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2009年07月 アーカイブ


2009年07月30日

某サイト  | 一考   

 知己からあのひと検索SPYSEE[スパイシー]とのサイトを教わった。
 自分の名前を検索するほど野暮ではないが、わたしを冷かしたいひとには面白かろう。よって、アドレスを掲げておく。

http://spysee.jp/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E4%B8%80%E8%80%83

 写真中央に新宿二丁目のナジャ店主安保由夫さんが写っているのが微笑ましい。面識のないひとなら安保さんをわたしと思ってしまう。安保さんが不快でなければそれも一興だが。
 相澤啓三さんがつながりの強いひととやらに這入っていないのは、項目の登録者の個人的趣味によるものか。松山俊太郎さんが這入っているのは嬉しいが、俳人がことごとく抜けているのは片手落ちだろう。半生を編輯者として送ったが、為事の九割方は俳句出版だったと思っている。


2009年07月29日

サンドイッチ  | 一考   

 日曜日は諸用を頓けるにおっきーさん運転のポルシェ968カブリオレを利用させていただいた。ポルシェ製水冷FRスポーツカーの最終モデルで、直列4気筒としては世界最大排気量三リットル。着座位置は極端に低く、わたしのように足が短いとサンバイザーが頭の上に来てしまう、いささか乗りにくそうな車である。わたしはポルシェに乗るのははじめてだが、空気圧は見込みどおり2.6を軽く越えている。ゲトラグ製の6速マニュアルトランスミッションを持ち、このところオートマ車が続いたわたしにとって、ちょいと羨ましい。
 おっきーさんから多種多量のこわめしを頂戴したので冷凍、これだけでも一週間は大丈夫である。てんこ盛りの串カツや練り天も頂戴したが、腎臓によいかどうかを考える暇もなく片付けてしまった。
 火曜日はサンドイッチが無性に食べたくなって、増田さんに買い物をお願いした。ところが山崎医師の怪訝な顔。川津さんからの「腎臓病食品交換表」を調べて愕いた。果実と芋類のカリウムが高いのは知っていたが、レタス、みつば、ほうれんそう、ふき、にんじん、ねぎ、こまつな、セロリー、だいこん等々もカリウムの含有量が飛び抜けて高い。山崎医師と石川医師から野菜と果物には要注意と聞かされていたが、ハムよりレタスが問題だったとは。これからなにを食すればよろしいのか、考え込んでしまった。


2009年07月28日

ギブス  | 一考   

 今日は足が固定される日なので、帰りは心配していなかったが、行きしなは随分と迷い、結局マスタングに乗って浦和の病院まで行った。こういうこともあろうかとオートマ車は左右どちらの足でも運転できるようにしている。アクセル操作は問題ないが、ブレーキがかなりぎこちない。もっとも、看護師は呆れ返っていたようだが。
 レントゲンを撮ったが、骨はまだくっついていない。しかし、さすがに山崎医師が紹介した医師である。フレキシブルなバンドによる固定で、三十キロまでなら体重がかけられる。痛みを感じる限界まで右足を使うようにと云われた。小一時間、足首の運動を試みる。捻ることはできないが、足首の前後角は健康な左足のマイナス五度。これなら一箇月後には特別なリハビリなしで元に戻る。
 骨折を経験したひとなら分かるのだが、就寝時にギブスはいらない。わたしはギブスを縦割りに二分割してバンド止めする方法を実践していた。骨折で最大の難儀は癒ったあとのリハビリにある。そして骨には適当な刺激を与えつづけるほうが癒りは速い。今回のマジックテープを利用した脱着可能なギブスがいつ頃から使われているのか知らないが、最良の医療器具の一である。一昔前なら間違いなく骨が癒着するまでは石膏でがちがちに固めていた。川久保病院の院長はわたしより大胆である。この分だと来週末には営業を再開できるかもしれない。


食事療法  | 一考   

ワンアルファ(腸からのカルシウムの吸収を促進し、骨がもろくなるのを防ぐ)1回1錠 1日1回
クレストール(血液中のコレステロールや中性脂肪の量を下げる)1回1錠 1日1回
ザイロリック(体内で尿酸が作られるのを抑える。結果、痛風の発作を予防する)1回1錠 1日2回
ウラリット(酸性尿をアルカリ化し、尿酸結石を防ぐ)1回4錠 1日3回
カリメート(とにもかくにも飲みにくい薬)1回1包み 1日3回
ニューロタン(血圧を下げる)1回半錠 1日1回

 日々、以上の薬を飲んでいる。問題は食事療法で、こちらはかなり難儀である。食塩と水分の制限、カリウム、蛋白質、リンの取りすぎは要注意。ちなみに、飯は120グラム、うどんが半玉、中華麺・パスタの類いは60グラム(ということは三分の一)が適量であるそうな。
 このところ体調が思わしくなく、一食の弁当を片づけるのに二十四時間以上掛かっている。通常の弁当(例えば海苔弁)には飯が200グラム入っている。二年ほど前から、これを全量食すれば嘔吐してしまう。従って、ミニ弁当にはすこぶる助けられている。
 おっきーさんの紹介でミールタイムというところの会員になった。慢性腎不全や糖尿病の方向けの通販サイトである。金は掛かるがこういうものからはじめながら、腎臓病食を学んでゆくしかない。果物ジュースや野菜ジュース、スポーツ飲料にはカリウムが多く、コーラやサイダーにはまったく入っていないなど、知らないことが多すぎるからである。
 嬉しいことにウィスキー、ブランデー、ジンは水さえ飲まなければ問題なさそうである。


2009年07月26日

来客  | 一考   

 なだ万の弁当に鱧と冬瓜の煮付けを持って川津さんが来られた。冬瓜は確かカリウムの含有量が多く、慢性腎不全には不向きかと思ったが、これが実に美味い。冬瓜はかつて店のお通しにもよく使った、店では鱧の替わりに海老を用いたが。おそらく生涯で最後の冬瓜になると心して頂戴した。それにしても、なだ十かなだ百ならともかく、なだ万の弁当とは恐れ入った。川津さんに御礼申し上げる。
 「腎臓病食品交換表」と「腎不全がわかる本(出浦照國著)」の二著を川津さんがお持ち下さった。共に、食事療法の本だが、今のわたしには必要な著書である。とりわけ前書はよってたかって書かれた本だが、よく纏まっている。詩書の選択ではなく、かかる実用書の撰にあたって随分と迷われたのではないかと思う。併せて感謝する。


2009年07月25日

弁当  | 一考   

 誠に申し訳ないのですが、26日、日曜日の御見舞いはご遠慮いただきたい。日曜日は車の都合がつくので、銀行、振込、買い物等々処理しなければならない用事が山積みです。従って、在宅時間がわたしにも分からないのです。
 今月末まではわたしはひとりです。動かれないので、弁当ひとつ買いに行かれない。今日、明日はその幕の内弁当が手に入りそうで、嬉しく思っている。


2009年07月24日

ですぺら  | 一考   

 この一年余、尿酸値や尿蛋白、あるいはカルシウム不足で痛風に泣かされてきた。食生活や酒が災いして腎臓に無理が掛かっていると勝手に判断してきた。ところが、既に腎臓が壊れてい、それが理由で尿酸値や尿蛋白、揚句はクレアチニンと尿素窒素が危険な値にまで上がってしまった。腎臓結石が引き金になったに違いないのだが、今回の症状は素人判断の限界を示唆している。わずか一週間の入院だったが、その間にも数値はどんどん高まってゆく。腎臓が出し続けたサインを見落とした、もしくは見誤ったというところか。
 済んだことは諦めるしかなく、末期はおろか、後期高齢者の仲間入りもできなくなった。横須賀功光さんではないが、わたし自身が残日指折り数えるはめに陥ってしまった。
 「かかる内向的なニヒリズムこそが人を失意のどん底へと誘う」と書いたのは本音である。本音であるが故に迂闊には書かれない、誤解を生むからである。相手がおっきーさんであればこそ可能な物言いだった。
 この一週間、思いは揺れ動いた。千々に乱れたと書いた方が思いに添う。そして、さらにデスペレート(捨て鉢)になったに違いない。


病院食  | 一考   

 一汁二菜が基本である。飯は140グラム、みそ汁は80cc、菜は卵焼きのあんかけ、量は玉子半個分、それに小鉢に菠薐草のお浸しを少々。松屋の牛飯やカレーの半分の量と思えば間違いない。家で飯を炊くと150グラムずつラップで巻いて冷蔵庫へ入れる。ただ、副食が玉子半個ということはない。一度だけパン食だったが、6枚切り食パンを2枚と玉葱のスープを100cc、それに5グラムのマーマレードと牛乳のみ、学校給食ですらマーガリンが付いたのにと思う。これが一食660円、一日あたり1980円である。要するに病院食は思った以上に高価な粗食である。コンビニの弁当と違い、日替わりなので、それなりに原価は掛かる。それにしても、企業努力が入り込む余地はそこら中にある。わたしが給食屋なら半額で成り立つ、他は賂か。

 身体に生じるトラブルはひとつずつであって欲しい、と勝手なことを思う。二十二日の昼からなにも食していないので、先ほどインスタントカレーを食べた。温めるだけなので、健康であれば三分でできるのだが、三十分以上掛かる。食する時間を加えると、小一時間費やしたことになる。カレーが腎臓に良いか悪いかといえば悪いに決まっている。しかし食欲がなく、口が悪い(味覚がないの意)。明日、見舞い客が訪れるという。幕の内弁当でも買ってきていただけると有り難いのだが。


2009年07月23日

LAN接続  | 一考   

 久しぶりに掲示板に接続。纏めて書きなおせばよいのだが、それも面倒である。従って書いた順に掲載した。
 退院は、まなさんとひろゆきさんに手伝っていただいた。まなさんには山崎診療所から松葉杖を運んでいただいた。それがないと退院すら覚束なかった。ここに特筆大書して感謝する。
 それにしても松葉杖の使い方は下手である。リハビリの医師から120パーセントひっくり返ると云われた。あまりの下手さかげんに医師がわたしの身体をチェック、過去遭遇した事故や骨折の跡をことごとく言い当ててゆく。特に左肩には筋力がなにもなく、これでは体重を支えられないとの由。松葉杖が使えなければ退院させられないというのを無理矢理説得した。人類はもともと四つ足だった、と。
 昨夜は惚けたように眠り続けた。 おそらく、これを書いたあと、また眠るに違いない。身体がそれを欲したときは逆らわないのが一番である。
 「人生というのは始まったときから余生のようなもの、体中の器官はすべて常に未病から病に移行しつつある時限爆弾のようなもの」とはおっきーさんからのメールだが、さすがに巧く表現なさる。かかる内向的なニヒリズムこそが人を失意のどん底へと誘う。


2009年07月22日

退院  | 一考   

 慶應義塾大学病院で頂戴した痛み止めロキソリンと胃薬ムコスタ各一錠、それにワンアルファ半錠、ザイロリック一錠、クレストール一錠、ウラリット四錠、以上が当分のあいだ飲み続ける薬である。平成元年に怪しげな薬は断ったので、久しぶりの薬漬けである。
 退院時の請求書を見ておどろいた。十六日からだからわずかに六日、それで店一箇月分の売上金額だった。手持ち資金では足りない、御見舞いとして頂戴した金数がなければ退院することすら叶わなかった。各位に満腔の謝意を表したく思う。
 事前に値段が分からないのは問題である。それが嫌で、ですぺらは寡多録を拵えている。病院も入院、診断、投薬、食事等々のメニューを明示すべきである。慌てて、栄養指導やリハビリの予約を取り消した。骨折に関してはギブスさえ装着してもらえば後始末は自分でつけられる。
 腎臓の機能障害を捨て置くとどうなるのか山崎医師に尋ねた。不整脈でポックリ死ぬそうな。それもまた、すこぶる個性的な死にざまではないか。余談だが、死にざまに倣って生きざまとの言葉が(ライフスタイル)の意で用いられる。しかも自嘲や否定でなく、近頃は肯定的な意味合いに遣う。わたしの辞書にはない言葉である。(22日)


最終日  | 一考   

 今日はレントゲンと再度の静脈からの血液検査、昨日は動脈からの血液検査で、これは血中の酸素濃度を調べた。腎臓の専門医石川さんの診察日が火曜日、従ってわたしの通院日も毎週火曜日になる。バイクには乗られないので、スクーターの手配をしなければならない。
 今日から自炊がはじまる。炊飯器やまな板、カセットガスの類いを台所の床一面に拡げておくように伝えた。腹這いになって調理するしかないからである。このカセットガスに関しては自殺を案じた方がいたが、いまはまだそのような時期ではない。いずれそうなるかもしれないが、その時はその旨を掲示板で書く。いずれにせよ、今月一杯は徘徊老人ならぬ寝たきり老人になる。
 痛みがひどいので、立ち上がらなければならないのはトイレだけにしたい。あとわたしにどうにもならないのは食料品の買い出しである。冷凍庫に一週間分の食料は入っている、必要な生野菜だけでもちょいと追加できれば嬉しいのだが。
 八月四日以降の通院は自分で処理できる、問題は七月二十八日である。これには運転手が必要である。どなたか協力してくださる方はおられないものか。(22日)


人工透析  | 一考   

 CTスキャンが終わり、専門医と話し合った。腎機能は結石に関係なく加速度的に悪くなって行く。恢復の見込みはまったくなく、明日はじまるかも知れぬ透析を延ばしても三箇月先、半年先には必ずやって来る。これからは今までにもまして貧血と不整脈に頻繁に襲われるようになる。そのあいだに足の方を癒さなければ。
 少しでも生きながらえるには薬物療法と食事療法しかなく、栄養士の講義を受けるのは必須と云われた。調理師が栄養士の講義を受けるとは、果敢無いはなしである。今思うに、関節痛は腎機能の低下が理由、腎臓からのビタミンDの補給がないのでカルシウムが摂取されず、この一年で骨が極端に弱くなっているそうな。山崎医師の口添えもあって二十二日夕刻の退院許可が出た。骨折の方は月末にギブスの装着が決まった。

 知らない街や自然を見聞きし、バイクで駈けめぐり、北海道の見知らぬ大地の匂いに噎せた日々を想い起こす。小水の魚となったいまも、雨とともに、風とともにあった幾多の野営場が頭のなかをよぎる。わたしはなんという贅沢を味わってきたのだろうかと。深夜の病院のラウンジで幹郎さんの真似をしてデミタス珈琲をゆっくり啜る。ささやかな自由、そしてささやかな苦味が激痛のように口のなかを刺す。なぜか涙が濫れだしてとまらない。(22日)


松葉杖  | 一考   

 CTスキャンはまだだが、腹部エコーの結果がでた。それによると右側の腎臓に結石が六つか七つほど一面に散らばっている。左の腎臓はほとんど機能していない。素人判断だが、体外衝撃波の手術にわたしは麻酔はおろか痛み止めもいらない。だとすれば右側の石割がうまくいけば、たとえ少しにせよ、機能が取り戻せるかもしれない。小便が出にくいにせよ、いくらかでも出ているということはまだわたしの腎臓も捨てたものではない。
 新しい専門医は腹膜透析が可能ではないかと云ってくださる。それだと家での透析が可能になる。ことここに至っても、ひとは楽観的にものごとを捉える。さして執着しているわけではないのだが。

 別の日付、異なる場所でのはなしだが、少年が車椅子をウイリーさせて疾走する。少女が松葉杖を器用に使って駈け回る。わたしはデルヴォーの画に出てくる目を剥いた老人のようである。もしくは若いころに愛読したシュオッブを想起する。(21日)


車椅子  | 一考   

 移動には車椅子を用いる、唯一の足である。溲瓶も用意されているが、わたしは這ってでも自分のことは自分で処理したい。今回かかわった三軒の病院の車椅子はことごとくが不調である。チューブの虫ゴムが期限切れなのである。従って、空気を入れても一日で洩れてしまう(四谷シモンさんの唄を思い出す)。空気圧の足らない車椅子(車椅子に限らないが)は乗りにくい。キーキー音が出て、うまく回転できない。また走行に余分な労力が必要になる。ハブにはゴロが出ている(要するにグリスが古くなっている)、しかもいずこの車椅子もホイールは24穴の四本組なのである。障害者が用いるものこそ、日頃のメンテナンスとより強度を増すための技術が必要でないだろうか。おそらく、新品で購入して不具合が生じれば買い換える、修理は端から念頭に置かれていないのであろう。こんなところにも街の自転車屋が活躍する場所はあるのだが。
 足が治れば、山崎診療所の車椅子はわたしがしっかり修復する。(21日)


御見舞いに感謝  | 一考   

 十九、二十日と多くの方の御見舞いを受けた。芳賀さん、弘子さん、ナオコさんが連れ立っていらした。彼等に云わせると、障害一級だと優先的に都営住宅へ入居できるらしい。この障害一級は前日にひできさん、大浦さんから聞き及んだことなのだが、医師、看護篩からも重ねて聞かされた。他にも医療費、NHKの受信料、タクシー券、高速道路の無料券等々、嬉しいような、情けないような複雑な心持ちである。
 大室・まなさんご夫婦、あまねさん、りきさん、多大なご迷惑をお掛けしたひろさんに感謝。そして看護師のみなさんにも、冷すために右足を氷漬けにしているのだが、この両日は話すに忙しくて氷は虚空を冷すのみ。
 十九日と二十日はここ浦和でも夏祭り、花櫚、冬青、木犀の木立のそよぎの向こうを神輿が通り過ぎる。南の空に虹が浮かぶ。なにかがはじまってなにかが終わる、わたしの場合はこれからすべてが順次終わってゆく。(20日)


待ち遠しきはギブス  | 一考   

 靭帯剥離骨折は事故から二、三週間で腫れがひくそうな。従って、八月五日頃にギブスを嵌めるらしい。それまでは慶應義塾大学病院で施された応急処置で持ちこたえるしかない。ギブスをしてしまえば何とか動けるようになる。松葉杖を振り回しながらでも営業を再開したいと思っている。
 二十一日のCTスキャンを撮ってしまえばあとは絶対安静が八月五日頃まで続く。病院にいても仕方がないので退院したいと、これは当方の希望であって医師と話し合ってみないとなんとも云えない。
 おっきーさんが臨時休業の素敵な看板をつくってくださったようである、忝なく思う。(20日)


腎不全  | 一考   

 山崎医師が頻繁に訪ねてくださる。血液検査でクレアチニンが7.21、尿素窒素が79.9、クレアチニンの値は昨年が2.9なので、どうしてここまで悪くなったのか理由がわからない。麻酔と抗生物質が使えないので、骨折の手術は見送り。癒すのに正味三箇月(ということは二箇月)かかるそうである。食事も減塩食に切り換えられた。整形外科での入院なるも、内科が優先されることになってしまった。火曜日に腎臓のCTスキャンを撮るが、いずれにせよ来週からは人口透析がはじまる。考えてみれば、尿管バイパスの手術をしたまま十年前に上京、明石の後処理をお願いしたのが松友さんの紹介になる山崎医師である。彼はわたしの死生観を熟知している、それかあらぬか、他人のためにもう少し生き延びてみませんかとの忠告。わたしごときをあと七、八年生かすために山崎さんに辛労をお掛けする。

 人口透析が本格的に行われるようになったのは50年代以降だが、心臓移植がはじめて行われた68年、この度、解散直前の国会で臓器移植法改正A案が可決、成立した。臓器移植が法的に問題になることがわたしには理解できない。移植する側とされる側では問題の立て方がまるで異なる。移植する側には脳死を人の死として認めるかどうかが問われ、移植される側は脳死を人の死とすることが当然となる。どちらの側に立つかで意見は分かれる。ことは深刻でいくら議論したところで結論は出てこない。いわんや倫理、道徳、歴史観にかかわる問題は国会での議論には不向きである。
 「開明性」に闌けたひとは臓器移植におおむね肯定的である。移植のもっとも一般的なものは輸血だが、骨髄や肝臓の一部のように再生されるものもあれば、腎臓や角膜などのように心臓死移植によるものもある。ドナーカードを携帯している方は店のお客さんにもいる。ただ、それが自分の子供のことになるとはなしは複雑である。爪や髪の毛が伸び、心臓が動いている子を死者とは認めがたい。自分のことなら構わないが子供のことだけは、との親のエゴが出てくる。
 医学の発達によって脳幹機能が停止しても生命維持装置とくに人工呼吸器の発達により呼吸が継続され、結果として心臓機能も維持される。戦前なら自発呼吸の消失がそのまま死を意味していたが、そこへ脳死という概念が新たに生れたのである。おそらく、今後のさらなる医療技術の発達は脳死概念をすら変えてゆくものと思われる。従ってエゴのひとことで片付けられる問題ではあるまい。
 だからこそ、移植にあっては臓器を提供する側の承諾がなにより必要となる。今般問われているのは幼児の心臓移植である。大きさの関係で幼児の心臓移植のドナーは幼児に限られる。この難儀に突破口を設けようというのが今回の臓器移植法改正A案である。だがこの場合、問題になるのは前述の承諾であって、そうでなければ移植する側とされる側との類似、反映、置換の関係が成りたたなくなる。そして、それら個別に勘案されるべき問題が法律で一律に規制されるのはなにがあっても反対である。かつて札幌医科大学の心臓移植が社会的に問題となったように、このような場への国家権力の介在はろくな結果をもたらさない。橋本元首相は一時は「行政の責任者は判断すべきでない」と云っていたのだが。
 解決にもなににもならないが、わたしならどうするだろうかと考える。わたしの子供が心臓移植を必要とした場合、冷たいようだが諦めさせる。病すらが人類が内包するひとつの個性ではあるまいか。前項で触れたように、人類の進化の過程では実にさまざまな個性が誕生する。スピノザの必然的存在性は認めないが、わたしは一種の運命論者である。(18日)


2009年07月16日

入院のご報告  | ちはら   

こんにちは。店主の一考さんから告知しておくよう承ったので、
失礼します。

一考さんは本日、主治医の山崎先生と相談され、川久保病院へ入院されました。
浦和駅から徒歩五分、病室は218号室の大部屋で退院予定はまだ経っていません。
面会時間は平日が14時から20時、土曜日は11時から20時(だったような)です。

この程度の怪我は入院するほどのことではないと、一考さんは頑なに
仰っていましたが、山崎先生が腎機能の低下を心配されたのと、
「家にいてもこの人はきっと安静に過ごしたりしない!」と断言され、
説得を重ねて、入院することに決まりました。

先の日記にありますように、命に別状はありませんが全治3ヶ月ほどと
いう診断は変わらず、手術するかどうかは足の腫れが引いた頃合に、
入院先の先生が判断されるとのことでした。放っておくとすぐに出てきそうな
勢いなので、今後また変化がありましたら、ご報告申し上げます。


Oの物語  | 一考   

 皆さんにご迷惑をお掛けした。連絡を頂戴した櫻井、ヒロ、ヒデキ、愛子さん各位に感謝申し上げる。顛倒現場に行き会わせた後続車両の運転手、現場に駆けつけてくださった滝沢弘幸さんとその友人に深謝。弘幸さんはバイクを赤坂の駐輪場まで搬送、まったく動かれない私を弘幸さんの友人は病院まで付き添い、車椅子の手配其他諸々繁雑な手続きをしてくださった。
 骨折は十七年ぶり、以前は両手の拳の骨折だったが、今回は足首、それも剥離骨折なので痛みの種類が異なる。二箇月間は松葉杖との格闘が続きそうだが、二、三日は痛みで松葉杖どころではない。
 痛みのみならず、高熱を伴うので本を読むような状況にはないが、慶應義塾大学病院からの帰り、高遠弘美さんと学研のみなさんが本を持って御見舞いに来店。Oの物語にちなんで、O見舞いのためにだそうで、これには思わず苦笑い。
 先に紹介した鈴木創士さんのジャン・ジュネと共に高遠弘美さんの「Oの物語」の完訳が上梓されたのは嬉しい。澁澤訳と比して百七、八十枚が増補されたと聞く。このような文学史の書き換えに直接結びつく訳書が陸続と出版されるのはなににもまして喜ばしい。熱さえ引けばゆっくり読ませていただく。

 完訳Oの物語 ポーリーヌ・レアージュ 高遠弘美訳 学習研究社 定価2000円


バイク事故  | 一考   

 十五日夕六時前、外堀通りの四ッ谷駅手前で顛倒。右足首靭帯剥離に伴う骨折ということで、慶應義塾大学病院へ放り込まれました。今は拙宅で死んだ振りをしておりますが、暫くですぺらは休業です。全治三箇月だそうですが、明日にでも主治医と話し合って、治療方法とですぺらの休業期間を決めるつもりです。詳細は改めて。


2009年07月14日

私書函  | 一考   

 早速、サントリーの方が飲みにいらした。曰く、どうなるかまだ分からないとのこと。サントリーの社員自体が日経新聞朝刊で事情を知ったらしく、当日の夕刊各紙を買いに回ったそうである。どうしてここはいつも情報が早いのかなあ、と仰言っていたが、そちらは秘密である。わたしにしてからが、朝刊の配送を確認してから書き込むようにしている。それは作家の死亡記事や受賞記事を先走って書いて叱られた経験があるからである。

 ところで、このところの書き込みがあまりに切ないものばかりだと注意を受けた。当掲示板は往々にして個人宛に書かれる。従って、書き手の気分の反映とは限らない。何故だか昔からメールによる遣り取りが多く、その一部を掲示板に掲載するとの方式がしばしば採られる。わたしは公私混同滅私奉公だが、それは当方の勝手であって、ひとにそれを強いる気はまったくない。よって、公人でない限り個人攻撃は慎むが、それ以外はどのようなことでも書くように努めている。掲示板であると同時に私書函でもある、そのような掲示板がひとつぐらい在ってもよかろうと思っている。


2009年07月13日

キリンとサントリーの経営統合  | 一考   

 土曜日に聞いていたが、本日の日経新聞でキリンとサントリーの経営統合が発表されるようである。両グループは07年10月、資材調達の協力で合意し、段ボール原資の共同調達や缶蓋の規格共有化を実施していた。また、サントリーはキリンビールの支援を受け、204径缶をビールや発泡酒、第三のビールなどの新ジャンル商品に採用。これは国内で普及している206径缶に比べ缶ぶたの口径を2.45mm小さくしたもので、缶ぶたのアルミニウム使用量が約13パーセント少なくなる。
 今回の統合によって世界最大規模のメーカーが誕生する。それよりも、ディアジオ社と関係が深いキリンと一緒になることによって、サントリーは念願のディアジオ社と強力な関わりを持つことになる。モルト・ウィスキーのファンとして嬉しいはなしである。

追記。
 「経営統合が発表されるようである」と書いたが、国内食品トップのキリンホールディングスと同二位のサントリーホールディングスが経営統合に向けた交渉を進めているのが真相らしい。小耳に挿んだのとは少々異なる。


2009年07月10日

ケーブルTV  | 一考   

 ケーブルネット埼玉が社名変更に伴ってサービス内容にも異同が生じる。現在は37チャンネルが入っているが、そこから7チャンネルが減ることになった。減るのはかまわないが、その内にヒストリーチャンネルが入っているのに困惑している。もっとも繁く観ているのがヒストリーチャンネルなのである。新メニューは10月から、さてどうしようか。


2009年07月09日

とりとめもなく  | 一考   

 ワインが必要なので、近所の酒屋まで歩いていった。例によって跛を引きながらゆっくり歩く。何度もぶつかりそうになりながら無事に用は済ませたが、妙なことに気付いた。回りへの気配りに欠けるのは女性ばかりである。男性は数メートル先からわたしを避けてくださる。ところが女性には避けようとの意志がほとんど見受けられない。若い人ほどそちらが避けて当たり前との風情である。個人差があるので一般論としては成り立たないが、どう考えても女性に分が悪いようである。
 そのようなことを云っていると持てないよ、との声が聞こえてきそうだが、女狂四郎や女龍之介は無用。この手の非情にわたしは興味を抱かない。親しくなれば女人は複雑、時として奇々怪々なまでの情愛を発揮するが、見知らぬ人に対しては突慳貪な応対に終始する。そうした差別意識がなければ異性愛は成立しないのかもしれない。逆に申せば差別意識が失せたとき、それが別れるときなのかもしれない。
 先頃、知己が連れ添いと別れた。以下は憶測である。理由はいろいろあるだろう、暗くしないと眠られない、テレビの音がうるさい、鼾がうるさい、寝相がわるい等々。しかし、別々に寝るようになればふたりのあいだは終わったも同然である。何かが終わったわけだが、それは次の段階に至ったまでのはなしであって、すべてが終わったわけではない。関係自らが新たなディメンションを求めはじめたということなのであろう。
 関係というものは刻々変化してゆく。その変化に個別に対応してゆくのは大事(おおごと)である。例えば同衾にしてからが、朝立ちを利用しなければできるものではない。発奮しようとして可能なのは若いあいだだけである。もっとも、朝立ちが朝とは限らない。生活のテンポがひとひと異なるからである。違う生活を互いが持っているとき、その契機が改善されることは永遠にない。だからこそのディメンションである。恋愛に現場があるとして、その現場を再構築してゆくのだからなおさら大仕事になる。
 人はそうした繰り返しのなかから自らに相応しい次元解析を学習してゆく。別に物理法則について述べたいのではない。学習とは申せ、結果は逃げられたか、逃げ出したかの違いだけで、大して差違があるわけではない。問題は互いが逃げ出さなかった場合にどうするかである。ここではなしは頭に戻る。

 「この世に帰るということの厭わしき」と云ったのが誰だったか忘れたが、ひとは歳と共に風であり、通行人であることを忘れてゆく。詰らない人生と知りつつ、しがみつくようになる。


政局  | 一考   

 首相が帰ってくる。都議選は自民党の敗北に終わる。麻生降ろしの大合唱のなかで彼は全閣僚を罷免、ひとり内閣で解散に挑んで小泉越えを果したと溜飲を下げる。
 そのまんま東でなく、志位和夫を総理、副総理に福島瑞穂を迎えれば今の自民党でも闘えるのではないだろうか。その場合の幹事長は石原伸晃か。


2009年07月08日

丸富水産  | 一考   

 赤坂に丸富水産が居酒屋を開店、魚介類専門店である。見附の駅から田町通り、みすじ通り、一ツ木通りの順だが、その田町通りが赤坂通と交錯する手前にある。安い店なので、ですぺらへ来られる前の腹拵えに打ってつけと思う。玄関には丸富市場もしくは丸富食道と書かれている。


どうにも止まらない  | 一考   

 関節痛が三週目に入っていよいよ激痛になってきた。風呂でマッサージをしたのが悪かったようである。バイクの駐輪場から店までは歩いて二分足らずなのだが、これが十分掛けても歩かれない。向こうから歩いてくる女性とこのままだとぶつかるので停止したが激突、思いっきり毒づかれた。ぶつけられたのはわたし、尻餅をついたのもわたし、携帯電話を掛けながら歩くのにも道路交通法の適用を求めたくなった。
 痛み止めは通常の二倍服用している、でこのありさま。十二分に老いは意識しているが、この苛立ちはどうにもならない。


2009年07月06日

つけ麺  | 一考   

 イオンから278円の弁当が頒され、それなりの騒ぎになっているようだが、わたしが買う弁当はさらに安い。拙宅の近所に安売り店があって、焼きそばが100円、天丼、親子丼、フライ付きカレーライスが200円である。天丼は海老が二本と野菜もしくは烏賊が三枚と野菜が入っている。もっとも、焼きそばに入っているのは一切れの肉とキャベツのみ、原価は三十円ほどである。わたしが作るときはさまざまな具材を用いるのでこの値段ではできない。
 松友さんの薦めもあって松屋のフレッシュ・トマトカレー290円を食べてきた。松友さんに云わせるとかつてメニューにあったチキンカレーを想起させるそうである。わたしはチキンカレーを知らないので比較しようがないが、エスニックな味付けで結構なものだった。それでなくとも、カレーの風味はトマトの使い方ひとつで決まる。
 カレーなので水が必要になる。目の前のポットが空だったので、他のポットに手を伸ばしたがそちらも空。さらなるポットで用を済ませたが、どうやら水の補給はマニュアルに記載されていないようである。
 乾麺をよく頂戴する。従って合挽とショウガを炒めたカレー風味のつけうどんを頻繁に作る。早いはなしが和風キーマカレーである。刻みミョウガを薬味に用いる。
 先日moonさんからのメールに食事はほとんど外食ばかりで過ごしているとあった。それでつい思い出したのだが、こんなことばかり書いているとなにかしら惨めになってくる。やはり食事はどんなに簡便なものであっても自炊に限る。


まじない  | 一考   

 ここ二週間関節痛に泣かされている。冬場にバイクに乗るときに利用しているサポーターを膝に巻いているが一向によくならない。蟹股と書くとわかるとおり、わたしの大腿骨はひどく外側に捻じれている。不良が自分を強く見せるためにわざと足を拡げて歩く、その癖がもたらす痛みではないかと思っている。
 小学生の折、六甲山へハイキングに行った、ひょっとしたら、摩耶山か再度山だったかもしれない。後方を歩く女子たちがくすくす嗤っている。振り返るとわたしの足の間から向こうの景色が見えるという。風通しがいいんだよ、と云った記憶があるが、後から作られた記憶なのかもしれない。ただ小さいときからわたしは間違いなくがに股だった。十四歳で観た「太陽がいっぱい」に出てくる貧乏な若者トムがやはりがに股で、爾来アラン・ドロンのファンになった。
 さるひとに云わせると運動不足だそうだが、そう単純なものではあるまい。変形性関節症は中高年者のみならず、若いころ激しいスポーツを続けていた人も罹るようである。とりあえず、バイクに跨がるたびに「痛いの いたいの 跳んでいけ」と呪いをとなえている。「針聞書」にいうコセウに魅入られたようである。


2009年07月05日

忘れ物  | 一考   

 不動産会社の佐々木さん、お土産をお忘れです。必要と思い、冷蔵庫に入れていますので、どうかよろしく。


2009年07月04日

性の多様性  | 一考   

 同性愛を例外事項として捉えること自体が差別ではないかとのメールを頂戴した。差別と受け取られたのであれば、差別かもしれない。不快感を与えたのであれば、深くお詫び申し上げる。なにぶんわたしは古い人間なので、LGBTなる言葉を知っていても馴染みがないので遣う気になれないでいる。
 今後、遺伝子の研究が進めば、同性愛に関してなにかしらの取っ掛かりが生じるかもしれない。しかし、わたしが興味があるのは遺伝子でなく、個体としての生物である。言い換えれば、個としてのジャン・ジュネであって、けっして同性愛にあるのではない。
 よく持ち出される文言に、同性愛者でなければジャン・ジュネについて語る資格などない、というのがある。わたしに云わせればそれこそが差別ではないかと思う。いずれにせよ、わたしは同性愛が精神障害であり病いだと思ったことは一度もない。だからこそ性の可視性(visibility)が問題になるのであって、大書したいのは性の多様性なのである。
 ちなみに、わたし自身も学歴経験賞罰から推して例外事項的存在でないかと思っている。幼少期は筆舌に尽くしがたい差別の渦中を生きてきた。だからといって人を差別する気にはなれないでいる。性の問題に限らず、例えばダウン症も人類が内包するひとつの個性であって、人類の進化の過程ではすべての個性が等価であらねばならないと願い、そして信じている。

 以上は書くべきかどうか随分と迷った。ことほど左様に深い問題が一通のメールによって突きつけられた。かかる短い文章が結論になるとは思われないが、取り敢えず認める。


西明石  | 一考   

 二号線を走っていて新幹線西明石のガード下で他のバイクに追突した。先方は大した損傷もなかったが、当方のバイクは動かなくなった。降りてきたひとが「大丈夫ですか」といいながら当方のバイクの修理を試みる。「アクセル・ワイヤーが切れてるし、他にも・・・まかせてください」といいながら懇意のバイク屋を呼びつける。オカマしたのは当方、わたしが一方的に悪いのである。ほどなくトラックが到着、わたしのバイクを積み込んで、一緒に乗ってください。行き先は伊川谷のオートバイショップ。まったくの偶然だが、そのバイク屋の当時の店長もぶつけた相手のバイク乗りもですぺらを知っていた。店に集まってくる走り屋と同じ仲間だという。お近づきのしるしにと云って修理代を受け取らない。
 moonさんもご存じだが、西明石のときの走り屋仲間に中尾さんや小松さんがいる。中尾さんは介護の仕事を、小松さんはもっか職に溢れている。前述のバイク乗りは小野でFRPの専門工場を、バイク屋で働いていた尾鼻さんは独立したと聞く。明石で唯一旧車(カワサキ)のパーツをハンドメイドで造っていた稀少業者、当時の愛車CBXの面研をやっていただいた大久保の専門業者、BMWのヘッドのバルブシート面を修整していただいた内燃機関屋さん(ガスを有鉛から無鉛に切り換えるのに必要)、忘れてならないのはチェイサーを185馬力から260馬力にまで改造してくださった毎日自動車商会、さまざまな業態のひとがバイクや車を中心にしてですぺらへ集まった。
 昨夜、中尾さんから電話を頂戴した。多くは昨年の金融危機以来、酷い目に遭っていると聞いた。なんとか生き残っていただきたいと願っている。


2009年07月03日

中途半端  | 一考   

 2008年03月25日に「供花」と題するいささかセンチな文章を著した。文中に記載はないがmoonさん宛の文章である。それ以来だろうか、久しぶりにmoonさんからメールを頂戴した。彼のことだから必要があれば掲示板を用いる、メールとの手立てを取ったのはあくまで私信ということである。従って、内容には触れないままに返信を認める。
 ですぺら掲示板1.0をはじめた頃、少しでも賑やかにしようと彼は一所懸命に書き込みをしてくださった。彼とわたしの書き込みはほぼ猥談だったが、あれは肉体的に枯れた者通しでなければ成り立たない内容だった。わたしはすることはいたってノーマルなのだが、そのノーマルなことすらが妄想を抱かないと不可能なのである。従って、普段は妄想のなかを生きている、といっても決して過言でない。お付き合いくださる女性もそこのところを弁えてい、適当に合わせてくださる。もしそうでなければ、わたしの一物はなんの役にも立たないのである。
 その辺りの消息がmoonさんには分かっていらっしゃる。ふたりしてイマジネーションの世界を詼諧の道行と洒落てみたのである。わたしは文学などというものを関わりの要に置くような不調法は滅多にしない。おそらく山本六三とmoonさんの二人であろうか。言い換えれば、数少ない友ということになる。だからこそ、山本六三を著した文章はmoonさんに奉げられている。
 わたしに関する部分は引用しても構うまいと思う。「貴兄の様に義務やしがらみが無ければ随分と楽なのにね」とmoonさんは書かれる。この歳まで生きてきてしがらみがないというのはどうかと思う。わたしの場合は親のこと、子のこと、そして家庭とおぼしきものから逃げ出して知らぬ顔の半兵衛を決めこんでいるだけのこと。その分、誰かがどこかで泣いている。もしくは泣かせているに違いない。
 moonさんが持っている律儀さがわたしにはまったく欠落している。奥村チヨの唄に「責任とって 責任とって あなたも男なら」というのがあるが、そのようなことを云われて真っ先に逃げ出すのがわたしである。六三さんが市役所横の公園で似たことを問われて一言、「箪笥を買ってあげる、中味は勝手にどうぞ」どうせ何を買っても質草になるだけのはなしである。この場合の箪笥は謂わば金の成る木であろうか。六三さんの半ば真剣、半ば不真面目な諧謔には叶わないと思い知らされました。
 わたしは一種の禁治産者で、都合の良いときだけ心神喪失になる生活破綻者です。徹底した卑怯者で、義務やしがらみから逃げ回っている弱虫なのです。ぼちぼち、ふたりして男であることを止めませんか。


2009年07月02日

しがらみ  | 一考   

 ニュースで、表参道交差点の七階建てファッションビルが空きビル同然になっているとあった。オーナーだった不動産ファンドが昨秋、経営難でビルを手放したようである。似た話はそこら中にあって、赤坂にもですぺらがある通りに開いたままの新築ビルがある。このビルはオーナーが破産、行方不明になったらしい。
 わたしはと云えば、連ちゃんで雨に打たれて雨具が乾く暇がない。一昨夜は大型トラックがはねる泥水を頭から被ってしまった。同じしょぼくれた話でも当方には打つ手がまだいくらでもある。moonさんから哀しいメールが入ったが、老後は長く苛しい。何かしらの策を講じなければならない。わたしにとっての策とはしがらみからの遁走でしかないのだが。


2009年07月01日

燃料電池自動車  | 一考   

 欧米の車メーカーにとってハイブリッド車は車でないようである。なぜなら日本の車メーカーごときに主導権は取られたくないからである。従って電気自動車、水素自動車と囂しいが、そのような車の開発が可能なのであろうか。二箇月ほど前、二次電池について書いたが、高性能なリチウムイオン電池で車を走らせるには最低でも百、二百本は必要らしい。一本二万円としても二年ごとに膨大な電池代が必要になる。
 細かくは書かないが、実用化にはおそらく半世紀近い年月が必要となるに違いない。馬力あたりの重量から推して、二輪の方が先行すると思うのだが、スーパーカブなどは既にリッターあたり百六十キロ走行する。従って、バイクにハイブリッドは必要あるまい。
 燃費を考えるならシステムよりもボディの軽量化に金を使う方が合理的でないだろうか。アルミ、マグネシウム、チタン、FRP、カーボン等々、旧GTRの百五十キロ軽量化に成功した友人がいる。ちなみに、わたしがいま乗っているマスタングは3.8リッターで重量は1.5トンを切る。安全性はともかく、軽量化では理想的な車である。別な意味で燃費はよろしくないが。

 IQに直列4気筒1.3リットルガソリンエンジンを搭載したモデルがある。最高出力は100ps、車重は1トンを切る。これなどは理想的な車だと思う。

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