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2007年10月 アーカイブ


2007年10月29日

プレオープン  | 一考   

 開店とは申せ、ガスは繋がらず冷凍庫は故障、トイレの鏡とタオル掛けは明日、カタログは未定というありさま。ただ、ウィスキーだけは売るほどあります。従って、オープニングはまだ先のことにして、とりあえずのプレオープンです。食べものはなにもありませんが、どうかよろしくお願い致します。


2007年10月22日

友よ、いずこ  | 一考   

 昨夜、基本となる引越が済む。思いのほかウィスキーが多い、あと百本は減らさなければならない。二、三箇月掛けて調整していかなければ。食器とグラスは種類が多くて手が付けられない、こちらも大幅な入れ替えが必要である。今日はドアが完成し、厨房のフードを除くすべてができあがる。冷ややかな新店舗がやっと形をなす。このひえびえとした取り澄ました店がやがて熱を帯びるであろうことを願っている。
 昨夜は手伝ってくださった方と向かえの白木屋へ赴く。ゴールデン街へと思ったが折あしく日曜日、わざわざ開けさせるには及ばないと近隣で間に合わせる。
 それにしてもよい酒だった。とわずがたりに自らの過去を語る。
 一所懸命に消え入ろうとする、もしくは消え入ることに命をかける。文学に於ける懸命の地とはそのようなものと心得ている。そして、公験文書を添えて累代相伝されるとの習いは文学には馴染まない。文学とはなにがどうあろうとも、一代限りでなければならない。
 血筋も友も連れもこの世界にあっては意味をなさない。「意味をなさない」とは譲状や手継文書の無効を示唆するにとどまらず、それらの存在がなんらの救いをもたらさないとの戒めである。この戒めを解さない限り、どこまで行こうとも、そのひとにとって文学が癒しの範疇から抜け出ることはない。
 癒しからの脱出をひとに薦める気は毛頭ない。ご託宣は「ごた」とも称し、なによりもまず不遜である。加えるに、他人のことなど私の知ったことではない。好きに生きて好きに死んで行けばよろしいのであって、それを啓蒙しようなどという傲慢さの持ち合わせはない。
 と言うような消尽についてお喋りした。文学に於ける基本はなによりもまず、ひとりになることである。そしてその孤絶に耐える強靭さが必要になる。強靭さとは訪ねてくる友を切り捨て、容赦しない覚悟である。そして覚悟とは自己愛に陥らないための心構えである。そのために典籍が存在する。ひとの悩みが個にとどまらないことを書物は教えてくれる。
 観念論でもなく、「ロマン主義的精神主義でなく、実証主義である。従って理想主義でない。コモン・センスである。法則と概念とを重んじ、非常に抽象的である」ところのもの、それが書物だと私は信じている。
 よき話相手に恵まれたと思う。感謝。


2007年10月16日

人材募集  | 一考   

 搬出組ならぬ搬入組とは申せ、例によって駐禁対策である。このところ、赤坂は駐車禁止を取り締まるおじさんやおばさんが跋扈なさっている。その取り締まりの方々にあかんべえをしてくださる方を募集している。
 二十一日はレンタカーで一挙に荷物を運ぶ、第一便はモルト・ウィスキーで、前日から拙宅で荷物を積み込んで十一時には赤坂へ到着したい。第二便は椅子、鍋、釜、食器の類いである。
 なお、十八日の午前中に店の電話が通じる。番号は以前と同じく、03−3584−4566。住所は港区赤坂3−9−15第2クワムラビル3階。青山通りからみすじ通りへ入って五軒目、目印は真向かいの白木屋である。地下鉄の赤坂見附駅から徒歩三分。看板は開店予定日二十九日の直前に完成する。

 店は鉄工所の分担が遅れていて細部が滞っている。明日は塗装で、他の工程はお休み。十八日と十九日でカウンター内部が完成しないかと願っている。いずれにせよ、十八日にバックバーは完成するので、二十一日の搬入には差し支えない。ご協力のほど切にお願い申し上げます。


一過性  | 一考   

 昨日、クーラーとトイレが設置され、天井の照明が通電された。溶接の際に生じる鉄屑がバックバーの鉄板のそこかしこにこびり付いている。もう一度、ディスクグラインダーをかけなければならない。鉄粉ならびにコンクリートの粉塵の除去に悩まされそうである。
 工事というのは状況のいかんを問わず、粉塵との闘いである。何度拭こうが、洗おうが、吸い取ろうが、作業が終わるまで繰り返される。截ったり張ったり穴を開けるのもさることながら、一番の大事は掃除なのかもしれない。何処の現場もそうなのだが、一枚捲ると粉塵だらけである。表面を取り除くととんでもないものが顕になる。外からは窺えないものや内部にひそんでいるものがむき出しにされる。謂わば、ひとの仮面を剥ぎ取るようなものである。
 例えば、男子の性愛などもおよそ身勝手かつ傲慢なものだが、ひとはそれを取り繕いそしらぬ顔を決め込む。男子であり、愛人であり、亭主であり、旦那であることの権威や権力の行使が素知らぬ振りの根拠となる。おおい隠す、うわべを飾る、身づくろいをする、体裁ぶる、どのように言い換えたところで実態はなにも変わらない。
 身勝手さを露わにするために、私は自らの妄想を連れ添いに隠さない。ある種の妄想の表明は身勝手を逆手に利用することになる。恋愛は妄想にはじまって妄想に終わると私は思っている。謂わば妄想ごっこである。ただし、この妄想は時としてひとの矜持、プライドをひどく傷つける。他方、妄想は文学や哲学の苗床ともなる。それらをうまく共存させる術を私は持たない。おそらく、不器用なまま死んでゆくに違いない。ただ、死んだときには一考という粉塵が消え去る。消え去るとは忘れ去られることである。拭き取る必要も、洗い落とす必要もなにもない。


2007年10月15日

G3 iBook  | 一考   

 OS XならFirefoxを重宝しているが、OS 9ではInternetExplorer5.1.7を用いている。他ではNetscape 7.0.2、Wazilla 1.3、Mozilla 1.3、Opera.app 6.0.2、iCab_Pre2.98などがあるが、遣い勝手はExplorerが他を圧倒する。ところが、mixyがExplorerに対応しなくなった。どうやら、mixyではマックは継子扱いされているようである。あちらはTさんとSさんのブログを読むのが目的で、書き込みはしないのでExplorerである必要はない、しかし困ったものである。
 先日、iBookのOS 9がサイレントだと書いたが、ある時期からのマックは専用のリカバリーでないとインストールに不自由があると櫻井さんから教わった。言われたようにインストールすると全機能が動く。ですぺらの資料と帳簿がなければとっくにOS Xに移行しているのだが、現状ではぐつが悪いはなしばかりである。
 それはさておき、このところiBookを専らにしている。ハードのトラブルには難儀させられるが、やはり小さいことはいろいろな利便を伴う。なによりも、寝転がって操作のできる点が嬉しい。私のようなものぐさには打てつけだと思う。これでSCSIが付いていれば申し分ないのだが。

 今日はいまから看板の打ち合わせで赤坂へ出掛ける。途次、デザインを考えなければならない。


逃散不発  | 一考   

 書き込みが前後するが、そっぽを向いていたですぺらに見切りをつけ、二十日過ぎに逐電するつもりだった。そのために、十一日におっきーさんをはじめ、関係者との話し合いを持った。
 仕事命もしくは仕事が人生という方が世の中の大半を占める。それはそれで結構なはなしで、私がごとき穀潰しがどうのこうのと申し上げる筋合いのものではない。ただ、私はそういった世界に極力脊を向けてきたし、理解しようとする努力すら抛り投げてきた。従って、ダメならダメで諦めも速く覚悟も定まっている。
 それでなくとも、ひとつの仕事を長く続けるとその世界に知己が増える。知己が増えればそれだけ評価も出揃う。そして良きにつけ悪しきにつけ、評判はその道のプロを拵えてゆく。どうもそれが私には堪えられないのである。従って、女性が変わるたびに職を変え、住居も転々とした。もちろん、どこへ住んでいても一考であることに変わりはなく、神戸、松山、大阪、岐阜、京都、東京、明石と移ろいだが、行く先々で新たな知己ができる。そしてその友人同士が横の関わりを拡げてゆく。生島遼一や曽根元吉にはじまって、永田耕衣や多田智満子、種村季弘に至るまで、およそ五十名ほどの個として生きたひとと深く触れあってきた。この過程で、知己と知己とが知り合い近しくなるのを眺めるのは快感をもたらす。それらの心地よさが、おそらく私の財であり宝だと思う。
 私は出自からして裏社会である。従って、出版物も「個として生きたひと」のみを注意深く撰んできた。学会や文壇に属するような表舞台のひとの書物は二、三を除いて出版していない。その姿勢はこれからも変わらないし変わりようがない。評判を求め、権威権力を冀求するようなひととは交わりを持ちたくないのである。

 さて、前述の話し合いである。結論は西郷さんとおっきーさんに口説き落とされてしまった。ひとをしょんぼりさせるのはよろしくない。もう一度方針を切り換えてですぺらの営業に務めようと思うに至った。お二人に深甚の謝意を表したく思う。十一日の夜はひとりで盃を傾けること深更に及んだ、久しぶりの良い酒にうつつを抜かしたのである。ですぺらとはわが風の息であり夢裡であった。


高林鉄工所  | 一考   

 バックバーの鉄板が真っ赤に錆び付いていた。一枚五十キロの鉄板を鉄工所で半裁にしていただき、その二十四枚の鉄板をディスクグラインダーで研いた。プロが用いる道具は家庭用の工作機械と比して桁外れに重量があり性能が勝る。結果、機械に振り回されて左手の甲に傷を負ってしまった。三日目にして、やっと出血が止まった。研摩に行ったのであって、怪我をしに行ったのではない。従って、傷をかまわずにみがきに精を出した。
 ところで、五十六本のアンカーをコンクリートに打ち込んだのだが、傍で見ていて悲鳴を上げた。身体を弓形にし、天井に大型の鉄の金槌でアンカーを叩き込むのだが、非凡な体力の持ち主でなければ努まらない。私は六十キロの米俵と同じく六十キロのプロパンガスのボンベの配達を長くしていたので、瞬発力は多少はあるつもりだったが、とてもかなわない。店の工事に立ち会って自らの老いを噛み締めさせられる結果となった。既に喧嘩はやめたが、止めてよかったと思い知らされたのである。
 鉄工所の社長とはいっても三十五歳なのだが、研摩の前日、焼鳥屋へ同行させていただいた。彼は鳥胆の叩きを、私ははらみの馬刺を注文したのみで、あとはひたすら飲み続けた。焼酎が二本空いたまでは覚えているが、そのあたりから後の記憶は定かでない。ただ、彼は間違いなく酔いつぶれていた。しかるに、彼は朝の七時から鉄板の切削をこなしていた。私が目を醒ましたのは十時過ぎ。ここにももまた、靴音高く追い立ててくる老いとの逢着があった。

 追記。サントリー山崎のヘビーピーテッドが近く売り出される。ちょいと味見してみたが実に旨い。パシフィック・カレドニアンのアイル・オブ・ジュラを思い起こしていただきたい。かのボトルはジュラ蒸留所のマスターブレンダーのリチャード・パタースンと同蒸留所長マイクル・ヘッズ両氏によるボトリングだったが、従来のエディションと異なり強烈にピートを焚いていた。今回の山崎もサントリーでははじめてのパワフルでスモーキーなフィニッシュが堪能できる。シェリー・カスクとの同時発売だが、ヘビーピーテッド・タイプがお薦め。頒価は9000円、ぜひお試しいただきたい一本である。


開店予定  | 一考   

 先週カウンターが、そして日曜日にバックバーが出来上った。店としての装いが少しずつ整ってくる。月曜日から空調機器設置、カウンター内部と厨房のステンレス張リ、冷蔵庫やシンクなど厨房機器の設置、トイレ、水道と電気工事の仕上げ、そして床の塗装などが続く。週末には一応完成しそうである。一応というのは店舗には細かい不具合が生じる、その修整が後に残されているからである。他にも保健所、消防署、警察署、税務署などの手続きが必要で、忙しくなりそうである。
 まず、拙宅に山積みの主たるモルト・ウィスキーと椅子を二十一日の日曜日に搬入したい。ついては有志のご協力を得たい。再三にわたるご支援に言葉もないのだが、なにとぞよろしくご援助いただきたく願う。時間その他の詳細は改めて記載させていただく。
 現在の予定では二十九日の開店を目差している。その前に搬出搬入をお手伝いしてくださった方々によるプレ・オープンを二十七日に催す。厨房に火が入るのは十一月五日からで、それまでは乾き物のみでの営業になる。どうかよろしくお願い致します。


2007年10月10日

定かならず  | 一考   

 床と壁とカウンターの木枠が完成し、予定では今週中にバックバーが出来上るらしい。バックバーが設置されればカウンターに大谷石が張られて、バーらしい雰囲気になる。バックバーが設置されれば厨房機器を搬入するのが順序だろうが、未だに日程は定かでない。二十日を過ぎれば店どころではなくなる、本気で夜逃げを実行しなければならなくなる。この夜逃げはなんども口にしているのだが、どうやら狼少年のそれで、関係者は本気にしていない。
 夜逃げはさておき、関係者は一所懸命励んでいなさる。それははよろしいが、進捗を見ていると滑稽にすらなってくる。この滑稽は自らの不安に対する防御線である。防御線とはもともと定かでない自らのさらなる客体化であって、客体化がなされなければカリカチュアは描かれない。要するに、ですぺらは私にとって他人事なのである。
 ですぺらに限らない、恋も仕事も人生も、ことごとくが他人事であって絵空事である。詩が好きなひとと出遇えば詩を著し、料理が好きなひとと出遇えば料理を作る、書物が好きなひとと出遇えば書物を造り、自転車が好きなひとと出遇えば自転車を組み立てる、遘合が好きなひととなら倍する汗もかく、良きにつけ悪しきにつけ、生きるとはそのようなものと心得ている。
 出会いは遭遇であって、偶然を一歩も出るものではない。この遭遇という言葉があまり好きではないので、私は逢着という言葉をしばしば用いる。遭遇であれ逢着であれ、必然的なものではない。ひととひととが出会い、もしくは恋をするのに必要が求められたり、誰それでなければならぬと言うのはあまりにも論拠に薄い。偶然生まれ落ちた人間が人生に必然をこじつけたのがサルトルなのかカミュなのかは知らないが、そもそも選択の自由などという嘘偽りを・・・などと書き出すとはなしは長くなる。それでなくとも、当掲示板はそれに類することばかりを書き込んできた。
 「こころから打ち解けあうには悪意や嘲笑のような薬味が必要になる。この場合の悪意は惑いであって、嘲笑は呻吟でもあろうか。踏み惑い、思ひ漂ふ風情のなかでしか気心は通じないものである」とかつて著した。惑いであろうが呻吟であろうが、ひとは相対するひとに応じた文言を返す。だからこそ、言われたことに対して怒りや悲しみを抱くのは本末顛倒である。もしも忿怒に終始するなら、それはご縁がなかったというだけのはなしである。その辺りの消息を横須賀さんと私は語り続けた、彼が死ぬ日まで。そして種村さんはさらに簡略である。いいじゃないの、お望みのどんな姿にでもなってやろうじゃない。


2007年10月08日

額紫陽花  | 一考   

 八月二十二日に奥秩父から額紫陽花を一枝持ち帰る。丸二日、水に浸けてから小さな鉢に植えた。以来、朝夕欠かさず水を潤沢に差す。今月一日の早朝、一ミリにも満たない芽が生れた。今日はその緑のつぶが五ミリほどに育ち、なにやら葉の素のような趣を呈してきた。あまりに細い枝ゆえ、立ち枯れを心配していたが、これで一安心、三年後の開花に夢をつながれる。
 耕衣句に「晩年や夢を手込めの梨花一枝」あり、一枝がひとえかいっしかで吉岡実さんと語らったことを思い出す。晩年や夢を手込めの額紫陽花では句にならないが、そもそも夢はひとの自由を簒奪する。簒奪と書けば大仰だが、花を咲かせるためには旅はおろか外泊すら諦めなければならない。この場合、花を咲かせるのは目的であって夢ではない、日々の面倒が夢になる。夢は起居のなかにごろんと転がっているものであって、目的などというたわいないものではない。そして、目的を持たないのは内容としての実体を伴わないということになる。
 思わぬひととのめぐり逢わせがひとを換えてゆくように、夢もまたひとを変える。言い換えれば、夢には夢の思慮がある。ならば、夢を手込みにでもしなければ晩年は存在しない。種村さんが晩年に夢記を著された理由はそこにある。
 さて、近隣の高林鉄工所では職人や知人が集まって夜毎酒盛りが続けられている。不粋な宴であればこそ、気が置けない連中である。終戦直後の戸田のはなしには興味がある。時として、そのまま焼鳥屋へひとりで流れる。このところ、お定まりのコースとなった。この種の物憂く気怠い酔いのなかにも私の夢がある。


2007年10月06日

野沢ハイム  | 一考   

 赤坂から世田谷の野沢まで足を延ばした、松山俊太郎さんに着物を届けるためである。彼がジャージ姿で来店なさったのは一年ほど前、着物を召したところしか知らないのでひどく悲しく思った。着替えもなく、洗い張りをしてくださる友にもめぐまれない。意味をなさない積んどくだけの書冊を購う金があれば古着ならいくらでも買える。取り巻きのなかでその程度の友誼すら持ち合わせる方がいなかったとしたら、切ないで済む問題ではないだろう。とは申せ、それが老いのあかし、明日のわが身である。
 金子國義さんからお預かりした紗へ加えるに、紗と絽を一枚づつ、大島紬を二枚と綿が一枚の計六枚をお持ちした。うち一着は父のかたみだが、袖を通されるのが松山さんなら喜ばれるに違いない。野沢ハイムについては郡さんの、虫食いその他の検品はまなさんにお願いした。
 松山さんは話したいこと、相談したいことが多くあると仰有ったが、それを振り切っての帰路となった。後日機会はもうけますと約束したものの、私にできるのはこれまで。帰りしな、角を曲がるまで松山さんの見送りを受けた。角を曲がって環七へ出て思わず落涙。三島、土方、澁澤、種村等々、さまざまな思いが脳裏に浮かぶ。「嘲世罵俗、志趣高簡の衒いにあらず、消閑一時の戯れを装いつつ、虚と実の弁証法を解く。これを一觴一詠と言わずになんとする」と著したのは「後方見聞録」の解説。今の私はその弁証法的なるものの否定に大きく踏み出してしまったが、彼等の「狂おしくも遣る瀬ない捨て鉢な生き方」はそっくり丸ごと私の生き方でもある。さて、彼と酒を酌み交わす法はひとつ、送迎の車と有志のおっぱいを付けて拙宅へ来ていただくしかない。


2007年10月01日

告知  | 一考   

 防水工事の遣り直しが済み、乾くのを待つとかでなにひとつ進まない。何をするにも行き当たりばったり、かくまで無計画、成り行きまかせな仕事というのがどこの世界にあるのだろうか。
 かつてスーパースタジオの斎藤さんと組んで随分多くの書物を拵えた。ひとが半年の制作期日を必要とするムックを毎月作り続けるという無謀に近い仕事だった。しかし、それが雇い人の求めなら応じるしかない。彼も私も睡眠時間は二、三時間、風呂はおろか食事すら時間がなくて打ち切った。期日が迫って手に負えなくなると編輯者仲間に扶けを乞うたこともある。その費用は当然ながら自腹を切る、人件費が私の給金を上回ったこともある。雇い人が問うのは結果であって過程は私が仕切るしかない。できない仕事なら受けてはいけない、受けた以上は全責任を背負い込むしかない。そして仕事の場にあって、責任とは金数でしかない。
 編輯者なら分かっているが、ムックの扱いは単行本である。単行本は期日を守らなければならない、期日を一日でもずらすと新刊配本が不可能になる。そうなれば数千万円の負担を強いられる。従って、斎藤さんも私も命懸けである。十枚の原稿なら一時間、二十枚なら二時間で書き上げた。またムック一冊のレイアウトの処理時間は三時間が限界である。そしてレイアウトは五、六回、表紙は二十回以上の遣り直しを余儀なくさせられる。
 斎藤さんを私に引き合わせた知己は佛蘭西の新訳探偵小説十冊の企画を一箇月、制作を二箇月の併せて三箇月で完結させた。それが仕事である、頂戴する手当の二十倍の利益を雇い人にもたらさなければならない。編輯プロダクションの仕事を五年続けて私は死ぬと思った。私はぼろぼろになって東京を逃散したのである。しかし、その渦中にあって銀花や幻想文学への連載が続き、Y・Nさんとの出会いがあった。
 さて、開店への途は遠い、私の気力は悲しみのなかに失せつつある。北への逐電を夢見ながら焼鳥屋で酒を呑む。

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2007年10月

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