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2010年08月 アーカイブ


2010年08月31日

雑音  | 一考   

 政治には金が掛かる。よって資金を頂戴してもよろしいから、革命を起こしてくれる人に一票を入れたい、というようなことを羽仁さんが書いていた。傑れた専制主義よりも、悪しき民主主義を選択してきたのが日本の戦後の歴史である。されば革命とは云っても悪しき民主主義のそれでないと整合性が取れない。その悪しき民主主義の典型が小沢一郎でなかったかと、かつて彼が自民党を割ったときから思っている。少なくとも、数が力だという彼の思いはわが国にあっては正しい。
 わたしは官僚頑張れの一人なので、菅とか岡田と云った官僚どっぷりの政治家は結構なのだが、それにしても人間的魅力に欠ける。現状では野党の党首を政権の中枢に、もしくは首相に持ってこない限り、一本の法律も国会を通過しない。そうした芸当が菅にできようはずもない。他方、小沢にとってはなにもかもが二党制を成り立たせるための素材でしかない。わたしは菅が首相になることには最初から反対だった。二項対立の対象に小沢を持ってくるのはよい、しかし、彼に小泉の真似はできない。権力に執着しているのははたしてどちらなのか。政治家として良識があるのならここは一番、小沢に委ねるべきでないだろうか。


2010年08月28日

透析初日  | 一考   

 東葛クリニックへ行く。二時半に出掛けて、透析終了後ですぺらへ車を飛ばし、到着は九時少し過ぎ。思いの他、時間が掛かる。クリニックと総合病院では患者層が異なる。クリニックではほとんどの患者が同じダイアライザーを用いている。要は入院の必要のない患者ばかりなのである。
 東葛クリニックでは当座、火、木、土曜の三時からの四時間透析がはじまる。パジャマ、毛布、タオルの類いは持ち込みである。採血の血管は皮膚下二ミリ、直径は三・四ミリだそうである。
 搏動は好んで用いる言葉だが、すこぶる具体性を帯びてきた。脈搏は知ってはいても、本人には聞こえない。それがシャントを拵えたことによって身近な存在になった。北海道旅行の際、みずならや白樺の幹に耳を寄せると樹液の流れる音がきこえる。幹の太さに比例するらしく、ごーっという音からストローで吸い上げるようなさらさらした音まで木々の呼吸はそれぞれである。その呼吸が把握され、音も聞こえてくるようになった。誰かさんではないが、人も植物であるかのよう。
 左手のシャントから先が痺れたままである。手前へ血液を逆流させたため、十分な血が流れていない。痺れが取れるに一月ほど掛かるそうである。体重は六十三・二キロから六十三・五キロの間を基準にするようである。越えた分はまるのまま余分な水分となって除去される。一キロの食材には約半分の重さの水分が含まれる。食事による体重管理がうるさくなる。今まで以上に迂闊にものが食えなくなる。それにしても、カレーやシチューが問題になるなんて。


北里退院  | 一考   

 今回の入退院に関し、逐一幹郎さんと関さんの世話になった。今日も退院祝いとかで早速拙宅の近くの回転寿司へ出掛けた。栄養士が聞けば目を白黒させるような禁止食品ばかり腹一杯詰め込んだ。そして浅蜊の味噌汁を二杯、どうなるかはしらないが当然大量のクレメジンも服用。
 透析だが、取り敢えずブラックアウトからは解き放たれたようである。一箇月ほど経てば痒みからも自由になるそうな。疲れや痒みはともかく、ブラックアウトからの解放はなににもまして喜ばしい。そして透析のダメージはすこぶる小さい。個体差が激しく、主治医から脅されていたので気に病んでいた。確かに、術後、動かれなくなる方も多くいらした。わたしの場合は直後足下がふらつく程度で、どうということはない。
 透析の種類の多さに驚いた。わたしが受ける透析は透析の内なる一療法で、血液や血管、肝臓、心臓などなど、あらゆる病気から透析に至ることを知った。
 やはり問題になるのは、ナトリウム、カルシウム、カリウム、リンの血中濃度で、蛋白はほとんど問題にならない。とはいえ、ここにも個体差があって、あくまでわたし個人のはなしである。何度も繰り返すが、透析に一般論は通じない。療法は一部似ているが、結果は個々に異なる。
 クロアチニンは透析後、9.41から5.49へ急落したが、カルシウムとリンはそれぞれ12.3、5.8と異常値を示している。透析ではどうにもならない数値で、食事療法でしか解決しない。ここ二週間ほど、食事は医師の管理下にあったが、ここまで管理しないといけないかと愕かされた。当然、薬物療法に二種類の吸着剤が新たに加えられた。今回の東葛クリニックではさらに吸着剤が加えられるようである。
 幹郎さんとは随分とブラックアウトの話をした。彼によるとここまでブラックアウトについて書き込まれた文章はないようである。しかし、かかる文章があろうがなかろうがどうでもよい、わたしは強く自分自身を意識の管理下に置こうと努めてき、それが破綻する場を垣間見る状況に追いやられた。その絶望感を書き記しておきたいのである。
 そのブラックアウトと密接な関わりを持つのが汗線である。透析をはじめてごく一部だが、汗が戻ってきた。汗と失意、そこのところの関係を究明しなければならない。
 幹郎さん、有り難う。


2010年08月27日

整形外科  | 一考   

 今日は透析の合間をぬって整形外科医の診察を受ける。やはり腰痛が気になって仕方がない。筋力トレーニングは必要なしと云われる。そこでレントゲンを八枚、上背が五センチ縮かんだだけあって腰椎の軟骨がひどく磨耗している。「これじゃあ、痛くて歩かれないよ」間歇に炎症が起こっている。「カルシウムを摂るしかないが、腎不全ではね。薬の投与は不可能だし、悪化するばかりで、良くはなりませんよ」「そう云われるのは分かっていたのですが、なにか方法は」「諦めろとは云えないので、様子を見る以外に方法はありませんね」「随分と消極的ですね」「MRIを撮りますか、そうすればよりはっきりしますが」「どうにもならないことが、さらにはっきりするわけですね」「そうですね、仰有ってるお店から駐車場間は何度休んでいるんですか」「三度です」「それを五度にしてください」
 だんだんと腹が立ってきて、これで診察料が数万円なら割があわない。馬鹿野郎である。腹の虫が治まらないので、向かいのコンビニへ行って240円のティラミス(ナトリウム74.0ミリグラム)を食べる。ヤケ食いをしてやろうかと思ったが、世話になった嶺井医師の顔が浮かび、それは控える。

 特定疾病療養受領証は入手したが、更生医療の方はまだなにもしていない。北里病院は指定医療機関なので、申請が可能。申請をしなければ腎移植手術は受けられないようである。身体障害者手帳も新たに申請する。それら書類の件で木曜日の退院が金曜日になった。嶺井医師に感謝したい。


眼科  | 一考   

 今日は目の検診をする。左右は裸眼で0.8と1.2、四十五歳の時に検診しているが、その時と同じ数値である。大型二種免許であっても、眼鏡は必要ないと云われた。免許の更新時に、常に注意を喚起されているが、警察で目の検診を執りおこなう人に問題がありそうである。心配していた腎不全の眼底への影響もなく、わたしの思い過ごしだった。
 序でに、目玉のなかに不純物が多いと指摘された。目を瞑ると瞼の内側を泳ぐ、さまざまな幾何学模様の元である。心の万華鏡と名付け、わたしは面白がっているのだが、医学的には不純物にしかならないようである。あまり酷いようだと除去も考えられると云われて、周章てて診察を終えた。わたしにとって、不純物は宝の山そのものである。子供の頃、枕元に陽が差している、瞼を光に向けるといろんな模様が走馬燈のように瞼の内側を巡ってゆく。夢は続きを見ることができるが、こちらはあまりに抽象的でどこがはじまりで、どこが続きだか定かでない。おっとこれは、という絶妙のシチュエーションもあるが、繰り返しは不可能である。夢の持つ生臭さがこちらにはなにもない。この抽象的な万華が不純だなんて冗談ではない。こちらと比べれば夢の方がよほど不純ではないか。どうやら眼科医とは趣味を異にするようである。

 厳密な体重と血液検査の結果、紅茶やコーラを飲んだことまで発覚する。食パン半枚でも食べようものなら、たちまちリンが跳ねあがる。与えられる食事以外はなにひとつ食べていないが、これほどの管理が必要だという勉強になる。人は日々、およそ衝動的にものを食べている。余分に摂ったカルシウム、カリウム、ナトリウム、リン、水分は腎臓が自動的に排泄してくれる、健康であれば。その安全弁が機能しなくなったのだから問題である。それらすべては脳溢血、脳梗塞と密接に結びついている。透析をはじめて蛋白制限からは解放されるが、カルシウム、カリウム、ナトリウム、リン、水分の制限はさらに厳しくなる。リンの摂取制限が厳しくなれば蛋白制限の解除がなんの意味も持たなくなる。リンと蛋白は常に手を取り合ってやってくる。せいぜいが、低蛋白米が不要になることぐらいかしら。


尿毒素  | 一考   

 尿毒素がもたらす症例に、手脚のしびれ、筋肉痲痺、脱力感、倦怠感、腰から下が抜ける感じ、吐き気、腰痛、下痢、不整脈などがある。
 その尿毒素は急に回ったのではない。四年ほどかけて生じたのが現状である。現在の歪な血液状態が今のわたしには正常になってしまっている。それ故、血液の状態を急速には戻されない。様子を見ながら徐々に戻してゆくしかない。透析器の濾過率を五パーセントずつ上げてゆくようなものである。気長に付き合うしかない。

 この件に関して、透析を受ければ即刻元気になるとほとんどの方は思い込んでいる。しかし、何度も繰り返すが、腎不全に治療法は存在しない。人工腎臓を用いても高カリウム血症へ至るのを遅らせることしかできない。どの程度遅らせることができるのかは、その人の食事制限、水分制限の結果次第である。人工腎臓はそのための手助けでしかない。要するに死が約束された病であって、人生と同じである。透析を何年続けたかは問題にならない、一年であれ十年であれ、その期間はその人の寿命と比例する、とわたしは思っている。


病院食  | 一考   

 這這の体で病院へ帰ってきた、人いきれには滅法弱い。銀行と薬局の他、用事があったのだがなにひとつ片付けられなかった。明日は透析の前に再び胸部レントゲンとか、胸になにかしら問題が生じているのだろうか。三度目のレントゲンである。きっと剛毛が生えているに違いない。

 てんぷらやチキンフライと魚の煮付けもしくは焼き物が交互に続く。入院当日は鯖の味噌煮、二日目は赤魚の粕漬け焼き、三日目はムツの山椒焼き、以降、サワラの蒲焼、アジの梅風味照焼きと続く。チキンフライは親指の先っぽほどのが三切れ、魚は鮭弁当に付いている鮭の三分の一ほどがメインディッシュなのだが、とにかく不味い。考えた献立なのだろうが、魚の活きの悪いのだけはいかように細工しようともいただけない。わたしが東京へ来て魚を食わず、揚げ物ばかり食っているのは魚が不味いからである。今は千葉の結構な魚屋と懇意にしているが、大体が東京の魚なんぞ食えたものでない。活きのよい魚を煮たり焼いたりしてこそ旨いのであって、例えばコチや目鯛などは身離れからしてまったく異なる。臭うような魚だと正体不明の白身魚のフライの方が気が利いている。冷凍品に限定されるのはやむを得ないとして、山椒を振った上で凍らせるとはなにを考えているのか。山椒の匂いのまったくしない山椒焼きをなんと名付ければよいのか。病院の料理には栄養士だけでなく、調理師の参加も必要でないだろうか。

追記1
 その後、病院の栄養士と会った。随分と失礼なことを云ったようだが、不味いものは不味い。ソテーとかお浸しの類いは時間が勝負である。温野菜は十秒とか二十秒とか、ものにもよるが、冷水の用意をした上で、いかに手早く湯通しするかであって、茹ですぎても、水っぽくなってしまっても捨てるしかない。鱧の湯引きなど典型で、湯を引いた後、冷水で締めるが、湯の温かさが残っている状態でいただく。湯をひくのは表面、冷水で締めるのも表面の好例であろうか。
 病院や家庭のような緊張感のない職場で造る場合、もやしナムルやアスパラソテーのような神経質な食べ物は造らないに越したことはない。まずもってびちゃびちゃである。わたしが肯定いたのはシャレーン豆腐ぐらいなもので、かたくりがダマになるという基本的ミスを別にして、まずまずの出来映えだった。
 それと書いておきたいのが、低リンミルクである。これは不味くて飲まれない。小学校低学年のころ、ペプシコーラをはじめて飲んで吐き出したことがあったが、これをミルクとは云わんだろう、が実感である。低リンミルクを飲むしかなければ、ミルクそれ自体を食卓から追放する。今回の入院で参っているのが、朝飯である。無塩パン、ジャム、フルーツ罐、低リンミルクの組み合わせなのだが、ジャムとフルーツ罐の不必要なまでの甘さと無塩パンと低リンミルクのもみなさは際立った対照をなす。要するに気持が悪いのである。食パンのように焼きの甘い無塩パンなど食えたものでない。リンにせよ、ナトリウムにせよ、制限によって食する気がまったくなくなるのであれば、食べない方がよいに決まっている。杓子定規な制限よりも取り入れ可能な制限からはじめるべきでないだろうか。

追記2
 レントゲンを連日撮っているのは心臓の大きさを見ているそうである。透析による水抜きは心臓をコンパクトにし、負担を軽減させるために必要な療法らしい。知らないことを知るのは面白い、興味津々である。


2010年08月20日

あれこれ  | 一考   

 初回透析が終わるも、結構面倒なものである。止血は自分でするのだが、シャントを潰さないように、慎重にと注文がつく。シャントは透析患者にとって命の綱だそうである。ならば病院側で処理すればよいのにと思うが、一人七分として二十人なら止血だけで百四十分掛かる計算になる。まずもって、止血は保険点数に這入らないようである。
 「入院すればブラックアウトから解放される」と書いたが、そのような生やさしいものではなかった。透析によって齎されたのは、軽い目眩いのみ。いささかでも効果が現れるのは一箇月以上経てからのこと、十五回もしくは二十回目から徐々に尿毒素が抜けて行くそうな。
 筋力の衰えが気になって、今回の入院はリハビリを試みる予定だったが、その心配はなさそうである。脚力は七十キロをかるくクリア、腹筋、背筋、懸垂共に異常はなく、腎不全由来の極度の疲れや息切れが理由だそうである。
 腰が痛く歩くのが疲れる、その一点を最も気にしていたのだが、透析を続ければ十月中には癒るのではないかとの話。逆に若い頃、かなりスポーツをやっていましたね、と身体を誉められたりもした。将来、自転車に乗りたいと思う。パーツはすべて売り払ったが、自分の分だけは残している。

 看護師にウィンクでもって病院から抜け出してき、これを書いている。ですぺらまで近いので地下鉄で来たが、やはり電車は無理である、帰りはタクシーを利用する。外食を固く禁じられたが、それはよく承知している。本当は喫茶店でババロアかパフェでも食べたいのだが、約束は守る。一日おきに血液検査をしているが、カルシウム、カリウム、リンが多すぎるようである。今までの入院と比してかなりハードな食事制限が設けられている。分量が少ないので、大部屋でわたしだけが三時のおやつが出るのだが、塩分ゼロのクッキーなんぞ食えたものでない。「分量が少ない」と書いたが、一食につき低蛋白米が百グラム、こちらは家では八十グラムまで落としていたので問題ない。ただ飯の炊き方はひどい、水分が多すぎるのである。朝食はこれまた塩分抜きの菓子パン一箇と少量のジャムに薄い茶が一杯。出るだけましかと思って食している。水分制限は医師が途惑っているようである。自力で1.6から1.8リットルは排尿している。どうして出てくるのかはわたしにも分からない。もっかのところ、排尿されるのだから飲料に制限は設けていない。

 店は暇そうである。前田さんに申し訳なく思う、これに懲りずに前田さんの客が付くことを願っている。二人三脚で旨く行くようにと、それだけを願う。加藤 仁さんからメールあり、手伝いのお申し出に忝なく感じ入る。二十六日の夕刻もしくは二十七日の午前中に退院の予定。


2010年08月17日

ですぺらの営業  | 一考   

 今日一日無事であれば、十八日は北里研究所病院である。入院すればブラックアウトから解放される。ここ数日は祈るような日々だった。入院は最短七日、最長十日の予定。

 ですぺらの営業は入院中も前田さんの手によって続けられる。暫くのあいだ、六時半から十二時までである。モルトウィスキーの種類が多いので、前田さんに分かるように註文していただきたい。同じヴィンテージ、同じ熟年数、同じボトラーであっても異なる酒がある。例えば、加水タイプとカスクストレングスである。
 前田さんにも強く云っているが、寡多録で確認の上、現物のボトルで再度確認していただきたい。彼にはわたしの退院後もできるだけ長く手伝っていただきたいと思っている。どうかよろしくお願いしたい。


2010年08月16日

身長  | 一考   

 11日の入院時、身長を測る。納得がいかず繰り返し慎重に測っていただくも、やはり165センチメートルだった。山崎診療所で何度も計測しているが、主治医によると5センチぐらいはすぐ小さくなると云われていた。発病後、一年で丁度5センチ小さくなった。畏るべし、骨粗鬆症である。


営業再開  | 一考   

 16、17の両日はですぺらへ出ます。前述の前田さんと一緒です。もっとも、わたしは座ったきりになりますが、どうかよろしく。


2010年08月14日

東葛クリニック  | 一考   

 東葛クリニックへ行く。医師との話は十分で済んだが、その後を追ってきた看護師(医師かもしれない)と一時間半ほど話し込む。一種のインフォームド・コンセントだが、これほどの時間を費やしたのは今回が初めてである。
 従来の医師の権威(パターナリズム)に基づいた医療にわたしは反感を抱いている。その反感を突き崩したのは主治医だった。患者の選択権、自由意志を大切にする人が主治医だけでなかったと分かっただけでも、東葛クリニックへ行った価値があった。
 正確な病名を知っているのは糖尿症と膠原病の患者ぐらいなもので、あなたのような非糖尿症の患者の大半は因果関係が分からない。腎結石が理由の一であることは間違いないが、それだけかどうかの判断は付かない。手術前のCTスキャンで腎結石が左右の腎臓に拡がっていたが、残存する腎機能が既に4パーセントを切っているため、いまさら手の施しようがない。治療をしない場合の経過は主治医と同じ説明だったが、他の腎臓内科の医師はお茶を濁すような返事しか帰ってこず腹立たしい思いをさせられた。無治療の場合は二、三年で死ぬのはよいが、どういう死に方になるのかは誰一人応えない等々、事細やかな話をした。病気以外はおそろしくプライヴェートなことばかりだったが、これは要介護の介護の内容を知るに仕方のない話であろう。車で赤坂へ通勤していると云ったところ、数値から推してあり得ないと愕いていた。
 車で思い出したが、診療を拒否された病院は送迎の車を出してい、透析技術の発達と相俟って長く透析をつづけている、要するに老人ばかりだそうである。新陳代謝が止まっているので新規患者を受け付けられないのが真相らしい。
 いずれにせよ、十八日から死ぬ日まで透析が続く。わたしのことだから、受け身でいることはないだろう。この一年、さまざまな葛藤はあったが、生き延びる途をわたしは撰択した。自らの生にいかように抗うか、これから本領を発揮しなければならない。


2010年08月13日

シャントは済んだが  | 一考   

 シャント造設は思いの外旨くいった。ただ深い動脈を表層の静脈と縫い合わせるため、多少の痛みは残る。所要時間は二時間二十八分四十五秒だった。局部麻酔だが、我慢する気はまったくないので、キシロカイン注ポリアンプ10ミリを打つ。手術の間寝ていようと思ったのだが、そこまでは効かない。微酔い程度で舌が軽くもつれるような感じだった。
 従って、麻酔醒めには頓服のカロナールを処方される。しかし眠られず、隣のベッドから大丈夫ですかと云われる。傍に迷惑を掛けるといけないので、睡眠薬を頂戴する。大きな傷であれ、小さな傷であれ、縫ったあとは二日ほど痛む。
 シャントは謂わば動脈と静脈のバイパスで、造設の目的は静脈を動脈に改造することにある。透析に必要な血量(一分あたり300ミリリットル)は静脈からでは足りないからである。時間が経てば皮膚に面している静脈が動脈となって脈打ち太くなる。人工的なミミズ腫れを拵えるようなものである。
 わたしの血管が健康なため、五日ほどで透析に耐えられるようである。そのシャントから出来るだけ離れた箇所へ血を抜く注射針とダイアライザー(人工腎臓)で老廃物を除去した血液を戻す注射針を挿入する。透析に要する時間は一回四、五時間、週三回が基本となる。
 内シャントは感染症に注意しなければならない。透析当日の入浴は禁止、シャント側の腕で重いものを持ったり、血圧測定や注射も厳禁である。
 一日の体重増加は1キロが上限、従ってシチュー、カレー、白菜、牛乳、トマト、豆腐、果物のような水分の多い食事は当然として、うがいにすら注意を払わなければならない。普通、一日に摂る食物中の水分は1200ミリリットル、食物が体内で燃えるときにできる水が350ミリリットル、水を飲むまでもなく、それだけでも既に水分過多である。実に苛しい水分管理が必要となる。

追記
 穿刺部位を濡らすのは厳禁、は良いのだが、ゴム手袋を買って来ないといけない。店のグラスはともかく、家の食器が洗われない。困ったものである。


蕎麦佶更  | 一考   

 シャントは成功して退院。その影響でカリウムが6.0を突破、クレアチニンも10.0を超え、危険な状態。特にカリウムは心筋梗塞を誘発させる。時間がないので14日に再院し、18日から7、10日ほど再入院、緊急透析を施す予定。通常はシャント造設から二週間ほど待たなければならないが、血管が丈夫なので、一週間で透析に這入る。パジャマが出血によって汚れたため、洗濯に帰ってきた。
 緊急透析後だが、北里研究所病院の医師が素敵なところを見付けてくださった。江戸川の対岸、松戸橋を渡ったところにある東葛クリニックである。駐車場も完備、火、木、土曜の透析が可能だそうである。拙宅から車で五分の位置にある。三郷市南部のクリニックは全滅、市役所の担当者は診療を断わるなど三郷ではあり得ないと云っていたが、実態は二年以上新規透析患者を受け付けていない。ひどいところへ引っ越してきたものである。

 北里研究所病院正門のすぐ横に「佶更」という蕎麦屋がある。蕎麦粉は北海道産、挽きぐるみとか十割でなく、二八蕎麦だが、これが結構旨い。とにかくよく締り、蕎麦の実のつぶつぶ感が残る。蕎麦の甘味が強く感じられ、汁なしでもおいしく頂ける。饂飩同様、汁なしで頂けると云うのは最高の誉め言葉である。天麩羅には異議あり、やはり蕎麦だけを楽しんでいただきたい。聞くところによると。立川で三十年ほど営業、白銀へ越してきたようである。店内にはジャズが流れる、煙草も可能とか、三日月もそうだったが、煙草が呑める蕎麦屋はわたしにとっては最高である。蕎麦は美味いが禁煙というだけで寄り付かない店が多数ある。佶更は田堀よりわたしは格上と見た。


2010年08月10日

ですぺらは十六日から  | 一考   

 身体のなかが大変なことになっている。自分の身体の制禦がまるできかない。二十七日になればなんとかなるのだろうが、それまで身体を維持させる自信が完全に消え去った。取り敢えず、明日十日から十五日まで店を休む。今回はシャントを造設するための入院だが、透析が可能になる二十七日までなんとか生き延びるための方策を医師に相談しなければならない。情けないはなしだが、なにかしらの薬物に頼るしかなさそうである。
 いずこの病院も同じだが、電化製品の持ち込みは禁じられている。よって入院中、掲示板への書き込みはできなくなる。

 ですぺらは十六日から前田さん(元バーテンダー)の手助けを得ることになった。おっきーさんや木村さんの知己でもある。いずれ、前田さんによってですぺらの営業時間は明け方まで延長される。詳細は決まれば掲示板に明記する。よき首尾を願っている。


2010年08月07日

連絡をいただいたみなさんに感謝  | 一考   

 十一日は白タクが向かえに来てくださるようである。しかも、運転手と看護師が一緒である。運転手の名前は詩人、ありがたい話である。これで安心して内シャント造設術を受けられる。
 尿毒素が左脚に回ったらしい、痛くて動かれない。昨日は無理を押して店へ出たが、今日は休むことになりそうである。気を張りつめてですぺらを営んできたが、ここへ来て全身は襤褸襤褸の有り様。二十六日までの辛抱なのだが、一日一日が重く憂鬱である。

 このところ、麺麭食が増えている。食パンやクロワッサンなど軽い麺麭ばかりだが、理由は便秘に関係がある。ブラックアウトに至るときの生理状態を考えるに、どうやら便秘が関係しているように思われる。一日、二食なのだが、便通は三、四日に一度である。その便秘が酷いときにブラックアウトが起こっているように思う。ブラックアウトのとき猛烈な吐き気を伴うことが多いのもそこに理由があるのでは、と思う。
 便秘になる因果関係はカリウムと水分の制限のために食物繊維に富む野菜類や乳製品、豆類、海藻類を充分に取れないこと、要するに繊維質の不足である。それとリンを下げる薬、カリウムを下げる薬、コレステロールを下げる薬など、便秘になりやすい薬の服用がある。
 いくら低蛋白米でも飯は腹にもたれる。麺麭の方が少しでもましかと思って摂っている。日本蕎麦や中華麺よりは饂飩やスパゲティの方がよいとか、白滝のようなより効果的な食品があると思うが、こちらはこれからの勉強である。日本蕎麦はわたしの好物だったがリンやカリウムが多く含まれるのを知って愕いている。好悪による判断は慎重に避けなければならない。


2010年08月06日

再度、ブラックアウトについて  | 一考   

 M・Aさんは幹郎さんの知己で、某病院の婦長を務めた人である。関さんを通して何度かお話を伺い、直接お手紙も頂戴している。彼女のような方が当掲示板を読んでくださるのは非常に嬉しく、また心強く思っている。わたしの書くことが戯言でないと理解してくださるのは医学の心得のある方に限られるからである。
 それでなくとも、わたしも死ぬような目にあったとか、死の淵から生還したなどと囂しい。わたしは病を自慢しているのでも泣き言を陳ねているのでもない。それが理解できない人に当掲示板を読んでいただきたくないとすら思っている。当初、今回の病について書くべきか書かざるべきか随分と迷った。しかし、同じ症例(腎不全は病名ではない)を抱える人が二十万を超えると聞いて、書く気になった。末期腎不全のさらなる症例を細かく書き留めておくのはこの種の病を客体視する上できっと役立つと思ったからである。
 わたしは特別な人間でないし、特異な人間でもない。人はいずれ死ぬのだからと屡々口にするが、そのような達観を持っているわけではないし、運命論者でもない。避けられるなら透析は避けたいし、人工臓器に繋がれて命永らえるほど価値のある人間だとも思っていない。要するに誰もが考える程度のことで自ら悩んでいる。ただ些かやんちゃだったので、喧嘩はよくした。今思うに、おぞけを震うような喧嘩の繰り返しだった。両手、両脚を何度か骨折し、また骨折させられた。交通事故で上半身が砕けたこともあった。そのような目にあっても怖いと思ったことは一度もなかった。それどころか、喧嘩で骨折とは滑稽以外のなにものでもないと思っている。今回ブラックアウトと遭遇してわたしははじめて真剣になった、はじめて恐怖心を抱いたのである。

 手に汗を握るとよく云うが、その因果関係が心理的なものか生理的なものかは意味をなさない。双方を分離して考えることはできないからである。気を失う時、人の身体は汗でびっしょりに濡れる。滴りおちる汗に個体差はなさそうである。あの汗は恐怖心からきているのでないかと思っている。わたしは自分の症例を知るに認知行動療法の手法に範をとっている。要するに、徹底的に自分と話し合っている、話し合いのなかから明日の自分が垣間見えてくる。
 ブラックアウトは意識の消失という一点においてすこぶる暴力的である。自らの意識や意志が奪われるが故におそらく最も死に近いものと思われる。ブラックアウトは事前に予知できる。衝撃に見舞われ、やって来るなと身構えた瞬間から気を失うまでに三十秒ほどのタイムラグが生じる。この三十秒は想像を絶するほど長く感じられる。薄れて行く意識と知覚を取り戻そうとする意志力との葛藤であり、闘争である。抗っても無駄なことは分かっているのだが、その抗いのなかにこそ、わたしの生に対する思惟の大略がある。生への思惟、それは生への深い悲しみでもある。
 昏倒するときに注意しなければならないのは頭部への打撃である。それを防ぐのは最後の最後まで抗うことだけ。途中で自分を投げ出して諦めたらお仕舞いである。意識が消え去る一秒か二秒前にわたしは自ら倒れるようにしている。しゃがみこんでから痙攣がはじまるようだが、その段階では既にに意識はなくなっている。やんちゃと書いたように反抗精神だけは発達している。それを逆手に利用しているのである。
 昏睡状態の記憶があるのかどうかはわたしには分からない。ただ、名状しがたい苦痛と恐怖が残される。可能ならば意識消失それ自体を把握し記録したいと願っているのだが、思うようにならない。ブラックアウトとはよく云ったものである。明晰さといってもさまざまな明晰さがある。一般的な意味に於いてわたしは明晰というものを信じない。ひとの生は想像する以上に渾沌としている。わたしはきっと、その渾沌を渾沌として捉えようとしているのかもしれない。
 それは夢の分析と似ていなくもない。異なるのは苦痛と恐怖に彩られている点であろうか。悪夢というものもあるが、その悪夢だけが抽出されて長く続くといった塩梅であろうか。あまりに酷い悪夢の場合、ひとは無意識に夢を遮断する、強制的に覚醒するのである。ところが意識消失にはそうした無意識の防禦反応がまるでない。きっと無意識自体が広い意味で意識の領域に属しているのと違って、別の領域の出来事なのであろう。言い換えれば、最初から安全回路が設けられていないのである。意識消失は死に寄り添う影のようなものと心得ている。
 状況があまりにも苛酷な場合、自らの意志で制禦できないことに逢着すると人は悲しみを憶える。その悲しみのなかにこそ文学がある。わたしは知識や書物を文学だと思ったことはない。自らの生に対する抗い、その息遣いこそが文学だと思っている。


M・Aさんへ  | 一考   

 お気遣いありがとうございます。先程役所から戻ってきたばかりです。介護認定は65歳以上もしくは糖尿性腎症のみ有効で、63歳、非糖尿性腎症のわたしは条件外になります。ちなみに、福祉タクシーは一種一級の場合、月二枚基本料金(1440円)のみ補填されるようで、しかも県内のタクシーに限るとのことでした。要するに、福祉タクシーはなんの役にも立ちません。
 介護タクシー会社に電話で問うたところ、歩けるならタクシーの方が廉く済ませられると云われました。一般のタクシーであろうが介護タクシーであろうが、料金に大差はなく、そこへ介護料金が加算されるとのことです。
 介護保険が不可能なので、ヘルパーはもとより、車椅子の補助も出ないそうです。当地のタクシー会社に聞いたところ、ハイヤーなら14000円で行くと云われました。二往復で56000円だそうです。諦めるしかなく、他の手立てを考えることにしました。
 いつもご迷惑をお掛けし、申し訳なく思っております。今回は当方で処理致します。この段階で他人様に甘えていては将来が思いやられます。どうも有り難うございました。


お近くの介護サービスの事業所に  | M・A   

毎日の暑さ、お身体きついことと思います。
一考さんのご自宅の近隣で、介護サービスをやっている事業所に相談されてはいかがでしょうか。
まだ介護認定は受けておられないようですので自費になってしまいますが、通院介助というのもあります。
1時間いくらという設定だと思うのですが、介護認定がおりればさか上って料金を返してくれる所もあるようです。
それから、お住まいの市で介護タクシーのチケットを出してくれる所もありますが。
付き添って電車で行かれるか、介護タクシーを使って車で行くか、予約状況や料金など検討してみてはいかがでしょうか。
それでも無理な場合は、ご連絡ください。11日から夏休みですので。
車は運転できるのですが。23区内には乗り入れたことがありません。
電車の付き添いならば可能です。


2010年08月05日

中断証明書  | 一考   

 BMWの自動車保険契約中断証明書が送られてきた。新契約時のノンフリート等級は20等級、有効期限は平成32年7月8日となっている。明石の毎日自動車商会の手を煩わせた、感謝したい。
 もっともこの保険を再び使用する日がやってくるかどうかは分からない。過去に於いて自動二輪車に乗っていたとの証明にしかならないのかもしれない。

追記
 珍しく伊藤敬さん来店。ジャン・ロランの翻訳をなさっているとか。
 時悪しく、ブラックアウトの予兆、猛烈な吐き気と吹き出す汗、伊藤さんに失礼してトイレへ飛び込む。いつもの癖で鍵を閉めたが、もしもの時を考え周章てて鍵を開ける。十分ほどでなんとか押さえ込んだが、足下はふらついたまま、伊藤さんに申し訳ないことをした。それにしても体力のなさに呆れ返る、この辺りが限界かもしれない。


介護サービス  | 一考   

 二十七日から血液透析に這入るので二十七日からの入院にはなんの問題も生じない。退院時にはいささか元気になっている。それまでの間、どのようにして日々を送るかである。一番の問題はシャント造設のための十一日からの三日間の入院である。例によって運転ができる友人はいない。松戸から日暮里経由恵比寿までの道程だが、電車を利用するしかない。荷物があるのでブラックアウトに陥る可能性が多分にある。なにかしらの介護サービスはないものか、頭を抱えている。


2010年08月04日

交通渋滞  | 一考   

 今回も出血を伴う手術である。梅毒や肝炎はじめさまざまなウィルス検査が事前に必要になる。その内HIVは任意だそうである。わたしの身体には大量の血液製剤が注入されている、従って病院としてはなおさら調べる必要がある。三枚の同意書に署名したが、もしも患者がHIV検査を拒否した場合はどうするのだろうか。深部の動脈を引っ張り出して静脈と繋ぐのだからしかるべき出血はある。感染の危機に身を晒す医師はたまったものでない。
 北里の医師からも透析後の身体の疲れはさらに増すと云われた。それと水分制限をはじめなければならないようである。取り敢えず、五百ミリリットルにまで減らすように、と。一日、コップ三杯からのスタートになる。これぐらいならなんとかなりそう。
 ところで、水戸街道(六号線)の混雑をはじめて知った。拙宅を出たのが八時と書いたが、江戸川と中川を渡るまでに一時間を費やしている。中川大橋から浅草橋でさらに三十分、浅草から白金は一号線を利用したが、こちらは一時間三十分、併せて三時間掛かった。病院の近辺で迷ったのもあるが、夜間なら一時間強の道程、日中の東京都下を走るのは大事である。
 電車の利用をよく薦められるが、これは論外である。ホームからホームへの移動など、健常者にとってはどうと云うこともない距離がわたしにとってはフルマラソンに相応する。もしも電車を利用するなら昏倒覚悟で車椅子が必須になる。


2010年08月03日

北里研究所病院  | 一考   

 朝八時に出掛けて帰ってきたのは六時過ぎ、終日検査漬けだった。
 まず、憩室の出血ならびに大腸のポリープの進行によって腹膜透析は不可能といわれた。主治医の見立て通り、あと二箇月は持たないだろうといわれる。カリウム性心筋梗塞に襲われ、あっけなくご臨終だそうである。十一日から三日間の入院、その二週間後に一週間の入院、要するに八月二十七日から血液透析に這入る。ただし、これは予定で、そこまで持たない可能性が多分にあって緊急入院も有り得るといわれた。
 自分で車を運転してきたことを知ると医師は無茶だという。いくら金数が掛かってもタクシーにすべきだと。買い物にも自分で行くと応えると、それも到底無理な話ですね、と。
 最近はウィスキーのボトルが三十キロのダンベルに思われてくる。五、六本も動かすと全身が悲鳴をあげる。カウンターのなかでは終日座っているのだが、それが二時間と持たない。腰が痛くて呻き声を洩らす。ウィスキーをグラスに入れようとすると目眩いに襲われる。客には申し訳ないのだが、とても笑顔は出てこない。月曜日は増田さんがいらしたが、帰り道で目の焦点が定まらず、危険を感じて三度も四度も停車した。
 医師からは三箇月ほど経てば透析に馴れてくる。そうすれば店の再開は可能だと告げられた。わたしのことだからそれまでに再開するだろうが、その間の店の維持費を捻出しなければならない。居るわけがないのだが、これほど手伝いが欲しいと思ったことはない。

 北里研究所病院の医師は若い、なによりも正直な医師である。質問に対して曖昧な物言いをしない、決して期待を抱かせない、さすが山崎医師の友だと思わせる。わたしはすこぶる好感を持った。初回のシャントは左手首に設ける、十一日の午後三時から医師が直接執刀する。糖尿ではないので、血管は丈夫、脈搏も問題なし。T字帯(越中褌)を持ってくるように云われたが、手首の手術にどうしてT字帯が必要なのか、考えれば考えるほど不思議である。わが息子に予備のシャントを造設するつもりかしら。

追記
 明日から店ははじめるが、開店時間をさらに遅らせて、八時半にする。それ以上立っていられないからである。事情を知らない客に迷惑をかけるので、しばらくの間会員制とする。


2010年08月02日

つづき  | 一考   

 医師が変わるというのは大変なことで、手続き(検査)を一から始めなければならない。尿、血液、心電図、エコー、レントゲン、CT、MRIと続いて、結果が出るに一両日が必要である。それは仕方がないのだが、この真夏しかも日中に白金を往復するのは体力的に自信がない。それでなくても、気温の上昇に比例して、目眩い、吐き気、便秘の昂進ならびに全身の倦怠感はとどまるところがない。拙宅は外気温に関係なく二十五度に保たれているので大丈夫だが、外気に晒されて二十メートルも歩くと意識が薄らいでくる。個体差があるのでなんとも云えないが、他の末期腎不全の患者はどうしているのだろうか。
 現在は自力で小用を足している。そのために多量(一日二リットル)の水分を補給している。透析をはじめると早晩自力での小用は不可能になる。そうなると、一日一デシリットルの水分制限に陥る。ただし、この一デシリットルは飲まれない、薬の嚥下に必要だからである。水なしの人生なんぞ、わたしに耐えられるはずがない。大方は耐えられなくなって水に手を出す、それが浮腫や胸水の理由になるのである。
 透析は尿毒素の除去もさることながら、余分な血中水分の除去に主たる目的がある。通常は週三回三時間からはじまって七時間半にまで延長される。現在の機能では二日で二デシリットルほどの水分しか除去されない。一日一デシリットルというのは、そこからの逆算である。透析がはじまれば厳密な体重管理が必要になる。飲んだ分だけ体重が増えるからである。それを捨て置けば命取りになる。また、透析に伴う急激な血圧の変化が心臓に負担をかける。透析に至る前と這入ってからでは身体の疲れ方が数倍異なるようである。
 わたしは糖尿病ではないので、網膜症には罹らない筈である。しかし、このところ視力が異常に弱っている。視点を定めるのにとんでもない意志力が必要になってきたのである。先日店で聴力の衰えを指摘されたが、視力、聴力共に老いが理由ではあるまい。造血から骨粗鬆症に至るまで、腎臓はとんでもないものを引きずってくる。


今日は営業、休みは明日  | 一考   

 北里研究所病院へ行こうと思って準備を済ませるも、一抹の不安を感じ、念の為に調べてみる。主治医から紹介状を頂戴した医師の外来担当は火曜日と金曜日、やはり間違えていた。出掛ける前に気付いただけでもまし、近頃のわたしはどうかしている。

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