飲み物にせよ、食べ物にせよ、かつての駄菓子屋の品揃えには自ずと限界があった。例えば、飲み物ならラムネ、蜜柑水、ソップ、飴湯もしくは冷したもの、それにジュースぐらいなもので、家庭では粉末の渡辺のジュースの素が全盛だった。冷蔵庫のない時代で、冷えた水だけでも立派な飲み物だった。歴史は古いのだが、市販の炭酸水(いまで云うソーダ)はウヰルキンソンだけで、圧力タンクにドライアイスと水を加えて振り回したものを飲み屋は使っていた。ソーダサイフォンの業務用と思っていただければよい。ビールのサーバーと炭酸のサーバーが並んで設置された店は福原でも十軒となかった。世はあげてハイボールの時代、1956年のはなしである。
ちなみに、バャリースの発売は50年、ウヰルキンソン・タンサンは51年からだが、庶民の飲み物でなかった。粉末ジュースは砂糖と比して安価な人工甘味料(主としてチクロ)を原料として用いていたので安かったが、69年以降は使われなくなった。さしずめわたしなどはチクロ少年で、三度の飯は喰わずとも、渡辺のジュースの素や春日井シトロンソーダを飲んでいたのである。
振り返るに現今の自動販売機の前に立って、わたしは常に迷う。種類が多すぎるのである。かつてチョイスは寡なかったが、十分われわれは満足していた。この満足というのは註釈が必要なのだが、その内容を問うのが目的ではないので、先へ進む。
先日、友と語らっていて、学生運動の某闘志にはなしは及んだ。聞くところによると、その闘志は学生運動の綱領を拵えるに澁澤龍彦の黒魔術の手帳に範をとったとか、週刊現代か週刊実話に掲載するようなエッセイからどこをどう拈れば学生運動の綱領が生まれるのか。雲を掴むようなはなしだが、60年代とはそのような時代だった。チョイスのなさは時としてとんでもないイマジネーションをひとに与える。逆に申せば、ひとから不満の捌け口(情念)を奪うには気が遠くなるようなチョイスを与えておけばよいのである。当然、それはお為着せの選択なのだが、構いはしない、気付く筈がないからである。例えば、ラムネ、蜜柑水、ソップ、飴湯がマルクス、レーニン、トロッキー、バクーニンであったにせよ、なんにせよ。要は迷わせることにあって、かつそれを気付かせないところに大事がある。
まつりごとのガス抜きとはそのようなものだが、知らずに乗せられている人々とまつりごとを執る人々、といった単純な図式でものごとは計られなくなった。かつて政治家たるもの世論ごときに惑わされはしなかった。それが今では世論調査に右往左往するようになった。チョイスを差し出す側がチョイスを受諾する側へ変身したのである。その場しのぎのマスコミが仕掛けた罠に政治家が搦め捕られたのである。既に日本の政治はバラエティと化した、謂わば寄せ木細工の変種であろうか。そのなかでも飛び切りの珍種が爺受けのよい小沢と婆殺しの管である。172億9700万円の政党交付金争奪戦は取り敢えず管に軍配があがった。久しぶりに狐と狸の化かし合いが演じられそうである。