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2012年10月 アーカイブ


2012年10月31日

ちりめん山椒  | 一考   

 ちりめんも山椒も京都では採られない。おそらく、ちりめんじゃこの高級品なら淡路だろうし、生山椒なら京都の錦市場だろう。共に、百グラム三百円はしない。京都産のちりめん山椒が東京のデパートなどで高値で取引されているが、いくらなんでも、あれは高すぎる。50グラム2000円から4000円もする。
 最近、丸美屋からふりかけ「ちりめん山椒」が販売された。28グラム、118円である。味はともかく、はじめて妥当な値段で販売されたちりめん山椒である。かなり売れていると聞く、やがて他メーカーも追随することになる。
 ですぺらでもちりめん山椒を造っていたが、味に関してはどこの商品よりも自信があった。そして料理人からもそのような評価を受け、しかるべき雑誌に幾度となく紹介された。あれは元々、播磨(山椒の産地だった)の漁師料理、例えばクギ煮のようなもので播磨の家庭ではどこでも造っていた。わたしはそこにちょっとしたアレンジをしただけである。播磨や京都のように鍋で炊かずに、フライパンで煎ったまでである。
 戦後、京都の料理人が模倣し、なにも知らぬ文化人が乗せられてちりめん山椒なる伝説が誕生した。伝説は所詮はうわさでしかない。前述の後追いする他メーカーが丸美屋と似たものを出さずに、さまざまな食感のちりめん山椒にトライしていただきたい。文化は今はじまったばかりである。


キーボード  | 一考   

 拙宅のモニターがエプソン製(HDMI)のため、購入したマックが繋がらない。アダプターを買うならコードを買った方が良い。アナログVGAかVDI-Dを買わなければ、昔は高くて買えなかったFlexScanなどどうかしら。パソコン関係を買うのは久しぶりだが、随分と値が下がったように思う。モニターは500円から1000円までである。
 G5の中古が2000円ほどで売っている。パソコン自体に需要がなくなってきたと云うことか。インターネットとメールと動画と、パソコンの使い方はまるで変わった。今ではモバイルと云うのかタブレットやスマホの方が流行っている。わたしは掲示板だけで動画はほぼ見ない。古い流行歌を聴くぐらいか。ただ、書き込みにキーボードは必要である。
 キーボードなしに書き込もうと思えば、携帯電話かフェイスブックにならざるを得ない。わたしは情報に興味はなく、ひとの考えにしか興味を抱かない。考えは逡巡であり迷いであり類推である。迷いが迷いとして顕著になるには一定量の文章が必要、そうでなければ理解し諒解できない。


2012年10月30日

通院  | 一考   

 戸田と三郷の間を移動するには埼京線で赤羽へ、赤羽から京浜東北線で日暮里、日暮里から常磐線で松戸へ行くか、武蔵野線を使うかのふたつがある。地元のひとは武蔵野線が近いと云うが、とんでもない間違いで、まず電車賃が日暮里経由だと450円、武蔵野線経由だと540円になる。所要時間は日暮里経由が二時間弱、武蔵野線経由が二時間半はかかる。
 日暮里と赤羽間の連絡がうまくゆかない。この間がスムースだと所要時間は一時間半に短縮されるが、時間帯による。
 武蔵野線経由は埼京線で武蔵浦和へ、武蔵浦和から武蔵野線で新松戸、新松戸から常磐線で松戸へゆく。途中に三郷との駅があるが、これは三郷の北の端、拙宅は南端であって市を縦断しなければならない。
 JRは走行距離が正確に料金に反映される。駅の数は少ないが、武蔵野線は電車が遅いので時間がかかる。こちらは武蔵野線がネックになる。
 どちらを利用しようが、松戸から拙宅までは乗り合いバス、こちらは一時間に二本である。待ち時間は別にして所要時間は十五分から三十分、この時間差は上葛飾橋の混み具合による。朝夕は特に問題である。
 三郷、戸田間を車だと一時間から一時間半で走る。時間差は渋滞で、こちらも朝はひどく混む。500円を奮発して高速道路を走ればもう少し短縮され、三十分から一時間。


金喰い虫  | 一考   

 メドロール、グラセプター、セルセプト三種類の免疫抑制剤を服用している。他に健康保険が適用される同剤は四種類、その他の百種類を超える免疫抑制剤は健康保険の適用外。従って、用いようとすると数十万乃至数百万円の実費が必要となる。免疫抑制剤に関してはmoonさんが詳しい。
 退院後、初の外来。次回の入院の計画は出来上がったが、概算三百万円の実費が必要となる。用いる免疫抑制剤は体重一キロにつき、四万円ほどかかる。わたしは既にそれぐらいの金額を今回の医療に注ぎ込んでいる。一方、医師は治療が目的だから、一千万や二千万円は平気である。そこで、医師と話し合いである。
 仮に今回三百万円出費するとして、それでお仕舞いになるのかどうか、答えは否である、否と云うよりも個体差があって分からないが正確である。どうやら、わたしの身体は金喰い虫になったようである。
 わたしは医師に礼を述べ、これから先の治療を拒否すると告げた。折角の移植手術が無駄になると医師は残念そうな顔付きだった。しかし、決めるのはわたしである。十秒ほど置いて、それが渡辺さんの意見ならそれを尊重するしかない。現在罹かっているサイトメガロウィルスは治さなければならない、大量の薬を頂戴し、次回外来を一日と決めた。
 朝七時に拙宅を出て、帰宅は夕七時、丁度十二時間の迷える病院行だった。


2012年10月28日

飛脚  | 一考   

 佐川急便が「飛脚」との吟醸酒を株主はじめ関係者に配っている。中身は愛知の関谷醸造謹製の蓬莱泉純米大吟醸「空(くう)」でないかと思う。関谷醸造の酒はしぼりたてと生酒が旨い。特に生酒は貯蔵酒であって、磯自慢の生貯蔵や真澄のあらばしりを想起させる。


白耳義麦酒  | 一考   

 ヒューガルデンホワイトの瓶詰めを久しぶりに飲んだ。ですぺらを開店した際にわが国ではじめてヒューガルデンホワイトの樽生を置いた。西明石のような田舎では評判がよろしくなく、最初に旨いと誉めてくださったのは故太田さんと松友さんだった。同樽生は季節によって香味が変わる。その良いかげんなところが堪らない。日本の金太郎飴がごとき、品質の管理がすみずみにまで行き届いていない。酵母が生きていればこそなのだが、そこが白耳義麦酒の楽しみ方のひとつ。特に酸味と甘味の絶妙のバランスには舌を巻くの他なかった。
 ヒューガルデンは一時期米国資本になったと聞いたが、朝日ビールが取り扱う現在では生産は白耳義になっている。随分と苦み走った香味になり、日本人向けに改造されている。日本のメーカーが代理店になると酒の味は必ず変わる。香味に五月蠅かった太田さんなら、バッカスが宰る飲豪の煉獄でぎょろ目を剥いて居るに違いない。


2012年10月26日

無知の涙  | 一考   

 先日、掲示板で永山のことを書いた。そうすると早速ETVで永山の特集番組があった、奇遇としか云いようがない。わたしは運命論者なので、生まれ落ちることがアンガージュすることにはならないと思っている。サルトル流に云えば、彼は貧乏に生れたのでなく、貧乏に育ったとなるだろうが、そもそも貧乏などという概念が属性足りうるのかどうか。それはともかく、
 永山は多くの兄弟を有し、それらの軋轢もしくは暴力のなかで育った。とても一般でいわれる家庭とはほど遠い環境だった。彼の兄弟には犯罪者が多く、彼は間違いなく貧困者として、犯罪者として生れ、そして育った。犯罪者として育つ前にすでに彼は犯罪者だった。彼は生まれ落ちた偶然性を呪い、生活してゆく上での境遇を嘆き、割り切れない定めとして世の中を憎む。その結果がピストルによる連続射殺事件だった。
 彼は獄中で文筆に目覚め、その文筆から弁証法を倣う。その過程で境遇に対する、生まれ落ちた偶然性に対する抗いがたい理不尽な怒りと悲しみを知る。しかし、骰子は抛げられたあとであって、世の中に対する自らの行為は常に不可逆なものである。もしも、彼が事前に不条理の構造を知り得たとするなら、異なった生き方があったように思う。また、理不尽乃至不条理を理解するに、弁証法のみを武器にしたところに彼の重なる不幸があった。
 わたしは日本文芸家協会への入会問題になんら興味はないが,死刑廃止論議にはいささかの興味をそそられる。自らの行為が不可逆なものである以上、そこには一定の歯止めが必要である。わが国の法制度では無期懲役と死刑とのあいだの乖離が大きい。無期懲役の懲役期間の平均が15年から20年と聞くとその感をより深くする。イスラエルのように、無期懲役が真の意味に於いて無期に近づいたとき、死刑は廃止されるべきと思うが、現状では到底無理である。
 永山則夫、97年8月1日、東京拘置所で死刑執行。泣岐を思い、涙す。

追記
 裁かれるのは加害者であって被害者でない。だからこそ、加害者が犯行に到った経緯、その生い立ち、家族構成、境遇などが吟味される。昨今の裁判で被害者側の意見の陳述が多いように見受けられるが、被害者側の本音は報復判決でしかない。被害者側の意見を加味しての裁判などありえない。このところの厳罰化にもそのあたりの消息は顕著である。繰り返すが、裁かれるのは加害者である、加害者のための裁判を望む。


2012年10月25日

マックのソフト再び  | 一考   

 アドビの統合ソフトAdobe Creative Suite Premium Macの動作環境はMac OS X 10.2.4 〜 10.3 日本語版となっているが、10.4.11、10.5.8 でもインストール可能。問題なく使用できる。
 所収の
 Adobe Photoshop CS 日本語版
 Adobe ImageReady CS 日本語版
 Adobe Illustrator CS 日本語版
 Adobe InDesign CS 日本語版
 Adobe Reader 6.0 Professional 日本語版
 Adobe GoLive CS 日本語版
 などCSは最初のバージョンだが、これ以後はアクティベーション(ネット認証)が必要。従って、最初のCSが使いやすくて便利。

 OS 9ではATOK14と共に、EGWORD12、egbridge11.8も使っているが、今後はEGWORD/egbridge シリーズ(Universal シリーズもあり)を使わない。日本語入力システムはATOKに統一。そのATOKのパワーPC対応は以下のごとし。
 ATOK 2011 for Mac 動作環境:Mac OS X v10.6~v10.5.8(10.6以降はインテルマック)
 ATOK 2010 for Mac 動作環境:Mac OS X v10.6~v10.5.8
 ATOK 2009 for Mac 動作環境:Mac OS X v10.5~v10.4.11
 わたしが用いていたATOK 17 は2004年製、Mac OS 10.4.11 と Mac OS 10.5.8 を併用するなら上記 ATOK 2009 を、10.5.8 に完全移行するなら ATOK 2011 がお薦めだが、取敢えず、ATOK 2009を使うことにした。
 ATOK 2009は辞書が充実、単漢字情報などが出てくるのだが、これは行き過ぎ、わたしには五月蠅いだけ。同音語用例なども出てくるが、こちらも同様に不要である。環境設定でどうにでもなるが、辞書は辞書で大量にパソコンに入れてある。日本語入力システムの辞書機能を充実させるなら語彙を増やす方が遙かに役に立つのだが。許せないのは顔文字パレットが追加されたこと、バカにするなと即刻削除。
 ATOKに関しては、OS X へ移行してからは辞書はともかく変換の癖は一切読み取らない(読み取ると書いてあるが)。従って新しくなっても使いにくくなるだけなのだが仕方ない。OS 9 のときのシステムの方が使い込んでいただけあって良くできていたように思う。


いまさらcube  | 一考   

 マックのキューブを買った、当然OS 9が動くからである。ついでに1.2GMHzのCPUと1.5ギガのメモリも買ったのだが、なんと1ギガのメモリが新品で1700円である。ディスプレイカードが16MBなので32MBに換装。64MBはなんと10000円もするが、32MBは1000円。DVDドライブは500円。ちなみに、黒姫の最後のパソコンはキューブだった。
 Mac OS X 10.5.6(PCマックで動く最後のソフト、ただしクラシック環境対応せず)、ATOK 2009 for Mac、ユーティリティー・ソフトのDiskWarrior 4.2とTECHTOOL PRO 5.0.4、それと統合ソフトのAdobe Creative Suite Premiumを購入した。
 ユーティリティー・ソフトは非常用だが、結構役に立つ。USBメモリをパソコンに差したまま10.5.6をインストール、USBメモリは壊れてしまった。その修理を簡単にやってのけた。
 ハードディスクとDVDドライブはパソコンのなかで唯一の消耗品、寿命がきたら取替えるしかない。ところで、マックの窓口は素人集団、あのようなところで修理を頼むと火傷を負う。

 Adobe Creative Suite Premiumには以下のソフトが這入っている。
・Adobe Photoshop CS 日本語版(Adobe ImageReady CS 日本語版を含む)
・Adobe Illustrator CS 日本語版
・Adobe InDesign CS 日本語版
・Adobe Reader 6.0 Professional 日本語版
・Adobe GoLive CS 日本語版
・Adobe GoLive Co-Author
・Version Cue ファイルバージョンマネージャ
 この内、インデザインは使ったことがない。ただし、イラストレーターが多少なりとも使えるのであれば大丈夫といわれて購入した。
 最もよく使うファイルメーカープロも最新ではないが上級バージョンを入手、クラシック環境最後の6と OS X 専用の7を購入。ついでにファイルメーカープロに付帯するソフト数点(Bento他)を購入。エクセルよりもファイルメーカープロはうんと軽い、項目が増えれば増えるほどさくさく動く。これがなければ数万種類に及ぶ酒のデータ処理はできない。ファイルメーカープロとフォトショップは共に1.0から使っている。最初は簡単なソフトだったのだが。
 moonさんからパソコンを触るなら書き込みに精をを出せと叱られたが、レガシーマックはわたしの楽しみ。インテルマックならウインドウズを使う方が合理的で、どうしてマックでなければならないのか。ずんと遅れて10.4.11だったのだが、ブラウザが扱いにくく、これでやっと10.5に生まれ変わった。
 それにしても、ソフトは高いがハードとしてのパソコンはデフレの世界にどっぷり浸っている。1万もしくは2万円もあれば、最新のパソコンが出来上る。ハード、ソフト共にわたしが購入するおそらく最後のマックになると思う(次回はウインドウズ)が、とにかくパソコンは頑丈である。LC475から十数台のマックを使いつづけて最近はBookが多いが、ただの一度として本体が壊れたことはない。

追記
 キューブのDVDは不良品だそうである。ミニ同様、スロットローディングはよく毀れる。車でもパソコンでもなんでもそうだが、早く組み立てたいが入院中ゆえどうにもならない。弄くっているあいだが一番たのしいのである。
 Mac OS X 10.5.6はG4用(PC用)を買ったが、機種によってはインストール不可。10.4のときもそうだったが、マックのシステムは機種によって細かく別れている。製品版の互換性がもっとも高いが、値も高い。さて、どうしたものか。余談ながら10.7にはリテール(製品)版がない。


ナビレーダー  | 一考   

 意気揚々と出掛けたが、結果は意気消沈とは外泊のこと。遊びに出掛けたのでなく、また女人に惹かれてのことでもない。パソコンと車という大人の玩具に魅せられてのこと。つまりは遊びである。
 ユピテルのナビを買った。ユピテルはレーダーメーカーである。同社のGPSには全国最新のオービス情報が収録されている。警察の取り調べで捕まることはないが、オービスでは見事に捕まる。そこでナビの登場である。画面、要するに地図はどうでもよいので、4.5インチの小さいのを買った。スマホと同じ大きさである。前回は7インチのワンセグ付きだったが、それでも見られないことに違いはない。通常のテレビの字幕すら見られないのに、小型のモニタに写る図が識別できよう筈もない。仮にそのようなものを見ておれば事故を起こすに違いない。要するに、わたしにとって機能としてのナビなんぞ、どうでもよいのである。オービスが近づいた折にサイレンでも鳴らして知らせてくれればよい。
 そのナビに嵌め込むレーダーがあるのに気づいた。全国の道路に埋め込まれたオービスと取り締まりのレーダー波の双方を検知する優れものである。これは買わない手はない、しかし値が張る。ところが4.5インチのような小型に需要はない、と見た。読みは的中、音はでかいが可愛いナビがダッシュボードに鎮座する。
 夕べ、ナビレーダーをはじめて使った。怖ろしいほどの優れもの、一押しである。


ボルボの車検  | 一考   

 乗れば乗るほど嬉しくなる車、ボルボにやっと馴れてきたものの、スイッチの数が多すぎてどうにもならない。先日は夜であるにもかかわらず、ダッシュボードが突然真っ暗になった。車内灯をつけてことなきを得たが、ちょいと周章てさせられた。
 おそらく前照灯のスイッチの接触不良だと思う。ボルボ解説の二枚組DVDは頂戴したのだが、ハイブリッドにあらず、ウィンドウズ専用でマック党の役に立たない。
 ショックとサスはがちがちに固められている。国産車のような乗心地優先の軟弱なショックとは次元を異にする。昔、チェーサーのターボ車に乗るに際し、ショックやサスをはじめ足回りをことごとく履き替えたのを思い出す。片方で一千万円の車を拵え、さらに片方で百万円の車を造る、これでは手を抜かずにできるわけがない。正規品というものが如何に役に立たないかを思い知らされる典型である。
 車検には20万円ほどかかったが、自動車税を減免されてこれである。最初の車検収得は費用がかかるもののだが、それが分かっているのでブレーキの換装は次回に見送った。ブレーキパーツの代金だけでも16万円はする。キャリパーが8万円、ローターとパッドで8万円。工賃を入れると重量税その他の車税はおろかブレーキ代だけで、今回の車検代と等しくなる。
 計量によると後輪の左は150、右は100とぎっちょんちょんである。性能に大差が出るわけでないので我慢している。
 それにしても、良く走る車である。一般道で追い越しでちょいとアクセルを踏み込むと立ちどころに140,50キロになる。それほどにスピード感がない、要注意である。

追記
 前照灯のスイッチの接触不良と書いたが、ボルボのウッドのダッシュボードは分解が大事である。スイッチの単価(13000円)は安いが工賃が心配、とはいえ、あれは自分では出来ぬ。
 大宮から春日部にナンバープレートが代わったのに伴い、障害者用ガソリン券も変更。身障者がスピード違反を犯しては申し訳がないのでナビレーダーを購入。これって発想が逆かも。


いろいろ  | 一考   

 OS X のライブラリーの Desktop Pictures のなかに Black & White とのフォルダがあって、モノクロの写真が収録されているが、気に入っている。こういうのを見ていると横須賀さんの写真を頂戴しておくのだったなと思う。資生堂の宣伝写真だが、身の毛がよだつモノクロ作品が多く含まれていた。
 TechTool Pro 5.0.4のサーフェーススキャンは時間がかかる。不正なブロックを見つけるらしいが、病院へ持ち込んだiBookのHD250GB上のブロックをスキャンするに7時間を必要とする、ノートンの悠長な様を思い浮かべる。切るに切られないので捨て置き、書き込みに耽っている。二度とTechTool Proは使うまい。
 明日で茶が切れる、車があるときに二度ほど大量に運んだが、毎日2リットルだからすぐなくなる。このところ尿量は1.8から1.9で、規定量に達していない。ずっと烏龍茶だったが、移植手術を受けてからは日本茶を嗜んでいる。それも腎機能復活が前提条件なのだが。今回はどこで仕入れようか。(突然、退院となり杞憂に終わった)
 病院では平気だが、拙宅へ帰ると無性に煙草が咽みたくなる。今回の禁煙もすでに四箇月を超す、なか二週間を除いて計八箇月の禁煙である。にもかかわらず、咽みたくなるとは。畏るべし、下手な薬物より習慣性が強い。覚醒剤と共に習慣すなわち滅びゆく日常生活の怪物、謂わば鵺のようなものだろうか。


名無しのさかな  | 一考   

 病院の日曜日の夜食(よるしょく)はみそ漬焼、まだ、名無しのさかな料理がつづいている。拙宅へ戻った土曜日の夜食はカレーとかで頗る人気があったらしい。爺さん、婆さんであってもカレーが持て囃されるとは不思議な気がする。隣の爺さんがピーマンが嫌いらしく、看護師にピーマンを抜けと小言を云っている。ピーマンが嫌いなのは子供の筈なのだが。その横の爺さんは牛乳が苦手らしく、ヨーグルトに取替えろと文句を云っている。あきれた老人たちである。本来非日常であるべき病院へ日常を持ち込んでいる。70歳代や80歳代ですら好き嫌いが口の端にのぼるとは。食事の世界でも世代交代が進んでいるのだろうか。


追加書き込み  | 一考   

 水曜日、退院前にに三度の血液検査を済ませる。問題多発、サイトメガロウィルス再発、喉がいがらっぽく、肺上部に重みがある。微熱はないが、自覚症状有り。サイトメガロウィルスの抗体はすでに出来ているので大きな心配はしていないが、クレアチニンは下がるまい。それにしても、この時点でのウィルス感染は困る。医師もまた頭を抱える。にもかかわらず、退院強行。
 月曜日に血液検査の結果について話し合う予定。どうするかはその結果待ち。

 今回の医療費は138089円、保健医療適用外がこの金額になる。保健医療は高額医療費なので35400円の上限が請求されている。それ以外ということになる。帰りに役所へ趣き、医療費だけの生活保護について話し合うも不可能と云われる。入院はあと二度ほど続くのだが、これは問題が生じる。


2012年10月24日

一旦退院  | 一考   

 水曜日にひとたび退院となった。退院とすべきか保釈とすべきか。クレアチニンは2.0、(高値安定)となった。このままだと慢性の拒否反応となり、決してよろしくない。明日、もう一度、わたしの体内にあるドナーへの抗体の有無とその状態を女子医で調べる。医師は週末に女子医にて相談、来週月曜日の血液検査の結果で再入院を図る。もう一度、メドロールの点滴治療を試みるようである。
 以上が本日の決定事項。何時までも入院させておくのも残酷とかで、(有罪放免)である。有罪でもなんでも佳し。これでパソコンが組まれるのとソフトのインストールが出来る。大人の玩具の起動である。いよよ、愉しかりけり。
 (この項目追加有り)


考えさせられること  | 一考   

 入院はあと十日から二週間かかりそうだが、今週の一週間でなんらの結論が出ると思う。出てもらわないと困る。
 それにしても医師は非日常の、謂わば達人である。拙宅に用事があるというと、どんな用事なのか、その用事と腎臓とどちらが大事か、と問いかけてくる。彼は何時も手術をしていて、患者のあいだを走り回っている。その過程で医師としてのぎりぎりの生き方を、最終的な価値観を自ら描いている。言い換えれば、非日常の頂点たる医師そのものを生きている。例え三人の子供を儲けたにせよ。そして、それは患者にも跳ね返る。おそらく、逆らう患者はいないだろう。
 どうやら、わたしが生活を気にするのが理解できないといった風情である。その度々にわたしは保守的になったなあ、との思いを抱く。こんな筈じゃなかったのに、どこで間違えたのかしら、もしくは老いてしまったなあ、と。
 人は若ければ若いほど、非日常を生きる。わたしもかつてはそうだった。生活なんぞ、他人任せだった。大体がどうでも良かった。唯々、がむしゃらに生きる日々があり季節があった。今回、瀬戸口医師を視て、わたしは惘然として自失している。もう一度、人生をやりなおそうか、と。
 六十五歳になって久し振りに孤独と向き合うひとと出遇った。


2012年10月21日

かきや  | 一考   

 「かく」(動カ五[四])「掻く」と同源。体内にある汚いもの、好ましくないものを外に出す。「走ったものだから汗を—・いた」「大きないびきを—・く」「人前で恥を—・く」

 戦後、青線にて「かきや」もしくは「掻き屋」という商いが流行った。「マッチ一本擦る束の間の快楽」からマッチ売りの少女とも呼称された。この赤線、青線というのはそこに立つ女が公娼か私娼かで決められたが、劃然と区分けされていたわけではない。戦後は双方が入り乱れ、赤線のあるところには青線があり、他の色線もあった。
 戦後のことゆえ、この掻き屋の掻く対象を蚤や蝨と勘違いなさる人がいるやもしれず、対象は十数センチあったことを記しておかねばならない。蒼い夜空めがけて迸る白い稲妻、抛物線あるいは双曲線を描く真珠の切り口、円錐曲線の屈折・透過する白い光、そうしたものを日々一所懸命に掻き出す為事であった。
 前述のマッチ売りの少女には異なる意味も付与されていた。マッチ一本燃えている間に陰部を照覧、その勢いをかって白いものを飛ばすという著しく能動的な商いである。かきやのマッチ売りは手を添えて相手が飛ばす手伝いをするという、客にとっては受け身のそれであった。
 つれづれなことを消(ショウ)すにマスを掻くは一番の代謝、往事はマスを掻く御仁多くありてかきやの商いも繁盛せりという。


2012年10月20日

駅構内  | 一考   

 このところ、何度もバスと電車で病院と拙宅を往復。一向に慣れない、その理由は休憩できる場所が極端に少ないから。通勤や通学で使っている人は休憩の要ががないからなんとも思わないのであろう。病人や障害者にとっては東京の交通機関は地獄である。
 まず、30分立ちっぱなしというのが無理なのである。ところが三郷のバス停からして、椅子やベンチは設けられていない。そしてバスは30分に一本である。松戸駅はホームに僅かだが椅子はある、しかし駅の構内に椅子はない。日暮里駅にも僅かに椅子はあるが、わたしが乗り換えるホームにはない。次は赤羽駅だが、松戸駅と似たり寄ったり。最後の戸田公園駅だが、ホームにはあるが、構内には一切設けられていない。駅から病院までは4,5分、雨天でなければ公園があって座るところはある。その4,5分にわたしは15分をかけている。
 気づいたことは構内で休憩する場所は一切設けられていない。これはきついと思う。みなさんは急ぎ足でひたすら歩いている、まるで軍隊蟻の行進である。誰かが止まると流れに異変が生じる。わたしはどこであってもべちゃっと地べたに座る。ヤンキー座りでなく、梓みちよ座りである。そうでなければ身体が持たない。今日は逆方向だが、田端駅で30分ほど動かれなくなった。諸外国はどうなのであろう。
 過日、山形へ行ったが、駅という駅にはことごとく休憩所があった。山形駅の休憩所は喫茶店なども併設され、かなりな広さをもっていた。もっとも、東京駅に休憩所があるのは知られているが。


思案投首の体  | 一考   

 病症が安定しないのが入院の理由。クレアチニン、体重、尿量の安定を指す、特にクレアチニンである。腎臓と退院のどちらが大事と切だされれば二の句が継げない。わたしはやはり病人なのか。一時は入院の強制終了も考えたが、医師と悶着を起こしたいわけではない。
 医師に特別な処方があるわけでない。もう少し、安定するまで様子をみようとのこと。そのためには外泊はおろか、外出すら控えろと、こちらはそれとなく示唆する。それを無視して土曜日は帰るが、医師の軍門に下るしかあるまい。
 最短十日間の延長、これで入院は二箇月を超えた。来週は点滴による新たな診療を試みる。


熱帯魚  | 一考   

 拙宅の干物は出自の明白なものばかりである。とは申せ、魚の見場が熱帯・亜熱帯産であろうがコーラルフィッシュであろうが、わたしは委細構わない。気にしないどころか、面白がるに違いない。温暖化によってこれからはそうしたケースが増えてくるからである。そして、わたしが娯しむのは魚の文様と味のコントラストである。
 日本人はいつ頃から食する魚の色を赤、黒、銀、灰と決めたのか。それだけを考えても、琉球の文化は日本のそれとはまるで違っていたことが窺い知れる。ベラとブダイのごく一部を除いて、日本人は箸を触れようともしない。モンガラカワハギやフエダイ、あとウツボ類に手を出すのはスキューバダイビングの心得のある人に限られる。

 註・1872年(明治5)の琉球藩設置から79年の廃藩、沖縄県設置にいたる明治政府の一連の措置を琉球処分というが、その過程で、形式上日清両属だった琉球王国は滅亡し、日本に併合される。この武力による併合に結論は出ていない。そして異議を申し立てたのは琉球人にとどまらない。清国もまた・・・。


居酒屋  | 一考   

 カラオケ居酒屋を開店すると書いたが、年内に明石でオープンする。明石駅のすぐ根際の大明石町である。現在は焼酎の店だが、焼酎プラス清酒の店にする。ビールはアイリッシュだが、なにを置くかは思案中。ウィスキーは置きはするが、基本扱わない。ワインは酒にあらず、酢か味醂に属するので、こちらも扱わない。要するに普通の居酒屋である。もっか駐車場を探している。
 わたしは料理当番で、魚がメインのかつての(明石時代の)ですぺらのごときちゃらんぽらんな調法に明け暮れる予定。いっそ世界の煮魚とか世界の白身魚フライ盛り合わせでも置こうか。カラオケと同じく一品百円。而るにカラオケ居酒屋である、唄うに決まっている。
 焼酎はブランド品は扱わない、小泉の規制緩和によって誕生した二千に及ぶ無名の蔵元の頑張りを評価したい。特に宮崎と鹿児島では小さいが、力(りき)の這入った焼酎が次から次へと生れている。以前の岩倉酒造のようにエールを送りたい蒸留所の五つ、六つは生れている。今、もっとも新しい酒の世界が展開されようとしている。わたしなどは新しいものにこそ興味を抱く。

追記
 金町で新規オープンの予定だったが、別に金町であろうが明石であろうがわたしには同じである。それと大事なことをひとつ。死期が近づいてきたようである。12月にわたしが生きながらえての話しである。店は1月にずれ込みそうである。


魚のグローバル化  | 一考   

 「久しぶりの病院食、お浸しと魚の煮付けか甘酢煮の繰り返し」と書いた。今回は甘酢煮、酒蒸、照焼、みそ漬焼、中華風、ソテー、ホワイトソース添などと調法を記して肝心の魚名は記載がない。何時かこうなるのではないかと思っていたが、やはり魚名は消えた、どころか魚とすら書いていない。
 例えば、ベラは沖縄から関西まで食するが、東京は熱帯魚みたいとして水族館の人気者だが原則食さない。同じ伝で東南アジア産の魚を東京人は一切食べない、これは表皮を見たら食べないのであって、見なければ食している。歌舞伎好きが派手な魚を忌嫌うのはどのような理由によるものか。
 地域地域で食べる魚、食べない魚がある。ちなみに学校や病院の給食に用いる魚はベトナム、フィリピン、タイ、マレーシアなど東南アジア産がほとんどである。その理由は小骨に到るまで完全に取り除くところにある。これらは魚名を付けないのではなく、つけようにも付けられないのだと思う。地元の名称を用いても混乱するだけ、ならばいっそ「骨なし魚」とか「白身魚フライ」というような商品名の方が通りがよくなる。過日、鯵のフライを「骨なし魚」として売っていた。「骨抜魚」でなく「骨なし」である。どうやら一部の地域では骨がない新種の鯵が捕れているようである。
 その白身魚フライだが、メルルーサ、ティラピア、ナイルパーチに混じって、背の青い魚であっても、身が白ければ白身魚になるようで種目が入り乱れている。国民は混乱していないのだが、業界だけが混乱している。なんだか、アフリカの海や川には白身魚という魚がうようよ泳いでいそうである。もっとも、この白身魚昨今では太平洋から大西洋に至る世界の海(海に限らないが)で日本の商社が血眼になって追っかけている。のり弁当に使うのか、聞くところによると、クロマグロやミナミマグロのそれを上回る争奪戦のようである。
 それにしても、病院では意地を張っているのかと思うぐらい、煮魚がつづく。なかには不味いものがあって困惑させられるが、それも愛嬌。一切れ10円20円という値段で骨を抜いた魚が食べられる。この際、名称に拘らず、大いにグローバル化に肖ろうではないか。


戻り鰹  | 一考   

 鰹は夏に黒潮と親潮とがぶつかる三陸海岸沖まで北上し、秋に親潮の勢力が強くなると南下する。夏の到来を告げるその年初めての鰹の水揚げを初鰹、南下する鰹を戻り鰹と呼ぶ。戻り鰹は低い海水温の影響で脂が乗り、北上時とは異なる食味となる。
 その戻り鰹と黄肌鮪(共に生)が安い。身四分の一の短冊が200円で購える。さらに安価になったのが鯖と秋刀魚で、鯖は大一匹が180円、秋刀魚は70円代へ下がった。鯖はマサバとゴマサバがあって、一切れ20円ほど。生海胆は200グラムの木箱が1300円、50グラムの木箱が380円。他にも甘藍、大根、ピーマンなどは50円を切っている。高値なのは白葱ぐらいなもの。物価のデフレは良いのだが、甘藍や大根のようになると輸送の箱代の方が高く付く、これでは生産者が堪らないだろう。


2012年10月18日

塩害  | 一考   

 病院の売店で松屋がさまざまなファーストフードの販売をはじめた。牛丼からカレーなどである。売れ行きは良好だが、これは良いアイデアだと思う。栄養士が管理した病院食以外に飯を食うことが良いかどうかとの問題はあるが、腹が減った人には格好の食い物である。ただし、松屋の食事はファーストフード店のなかではもっとも味付けが濃厚、カレーなんぞ、まるで塩のかたまりである。ひょっとして、戸田中央との病院の特殊性もしくは地域性を考慮して腎臓病向けの味付けに注意が払われているなら納得がゆくのだが。現実には味付けが濃厚であれば濃厚なほど、人口に膾炙する。


カツサンド  | 一考   

 病院の売店のカツサンドとクロワッサンとメイプル・ラスクが滅法旨い。ところがクロワッサンの方は滅多に見掛けない。今日は久しぶりに入手、幸運である。
 このなかで味付けからもっとも遠い存在がカツサンドであるまいか。豚肉の質、揚げる油種と温度、油切りぐらいなもので、他は似たり寄ったりである。ベーカリーの技術がものをいうとは思われない。ところが、このような単純な食い物ほど実は味の違いが出てくる。
 まず、売店のカツには肉そのものに雑身がない。ヘレでなくロースを使っているが、きれいに油身を除去している。つまり肩ロースなどは使っていないのである。そして回し取りをしていない。一挙につくっているから揚げ方に斑が生じない。それらが成功の一因である。魚の甘酢煮とカツサンドとは奇妙な組み合わせだが、値は250円。お気に入りである。ちなみに、拙宅の近くのベーカリーは450円だが非常に不味い。


珈琲各種  | 一考   

 アルミ罐に這入ったブラックコーヒーだけで、ボス(サントリー)、タリーズ(伊藤園)、UCCの三種類が売店で売っている。きっと他にもあるに違いない。中身の識別はわたしにはかなうべくもないが、おそろしく不味い。よくぞ、これだけひどい豆を揃えたものである。UCCなどもっと競いようがありそうに思うのだが、芸のないことこの上なし。
 大体、珈琲なるものは資本主義社会の標本のようなものである。寡占化の見本と言い換えてもよいし、搾取の、または民族蔑視の典型と云ってもよい。生産者価格と末端価格にこれほどの差があるのは麻薬と珈琲ぐらいなもので、比して煙草の生産者はまだ守られている方である。
 珈琲がなぜこのような飲料に化けたかについてはしかるべき歴史学者がいくらでもいる。ただ、珈琲愛好家は民族が血で贖った飲料だということを忘れてはならぬ。

追記
 ブラックコーヒーの味の順だが、書いた順に不味い。後ろほどましと云うこと。ましであって決して旨いとは云っていない。酸味が利いているのは伊藤園、珈琲というものがまるで分かっていないのがサントリー。生産者と販売者のどちらに責任があるのか分からないが、共犯と捉えるのが順当。


 | 一考   

 病室の向かいのビルの屋上に大きなクレーンがある。何時もは風任せで、西を向いている。今日は風が逆、クレーンはどうなるのか見守っていたところ、30度回転して止まった。どうやらストッパーが付いているようだ。わたしは移動式クレーンの免許は持っているが、固定式クレーンの免許はない。従って固定式のシステムに暗い。あれは顛れなくていいなあ、と思いつつ眺めるばかり。移動式には車や列車、船があるが、倒れたり、フローティングクレーンなら顛覆沈没する。その分、移動式は3000噸といった超巨大なものがある。「倒れたり、沈没する」と書いたが、一度のミスも許されない世界である。事故が起きれば会社は馘になり、免許は取り消される。
 ところで、クレーンのことはどうでもよい。わたしの病状にストッパーはあるのだろうか。生理検査の結果待ちがつづく。いまひとつの方法もやはり免疫抑制剤の点滴、連続しての入院だけは止めてほしい。今週末で17日になる。移植手術を合わせれば47日の入院になる。どうあっても今週末は退院するが、次週の二週間を加えれば、二箇月の入院になる。


氷の味  | 一考   

 病院から富士山が見えると聞かされて数箇月が経つ。今日はじめて富士山が見えた。見えたのは富士山、従って見えたからと云ってどうこういうことはない。多田智満子さんの娘の名は摩耶、神戸の加藤邸の裏山が摩耶山だが、摩耶との名はここからきた。こちらは名称が美しい。
 富士山より、利尻富士や羊蹄山の方がわたしには馴染みが深い。図体以外、富士山に魅力はなにもない。どうしてあれが日本を代表する山なのか。尖閣諸島のおまけとして付けてやればよい。立派なおまけとして重宝されるに違いない。
 国境ごときでなにを右往左往しているのか。今は間氷期、氷河に蔽われれば海も島も見定めがたくなる。同様に、氷河に蔽われれば温暖化によって破壊された筈の環境はどうなるのか。省エネは、原発はどうなるのだろうか。その原発が埋った氷河を国民総出で買い漁ろうと云うのかしら。部署部署で、氷の味でも違うのかしら。否、人は生きているのかしら。もし、死に絶えでもしていたら、地球はそれこそ美しいに違いない。


長生  | 一考   

 お喋りな看護師がいて、移植後クレアチニンの悪化で入院中の患者について聞かせてくれた。個人情報とやらで、誰とは教えてくれないが、体調は佳いにもかかわらず入院が続き、はや一箇月と。わたしは三年の透析を経ているので、クレアチニンの最小の値が1.3というのは低い部類に属するらしい。透析中は14から18ぐらいはあった。
 低い部類に属するとは云え、1.0以下でなければ満足な生活は営まれない。それ以上だとたちどころに末期腎不全に罹ってしまう、既に罹っているのだが。おそらく、1.0未満でよほどこころして塩分制限食のみを頂戴し、うまく推移して10年は生きると云ったところか。わたしのクレアチニンは2.0、これでは三分の一も持たない。いささか酷い状態に陥りつつある。
 と云うことを気にしてもはじまらない。どうして長生きしなければならないのか。そのための入院なんぞ、いしだあゆみならどうする。永田耕衣も種村季弘も二百まで生きると宣っていたが、あれは質の悪い冗談。三分の一結構、三分の一あれば他人の三十倍の人生を生きられる。これから三十倍もの人生は考えただけで蒙御免。必要なら一週間で結構、moonさんと極上のウィスキーを聞こし召すべし。

 それにしても、診療拒否を医師は怒るに違いない。さて、いかに・・・。


外泊  | 一考   

 今回の入院ではじめての外泊だったが、クレアチニンは2.0に跳ね上がった。これは絶望的な数値である。風呂だけは這入ったが、忙しくて水分を摂る暇がほとんどなく、食事もまったく摂らなかった。それが禍いした。いまからでは遅いが、せっせと水分の補給に努めている。脱水状態を確認するに、腎臓だけでなく、胃袋までエコー検査で調べられた。これで当分は閉門蟄居、外出すらかなわなくなった。

 わたしのドライウェイトは65キロ。その体重が術後65キロから57キロへと減り、今回の入院で68.5キロへと増えた。現在は66キロをわずかに切る。何度も書いたように体重は二次的なもので、免疫抑制剤によってどうにでもなる。しかし、ドライウェイトよりも低いが良いに決まっている、
 あと二、三日でドライウェイトを切るのは間違いない。拙宅の食事ならさらに早い段階で切るのだが、病院食だと食べる量まで管理が行き届いているのでそうそう痩せはしない。
 さて、このような体重の管理、細かな血液検査(血液検査は2000項目から10000項目まであって、一時間で識別可能な検査から二週間ほどかかるものまでさまざま)に興味が失せてきた。透析時代、体重管理のために一切外食はせず、内容にも徹底した制限を自ら設けた。それは各週の血液検査の折、ざまあみろと自分に言い聞かせる楽しみがあったのである。ところが、今や体重は免疫抑制剤で勝手に上下し、クレアチニンも食べ物による規制を外れたところで動いている。自分で制禦できないものに、人は興味を抱かれない。
 体重に限らない、腹回りから無精ひげに到るまで、個々人々それぞれのダンディズムがある。今日、看護師から以前の入院のことを思えば太りましたねえ。例え病人であろうとも、いやはや豚のようには太りたくない、とただそれだけ。


2012年10月15日

教職について  | 一考   

 昨今、虐めがクローズアップされている。警察が学校へ強制調査を行うようになってはじめて虐めの問題に光が当たった。どうして50年前に警察が介入しなかったのかと思う。これについて書くことはいくらでもある。殊に、部落の問題、朝鮮の問題とわたしの世代は難題続出だった。教師を巻き込んだ暴力抗争についてはずっと書くのが躊躇われてきた。わたしがどうして夜間高校で朝鮮人学級へ這入らなければならなかったのか、わたしは中卒者で押し通してきた、それは自分の学生時代を伏せて生きてきたからである。
 中学校時代の部落相手の壮絶な抗争(虐め)を想い起こす。教師側はことごとくが日教組、つまり部落側である。わたし一人の闘いに教師から教育委員会までが参加し、わたしは義務教育である筈の中学校から一方的に暴力でもって追い出された。そのことを恨みに思ってはいないが、わたしは教員とか教師と聞いただけで、その人間性を疑う。性格破綻者か人格異常者でなければ教師は勤まるまい。教師教員の類いでわたしが後年、頭を垂れたのは宇野邦一ただ一人、彼の頭脳は旧象の牙にも似て過度適応の好例である。
 取敢えず、こちらでは結論のみ書いておく。人は、異に教師は、差別や虐めをこころの拠り所に、選民意識を生きている。教師などというものは史上最悪の稼業であって欺瞞に充ちている。誰某は教え子などと口にするだけでも悍ましい。他者に物事を教えられると信じているところからして狂っている。まず、世の中から教師を取り除かねば、虐めはなくならない。


医師とは  | 一考   

 病院を外出するに、どうして頭を下げてお願いせねばならないのか。向こうに向こうの都合があるならこちらにはこちらの都合がある。病院は慈善事業でなく、商売でやっている。さればこちらの言い分も聞くべきであろう。聞く気がなければご縁がなかったのである。極力医師の言い分は聞いている。傲慢不遜に振る舞うのは若い医師達である。わたしはかなり本気で怒っている。土下座をしてまで癒してくれとは頼んでいない。
 今日はクレアチニンがまた悪化した。その血液検査や対応策を取るのは昼である。従って昼に病院にいなければならない。ところがこちらの用事も昼ばかり。命と生活とどちらが大切かと云われると、ここが難しいところで、どちらともわたしには云われない。それほどに生活というものは大切であって、時として命という正に時そのものを跳びこえてしまう。
 ところで、ここで云う悪化とはなんだろうか。腎移植が一種の抵抗運動によって悪化してクレアチニン値が高くなる。結果、人工透析へ戻るだけではないか。医師はそれでは困るのかもしれない。しかし、わたしは納得ずくである。
 このまま行くとやがて医師と衝突する。繰り返すが、ご縁がなかったというただそれだけのこと。


苦言を呈す  | 一考   

 いろんな病院へ入院してきた。例えば、北里研究所病院、東葛クリニックなどだが、PL配合顆粒(塩野義の総合感冒薬)を註文すれば五分以内に薬剤師がベッドへ届けてくれる、それが当たり前だと思っていた。ところが、戸田中央では責任を取る看護師がいない。なにを云っても医師から聞いていない、云われていないの一言。要するに想定外の為事の引き受け手が端からいないのである。看護師は客である入院患者の方を見なければいけないのに、管理者側しか見ていない。
 某看護師にPLを註文したところ、医師に話しておきます、で24時間経っても梨の礫。別の看護師に外出しますと云う、医師に聞いておきます、で24時間経っても梨の礫。朝夕に医師が診察に来る、その折にPLを註文する。「分かった」で医師全員がそれを確認している。にもかかわらず、看護師は聞いていない、指示されていないの一点張り。
 この辺りから、病院内の体制は虐めの問題と同じだなと思う。生徒は三年経つと卒業していなくなる。取敢えず、三年間なにごともなければ世はこともなし。仮に自殺者が出たにせよ、虐めと自殺の因果関係は不明で終わりである。入院患者は長くても三箇月で退院する。生徒よりさらに短い。入院患者は看護体制のなかでがんじがらめに縛り付けておけばよい。ひっくりがえったり、転げたりして骨折されるのがもっとも怖い。事故のないのが一番なのである。この消息をことなかれ主義という。

追記2
 註文から50時間を経てやっとPLが手に這入った。お陰で風邪をこじらせてしまった。退院に絡んで病院への怒りが沸々とわいてくる。


紋次郎  | 一考   

 月曜日の退院が決まったのか、それともまた延長になりそうなのか、血液検査の結果に医師は優柔不断になっている。どうでもよいから客のわたしに決めさせろと云いたい。
 クレアチニンの数値がよろしくないので、再再入院であろうが再再再入院であろうが、なんでも構わぬ。しかし、メドロール療法になんらの期待もできなくなったので、困惑の態。治療もないままにどうしろと云うのか。血液検査の結果で一喜一憂していてもなにもはじまらない。クレアチニンは変わらず1.6から1.7に張りつき、最悪である。血液検査の他の項目に異常はなく、体重は減少、尿量は増えていて上々。されば、体重が減れば退院できるのかと伺いたい。
 寝ていてもクレアチニン値はよくはならない。痛みがあればともかく、入院もさすがに10日を超えると疲れてくる。入院は続けても良いが、一度気分転換に外泊させてもよさそうなものである。シャワーでなく風呂へ這入って洗濯、ビールを飲んで寿司を喰い、塵を捨てる。それが生活である。そう云えば冷蔵庫の中身はどうなったやら、野菜の液状化が進んでいるに違いない。一人暮しだと生活がどんどん滞ってゆく。
 一所懸命の治療は分かるが、相手が悪い。わたしがごとき一所不住と一所懸命では命のかけようがまるで異なる。医学の世界に木枯し紋次郎はいないのか。


ガスの臭い  | 一考   

 泌尿器科でもっとも多い手術といえば前立腺癌だろうが、腎移植は代わりの医師が少ない世界である。専門医として頑張っていただくには雑用(一般外来を雑用とする)から解放されなければならない。そのためにはわれわれ患者も発言しなければならない。戸田中央は埼玉で唯一移植を手掛けている病院、そこで唯一の執刀医が瀬戸口さんである。わたしは自らの腹を開腹していただいたので良く分かっているが、彼は名医である。
 上京して以来、主治医の山崎医師をはじめ、多くの卓れた医師と出遇ってきた。思うに、この間の季節の変化を反覆しつつ月日は容赦なく推移した。体外衝撃波を受けに山崎医師のもとをオートバイで訪れ、発作が起きればどうする、なにを考えているのかと叱られたこともあった。多くの医師に見守られ、多くの医師に励まされ、ここまで生きてきた。二度ほど危機に瀕したこともあった。その度に、わたしの心の目は北海道にあった。オートバイで走り回り、廻り巡った北海道の山河、いつ死んでも良いと思ったとき、それはちまちました故郷でなく、キャンプで訪れた北海道の大地と雨と風、そして焼き付き饐えたガソリンの臭い、そこに人の姿は絶えてなかった。


リハビリテーション3  | 一考   

 もっかリハビリに力を入れているが、二十歳前後で脳卒中や脳梗塞に苦しんでいる人が多いのに愕いている。ボールを床に投げて戻ってくるボールを受ける練習をしている。キャッチボールみたいな書き方だが、ボールの移動距離は10センチ足らず、そのボールが受け止められないのである。ボールの動きに身体がついてゆかない。注視していると頭が震えて静止していない、当然視線も定まらない。即、手脚にも震えが生じている。頭部切開の大きな手術跡のある人もいる。
 脳出血すなわち突然の脳血管障害によって意識障害や運動麻痺をきたすわけだが、横でみていて大変である。療法士が寄り添い、多くの患者は身体を揺すられている。揺すられて動くのであって、自力では動かれない。そのような状況を眺めていると済まなく思う、わたしは自分の意志によって可動しているからである。痼疾などと書いたが、比してわたしの病は軽微なものだと思い知る。
 美人の療法士に揺すられて老人が股間を膨らませている、と書けば顰蹙を買うだろうか。わたしはそうは思わない。これも立派なリハビリになっている。おそらく納得ずくの能力恢復に違いない。


リハビリテーション2  | 一考   

 週末にも退院可能だったが、念を入れて来週の月曜日か火曜日の退院となった。生理検査の結果を見て再再度入院、再再度生理検査を行う。外泊は無理だが、週末以降外出は認められる。車の修繕、郵便・宅急便、洗濯、役所の手続き(ETC・車税・保険他)など諸用を片付けられる。
 病棟ではメドロールの点滴中止(意味がなくなった)でリハビリテーションだけになり、暢気になった。気楽とは申せ、採尿、血液検査、エコー検査などに一喜一憂はつづく。なお、リハビリは腹式呼吸法のそれで、うっすら汗ばむ程度。とにかく歩くことが一番効果があり、病院の外周を歩き回っている。女性の理学療法士に変わったが、なかなか達者な療法士である。脳卒中や脳梗塞の後遺症に苦しむ障害者とともに、理学療法に励んでいるのである。


リハビリテーション  | 一考   

 リハビリを受け、体調不調の原因は腹筋の断裂にあると悟った。まず腹式呼吸法が駄目である。法などといったものでなく、単純な呼吸ができていない。立って座って寝て深呼吸、腰を持って、腹を押さえて、背を伸ばしての深呼吸である。負荷を掛ける云々の遙か以前の状況である。
 リハビリの理学療法士はまず、上記手術の縫合後を見、これではどうにもなりませんの一言。瀬戸口医師から傷口はしっかり付いているものの、今回は生理検査だし、特に右側は無理をしないようにと云われたようである。人は身体の傷口側を庇護う。わたしは右側に大きな疵があるため、左側で庇護っているようである。
 理学療法士は左右の足の筋力を確かめて力の差違を確認、きちんと呼吸をすれば一週間でリハビリらしきものは終了する。あとは自宅で気長にやってください。腹筋が元に戻るに三箇月、筋力ケアのための道具や器具は無用、あなたの身体なら基本はできているので呼吸法だけで大丈夫です、と。はなしを聞いて一安心である。


移植手術その結果  | 一考   

 市役所へいって国民健康保険限度額適用証をもらってきた。24年4月から外来の限度額適用認定証が有効になった。これで高度医療は35000円ほどに減額される。ただし、減額は保険適用内の医療に限られる。

 国民健康保険及び福祉障害課の担当者に相談した。特定疾病療養受療証で透析を受けている人が移植手術を受けると自動的に特定疾病療養受療証は失効する。移植によって病気が癒ったと結論づけられるのである。ところが術後、三箇月を経ずに移植した腎臓が落ちた場合、透析を受けるための特定疾病療養受療証はどうなるのか。
 担当者によれば、当然特定疾病療養受療証は再発行されるが、そのようなケースは想定されていない、と。わたしがなにを云いたいかというと、「移植によって腎不全が癒るもの」とみなさん勝手に思い込んでいるのである。移植が成功するしないにかかわらず、患者は人工透析に必ず戻る、戻らざるを得ないのである。腎不全は不可逆性の病だということをみなさん忘れている。一度罹ると腎臓が新しくなろうとどうなろうと関係なく病症は進行する。
 仮に移植した腎臓が二年間生着した場合、手術は大成功で、二年間その腎臓は生きたのである。そして三年目、彼のもしくは彼女の透析生活が再開されるのである。問われるのはこの生着年数であって、一年、二年といった著しくたわいもない論拠にわたしたちは振り回され躍らされている。もっとも、日本の場合は米国のそれとは違って生献腎である、それゆえ生着期間はさらに長く平均すると十年を超えているが。
 云いたいことは多くある。例えば、わたしの場合は拒否反応がひどいので予想される生着期間が二、三年と頗る短い。その短い生着期間のために、ドナーから生きた腎臓を奪ったのである。事前に分かっておれば移植手術を試みたろうか、との反省がつきまとう。重度の腎不全に罹った状態で新しい腎臓が起動する虚しさに思いを致すしかないのである。
 瀬戸口医師が手術前に腎移植はあくまでips細胞が完成するまでの過渡的な措置であると、仰有っていた意味がそこにある。勿論のことだが、すべての外科領域における治療は過渡的なものである。医学とは割り切れない、卓れて倫理的な問題に晒され続けている。この件は生涯に亙ってわたしのなかで反芻される。


2012年10月11日

縫合術  | 一考   

 皮膚の最表層は表皮とよばれる層状の上皮であり、その下にある真皮は主として丈夫な結合組織からなり、そのために皮膚は外力によって容易にちぎれなくなっている。真皮の下の皮下組織は主として脂肪組織からなり、栄養による変動を受けやすい。
 さて手術の際、真皮を縫合する、そして表皮に接着剤(ボンド)を用いる。縫合された部位は表皮に蔽われるため傷口の穢らわしさは隠蔽される。ひとによっては傷口が消えてしまうようなことすらあると聞く。科にもよるが、大旨十年ほどまえから伝搬普及した手術法だそうである。
 昔の縫合は非道かった。縫い合わせた左右に段差が生じ、あまつさえ肉片がぎざぎざにぶら下がり、女性は整形手術を繰り返すのが常だった。わたしの世代は肺結核が多く、かかる疵痕をしばしば目撃した。もっとも、わたしは元来この疵というのが好きで、逆に心身共に疵を持たない人間にはいささかの興味も抱かなかった。


無縁  | 一考   

 久しぶりの病院食、お浸しと魚の煮付けか甘酢煮の繰り返し、まったく肉が出てこないので安心して頂戴できる。今回は腎臓食でなく、端から心臓・高血圧食が用意された。別に血圧が高いわけでない。高血圧食がもっとも塩分が低いのである。前述したように、腎不全の進行が急である。なにがどうあろうとも、塩分を控えねばならぬ。
 今回の退院後は干物も遠慮せねばなるまい。透析時代を顧みて刹那の自由を楽しんだわけだが、それは消極的な「……からの自由」ではなくて、積極的な「……への自由」を意味したのだろうか。重痾に犯されたとき、選択や決断の自由と呼ばれるものはひどく形を変える。わたしが云うのは狼藉、濫吹といった専恣横暴でなく、無縁、公界、十楽など、共同体からの自由であり、遁走である。それはときとして人を卑屈にさせる。
 わたしは大体自由なるものをプラス思考で捉えたことがない、自由の語義は常にマイナス評価とともに訪れる。身寄りのない貧しさを意味する語、無縁は転じて親子・主従等の縁を積極的に切った自由な境地を示す語となり、私すなわち内証に対する公・世間を意味する公界は、私的な縁・保護を断ち切る自由を示す言葉として用いられる。そしてそれは同時に、無縁は極貧に、公界は苦界へ、らくは被差別民の名称ともなる。すなわち、本来自由であり遁走であったはずの概念が階級のそれへと、言い換えれば精神的荒廃へと転側する。階級闘争は難儀である、階級闘争は自己責任の転嫁を招き入れる。被害者が難なく加害者へ、加害者が被害者へと化け果せる。無知と貧困は仕置きの対象にこそなれ、決して同情の対象すなわち涙にはなりえない。
 散るを知らず、爛柯を聴き、共同体の蘭塔を守るは敗亡の輩。花は定まらない、花は揺れ動く、花は舞い散る。ひとは只管転側を繰り返すのみ。


抗体反応  | 一考   

 わたしと同じように拒否反応が顕れ、移植後入院する患者のはなしを聞いた。大量のメドロールによってぶくぶく太る人やクレアチニンの数値が収まらず、透析の止むなきに至った患者などさまざまである。
 移植はうまくゆけば6年、拙ければ三箇月の命である。いずれにせよ、透析に戻らねばならない。わたしの場合は前記したようにクレアチニンが1.6から下がらない。0.7まで下がっても、3年後に透析に至った例もある。今云えることは明年は透析からは免れるということ。従って、明年は北海道へ旅ができる、楽しんで来ようと思っている。
 拒否反応は事前にある程度の予測はつくが、やはり顕れてみないと分からない。私の場合も事前に予測できたが、ここまで強いとは思わなかったようである。それにしても、移植を済ませながら透析に戻るのは残念であろう。東葛クリニックでもそのような例を数多く聞かされてきたが、やはり事実だった。ただし、病院で聞いたところでは、薬の飲み忘れとか服用時間が厳守されなかったという患者の自己責任に帰する問題ばかりだった。しかし事実は少々違ってい、拒否反応による不可抗力が大方を占めていた。それはそうである。移植患者が命より大切な免疫抑制剤を飲み忘れるなど起こりえないからである。クリニックの医師は薬の大事を強調するためにあのようなはなしをしたのだと思う。
 そうした患者の無念が免疫抑制剤の今日をつくっていることを忘れてはならぬ。


痼疾  | 一考   

 10月11日、クレアチニンが1.6へ。メドロールが効いてはいるが、クレアチニンはこれ以上はさがらぬ。今日からメドロールの点滴は中止、錠剤へ移行。体重は400グラムの減少。
 何度も書いてきたが、腎移植に於ける免疫抑制剤の処方に関して東京女子医大の右にでるところはない。それを信じて、東京女子医大の医師がいる戸田中央総合病院へ入院した。今回、術後三箇月目に発症した拒否反応への対策も早かった。これが遅れれば当然、腎臓は落ちていた。
 場数を踏んでいるだけあって、免疫抑制剤への知識が豊富で対応が的確である。ただ困ったこともある。戸田中央を離れられなくなったことである。移植者にとって、免疫抑制剤は生涯に亙って飲み続けなければならない薬である。いつ何時、拒否反応が起きるやもしれず、その心配が生涯つきまとう。拒否反応に止まらない、サイトメガロウイルスやカンジダ菌などの感染症の問題もある。移植とは一種の痼疾のようなものである。(10月11日)


体重減少へ転ず  | 一考   

 10月10日、クレアチニンが1.5へ下がる。1.2が理想値ではないが、1.2までもう一息。今週末になんらかの結果が見えるかも。今日もメドロールを47で落とす。
 現在68キロの体重を元通り60キロ以下に落とすことと、全身の震えを終熄させること。いまのところ、震えは非道いが、熱、下痢、浮腫、腫れはない。今朝は増え続けていた体重が一キロ減った。10日で8キロの増加ならやはり10日で減るだろう。血圧順風。尿も1.8、1.9リットルとコンスタンスに出ている。あとは利尿剤で体重を減らすのが最善。
 免疫抑制剤の影響だと思うのだが、震えがひどい、なんとかならんものか、と瀬戸口医師。この震えはさまざまな要素が加味されている。全身の筋肉の硬直、強張りにも大きな理由があって、肩の凝りを解すようなまたは全身を弛緩させるようなリラクゼーションは有効だと思う。早い話が、ウィスキーでも飲めば震えは止まると思うのだが。(10月10日)


三割負担  | 一考   

 9日はクレアチニンが1.75にまで下がる。尿酸値は28.3。体重は下がらないが、体調はまずまず。このまま1.3ぐらいにまで下がれば日曜日に一日外泊できるかも、と甘い考え。これからの一週間が正念場と医師から念を押される。
 今回の入院は通常の国民健康保険なので三割負担である。毎日、免疫抑制剤ステロイドのメドロールを血管注射で打っているが、これが錠剤の数十倍の濃度になる。当然値段も数十倍だと思われる。取敢えず、事務員に一週間分の概算を出すように依頼す。金曜日入院なので、木曜日までの概算で20万円ほど。ということは請求額は70万円ほど。仮に一週間の延長になっても40万円、想像していた額より少ないが、役所での手続きが必須。
 当然のことだが、金額の嵩の問題にあらず、病が癒るかどうかである。(10月9日)


槐安の夢  | 一考   

 元々の腎臓であろうが移植された腎臓であろうが同じことで、腎臓の病はことごとくが不可逆である。もっか移植腎の拒絶反応によって腎臓と抗体とが闘っているが、この闘いはまさに末期腎不全の進行そのものであって、闘いのあとは焼け野原となる。腎臓は片端から壊死し、罹災を免れた部位の機能のみが僅かに残される。
 月曜日の血液検査でクレアチニンがわずかに下がって2.2、はじめての朗報である。朗報とは云え、癒ったわけではなく、また癒るわけでもない。壊死する部分が多少なりとも減ったということに過ぎない。
 2.2で止まれば、2.2の腎機能しかあとに残らない。医師によれば1.7乃至1.6ぐらいまでの腎機能の復帰を希望するようだが、それは既に望むべくもない。
 抗体には二種あるそうだが、どのように異なるのか詳細は審らかにしない。この闘いはあと一週間ほどつづくのだそうである。数パーセントにせよ機能が残り、自炊生活が叶うのか、それとも緩慢に透析へ戻ることになるのか、それとも一気に人口透析に戻ることになるのか。医師によると、最後はなかろうが、徐々に透析へ戻る可能性はまだ残されている、と。いずれにせよ、透析時代と同じ水準の食事制限が間違いなくつづく、あとに残るのは荒漠たる腎臓のむくろ。
 如何に抗体とは申せ、新たな腎不全がここまで急速に悪化しようとは。移植腎を目前に、ドナーに対し済まなきことのみ多かりき。(10月8日)


戸田中央総合病院  | 一考   

 点滴が理由で体重が毎日1キロほど増える。それを利尿剤でもって300から500ほど落としている。ところが、この利尿剤、わたしには利糞剤として霊験あらたかなようである。もっとも、糞につられて尿も出るのだから利尿に違いはないのだが。
 クレアチニンは2.6、危険水域に張り付いたまま。体重は二次的なものなのでどうでもよく、本命のクレアチニンが下がってくれれば良いのだが。毎日の血液検査の結果が気に掛かる。
 巷は連休、同室の患者はみなさん外泊。わたしも外泊を申し込んだのだが却下され、外出ならと一時間の帰宅のみ認められた。

 戸田中央は民間病院で病棟は三棟。わたしが入院しているA棟は一階が救急とCTやMRIなどの重機が並び、二階が複数の手術室とICUで構成され、三階から七階までが病室になっている。四階が腎移植の患者専用だが、専用と云っても腎移植は月に二例のみ。
 ワンフロアに50床、A棟だけで250人の入院患者がいる。前回は満床だったが、今回は八、九割ほどの入り。主として腎移植と前立腺癌、心臓血管と脳外科の手術を執刀している。最新医療機器のダヴィンチを設置しているのだから愕かされる。確か、前立腺癌の手術入院が三日と聞いた。
 前回書いたが、C棟には胃瘻の患者が多く、ここはあまり通りたくない場所である。ちなみに、女房がドナーとして検査入院したのはB棟、心臓血管センターの病棟だが、もっとも豪華な部屋が設えられた棟だった。(10月7日)

追記
 9日には満床になった、賑やかな病院である。


2012年10月07日

点滴つづき  | 一考   

 先日の小便の量は摂取量と見合ってい、1.5リットル。にもかかわらず、入院してから毎日1キロずつ体重が増加している。顔もぱんぱんに腫れ上がってきた、ムーンフェイスとはこのことか。丁度点滴分がそのまま体内に残されてゆく、しかしながら血圧は110の60と低いまま。そこのところの理屈が分からない、どうなっているのであろうか。クロアチニンは悪化の一途、身体が管理下から離れ、暴走をはじめたようである。免疫抑制剤の怖ろしさを知る。
 昨日は終日東風だった、おそらく今日も。熱を逃がすと書いたが、滅茶暑く感じる。窓を開けて夜風を取り込む。湿気を孕んでいるが、それが心地よく爽やかである。(10月7日)


電気仕掛けの点滴  | 一考   

 今回の入院である。初日に痛いことは済ませ、6時間の絶対安静を経て21時半に解放された。尿管の挿入、点滴のライン取りなど若い看護師が失敗を繰り返し年増に変わる。わたしの血管は硬いので注射針では難儀する、小型の電気ドリルなら良かったろうに、と冗談。若い人はいたく恐縮している。それで良いのですよ、何事によらず最初から旨くは行きませんよ。
 入院前日のエコー検査では技師医師とも血流がよろしくないとの結論だった。しかし、連日の点滴が効を奏したか、血流はいたって順調。最短一週間の入院と告げられたが、それで無事に終わりそうである。ただし、生検の結果が出るのは二、三週間後。その時点で新たな入院があるやもしれず。
 日中の時間が惜しいのでリハビリテーションを受けることにした。荷物を持って歩くと5分もせずに右の股関節が痛くなる。かつての靱帯剥離骨折からあと、腎不全がひどくなってかまけていたもの。家でのリハビリでは体重以上の負荷は掛けられない。せめて2、300キロぐらいの負荷に堪えられるようになりたい。

追記
 クレアチニンが2,5にまで跳ね上がった。免疫抑制剤を中断し特殊な薬を用いるが、値が一回につき10万円を超えるようである。それでも抗癌剤のことを思えば安価なものだそうである。これから後、施すべき方策はふたつしかない、どちらも薬物治療で詳しく聞いたがなんのことやらさっぱり分からぬ。通常の国民健康保険は有効だが、校正医療の適用外という。病院側の過去の経験から推して退院時に全額は払わなくても良いといわれた。相応の額を覚悟しろといわれているようなものである。100万円はいくまいが、50万円は下るまい。

追記2
 熱を逃がすのが目的との理由で座薬を打つ。点滴に座薬ははじめての経験、加えるに心電図。副作用が激しいのだろうが、さすがに10万円超ともなると演出が細かくなる。一回目はネオファーゲンで落下速度は147。二回目の点滴は二本同時に、プリンべランの速度は43、リツキサンの速度は13(以降3時間おきに25、50と速度が変わる)。200ミリと250ミリのくせに終了までに要する時間は11時間。夜が明けてしまうではないか。(10月6日)


2012年10月06日

お知らせ  | ニャル子   

ですぺら掲示板に這いよるニャル子です。
一考氏は昨日から緊急入院、本日からお見舞い可能とのことです。
入院先は、以前と同じく埼玉の戸田中央病院となります。
期間は、予定では1週間ほどとのこと(まだ予断を許さないようですが……)。

以上、お知らせでした。


2012年10月05日

死ぬであろう日  | 一考   

 かつての大量輸血の際も死ぬとは思わなかった。素人意見だからどうなるかは分からない。しかし、死ぬときは事前にそれとなく悟るのでないかと思う。それにしても、死を近しく感じるようになった、と云うより思いを致すのは死のことばかり。
 先日、身の周りを一新と書いた。わたしは有終とはまったく縁がない。縁がないがゆえの一新である。憂愁、優柔、薄弱とは昵むが決して恰好の良いものではない。あくまで冗談で生きてきた。
 移植者のうち拒否反応に罹るのは50パーセント、内95パーセントが治療により恢復するという。戸田中央の瀬戸口医師はそちらの名医、95パーセントにわたしも是非入れていただこう。
 「何とかしてよ、予定が立たないのです」とわたし。「なんとかしてほしいのはこちら、入院の遣り繰りがつかない」「あなたの身体でしょ、責任とって」と医師、冗談を飛ばすところに余裕があると信じたい。さて、生きるも冗談、死ぬも冗談、どちらに顛んだところで糞の上。


ブナハーブン  | 一考   

 エクスクルーシヴ・カスクからニューボトルが頒布された。ブレイヴァル、アルタナベーン、グレン・スペイ、ブナハーブンの四種。面白いのはすべてのフィニッシュがペドロヒメネスである。
 ウィスキーについて書こうと思ったのは、つい先頃ラフロイグのトリプルウッドが終売になってペドロヒメネスに変わると当掲示板で中村さんが書かれていたからである。
 ペドロヒメネスをフィニッシュに用いたウィスキーで旨いと思ったボトルがない。例えばラガヴーリンのダブルマチュアードがペドロヒメネスである。
 今回のボトルは前記三点が不味い。ブレイヴァルは好きなウィスキーなのだが、リッチなシロップ漬けレーズンのアフターはデザートワインを思わせて興ざめである。ただし、ブナハーブンは成功している。1991年の蒸留、21年、52.8度、7250円のお薦め。スモークでとてもオイリー、重厚な焚き火の味わいがペドロヒメネスを跳ね返している。


2012年10月04日

再入院  | 一考   

 今日医師から即刻入院を命じられた。クロアチニンが1.98にまで上がり、移植した腎臓が拒否反応を示している。このままだと確実に落ちる、透析に逆戻りである。
 生検が今日は出来ないので、入院は明日の早朝、従って今日は朝から晩まで点滴の繰り返し。
 このところ身の周りを一新。車も新しくなったので、パソコンも新しくしようとオークションで註文中。註文だけしてほったらかしでは何もかもがうまくゆかない。相手にわたしの病気は関係ないからである。よって女房に無理を云って上京してもらうことにする。ただし、彼女にパソコンが触れるかどうかが問題だが。
 医師にオークションの話をするも、命とどちらが大切かと一蹴される。仮に腎臓が落ちたにせよ、命だけは救わねばならない、と。余程深刻な状態のようである。わたしは折角くっついた下腹をまた開けるのかと思うとうんざりである。入院は明日だが、退院が何時になるかは分からない。予定を一切立てずに入院してほしいとの医師の命令である。


2012年10月03日

尺鰺  | 一考   

 塩の関係で長く食べられなかった干物を食している。秋刀魚、鯵、鰈、飛び魚、金目、キンキなどである。種村さんが相模湾と駿河湾の鰺の干物の味の違いを述べておられた。血液検査の度に薬の内容量が変わるので一泊か二泊しかできないが、伊豆半島ならいつでも出掛けられる。伊豆半島に止まらない、外房なら干物でなく刺身だが、尺鰺は有名。なめろう(別名沖なます)は房総半島沿岸部一帯に伝わる郷土料理。拙宅からならこちらの方が利便。


ひかりTV  | 一考   

 先日、有線テレビについて書いた。今日はNTTの連結会社から電話があって、ひかりTVなら2625円のコースにヒストリーチャンネルが這入っているそうな。有線テレビより2000円ほど廉い。もっとも、チューナーその他のレンタル費用が加算されるのだが。
 どうでも良いことだが、最大二箇月は視聴料が只らしい。いずれ免疫抑制剤の量が落ち着けば、神戸もしくは明石へ引っ越すしかないと思っている。それまでのお遊びにひかりTVを繋いでみようかと。


ダマスカス鋼  |  一考

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 英国のナイフ職人Mr MAAN'Sのハンドメイドナイフシリーズの一本。ダマスカス鋼で造られたフォールディングナイフである。ダマスカス鋼は異種の鋼材を折り返し鍛接された木目状の模様を持つ鋼のこと。積層されたブレードは優美な波模様に仕上げられる、職人の腕の見せどころか。
 特にナイフに興味があったわけでない。ただ、ナイフとして使用するに躊躇するほどの仕上がりである。ブレードに限らず、ハンドル部のボルスターにもダマスカス鋼が用いられている。ゴールド真鍮とスタッグホーンで彩られたハンドル材が木目の模様とよく似合う。


2012年10月01日

領有権  | 一考   

 中国の外相が国連で敗戦国との言葉を四度繰り返していた。中韓にとって日本は敗戦国というのが歴史的事実なのである。今般の領土問題に対するわが国の態度は戦勝国に対するそれとして著しく不敬だというのが彼等の本心である。領土問題に限らない、戦後処理の問題は彼等にとってなにひとつ終わっていない。
 いずれにせよ、尖閣や竹島の領有権で戦後処理の問題が浮かびあがってきた。これから長い長い我慢比べがはじまる。
 わが国は経済のことを大言する。経団連の米倉会長は戦後最悪の会長だと思うが、尖閣諸島が日本の領土でない可能性を含めた発言をして波紋を広げている。他方、野田首相の支持率が跳ね上がっている。その上がり方は日本人の屈折したナショナリズムを示唆している。
 わたしは経済を二の次に置く国があってもよいと思う。別に中国がそうだといっているのでないが、わが国は経済のためなら信じるところを曲折させてきた。このような国は一度経済を離れて局地的な戦争を経験すべきと思うのだが。
 ウスリー川の中州、ダマンスキー島(中国語名は珍宝島)の領有権を巡って軍事衝突が発生したのが1969年、尖閣問題は日本側が対応を一歩間違えると同様の紛争をもたらす。もっとも、自衛隊員が射殺されようが、自衛艦が沈没させられようが、反撃の根拠になる法体系がなにもない。国内法を整えるに半年以上はかかる、その間中国海軍のミサイルを相手に海上保安庁が機銃だけで持ちこたえるしかないのだが。


大動脈瘤  | 一考   

 移植で入院した折、ドナーも共に精密検査をした。その検査によって大きな動脈瘤が見付かった。直径はゆうに三センチは超えている。おそらく四センチ近いのではないだろうか。
 動脈瘤とは動脈が局部的に拡張膨隆し、嚢状、紡錘状、円柱状を呈する疾患。動脈硬化症、動脈炎、外傷などによって起るほか、先天性のものもある。彼女は動脈硬化症が理由の嚢状大動脈瘤だそうである。周囲を圧迫して呼吸困難,嚥下障害,胸痛を起こし、穿孔すると即死する。年内の手術を医師は勧めていたが、どうなったのだろうか。

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