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2010年07月 アーカイブ


2010年07月31日

お休み2  | 一考   

 モルト会はおっきーさんに面倒をお掛けした。棚からボトルを取り出し、閉店後にボトルを片付けるところまで、お世話になった。また、新規ボトル四十数本の運搬から棚差しは川畑さんを煩わせた。さまざまなご協力があって、現在のですぺらは成り立っている。忝なく思う。
 モルト会に限らず、あれもこれもとの希望はあるのだが、とにかく身体が付いてこない。昏倒まではいかないが、今週はひどい眩暈になやまされている。短い営業時間だが、それすら無理をしているのは分かっている。透析がはじまれば、さらにダメージが大きくなり、曜日を決めての営業になる。迷惑をお掛けするが、どうかよろしくお願いしたい。
 まだ決めていないが、本日土曜日は休みにしようかと思っている。日中に主治医を訪ねたため、ひどく疲れている。


2010年07月29日

お休み  | 一考   

 月曜日は北里病院へ行くのでですぺらは休業です。あとの予定は現状ではなにもなし。医師すなわち検査結果によります。末期腎不全の場合、高血圧になると同時に貧血にもなります。目眩いはともかく、意識消失の因果関係が貧血以外にあるのかどうかを知りたいのです。
 今週は目眩いがひどく、脱力状態に陥っています。なんとかしたいと思っているのです。


新入荷のボトル2  | 一考   

 新入荷のボトルはかなり書き直しました。前回とロットが異なるためヴィンテージは同じでも、アルコール度数や本数が異なるからです。ピアレスシリーズなどは、前回と比して大幅な値下げとなりました。また新入荷のボトルへ記載はしていませんが、クラガンモアのカスクストレングスも25パーセントの値引きです。後から入荷した商品の値下がりが理由です。初回は航空便のため、運賃が一本当たり八百円から千円ほど掛かります。船便を待てば確実に値は下がるのだが、その折には売り切れという商品もあって、悩ましいところです。
 このところ、インポーターのモルトウィスキーからの撤収が続く。ハードリカーは思うほど売れない、在庫を抱えなければならないので、個人会社ならともかく、企業としては難しいのではないだろうか。そのため、在庫限りの安売りを見掛けるようになった。


2010年07月28日

新入荷のボトル  | 一考   

 一年近く入退院が続き、店を捨て置いてきましたが、この度新規ボトルが四十種類ほど入荷しました。その内の一部です。詳細はですぺらの方で。

 【スキャパ '88(ケイデンヘッド)】※ 1700円
 オーセンティック・コレクションの一本。97年のボトリング、オーク樽の9年もの、63.6度のカスク・ストレングス。
 【レダイク '79】※ 2000円
 1998年のボトリングにして19年もの、43度のディスティラリー・ボトル。
 1983年に閉鎖され、93年にバーン・スチュワート社が買収して操業を再開。それ以前の蒸留。他に99年ボトリングの20年ものがある。
 【ハイランド・パーク '80(ハート・ブラザーズ)】 1300円
 ファイネスト・コレクションの一本にして、16年もの、43度。
 【ハイランド・パーク '88(ウィルソン&モーガン)】 1600円
 99年のボトリング。バレル・セレクションの一本にして、10年もの、57.2度のカスク・ストレングス。
 【ハイランドパーク '86(ダンカン・テイラー)】  1800円
 2009年のボトリング。ピアレスの一本。オーク樽の22年もの、55.7度のカスク・ストレングス。176本のリミテッド・エディション。
 【ブナハーブン '97(ダンカン・テイラー)】 1100円
 2009年のボトリング。NC2の一本。12年もの、46.0度。
 ピーテッド・モルト。
 【ブナハーヴン・ヘヴィリー・ピーテッド '97(シグナトリー)】 1200円
 カスク・ストレングス・コレクションの一本。リフィール・シェリー・バットの11年もの、55.8度。336本のリミテッド・エディション。
 【ボウモア8年】※ 900円
 40度のディスティラリー・ボトル。
 若いモルトを好む伊太利亜のみに出荷。12年ものと比して香味は硬く、華やかさに欠ける。
 【ボウモア・マリナー15年】※ 1300円
 43度のディスティラリー・ボトル。
 もともとは免税品店における限定商品。
 【アイリーク '89(ハイランズ&アイランズ)】 700円
 マン・フロム・アイラとのサブ・タイトルを持ち、通称はイラック。
 ハイランズ&アイランズ・スコッチ・ウィスキー・カンパニーのボトルにして、元々はドイツ向けの商品。当初はラガヴーリンを詰めていたが、ラベルに描かれた蒸留所の絵柄から推し量るに、現在は40度のラフロイグかと思われる。しかし、ブリニーなピート香にラガヴーリンのおもかげが色濃く、なお疑問は残る。
 【ラガヴーリン '91(スコッチ・モルト・セールス)】  2200円
 ディスティラリー・コレクションの一本。10年もの、55.0度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
 樽の提供はイアン・マクロード社。ボトリングはスコティッシュ・インデペンデント・ディスティラーズ社。
 【ラフロイグ '96(ウィスキー・エクスチェンジ)】 1600円
 エクスクルーシヴ・モルトの一本。06年のボトリング、オーク・カスクの9年もの、52.3度のカスク・ストレングス、311本のシングル・カスク。
 ウィスキー・エクスチェンジ社はスピリッツへの情熱と40年間の豊富な経験を持つシャキンダー・シンとラジャバー・シンの2人の兄弟によって創設された酒類専門会社。1500以上のウイスキー、100以上のコニャック、ラム、その他のスピリッツなど、豊富な品揃えを持つ。また、最近ではボトラーズとしても活躍、数々のシングルモルト・ウイスキーを発売している。
 【グレンヒース(スコッチ・モルト・セールス)】 800円
 10年もの、40度。中味はオスロスク。
 かつて、グレン・マレイを核とした同名のピュア・モルト・ウィスキーが頒されていたが、本品は全く異なる。オスロスク蒸留所のシングル・モルト3樽をボトリング。1000本のリミテッド・エディション。
 ディスティラリー・ボトルのシングルトンと比してまろやかさで優る。色は淡く、カラメル香もなく、シェリー酒のテイストが濃厚。
 【オスロスク '90(キングスバリー)】 2000円
 05年のボトリング。ケルティック・シリーズの一本。バーボン樽の15年もの、62.8度のカスク・ストレングス。240本のリミテッド・エディション。
 【キャパドニック '72(ダンカン・テイラー)】 2600円
 2009年のボトリング。ピアレスの一本。オーク樽の36年もの、51.2度のカスク・ストレングス。
 【クラガンモア '89(ケイデンヘッド)】  1200円
 オリジナル・コレクションの一本。01年のボトリング。シェリー・バッドの12年もの、46度。限定678本。
 【クラガンモア '78(ゴードン&マクファイル)】  2300円
 96年のボトリング。17年もの、61.3度のカスク・ストレングス。限定696本。
 【グレンアラヒ '69(ゴードン&マクファイル)】  2500円
 87年のボトリング。18年もの、56.8度のカスク・ストレングス。限定696本。
 【グレンキース '68(サマローリ)】  2800円
 72年のボトリング。オーク樽の24年もの、45度。限定318本。
 【グレンロッシー '80(マキロップ)】 1700円
 1999年のボトリング。マキロップ・チョイスの一本。19年もの、63.2度のカスク・ストレングス。
 【ダルユーイン16年(ユナイテッド・ディスティラーズ)】※ 1200円
 花と動物シリーズの一本。43度のディスティラリー・ボトル。
 【ベンリネス '85(マキロップ)】 1500円
 1999年のボトリング。マキロップ・チョイスの一本。14年もの、61.5度のカスク・ストレングス。
 【グレンモール '76(インタートレード)】 2200円
 97年のボトリング。オーク樽の21年もの、43度。
 【ティーニニック '83(マキロップ)】 1500円
 1999年のボトリング。マキロップ・チョイスの一本。16年もの、53.3度のカスク・ストレングス。
 【ティーニニック '73(レアモルト)】 2800円
 ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトの一本。96年のボトリング。23年もの、57.1度のカスク・ストレングス。
 この後、27、29年ものがボトリングされている。
 【ロイヤル・ロッホナガー '86(ハリス)】 1200円
 2008年のボトリング。12年もの、46.0度。850本のリミテッド・エディション。
 【ロイヤル・ロッホナガー '86(ダンカン・テイラー)】 2000円
 2010年のボトリング。ピアレスの一本。オーク樽の23年もの、54.5度のカスク・ストレングス。


泣き言其の二  | 一考   

 近頃は酒屋で見掛けなくなると、酒の値はたちどころに値上げする。ちなみに、焼酎でもっとも高価なものは森伊蔵の長期洞窟熟成酒で、720ミリリットルが八千円、これ以上高い焼酎はない。東京ではブランドものの焼酎はことごとくが万単位で売られているが、異常である。モルトウィスキーも同様で、昨日まで一万円だった商品がある日突然二、三万円に値上がりする。それも値を上げているのは数人のマニアと便乗組の一部の酒屋であってインポーターではなかった。それがローズバンクの値上げのようにインポーターまでが悪乗りするようになった。
 どうしてこのようなせこい商売が流行るのか、先日書いたゼロスタイル(定価三百円)がオークションで千八百円で売られている。販売が東京だけなので、もっかのところは需要があるのであろう。それもこれもすべてはオークションに理由がある。前述の森伊蔵にしたところで、昔から予約をしているところへはコンスタントに這入っているし、どうしてもという向きは山形屋か高島屋へ予約をすれば入手可能である。どうして定価の三倍ないしは四倍の金数を払うのか理解に苦しむ。越の寒梅なども灘の酒と比して安価だったので流行ったのでなかったか。
 モルトウィスキーはほんの一部に代理店形式が残っているが、大半はインポーター経由である。発売即売り切れという商品もなかにはあるが、数本ならインポーターの手元に残っている場合が多い。高いものを掴まされる前に打つべき手立てはある。わたしは酒の仕入れにオークションは使ったことがないが、インポーターへの連絡は繁くしている。
 古書値は本の美醜によって四、五倍は開きがある。その最も高い値を地方の古書店は参考にする。要するに、通信の発達によって古書は神田がもっとも安くなったのである。それと同じでモルトウィスキーも一度高値が付くと下がらない。ところがインポーターのダンピング商品が東京には出回っている。前述のローズバンクも、東京では一万円を切ったが、地方ではいまなお高値で頒されている。
 蒸留所のオーナーが変われば酒の香味も変わる。しかし、ディスティラリー・ボトルは基本的に変わるものでない。ハイランドパークやタリスカーなどは瓶が変わり、ラベルが変わっても香味にさしたる変化はない。にもかかわらず、旧ボトル、旧ボトルと囂しい。まるで一億総商売人と化したようである。


2010年07月26日

泣き言  | 一考   

 ヤフオクでモルト・ウィスキーを購入したことはないが、参考までに見てはいる。ハートブラザーズ社のラガヴァーリンが64444円で出品されている。1988年蒸留2000年ボトリングの12年ものだが、この十年間に飲んだラガヴーリン(ラガヴァーリンの方が正しいのだが、わたしはラガヴーリンと表記している)のなかでは最高の品質だった。十年前、三箱十八本を一本当たり8900円から10080円で購入、一杯1800円で売りきった。三年後、某インポーターが35000円で取り扱い、前回のヤフオクでは50000円だった。従って、64444円はけっして高くないと思う。
 マッカラン1935、1936、1937、1947が出品されている。価格は85000円から110000円の間である。ひとの出品をよいしょする気はないが、液面に異常はなく、こちらも廉いと思う。とてもじゃないが、海外のオークションで買える値ではない。60年代の一部のボウモアやスプリングバンクが300000円から500000円、70年代のアードベッグが120000円から160000円、それらと比して破格値と云えようか。明石時代なら間違いなく購入していた。
 ですぺらはアードベッグに力を入れているが、60年代、70年代のアードベッグを一杯2500円から5000円で売っている。2500円だと20杯売れても50000円にしかならない。店売りはやめてオークションへ出品しようかと思う。それにしても、とんでもないものが出品されるようになった。いよいよ宝籤の購入に走ろうか。


2010年07月23日

ひとりモルト会  | 一考   

 モルト会で困ったことがある。当日はお手伝いさんがいるので大丈夫なのだが、モルト会以外の日のひとりモルト会である。数人そのような方がいらっしゃる。今までは喜んで対応させていただいたのだが、手間暇は同じ、現状では到底無理である。従って、モルト会はその日限定の催しにさせていただきたい。勝手を云って申し訳ないのだが、どうかよろしくお願い致します。


任意保険の凍結  | 一考   

 10年ほどの期間限定だが、任意保険を凍結できるのを知った。末期腎不全による骨粗鬆症でオートバイに乗られなくなった。顛倒の度に骨折するからである。自分の身体を大事にするのは趣味ではないが、こればかりはどうにもならない。
 自損事故は別にしてオートバイでは無事故である。従って、任意保険は20等級、割引率は60パーセントである。オートバイは遠慮するが、スクーターなら乗ってもよいと考えてる。スクーターはフルカバーなので足が保護されている。ところがオートバイは廃車にした。折角下がった保険がもったいないと思っていたところ、明石の毎日自動車商会から凍結すればというありがたい連絡が這入った。再契約の折に元の等級が復活するのである。しかるべき契約証と元の契約証、それと廃車証があれば可能だそうである。さっそく手続きを取ったが、任意保険にかかる項目があるのをわたしは今まで知らなかった。大体が保険証書など読んだこともない。迂闊といえば迂闊である。


2010年07月21日

ウィスキーもいろいろ  | 一考   

 一年ぶりに寡多録が新しくなった。カウンターに並べていたボトルも棚へ収納、随分とすっきりした。あとは今週一杯かけて新規ボトルの調整である。簡単に見えて休みのすべての時間を費やした。
 モルト会の解説は概略である。細かく書けば際限がなくなり長くなるので打ち切った。記憶違いは訂正した。「寡多録が新しくなった」と書いたが、こちらは随分と手を入れた。さらに修正を施してゆく予定である。とんでもない間違いが散見されたが、人から注意を受けたことが一度もない。やはり自分で訂してゆくしかない。この種の為事に終わりはない、人生と同じである。
 人の生き方の間違いを指摘するのは煙たがられるだけである。とはいえ、自分の間違いは正してほしいと思う。少なくとも、わたしはそう思っている。なぜなら、生きることに対してわたしは素人だからである。何歳になろうとも、これでよいという生き方がわたしにはない、ないと云うよりも理解できないのである。
 この消息は調法とも似ている。例えばわたしの田舎は高田だから蛍烏賊の生は子供の頃から馴染んでいる。しかし、物流の発達していなかった時代の神戸では蛍烏賊と云えば湯掻いたものしかなかった。過日引越でmoonさんがいらした時、蚕豆を買ってきたが、彼は湯掻くより焼く方が旨いという。それはきっと湯掻いたものばかり食べて育ったからではないかと思う。料理屋はどこでも焼いたものを出す、従って、わたしにとっては一分以内で湯掻いたものの方がおいしく頂戴できる。第一、面倒でないのがよい。虎魚などは千差万別で、刺身、揚げ物、椀物と囂しい。
 それでは調法の極意は珍しさにあるのかとなるが、それはどうやら正しい。わたしは人品骨柄にしても、珍にして奇なるをもって貴ぶ。そう思って今回のモルト会のウィスキーを見回せば納得できる。次回は決して旨くはないが、強烈な個性を持ったウィスキーにしようかと思う。輪ゴムの味、濡れた製材所、黴の生えた下穿き、出来損ないのパヒューム香等々、抱腹絶倒空前絶後のモルト会になる。題して「突飛なるものの」飲み会。


2010年07月19日

ですぺらモルト会解説  | 一考   

01 グレネスク '82(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの12年もの、40度。
 VAT69の核をなす原酒だったが、1985年に閉鎖。モルト・ウィスキーの生産は休止したままである。今後、入手が困難になることは必定。
 モルトの生産は停止されたままだが、麦芽製造部門はフル稼動。ディアジオ社傘下の蒸留所に麦芽を供給し続けている。ディアジオ社のモルトスターでは他にグレン・オード、ブレチン(グレンカダム)とポートエレン・モルティング社がある。
 ライトでドライな飲み口だが、アルコール臭がある。フィニッシュは長く、スパイシーななかに甘味が残る。
 蒸留所名が幾度となく変わっているが、グレネスクと改名された1980年までの名称はヒルサイド。ケイデンヘッド社とゴ−ドン&マクファイル社から加水タイプが、ケイデンヘッド社、ダグラス・レイン社、ダンカン・テイラー社からカスク・ストレングスが頒布されている。なお、ヒルサイド名義のボトルがユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトから97年に頒されている。

02 グレンアギー '67(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの27年もの、40度。
 スコットランド最東端に位置する蒸留所。1831年にビール醸造所として創立。何度もオーナーが変わるも、1970年ロング・ジョン・インターナショナル社が買収、その後ウィットブレッド社の傘下に入る。ディスティラリー・ボトルは一度も頒布されないまま、1983年に閉鎖。蒸留設備は取り壊され、再開の見込みは全くない。
 ポマードのような香りと苦みを伴う濃厚な味わい。飲む人によって大きく好みが分かれる。
 シグナトリー社、ゴードン&マクファイル社、ダグラス・レイン社、ブラック・アダー社、マーレイ・マクデヴィッド社、ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトからカスク・ストレングスがボトリングされている。

03 グレン・アルビン '77(シグナトリー)
 オーク樽による21年もの、43度、限定402本のシングル・カスク。
 スペイサイドを想起させる花の香り、豊かでスイートな芳香、胡椒のキャラクター、フィニッシュは頗るドライ。同年蒸留の16年ものあり。
 ネス湖の畔、ウィスキー産業の中心地として栄えたインヴァネスには多くの蒸留があったが、時と共に廃れ、最後まで残っていたグレン・アルビン、グレン・モール、ミルバーンも80年代に相次いで閉鎖。グレン・アルビンは83年に操業停止、88年には蒸留所も完全に取り壊され、スーパーマーケットに。
 グレン・モールとは姉妹蒸留所。1972年にはスコットランド最大手のDCL社の傘下に入り、その後ユナイテッド・ディスティラーズ社のグループに吸収。仕込み用水はネス湖の水を用いる。
 加水タイプがシグナトリー社とゴードン&マックファイル社のコニッサーズ・チョイスから、シグナトリー社、ダグラス・レイン社、ダンカン・テイラー社からカスク・ストレングスが頒されている。

04 グレン・モール15年(ゴードン&マクファイル)
 40度。
 夏の牧草地と蜂蜜の香り。いまいち個性に欠ける。
 1892年に創立、マッキンレーの原酒。道を挟んでグレン・アルビンに隣接する姉妹蒸留所だったが、83年に共に閉鎖、88年には完全に取り壊された。仕込用水にネス湖の水を利用。観光客が多く、近頃はネッシーも姿を見せなくなった。地元ではグレン・ヴァーとも。
 加水タイプがハートブラザーズ社から、カスク・ストレングスがダンカン・テイラー社、ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトから頒されている。

05 グレンユーリー・ロイヤル '76(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの21年もの、40度。
 アーモンドの香りに、蜂蜜、ピスタチオ、アンゼリカ、ミントの味わい。ライト・ボディだが、酒質は堅く、しっかりしている。緑葉もしくは樹皮を噛んだようなフィニッシュは長く、シナモンの華やかな芳香が残る。
 アロマティックなウィスキーを代表する、東ハイランドの隠れた美酒。宅地開発のため、1985年に蒸留所は閉鎖、ライセンスは92年に取り下げられた。
 他ではカスク・ストレングスがシグナトリー社、ダンカン・テイラー社、ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトから頒されている。ユナイテッド・ディスティラーズ社のボトルは例によってオロロソ・シェリーのアロマが顕著。そのユナイテッド・ディスティラーズ社から1953年蒸留のの50年ものがボトリングされている。1953年はDCL社(現在のUDV社)がオーナーになった年。

06 グレンロッキー '75(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。26年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。258本のシングル・カスク。
 かすかにトフィーやバターの香りがするものの、バンフ同様、印象が薄く、余韻の残らないモルト。
 創業は1898年。悲運の歴史を重ね、1983年に閉鎖。パゴダ屋根の蒸留所は歴史的建造物として保存されたが、内部の設備は取り払われ、再開の可能性はなくなった。
 ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトからカスク・ストレングスが1995年に頒布されたがすでに絶版。本品以外ではゴードン&マクファイル社のコニッサーズ・チョイスから40度のボトルが、ダンカン・テイラー社、シグナトリー社、ケイデンヘッド社からシェリー樽熟成のカスク・ストレングスが頒されているのみ。ダグラス・レイン社から52年蒸留の49年ものが2002年に発売されたが、高価につき、店主は飲んでいない。

07 ノース・ポート '74(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの18年もの、40度。
 ねっとりとしたアプリコットフレーバーが特徴。ライトでドライな飲み口、いささかホットな味わいのなかに甘味が残る。グレネスクとよく似た香味を持つ。
 アンガス地方のもっとも古い町のひとつブレチンの蒸留所。1983年に突然閉鎖され、建物は取り壊された。現在ブレチンに残る蒸留所はグレンカダムのみ。共にディスティラリー・ボトルのシングル・モルトは一度も頒布されていない。1823年にブレチン蒸留所となり、1839年にノースポートと改められた。
 ゴ−ドン&マクファイル社から加水タイプが、ケイデンヘッド社、ダグラス・レイン社、ダンカン・テイラー社、マキロップ社、ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトからカスク・ストレングスが頒布されている。

08 バンフ '80(シグナトリー)
 オーク・カスクの22年もの、43度。限定378本のシングル・カスク。
 熟成年数の割にアルコール臭があり、後口に渋みと苦みが残る。全体としてはソフトでクリーン、要するにすべてに於いて物足りないモルト。加水するとジンジャー・ビスケットのような味わい。
 1824年に創設されたが、1863年には近郊に立て直された。83年に閉鎖、建物は取り壊され、蒸留所自体過去のものとなった。バンフという名称と共に土地の名前でもあるインヴァボインディーを名乗っていたこともあり、当時イギリス国会(下院)にも納入していた。
 70年代に閉鎖されたガーヴァン(レディバーン、エアシャー)、キンクレイス、ベン・ウィヴィス、または80年代だがモファット(グレン・フラグラー、キリーロッホ、アイルブレイ)のようなローランドの蒸留所のモルトも自己主張のない、すべてに於いて物足りないモルトだった。かかるボトルが一部のマニアの間で高値で取引されているのは、なにかしら、胡散臭さや虚しさのようなものを感じる。
 加水タイプがゴードン&マクファイル社、シグナトリー社、イアン・マクロード社から、カスク・ストレングスがウィスク・イー社の土屋守コレクション、シグナトリー社、ケイデンヘッド社、ダグラス・レイン社、ヴィンテージ・モルト社、ブラックアダー社、ボトラーズ社、ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトから頒布されている。

09 ブローラ '82(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの26年もの、40度。
 ナッツのオイリーな風味と熟した果実の甘さ。煤の臭い、焦げたオークのスモーキーなキャラクター、噛みごたえのあるタンニンを伴うスパイシーなフィニッシュ。クライヌリッシュと比してドライ、また極めてスモーキー。
 1967〜8年に新築された蒸留所がクライヌリッシュと名付けられるまでは、旧蒸留所がクライヌリッシュと呼ばれていた。そして、その旧蒸留所がブローラと改名されたのである。従って、ブローラ蒸留所名義で造られたモルト・ウィスキーは69年から83年までの14年間のみ。69年以前に蒸留されたクライヌリッシュはブローラと同じものである。現在、跡地はクライヌリッシュの熟成庫とヴィジター・センターになっている。
 アイラのポート・エレン、ローランドのセント・マグデラン同様、ストックが尽きた段階で飲めなくなるモルト。強烈な個性を味わえるのは今を除いてない。

10 ミルバーン '72(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの22年もの、40度。
 北ハイランドの中心地であり、ネス湖の畔、インヴァネスの蒸留所。ディスティラリー・ボトルが頒布されないまま、1985年に閉鎖、4年後にはレストラン兼パブに改装。近い将来、飲めなくなるモルト。足腰の強いモルトで、長期熟成ものにも若さがある。
 加水タイプがスペイサイド・ディスティラリー社、シグナトリー社から、ダグラス・レイン社からプリファード・ストレングスが、シグナトリー社とユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトからカスク・ストレングスが頒布されている。

11 ロッホサイド '81(マーレイ・マクデヴィッド)
 リフィール・シェリーの18年もの、46度のシングル・カスク。
 軽くスムースな味わい、ドライなフィニッシュだが余韻が残らず、なんら特徴を持たない。グレンモーレンジ同様、ミネラル分を含む硬水を仕込み用水に用いる。本品のラベルには「真の主役 東のスプリングバンクを楽しんでください」と記載されているが、何かの間違い。
 もともとジェームス・ドーチャーと言うビール醸造所、1957年にウイスキー蒸留所として創業。スペインの会社(マグナブ・ディスティラリー社)がオーナーだったため、マグナブスの主要モルトとして、またディステラリーボトルも主にスペイン市場で売られていた。
 モントローズにはロッホサイドとグレネスク、ふたつの蒸留所があったが、共に80年代半ばから操業停止、90年代に閉鎖された。ロッホサイドの閉鎖は92年、操業期間はわずか35年。ただし、グレネスク蒸留所はモルトスターとして活躍中。
 加水タイプがゴードン&マクファイル社、スコッツ・セレクション社から、カスク・ストレングスがゴードン&マクファイル社、シグナトリー社、ブラック・アダー社からボトリングされている。

12 インヴァリーブン '84(ゴードン&マクファイル)
 11年もの、40度。
 1938年に操業開始、ハイラム・ウォーカー社がバランタインに用いるグレン・ウィスキーのダンバートン工場を建設した際、モルトの蒸留所も同時に創設。1970年後半からローモンドスティルの使用を停止。操業停止は1991年だが、2002年にバランタインの蒸留所の複合施設が取り壊された時に蒸留所も消滅。過去、ディスティラリー・ボトルが販売されたことはない。
 インヴァリーヴンには、まったく異なる二つのタイプのポットスティルがあり、インヴァリーヴンとローモンドという別々のモルトウイスキーを生産。ローモンドスティルは、ハイラム・ウォーカー社が開発したもので、導入は1959年。ローランド地域で最後までローモンド・スティルを使用した蒸留所。ちなみに、ローモンド・スティルを用いたモルトではアイランズのスキャパが有名だが、他にも、グレンバーギ蒸留所のグレンクレイグ、ミルトンダフ蒸留所のモストウィ等がある。
 現在ゴードン&マクファイル社で瓶詰したものが少量で回っているがこれはインヴァリーブンのモルトで、ローモンドスティルで蒸留したモルトは完全に幻のウイスキーとなっている。
 シグナトリー社、ケイデンヘッド社、ダンカン・テイラー社、マキロップ社、パール・デ・ザンジュ社からカスク・ストレングスが、ダグラス・レイン社からプリファード・ストレングスが頒されている。

13 セント・マグデラン '81(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの16年もの、40度。
 ローランドモルトとしてはボリューム感があり、ソフトでスムースな飲み口。クリーミーで、モルティーな甘さのあとにドライフルーツ、ナッツなどのキャラクター。ニートが似合うミディアム・ボディ。フィニッシュは程良く、スイートからドライへ。後口にごく僅かな苦み。
 セント・マグデラン蒸留所が建てられたのは1765年、一方で創業は1797年ともされる。いずれにせよ、リトルミルやローズバンク等と共に、最古参の蒸留所だったが、1983年に閉鎖、現在ではアパートメントになっている。ストックが尽きた段階で永久に飲めなくなるモルト・ウィスキー。地名のリンリスゴー名義のボトルもある。
 ゴードン&マクファイル社から加水タイプが、ケイデンヘッド社、シルバー・シール社、スコッチ・シングル・モルト・サークル社、ダグラス・レイン社、ダンカン・テイラー社、ハート・ブラザーズ社、ブラック・アダー社、マキロップ社、ウイスキー・エクスチェンジ社、ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトからカスク・ストレングスがボトリングされている。ゴードン&マクファイル社の100周年記念ボトルはお薦め。


ですぺらモルト会  | 一考   

ですぺらモルト会

モルト会のウィスキーは差し替えました。
7月24日(土曜日)の19時半からですぺらモルト会を催します。
1月以来、半年ぶりのモルト会です。
今回はハイランドとローランドのサイレント・スティルから選びました。会費は15000円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。

ですぺらモルト会(ハイランドとローランドのサイレント・スティルを飲む)

01 グレネスク '82(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの12年もの、40度。
02 グレンアギー '67(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの27年もの、40度。
03 グレン・アルビン '77(シグナトリー)
  オーク樽による21年もの、43度、限定402本のシングル・カスク。
04 グレン・モール15年(ゴードン&マクファイル)
  40度。
05 グレンユーリー・ロイヤル '76(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの21年もの、40度。
06 グレンロッキー '75(ダグラス・レイン)
  オールド・モルト・カスクの一本。26年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。258本のシングル・カスク。
07 ノース・ポート '74(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの18年もの、40度。
08 バンフ '80(シグナトリー)
  オーク・カスクの22年もの、43度。限定378本のシングル・カスク。
09 ブローラ '82(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの26年もの、40度。
10 ミルバーン '72(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの22年もの、40度。
11 ロッホサイド '81(マーレイ・マクデヴィッド)
  リフィール・シェリーの18年もの、46度のシングル・カスク。
12 インヴァリーブン '84(ゴードン&マクファイル)
  11年もの、40度。
13 セント・マグデラン '81(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの16年もの、40度。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


遺伝子組み替え  | 一考   

 今夜は外食、今年に入ってはじめてである。外食とは云え、近所の回転寿司へ行く。これだと体調がおもわしくなければ一皿で中止できるからである。金目、伊佐木、目鯛、鮃、鮪トロの五皿で千円、一巻百円である。廉いと云えば廉いのだが、抹茶に閉口。考えてもみなかったが、鮨屋へ行くには烏龍茶を持ち込まなければならない。白湯で鮨は勘弁願いたい。
 あとからクレメジンを飲めばいいや、と思って抹茶を一口啜る。旨い、お茶の味を忘れかけていた。日本人であるであることを再確認、やはり煎茶、抹茶の類いは美味。遺伝子組み替えによる、カリウム抜きの緑茶の登場が待たれる。もっとも、日本ではほとんどの県で遺伝子操作の食品は製造すらが禁止されている。弱者に対して寛容さがこれほどない国も珍しい。遺伝子組み換えが自由になれば、食事制限はおおよそ解放されたものになるのに、と愚痴りつつ残りの抹茶を一気に呷って店を出た。


2010年07月18日

正規品と並行輸入品  | 一考   

 もっかモルト会の解説を起こしているが、気づいたことを一言。
 寡多録で触れたが、限定品を別にして、ディスティラリー・ボトルには正規品と並行輸入品とがあって、香味が随分と異なる場合がある。またはボトリングの年次によって味がまったく違う場合もある。さらに売値も倍から異なることがある。そのような場合は双方を在庫するように心掛けている。大半のお客さんは細かい味の違いでなく、安価なものを求められるので問題は生じないが、ごく一部に香味に五月蠅い客がいらっしゃる。そういう場合は仰有っていただければ対応する。
 売値が一万円と二万円といった場合、必ず香味に差違がある。ワインと同じで廉いとの理由だけで購入するのはいささか無謀である。まず、ヴィンテージの確認をすべき、一方でヴィンテージの記載がないウィスキーも多いが。マッカラン、ラフロイグ、ボウモアなどは要注意である。なお、オーナーやマスター・ブレンダーが入れ替わった場合も香味が徐々に変化してゆく。余談ながら蒸留所の消長もしくは閉鎖によってブレンドウィスキーが変化するのはやむを得ない。
 ボトラーズ・ボトルの大半はシングルカスクなので、並行、正規の違いはない。言い換えれば、カスクの違いはともかく、もっとも安心して飲まれるのはボトラーズ・ボトルである。


寡多録  | 一考   

 土曜日は店へ助っ人が這入った。ビールとおしぼりと足りないウィスキーを六本補填、しばらくは大丈夫である。(六本のなかにはラフロイグ18年のように一箇月を経ず、売り切れたウィスキーもある。同品には並行輸入もあって香味にマッカランのような違いはない。今回は並行もので1600円に値下げした)。二十四日のモルト会のウィスキーを確認、併せて寡多録と店内在庫の調整を計る。こちらは三日ほど掛かる。序でに家の在庫品を店へ運ばなければならない。
 去年の七月から入退院が続き、寡多録はそのままである。寡多録に掲載していないウィスキーが三十本ほどあって、逆に寡多録に掲載されているが在庫切れのウィスキーが三十本ほどある。それと新規ボトルが二、三十本。おそらく二十六日の月曜日に寡多録は一新される。
 やっと念願のウィスキーと寡多録に手を加えられる。これが今のわたしにはもっとも嬉しいことである。文面にも手を入れようかなどと欲が出てくる。いっそ定番商品はすべて外した寡多録にしようかと迷ったりもする。そう云えば、蒸留所のオーナーも随分と入れ替わった。先日も書いたが、マッカランのように香味がまるで変わったウィスキーもあれば、シーバス社が抱えていた蒸留所は約半数が店仕舞をした。ウィスキーの歴史も日々変化している。
 お名前は存じ上げないが、最近面白いお客がいらっしゃる。金曜日にもいらしたが、舌がずいぶんと鍛えられている、と云うよりは自分の舌を持っている。迂闊な酒は出せないが、なにを出しても実に適確な判断を下される。ウィスキーについて饒舌にならざるを得ない客、そうした客がもう少し増えて欲しいと願う。そうすれば、わたしも少しは元気になるのだが。


蔚藍天  | 一考   

 意識が、自分という存在のひとつの側面にしか過ぎないことはよく分かる。意識が消失したところで、やがて意識は戻ってくる。その間にも存在はあるのであろう。ただ、意識が失われて行くときに次に現れるであろう意識を想定するのは不可能である。それっきりになることだって起こりうる。
 それにしても、意識が失われていくときの苦痛、全身の緊迫感はなんだろうか。背中のかゆみが一瞬にして全身に拡がる。非常事態のサイレンが身体中に谺する。知覚は視力から奪われ、皮膚感覚がなくなり、全身が熱のかたまりとなって、純白の残像を結ぶ。やがて真っ白の像が汗を迸らせる。なにかから逃げだそうとするのだが、その対象がなんだか分からない。知覚を取り戻そうと必至になればなるほど、身体は制御不能になってゆく。身体の先端から痙攣がはじまる。痙攣が腰へ来る頃、無駄な足掻きを諦める。ただただ、汗で濡れそぼった頭と顔と熱そのものが不愉快である。誰か熱を拭き取ってくれないだろうか、そうすれば安らかに眠れるのにと。記憶が跡切れ、時が失われる。
 記憶が再開されるとき、それはいつもなにかしら冷たいものからはじまる。冷たい地面、冷たい壁、涼しい風、氷か鏡のように凍てついた手、そうしたものに触れたもしくは触れられた気がして徐々に目覚める。目覚めと同時に記憶を辿るのだが、肝心なところは虚ろである。この時になにかを掛け違えると再び昏睡状態に陥る。そのなにかは名状しがたい。身体は常に消失の方向へ向かっている。従って気を張りつめなければならない。おそるおそる半眼で遠くを見る。見慣れた光景がおぼろに浮かび上がってくる。あと一息、蔚藍天を取り戻すにはあと三十分ほどの我慢である。

 意識消失を誰かさんに擬えてわたしは「小さな死」と名付けている。意識消失が繰り返されることによって、思いも知覚も身体も垣根がなく、存在はひとつの「もの」であることがよく分かる。だからこそ死を直前まで描写できても死そのものは理解できない。死は突然、天から舞い降りてくる。抗いようがない。例え、契機が自死であったにせよ、やはり死はにわかに翔け降りてくる。生活苦とか心象風景によって死を撰ぶほどわたしは軟弱でない。しかし、自らの意志によってどうこうなるようなものではない。死は想像を絶するほど暴力的である。


2010年07月17日

M・Aさんへ  | 一考   

 お手紙ありがとうございました。返書はこちらで書かせていただきます。簡略に掲示板を巻き戻してみます。
 末期腎不全であることを知ったのは去年の七月、当掲示板で「腎不全」なる文章を書いている。あの段階でクレアチニンが7.21、尿素窒素が79.9だった。担当の腎臓内科の医師からは即刻透析に入るべしと勧告された。突然、腎不全だ、透析だと云われても、こころの準備がなにもなされていない。考えるから待って欲しいとの願いに、待っている暇はない即刻透析に入るべしと繰り返されるばかりだった。末期腎不全がどういう病気なのか、因果関係は奈辺にあったのか、放置すればどのような死に至るのか、どのような対処療法があるのか、詳しいことはその時点ではなにひとつ分からなかった。説明不足に対して、医師に不信感を抱いたこともあった。
 同年十月、身体障害者手帳が交付された。当初は一種三級、要介護と大きく印刷されている。同じく十月、大腸憩室炎による大量出血と輸血。この折に死んでいてもなんの不思議もなかったと医師から云われました。命拾いとはこのこと。
 山崎医師のインフォームド・コンセントによって末期腎不全の概略が分かるも、透析や腎移植に対する抵抗感は一年を経た今もなくなりません、輸血をしたのですから同じことなのですが。

1 腹膜透析か血液透析かは決めておりません。身体の問題点が腎不全だけではないので、合併症を心配して医師は血液透析を薦めております。
2 電動車椅子の簡易バージョンですが、40万から300万円、あまりの高値なので迷っています。中古車なら5万円、スクーターで10万円、助手席に置ける小径の折り畳みの電動アシスト自転車なら新車で10万円ですので、そちらで間に合わせようかと思っております。
3 意識消失に伴う介護ヘルパーはぼちぼち考えなければなりません。仰有っての通り、買い物からゴミ捨て、風呂の掃除、市役所や郵便局、銀行の往復なのです。家では立ったり座ったりがきついので、ずっと寝そべるか匍匐前進です。
 問題は店の方で、今日お手伝いさんが来るので、ビールの購入をお願いしますが、今のわたしに仕入れはまったく不可能になりました。おしぼりや水の補給もいつ止まるか分かりません。手伝うと云ってくださる方は多いのですが、当方が望むようなことはなにひとつお願いできません。従って、お気持ちだけ頂戴しております。

 同封の資料、忝なく読了、腹膜透析を今一度考えてみましょう。
 今年の一月の血液検査でクロアチニンが9.25になり、医師からこれ以上は無理だろうと云われたのですが、その後、今月にいたるまで8.2から8.4の間を行き来しています。通常5.0位でさまざまな症例がでてくるのですが、わたしの場合は8.0を越えてから特有の症例に悩まされるようになりました。病気の進行ならびに症状の現れ方があまりに遅く、現れたたときには意識消失になってしまいます。これも個体差だと思っています。ただ、意識消失は因果関係が分からず、悩んでおります。意識消失は事前に予知できるのですが、手の施しようがなく、あの苦痛だけは避けたいと願っているのです。
 永らえるには腎移植しかないのは分かっています。結果的に移植になると幹郎さんとも話し合っています。それまでの間、応急処置として透析になりますが、その透析に這入るまでの期間を医師はあと二、三箇月とみているようです。

 医学的なことよりも、一番の問題は介護ヘルパーです。早晩、ヘルパーなしでは生きて行かれなくなります。もっか全エネルギーをですぺらの維持に費やしています。そのため、五時間の営業時間外は耄けたようになっています。何時この緊張感が切れるか、時間との格闘が続きます。
 最後になりましたが、この度はいろいろとご心配をお掛けし恐縮いたしております。


2010年07月16日

できる限り永く  | 高遠弘美   

拙訳のこと、かくまでお書き頂き、恐縮してをります。
先日は久しぶりにお目にかかることができて嬉しく存じました。
お元気さうで何よりでしたと、書けないところが何とも残念でなりませぬが、それでも、一考さんの強い意志の力をひしひしと感じてをりました。
どうかあらゆる手だてを尽くして、可能な限り永らへて頂きたいと切に切にお祈り申し上げます。 

お見せ頂いた佐々木幹郎さんのエッセイには私も深く感銘を覚えました。御礼を申し上げます。


2010年07月15日

 | 一考   

 カワハギ、イサキ、メバルと毎日刺身を店へ持ってきている。もっとも、一人前か二人前なのだが、今日のメバルは売れ残りそうな気がする。とにかく活きがよいので、昨日は好評だった。売れ残りそうだと書いたのは、わたしが食べたいからでもある。
 妙なもので、忙しい筈の週末にはあまりよい魚が這入らない。ハマチ、カンパチ、タイ、ヒラメなど月並な魚ばかりで、磯魚は寡ない。ただ、常備品にさまざまなつぶ貝、ホッキ貝、トコブシが這入っているのが嬉しい。贔屓筋に鮨屋が居るに違いない。
 トコブシはアワビと同じミミガイ科の貝だが、殻の背面に並ぶ穴の状態で識別する。アワビでは4、5個なのに対し、トコブシでは6、8個の穴が開いている。昔は子供のおやつ替わりだったが、近頃は高値になった。四センチぐらいので一箇百円ほどする。客がコンスタントにあれば、いろんな刺身が置けるのだが。


友という名の刺客  | 一考   

 「洪水」第六号が発売されている。詩と音楽のための雑誌で発売元は草場書房、定価は840円。第六号は「特集 佐々木幹郎、音に遊ぶ」と題され、対談、座談会、詩、エッセイ、インタビュー等々が収められている。特集中に「コムロ・ヒトシというクスリ」がある。「雨過ぎて雲破れるところ」からの再録だが、いつ読んでも絶品である。どこまでが小室等でどこからが佐々木幹郎なのか、渾然として一如となっている。「渾然として一如」とは二葉亭の言葉だが、ここには二項対立を越える趣があってわたしの好きな言葉である。二葉亭と鏡花の言葉遣いにはよく味わうととんでもないことを示唆している場合が多い。

 目の前にいる人の発言には、かならず「そうだよねえ」と相槌を打つことから始めて、決して他人の話をそらさない。テーブルの向こうにいる人の話に彼が応じていて、あんまり、そのフォローが過ぎるときがあったので、わたしは彼の隣で、思わず笑ってしまったことがあった。すると彼は苦笑しながら言った。
「いや、いまのはさすがに僕自身も、フォローが過ぎると思っていたんだ」

 他人をフォローする人生を歩んできた達人たちの遣り取りである。強烈な個性を持ったひとは他人の話に逆らわない。知識というのは歴史の断片もしくは側面で、人によって捉え方が異なる。別に世の中が右側通行であろうが左側通行であろうがどちらでもよいのである。そうしたどうでもよいことと、どうでもよくないこととの識別に個の妙味がある。
 幹郎さんの文章は全編これ肉声で填められている。ところが読み終えて振り返ると、いままで何人も触れ得なかった新たな思想が開示されているのに気付く。肉声と云っただけでも至難の業なのだが、彼の主音はそんなところに止まっていない。仕掛けは二重三重に錯綜している。書物を繙くことの愉しみと書けば穏やかだが、彼の言葉は常に真剣勝負を挑んでくる。


失われた時を求めて  | 一考   

 わが国のトイレには便器しかない。しかし、フランスでトイレと云えば、化粧室のことである。用足しはもちろん、化粧直しから着替えまでがその用途になる。ちなみに、ホテルオークラなどではレディルームと表記されている。「トイレのドア越しに衣擦れの音が聞こえる」と翻訳すれば日本人なら下履きの上げ下ろしの音としか解釈しない。
 また二重ドアは観音開きのドアを指し、寒冷地に於ける字義通りの二重ドアを想起すると誤訳になる。
 さらに、ベランダは庭に突き出たガラス張りの部屋の意で、居間と一続きになっている。明治期に建てられた洋館にしばしば付帯し、サロンとして用いられた。ところが現在では吹き曝しの物干し台のイメージしか湧かない。
 月曜日に高遠さん来店、以上のような話が肴に持ち出された。プルーストの「失われた時を求めて」には井上究一郎と鈴木道彦の翻訳があるが、わたしに云わせれば双方共に噴飯物である。何時も書いていることだが、高遠さんや宇野さんのように生きたフランス語を解する人による翻訳は原作の解釈それ自体の評価を新たにする。謂わばプルースト咀嚼の歴史が書き換えられるわけである。
 前々日に光文社の駒井編輯長来店、駒井さんから高遠さんのプルーストがいよいよ九月から刊行開始と聴いた。悦びを共にしたい。高遠さんからはプルーストが完結するまでは生きていて欲しいと云われた。そちらはどうなるか分からないが、今のわたしにこれ以上の励ましはあるまい。

追記
 高遠さんから「突飛なるものの歴史」の寄贈に与った。前付の誤植箇所は修正されている。よく見ると一枚分が張り直されている。前付と後付は著者校すら許されなかったと聞く。担当編輯者の猛省を促したい。
 土曜日には宇野さん来店。念願のジャン・ジュネが同じ光文社から秋には上梓される予定とか。嬉しい話が続く。


椅子に座る苦痛  | 一考   

 店の営業だが、疲れがひどく、椅子に座っているのが四時間が限界になってきた。途中で十分ほど仰向けになればもう少し大丈夫なのだが、そううまく客が跡切れるとは限らない。それが理由で開店時間がどんどん遅れている。この一週間は七時半に開店した。そして営業中に屡々カウンターで仰向けになっている。わたしが仰向けになっているからと云って、気分が悪いわけでない。身体が重力に逆らえなくなっているだけである。
 何時まで営業が続けられるか分からないが、常連さんの理解を得て変則的だがなんとか続けている。一層のご理解、ご協力をお願いしたい。


2010年07月13日

「野に住みて」  | 一考   

 伊藤文学さんは父伊藤祷一が創立した第二書房で働いていた。その第二書房から片山広子の歌集「野に住みて」が1954年に上梓されている。先般、荷物の整理中、同書の在庫が伊藤文学さんの自宅から発見された。何冊か必要かと岡田夏彦さんから連絡があった。近く入荷の予定、ご入り用の方は連絡してください。ただし発送不可。
 ところで、若き伊藤祷一が働いていた第一書房のスポンサーは大黒田元雄と片山広子の亭主。その縁で「野に住みて」が第二書房から出版されたと聞く。


残日  | 一考   

 意識というものは決して空間的なものでなく、肉体と歩を共にしている。肉体の搏動は意識の搏動であり、意識の呻きは肉体のそれである。脳であれ、胃であれ、腎臓であれ、変調をきたしている部分が意識のすなわち肉体の中心点となる。その部位に軽重はない。
 生死とよく云われるが、人は死が視線内に這入ったとき、はじめて死を意識する。視線内とは人生の射程距離で、残日が数年、数箇月あるいは数日に限定された場合を指す。人は自らの生を意図できないように、死を想像することはできない。できないと云うよりは許されないのである。
 若者と老人ではその残日の在り方がまるで違ってくる。人生の落日を過不足なくわたしの前でさらけ出して逝った横須賀功光さんを思い浮かべる。彼がですぺらへ初めていらした日、あと一年の命と宣言なさった。彼が自らの死について語ったのはその時と死の一週間前の二度のみ。だからこそ、わたしは毎日、毎日、零れおちる涙を怺えながら晤語を繰り返した。わたしにとって、死とは常にそういうものであってほしい。


終点酒場  | 一考   

 わたしは死にたくないし、病気にも罹りたくない。にもかかわらず、末期腎不全になった。結果、日々その症状と闘っている。死は抽象的なものでなく、ひとつの具体として目前にごろんと転がっている。そういう人間を相手に軽々しく死にたいとか死しか残されていないとか口先で云うことの無神経さはどこから来るのだろうか。掲示板でなく、直接会って話すならきっとぶん殴っていたと思う。長く生きてきたが、これほど莫迦にされたのははじめてである。
 人というものはここまで傲慢に不遜になれるものなのだろうか。物書き志望ならなおのこと、気配りができなくては登場人物に心理的膨らみをもたらすのは不可能である。一体全体なにを考えているのか、恥じを知れと云いたい。
 当掲示板は常に開かれている。しかし、書き込む前に考えてほしい。相手の心理的、肉体的状況がどうなのか、書き込むことへ対応できる状態なのかどうか。今回のような件がさらに続けば、当掲示板はブログに変更せざるを得なくなる。
 ですぺらは終点酒場と徒名された。それほどに多くの客が病に斃れもしくは自死を撰ぶのやむなきに至った。それら友の死を遣る瀬なく思っている。しかるに、生あるものが生きるの死ぬのと無責任な発言を繰り返す。これは死者への冒涜であるまいか。死にたいのであればさっさと死ねばよい、わたしは鼻にも引っ掛けない。


無煙たばこ2  | 一考   

 東京郊外でゼロスタイルが常に在庫しているコンビニを見付けた。ヤフオクで300円から1800円で売買されているが、定価は300円ぽっきりである。ひとつあれば十分なのだが、カートリッジが手に這入らない。やむを得ず300円のパイプとカートリッジのセット販売を買っている。おかげで家中パイプだらけである。お客さんで必要な方は知らせてください。ちなみに、発送は致しません。


2010年07月12日

風呂  | 一考   

 洗濯用の洗剤がなくなったので買いに行くも、スーパーの駐車場で気分が悪くなり周章てて帰宅。洗剤はおろか、休日用の刺身も飲み物も買い損ねる。キャンプ用に取り置いた洗剤を持ち出して下着を洗う。
 深夜風呂に這入る。最初は四十二度に設定していたが、最近は三十九度。意識の喪失を懼れてのことである。以前住んでいたところでは、風呂を沸かすのに五十分、冬は一時間以上費やしていた。現在は十分で沸く。従って、体調の良い折を見計らって入浴できる。それは実にありがたいのだが、風呂に這入るときだけは誰かにいてもらいたい。一人だとまことに心細く思う。心神喪失に対する恐怖心は徐々に大きくなってくる。


感謝  | 一考   

 誉めるのは簡単なのですが、誉めただけでは済みますまい。と云って自分の意見や考えを率直に述べるのは難しいですね。どちらさんも本人が居ない場では云いたい放題ですが、本人が居ると途端に態度が変わります。オマージュしか書かないなどと云うのは真っ赤な嘘で、みなさん腹に一物も二物もあるようです。偽善との言葉はなんのためにあるのでしょうね。
 意見を率直に述べていると、回りは敵だらけになってしまいます。編輯者が最後まで黙っているのは理由があってのことなのです。他方、書き手はみなさんそれなりの自信をお持ちです。自信があるというより、誉める編輯者が理解ある編輯者で、誉めない編輯者は文学が分かっていないとなります。今回はきっとご立腹かと案じておりました。食い下がられた場合、どう対処しようかと悩んでいたのです。
 質問の類いは答えを拵えてから訊うのが常で、応えが想定外の時、ひとは食い下がります。いや、そうではなくこうなんだと、だったら最初から質問など試みるべきでないと思うのです。これは割烹の作法と同じで、割烹で出てくる料理にチョイスはありません。想定外の料理すなわち出会いを求めてひとは割烹へ行きます。それが一期一会です。一期一会が嫌な方は、定番といわれる料理を置いている食堂か居酒屋へ行けばよいのです。この消息はショットバーでも同じです。決まった酒を飲まれる方にショットバーは不向きです。
 いずれにせよ、これで玲さんとのあいだにあった垣根がひとつ外されたように感じています。酒は飲まれませんが、美味い刺身を馳走させていただきます。機会を設けてください。どうもありがとう御座いました。


2010年07月11日

謝謝  | 玲はる名   

一考さん掲示板にお言葉頂戴するのはもったいないです。日録を汚させてしまって申し訳なかったです。謝ります。
ちなみに高島さんは一考さんとはタイプが違いますが、男前の歌人さんです。はい。

天真爛漫といえばまだ聞こえがいいですが、僕は思慮が浅いことをときどき忘れてしまうのです。
今回頂戴したお言葉が的確なので、今までお店や時々で頂戴した僕への言葉が俄然真実味おびてきたなと思いまして過去回想しています。人生経験相応の意識の欠落について、過去にもらった言葉を考え直してみようかなと思います。
ですぺらに出入りしている若い詩人たちと自分を比べるのは怖いのですが、僕は確かに幼稚なのです。歌でも同じ過ちを犯すことがあります。オナニーはいいけれど、廃棄物を垂れ流すのでは読み手がかわいそうだと頭では理解しているのですが実生ならずです。推敲と、己を知る作業と、読者の目と、ナルシストからの脱却。それと、恋愛。恋愛は最近遠慮気味です。


2010年07月10日

「朝が来ると信じているのだね」  | 一考   

 死ねと云われれば死ぬなどというのは通常は恋情の表明なのだが、玲さんにそのような気持の持ち合わせはなにもない。にも関らず、あの文言がぷいとでてくるところが玲さんらしい。およそ不用意で天真爛漫である。
 玲さんから「Sai」第三号と「朝が来ると信じているのだね」の二冊が贈られてきた。「Sai」の方は高島祐さんの短歌と玲さんの評論に感心させられた。ただ、ここでは玲さんについて書くのが筋だろうから高島さんについては触れない。
 「朝が来ると信じているのだね」は玲さんの個人詩集であって、所収の「愛すべき孤独」については2008年12月19日にふれているので繰り返さない。ただ、「愛すべき孤独」は用語に若干の無駄があって、リリカルに流れている。しかし、それを乗り越えるだけの緊迫感を内包している。
 同詩集には「永遠」「愛」「うつくしい」「やさしい」「哀しみ」「かなしい」「さみしい」といった不用意な言葉が汪溢している。そうした言葉はもし遣うなら効果的に用いなければならない。思い付きや感情移入のオンパレードでは詩にならない。ごく一部を除いて消化不良をきたした習作集といえようか。
 それにしても、推敲が必要である。推敲が繰り返されればもう少し風通しがよくなる。おそらく、天真爛漫などという言葉を彼女は嫌がるだろうが、わたしの目にはそうとしか映らない。可愛いといえば可愛いのだが、いまさらセンチメンタルな少女詩を書く歳ではあるまい。言葉の概念に対する疑念が淡く、イマジネーションが類型化しているところに問題がある。
 「可能性が一分にせよ、間違いなく産声を上げている」と書いた。詩としておよその形は成り立っている。想像力の大胆さと奔放さが今後の課題となる。それにしても、作品は生みっぱなしでは困る。納得いくまで書き直すべきである。いわんや書冊に纏めるときは二重三重の慎重さが求められる。
 その慎重さと重なるが、彼女にとって大きな問題は、彼女の内部に読者の目線が欠落している点である。書き手と読み手のバランスが取られて、はじめて他者の目に耐える作品が生まれる。それを邪魔しているのはおそらく彼女のナルシシズムだと思うのだが、彼女は否定するだろう。いささか謎めくが、恥じと外聞をかなぐり捨てた、言い換えれば素顔でなく仮面を被った玲さんと出遇いたいと冀求している。
 人は無数の賓辞を内包してい、ひとつの賓辞は他の賓辞を平気で裏切る。彼女の場合は他人の誤解でなく、自分自身の誤解を懼れている。誤解を懼れていると、いつまで経っても作品は独立しない。妄言多謝。


失礼します  | 菊坂澄江   

お読みになりたくないということならばお送りするまいと思っておりました。わたくしは同人誌の編集者を、ないがしろにしているわけではないし、渡邊さんのことを知りあいの域にお入れするのは僭越すぎると思っておりますし(実際知り合いではございません)、どなたともそんなに御縁は深くはございませんが、軽々しいと思われるのなら、そう思われても仕方ありません。もうすでに、送らないつもりでおりましたが、この歳にしてネット社会に案外嵌まっていたんだなという思いがあります。すみませんでした。


冷房  | 一考   

 店で昏睡状態に陥るたびに常連さんがいらして助かっている。しかし、何時も常連さんとは限らない。一見さんが周章てて救急車を呼び、その時に意識がなければ面倒なことになる。事情が分からない医師だと間違いなく、股間からの緊急透析になる。これには対処の仕様がない。山崎医師が店の営業はできないよ、と云っていたのはこのことか。
 これから夏本番、先が思いやられる。今日も寒いから冷房を切ってくれと一見さんから云われた。なるようにしかならないが、不安感は拭いがたい。


菊坂さんへ3  | 一考   

 2010年07月05日の「同人誌」によると、読むということを前提で送付すると仰言る。だとすれば、わたしとしてはお断りするしかないのです。あなたも病気だそうですが、わたしは一種一級の障害者です。第一に面識もない他者に対して失礼に過ぎると思います。2008年06月08日に書いた「長い季節」についての他、書くべきことは御座いません。作風に根本的な変化が生じれば、またその折に。
 29号だか30号だか忘れましたが、編集長が後記を書かれていました。短いものを書けという正論で、大層しっかりした方とお見受け致しました。小説については彼と話し合うべきと愚考致します。


2010年07月09日

失礼します  | 菊坂澄江   

なにがしか書くということは、怖いことです。臆病な者ですので「隠された思い」が露わになるような瞬間はたまりません。いやこれは快感の極みの意ではなくて、もう戦々恐々といった感じです。病気でなくてもいずれ病気になりそうな気がしますが、妄想的気分が渦を巻きます。渡邊さんがお書きくださったように、あっけらかんと書き始めたわたくしでも喜ばしいことに、いやなんですけれども少しは自信をなくしているのです。逆説的にわたくしの病気にとっては、病的確信が揺らいだ方がいいのかもしれませんが、そのような戯言はもう書きますまい。自信というも恥ずかしいことですが、その自信が揺らがされるのが小気味がいいので、まことに勝手ながら渡邊さんに愚弄されたいのかもしれません。自虐的ですが。絶対にお褒めの言葉などいただけないのは、わかりきったことですから。こちらの掲示板を読ませていただいていると、自分の書いているものがいかに渡邊さんの喜ばれるものとは違っているか、それくらいは自明と言ってもいいくらいです。何が嬉しくてわたくしは自分の評判を落としに同人誌に載った文章をわざわざ渡邊さんにお読みいただこうとしているのか。わたくしは同人誌という場が与えられたことは素直にうれしいのですが。でもやはり有り体に申して、読者におもねるような気持ちや、また逆に技術すらないただの反逆心が皆無とは言い切れないのがわたくし個人の実情です。またつまらないことを書きました。でも、自分の本心を書く方法をどうにかしたいという気がしてまいりましたが、余計なことを書きました。わたくしの傷はもうすでにかなり深いもので、これ以上深くなるものかどうか、あとは死ぬか少しの回復があるのみかと思われます。


意識の散歩  | 一考   

 腎不全を患う方々のために、確認できたことを毎回書き綴っている。昨夜は夕刻までは調子はいつも通りだった。問題は駐車場からの歩きにはじまった。一キロ歩くのに行きは休憩なし、帰りは三度ほど休んでいる。それが昨日は歩かれない、行きに二度の休憩を取った。
 店へ出たあと、早速椅子を並べて十五分ほど横になっていたものの、電話の音で起きた。木村さんからの電話で周章てて開店準備を整えた。三十分ほどはなんともなかったのだが、急速に皮膚感覚がおかしくなってくる。木村さんから外へ出て休めばと云って頂いたが、時すでに遅く、そのままトイレへ駈け込む。便意ではなく猛烈な吐き気である。ちなみに朝飯は十時半、従って空腹を感じていた。そこからして既におかしい、空腹感など感じる筈がないからである。
 空戻しが十分ほど続き、それが収まると急速に意識が薄れてゆく。トイレの床に座り込んで失われてゆく意識との格闘が続く。立ち上がろうとしてどうと倒れ込む。出ない筈の汗が吹き出て、全身がびっしょりである。特に顔と頭はまるで水を被ったようにぐしょ濡れになる。なんとか意識を繋ぎ止めようと必至なのだが、朦朧としている。二十分ほど経ったであろうか、トイレのドアの隙間から流れ込む冷たい風に気がついた。普段なら気づかないごく僅かな風である。「ああ、涼しい」これで格闘は終わった。トイレを出て店の椅子を並べて横になる。三十分ほどでカウンターへ復帰するも、ふらふらする。話せるようになったとき、時計を見たのだが九時半、一時間半ほど木村さんを捨て置いたことになる。申し訳ないことをした。

 木村さんは高脂血症だそうである。高コレステロール血症でなく、中性脂肪のみが多い高中性脂肪血症。理由は酒の飲み過ぎである。自重なさっているらしいが、身体にだけは気をつけていただきたい。わたしが云うことではないのだが。


2010年07月08日

発作  | 一考   

 久しぶりに木村さん来店なるも、また発作を起こす。今日は夕方から体調悪しく、目眩いを感じていたもののやはりダウン。完全に気を失うところまでは行かなかったが、視力は定まらず、回りは霞のような白色一色となった。トイレで顛れていたものの、あと十分出てこなければ救急車を呼んだと木村さん。もし一人なら、昏睡状態に至っていたに違いない。木村さんに迷惑をお掛けした。冷房を二十度にまで下げ、なんとか話を再開するまでに漕ぎつけたが、今日は不安だらけの一日だった。
 木村さんから白耳義産のシガリロ二種と同じく獨逸産のシガリロ一種をありがたく頂戴する。早めの帰宅、拙宅でシガリロを味わうつもり。烟草はなんであれ、わたしは肺の奥まで咽み込むのでシガリロは恰度よい、葉巻はいささか重い。


久しぶりにモルト会  | 一考   

 今日はメバルの刺身を買ってきた。メバルにはキンメバル、アカメバル、クロメバルなどがあるが、生息地によって色が変わるだけで、同一種である。色によって味が異なるとの意見が板前のなかにすらあるが、それは間違い、味わいも同じである。17、8センチの小型のメバルだったが、一枚三百円、それを二枚下ろしてもらった。おっきーさんがいらしたが、それが分かっていれば店へお持ちしたのにと思う。

 おっきーさんと話したのだが、今月はモルト会を催す。名付けてハイランドのサイレントスティル。ハイランドの閉鎖された蒸留所のモルトウィスキーを試飲します。美味といえるのはグレンユーリー・ロイヤルとブローラぐらいのものですが、在庫があるうちにとにかく飲んでおこうというのが、今回の主旨です。
 グレネスク(1985)、グレンアギー(1982)、グレン・アルビン(1983)、グレン・ギリー(1995)、グレン・モール(1983)、グレンユーリー・ロイヤル(1985)、グレンロッキー(1983)、ノース・ポート(1983)、バンフ(1983)、ブローラ(1983)、ミルバーン(1985)、ロッホサイド(1992)の十二種類ですが、いささか値が張ります。詳細はまた。( )内は蒸留所の閉鎖された年。


2010年07月07日

玲さんへ2  | 一考   

 「冗談はさておき」の後に、さらに質の悪い冗談が続くのも一興。あなたが割腹してもわたしには得るものはなにひとつありません。佶屈していますが、励ましのつもりで書いています。その意が通じるかどうかは別にどうでもよいことですが。
 これはどなたに対してもそうなのですが、編輯者がよく云う「肉声がない」に尽きると思います。根拠、傷跡、情念、いかなる文言を用いようと要は肉声なのです。その可能性が一分にせよ、間違いなく産声を上げている、だからこそ口汚く罵りもするのです。
 世の中を見回して多くの作品は自信に満ち溢れています。それは書き手が自らの作法(意識)に疑問を抱いていないからです。そういう方は勝手になさればよろしいのであって、わたしとは縁なき人々です。迂闊にわたしの前で立ち止まると傷跡を拡げることになります。
 「隠された思い」はどなたにも御座います。ならばその思いをこそ描くべきで他に何を描けばよろしいのでしょうか。「思い」が巧く表現できないと悩み、刻苦勉励するのが書き手の務めです。この場合の巧みとは、読み手にうまく伝えられるかどうかです。決して表現の巧拙を云っているのでないのです。文章を著すとは自己を表現し、自己を他者に伝える行為です。伝わらなければそれまでです。況や、思いを伏せていては永遠に思いは伝わりません。わたしが結社とか同人とか仲間に反対するのはその伝達に対する甘えが生じるからです。読者は常に不特定多数であって、書き手が読者の顔を窺うのは不可能です。表現者は常にオナニストであることを強いられます。
 わたしは他者の作品に接するとき、ほぼ白紙の状態で向かいます。見落としがないか、気配りが足りているか、わたしの能力で読み切れるのかどうか、アプローチを変えた方がよいのでなかろうか等々。当然、至らない点も多々御座います。しかし、その至らない部分を突っついてどうして理解できないのかと問われるのはご免被りたく思います。
 さて、玲さんはいつも恋愛なさっているべきです。恋愛は下らない自意識などからの蝉蛻を余儀なくさせます。読書と同じで、恋愛は人をどこかへ連れて行きます。常に自己解体の危機に晒されて生きるのはそれこそ大いなる快感だと思うのですが。


お酢はどうでしょう。  | 玲はる名   

身体には葉巻もお悪いでしょうし……お酒もお悪いでしょうし……。冗談はさておき、僕はこの人になら殺されてもいいとか、殺されてもしかたないという人がなんにんかいます。産んでくれた人を筆頭として、僕がひどい目に合わせた人とか、恩人とか数人います。自国はその中には含まれていません。もし、一考さんがこれ以上書いても無駄だから死ねと仰ったら、僕はその場で切腹する価値はあるなと思いますね。無駄な文章を書くなら切腹した方が後々笑ってくれる人がいるかもしれないです。


とどのつまり  | 一考   

 いかなる人であろうとも、何かを著そうというからには著すべきなにかを持っている。作品を読んでそのなにかが窺えない場合、理由はふたつある。ひとつは表現が稚拙な場合、いまひとつは表現すべきなにかが未分化である場合である。
 わたしは斯く斯くしかじかの人間で、と云った自注が必要な場合、その因果関係は双方にあると思われる。
 わたしは学校へ行っていないので分からないが、多くの人は学生時代に喧喧囂囂たる論議を経験するようである。そうした議論の繰り返しのなかから徐々に個体として分化されてゆく。
 当掲示板はすこぶる生臭い掲示板で、死を迎えた老人が未だにぶつぶつ文句ばかり云っている。きっと現在がわたしにとっての学生時代なのかもしれない。偶には目の醒めるようなクリンチもあったが、それは相手次第である。正確には目が醒めるのは常にわたしであって、相手側ではない。
 わたしもかつて連載の真似事を試みたことがあった。ただ、読者を近在に託したことはない。自分が書いたものなど他人が読むはずもなく、況や理解など望むべくもないからである。文章を著すとは、宛先のない小包を送り続ける作業に似ている。せいぜいが美辞麗句に飾られたおよそ中身のない礼状が送られてくるのが関の山。わたしは自ら書いたものが例え誉められても嬉しくもおかしくもない。そのようなことが理由で掲示板を続けているのではない。
 掲載誌であれ著書であれ、自ら送ることはあっても、それが読んでいただけるものかどうかは分からない。そのようなことは強制すべきことではないからである。また、自身礼状を書くのは不得意である。従って送られて来ないことを願っている。どうあっても必要なら自費で購入する。ところで、今のわたしに必要な書冊は腎臓に関する本だけである。


2010年07月06日

菊坂さんへ2  | 一考   

 「あらゆる人間の行為」とは書いておりません。そこまで人は意図的には生きられないでしょう。わたしは書くという行為に限定した筈ですが。
 わたしは戦後世代で、根拠を問う世代に生れました。その残滓がさまざまな結果をもたらすようです。玲はる名さん宛の書き込みに記したようにネットの影響には畏るべきものがあります。
 仰有っての通り、文学にと云うよりも人の精神に深化はあっても、進歩や進化などないと思います。思いながらも、西洋の硬直化した弁証法的ものの考え方にはうんざりしています。あなたが示唆なさっている「期待と落胆の相克はどうもアミニズムの支配的な世界では生まれようもない背反だと思われる」は大旨正しいご意見だと思います。ただ、今の日本がアミニズムの支配する世界だとは思っておりません。「くっきりとした何かの傷」とあなたは表現なさっていますが、誤解を懼れずに申しますと、世の中を正邪に色分けするキリスト教文化の謂いではなかろうかと思います。
 わたしにプリズムを求められてもそれは不可能です。わたしに与えられた材料は作品だけです。作品のなかに秘められた痕跡ないしは傷跡のようなものからイマジネーション(すなわちプリズム)を働かせるしかないのです。こう申しては失礼ですが、その傷跡が今のわたしには見えて来ないのです。わたしの虹彩の能力が失われているのかもしれません。いずれにせよ、「粗い」とのお言葉は甘んじてお受け致します。
 続同人誌と違って、続々同人誌は随分と風通しがよくなっているように見受けられます。三島由紀夫やユイスマンスの小説にあっては、文中にいきなり続々同人誌に書かれたような内容が紛れ込んでいます。あれもひとつの方法論かと思います。契機は衝動で結構、ただ、書いている内に衝動で済まないものが育まれてくると思うのですが。


続々同人誌  | 菊坂澄江   

あらゆる人間の行為に根拠が必要であるのかどうかという問いが立てられると思います。これこそどの行為に根拠が必要で、どの行為に根拠が必要ではないのかということになってしまいます。それは異常と正常の線引きがあいまいだとおっしゃるのと同様のロジックです。粗すぎるでしょうか。ベケットのような作品が日本で出るのは50年早いとおっしゃるのならば、文芸は進歩するというか或いは破綻へ向かうのかということでしょうか。リヒャルトシュトラウスは、その時代もうすでに古臭いといわれる作曲をしており、同時代には顧みられなかったようですが、寧ろ今は受け入れられているということもあります。何が言いたいかと言いますと、つまり、作り手の意識だとか、受け手の意識だとかは、一定ではないということだと思います。作り手の意識、ここでいう根拠はそれほど絶対的なものではないということを申し上げたいのです。なにがしかの理由をつけることは、何か作るときにはある程度必要かもしれませんが、それに世界が拘束されるとはどうも思えないのです。何がいいと感じるかは、ほとんど偶然と言っていいかもしれないと思えるのです。わたくしはベケットのような作品は、日本では50年たっても生まれないような気がします。なぜかと申しますと、あの期待と落胆の相克はどうもアミニズムの支配的な世界では生まれようもない背反だと思われるからです。それほどにくっきりとした何かの傷がないと書かれないものだと思われます。わたくしにも大きな傷はありますが、あのような世界を書かねばならないかどうか、今のところ必ずしも追随する必要も感じません。今後はどうなるかわかりませんが。だからと言って極端にホームドラマを書いていると受け取られるのは、粗いと思います。やはり白光の世界もプリズムを通せば赤外線から紫外線まで別れるように幅があると思われます。渡邊さんのおっしゃり方はわたくしには何か無頼派文士のあり方を思い出させます。仮面紳士的にふるまおうとは思いもよりませんが、それでも、自分というものをさらけ出すというのは、わたくしには出来かねることのようでありながら、やはり出てしまっているところはあるのだと観念しております。わたくしは自分からきっぱりと自己表現をしようという意図は持ちませんが、自分の意図は裏切られるものだということぐらいは感じてもいるのです。ところで、わたくしは書きたいから書くという以外のことはあまり申し上げられないという気がしております。何か衝動のようなものを感じて書くというのはおかしいでしょうか。天才肌でもないのに滑稽かもしれませんが、理由をつけてもその理由から乖離してゆくだろうことは、推察可能と思われます。


玲はる名さんへ  | 一考   

 食べ物が不自由になったひとを見舞うに食べ物はないでしょう。
 昨今、ネットの影響によって書くという行為に理由が必要でなくなりました。それがよいことがどうか疑問があるのですが、間違いなく新たな方式と視点が生れつつあるのは事実です。かなり前のことですが、黒瀬さんと話していて、方法論といえば、携帯小説ほど方法論に彩られたものはありますまい、この辺りで恋愛を持ち出して、この辺りで失恋を持ち出して・・・これにはわたしは絶句致しました。しかし、考えてみれば方法論それ自体が新たな方式、新たな視点を内包し、わたしが思う方法論は既に過去の遺物で、冗談にすらならないのではないかと。
 さて、玲さんの作品、といってもわたしが評する作品数はあまりにも寡ないのですが、その作品には間違いなく情念が濫れています。だからこそエッセイを認めたのですが、あのような魂がけぶれるような作品がその後現れませんね。念の為に云っておきますが、傑作というのは計算尽くで生まれるものではありません。多分に偶然性のお世話になるものです。それ故、偶然の機会を生かす心構えが常に必要になります。自分の意識は決して世界の中心にはなりませんが、意識することによって、偶然を利用するのは可能です。偶然を丸め込む、自家薬篭中の物とする。それも立派な方法論なのですが。


菊坂さんへ  | 一考   

 異常と正常の概念自体が入れ子構造になっていると思います。なにが異常で、なにが正常なのか、そこに線引きができるようなひとがいるのでしょうか。これはブルトンやジュネについて書いたときに明らかにしたように、相剋する概念というのは非常に珍しい概念ではないでしょうか。ブルトンに云わせると、相剋しあう概念が相剋しあわない至高点がどこかにあるようですが、ブルトンが証明として持ち出した概念に相剋しあうものはひとつも御座いません。花田清輝の楕円の思想にせよ、林達夫の庭園としての弁証法にせよ、それらは対局主義に薄化粧をあるいは厚化粧を塗りたくっただけのはなしで、わたしにとっては新規なものなどどこにもないのです。だからこそ、先項で書いた「書き手の根拠」を問題にするのです。林達夫の弁証法にはなんら興味が持てないのですが、彼の「共産主義的人間」には書くという行為の根拠がしっかりと描かれています。
 わたしはベケットが書くような作品には惹かれますが、あのような作品が日本で生まれるにはまだ五十年早いと思っております。ベケットの作品は根拠と疑問の繰り返しのなかにかろうじて屹立しているような作品です。
 「不満の捌け口」と書きましたが、内的体験でもかまいません。「内心はアンビバレンツに晒されて」いるとか、ならばその不安定な心情そのものを不安定に描いてくださるまいか。書くものが結果として妄想になろうが、狂気の衣を被っていようが、いかなるホームドラマよりも素敵な作品になると思います。あなたの綱渡りに興味はありません。作品だけがあなたとわたしを繋ぐカラザです。繰り返しますが、綱渡りが破綻してゆく様を読みたいのです。小説らしく取り繕った作品を読むのであれば、世の中に掃いて捨てるほどあるではありませんか。

 わたしは病いに罹ることによって、自身に忠実に、さらに申せば悪意をもう少し前面に出そうと思っております。


無煙たばこ  | 一考   

 5月18日発売のゼロスタイルをやっと購入できた。かぎたばこを応用した無煙たばこで、幹郎さんに云わせるとスコットランド行きの機中で重宝したとか。電子煙草はいくらでもでているが、咽むのが水蒸気では焦れったい。かぎ煙草とはよいところに目を付けたものである。
 それにしても、入手が難しい。赤坂の煙草専門店では十個ほどしか手に入らないそうである。予約で半年は詰っているそうな。その煙草屋の主人からセブンイレブンを探せばと云われて、店の帰り途、十一軒目でやっと遭遇した。販売は都内だけで、都心部はすぐ売り切れる。わたしが購入したのも六号線沿いの中川大橋の手前だった。次はカートリッジの購入である。パイプにはカートリッジが二つしか添付されておらず、二日で吸い終わってしまう。ゆうパックの遅配同様、JTにしては準備不足でないだろうか。


続同人誌  | 菊坂澄江   

渡邊さんが腎臓なら、わたくしはさしづめ脳です。脳というのは体の中枢ですが言語野でもありますから、そこのところをうまく言い分けることはできません。わたくしは異常なんで、異常でない様に書いていると言えるかもしれません。そういう意味では、不満の捌け口をわざわざ隠しているように感じられるかもしれません。それはわたくしの弱さに通じると思われますが、内心はアンビバレンツに晒されております。わたくしは前の二作をお送りしましたときには、こっぴどく何か言われることは覚悟しておりました。ただ寧ろおっしゃらないというところに、反感があるのだと思っております。それは感得しております。その興味をもたれない種類の小説だということだと思われますが、小説そのものに興味を持たれてはいらっしゃらないのか、いや、そういうことじゃないのでしょうが、渡邊さんの前に誰が自信などもてましょうか。わたくしの脳は異常なので、そこに拘っているのであって、二重三重の複雑な思いは理解されないものと思ってはおります。妄想的な何かを書けば脳についてなにがしか書いたということには単純にはなりますまいが、わたくしが異常を隠しているようなのは、わたくしの内心としては綱渡りなのです。このことはわたくし個人においては特別な立場なのです。やはり先人は病気ではないので『妄想』などと題したということもできると思います。でもやはり正しい狂気に憑かれているという風にわたくしなどは感じてしまうのです。わたくしは不用意に文芸学の徒に勘ぐられることを避けているだけかもしれませんが、わたくしがおかしいということは知られていても、わたくしの小説様のものがおかしいと言われないようにしている、けれどもホームドラマではない何かを書きたいという思いもあるのです。まさに綱渡りなのです。御託を並べてしまいました。わたくしは脳が悪いのです。これだけでもう薄気味悪いものをお感じになられると思います。これはわたくしの特殊な立場です。不満がないわけでは全然ないことはおわかりいただけるとは思いますが、小説に不満を反映させているかと言うと、単純にはそうは言えないということになります。小説というジャンルをやはりわたくしは好んでおります。ただ病んでおりますところは脳ですから。とくに言語に観念的にかどうか知れませんが、傾いているのは確かかもしれません。どうも失礼いたしました。やはり人には隠された思いがあるのだと思っております。病んだものからすると、普通のものは美しいのです。ほとんど送るなと言われているようなものですが、お送りするかもしれません。まだ決めかねておりますが。


おじゃまします。  | 玲はる名   

一考さんの考えていることがなんとなく分かるので本ができてもお送りするのに躊躇するんですよね。前回の[sai]が出たときは結局僕は送ることができずに、黒瀬くんが僕が送っていないのを知って、焦って送ってくださったとか。僕は未だに送るのに勇気がなかなか出ません。黒瀬くんは強いんでしょう、たぶん。3号ができたので近日送ります。まあ、初対面の頃は、声をかけるのも躊躇したぐらいですから、あの頃からすれば随分勇気は振り絞っています。今、お酒が飲めないのでそちらにうかがえないのです。客にすらなれないという。めんもくない。

詩と短歌の発生の前後の話、前にもお伺いしましたが、今回の記事の方がより理解しやすかったです。定型ありきではないという話ならば共感できます。僕は未だに定型がなんなのかよく分かりませんが、少なくとも自由と定型は対立点ではないと考えています。ああ、余計なことを書いてしまいました。ごめんなさい。というなら書くなといことなのですがやっぱり書いてしまいます。

一考さんは食べ物がたべられないのでおみまいに何を送っていいかよくわかりません。アイスクリームがお好きだけど、それも食べれないとなると想像させるのも申し訳ないと思うのです。ごめんなさい。というなら書くなということなのですが(以下同文)


2010年07月05日

フルーツの再利用  | 一考   

 書き込みに対してmoonさんから林檎シャーベットなるメールが送られてきた。

 http://cookpad.com/recipe/290226

 この donchanさんのホームページならびにブログには役に立つ記事が多い。わたしも参考にさせていただく。フルーツ罐詰の汁を捨てていたが、もったいないことをしてきた。いろいろと考えつくものである。下段はパン。

     http://donchans.exblog.jp/tags/%E5%86%B7%E3%81%9F%E3%81%84%E3%83%87%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%88/

http://donchans.exblog.jp/tags/%E6%89%8B%E6%8D%8F%E3%81%AD%E3%83%91%E3%83%B3/


菊坂澄江様  | 一考   

 当掲示板で翻訳以外の小説を頌めたことはほとんどないと思います。翻訳にあってすら、原作についてあれこれ書くのは差し出口になるらしく、今後言祝ぐのは短詩系に限ろうかと思っております。翻訳とは純粋に技術的な問題もしくは言葉に対するセンスの問題です。ところが、わが国にあっては、ブルトンやバタイユが訳者に乗り移るらしく、取り憑かれたように向きになる方ばかりが目につきます。物の怪や悪霊はそちらの筋に任せるとして、そこまでして文学という鵺にしがみついていたいのかと呆れております。
 短詩系は短歌の歴史は詩よりも古いなどという能転気なお題目を唱える莫迦が過多を占めます。太初に定型ありき、などともし本気で思っているのなら、無知曚昧も極まれりというところでしょう。ところが、道理にくらい筈の人が著す作品がたまさかきらっと輝くものを内包しているときがあります。もっとも、それは輝きを示唆した人の栄に属することで、原作者が莫迦であることはなんら変わりません。原作者が与り知らぬところにまでイマジネーションの羽先を延ばすのは徒か悪意、いずれにせよ、それから先は読み手の世界のはなしです。
 高見順が魂ではなく胃だと看破したように、おそらく文学は言葉の問題でなく、自らの体内に属する問題だと思うのです。さしずめわたしなら魂でなく腎臓だと叫ばなくてはなりませんが、ことほど左様に文学と肉体は不可分のものなのです。そしてそれらを結ぶカラザのようなものをわたしは情念と名付けています。
 ストーリーがあって、主人公がいて、情景描写があって、心理的起伏があって、時間軸が絡み合ってなどという作品の表層にわたしはなんらの興味も持たないのです。興味があるのは、なぜ書くのか、なぜ表現するのか、なにに向かって書くのかといった書き手の根拠のようなものなのです。言い換えれば、充足している人、不満を抱いていない人の書き物にはいささかの興味もありません。不満の捌け口(情念)が顕れているとお思いでしたらお送り下さい。
 きっとわたしより、読み手としてもっと相応しい方がいらっしゃると思います。どうかよろしく。

 プロバイダは変わりましたが、メールアドレスは過去のままです。


同人誌  | 菊坂 澄江   

29号、30号とお読みいただきました同人誌ですが、この度31号がやっと日の目を見ます。いろいろございまして随分発行が遅れました。掲示板によりますと、新居に移られた由、書籍類もだいぶ処分されたご様子ですが、そのようなところへお送りしてもよろしゅうございましょうか。ご体調は拙作をお読みになった時、噴飯ものだったりしたら大丈夫でしょうか。メールに接続できず、このようなところに書いております。よろしかったらお送りさせていただきたいのですが。


2010年07月02日

北海道旅行延期  | 一考   

 天候不順のため北海道行きは延期することにした。九月の連休を利用しようかと思う。九月だと海胆丼は食べられないが、巴丼なら食べられる。そして五月と九月は花が咲く季節である。特にサロマ湖の珊瑚草が美しく色づく。
 理由はもうひとつ、いよいよ歩かれなくなってきた。駐車場から赤坂までの帰りはともかく、行きすら休憩を挿まないと無理になってきた。おそらく気温のせいだと思うが、疲れがどんどん深くなってくる。防ぐ手立てがなにもないので困惑している。

 食物についてひとこと。澱粉と油以外の食品には欠かさず蛋白、カリウム、ナトリウム、リンが這入ってい、それらを完全に除去するのは不可能である。フルーツの罐詰にしても、生よりは若干カリウムが少ないというだけで、決して安全なわけではない。そのことは逆に云えば、食べていけない食品はない。問題は食事量をいかに減らすかである。
 例えば、林檎や梨やメロンにしても、一切れか二切れ、葡萄なら三、四粒なら許容範囲に収まる。そこで問題になるのは一切れ食べた後の林檎の処理である。危険なものを毎日食べるわけにはいかない。結果、破棄する食品が急速に増え続けることになる。戦後の困窮世代に育った身ならば心苦しく思っている。


2010年07月01日

辛口とはなんぞや  | 一考   

 利き酒で必要なのは甘味、苦味、酸味、塩味、うま味の五基本味で、辛味は痛覚ゆえ味覚には這入らない。ところが辛口の酒とよく云われる。辛味と辛口は一緒にできないが、それにしても酒の世界に於ける辛口とは灘の酒についてのみ云えることで、一般的でない。理由は当掲示板で何度も書いてきたので繰り返さない。
 ここまで書いて掲示板を検索するも出てこない。よって簡単に繰り返す。灘は江戸へ酒を運ぶ港として栄えたが、それならいっそ蔵元を灘へ持ってきた方が便利と、伊丹と池田双方から徐々に蔵元が集まってきた。ひとつの街に味の異なる二種の地酒が同居することになった。そこで菊正宗や剣菱のような伊丹系列の酒を辛口、日本盛のような池田系列の酒を甘口と呼称するようになった。もともと酒はことごとくが地酒であって、地酒に甘辛はない。地酒はその地域固有の味を持っているだけである。ところが灘だけが二種類の地酒を内包するに至った、以上が甘辛二種の酒が存在した理由である。従って、灘以外の酒を甘口、辛口と識別するのはナンセンスである。
 モルト・ウィスキーもスコットランドの地酒である、よって甘辛の概念は通用しない。余談だが、客の大半は辛口を所望するが、辛いと思われるであろうアイラやアイランズの酒を出すと決まって不味いという。そこでスペイサイドのストラスアイラやグレンキースのようなフルーティーなモルトを出すと旨いと仰言る。わたしの舌では新潟の酒は淡麗甘口ばかりである。ところが大半の客はあれが淡麗辛口だという。淡麗な辛口なんぞ存在するわけがないのだが、コマーシャルを見ていても、言葉だけが独善がりに躍っている。ピート香とヨード香が一緒くたにされているのと同じである。
 五基本味の確認は味が薄く付いた溶液と無味の蒸留水を識別するところからはじめる。モルト・ウィスキーも蒸留所の違いにチャレンジする前に準備運動が必要である。五基本味の識別がしっかり出来るようになってからだとわたしは思うのだが。

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