることなどあってはならない。その染め抜かれた色が私性であり個性である。


2009年01月10日

不如意  | 一考   

 ちはらさんが居ないので新宿へ行く、居てもゴールデン街へ行く。要するに彼女の存在と呑みに行くゆかないは関係ない。関係ないなら書かなければよいのだが、そうもいかない。帰りの足があると安心して泥酔できるが、足がないと酒がすすまない。酔っ払った時に私がどうなるかを知っているのは私だけである。いつぞや新宿駅で踊り出したらしく、その舞踊はいまだに語りぐさになっている。時としてベンチと交合、しがみついて離れなくなる。時として電信柱と熱烈な抱擁を繰り返す。時として電車の床が天蓋付きの寝床に思われてくる。しかして一宿目合うのは物体ばかり、酔うと生身に興味はなくなる。要は不如意、言い換えれば適度に酔うのが苦手なだけなのである。
 ところで不如意を広辞苑でひくと「どちりなきりしたん」が出てくる。ポルトガル語の「どちりいなきりしたん(キリスト教の教義)」に由来するのであろうが、そのような意味があることすら私は知らなかった。天正のキリスト教教義のカテキズモは知っているが、どうして不如意なのであろうか。さて、また酔っ払ってきたようである。


続けて  | 一考   

 「現代詩手帖」一月号に、去年の十一月に神戸で催された佐々木幹郎さんの講演「私が詩を書き始めた頃—1968年前後」が掲載されている。「熱と理由」と併せてお読みいただければ嬉しく思う。
 過去を「ふりかえるための文体が、わたしのなかでまだ見つかっていない」ので二十代について書くのは辛く苦しいという旨のメールを幹郎さんから頂戴した。ひとの身体は前進にこそ向いているが、後ずさりには適していない。単にふりかえるだけなら簡単なのだが、それでは肝腎の「熱」が失せてしまう。ふりかえる時にはしかるべき後ずさりが必要になってくる。それを弁えない冷や飯のような文章が世上に濫れている。文学は搖れつづける自分のことを書くのであって、決して他人事であってはならない。
 「熱と理由」のなかに小林秀雄について書かれた「最も奇妙な場所」がある。文芸時評をはじめたのが川端康成なら文芸評論は小林秀雄をもって嚆矢とする。そして小林を凌駕するものは未だに現れていない。小林は好悪でものごとを判断しない、常に最終判断は留保されている。彼は理解しにくいものがあると、対象となる場へ後ずさりする。早いはなしが彼自体が揺れ、振れつづけている。文芸評論家としてでなく、思索者として高く評する理由がそこにある。
 前項で「魘された時代」と書いたが、あの騒乱期にあってしっかり小林秀雄を見据えていた佐々木幹郎さんの眼力に脱帽、よき友を得たと思う。


「熱と理由」  | 一考   

 かつて澁澤、出口、種村さんと太宰コンプレックスと云うべき人たちと知り合った。私たちはその癖をダザコンと呼びならわしていた。1950年生れ以降はさすがに減ったのだが、1920年代から40年代生まれには蕁麻疹に罹るがごとくダザコン病が蔓延した。そしてその世代は1959年から1970年までの安保闘争となんらかの関わりを持っている。他方、1950年代の朝鮮戦争特需により1955年ごろには日本経済は戦前の水準に復興、1968年には国民総生産が資本主義国家の中で第二位に達した。1950年生れ以降は太宰コンプレックスと縁が薄いと書いた理由は、その世代が物心がついた頃、日本は戦中・戦後の影響からすでに脱していたということである。
 私は間違いなく戦後そのものを生きた。そしてまわりには私同様、遅れて戦後を生きたひとたちがいる。そのひとりが佐々木幹郎さんであろうか。幹郎さんに「熱と理由」と題する熱くかつ直向な本がある。1977年10月に国文社から上梓されたが、初刷がまだ新刊で手に入る。内容は69年から75年の間に書かれたエッセイ集である。
 「昔、シェストフと共にバンジャミン・クレミウの「不安と再建」がよく読まれた。戦後の1918年から1930年を超現実主義と逃避の期間とし、人格分解の時代、不安の時代と位置付けていた。要は花田清輝式二項対立の先駆を担うがごとき評論集だった・・・始源と終末を繰り返す歴史のなかにあって、第一次世界大戦であれ、第二次世界大戦であれ、戦後というのはひとを不安にさせる。櫻井さんのいう単孤無頼の独人も本を正せば不安がもたらす人格分解にある。よるべを喪えばパーソナリティーそれ自体が体を成さなくなる。振り返る過去がなければ感傷も追憶もなにもなくなる」と書いた。名状しがたい不安感について触れた文章だが、「熱と理由」を読んで同種の感慨を抱かされた。
 幹郎さんが二十代になにを思い、憬れ、抗い、闘い、書き綴っていたのか、それら桎梏が手に取るように分かる。自ら在した時代を克明に綴り、その進行形がいまになお続いているところに彼の表現者としての真骨頂がある。書評を書くつもりは毛頭ない。新本で入手可能と書くこと自体が彼に対する私の最大の批評であり評価である。

 学生運動に取り憑かれた者にとって熟読玩味し、反芻せざるを得なかった「イカロスの翼」が本書には収録されている。敗戦の玉音放送を聞かされた箇所、それは太宰の「トカトントン」の削除された部分でもあるのだが、「戦争体験であれ戦後体験であれ他のどのような体験であろうと、現実がある何かの引力によって歪めさせられ、歪みを歪みとしてとりあつかうことのできない世界のなかで、個人を中心点とした遠心力とも求心力とも切り離されて、人間の内部にあるもうひとつの現実がものとして浮かびあがり、それが最初に切り開いてくる滅亡感覚である」と幹郎さんは著す。文章はつづく、「わたしが一篇の詩を書くために深夜の机にむきあっているとき、わたしの胸とつりあった高さで一人の死者が、その死の固有の輪郭を求めて悶絶し浮游しているさまと出逢うことがある。彼は叫び声をあげず、ただ瞳をひらいたままだ。その瞳の奥にただよっている熱と苦悩の軌跡を追ううちに、声をあげるのは生者の側であるわたしの方であり、その声はまた死者の瞳と出逢って存分に叩きつけられる。そのたびに叩きつけられた上皿天秤の一方の皿から、手で触れ目で確かめることのできぬもう一方の皿の方へ乗り移ろうしては詩を書いてきた」
 友の死に逢着し、その惨劇を目の当たりにして、自らを「擦過してゆくもの」と位置づける彼ののっぴきならない純情に私は涙する。あの魘された時代の渦中にあって、否、魘されていたが故に「個」に、「私」に、幹郎さんは拘泥する。こだわるが故の擦過である。私ならさしずめ咲嘩とするところだが、そのような駄洒落が通用しない熱と弁証法的屈折が汪溢している。澁澤さんは重度の弁証コンプレックスに罹かっていたが、幹郎さんのそれも、澁澤に勝るとも劣らない複雑骨折である。ひとはどこまでゆこうが時代の申し子である。それは「熱の理由」でなく「熱と理由」と題されたところにも顕れている。さまざまな種類の自我の同時存在はあり得ない。と云って、統一された自我なんぞさらに無い。戦後の一時期、「私」を求めて人々は自己解体を繰り返した。その運動がいかに虚しく切ないものであったにせよ、その熱だけは死ぬ日まで忘れてはならない。

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2009年01月

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