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2009年10月 アーカイブ


2009年10月30日

順調に  | ちはら   

昨日より始まった輸血ですが、これといった問題もなくスムーズに進行しています。
顔色も心拍数も正常に戻りつつあるようで、心音も以前ほどは気にならないとか。
このまま順調に進み検査結果も悪くなければ、土曜日中に退院できるとのことです。

まだ食欲が戻らないことと歩くのが辛いという点は心配ですが、
全体としては事前の想像よりも良い方に進んでいるようです。
お見舞いを考えてくださっていた方々、来ていただく間もなく
退院できそうな風情です。お気遣い、本当にありがとうございました。

ちなみに主治医の山崎先生が「輸血するとすごく元気になる方もいます」と仰ってましたが、
それがそのまま当てはまったような一考さんは「月曜日から店を再開する」と一言。
来週は火曜が休日だからせめて水曜日からに…!と説得し、どうにか落ち着いた次第です。
この無計画さと体力の過信はなんとかならない…ですよね。
思わぬ来訪者に説得されると良いのですけれど。

以上、再開に関しましては、一考さんが戻られたらご自身で書かれると思います。
今しばらくお待ちください。

なお、輸血自体の問題はクリアしているものの、この輸血による腎機能低下の恐れや
赤血球の産出を促すホルモン(エリスロポエチン)がうまく働いてくれるのかなど、
今後の経過次第ではまた対処していかねばならぬこともあるようです。

ただ、どれも今から考えたところで打つ手もありません。
とりあえず安堵しつつ、次の山に備えたいと思います。


2009年10月29日

バトンタッチ  | ちはら   

されましたので、遅ればせながらご報告にて。

一考さんは昨日(27日)川久保病院へ定期健診に行き、血液検査でのヘモグロビン値が
4.5だったため、そのまま緊急入院を言い渡されたそうです(207号室)。
その後、自分で入院グッズ(自宅)とノートパソコン(赤坂)を回収し入院されたとのこと。
その気力というか生命力には、感嘆するほかないと申しますか、いやはや…!

さて一考さん先述のとおり、現在の心拍数上昇は貧血を補うために心臓が
フル回転している状態で、そのため心臓にも相当の負担がきているようです。
輸血は心臓の負担を減らす方向に働けば吉ですが、腎機能がそれを支えきれないと
透析をしながらの輸血となるため、転院の可能性もあります。

輸血は本日(28日)の午後からで、この3~4日でその効果がでてくれば
早期の退院もあり得ます。まずは結果次第、でしょうか。

現状「頭がぽやぽやする」とぼやいている一考さんですが、喋る内容等は
はっきりされています。ただ、輸血次第ではこの状況がどう変わるか
わかりませんので、もしお見舞いにきてくださるという方がいらっしゃるのであれば、
少しだけご猶予くださいませ。こちらでまた詳細をお知らせいたします。
それまで、お待ちください。

なお、私宛に何かご連絡くださる場合はto_chiharaに@とyahoo.co.jpを
足してください。宜しくお願いいたします。


2009年10月27日

輸血  | 一考   

 川久保病院へ緊急入院です。体重の十三分の一の血液を人間は持っているのですが、その六十パーセントが失われているそうです。このままだと危険、輸血も危険なのですが、取り敢えず輸血することになりました。心臓と腎臓の調子をみながら一週間かけて輸血します。
 詳細はちはらさんから。


2009年10月26日

野戦病院  | 一考   

 ときとうクリニックはわたしがはじめて行った種類の病院だった。療養のための病院でなく、手術専門の謂わば野戦病院のようなところで、医師から看護師までがぴりぴりしている。入院即絶食で、消化器官を空にし、血液検査と心電図など手術に必要な基礎資料を拵える。二日目は早朝からニフレックという下剤を二時間掛けて飲んで内視鏡検査、午後は手術である。三日目の午前は術後検査で、患部からの直接の出血の有無を確認後、そのまま退院。短ければわたしのように二泊三日、長くとも五泊までが通常だそうである。駐車場は広く、県外からひろく入院患者が集まる。さぞかし著名な専門医なのであろう。隣に薬局とメモリアルパークがあるのはご愛敬だった。
 初日の検査で貧血を注意され、透析をはじめていれば輸血できるが、そうでなければ輸血は不可能、「ちょっときついが、まあ、なんとかなるさ」といわれた。これは輸血に際してカリウムの除去フィルターが使えないことを意味している。
 西明石時代、腰痛による神経ブロック療法を受けていた。また、腎結石に伴う尿管バイパス手術などで神経根ブロックや椎間関節ブロックは何度も経験している。このブロックに関しては西明石に天才的に巧い麻酔医がいて、事前に痛み止めの注射を表皮に打ってからことに当たる。それに慣らされていたので、今回いきなりブロックを打たれて、思わず唸ったところ、前述のようなサービスを当院は行っていないと一喝された。山崎医師の飲み仲間だけあって、ある種、野人のような相貌を持つ医師だった。
 失神について書いておかなければならない。慢性腎不全の患者に座薬は使われない、主治医によるとショック死した例を複数知っているらしい。そのことを医師は熟知している。にもかかわらず、どうして起こったかだが、二日目の夜、朝までわたしは痛みで呻っていた。看護師にそのむねを伝えたのだが、痛み止めの用意はないと断わられた。術後検査の折にまだ呻いていたわたしに、あろうことか医師が同情し、効能の低い座薬を打った。貧血で体調不調のわたしはそれにすら耐えられなかったのである。覚醒したとき医師に「死ぬ思いをさせられた」と一言、「死んでないじゃないか、分かってんだよ、それぐらい」。それから先、議論する用意はわたしにはない。主治医とは異なるが、時任さんもまた非常に個性的な医師だった。
 今回のことは症状に対する認識の相違であって、医師やわたしに責任があるわけではない。失神ぐらいは野戦病院では日常起こり得ることであって、珍しくはない。これぐらいの痛みがなんですかと、医師が一喝しておればおそらくなにごとも起きなかったに違いない。

 ジオン注は患部を薬品で火傷させ、傷跡を引き攣らせて治す治療法である。火傷だけあって、手術から十一日を経てなお痛い。わたしは痛みには結構強い方だと思っているが、内部からの痛みには弱い。じくじく疼くような種類の痛みへの対応策を持たないのである。


2009年10月23日

術後  | 一考   

 二十一日朝、通じがあった。一センチほどの便だが、固形物を放り出したのは十日振りだった。通過に伴う痛みにギャアと悲鳴をあげるも、生体であることを思い知らされた。糞を愛おしく思うとは妙なはなしだが、出てきた糞を食したくなった。
 血圧と貧血は直接関係ないが、わたしの血圧はもっか100-50、ヘモグロビンは8を切っている。二十一日朝から憩室の出血は止まったものの、痺れがひどく、掌の感覚がまったくない。貧血の昂進によって、駐車場から店までの一キロが歩かれない距離になってしまった。輸血以外に解決策はないのだが、輸血が可能かどうかの検査結果が来週の火曜日に出る。輸血されるのは濃厚赤血球、場合によっては心不全の危険性が大きく、予断は許されない。
 頸部動脈を流れる血の音が全身に響く。心音が頭蓋のなかを谺する。脈拍数は105から110で、異常などというものではない。まるで、猫のそれである。横にいるだけで搏動が聞こえると、ちはらさんがいう。
 血圧と脈拍は毎日、朝夕に計っている。血圧は振幅の幅が大きいが、脈拍は高いなりに安定している、不整脈であるにもかかわらず。不思議だなあ、と思っていたら、二十三日は98、100を切ったのは十八日ぶり。このまま60にまで下がってくれれば嬉しいのだが。

 二十日はみなさんのお世話になった。大腸の憩室炎とポリープの内視鏡写真を肴に、ウィスキーはゆっくりと注ぎ、水はボトルごと出しっぱなし、揚句は幹郎さんにグラス洗いをお願いする始末。なにもかもがスローモーションに過ぎゆく、夢のなかのような一日だった。おかげで四、五日は休養を取られるようになった。感謝のしようもない。


2009年10月22日

芳賀啓講演会  | 一考   

ナベサン文学散歩でおなじみ、芳賀さんの講演のお知らせです。

東京新聞がおくる
2009年神保町ブックフェスティバル・タイアップ企画
芳賀啓講演会『神保町地図物語』
11月1日(日) 13時30分開場・14時開演(入場無料)
会場=岩波ブックセンター3階・セミナールーム
<申込み方法>
郵便番号・住所・氏名・電話番号を明記して、
ハガキは100-8502(住所不要)東京新聞出版広告部「神保町地図物語」へ
ファックスは03-3502-7227へ
メールはhttp://www.tokyo-np.co.jp/ad/book09へ
いずれも10月23日必着。定員80名。応募多数の場合は抽選。


横須賀功光さんの好きなワイン  | 一考   

 かつてラルボーは「一介の読者であることに満足し、自分の愛する本、いまのところほとんど人目を引かないが、二十年後には有名になっているはずの本を、ひそかに、最良の友たちに推奨するだけで満足する人」を読書人の理想として描いた。それはもっともラディカルな読書論としてわたしの記憶に深く刻みつけられた。
 そのラルボーが横須賀功光と仮装して現れたのが何時だったか、はなしの突端はワインからだった。「最近のドメーヌでお気に入りは」と問われて、わたしはフォンテーヌ・ガニャールと応えた。1985年に設立されたドメーヌで、当主はシャサーニュ・モンラッシェ村のガニャール・ドゥ・ラグランジュを一族に持つ。横須賀さんがワインにどれだけの元手を掛けてきたかは二言、三言で諒解済みである。さればこそ、「好きなワインは」ではなく、「最近のドメーヌ」はとの質問が出てくる。謂わば、試されているわけである。「いまのところほとんど人目を引かないが、二十年後には有名になっているはずの」ワインをひそかに推奨するにしくはないと判断したのである。「渋いねえ、87年のバタール・モンラッシェは良かったねえ」「87年はないけれど、89年のバタールとシャサーニュはありますよ」。
 当掲示板でなんども触れているが、スペイン、リアス・バイシャスのサンティアゴ・ルイスやチリ、ラベル・ヴァレーのラ・ミッション・シャルドネ等々、いつの時代にも耳目を欹たしめるワインがある。新参のドメーヌのワインは旨く、そして安価である。だが、誕生して四、五年もすれば美味なワインは倍々ゲームのように値は上がってゆく。客に楽しんでいただくにはそれなりの先行投資が必要になる。

 先日、横須賀安理さんからメールを頂戴した。ゆくりなくも功光さんの最後の心と身体の格闘を思い起こした。喪いたくないものが喪われる、うしなわれる時間をなすべきこともなく待ち続けなければならない、彼との一年はそんな一年だった。安理さんは、父は最後の一年、一考さんとの「言霊というクリエイティブ」に救われたと書く。その一方で、なにもかも投げ出して泣き崩れたくなる淋しさに絶えず身は晒されていた。病名はまったく異なるものの、わたしもいま血液の病に冒された。救われたのが功光さんだったのか、わたしだったのか、やがて記憶は定かでなくなる。安理さんに感謝。


2009年10月21日

再度休業です  | ちはら   

本日(20日)営業したですぺらですが、明日からまた休業いたします。
一考さんの体調が戻られるまで、今しばらくご猶予ください。

手短ながら、お知らせにて。


2009年10月20日

営業再開  | 一考   

 事情があって本日から営業をはじめます。発言が振れて申し訳ございません。どうかよろしくお願い致します。


遅ればせながら  | ちはら   

りうさん、こんばんは。そして、はじめまして。

お気遣いありがとうございます。正直、お手伝いしているこちらの気力体力の方が
底を払うんでないの?と思うときも、たまにあります。
ぼちぼち、出来る限り頑張ってみます。

そしてヒデキさん、改めてありがとうございます。
一考さんが元気になったら、ロールケーキ、ですぺらでご一緒したいです!


2009年10月19日

恋愛の主張  | 一考   

 自称エロ子さんから電話があった。聞くところによると、夢にわたしが現れて今後はエロ子を名宣れと、それが遺言だったそうな。
 この話には触れがあって、気を紛らすために付けていたテレビで、弱点さらけ出しお見合い「運命の赤い糸」と称する番組に登場する独女、独男のあまりのばかばかしさに大笑いさせられたのである。カレーが好物で週に三、四回は食する。よってカレーの嫌いなひとは許されない。わたしの作る料理にケチをつけるひとは許されない。男性との外食では絶対に金は出さない。車狂いで、オートマ車に乗るようなひとは許されないの類いで、このような他愛ないことで伴侶を決めるのかと、そのこだわりのなさを笑いとばそうというのが番組の主旨とわたしは解した。
 犬好きは犬と結婚すればよく、カレー好きはカレーと結婚すればよい、そこで独女や独男が登場するからのお笑いであって、他意はいずれにもない。例えば、ちはらさんはちはらさんなりに自炊し、わたしはわたしなりに自炊している。食事などという甚だしく個人的なことを人任せにすればトラブルが起きるのは当たり前である。個人的な趣味、それが下着であろうが、剃毛であろうが、映画であろうが、文学であろうが、フィギアであろうが、マニュアル車であろうが、なんであろうが、個人の趣味は個人で楽しめばよろしいのであって、他人に強いるようなものではない。
 恋愛というものは個と個の違いを違いとして認識し、その差違を楽しむためのものである。言い換えれば、ひとに認識の幅、アプローチの多様さをもたらすものでなければならない。おそらく、もっとも優雅な形での自己解体が恋愛だろうとわたしは思っている。自らの主張や好みの理解を求めるなら恋愛なんぞしない方がよいに決まっている。
 さて、エロ子さんである。彼女によるとその呼び方は嫌ではないそうである。嫌でないどころか、いささかお気に召したそうな。ひとは無数の賓辞を抱えて生きる。ひとからひとつの賓辞を強いられて生きる、それを優雅な恋愛と呼べまいか。そんなところにも「oの物語」を読み解くヒントがある。


再々入院か  | 一考   

 nosさん、りうさんにご心配をお掛けし申し訳なく思う。
 このところ、連日主治医と電話連絡をとっている。わたしにとってはいのちの電話のようなもので、いたく恐縮している。先日の意識の混濁は腎臓機能のシャットダウンによるものらしい、痛みだけでひとは失神しないものらしい。
 断片的な記憶しか残されていないが、全身がねじ切られる思いを味わった。ちはらさんに云わせると四、五度犬のように大声で吼え唸り痙攣し、そして沈黙したようである。倒れたのが病院の駐車場なので、看護師が駆けつけ、ストレッチャーから処置室へ病室へと運ばれ、といってもそれを記憶しているわけではないが、医師の事態把握の声、看護師の「ごめんなさい」「大丈夫よ」といった声が錯綜し、光の渦のなかへ放り出された。この看護師の謝罪の声は強く記憶している。悪いのはわたしであって、病気になったのはわたし、看護師さんにはなんの責任もない。にもかかわらず、あなたはどうして謝るの、「やさしいんだね」と声にならない声。
 さっきまで入院していた病室とは違う部屋、匂いも色も異なるうんと明るい部屋で窓帷だか光だかに全身が包まれ、なんとなくざわついた暖かい心地がする。点滴がはじまったとき、「俺はまた、生きのびてしまったのかなあ」と涙したような、一瞬の淡い記憶。やがて鎮静剤か、すべてが薄らいでゆく。目が醒めるまでの三時間余、ちはらさんを呼び続けていたように記憶するのだが、こちらも声にならない声。
 ストレッチャーに乗せられるとき、わたしの身体を持ち上げたのはちはらさんだと思ったが、実は看護師さんだったと聞く。どちらであれ、またひとに面倒を掛けてしまった。生きてゆくにやすらぎは無用だが、死はどこまでも個人的なものである。だからこそ、時としてひとは心細くなる。生と死の交錯するところに、どうにもならない淋しさがあるような。

 血便と出血がつづき、大人用紙おむつと吸収パッドを併用している。術後の患部が痛い、患部といっても肛門のことである。打ったジオン注は十二本、出血は大腸の憩室からのもので痔とは関係がない。なお、主治医から大丈夫といわれ、ポステリザン軟膏とフェロミアの服用をはじめた。
 パッドを取換えにトイレへゆくのが現在可能な唯一の運動である。十時に目玉焼きを二つ焼いたが、いまだに全部が食べられない。とにかく、血圧を戻さなければ。鼓動が全身に共鳴し、うるさく思う。身体が悲鳴をあげているのは分かっているのだが、どうにもできない。山崎医師は点滴のための入院を勧めるのだが。


2009年10月18日

どうぞお大事に  | nos   

はじめまして。
ですぺらでスコッチを飲むのを夢のひとつにしている者です。
もちろん面識はないのですが、こちらの掲示板での一考さんの書き込みもそれなりに長いこと読ませていただいて、一方通行でお人柄を見知ったような気になっています。「痛い」という字が、辛いです。どうかあせらずゆっくりご静養ください。ご回復をいつまでも待っております。


2009年10月17日

Les Misérables  | りう   

突然の書き込み失礼します。

ちはらさん、いつも父がお世話になっております。
話をお聞きするばかりで、ご挨拶の一つもなく申し訳なく思っております。


一考さん、もう以前のように気力と気合だけでは二進も三進も行かないようになってしまったのは周知のことです。
私の自宅の方にも掲示板を見て心配されている方からのお電話をいくらか頂戴しました。
店の方も大事ですが、今度ばかりはいつもの4,5倍は休養に時間がかかるものだと思って、お身体を労わって下さい。
どうか無理をなさらぬように。


2009年10月16日

ご報告 その3  | 一考   

 大腸のポリープは九つほどで、癌化するのは四年ほど後のはなし。また痔は三つで、ジオン注による治療とは有効成分が硫酸アルミニウムカリウム水和物(ミョウバン)なので、腎不全の患者に用いるとアルツハイマーに罹る。ただし、発症は十数年後なので、わたしは生きていない。
 余命から逆算して慢性腎不全がもっとも大きな障害なのでそちらへ全力投球。大腸癌とアルツハイマー、それに胃からも出血が認められたが、それらには目をつぶることにした。
 14、15、16日と絶食、貧血と相俟ってふらふらの状態。慢性腎不全だから高い筈の血圧が90-80-70と下がりつづけ、ヘモグロビンの値が一時は6にまで下がった。今回の入院で生れてはじめて失神を繰り返した。輸血ができないので、終日点滴が続けられた。
 痔の手術のあと、痛みに耐えかねて座薬を打った。主治医から注意を喚起されていたにもかかわらず。間髪を入れず、激痛に襲われ、昏睡状態に陥った。人事不省になる直前大声を張り上げて泣きわめいたのを覚えている。腰部を中心に全身の筋肉があらぬ方を向き、ねじ切られるような感覚。死を意識させられる種類の痛みだった。それにしても、痛みがひとを意識不明にするとは、はじめての経験だった。
 今回の手術は失血死を避けようということだった。取敢えず、大腸からの出血は止まったが、それも時間の問題である。ちはらさんが書いているように、今後体内を切り刻むような手術はむずかしくなった。検査結果を貰ってきたので、主治医と話し合わなければならない。それにしても、今日、明日は動かれない。

 薬はいつものようにと云われたが、ザイロリックとニュー・ロタンはもっか服用を中止している。他にもポステリザン軟膏とフェロミアも服用していない。フェロミアは構わないような気もするが、もっか薬物恐怖症である。
 ひできさんも書かれているが、ちはらさんには申し訳なく思っている。

追記
 ポステリザン軟膏とフェロミアは腎機能に影響は及ぼさないことが分かった。迂闊な書き込みにお詫び申し上げる。


ほんとうに。  | ヒデキ   

 ちはらさん、お疲れさまです。たいへんですね。
 一考さんお大事になさってください。ほんとうに。


2009年10月15日

ご報告 その2  | ちはら   

続報です。

本日、一考さんの大腸検診の結果が出ました。
軽~中度の憩室炎といくつかのポリープが見つかりました。
出血は前者からだったようです。ポリープは放置するとがん化するそうですが、
今は体調の問題で手術もできないため、しばらく様子見になるようです。
それから、痔(いぼ痔)についても多少の出血痕が見られたため、
こちらは本日午後に緊急手術が行われました。

詳細についてはご本人が後日書かれると思います。

なお退院は明朝(!)で、しばらくは自宅療養になるようです。
「見舞いは無用」とのことでした。


2009年10月14日

ご報告  | ちはら   

本日午後、一考さんが入院されました。
診察によれば出血は痔からではなく、大腸から?との診立て。
詳しくは、明日の検診以後に判る模様。

医療法人時任会 ときとうクリニック 大腸肛門病センター
〒336-0963
埼玉県さいたま市緑区大門1941-1
TEL 048-878-6411

めまいがひどく顔色もかなり悪いため、入院してすぐに点滴開始。
ですので入院期間についても未定です。
出血の原因次第のようです。

まずはお知らせまで。


再入院か  | 一考   

 やはり出血が止まらない。手術にはミョウバンを用いるので不可能。また、慢性腎不全の患者に輸血は難しい。カリウムが跳ね上がるなど、危険を伴うのである。よって、再入院となりそう。ときとうクリニックというところらしいが、詳細は後ほど。
 いずれにせよ、ですぺらは今日もお休み。


2009年10月13日

臨時休業  | 一考   

 今日は動かれないのでですぺらはお休みです。申し訳ございません。

 休業の理由は貧血である。市役所と病院は行ったものの、人目を憚らず何度長椅子で横になったか分からない、それほどに二日間の出血はひどかった。血便は続いているが、多量の出血はなくなった。手脚の表面が剣山で突かれたように痛みと痺れと痒みが交錯する、貧血特有の症状である。血が大量に喪われると皮膚感覚がおかしくなる。毛細血管を血が流れにくくなるところから来る症状らしい。
 慢性腎不全で他に出血を伴う持病があると寿命がさらに短くなるそうな。医師は痔は癒さなければという、そして痔以外の直腸ポリープを心配している。しかし、検査だけならともかく、これ以上の病気を抱え込むのは勘弁してほしいと思う。どのみち、死ぬのだから。
 緩慢な死を迎えるに際して、病気を意識し過ぎると生への執着が湧く。いまさら恒久的な反抗の夢想を抱くのは嫌だし、百千の繰り言に関する諦観論も嫌である。そのような積極性もしくは当てを抱かずに、前項で述べた「アングルのヴィオロン」のような生を送りたいと思っている。それがわたしの自然体なのである。

 身体障害者手帳と重度心身障害者医療費受給者証をもらってきた。手帳のど真ん中には大きく要介護と印されている。聞けば、本人と介護人の双方がJRや市バスなら半額になるそうな。利用する機会はないだろうが、なんとなく得をしたような気分である。
 来週の火曜日に検査結果が出る。内服薬に異同がありそうである。腎不全を癒す薬は存在しないので、ことごとくは血液に関する薬ということになる。当たり前といえば当たり前である。


2009年10月12日

血便  | 一考   

 このところ血便がつづく。火曜日は診察の日なのでそれまでは様子見。痔からの出血とは血色が異なり、消化器内科に属する症状のよう。しかし、腎不全となんらかのかかわりがあるように思う。なにかしらの合併症を起こしたのかも。
 タール便でなく、鮮紅色なので大腸もしくは直腸からの出血と思われる。痔を疑うのが順当なのだが、過去の経験から推して異なるところが多い。痔なら滴りおちるように出血するものだが、今回の出血は多量で、しかも吹き出てくる。排便の度にトイレ中に血の臭いが立ちこめる。
 時を追って下痢状態が進行、排便の回数が増えてきた。これで腹痛を伴えばO157の感染が疑われるが、もっか食事制限中につき生ものは食していない。いわゆる食中毒の自覚症状はなにもない。眩暈はひどいが、それが尿毒素によるものか血便に起因するのか定かでない。
 状況はそのようなところで、慢性腎不全が直腸や痔にいかなる影響を及ぼすのか。または出血を伴う合併症にどのようなものがあるのか、素人のわたしに判断はつきかねる。

 丸三箇月単車のエンジンをかけていない、充電をしておこうと庭へ出るも、芝生のうえへ崩れ落ちる。なんとか車のなかへ転がりこむが、ひどい脂汗と眩暈である。自宅だからよいようなものの、出先なら救急車のお世話になるに違いない。一時間余そのままで辛抱し、蒲団のなかへ戻る。明日、病院へ行かれるのだろうか。

追記
 取り敢えず、出血は止まった。とすれば痔が理由のようである。それにしても、立ちくらみ、眩暈、息切れなど神経症候の増悪がひどい。降圧剤で抑えているが基本的に血圧は高い、慢性の腎性貧血に陥っているので、ある程度の眩暈は仕方あるまい。いずれにせよ、明日の血液検査でなにかが分かる。
 糸魚川の幹郎さんから電話、「救急車を呼べ」と一言、ご心配を掛けて申し訳ない。(13日1時30分)


2009年10月11日

身障者手帳  | 一考   

 身体障害者手帳の交付通知書が役所から送られてきた。祭日なので、火曜日か水曜日に取りに行く予定。手帳を受け取る手続きが結構煩雑で、郵送された書類、印鑑、写真、健康保険証、郵貯以外の預金通帳、特定疾病療養受療証、それに運転免許証、車検証、ETCカードとETC車載器セットアップ申込書・証明書が必要である。さらに、身体障害者手帳の申請にあたって必要だった医師の診断書ならびに諸費用の領収書、八月一日以降の医療費と薬代の領収書等々である。
 取り敢えず、市役所はこれで済む筈である。あと東京都税事務所、警察署、陸運局へ行かないといけないが、車は明年二月に乗り換える予定なのでどうしようかと思っている。いずれにせよ、身体障害者になったからといって世界観や歴史観が変わるわけではない。ただ、月々の医療費と薬代から解放されるのが嬉しい。
 それやこれやで、腹一杯飯が喰いたくなった。三箇月の食事制限で常に腹が減っている。食事制限は死ぬ日まで続くわけだが、三箇月に一度ぐらいはと思って馬鈴薯バターを作った。しかし、ひとつ食べれば腹がくちくなる。存外だらしのないものである。


2009年10月09日

湊川  | 一考   

 「山上の蜘蛛」の文中、「日本残酷物語」からの引用がある。「バラック・・・が川の上にまではみだしている。川に満足に水があるのは雨のあとと満潮のときだけである。たいていはむきだしの河床にごみが堆積して異臭をはなっている。橋のちかくの共同便所を、附近の数十軒が常用する有様だから、川が水洗便所に代用されているのはいうまでもないが、肝心の水がなく、川は流れないのだから、いわば大きな露天の便所地帯といったほうがよい」
 これは長田に限らない。わたしが幼少の頃、湊川市場の北端、湊川に添う形で丸新市場と新町商店街があった。会下山の暗渠の手前である。満州からの引き揚げ者ばかりが「日本残酷物語」さながら、川の上へ一メートルほどせりだしたバラックを建てていた。ニクテン、串カツ、饂飩、寿司、喫茶、玩具、古着、古靴等々、市場からはみでた商店が新町商店街を構成していた。対岸から見れば洗濯物と垂れ流し式便所のオンパレードといった感じで、戦後はどこででもお目にかかる情景だったに違いない。
 湊川市場の南端のミナイチについても触れられているが、役所裏のミナイチと電車筋(荒田一丁目と福原町の境)の間にニクテン横町があった。十数軒のお好み屋が軒を並べ、とはいってもすべてバラックで、屋根はトタンの波板。新開地周辺にもゴールデン街はあったのである。子供のわたしはカストリこそ飲まなかったが、飴湯、ソップ、ラムネを片手に新聞紙に包まれたニクテンをほおばっていた。当時のわたしにとって市場は恰好の遊び場だったのである。

 「寿」のことは書かれているが、現代詩神戸研究会の同人が必ず流れた東門筋の西側、確か(タキイ)といった小さなバーについては触れられていない。わたしが現代詩神戸へ這入ったのは1963年7月、16歳だったと記憶する。神戸在の詩人の多くと面識を得たのはその「滝井」とかいうバーだった。日教組の溜まり場のような薄暗い店で、オーシャンの当時シルクハットと称した安ウィスキーを飲まされたのを覚えている。

追記
 にくてん横町とは俗称であって、そのような地名があったわけではない。ごく一部の人たちが勝手に名付けて用いていた。今なお営業を続けているお好み焼き屋に「とみちゃん」がある。


2009年10月08日

ラクロワのことなど  | 一考   

 人生にあって継続はもっとも大切な概念のひとつであろう。継続といってもいろんな継続があるだろうが、とびっきり大事なものは「努力しないという根気よさ」である。
 季村敏夫さんから贈られた本を読んでラクロワが出てきたのに駭いた。スティルナーやアン・リネル、辻潤らと共に忘れられないエゴイストで、迷いが生じた時には常に立ち返るようにしている。
 前項で述べた「出世をしない秘訣」には附録があって「貧困も醒めてる間だけのこと」「やけになって事にとりくむよりは、根気なんてものを忘れて、出世をしないにしくはない」といった格言が著されている。
 季村さんの著書に「『いかに生きるべきか』という日本の近代文学を貫いてきた倫理」との箇処がある。十代の頃、わたしもその倫理に呑み込まれていた、おそらく現在も。「いかに生きるべきか」との問いかけに日夜示唆を与えつづけたのは山本六三。その後、知りあった生田耕作には山本六三が抱いていたけぶれるような懐疑精神は微塵も感じられなかった。生田はラクロワ描く画家フォランのような人物で、「注文が来るったら、ありゃしない! わしは小便に行く度んびに一ルイ損しちまう」というような根っからの権威主義者であり、政治屋だった。
 足立巻一さんの「やちまた」出版記念会の席上、わたしの名前を口にした足立さんの顔面にビールをぶっかけた生田の狼藉を山本芳樹さんから聞かされ、いたく傷つくと共に足立さんに済まなく思ったのを思い起こす。
 「エゴイズムは人間に根ざしている意地悪さと悪運とに対する自衛の一様式であり、われわれを、勝手にその思召しにかなったものに作りあげようなどという神に対する返答の一つの仕方である」といったのはアンリ・ジャンソンだが、アヌイも似たようなことを云っている。「誰でもがシレスティナの礼拝堂を作るってわけにはいかない。だが、われわれは誰でも、すばらしい皿絵描きぐらいになることはできる」
 ラクロワが「出世をしない秘訣」で述べたかったのは「(諸君の誰もが、否応なしに生業を営んで、パン、恋、本、タバコなどのために、それ相当のお銭を儲けなければならないぐらいのことは、私だってよく知っている!)……ただ、この生業を、生涯かけた職業なんぞと思い込まずに、一つの趣味、なつかしく心を惹きつける『アングルのヴィオロン(道楽)』ぐらいに見做す」ことなのである。わたしは屡々「質のわるい冗談」との言葉を用いるが、あれは「道楽」に置き換えてなんら差し支えはない。


2009年10月07日

山上の蜘蛛  | 一考   

 明石蛸ならぬ「山上の蜘蛛」と題する書冊が季村敏夫さんから送られてきた。蛸も蜘蛛も八本脚だが、中味は八本どころのはなしでない。極端な例ではわが国で96本脚の蛸が捕獲されたことがあるようだが、季村さんのそれはさらに多い。
 「山上の蜘蛛」には「神戸モダニズムと海港都市ノート」とのサブタイトルが付けられている。タイトルの蜘蛛は神戸のプライヴェート・プレス蜘蛛出版社にちなみしもの。モダニズムとは云っても、彼のいう「地域の出来事の共時性」すなわちダダイズム、アナーキズム、マルキシズムなど、実に幅広く同人誌を博捜する。多脚と書いた理由は一読していただければ理解できよう。
 文中にわたしの愛読書でもある「出世をしない秘訣」の書影が飾られている。著者ラクロワについては素天堂さんがかつて書かれている。

 http://d.hatena.ne.jp/sutendo/20040221

 モダニズムというどこかしらハイカラな幾何学を想わせる概念を本書に求めるひとは失望させられる。椎名其二のテーゼを引用しつつ、季村さんは「いたましさ」と「むごたらしさ」が表現の故郷だと著す。そこに「情けなさ」を加えれば、詩人の苗床の概略が顕れる。いまどき、このようなことを書く詩人がどこに存在しようか。慟哭が必ずしも文学とは限らないが、文学に接したときひとは必ずや慟泣させられる。
 わたしが一部の書誌学者を嫌うのはそこに肉声が流れていないからである。そのようなひとに限って撰択に立場の闡明があると宣う。本書がいくら重層的に書誌学の仮面を被ろうとも、全篇は季村敏夫の詩精神で染めぬかれている。

 「草野心平にならえば、天体に属さず、地上に天国をひきずりおろそうとする発想である。一方、・・・ポエジーはあるが詩人は存在しないとし、非個性、半個性を目指す傾向がある。神戸モダニズムと呼ばれるが主流は前者で、林喜芳や能登秀夫、伊勢田史郎、中村隆、直原弘道、西村昭太郎、和田英子などの足跡をたどれば明らかである。後者には石野重道、稲垣足穂、多田智満子らが位置し、岡田兆功、鈴木漠、時里二郎らを入れても差し支えないだろう」との鳥瞰を示しつつ、天体と地上とのあいだで搖れつづけ、のたうちまわった君本昌久の蜘蛛出版社にフロイトの「揺れども、沈まず」の一言を奉げる。その振幅は取りも直さず、「いかに生きるべきか」に対する季村さん自身の倫理観そのものであり、思索の果てである。
 書物の前後にあってリルケの詩が引用される。

 誰が、では、私たちの向きを変えたのか、私たちが
 何をなそうとも、過ぎ行く者のあの姿になるとは?
 登ってきた谷間を一望できる最後の丘で
 振り返り、立ちどまり、しばらくためらう……、
 そのように私たちは生きて、つねに別れてゆく。
         リルケ「ドゥイノの悲歌第八」中井久夫訳

 喪われた同人誌の古層を前にして、歳月は贅を刮げ情念を浄化する、透き通るような弧絶感と一条の冷涙が見て取れる。無機質な書物が蔓延るなかにあって、山上の蜘蛛一巻は間違いなく屹立している。A5版403頁の大冊である。

 山上の蜘蛛 季村敏夫著 みずのわ出版 本体価格2500円 
 神戸市中央区旗塚通3-3-22-403 電話078-242-1610


2009年10月06日

赤坂署  | 一考   

 掲示板で書いた内容について赤坂署から何度か問い合わせがあった。行方不明者の安否についてというプライヴェートなことなので詳細は書かない。ただ、それが契機となって赤坂署との付き合いがはじまった。わたしのような非社会的な人間と警察とは考えてみればおかしな関係である。
 今日も警察の方が訪ねてらしたが、這入ってくるなりお体は大丈夫ですかと問われた。まさか赤坂署の方が掲示板をお読みとは知らなかった。お名前は遠慮するが、ご心配いただいたことに感謝する。


砂漠の薔薇  |  一考

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 磯巾着は唐揚げもしくは味噌汁の具として用いられる。味は牡蠣と似ていてすこぶる美味、成分もほぼ同じだそうである。わたしはその磯巾着の骨を持っている。昔、福井に住んでいたころ、東尋坊の土産店で贖った。
 磯巾着の骨とよく似たものがわたしのコレクションに加わった。チュニジアの砂漠の薔薇である。こちらはおっきーさんの海外旅行の土産である。共に無用の長物なので気に入っている。このところ減塩食で悩まされている。それ故、塩(わたしの勘違いで、本当は硫酸カルシウムもしくは硫酸バリウム)をオブジェとして飾るというおっきーさんの逆転の発想は刺激になる。
 後の瓶はチュニジア南部ドゥーズのサハラ砂漠の沙、ですぺらのお客さんから頂戴した。フランスの統治時代、第十二外人部隊が駐屯していたところから生じた地名である。前のふたつが砂漠の薔薇。 

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