このところ、バーボンをヤフオクへ出品している。パピー ヴァン ウィンクルズ 20年は20万円を超えた。他にも、ヴァンウィンクル ファミリーリザーブ15年、リップ ヴァンウィンクル15年なども出品した。ヴァンウィンクルはすべて20万円超えである。ちなみに、ですぺらでの売価はショット1200円だった。ヤフオクの売値から逆算すると一杯1万円以上になる。
西明石ではバーボンが中心だったので、赤坂へ引っ越した折は精鋭のバーボンを揃えた。もっとも、精鋭揃いはシェリー、マディラ、マルサラ、ポート酒などのフォーティーファイドワインだった。こちらは20年、35年、50年、100年、150年ものを取り揃えていたのだが、ただの1杯も売れなかった。まったく売れなかったからヤフオクで売られるわけで、1杯でも売れていたらヤフオクで売られなくなっていた。なにが幸いするか分からない。
バーボンウイスキーは原材料として玉蜀黍の他、ライ麦、小麦、大麦麦芽等を用いる。熟成は内部を焦がしたホワイト・オークの新樽のみ。それらオーク樽は海を渡り、スコッチの熟成に再使用される。
90年代に入ってから、バーボンは随分変化した。かつてのマイルドでメローなウィスキーは影をひそめ、硬質な辛口を売りとするマイナーなメーカーが陸続と登場した。シングル・バレルへ、スモール・バッチへと大きく舵を切ったバーボンの代表作が、ヴァンウィンクル、ヴェリー オールド セントニック、フィッツジェラルド、オールドウェラー、オ-ルド ヘブン ヒルだった。ヘヴン・ヒル社はボトラー向けに樽売りをしていた最大手で、火災による喪失で全米の3割強のメーカーが消えたと云われる。
開拓時代にはバーボンではなく、酒質の軽いライ・ウィスキーが好まれていた。酒質にとどまらず、アルコール度数も低かった。西部劇でショットを一気飲みするシーンを思い起こしていただきたい。今様のバーボンウイスキーなら如何にアメリカ人であろうとへべれけに酔っ払うに違いない。
第2次世界大戦後、ライ・ウィスキーの消費は急速に減少。現在なお蒸留しているのはジム・ビーム、ワイルド・ターキー、ヘヴン・ヒル、サンフランシスコのアンカーの4箇所のみ。ただし後者の二つは現在、存在しない。そのアンカー蒸留所の原酒をカリフォルニア州サンノゼ市のフランクリン・ディスティラーズ社がボトリング。米国北東部のペンシルヴェニア州で発売されたのがライ・ロイヤル20年。ペンシルバニア・ストレート・ライと称される唯一のウイスキーである。バーボンウイスキーはケンタッキーとテネシーだけではないのである。
検索すると、玉蜀黍を用いたウイスキーと比してライ・ウイスキーは男性的で辛口、ハードなウイスキーとの評価が一般的なようだが、それは間違っている。飲めば分かると云いたいのだが、あちらさんも同じことを云うに違いない。嗜好品に関して他人と云い争うほど野暮でない。料理の味付けと同じで、勝手にしやがれとしか云いようがない。