レイアウトが崩れる方・右メニューが表示されない方: >>シンプル・レイアウトへ

« 2007年08月 | メイン | 2007年10月 »

2007年09月 アーカイブ


2007年09月30日

ご新規さん  | 一考   

 G3のiBookを購入した。最初のLC475を別にして六千円を超えるパソコンへの融資ははじめてである。本体はもとより、パーツのことごとくはジャンク品で間に合わせている。デスクトップと違ってノートブックは高い、またマックのノートは分解が難儀と聞く、よってジャンクでない起動するノートブックを購ったのである。ところが起動後、数分でパソコンはダウン、PRAMおよびNVRAMのリセットを繰り返し、ACアダプタを取換えてみたものの何等の効果もなかった。櫻井さんも手の施しようがないという。こうなれば、覚悟をきめて分解を試みるしかない。
 ネットが役立つのはこのような技術的知識やこつを必要とする時である。おかげで本体を傷つけることもなく解体、起動しない理由はACの取り入れ口からマザーボードに至るコード、要するに電源コネクタ基板が外れていただけだと気付かされた。しかし、ここからが私の性癖である。一晩掛けて徹底的に解体、組み直しを繰り返した。5インチドライブやハードディスク、マザーボードの置換を考慮しての耄けである。
 そのままアプリケーションをインストール、二日費やして辞書、メール、資料のコピーも済ませた。ただ問題がないわけではない。OS 10.3.9は十全に機能するが、OS 9.2.2を単独起動させるとサウンドが効かない。従って、iTunesとCDオーディオプレーヤが機能しない。専用のインストール用CDがなく、iTunesもデスクトップからのコピーである。おそらくそこに理由がありそうである。しかし、無音のパソコンが結構気に入っている。老いる前の私と相対しているような心持ちなのである。


2007年09月28日

茫然自失  | 一考   

 一昨日、床に流したコンクリートの水分が二階へ洩れだした。慌ててコンクリートを撤去。防水工事の不備が理由だが、これで基礎工事のやり直しとなった。基礎工事が内装の骨幹をなす。怒りを向けるところ定かならず、近隣の焼鳥屋で泥酔。この一箇月の進捗を顧みて、どれがどこがプロの仕事というのか。
 かつて出版を稼業としていた頃、約束の日付を違えたときは一銭の金数も請求しなかった。百万、二百万という印刷費、製本代を土方をしながら返済したことを想い起こす。プロに一切の失敗は許されないとは申せ、想定外のさまざまな悶着にひとは巻き込まれる。その責はなべて個が被るしかないのである。生きのびるとは言訳を棄却することに他ならない。

 言訳で思い出したが、政治家や芸能人の理不尽な弁明や弁解に人心は慣らされている。大なり小なり、過去の実績、要するに権威や権力にひとは阿諛る。大衆や時流へのへつらいなら何も言わない。ただ自分自身への諛いだけはご免蒙りたい。おそらく最大の媚が一所懸命との文言である。例えば、時間潰しに過ぎない為事に一所懸命との化粧(よわい)を施し、自らに阿諛ってみせる。その酔いが心地よい慢心をひとにもたらす。慢心を存在理由と言い換えてなんら問題は生じない。寸暇を惜しんで為事に精を出すのが権威や権力への諛いでなければなんなのかということを示唆したいだけである。
 一所懸命為事をする暇があれば、耄けていろと言いたくなる。ただし、ぼけるのではなく、そそける、ほおける、ほつれ乱れるの耄けである。近隣の焼鳥屋ではひとりで酒を呑む。ひとりで呑む酒は酔いのまわりが捷い、ひたすら飲み続けるからである。五、六合も呑めば前輪と後輪が絡み合って自転車は顛倒する。とぎれることのない膝の生傷、これが耄けであり私の存在証明である。


2007年09月19日

もったいないお化け  | 一考   

 使えるものは再利用するとの方針が裏目に出た。ガス漏れと水洩れに泣かされ、施設すべての撤去を余儀なくされた。スケルトンに戻す工事が繰り返され、不要な費用が発生した。取り壊しに追われる日々だったが、今日はじめて内装に入り、カウンターの土台になるブロック積みが完成。明日はガス管や水道管が撤去され、明後日はカウンター内部の基部へコンクリートを流し込む作業がはじまる。23日までに基礎工事を済ませたいのだが。
 私への割り当ては天井の研摩と壁面のニス止めである。前の店では未処理のままだったが、お客の身になると必要な作業である。

 工事費を捻出すべく、永田耕衣の句集を手放すことにした。かつて、自ら装訂した書物を手放した後、銀花から取材があって困惑させられた。そこで、必要なときは写真を撮らせていただこうと思い、知己で買ってくださる方がいないかと二三当たってみた。しかし、数万円ならともかく数十万円となると東京には買い手がいない。やはり古書は古書店に売るしか手立てがないようである。余談だが、私は新刊書店へは行かない、金がないからである。たとえ新本であっても古書店で求める。それだと現金払いでなく、後日まとめての勘定付けが可能だからである。どちらに顛んだところで、私は古書店からは逃れられない。
 神保町のT書店によると、永田耕衣の「加古」は三度、「猫の足」(限定五部)は一度扱ったが、最稀少の「傲霜」は一度も扱っていない、況や特装二部の「傲霜」は見たこともないとのことだった。私自身が三部、五部、十部といった特装本を多く手掛けてきたこともあって、一部の古書店とはいまなお懇意にしているが、稀本は売却にも難儀させられる。これが荷風の腕くらべ私家版とか谷崎の細雪私家版なら右から左なのだが。


ひがれい  | 一考   

 工事で出掛けていたため一日遅れで黒い猫くん到着、ありがとうございました。猫は世間知らずのおおふくべでよろしいのですよ。もっとも私はそれが理由で猫は好きじゃないのですが。
 「タコヤキ屋三十軒」で書いた中村商店の住所を隆さんから教えていただいた。念のために検索すると以下に載っていた。
http://www.qlep.com/search/cont_detail.php?cont_cd=389&news_cd=0&news_no=19

 ところで、1.8キロのじん粉の他さまざまなものが詰められていたが、中にささかれいが入っていた。一夜干しでなく完干しのかれいで、出刃包丁の背で叩いて軽く炙り、毟りながら三杯酢で頂戴する。一夜干しは干しがれい、完干しは干(ひ)がれいが関西では一般的な呼称である。富山出身の田中冬ニが著した干がれいは一夜干しである。松山や広島では干(ひ)がれいの異なる呼び名があった筈だが思い出せない。後日、津原さんに訊くとしよう。
 かれいの種類は多く、西明石でも十種類ほどを置いた記憶がある。おいらんがれい、ばばがれい、そうはちがれい、まがれい(くちぼそ)、まこがれい、あかがれい、くろがれい、すながれい、あぶらがれい、いしがれい(いしもち)、あさばがれい、めいたがれい、あまてがれい等々である。
 隆さんが同封なさったささかれいが気になったので、干しがれい、干(ひ)がれい、このはがれい、ささのはがれい。あしのはがれい、やなぎむしがれい(やなぎがれい)等々を辞書で引いてみたが判然としない。魚の名は専門の辞書でなければ手に負えないようである。
 干がれいを書くのは、東京ではあまり見掛けないからである。国語辞書の編輯を手掛ける会社はすべて東京、しかも辞書編輯者で上方出身のひとは過去二人しか会ったことがない。それでは語彙が偏るのは仕方がない。ちなみに干がれいは、私が十代二十代の頃は居酒屋の常備品だった。ところが、手持ちの辞書にひがれいの項目はない。陽に透かすと浮き彫りされる骨格に文学のコモン・センスを感じていた私こそがあおびょうたんであり変わり者だったのかもしれない。


2007年09月17日

鍋を運ぶ黒い猫  | 隆   

どうも皆様こんにちわ。
狭い掲示板のスペースを拝借して申し訳ありません。
今頃、黒い猫くんがトラックに鍋を載せて首都高辺りを走っている頃かと思います。
猫くんの荷物には鍋とその他諸々、何か役に立ちそうなものが入っているかと思いますのでご活用下さい。
ところで、猫といえば今我が家に一匹の肥えた猫がいます。
魚の臭いは好きだが食べるのは嫌い、その他海老等の魚介類も駄目というなんとも私のようなあんびょうたんな猫で、好物は海苔という変わり者です。
moonさん宅のノルウェー猫のような優雅さは欠片も有しておらず、色はといえば、どぶねずみか、将又汚れた雑巾のような色なのです。
(それでもアメリカンショートヘアとチンチラの間の子だったりします)
ところがこれがまたどうしようもなく可愛いのです。
猫にはそんな不思議な魅力があります。
私が猫に依存しているのか、猫が私に依存しているのか。
だから私のように飽き足らず猫と生活を共にする人がいるんでしょうね。
隣で猫がパソコンの画面を長めながら欠伸をしています。
余談が過ぎましたね。
電話でも申し上げた通り、受験が終われば、来年の春頃そちらに伺う機会ができると思います。
その節はどうぞ宜しく。


2007年09月16日

 | 一考   

 隆さんから電話があった。隆とは愚息である。今度音大へ入りたいとかで、のんちさんを思い起こした。掲示板へ掲げられた白髪の私を見て驚いたようだが、その分彼が大きく育ったということになる。
 電話の内容は明石焼きの鍋。彼の許に銅板手打ちの鍋が一台あるのは分かっていたが、それを寄こせとは流石に言えなかった。てっきり、日頃用いているものと思いこんでいたのである。しかし、明石の住人ならば、自宅で作るより専門店へ出掛ける方が安くて手っ取り早い。使っていないので送ろうかとのありがたい申し出だった。
 明石焼きに関しては掲示板で詳述したので繰り返さない。ただ、隆さんからじん粉はどうするのかと訊かれた。彼は品川生まれで神楽坂の育ちである。にもかかわらず、じん粉への知識を持っている。長い明石生活がもたらしたものと思う。魚の棚にある粉屋の一軒を説明し、仕入れへのご協力を願い出た。
 さて、ここまでくれば明石焼きを置かないわけにはいかない。ガス台の配置を考えなければならなくなった。

 ですぺらだが、大工の手当がつかず、九月開店は見送りのようである。詳細は書きたくもないが、この数箇月の推移を顧みて忸怩たらざるを得ない。閉店に際し手にした金数も底をつき、愈ますます途方を失いつつある。


2007年09月14日

矢野目源一「揺籃」  | 一考   

 垂野創一郎さんが矢野目源一の「揺籃」を私家版で上梓なさった。
 一九一五年六月に上梓された「揺籃」を購ったのは十代の頃、同時期に読み耽っていた長田幹彦の「澪」や「零落」と奇妙に符合していたのを覚えている。
 幹彦が北海道を放浪中、知り合った旅役者に取材したのが上記作品だが、矢野目はその北海道のひとである。一八九六年十一月三十日の生れだから「揺籃」 開版は十九歳の折、ちなみに前年の十二月に鈴木三重吉の手によって「零落」が上梓されている。
 幹彦は戦後、通俗小説を執筆するかたわら心霊学の著作などを残したが、矢野目もまた艶笑コントや媚薬や性感増強法などの著書を多く著している。
 下って、一九七五年九月に矢野目の「黄金仮面の王」を私は造った。飾画は山本六三、本文校訂は須永朝彦、腰巻きは澁澤龍彦、解説は種村季弘という絢爛豪華裾模様の一本だった。自分の過去の仕事に興味が抱かれないので手元に書冊がないが、たしか一九八三年に谷川俊太郎さんと「世界のライト・ヴァース5」を編纂、矢野目訳のヴィヨン「四行詩の型に則りし墓碑銘」を収録した。その詩は覚えている。

 此の己フランソワ、幾許(ここばく)の悲哀を経たり。
 ポントアァズ近傍、巴里府にての御誕生。
 一筋の縄は能く、今、我が此の首(こうべ)をして、
 我が物なる臂(いしき)の、その重きを覚らしめん歟。

 上述の「黄金仮面の王」所収の解説で「芸術に聖潔なかつての初々しい青年詩人は、中年から暗黒趣味に反転したが、晩年はいささか滑稽な、落魄の道化を演じていたらしい。しかしどうだろう、シュオッブの純粋な夢想家の若い晩年も美しいが、矢野目のこの喜劇的でいかがわしい晩年も悪くないのではなかろうか」と種村季弘は著す。落魄でも零落でも意は同じだが、折口のいう貴種流離を含めて零落者の文学史のようなものをどなたかお書きいただけないだろうか。「行末とほき人は落ちあぶれてさすらへむこと」を持ち出すまでもない、健康的なものには一顧だに触れたくもないのである。あきらめとやるせなさとが行き惑うところに矢野目の、そして文学の本意がある。
 種村さんの文章が書かれたのが一九七五年五月、以降書かれた矢野目論はない。かくまで等閑視された著者の書物を上梓するのは向こう見ずである。平井功訳詩集につづく垂野さんの蛮勇に喝采をおくりたい。


2007年09月12日

辞職  | 一考   

 首相の辞職を知って残念に思う、これで日本沈没が遠ざかる。小泉、安倍と続いた戦後レジームからの脱却が意味するものは戦後民主主義教育の否定だったが、それは進歩主義思想の表明ではなく、アンシャン・レジームを懐かしむ情動の表明だった。
 維新以降のアンシャン・レジームの結果が一九四五年のそれであったとすれば、安倍が冀求し体現しようとしたのは消滅への詠嘆であり、ハメルーンの笛吹きそのものだった。ヴィスコンティを持ち出すまでもなく、保守とはそのようなものであり、革命的大衆を拒否してやまないものである。支配階級の圧力に抗して個を守るために自律性を取り戻すのが大衆の責務である筈なのだが、それに夢を抱けない者は小泉や安倍を支持するしか手立てが残されていない。繰り返す、日本沈没が遠ざかって口惜しく思う。是は残念閔子騫。


パソコン求む  | 一考   

 新しいですぺらにはデスクトップのパソコンを置く場所がない。そこでノートブックを探している。ウィンドウズなら借り物があるのだが、マックでなければ店の資料が開けられない。用途はワープロのみなので、CPUの速度は問わない。要は旧式を望んでいる。どなたか安価なノートブックをお頒けいただけないだろうか。


選民意識  | 一考   

 諸経費節減のため、新聞は打ち切った。それ故、Kさんがたまに持参なさる東京新聞に目を通すのみである。その東京新聞の俳句月評へ宗田安正さんが書いておられる。

 一九八〇年代に始った俳句大衆化は、江里昭彦によれば九〇年代に「情緒安定産業としての俳句」に変質した・・・
 いずれにしても、大衆化を起点に、俳句は表現する俳句から享受する俳句、癒し合いの俳句になる。新しい表現運動はなくなり、総合誌も結社誌も数は殖えたが主張がなく、みな等しなみになってゆく。こうした状況ではかつてのように俳句をリードした総合誌の成立のしようはなく、大衆の要望に応えて俳句上達法の講座まがいの記事と、きまった俳人たちのお手本的作品の展示場になりがち。

 俳句を文芸に置き換えてなんの不具合もなく、宗田さんらしい気配りの行き届いた文章である。以下は宗田さんが著されたエッセイに託つけての私の身勝手なおしゃべりである。
 大衆が先天的に決定能力や統制力を欠き、非合理的、情動的な存在であって愚民とほぼ同義語として解釈されていた時代ならことは単純だった。大衆に選民意識を抱かせるのがファシズムやナチズムの常套手段であって、みな等しなみに選ばれた少数者との意識を抱いて世はうまく収まっていた。
 ところで、選民意識を持たない大衆というものは考えにくい。言い換えれば、大衆という意識を持った個に私はお目に掛かったことがほとんどないのである。平等がもたらす自信について前項で書いたが、個と大衆との概念をひとは器用に遣い分けている。それをいいとも悪いとも思わないが、ただ、過剰なまでの自信や選民意識には疑問を呈したくなる。
 マジョリティがさらなるマジョリティに対していかに苛酷になるかは歴史が証明している。マイノリティとマジョリティは常に入れ子構造になってい、決して対立概念にはなり得ない。この「なり」への偏見や差別と同種の情動が大衆を支え、さらには自律的組織に結集するエネルギーの源泉ともなっている。それは大衆が内包する負の部分である。
 ネットの発達によって、大衆は等しなみに表現者としての選民意識を持つに至った。大衆意識、言い換えれば「孤独な群衆」意識を持たないのが大衆の大衆たる所以であって、大衆は公衆と峻別されなければならないが、ここでミルズとマルクスの大衆の意味づけの違いを論じる気はまったくない。ただ、マルクス以降、大衆を没個性的で受動的な操作の対象として捉えるのは不可能になった。
 わが国に限らないが、文芸はヒエラルヒー的に秩序づけられて維持、発展してきた。その職能的な序列を棚に上げての短歌、連歌、俳句など、私にとっては笑止千万である。かつて与謝野晶子や日夏耿之介は文芸を大衆の手に取り戻そうとして血塗れになった。そしていま大事は、大衆という意識を持った個に文芸を戻すことにある。
 俳句が癒し合いの俳句になって構わないと私は思う。それで俳句が自滅へと至るのであれば、それは俳句の責任であって大衆の責任ではない。大衆は歴史を創造する主体者そのものである。大衆を愚民視する危険をこそひとは慎重に避けなければならない。


免許証  | 一考   

 車の運転技術を注意されて怒るひとがいる、怒らないまでも大概のひとは不機嫌になる。その理由が解らなかったのだが、段位のなさがその理由だと気付かされた。
 水を撒いた路面やアイスバーンでのスピン、高速道路でのパンク、砂利道でのパニックブレーキ、高速で峠を駆け抜けるためのアクセルとブレーキを同時に踏む技術や後輪を滑らせるドリフト走法等々、プロドライバーからいまなお様々な技術を学びつづけている。
 事故を起こしたときは免許は返上するのが当たり前、それでなくても車は兇器である。だからこそ自分が乗る車の性能、すなわち走る、曲がる、止まるの限界点を熟知しなければならない。免許証は単に車に乗っても構わないとの許可証であって、運転技術に対する免許ではない。その消息は文学であろうが人生であろうが同じである。文学の免許証は各種文学賞に相当するのだろうが、受賞は作家を名宣っても構わないとの許可証であって、文章技術や作法や内容に関する免許ではない。 なにを試みてもひとは終生素人、不機嫌になっている暇などないと思う。
 段位が客観的だとは思わないし必要だとも思わない。しかし、基準がないと平等となり、平等であればこそみな等しなみに自信を持つに至る。この自信がひとを狂わせる。たれがしの文章が結構だとか、なにがしの翻訳が旨いとかいうはなしを聞かされるが一度として納得したことはない。むしろ意見を異にするばかりである。
 「抽象性」で「書物を読んで得るものなど、決定が各人にゆだねられている主観的確率を一歩も出るものでない。読書家はその蓋然性に賭けるしかないのである」を再度引用する。文章を著すときにはそのプロバビリティーを逆算することになる。逆算とはいっても、主観的確率に平均値などあろうはずがない。それどころか、個々の読み手の能力の隔たりには想像を絶するものがある。と書いた。
 いまなお学びつづけているのは運転技術にとどまらない。そしてその手法は種村さんから文学を教わったのと同一のものである。もし不機嫌や不快感をあとに残したとしたら、間違いなく種村さんと殺し合いになっていた。


2007年09月11日

予定表  | 一考   

 一箇月遅れになりましたが、二十七日から三十日の四日間に酒瓶やグラスをはじめとする備品の搬入と店内の飾り付けを済ませ、十月一日から四日までをオープニングに当てようと思っています。
 今回は搬出組ならぬ搬入組のお手が必要になります。運搬・開梱・駐禁対策等々、どうかよろしくお願い致します。搬出の時と異なり、一気にすべてを処理する必要がないのがせめてもの救いです。あれもない、これもないでのオープニングになります。当初の一週間はごたつくのが必至、みなさまのご協力をお願い致します。なお、七日の日曜日に旧ですぺら搬出組の慰労会を催す予定。
 以上は現状での希望的観測です。異動があればその都度、掲示板へ記載します。


2007年09月10日

嬉しい報せ  | 一考   

 先週でコンクリートの研摩は済み、日曜日に壁面の半分を占めるブロック部分の研摩が終了。畢えたのはいいが、左足首の筋肉痛で動かれなくなった。車かスクーターなら左脚が不自由でも運転に差し支えないのだが、オートバイは到底無理。解決策はひとつ、拙宅から車を陸送するしかない。手伝ってくださった方がレンタカーとか病院行とかを口にした瞬間、私は殻に閉じ籠もった。非常時に至ると私はひとりでの解決策をのみ摸索する。結論はひとつ、道端へ寝そべって朝を待つのみ。痛みへの対応策は時間を稼ぐしかないのである。たいした病気ではないが激痛を伴う痔、腰痛、結石などの持病持ちのため、コスパノンからハイミナール、各種座薬などが拙宅には揃っている。医者では間に合わない種類の薬が家には山積みなのである。それやこれやで、今日は拙宅でおとなしくしている。手術の際、麻酔が醒めたあと痛みがつづくのは二十四時間、筋肉痛であれなんであれ消息は同じである。痛み止めを大量投与したので明日の夜には間違いなく癒る。
 夕刻、西郷さんがですぺらへ電気屋さんを伴っていらした。オープニングは十月になるが、フードなしの試飲会なら九月中になんとか間に合わせたいとのこと、嬉しい報せである。早速ひろさんと呑む約束を取り付けた。
 フードで思い出したが、過日、Tさんと奥秩父へ出掛けた。次の店では油が使えないので、茶漬けや蕎麦の実の雑炊などを考えている、その仕入れ先探訪だった。他では、小麦粉にしん粉を入れるとチジミ粉になるが、じん粉を入れてなにか作られないかと思案している。蕎麦粉にじん粉でも結構、大阪のイカ焼きとは正反対の食味になる。また、赤城饂飩もぜひ使ってみたい食材である。


2007年09月08日

装訂  | 一考   

 携帯電話の番号を取り敢えずマイミクのみなさんに案内した。さっそくムーンさんから連絡があったそうだが、移動中は電話は取られない。そしてディスクグラインダーの使用中はなにも聞こえない。携帯が通じるのはどうやら自宅だけのようである。これでは携える意味がない、困ったものである。

 高遠弘美さんもお書きだが、装訂で統一すべきと思っている。理由は書かない、調べていただければ分かる。諸橋によれば、装丁、装幀、装釘では書物にならないのである。装訂にこだわり続けたのは書肆季節社の政田岑生(きしお)さんのみ。湯川成一さんと共に戦後の名伯楽のひとりにして、私が敬愛する編輯三人衆の一人である。編輯者、装訂家、蔵書家、書誌学者がひと続きになっている人をのみ私は信用する。


とんでもない  | 高遠弘美   

一考さま
お詫びなどと、とんでもないことです。あのやうにお書きくださつて、なるほどと得心いたしました。
いつでも、何なりとお書き込みを賜りたく存じます。

ときに、本掲示板の今回の一考さんの記事ですが、深謀遠慮にたけたさすがの一考さんの筆づかひだと、実は感心してをります。わたくしの推測、当たらずとも遠からずではないかと。


深謝  | 一考   

 お言葉を賜わり、恐縮致しております。
 趣向書に記されたように、紙型取りによる鉛版印刷や清刷からフィルムを起こした写真製版でなく、鉛字による直接排印であるところに「玻璃」の真面目がございます。活版印刷を全うした、あのような襍誌は主宰者の死とともに滅びるべく運命づけられたものと心得ます。それ故の、愛するが故の固辞でした。
 それはよろしいのですが、あなたのブログで不要なことを書いてしまったようです。「竹尾や小林の見本帖から用紙や皮革を選ぶのが装訂なら私は装訂家などご免被ります。同様に、かような装訂家にすべてを委ねるのが編輯者の仕事なら編輯者などご免被りたいのです」との箇所ですが、いつも一言多いようです。一言居士ならぬ放言居士で、あとさき踏まえないところに私の性分があるように思われます。その性が多くの敵を拵えてきました。当掲示板でのみ発言しておればよいものを、相済まぬことを致しました。お詫び申し上げます。


「玻璃」その他  | 高遠弘美   

一考さま。
 「玻璃」三冊が関川左木夫の作品だといふお言葉、心打たれて拝読しました。さう、まさに作品といふほかありませぬ。「玻璃」が関川氏の死去で中絶し、第四巻が思つてもみなかつたであらう関川氏自身の追悼号になつたことを知つて驚きましたが、そのあとを継ぐやうに打診されたのが一考さんだといふことを知り、ますますこの雑誌が貴重なものになりました。お書きの雑誌、いくつかは名のみ、あとは無知蒙昧なるわたくしとして初めて目にするものでした。ゆつくりそんな四方山話をお聞かせ下されば幸ひです。十月にお目にかかるのを鶴首して待つてをります。


2007年09月07日

泥酔  | 一考   

 おっきーさんと昨夜赤坂で酒を酌み交わす。コンクリートの研摩が夕四時までしかできないので、待ち合わせの時間まで三時間ほどを赤坂亭で過ごす。その後「かさね」を訪ねたくなり、料理無用との無礼を承知で、ビールと酒を飲ませていただく。店には申し訳なかったが、颱風でキャンセルが出たとかで飛び込みが許される。遅く淳久堂のTさんも合流、河岸を替えての痛飲。もっともがぶ飲みしていたのは私だけかも。
 帰りは強風で埼京線が不通、狼狽える私を山の手線から京浜東北線の赤羽へ、そしてタクシーで戸田公園駅へとTさんは送り届けてくださった。何時も車を利用するので電車は不案内である、加えるに泥酔状態である。申し訳なかったと反省している。
 今日は半年ぶりの宿酔で研摩作業はお休み、明日からの三日間で仕上げなければならない。ケレン作業に使うサンダーとブロワを見付けてきた。ケレン用はワイヤーブラシと異なり、飛散物が身体に刺さらない。ブロワはですぺらだからと言ってレオン・ブロワの著書ではない、吸塵に用いるハンドブロワである。これで少しは捗りそうである。

 高遠さんが関川左木夫さんが主宰して発行した文藝雑誌「玻璃」について著されている。「聖盃、假面、鈴蘭、東邦芸術、サバト、游牧記、戯苑、半仙戯、豊葦原、開花草紙、ドノゴ・トンカ、文藝汎論、汎天苑、婆羅門、表象、古酒から関川左木夫さんの玻璃に到るまで、思いつくままに挙げてみても、ハイブロウな雑誌がよくもまあ、あれほど刊行されたものよと、いまにして驚く。幾多のすぐれた詩人を集めた日夏耿之介のカリスマ性にも駭魄させられる」とかつてですぺら掲示板でも触れた。奇特な人はいつの世にもいらっしゃる、忝ないことである。


2007年09月04日

パイプ葉  | 一考   

 戯ると書いてそぼると読む。好きな言葉なのだが遣った記憶がない。存在それ自体がそぼれているので、なにをいまさらの感がある。
 そしていま戯(たわむ)れているのは煙草である。先だって書いたパイプを探し出したとき、紙巻き用のパイプが二本出てきた。十代、二十代前半の頃はパイプを用いていたのだが、Sさんから似合わないよと言われて止めた。他方、人文書院元編集長の谷さんは一貫してパイプ煙草を燻らせていた。彼が似合って私がなぜ似合わないのか、Sさんからその理由は聞かずじまいになった。頸動脈瘤の予兆が私にあったのかと思う。
 家ではパイプ葉を嗜んでいる。最近はボルクムリーフのオリジナル・ウルトラ・ライトをベースにブレンドを楽しんでいる。ただ、車中でパイプは吸われない。また、出先で癖のある煙草は気おくれする。そこでゴールデンバットを専らにしている。紙巻き用パイプの出番である。
 ゴールデンバットは沖縄産のラム酒を用いていると人づてに聞いた。真偽のほどは分からないが、ラム酒特有の甘味はほとんど感じられない。沖縄のバイオレットにもラム酒が用いられているのだろうか。
 若い頃はオリンピアや獨逸のゲルベゾルテが好きだった。あの種の土耳古葉はまったく見掛けなくなった。似た香りのパイプ葉があればご教示いただけないだろうか。


ライダー  | 一考   

 一月余、友人の携帯電話を使っていた。ひとに言わせると携帯電話には個人情報が入っているので、全幅の信頼がなければ貸し出せないらしい。しかし、知られて困るような秘密を持つひとが世の中にいるのだろうか。思惑や着想もしくは肉体関係や性癖などがそれにあたるらしいが、そのような月並なことを隠す必要はどこにもない。
 新しい店の段取りが遅れているので、管理会社、建築士、工務店、大工、鉄工所との連絡に携帯電話が必要になり、自前で持つことにした。ネットには繋がないし、メールも送らない受け取らない、あくまで電話機能だけを使う。取り敢えず、上記以外では三人の管理人に番号を連絡した。連絡に際し、ソフトバンクとの名称が覚えられず、ソープランドの携帯電話と説明して失笑を買っている。

 旧店同様、ですぺらの内装は鉄板とコンクリートの打ちっ放しにする予定、従ってコンクリートの表面の研摩にもっか励んでいる。拙宅からディスクグラインダー、コンクリートサンダー、スクレッパーなどを搬び、夕四時まで頭から靴先まで真っ白になっている。鼻孔や喉は粉塵で真っ黒である。管理人から健康に留意せよと言われたが、老い先は短い。じん粉、新粉、メリケン粉、蕎麦粉の類いと思えばどうと言うこともない。
 そして通勤には小型バイクを用いている。近隣の買い物は原付スクーターだが、共に二十年を越える旧車のため、元手を掛けて修復した。ドレン、キャブレター、プラグ、レクチファイアー、ブレーキシュー、ブレーキワイヤー、チューブ、ブレーキ液、オイル、バッテリーと思いのほか大金を必要とした。他ではヘルメットとリアボックス、それと原付の買い物籠を前部にも追加した。しかし、四輪の駐車料金と比べれば安いものである。
 今夕はひどく雨が降った。濡れぬ先こそ露をも厭えで、雨中を走る快感はバイク乗りにしか分からない。小型とは申せ、久しぶりのライダー気分を満喫している。

このページについて..

2007年09月

に「ですぺら掲示板2.0」に投稿されたすべての記事です。新しいものから順番に並んでいます。

次のアーカイブ←:2007年10月

前のアーカイブ→:2007年08月

他にも多くの記事があります。
  • メインページ
  • アーカイブページ

  • も見てください。

    アーカイブ

    ケータイで見るなら...


    Google
    別ウィンドウ(orタブ)開きます。

    牛込櫻会館(掲示板1.0他)内
    ですぺらHP(掲示板2.0他)内
    Powered by
    Movable Type 3.34